・・・くま日記・・・


2005/07/31(日) 祭りが終わった
 祭りが終わった。天候もまあまあでいい祭りだった。町内会の祭り、以前は二日間やっていた。役員やお手伝いをいただく皆さんの費やす労力の軽減や、祭りの密度を高める意味もある。そんなこんなで今は、日曜日一日だけとしている。それでも準備、後かたづけを含めれば最低三日間はかかる。救われるのは、「やー、楽しい祭りだった。また来年を楽しみにしている・・」という町内会の皆さんからいただく言葉である。子供達が喜んでくれるのが何よりうれしい。


2005/07/30(土) 宇宙からの声
 久々に無線が見直されるチャンスが訪れた。携帯電話の普及に反比例するように、アマチュア無線の衰退が始まった。アンテナを立てている車を見かけることも少なくなった。リグのスイッチを入れてもほとんど交信の声が聞こえない。
 そんな中、地上400キロを周回する国際宇宙ステーション(ISS)の宇宙飛行士と札幌の子供達がアマチュア無線で交信するという。
 ISSとのアマチュア無線交信は、宇宙飛行士の心理的安定を保つために世界規模で行われているそうだ。今回の交信日時は8月の第4週が予定されている。交信時間はわずか10分程度、小学4年生から大学生までの14人が交信するという。宇宙からの声は子供達にどんな夢を与えることだろう。


2005/07/29(金) 室蘭の艦砲射撃
 今日のNHK午後7時半の北海道クローズアップ現代は、終戦の年の室蘭艦砲射撃を取り上げた。わずか1時間の間に、実に860発もの砲弾が撃ち込まれたそうだ。昭和20年7月14日のことだった。
 日本製鋼所室蘭製作所・日本製鐵輪西製鐵所の二大軍需工場にねらいをつけた約1時間にわたる艦砲射撃。砲撃は、軍需工場ばかりでなく、市街地や社宅街にも撃ち込まれ、特に御前水や中島社宅街では、路上に死体がころがり、それも五体満足なものはほとんどないというほどの目をおおうような惨状だったと目撃者は語る。死者は436人。しかし、この数字には、軍関係者の数は含まれておらず正確な死傷者数はいまもって不明という。
 「写真が語る激動のふるさと一世紀」(郷土出版社)には、わずか一枚の写真が載るだけである。


2005/07/28(木) 「禁煙の父」の死
 気づかれた方も多かろう、先日小さな訃報記事が載った。英国人疫学者リチャード・ドール氏の逝去を報じたものである。氏は、1950年代喫煙と肺ガンの因果関係を初めて実証した。世界の禁煙運動に大きな影響を与え「禁煙の父」と呼ばれた。
 因みに、1954年には英国の成人のうち80%が喫煙していたとされるが、その半世紀後にはこの数字が26%にまで減少。多くの人がタバコをやめた大きな原因は、人々がガンやその他の喫煙関連の病気にかかることを恐れるようになったためとみられている。
 引き替え、わが国の喫煙率は男性49%、女性14%と先進国の中では依然として高い。とりわけ北海道は男性57%、女性23%といずれも全国一。喫煙率の高さは、医療費にも反映する。道内の官庁や企業には、各種施設での禁煙・分煙をより徹底させることが求められよう。


2005/07/27(水) エイジングが楽しみ
 これまでに幾つもの名刺入れを使ってきた。見た目はいいが入る枚数が少なかったり、名刺の出し入れにスムースさを欠いたりと、いずれも満足が得られなかった。
 今回購入したのは、ワンポケットタイプ。「エンベロープ型」と名付けられている(写真右上)。エンベロープとは封筒のこと。この名刺入れは洋封筒のような格好をしている。単純な構造がいい。
 ヌメ革で出来ている。使い込めばいい色合いになるはずである。


2005/07/26(火) 三市文化団体の交流会が行われた
 登別市文化協会40年の歴史の中で、初めての試みだそうである。伊達市文化協会、室蘭市文化連盟、登別市文化協会 三市文化団体の交流会が行われた。室蘭市からは、役員を中心として数名、伊達市からは20名を越す参加者があった。それぞれ三市の現状報告がされた後、各団体ジャンル別に分かれ個別交流を行った。
 邦楽部門では、高齢化、会員の減少、若年層会員の確保の難しさなど共通の話題が多かった。小中学校への積極的な啓蒙の必要性、或いは、先生方の邦楽に対する認識の低さに話題が集中した。
 活発な意見交換の場だったが、やや時間が少なかった。これまで、近くて遠きはの感がなきにしもあらず、継続的な交流を求める声が多かった。


2005/07/25(月) 班長さんにも負担が
 今日もお叱りを受けた。町内会の班長さんからである。まず一つ目は、回覧物とか配布の回数が減らせないのか、班内に回したと思ったら次の回覧がくる。もっと、まとめて欲しいというものである。二つ目は、回覧や回収に協力をいただけない家庭の多いこと、日中は不在、夜行けば行ったで不愉快な顔をされる。「もう、ノイローゼになりそう・・」との言葉に誇張は感じられない。
 確かに少なくはない。広報の配布に始まり、アンケートの配布と回収、学校関係や町内会独自の回覧物。さらには募金など、数え上げればきりがない。
 今年は班長だから協力するけど、もうたくさん・・ と言う家庭も少なくない。負担を軽減しつつ、効率的な町内会の協働体制が保てるような工夫の検討が求められている。


2005/07/24(日) 身近な山 カムイ・ヌプリ
   四季折々の変化を見せる「カムイ・ヌプリ」(神様の・山)。神霊の存在する山として幌別のコタンなどの人が尊んだ、と市史ににある。標高は750メートルと高くはないが、市内各所から見ることが出来市民にはなじみの山である。
 見上げる姿は何度かカメラに納めているが、山の上から市内を眺望した写真を撮る機会に恵まれていない。
 実は、来月発行される議会だより「ディスカス」に、それが載る。借用した写真だがなかなかのアングルである。乞、ご期待。


2005/07/23(土) ホッと一息
 思いは全員同じだったらしい。今朝のチェックで、昨夜のミスが解決した。一様に安堵の表情が浮かび場が和んだ。わかったのは、二重、三重のチェック体制を敷いた積もりでも、人間のやることやはり見落としがある、と言う当たり前の事実だった。
 誰のミスでもない、要は、持ち場持ち場でそれぞれにきちんとチ確認するという基本の大切さをあらためて思い知らされたわけである。
 何事にもピークを迎える時間帯がある。とりわけ通夜の始まる30分前から直前までは、まさに戦場である。冷静にと思いつつも、つい数に圧倒されてしまう。しかも、出来るだけ少人数でことに当たっている。逆の立場にたつ時、出来るだけ混雑する時間帯を避けてお参りしなければ・・と自戒する。


2005/07/22(金) どこでチェック洩れがあったのか
 初めての経験である。実に悔しい。数え切れないほど葬儀のお手伝いをしてきた。記帳と金額と、これまでぴったり合ったのを自慢してきた。帳簿が合わなかったのは今回が初めてである。
 違ったのはわずかな額だ。しかし、額の多寡ではない。ぴったり合致しなかったことが悔しいのだ。どこに原因があるのか? 
 どこでもそうだが、我々の町内会も二重、三重のチェック体制を敷いている。間違いがあれば、どこかで網にかかるはずである。
 明日、再度全面的にチェックする。きっと解決するはずである。それにしても、悔しい・・。


2005/07/21(木) 国内の世界遺産
 日本にある世界遺産は、先日登録が決定した知床を加えて13物件になったそうです。 知床、 白神山地 、日光の社寺、白川郷・五箇山の合掌造り集落、古都京都の文化財、古都奈良の文化財、法隆寺地域の仏教建造物、紀伊山地の霊場と参詣道、姫路城、広島の平和記念碑(原爆ドーム) 、厳島神社、屋久島、琉球王国のグスク及び関連遺跡群の物件です。
 偶然ですが、ごく限られた範囲の見聞も含めれば、これまでにそのうちの11ヶ所の世界遺産に触れる機会に恵まれています。叶うならばあとの2ヶ所、白神山地、屋久島も訪れてみたいものです。
 ただ、先日も書いたように保護と観光の両面を満足させることは非常に難しい問題を含んでいます。一定の規制が設けられることはやむを得ないのかもしれませんね。


2005/07/20(水) 歌姫のディナーショー
 ディナーショーの終わりが夜の11時を回ったのは初めてです、と司会者が言っていた。まさしくその通り、終わったのは11時を大幅に過ぎていた。始まりが、午後8時半とやや遅いににしてもである。観客が盛り上がり、唄い手が盛り上がり、さらに観客が盛り上がったからに他ならない。
 この蘭で前にも何度か紹介したことがある「江差の歌姫」 木村香澄ちゃんのディナーショーがあった。一部は午後5時半から、そして二部へとつながった。幸い一部も満席だったそうだ。
 民謡を主体にしたディナーショーにお客が集まるのか、実は内心心配していたのだ。香澄ちゃんががっかりしなければいいがとの思いは杞憂に終わった。
 あの声だしあの唄だ。お客が満足しないわけがない。素晴らしい夏の一夜でした。香澄ちゃん、ありがとう。


2005/07/19(火) 知床が世界自然遺産に
 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の第29回世界遺産委員会で、知床が世界自然遺産に登録されることが正式に決定した。国内では、白神山地、屋久島に次ぐ3番目の世界自然遺産となった。
 知床岬など知床半島先端部の陸域48,700ヘクタールとその沿岸から3キロ以内の海域22,400ヘクタール、併せて71,000ヘクタールがその対象となる。
 その陸域の中心部に位置する羅臼岳から硫黄山までの稜線を、実は歩いたことがある。もう35年も前のことだ。人に出会うこともなく静かな山行を楽しんだ。その領域が羆の巣だと言うのは、歩き終わった後で聞いた。今なら怖くて歩く気にはなれない。これからは、自然と観光客とのせめぎ合いが始まる。荒れなければいいが・・。


2005/07/18(月) メモと音源が頼り
 人間の記憶の曖昧さは、これまでにも実感することは多かった。先日の視察報告書をまとめるに当たって、一層それを感じた。
 かって、職場ではメモ魔と呼ばれるほど素早く正確なメモをとることを得意としていたものだ。大抵のことは、ノートに書き連ねたメモでその場の会議の内容を思い出すことが出来たものである。例え、他人には判読不能なものであっても、そのミミズが這ったような曲線を見ることによって、鮮やかに記憶が蘇ったものだ。最近は、そうはいかない。
 今回の視察では、可能な限り丁寧なメモを心がけた積もりである。が、いざ報告書にまとめようとしても脈絡が認められないのだ。
 記憶に取って代わるのはやはり音源である。持参したMDを再生しながらメモの不足部分を補う。デジカメに残した画像が、さらに記憶を確かにする。一日かかって、やっとまとめることが出来た。


2005/07/17(日) 精進(しょうじん)を讃え
 「精進」という言葉は、お釈迦さまが初めて行った説法とされている「八正道」(八つの正しい道)という教えの中で用いられた言葉だそうです。「八正道」には、私たちが歩むべき八つの道である「正見」「正思」「正語」「正業」「正命」「正精進」「正念」「正定」があるそうで、その中の「精進」とは「努力」を意味するのだと、仏教語にあるのだそうです。
 よく賞状などに、『その「精進」を讃え・・』 と使われますが、つまり、『その「努力」を讃え・・』 と使われるのですね。
 ところが、間違って『その「せいしん」を讃え・・』 と読む人がいるのです。困ったものです。そんな人には、身体にも心にも偏りのない正しい 「精進」 料理が、正に必要なのかもしれませんねえ。


2005/07/16(土) 第二回理事会があった
 年に何度か江差に行く。個人的なものであったり、役目柄何をおいても出かけるといった用事もある。車で大凡片道3時間、充分に日帰りが可能である。
 江差への道を通いながら、いつも感じることがある。国道37号線や5号線を走るときと違った車の流れを感じるのだ。八雲から277号線で雲石峠を越え、229号線、227号線を走るときも、落部から道道67号線、国道227号線に乗り継ぐときも同じ思いに駆られる。それは、決して無謀な運転をする車を見かけることがないことである。制限速度をきちっと守って走行する車の多いことである。道交法を守る、当たり前と言えばそれまでだが、5号線から一山越えるだけで全く車の流れが違うというのも珍しい。ひょっとすると、よそものをも暖かく迎える、豊かな人間性のあらわれかもしれない。


2005/07/15(金) たった一晩の命(2)
 やはり最後まで見届けなくてはなるまい。月下美人の終焉の様子である。その姿がいかに哀れで目を背けたくなるようなものであっても、現実の姿を写し取っておかねばならない。
 年老いた姿をさらけ出すのは、花自身にとってもつらいことに違いない。出来るならば、目尻や口元の皺の一筋一筋があらわにならないようにして欲しい。そう願っているはずだ。画像の小さいのは、せめてもの思いやりである。
 誇った華やかさと末路。それは源氏平家の話だけではない。


2005/07/14(木) たった一晩の命
 今年も咲いた。月下美人の花である。昨年もこの時期だった。13日午後7時過ぎから咲き始め、満開は夜中の11時25分だった。部屋一杯に芳醇な匂いが漂った。呼び寄せた姪っ子が感嘆の声を上げた。
 それにしても不思議な花である。茎の先端に咲くのではない。葉っぱの横から15センチほどの花首が伸びその先端に花が開く。満開時には、直径20センチにもなった。それも、わずか一晩の命である。翌朝のしおれた様は、この艶やかさとは対照的である。精力を使い果たした、といった感じで写真を撮るのさえ憚られる。


2005/07/13(水) 議会だより 間もなく発行です
 今年度から、議会だより 「でぃすかす」 の編集委員となった。委員長を含めて7人の委員からなる。それぞれに分担を決めて、取材から編集、構成までを受け持つ。N議員とともに、一般質問の部分を担当する。連続三日間の編集会議を終え、責任校了の段階までこぎつけた。
 「でぃすかす」 は、議会の内容をわかりやすく市民に伝える目的で、平成8年に創刊した。定例市議会にあわせて年4回発行する。全てが議員の手作りになるものである。残念なことに、力を入れている割には、市民の皆さんにあまり読まれていないようだ。何年か前に行ったアンケートにそれが読みとれる。
 創刊当初と違って、今は、議会のホームページもある。内容について見直す時期に来ているのかもしれない。


2005/07/12(火) ボーイスカウト二題
 北海道・東北地区おびひろ大会は、平成17年5月27日から29日まで帯広市で開催される。
 登別第1団からは、指導者、父兄、スカウト含めて総勢43名が参加する。出発に先立って今日、出発の挨拶に市長・教育長を訪問した。
 「楽しい想い出をたくさん作ってください」 との市長の激励を受けて、やっと緊張が解けたスカウト達でした。
 ボーイスカウト登別第1団にご尽力くださった木村和夫さんの送別会が今日開かれた。ご自身も、昭和26年当時からスカウトとして活躍された。平成11年から、登別第1団の活動に係わってくださった。
 郷里の千葉にお帰りになるとのこと、団の50周年記念式典には出席の約束をいただいた。これからは、登別第1団のOBとして応援をしてくださるはずである。


2005/07/11(月) 求められる三位一体
 ここでも三位一体が求められる。唄、ソイ掛け、尺八 どれ一つが悪くても減点の対象となる。唄の基本は勿論、ソイの高さはどうあるべきか、求められる尺八の音色は? 等々、浴衣の裾をまくって夜遅くまで熱い議論が続いた。
 10日の日曜日、江差から近江八声上席師匠を招いて、江差追分会日胆地区運営協議会指導者部会恒例の研修会を行った。白老町の会場で、午前10時から午後4時まで。さらに、夜は場所を登別温泉に移しての研修だった。
 つい最近、先達二人を相次いで失った。松浦秋笛名誉師匠、山田雲仙名誉師匠 いずれも、この地域の江差追分の草分け的存在だった。幸い、蒔かれた種は確実に芽吹き、多くの若い後継者が育ちつつある。しかも、研究熱心な方ばかりである。前途は明るい。


2005/07/09(土) せっかく聞かせていただくなら
 今日、前町内会長の四十九日の法要があった。落慶してまだあまり日も経っていないと思われる本堂での法要であった。ここのお寺さんは、まだ若いと思われるが、比較的聞きやすい「お説教」をされる一人である。
 葬儀の席で、またか・・と思わせるようなワンパターンの内容の「お説教」を聞かされるほどがっかりすることはない。それも、とくとくと30分もの長い時間聞かされると、いい加減にしてくれと叫びたくなる。亡くなられた人を心静かに送り、ご冥福をお祈りしたい、そう思ってお参りしているのである。せめてイライラと心乱されることがないようにと願う。
 さて、くだんのお寺さん、お経の読み方がもっと上手ならばと思ってる人も少なくない? はずである。「お寺さん」 生意気言って、ごめんなさい。


2005/07/08(金) 月曜日からの視察を終えて
 肌寒い。視察を終えて帰り着いた千歳空港の気温は16度だった。
 出会った多くの人たちから、それぞれに示唆に富んだ貴重なお話を伺うことが出来た。
 広島県安芸高田市では、重本邦明さん、小笠原義和さん、小田忠一さん、辻駒健二さん。島根県邑南町では、石橋町長さん、高橋さん、澤田隆之さん。出雲市では、黒田教育長さん、岸次長さん、小田さん。厚生労働省では、大塚さん、重永さん、山口さんなどなどである。素晴らしい人たちとの出会いに恵まれた視察だった。その最たるものが、安芸高田市の議会事務局 S谷さん(写真)である。配慮の行き届いた対応に心からのお礼を申し上げたい。5日間の視察に充実感があったのは、最初にこの人に出会ったからと言っても過言ではない。


2005/07/03(日) さー、視察の準備を
 相変わらずバタバタとした一日だった。登別民謡連合会連主催の第30回を迎えた登別市長杯争奪民謡大会があった。連合会の一員でありながら、文化協会を代表して挨拶。昼過ぎまでは、会員さんや、頼まれた人の尺八伴奏。
 依頼された伴奏の責任を果たした後、創立40周年を迎えられた華道連盟のいけばな展の会場へ。さらに、文化協会の第九の練習会場に。そのあと、さらに別会場へ顔を出し、夜の町内会役員会が締めくくり。
 明日からは会派全員で視察に出かける。実り多い視察内容にしたいと思う。意識を切り替えて、さー、その準備にもかからねば・・。


2005/07/02(土) 恒例のパークゴルフ大会
 2ラウンド回って、トータル125。パー132のコース、OBを3発も出した割には、いいスコアだと本人的には満足のスコアであった。が、優勝スコアは、105。優勝者は、最近、めきめきと腕を上げているらしい。今回は、本命と目される方々のスコアもあまりよくなかった。
 それにしても、芝の管理は素晴らしい。このパークゴルフ場は、本物のゴルフコースと併設されているのだが、今はむしろパークゴルフに力を入れているように見える。斜面あり、打ち上げあり、うち下ろしあり、はたまたドッグレッグあり、結構トリッキーなコース。これが、プレーヤーの挑戦意欲を駆り立てる。つい、ねらいすぎてOBを誘発する。結果は15位。上位に入るためには、何回かの練習をしなくてはなるまい。


2005/07/01(金) また一人逝かれた
 江差追分会には、平成16年度の時点で6名の方々が名誉師匠として登録されていた。その中で、品田謡生師、松浦秋笛師が他界され、そして今日、山田雲仙師の通夜が行われた。縁あって、葬儀委員長を務めさせていただいた。
 山田雲仙師は、宮城県石巻市の出身である。幼少の頃から、母親の唄う追分を聴いて育ち、受け継いだ天分をいかんなく発揮された。
 本格的に江差追分を学ばれたのは、昭和30年代はじめと聞いた。車時代ではない、多くの時間を割いて乗り換えながら本場江差に通われたという。
 近年、個性的な唄が失われ、ややもすれば画一的になりつつある。或いはこのことに唄に不満を抱かれていたかもしれない。
  「声の良さが人の心を打つのではない、積み重ねた人生が声になり、それが人の心に響くのだ」 天才と言われた故・成田雲竹先生の言葉は多くの示唆を含んでいる。