・・・くま日記・・・


2005/04/30(土) やっと届いた
 一ヶ月遅れである。3月に頼んでいた「市町村別決算状況調」(平成15年度)<(財)地方財政協会刊>が、今日届いた。例年、4月の10日前後には届くのだ。今年の発行は無いのかと思っていた。奥付に記入された発行日に変更はない。送付が何故遅れたのかわからない。
 この状況調は、全国各自治体の決算の全てが記載されている。その性質上、二年前(因みに、今回発行されたものは、平成15年度の決算状況である)の内容である。来年度の発行はまだ、そう内容に変更があるとは思えないが、平成の大合併が進んだ平成17年度の内容からは大幅に変わることになるのだろう。 
 合併後すぐには、その合併のメリット・デメリットは現れないだろうが、変化を見るのは楽しみである。 


2005/04/29(金) 4月28日 師匠秋笛先生逝く
 師匠 松浦秋笛先生の門を叩いたのは、昭和51年の秋のことだった。全国大会会場の江差町に初めて訪れた、その一ヶ月ほどあとだったと思う。渾身の力を込めて唄う江差追分、その切々たる旋律に衝撃を受けた。
 練習会場であった先生の自宅を、はじめて訪問した時のことはよく覚えている。7〜8人の生徒さんがいた。尺八を吹き、丁寧な指導がされていた。生徒さん達の唄の上手さにも圧倒されたが、なにより印象的だったのは、秋笛先生のあの訥々とした秋田訛りの言葉だった。
 押さえた、やや低めの師匠の追分を何度も聞かせていただいた。その唄のとてつもない素晴らしさを知ったのは、何年も経ってからである。
 明日、通夜。もう、二度とあの唄を聞くことは出来ない。       合掌


2005/04/28(木) 楽しみな季節になった
 今日の朝刊に「かたくり」の写真が載っていた。それは見事な群生の図だった。
 左の写真は、我が家の庭に咲いた「かたくり」である。猫の額ほどの広さに合わせるように、つつましやかにひっそりと咲いている。
 昨日の朝は、まだ蕾だった。日中の陽気に誘われたものと思われる。
 北海道はこれから5月、6月にかけて、庭にも野にも山にも、春を待ちかねていた花がいっせいに咲き競う。楽しみな季節になった。


2005/04/27(水) 秘湯、菱野温泉
 泉質は、弱アルカリ炭酸水素鉄泉と表示されていた。同行の姪っ子は、一晩浸かっただけで肌の湿疹が癒えたと喜んで汲んで持ち帰った。源泉は、14℃の鉱泉である。脚を浸すだけで身が凍るような冷たさがある。すぐ側に、入浴しやすいように加熱温浴槽が併設されている。
 一時期問題となったレジオネラ属菌対策は、塩素は使わず、プラズマ石の殺菌力を利用している。温浴と冷たい源泉浴の冷温交代浴で体が心から温まり健康に良いと、遠方からもたくさんの方が療養に訪れるそうだ。
 のんびりとした空間を味わった薬師館は、小諸市街を見下ろす高台にある。館内の通路は、古城の抜け道を思わせるような石垣づくりだった。


2005/04/26(火) JR福知山線脱線事故
 なんとも痛ましい事故である。73人(4/26日現在)もの方が亡くなられ、多くの負傷者が出た。事故原因が究明され、再発防止に向けた対策がなされてはじめて、今回の事故に遭われた方々への鎮魂の証となろう。
 今回のような大事故に関わるものではないが、列車事故にはつらい思い出が幾つかある。身内や、友人の不幸な出来事もあった。その全てが、管理者側の責任に帰するものとは言えないが、こうなっていたら、と悔やまれるものもある。
 労働災害が発生する確率を示した「ハインリッヒの法則」というのがある。隠れた300件のヒヤリハットの
徹底した検証こそが、大事故の撲滅につながる。一つ一つ丁寧な検証を願うものである。


2005/04/25(月) 早春の軽井沢
 軽井沢に行ったのは、01年10月以来である。甥っ子の結婚式に参列し、今日帰ってきた。新郎新婦、双方の親しい仲間に囲まれての和やかないい結婚式だった。愚息二人も東京から駆けつけ、時ならぬご対面の様相を呈した。
 楽しみにしていた小諸は、「懐古園桜まつり」の時期にぶつかり混雑のため通過を余儀なくされた。代わりに、真田家ゆかりの上田城の春を満喫することが出来た。折しも、伝来の甲冑展が開催されており、10領の甲冑を間近で見ることが出来た。通常、こうした展示はガラス越しにしか見ることが出来ない。特別展の時期に巡り会えたのは、幸いであった。噴煙の昇る浅間山の景観と共に忘れられない旅となった。


2005/04/21(木) やっと、自由に選択出来る
 「業界白熱 登別の陣」 と報道が煽った。今年1月に「Nハイヤー」が誕生、登別市内で独占だった「Mハイヤー」と競合の体制になった。この欄でも、これまで何度も1社の弊害を問い続けてきた。例えば、「タクシー業界が不況と言うのは嘘?」 <2002/02/02>である。不満を抱きながら、相手の都合に合わせることを余儀なくされていた利用者も多いはずである。
 今日の報道によれば、それぞれの会社が新サービスの内容を検討中という。やっと選択する自由が出来たと喜ぶ人も多かろう。迎え撃つ側、新規参入側。生き残れるのは、「利用者あっての会社」 を実践することが出来る会社だ。


2005/04/20(水) 日課とはいいながら
 幾つか日課にしていることがある。その一つにストレッチがある。偶然もらったスポーツ用品のパンフに載っていた。
 「家でもできる簡単ストレッチ」 と称して、8種類の方法が載っている。腕のストレッチ、肩のストレッチ、お腹のストレッチ、腰のストレッチ1、腰のストレッチ2、脚のストレッチ1、脚のストレッチ2、そして、股関節のストレッチの8種類である。腰痛運動に通じるものもあり、出来るだけ欠かさず続けるようにしている。時間にすればわずか10分足らずの内容なのだが、何につけ継続することの難しさは体験した誰もが感じるところである。続けようとする意志の強さが試される。さてっと・・


2005/04/19(火) 地域の財産でもある
 イタンキ浜(室蘭市)の鳴り砂は有名であるが、日本の鳴り砂浜の分布を調べたHPによると、北海道にも数カ所あるらしい。小清水町の小清水海岸、静狩海岸、礼文華海岸などが載っている。
 イタンキ浜は、岩をクジラと思い込み、クジラが岸に流れ着くのを寒さに耐えながら待つうち、薪が尽きてしまい全員が餓死してしまったという悲しい伝説からもある景色の美しさで知られた場所である。
 このイタンキ浜の鳴り砂を守る会は1997年に発足、以来清掃活動や啓蒙活動に力を入れている。会員は、90名を数えるという。新たに会長になられたKさんは、何事にも熱心な人だ。会の活動はさらに盛んになることだろう。


2005/04/18(月) この次は、テントの中で
 「札幌から、Hさんが来ているよー」 仲間から電話があった。Hさんは、今は札幌に住んでおられるが、かって登別市で活躍されたボーイスカウトのリーダー仲間の一人である。
 当時は、子供達の人数も多く、備品も現在ほど豊富でなかったから、全道大会などの参加時には大変な苦労があったはずである。
 現在はスカウト活動からは離れておられるが、こちらにこられたときは必ず声をかけてくださる。次回は、テントの中で語り合いましょう。


2005/04/17(日) 次回までには必ず修正
 楽しみにしていた初ラウンドだったが、肝心のスコアは散々だった。強風が吹き荒れたせいもある。ボールの軌道が高めの当方としては、風の影響を受けやすい。ナイスショットが押し戻されてショートしたり、横風に流されたり。
 しかし、それよりもなによりも今日のスコアの悪かったのは寄せの失敗が大きい。トップしたり、シャンクしたりと散々だった。グリーン周りでの失敗は受ける心の痛手も大きく、いつまでも尾を引く。
 挙げ句の果てに、冬の間最も力をいれて練習したパッティングまで狂ってしまった。最悪だったのは、30センチのバーディーパットをはずしてボギーに・・。く〜・・。


2005/04/16(土) 義経はジンギスカンか?
 「京の五条の橋のうえ、牛若めがけて弁慶は・・」 NHKの大河ドラマ「義経」が放映中である。義経と言えば、平泉から海を越えて蝦夷に渡って来たとの伝説がある。義経神社も、道内のあちこちにあるようだ。いや、北海道どころかモンゴルに渡ったとの説もある。いわゆる、義経=ジンギスカン説である。
 40年ほど前に読んだ推理小説 「成吉思汗の秘密」<高木彬光> これは、義経不死伝説のバイブル的な本である。
 よく読めば、義経=ジンギスカン説論の肯定論と否定論がきちんと併記されているのだが、そのストーリーを組み立て方が面白く、そんなことはないと思いつつ、義経不死伝説を肯定したくなるような一冊である。最近、新装版として販売になった。もう一度読んでみたいと思っている。


2005/04/15(金) 早く、我が手に・・
 すこぶる酒が旨い。なんとなれば、疲れがいっぺんに吹き飛ぶようなうれしいメールが届いたのだ。ここ、二、三日のくま日記にもあるように、このところ、少々気持ちが滅入り気味だった。それが一気に、ぱーっと明るくなった思いである。
 先ほど、名古屋にいる若い友人カップルから女児誕生のメールが届いたのだ。それも写真付きでである。いつかいつかと心待ちにしていた。
 名前は、「実結ちゃん」。「みゆちゃん」と読む。3760グラムもあったそうだ。母親の胎内でしっかりと育った証拠である。うーん、でかした、でかした。お祝いに、今宵はもう一杯飲むことにしよう・・。それにしても、早く我が手に抱っこしたいものだ。


2005/04/14(木) お待ちしています
 多くの人に見送られたに違いない。縁あって努めさせていただいた委員長としての挨拶をしながら、遠い広島の地で同じ頃仲間に見送られているであろう、友人の葬儀に思いを巡らせていた。
 人も羨むほどの仲のいいご夫婦だった。最愛の夫に先立たれた奥様の心中は察するにあまりある。慰めにはなるまい、そう思いながらも弔電を送らせていただいた。
 少し落ち着きましたら、ご主人と共に過ごされた登別温泉においでください。お待ちしています。


2005/04/13(水) 訃報に愕然
 訃報が届いた。衝撃の大きさに、言葉を失っている。ほんの一ヶ月ほど前に共に登別温泉の湯船に浸かり、夜遅くまで語り合った。そして、オロフレ峠を越え洞爺湖を一周。冷たいアイスクリームに舌鼓を打ち、有珠山の噴火のあとを覗いた。JR洞爺駅で、函館に向かうという友人と別れた。思えば、これが最後になった。
 「また、北海道に遊びにきんさいや」 「また、くるよねー。 あんたも、たまにゃー広島に帰ってきんさいやー、そんときは、また、たぬきで一杯やろうじゃーないねー・・」 その時交わした言葉が、まだ、耳に残っている。独身時代からお世話になりっぱなしだった、友人のH田さんの訃報に、いま、全身の力を失っている。


2005/04/12(火) 支え合ってこそ町内会
 戸数、1000戸を越えるような大きな町内会なら大変だろうな、つくづくそう感じた。今日、葬儀のお手伝いをしている最中に、また町内会の方が亡くなられたとの情報が届いた。たかだか、500戸あまりの町内会ですらこうである。
 葬儀ばかりは予定が立てられない。ご遺族の意向に添って、悲しみが少しでも安らぐように、なには置いてもお手伝いをする。町内会役員の宿命とでも言えようか。
 行政は合併論議が盛んだが、町内会の組織はあまり大きくしない方がいいというのが持論である。子供達にも目が届く、お互いに支えあう、そうした意識が生まれるのも見知った顔なればこそだと思うがどうだろう。


2005/04/11(月) スコアメイクはパッティングで・・
 すでにラウンドを楽しんだ方も多かろう。あちこちのゴルフ場がオープンした。
 「これを使ってみたら・・」 と、知人がパターを貸してくださった。当方の、散々だった昨年の握りの負け具合を聞きつけたに違いない。
 左側は、昨年まで使っていたNIKE 。右が貸していただいた PING。長さは、いずれも33インチ。ヘッドの重みが効くのはNIKE。PINGは吸い付くような軟らかい打感が特徴。どちらも悪くはない。
 初ラウンドも間近。結果はいずれそのうちに。


2005/04/10(日) 開設おめでとうございます
 「ホームページ開設しました」 弾んだ声が聞こえるようなメールが届いた。準備を重ねていた仲間のM議員のホームページ開設である。日記、雑感、リンクの項から成り立っている。日記からも、HPを立ち上げた嬉しさが全面に表現されていて微笑ましい。雑感の部は、いささか力が入りすぎて堅い感じがするが、まあ、これがM議員らしさだと言えるのかもしれない。
 生むために費やすエネルギーの大きさは計り知れない。しかしもっとエネルギーを要するのは、継続していくことへのエネルギーである。益々の充実を期待したい。
 これで議員仲間のHPアップは、5人になった。多くの方々に訪問していただいて、意見が交換され議会の活性化の一助になればうれしい。


2005/04/09(土) 磯の匂いのする唄を
 江差町 名誉町民の宮下正司さんがお亡くなりになった。88歳だった。何度かお話を伺ったことがある。隣町室蘭市には、平成4年 室蘭ルネッサンスの招聘でおいでになり講演された。詳しい内容は忘れてしまったが、確か江差の歴史や江差追分について語ってくださったように記憶している。
 『・・(前略)・・ コンクールにより、唄(うた)が標準化され、画一化されるのは必然で、歌詞の情緒を尊び、個性を称揚する江差追分にとって、地域性を失い、舞台の唄に変わることは、芸術民謡とたたえられる真価を失うことにもなりかねない。・・(後略)』 <1997/8/25 道新 「朝の食卓」> 
 江差追分のコンクール化を心から心配されていた。


2005/04/08(金) さー、練習もしなければ
 審査員が決まった。5月22日、全国10地区協議会の先陣をきって、第43回江差追分全国大会 第9回江差追分熟年全国大会の江差追分会日胆地区予選会が行われる。その審査員の先生方である。委員長には、吉田翠山先生。委員に、長谷川富夫、栗村翠光、田村泰子、そして地元の吉田泰子の各先生方である。
 場所は、オープン3周年記念を迎える室蘭市市民会館。123名の選手が少ない出場枠をかけて鍛えた喉を競う。期日が近づいたら、またこの蘭で紹介をしますが、江差追分を聞いて見たいと思っておられる方は、この機会に是非聞きにおいでください。結構ハイレベルな大会です。実は、・・・も出場するのです。たはは・・


2005/04/07(木) 91名の一年生誕生
 相次いで入学式があった。午前中は、T小学校。午後は、R中学校。ぴっかぴかの一年生の誕生である。
 小学校の入学式では、例年途中でおしっこに行く子がいたり、隣の子のほっぺをつついたりする子がいるのが常だが、今年は比較的おとなしく、新しく赴任された校長先生(写真)のお話も、きちんと聞いている子が多かった。
 9年間の義務教育の始まりだが、教育の基本は家庭にある。健やかに育つことを願ってやまない。


2005/04/06(水) 黄砂の時期
 いつもの場所から撮った見慣れたカムイヌプリである。頂上付近にはまだ残雪が見えるものの、川辺の様子からは水のぬるみを感じることが出来る。
 写真がいまいちはっきりしないのは、春霞のせいではない。実はこれ、大陸から飛来した黄砂の影響である。偏西風に乗って、はるばる遠い大陸から届いた砂だと思えば愛おしい気もするが、現実的には、またしばらくは、車の汚れを心配しなくてはならない。


2005/04/05(火) 室蘭での全道大会開催は8年ぶり
 8月7日 日曜日、全道大会を室蘭で開催する。北海道民謡連盟主催、室蘭地区連合会主管による 第35回 全道幼・少年少年少女民謡決勝大会 第13回 全道熟年民謡決勝大会 それに、第6回 全道寿年民謡決勝大会である。
 全道各地から、厳しい予選大会を勝ち抜いた精鋭120名が知事優勝旗の争奪に向けて競い合う。室蘭での全道大会開催は8年ぶりとなる。8年前の大会では、約130名の地元会員の手伝いを必要とした。ご多分に漏れず、民謡会も高齢化 加えて会員は減少気味である。
 全道大会は、13地区連の持ち回り開催である。が、次回の開催担当地区となれるかどうか? ひょっとすると・・・ との思いが過ぎらないでもない。


2005/04/04(月) 桜の開花はいつ頃でしょうね
 郷里では昔から、4月3日が花見と決まっていた。娯楽の少ない時代であった。それぞれに重箱に詰めた弁当を片手に、近所誘い合って小さな山に登った。桜の木の下に筵ござを敷き、重箱をつつきながら花見としゃれ込んだ。お腹がふくれると子供達は空き地でかけっこをした。酔いが回ると、それに大人が加わりちょっとした運動会並の賑やかさがあった。
 母親は、羊羹作りの名人だった。寒天を溶かし、アルミの弁当箱に流し込んだ手製の羊羹は子供心にも見事なできばえだった。圧巻は、小豆入りの羊羹である。砂糖も不足していただろうに、どうやって工面したのかとろけるような甘さがあった。何十年も昔のことなのに、この時期になると決まって思い出すおふくろの味だ。


2005/04/03(日) 弦五郎 ユーモアあふれる、いい名前だと思ったのだが・・
 無知なるが故に恥をかくこと、数知れない。今日はまた、ひどい赤っ恥をかいてしまった。ことの顛末はこうである。何度も書くが、登別文化協会は今年創立40周年を迎える。記念事業の一つに、ベートーベンの第九に挑戦する。そのオケに北海道交響楽団をお願いする予定である。今日、事務局長さんを迎えて会場の下見や打ち合わせを行った。
 オケの編成の話になった。Fl:2,Pic:1,Ob:2・・などと書いてある。これってなんですか? Flはフルート、Picは、ピッコロとの説明に納得。ここまではよかった。問題は、この後である。それにプラス「ゲンゴロウ 40名」ですね・・。 周囲が一瞬固まった。
 な、なんと、そこには「弦五部」と書いてあったのだ。これ以上は言うまい、あ〜・・。


2005/04/02(土) それが、どうだっていうのさっ!
 国道を走っていると、こんな表示が目に入る。道路上に張り出すように表示されているところを見ると、これはドライバー向けの表示だと思われる。が、ドライバーに一体何を伝えようとしているのだろう? 不思議でならない。
 ドライバーにとっては、どこが管理しようが安全に走行できるように道路管理がなされていればいいだけの話である。
 「この区間は室蘭道路事務所が管理しています」 だから、どうだっていうのさっ!


2005/04/01(金) 創業50周年を迎えた秀岳荘
 小さい記事だが北海道新聞に載ったのでご覧になった方も多かろう、札幌の秀岳荘が4月1日創業50周年を迎えた。道内の山屋にとって、秀岳荘は下界にある山と言ってよかろう。散策するだけで気持ちの温まりを感じる懐の深さがある。
 「創業者である父の金井五郎(平成5年歿)がサラリーマンを失業し、四十七歳から始めた趣味が半分の商売でした。たまたま、ミシン掛けの技術がありましたので北大山岳部のルームに訪れてテントやザックの注文をいただいたのが始まりでした。」 現在の社長 金井哲夫が振り返る。
 愚直なほどに使う立場に立ったいい商品を提供し続ける。その姿勢は50年経った今も変わらない。秀岳荘と名付けたのは、坂本直行だそうだ。金井五郎と坂本直行、熱く語り合う二人の姿が彷彿される。