・・・くま日記・・・


2004/09/30(木) 耳かき派か綿棒派か?
 耳かき派か綿棒派か? と聞かれれば、綿棒派である。耳かきは、つい、どこにおいたかわからなくなり、必要なときに見つけられないことが多い。それに、安っぽい竹製のものしか使った記憶がないせいか、痛いという記憶しかない。
 その点、綿棒は当たりが柔らかで気持ちいい。ところが最近、なかなかしっかりした綿棒に恵まれないのだ。軸がふにゃふにゃと頼りなかったり、先の綿の部分がすぐにめくれたり、使い物にならないものが多い。軸も先端の綿の部分もある程度適度の硬さが必要である。いい綿棒はないだろうか?
 ひょっとすると、医療関係に従事しておられる方は、いい綿棒をご存じかなのもしれないなあ。ご存じの方は、是非、ご一報を・・。


2004/09/29(水) みんなが待っている
 「曲は覚えなくてもいい、それよりも自分のイメージする曲が表現できるように、音に磨きをかけましょう・・」 正座して向き合って最初に言われた言葉がこれであった。感激して聴いた時、そのままの、素晴らしい音だった。尺八の音の素晴らしさ、そして、音の厳しさをたたき込まれた師匠である。
 今夜、久しぶりに酒を酌み交わすことが出来た。酒を飲み、語り、そして尺八を吹きあった。開いた古いメモに、教える側と教わる側の真剣勝負の日々が記されていた。積もる話を語り合うには時間が足りなかったが、充実した時間を過ごすことが出来た。
 師の名前は、多湖正美。胆振地区に彼の右に出る吹き手はいない。唯一の欠点は、過ぎる謙譲の姿勢である。師の前向きな姿勢を望むばかりである。


2004/09/28(火) 気合いを込めねば・・
 注文していた組み立て式の棚が、今日届いた。気づかなかったのだが、ちょうどセールの期間中だったらしい。いい買い物をしましたねと、褒められた。普段の価格より2千円も安かったのだそうだ。
 物置の内部をなんとかしなくてはと、今年の春先から考えていたのだ。暖かくなったら・・、夏の季節に・・ ずるずると先送りにしていたのだが、にっちもさっちもいかなくなった。足の踏み場もないとはこのことだ。棚を取り付けるにしても、中のものを一旦外に出さねばならない。とても半日やそこらで終わる作業でもない。棚も玄関に積んだまま、放っておくわけにもいかぬ。さて、いつ取りかかればいいのか? 考えるだに憂鬱な仕事だ。


2004/09/27(月) あこがれの「A」コール
 私も「A」コールなんですよー。ひょんな事から無線の話になった。その時、その人の口から出た言葉である。家にアンテナが上がってもいるわけでもないし、これまで何年も付き合っていて聞いたこともなかったのでびっくりした。
 平成3年にアマチュア無線の免許を取った。同じ時期に取得した仲間と交信するのが楽しみで、会社の往復にも、車に搭載した無線機で喋りあった。
 JA8*** あこがれの「A」コール。交信してもらえるだけで、なんとはなしにうれしかった。携帯電話の普及に反比例するように無線の交信が減ったように思う。かく言う己とて、いま、リグにスイッチを入れるのは正月のニューイヤーパーティの時くらいである。


2004/09/26(日) 15NJ、22WJの誘致に向けて
 本日、ボーイスカウト北海道連盟の臨時総会が開かれ、席上、第15回日本ジャンボリー大会(15NJ) 及び、第22回世界ジャンボリー大会(22WJ)の開催場所として北海道へ誘致表明をすることに決定した。会議の進行役を仰せつかったものの一人として、この決定を素直に喜びたい。
 日本連盟で正式決定となれば、2010年(平成22年)-15NJ 翌年、22NJが北海道で開催されることになる。NJは、昭和49年の第6回大会以来36年ぶり、WJは、昭和46年以来33年ぶりの大会となる。
 財政問題、人的問題、会場のインフラ整備など、多くの解決しなければならない問題も多い。が、ここはひとつ、北海道の、いや、日本のボーイの子ども達のために一致団結して事に当たらなければなるまい。


2004/09/25(土) 気は急くのだが
 膨大な時間を費やした挙げく、結局、最初からやり直す羽目になった。先月行ったボーイスカウト登別第1団のわんぱくキャンプの報告書のまとめである。関係先に提出するものとは別に、参加した子ども達には出来るだけ多くの写真を添えた報告書を送り届けたいと思う。
 仲間の撮ったものも含めて、60枚近いスナップを選択した。問題はここからである。出来るだけ鮮明な写真をと願うあまり、縮小しないで貼り付けを開始した。5枚、10枚と進めるうちに許容の範囲を超えてしまったらしい、徐々にPCの動きが鈍くなり、ついに動かなくなってしまったのである。
 今日、最初から一枚一枚縮小をかけ、一応のレイアウトをまとめた。まだ、これに写真のコメントを添える仕事が残っている。はかどらない仕事に、気ばかり急いている。


2004/09/24(金) そろそろ熱燗が・・
 「村祐の新酒の純米大吟醸が入荷しました」とメールが届いた。「村祐酒造の若き専務であり杜氏でもある村山健輔氏が、理想の酒を求めて、試行錯誤を繰り返しながらご自身で仕込んだ入魂の1本です」とも書いてある。
 酒の美味しい時期になってきた。夏は夏で、よく冷やした酒を 「くい〜・・」と、喉に流し込むのも悪くない。が、酒本来の味は、やはり熱燗である。熱燗は喉で味わうというわけにはいかない。舌の上、口の中に拡がる馥郁としたまろやかさを味わいながら、ぐびりぐびりとやるのがいい。量がいける年代ではなくなった。少しでいいから美味い酒を、親しい友と時間をかけて味わう。共通の話題が、酒の味を一層引き立ててくれる。楽しみな季節の到来である。


2004/09/23(木) パッティングは、実に楽しい
 取り組みはじめてわずか2週間。成果を語るにはまだ、早い。それは、充分に承知している。が、あえて書いておきたい。パッティングをこれほど楽しいと思ったことは、かってなかったからである。
 パッティングには、これまでずっと悩んできた。パターも、実は、現在使用しているもので5本目である。「パットにフォームなし」 と言われる。自分のフォームを探し求めてきた。実は、これが、とんでもない間違いだったのだ。きちんと理論付けされたフォームが存在したのである。「完璧のシステムゴルフ」 著者 三浦氏の P 動作、これである。まだ練習中だ、多くをは語るほど実についていない。しかし、これだけは言ってもよかろう。パターには、それ自身が振ってもらいたがっているタイミングがある。
 「明日からカップが大きくみえる」 P 動作説明の副題である。パッティングは、実に楽しい。


2004/09/22(水) バスタオル姿で温泉に入るのは止めてもらいたい
 腰にバスタオル巻いたまま銭湯に入ろうとした子どもがいてびっくりした、という話があった。一緒に来た父親も、タオルを持ったまま浴槽に浸かっていたそうだ。銭湯では浴槽にタオルを浸けるものではない、と厳しく教わったものである。家庭の躾もあるだろうが、もう一つの原因は、テレビの影響もあるのではないか。
 最近、温泉を訪ね歩く番組も多い。放映されるのは決まって、バスタオルを身体に巻き付けての入浴シーンである。裸体の露出度の問題もあろう、しかし、温泉に入るときにはバスタオルを巻いて入るのが常識との印象を植え付けかねない。
 今、本物の温泉を求める声が高い。素晴らしい温泉地の紹介にバスタオル姿は似合わない。裸同志のくつろぎ、これが温泉の効用の第一である。


2004/09/21(火) 10月2日 コンサート
 結局、コンサートはやることにした。プログラムこそ発送を控えたが、すでに関係先に連絡済みのところもあり中止が出来なくなった。但し、積極的にPRはしないことにし、師匠、丹羽法堂師を偲ぶ会という形で開催する。出演者は二桁を越えるほどいても、メインとなる丹羽法堂師が亡くなっては、来てくださるお客さんに満足していただけるような内容にならないと判断したからだ。本来であれば今年で11回目を数える。毎回、思わぬほどのお客さんに恵まれた。偏に、師の力であった。
 明暗虚竹会のこれからは、当面、同好会ということで継続することになった。北海道に根付いた尺八古典本曲の灯火を消してはならない、その思いが仲間の共通認識だ。


2004/09/20(月) 再会の喜びの一方で
 たくさんの知人、友人に再会することが出来た三日間だった。東京のNさんは、少し早めに道内入りしておられたらしい。地元の人間に間違えられるほど顔の、 Kさん。神戸のHさんは、亡くなられたご主人にも随分と可愛がっていただいた。手伝っておられる地元の関係者は、すでに顔なじみだし、唄い手は、見知った面々が多い。それにオフ会の仲間達。
 懐かしい顔に再会した喜びの一方で、 I さんの顔が見えないのは心底寂しいものだった。いつも舞台の袖で、にこやかに迎えてくださっていた。今年の3月、あまりにも早い旅立ちだった。今日、納骨式があった。線香を手向け、多くのお弟子さんとともに江差追分の献奏のお手伝いをさせていただいた。あの世とやらで、ともに尺八の歌口に湿りをくださったのであればうれしいのだが・・。


2004/09/15(水) 対象者は145人
 今日、町内会では敬老会を催した。ここ4年ばかり、カルルス温泉に出かけている。今年は S 旅館の一室を借りて行った。
 温泉にゆっくりと浸り、ささやかな宴を催した。カラオケあり、踊りあり、あっという間の4時間であった。楽しかった・・とうれしい言葉もいただいた。
 町内会には、145名の対象者が住んでおられる。体調がすぐれず出席を遠慮される方も相当数になる。
 来年こそは、参加人数が多すぎて場所を確保するのに大変だ・・と役員がこぼすほどの参加があることを願っている。


2004/09/14(火) 貧乏根性
 性懲りもなくまだ、新聞の切り抜きを続けている。役に立つのかどうかは、以前にも書いたのでここでは控えよう。切り抜いた紙片は廃紙に貼り付ける。
 ここで問題にしたいのは、その際使う糊である。なかなかいい糊に恵まれない。ヤマト糊に始まって、手元にあるだけでも、PIT HI・POWER、固形アラビック、Pritt、シワなしPiT、マーカーのりなどなど。
 今のところ気に入っているのは、シワなしPiTである。粘着力に若干難があるが、それでも一番使いやすい。最悪なのは、Prittである。糊を伸ばしていると、だんご状にむしれ落ちる。使う度に頭にくる。
 腹立たしいのは、その品物がスーパーで安売りされているのをみて、つい大量に買い込んだことだ。これこそ、貧乏根性以外の何物でもない。あ〜。


2004/09/13(月) 再び咲いた月下美人
 先月7月21日の日記に書いた「月下美人」が再び咲いた。
 今回も花の開く瞬間を見ることが出来なかった。夕方に膨らみを感じていたから、ひょっとすると近いと思っていた。用事があってでかけ、帰ってきたら咲いていた。甘酸っぱい匂いが鼻をついた。
 一年に一度だけ咲くのかと思っていたがそうでもないらしい。幾つか、蕾らしきものが残っているから、まだ、これからも咲くのかもしれない。次回は、蕾から開花までの記録写真でも撮ってみようと思う。


2004/09/12(日) 華やかな踊りの会だった
 華やかな踊りの会だった。中途からの鑑賞であったが、どの演目も積み重ねられた練習のあとが伺えて、観ていてとても気持よかった。
 東京からこられた若柳一門の方々の踊りはさすがであった。手の指先一本一本まで神経が行き届き、惚れ惚れとするような美しい踊りを堪能した。
 師籍30周年を迎えられた若柳玲鳳師の記念のこの会、これだけの会を催すのは大変なことであったに違いない。
 知人のお嬢様の連獅子も見事に決まって、まずはめでたしめでたし。ご盛会を心からお喜び申し上げます。


2004/09/11(土) 丹羽法堂師逝く
 弘前から、そして、東京からも弔問のために、わざわざ来ていただいた。明暗虚竹会の丹羽法堂先生が亡くなられ、今日通夜が行われた。あまりにもあっけない別れだった。最初の入院が四月。すぐにでも退院されるような口振りに安心していた。しかし、病はそんな簡単なものではなかった。ホスピスに移られたと聞いてお見舞いに行ったのが、先月の24日。10月に予定されているコンサートに吹く曲を暗譜するために、壁に譜面を貼り付けておられた。26日には、訪れたお弟子さんとともに尺八を吹かれたそうだ。
 9月8日、66年の生涯を閉じられた。古典本曲のために全精力を傾けられた。まさに、命をかけて尺八に取り組まれた人生だった。古典本曲を学ものの一人として、大きなよりどころを失った。


2004/09/10(金) 弔電の封筒は不要
 NTTの職員は、葬儀の手伝いをしたことがないに違いない。葬儀のお手伝いをするたびにそう思う。弔電に、押し花がついていたり、オルゴールがついていたり、ご遺族はどう始末されるのだろうか? それはまあ、気持の持ちようだからと一歩引いて我慢しよう。困るのは、弔電が入っているあのプラスティックの封筒である。これには、いつも辟易とさせられる。糊面が意外なほど剥がしにくいのだ。夏場の気温が上がった時の剥がしにくさと言ったら、もう、お手上げとしか言いようがない。破り捨てるしか方法がない。
 第一、封筒に入れたままご遺族に手渡すわけではない。どこから来たのか、誰からいただいたのか確認した上で手渡すのである。破り捨てた封筒は単なるゴミと化すだけなのだ。
 文面に心からの弔意が伝わればいい。形式だけの、見てくれだけの弔意ならかえって迷惑なのではないか。そんなものを、NTTは勧めるべきではない。いつも、そう思う。


2004/09/09(木) 水上勉さんが亡くなられた
 作家、水上勉さんが8日亡くなられた。85歳。竹にこだわりを持っておられたそうである。晩年は、自ら竹紙を漉き、竹筆で絵を描いておられたそうだ。本の題名にも「越前竹人形」がある。
 実は、水上さんは自ら尺八も作っておられた。幼いころ、大工の父親が手すさびに作るのを見て育ったのだそうだ。そして、預けられた禅寺を脱走。満州で肺炎にかかり帰郷した頃、尺八を作り続けることによって失意の日々を慰めたという。2002年1月19日付けの読売新聞に、水上さんが尺八を手にして微笑んでおられる写真が載っている。執筆の合間に、尺八のCDに耳を傾けられたそうである。
 「虚竹の笛」(2001年10月30日初版)には、尺八の歴史を探るロマンと、幼い頃の尺八づくりに精をだす父恋の感情が溢れている。


2004/09/08(水) 子どもに無煙環境を
 今年もポスターが送られてきた(写真)。送付元は、特定非営利活動法人「子どもに無煙環境を」推進協議会。ポスターの内容は、第16回コンクールの入賞作品のうちの何枚かがアレンジされている。作品は、小学校1年生から高校2年生までのもので、いずれも、たばこの煙が吸わない人へ与える影響の大きさを切実に訴えている。
 ポスターは支援会員に送られてくるが、希望すれば誰でも送ってもらえる。
 同協議会のTEL/FAXは、06-6765-5020 e-mail : muen@silvere.ocn.ne.jp  また、ホームページは http://www3.ocn.ne.jp/~muen/ である。
 ポスターは明日、会派室に掲示する。仲間も、楽しみに待っていることだろう。


2004/09/07(火) 歳のせい?
 二日、三日遅れて疲れが出てくる。若いときはこうではなかった。疲れても一晩寝れば快復したし、身体の痛みも翌日には治った。何日か遅れて疲れが出るのは、つまり、歳を取ったと言うことである。しかし、この腰の痛みは、I 山議員のHPの日記に書かれているようなゴルフのせいではない。先日、長時間、腰をかがめた姿勢でいたからである。
 思えば、祖母も母も晩年には腰が曲がっていた。永年にわたる農作業のせいである。今のように機械化もされていなかったし、狭い田畑では機械化のしようもなかったろう。全てが手作業だった。肥桶を担ぎ、鍬を使う。苗を植え、草をむしる。全ての作業が腰を曲げた苦しい姿勢である。
 一言も言わなかったが、腰も膝も耐えきれない痛さであったに違いない。一度でも、その母の痛む個所に手を当てて撫でたりさすったりしたことがあっただろうか。今思い、涙する。これも歳を取ったせいだ。


2004/09/06(月) ボールの打ち方は二つしかない
 ゴルフをするものなら、これまでに何冊かのゴルフに関する本を読まれたはずである。小生も、ご多分にもれない。「悩んだときによくわかる図解ゴルフ」「90で回れるゴルフ-中級編」「オンプレーンスイングドリル」「スイング進化論」などなど。投資をした手前、全てが無駄であったとは書きにくい。
 最近、ある本の著者から、すでに絶版になっていて入手不可能な貴重な本をいただいた。「完璧のシステムゴルフ」 これが題名である。あるいは、シングルと呼ばれる上手い人は、ひそかにこれを所蔵しているのかもしれない。1982年 初版。すでに、20年以上も前に書かれた本だが、実に理論的に科学的に書かれている。しかも、現在のトッププロのスイングは、この本を教科書にしているのではないか、とさへ思える内容である。
 この本の結論は、極めて明解。『ボールの打ち方は二つしかない』。 いま、熟読中である。


2004/09/05(日) 新戦力の舞
 今年は雨にもたたられず、祭りとしてはいい天候に恵まれた。それでも、御輿の渡御の中に混じって車で市内を流すのは結構寒さを感じる。毎年、鉱山獅子舞の一員としてお手伝いをしているが、心強いことに今年は二人の青年が新たに加わった。
 写真の勇ましい獅子舞は、その新戦力の舞である。この伝統芸能も若手に継承して行かねばならない。かって小学校で獅子舞を教えたことがあるが、新たに加わった二人はその時の生徒である。地元に居を構えたことで手伝ってくれることになった。うれしいかぎりである。


2004/09/04(土) ご来店をお待ちしています
 やきとり一本 50円、生ビール一杯 300円。安さが売り物である。刈田神社の祭典、ボーイスカウト登別第1団でも夜店を出している。子ども達も店を手伝ってくれた。
 今日は、昼の12時から夜8時までやきとり裏方専門であった。さすがに腰が痛い。幸い天気もよくて早々と予定の数量を完売。明日も天気は良さそうだ。ビールもやきとりも、そしてやきそばもたっぷりと用意しています。が、今日以上の来客が予想される。目印は、ボーイスカウト登別第1団の幟が立っているテント。どうぞ、早めのご来店を・・。


2004/09/03(金) 姉妹都市・白石市の観光と物産展
 右隣に坐られたのが山家さん、左隣が島貫さん。山家さん(これで、やんべさんと読むのだそうだが・・)は、マルトリ印味噌醤油醸造販売元 白石醸造(株)、そして、島貫さんは、(株)きちみ製麺 つりがね印 白石温麺の幹部の方だった。
 明日、明後日の刈田神社祭典の日程にあわせ、「姉妹都市・白石市の観光と物産展」が開かれる。今夜は、その歓迎交流会だった。
 味噌、温麺、その他に酒、米が毎年即売される。いずれも、なかなかの好評で物産展を心待ちしている市民も少なくないのだが、この刈田神社の祭典は雨に見舞われることも多い。幸い、今年は天候には恵まれそうだと、関係者もホッとした表情である。売れ行きも好調に違いない。ご希望の方は、早めにおいでくださいますように。


2004/09/02(木) 独特の書体
 OBの K さんが亡くなられた。社内外を通じて、多くの先輩にはそれぞれの立場で大変お世話になっている。そうしたOBの方を、一人、そしてまた一人と見送るのは寂しいかぎりである。
 実は、 K さんには、特別の思いがある。選挙の際、まちなかに立てる看板があるのだが、その看板に書く文字をデザインしてくださったのが、この K さんなのだ。書いていただきながら、何という書体かさへも聞き漏らしてしまった薄情者だが、そんじょそこらにあるような書体ではない。独特の骨太さがあり、とても気に入っている。平成3年のはじめての選挙以来、ずっとこの書体を使わせていただいている。今日のお通夜の席で、独学で書を勉強されたと聞いた。温和な笑顔を絶やさない、いつも暖かさを感じさせられるいい方だった。心からご冥福をお祈り申し上げます。合掌


2004/09/01(水) 五人目が準備中?
 同僚の I 山議員のHP、訪問者数が4桁の大台に乗ったそうだ。先ほど、弾んだ声で連絡があった。確か、まだ開設して3ヶ月ちょっとのはず。それで4桁の大台とは大したものだ。経験から言って、認知されるまでに相当な期間がかかるし、さらに定期的な訪問を受けるには、さらに何倍もの時間を要するものなのに・・。偏に、 I 山議員の人徳のなせるわざだろう。
 登別市議会でHPを立ち上げて公開しているのは、4人である。それぞれの個性が感じられて面白い。書く中身は、独断によるものだから内容によっては誤解を受けることもあり得る。個人のものだから何を書いてもいい、と言うことにはならない。一定の節度が必要である。その上で、自由な発言がどんどんアップされるのを期待したい。
 いま、もう一人、公開に向けて準備中の議員もいる。今年中にはアップされるはずだ。議会のHPから、個人のHPにアクセスする市民が多くなるのも、そう遠い日ではない。