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思いつくままに・・・

道内の若手三味線奏者   こども議会開催  会派議員で観光キャンペーン   有珠噴火ボランティア 
再び、「してございます」は変だ  いい店員さん見つけた  企業の倫理  
福祉観光都市の宣言を
   鎧袖一触   初荷に思う   蝋燭能を堪能  ホームページ開設  
七面山に登ってきた  「さらなる」は誤用  熱闘久住


道内の若手三味線奏者
 昨日豊水まつりの会場で、17歳の三味線奏者二人の共演があった。一人は、白田路明君である。彼は、吉田健一君に師事していた。これから師匠の技術を盗んで腕を磨き上げようとする時期に、吉田兄弟が全国版になってしまって地元登別での後継者育成に力を入れられなくなってしまった。そう言った意味では、白田君には、今後独力での自己研鑽が必要である。最近は胡弓の福本 夢さんとのジョイントなどを組んで頑張っている。これからに期待をしよう。

 昨日の共演のもう一人は、札幌の新田昌弘君である。一度聞いてみたいと思っていたが、噂に違わず素晴らしい弾き手だった。中学三年生になってから三味線をはじめたと聞くが、一の糸の、音の強さと膨らみに将来の拡がりを感じさせる。父親の血筋もあり、将来の有望株 楽しみな逸材である。
 まだ聞いたことはないが、石川 一君も若手のばりばりである。この人も親子二代の三味線奏者。

 兄弟と言えば吉田兄弟がすっかり有名になってしまった感があるが、苫小牧の高崎将充、哲臣兄弟も最近めきめき腕を上げてきている。祖父桂昇、父文幸そしてこの兄弟と三代にわたる民謡一家である。
 実は、この高崎兄弟を指導している佐藤俊彦さんも兄弟奏者であることをご存じだろうか。いや、むしろ佐藤兄弟こそが、兄弟三味線奏者の鏑矢なのだ。
 兄の佐藤文俊さんの繊細な音は、聞いていて背筋が寒くなるほどである。体調が今ひとつで全道的な活躍を控えているが、室蘭地方で活躍している。是非一度その素晴らしい音を聞いていただきたい。
 津軽の唄の名手が北海道内で唄うとき、三味線は必ずこの人でと指名するのが、弟の佐藤俊彦氏である。その唄付けの上手さでは、道内で右に出るものはないと言っても過言ではあるまい。

 昨日の豊水まつり、父親に肩車された二歳ぐらいの女の子が、二人の演奏を聞いて拍手をしていた。それもつぼをえた場所でである。小さな子にも訴えるものが三味線にはあるのだろう。(2001/07/15) [▲]


子ども議会開催
 登別市議会では、7月21日 市政施行30周年記念行事の一環として小中学生37名による子ども議会を実施した。
議員数は、現議会と同様24名、理事者側には市長以下助役、収入役、総務部長など13名が並んだ。
全議員は、総務委員会、生活福祉委員会、観光経済委員会、建設委員会の各委員会に所属し、それぞれの委員会所管の内容について、全議員が質問に立った。理事者側は、それぞれ市長、助役、総務部長など自分の立場で答弁をした。
一般質問、答弁ともに、自分はこうしたいと言うしっかりした考え方が示され、非常に格調の高い内容であった。(2000/7/21) [▲]


会派市政クラブ21のメンバーで観光キャンペーン実施
  会派市政クラブ21のメンバーは、京都駅、大阪駅の2カ所で観光キャンペーンを実施した。
市政クラブ21のメンバー5人は、7月4日−7日まで兵庫県三田市、滋賀県日野町、守山市に視察に出かけた。
その合間をぬって、有珠噴火による風評被害を受けて落ち込んでいる登別観光の支援の一助になればと、京都駅、大阪駅で観光キャンペーンを繰りひろげた。
 パンフレット、鬼の面、安全宣言文、温泉の素などをセットにし京都、大阪それぞれ500部を配布し「登別温泉においでください」とPRした。
「北海道って、全部ダメなんじゃないのー?」
「登別は大丈夫なんですかー」
「登別へは、先月行ってきたばかりなの・・ いいところでしたねえ・・」
 など、反応は様々でしたが、キャンペーンの効果は着実にあったと確信しています。 (2000/7/8)[▲]


有珠噴火対策本部ボランティアに参加して感じること
 4月1日より対策本部内に設置したボーイスカウト胆振地区本部にボランティアの一員として参加してきた。
 主たる任務は、救援物資受け払い所の支援並びに情報収集、避難所へのパソコン設置、対策本部のホームページに関する支援などである。
 
 対策本部の身近にいて感じることを思いつくままに列記してみよう。
・室蘭市、登別市、伊達市は防災協定を結び支援体制を確立しているが、今回の噴火で果たして上手く機能しているのか?
 伊達市はもっと、室蘭市、登別市に支援要請をしていいのではないか?
・3市ばかりでなく西胆振市町村としての防災協定が必要なのではないか?
 役所の職員も被災者であり、しかも少ない職員での対応は極めて困難であろうと推測される。
・避難者の受け皿は、周辺町村よりも室蘭市、登別市の方が適当ではないか?
 自治体規模の小さいところは受け皿としても限界があると推測される。
 少なくとも、児童・生徒の避難は室蘭市、登別市など自治体規模の大きい方が対応がしやすい。
・避難場所が、例えば道立洞爺青少年の家のように、道道の通行止め区間内にあるのはおかしい。
 知人の訪問や、急な避難場所の変更に対応しきれないのではないだろうか?
・避難場所と対策本部の情報交換がもっと緊密になることが望ましい。
 避難場所に出来るだけ早く、正確な情報が伝わる手段を講ずる必要がある。テレビ、新聞などよりもっと身近な情報が必要だと思う。
・インターネットによる情報は、相互の情報交換が出来る意味で極めて有効であった。また、FM放送、災害対策のみのTV放送も考えられていいのではないだろうか?
・避難者への自宅周辺の写真の提供が出来ないか?
 立ち入り禁止区域には警察、自衛隊などの出動があり周辺の写真撮影は可能と判断する。 自宅周辺の情報は避難者のもっとも欲しい情報の一つである。プライバシーに意を払いつつ出来るだけ詳細な情報提供が欲しい。
・避難場所に避難した人への対応と同時に、個人で避難した人(知人、友人、親戚など)への情報提供の方法にスムーズさの欠ける点はないか一考を要する。救援物資を必要とする意味では対等である。

・報道のあり方にも一考を要する。
 伊達市役所の周辺は報道関係車両でひしめき合い、市役所を訪れる市民は勿論、対策本部を訪れる避難者へも影響がある。
 共同通信など最小限の対応策をとるべきと考える。
・ボランティアに参加する際、一番気を遣うのは駐車場の問題である。
 ボランティアに参加することによって、市民の方々の迷惑になるようなことがないように、或いは商売の邪魔にならないように、出来るだけ妨げにならない駐車場所を確保したいと思う。
 商売の邪魔になるからと駐車を断られるケースが多い中で、今回はフォーマックと長崎屋が好意的に駐車場を提供してくれた。
 肩身の狭い思いをしながら駐車場所を探している人間にとって、これは大変にありがたいことであった。
・救援物資の受け払い所の対応についてはまさしく物資との格闘技であった。
 各種の水(2リットル6本入りケース)、お茶、ティッシュペーパー、ロールペーパー、毛布、インスタント食品などのダンボール箱が500個、1000個単位で納入され、体育館の中に積み上げる。各避難所への配布のために、今度は積みだしトラックへ・・・ これが何回となく繰り返される。リヤカーが唯一の運搬車であり、あとはすべて人力である。ローラーコンベア、あるいは小型のフォークリフトが必要である。
・個人からの救援物資は、慌ただしく自宅を離れて 充分に個人の物資を持ち出すことが出来なかった避難者にとって、大変ありがたいものではあるが、送る側の気配りが必要である。喜ばれた衣類の一つに、ジャージーやトレーナーがある。これは、少々サイズが合致しなくても着ることが出来るし、避難所での昼間の生活は勿論のこと、そのまま寝ることも出来ることから重宝された。ただ悲しいことに、汚れた下着や おおよそゴミとしか見えないものも見受けられ、整理を手伝いながら言いようのない憤りを感じた。
 結局、使用不能の衣類を入れたダンボールの数は数十個にもなった。(2000/4/12) [▲]



再び、「してございます」は変だ
 新聞や雑誌を読んでいて、思いを同じくする文章を見つけたときはうれしい。
「(前略)必要以上に丁寧なことばを使うのも誤用の一種(中略)いま捨てなければいけないのは、もっともらしい丁寧語と、すりへった常套句(後略)」 という文章を見つけた。《北海道新聞(98/11/17)時評欄 天野祐吉氏》 同感である。
おこがましいことを承知の上で、敢えて言わせてもらえば、必要以上に丁寧なことばは、誤用どころか、慇懃無礼さにも通じるもの、と私は思っている。
HPの中の、「さらなるは誤用?
の中に、「〜してございます」という言い方は嫌いだ、と書いた。
再び、言いたい。「
〜してございます」という言い方はやっぱり変だ。
10年くらい前からだと思う、どちらかと言えば会社の上層部に属すると思われる人達の間で、敬語、丁寧語と誤用されて広まっていったこの言葉だが、「なんとかならないか」といいたい。

内地の自治体を訪問しても、どこでも、いつでも、誰も「〜してございます」なぞ使っていないぞ〜。
それがどうだ、我が街は。言葉だけではなくて、正式な議会の会議録に堂々と「〜してございます」と載っているのだぞ。
どんなもんだい、この完璧さは。道議会の会議録でもこうはいくめ〜。
北海道弁の「したっけ」が、「ばいばい、じゃ〜ね」と別れの挨拶に使われてるっていう時代に、堅いこと言うなってか。


それにしても、「〜してございます」って言い方、やっぱり間違いだと思う。(1998/11/29 )
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いい店員さん、見つけました 

本屋で1800円の「ウッディライフ」を買った。2千円渡す。
2千円、お預かりします」と、その店員さんは言ってくれました。おもわず顔がほころびました。うれしかったですね。
えっ? 何故って? 「2千円からお預かりします」という店員が近頃は多いのです。
おかしいと思いませんか。2千円「から」なにを預かるというのでしょう。
2千円、お預かりします」 あるいは、「2千円から、千八百円いただきます」 と、こう言って欲しいものです。
思うに、これは逃げである。1800円もする高い本を買ってもらったが、これは当書店で決めた価格ではございません。
悪いのは出版店です。文句はそちらに言ってください と。
若い女性が、しかも笑顔で応対するから文句を言いそびれるが、これは、プロ意識の欠如以外のなにものでもない。
自分の店で売るものくらい自信を持て、人のせいにするな、卑怯者め! 誰がこんな店で買ってやるか。
と店を変えていったら、行く店が無くなった。
仕方なく、インターネットで本は購入している。手数料と送料がかかる。
しかし、店員から受ける不愉快さ回避料だと思えばやすいものだ。
と、なかばあきらめの気持ちで入ったこの本屋「B・Mまる」の Kさん。
「2千円、お預かりします」とその店員さんは、はっきり言ってくれました。
ついうれしくなって、他に2冊も買っちゃったもんね。
次回からそおっと店に入って、その店員さんがレジにいる時だけ、本を買おうと思っている。[▲]


企業の倫理?

相手への思いやりに欠ける人間を友人に持つほど不幸なことはない。

会社の合理化の一環で、新たなしかも遠距離への勤務を強いられた人間がいる。彼の名前を仮にSとしよう。
Sは、入社以来おおよそ20年を技能職としてすごしてきた。Sの再就職先として斡旋された新しい勤務先は、Sのそれまでの職種とは全く異質の、サービス業であった。なれない職業に就くことに躊躇したが、会社をやめるか行くかの二者択一を迫られての決断だった。
緊張の勤務地で、2ヶ月が過ぎようとしていた。

議員のBが、たまたまその勤務先に視察で出かけることになった。Bは、Sの元の勤務先の社員である。つまり、かっての同僚である。Sは来客予定をみて、ついこのあいだまで住んでいた街の議員が来ることを知った。ひょっとするとその訪問者の中に、B達が入ってるかもしれないと心待ちにしていた。
視察に出かける前にBは、会社の労務人事担当の課長に行く先を告げた。視察先を聞いて、労務人事担当の課長がこう言ったそうである。「行ってもSには会うな、会えば斡旋した再就職先の苦情を聞くことになるから・・」なんと薄情な言葉ではないか。

Sは、故郷から遠く離れて再就職したのである。
会社の経営の立て直しのために、合理化のために身を挺したのだ。
元の勤務先の同僚だったB達が来る。出来れば会いたいと思うのが人情ではないか。新しい勤務先にやっと慣れてきたところだ。
不要のレッテルを貼られて追い出されたような、みじめな気持ちも少し薄らいで新たな勤務に第二の人生をかけようと前向きな気持ちに切り替えることもできたところである。
会社の合理化の進捗状況も聞きたい。自分と同じように新しい道に進んだ同僚もいるはずだ。彼らの話も聞きたい、そして自分の近況も聞いて欲しい。元気で頑張っていることを、元の上司にも伝えて欲しい。Bの来訪日を心から楽しみにしていた。

だが視察に出向いたBは、そのSの勤務地を訪問したにもかかわらず、あえてSを探そうとしなかった。いや、むしろ意識的に会うことを避けたのである。人事課長の言葉を忠実に守り、会わないで帰ろうとしたのである。ところが、ばったりと出会ってしまった。
Sが、B達に会いたいと探していたのだ。
Bがその場をどう繕ったか定かではない。が、Bの狼狽ぶりからSはBの心の内を見て取ったはずである。人事課長やBの心の冷たさを感じとったはずである。埋まりかけていた心の中に、またぽっかりと空洞が開いたに違いない。

Sの新たな勤務地を訪問したのは、実はB一人ではなかったのである。もう一人、同じ企業出身の議員のCも一緒だったのだ。ところが、Cがこれらの状況をBから聞いたのは、その視察を終えてSの勤務地をはなれたあとだったのだ。
「えっ?!」Cは、Bの話を聞いて、続く言葉がなかったそうである。
Sを知っているのは、Bだけではない。Cも、Sのかっての同僚である。何故ひとこと事前に知らせてくれなかったのか。
Bに、Sの心の寂しさを思いやる気持ちがあれば、そして、同僚Cと情報を共有しようとするわずかな気づかいがあれば、幾らかでもSに古巣の人の心の温もりを感じてもらうこともできたはずである。
強引に引き返してでもSに会ってくるべきだった・・
元気で頑張ってるか?と、一言声がかけたかった。Sの気持ちを思うと、今でも悔恨の念にかられる。

相手への思いやりに欠ける人間を友人に持つほど不幸なことはない。Cは、顔を曇らせながらそう語った。(2000/07/08)[▲]


登別市は福祉観光都市の宣言を!
 
世界の観光市場は、300兆円ともいわれ、また、世界観光機関では、21世紀には観光産業が、自動車・石油産業を抜いてトップになるだろうと予測をしている。 従来のような物質文明中心思潮から、精神文明主体へ、つまりモノから心へと人々の価値観も変化し、その中で、旅行を中心とする観光産業が新しい価値観を実現するライフスタイルになっていくといわれる。 

我が市では、昭和61年3月に国際観光レクレーション都市の宣言を、そして平成3年12月には、観光ニーズの多様化に対応した魅力ある観光づくりを目指して、観光振興基本計画を策定した。観光振興特別対策事業、或いは個々のホテルの観光客誘致努力など、行政、観光協会、ホテル経営者、一般市民などの努力が少しづつ実り、昨年度の観光入り込み客は、350万人とまあまあのようだ。

しかし、昨今のように経済状況の冷え込みが激しいと、旅行を含む観光産業へも影響が大きく、旅行形態も、安、近、短といった言葉に示されるように、安い価格で、近くで、しかも短時間の旅行形態が今の主流である。 

北海道は、日本の国土の約 22% を占めしかも、その面積の11%が何らかの公園の指定を受けているという大変自然に恵まれた土地だから、どこでもが観光の対象となりうる。 しかも、道内212市町村の内、180市町村に温泉があると言われる。今や、温泉があるというだけでは、これからの登別観光は生き残れない。
そういう背景にあって、これからの登別市の観光行政は、今後どのような方向を目指すべきなのでしょうか。

 平成10年度の厚生白書によると、少子化傾向は一層拍車がかかり、日本の人口は2007年から減少に転じ、2025年には、労働力人口は今より500万人も減少する。
いよいよ高齢社会への突入となる。 これからの旅行は、現在の【安近短】型旅行形態から、やがて高齢者層(いわゆるシルバー層)或いは、家族を対象としたゆったり型の、旅行へと変わっていくと予測される。

また一方では、福祉施策の充実に伴って、障害者の方々の旅行も着実に増加していくものと考えらる。 温泉は、心身の療養にこそ、その効果があることは言うまでもない。
とりわけ登別温泉は、分類される温泉の全て、11種類の泉質を持つ国内有数の温泉である。

この際、高齢社会に対応した観光施策或いは、障害者に対応した観光施策を全面に打ち出した【福祉観光都市の宣言】による他地域との差別化を提唱するものですが、皆さんのご意見はいかがでしょうか?。(99/10)[▲]


鎧袖一触
 
鎧袖一触・・・がいしゅういっしょく と読む と書き添えられていた。

今年、88歳になられる大先輩から、「祈必勝」の檄文とともに後援会事務所に送られてきた。 着用した鎧の袖にさえ一触れもさせることなく、敵陣での獅子奮迅の活躍と武運長久を祈る。といった意らしい。
 後援会活動あるいは、選挙期間を通して、直接お世話になった方々は勿論のこと、このような檄文をはじめ、様々な激励の文書、お言葉をいただいた。
 不安な気持ちの中で、活動を続けている候補にとって、このように暖かい声をかけていただくことは、人の親切や心配りが伝わってきて、大変うれしく、またありがたいものである。 
 後援会の事務所にわざわざ足を運んで、激励をしてくださった方、電話で思いを伝えてくださった方、手紙をくださった方、室蘭市はおろか、遠く伊達市、札幌市に住んでおられる方からも、応援の言葉をいただいた。
  中には、毎日欠かさずメールを送って激励してくださった方もいた。くたくたに疲れて帰った時、この数行のメールにどれほど、気持ちがなごみ、明日へ向かう気持ちを鼓舞され、励まされたことだろう・・・
   足が悪く、家の中にいてさえ杖に頼っているお年よりの方が、わざわざ十段余の階段を降りて、外で待っていてくれた。時間をかけて一歩、また一歩との動作を繰り返してくれたに違いない。 涙で顔はくもり、思いは言葉にならず、ただただ、頭を深く下げることでしか、感謝の気持ちを表すことが出来なかった。
  おおよそ100日間の期間中、物心両面にわたって各方面の方々から、このように多くのご支援をちょうだいしました。ここに、あらためて心から厚く御礼を申しあげます。
 
 ・至誠にもとるなかりしや
 ・言行に恥じるなかりしや
 ・気力に欠くるなかりしや
 ・不精にわたるなかりしや
 ・努力にうらみなかりしや    
 
 旧江田島兵学校の生徒五省だそうである。昭和59年、二泊三日の研修会の席上、講師であった駒木先生に教えていただいた。先生には申し訳ないが、研修会の中で記憶に残っている唯一のものである。
  私にとって、守るには重すぎる教えだが、活動にかかわってくださった全ての方々に、なんらかの誠意を感じていただくことができるとするならば、この五省の実行は、私に科せられた課題でもある。(99/05)[▲]


「初荷」におもう  
 
正月にふさわしく、「初荷」の札を付けた車を何台か見かけた。
 消費が落ち込んで、不況感の強い昨今を反映してか、「初荷」の札も心なしか元気がない。急ぐ荷物もないのか、車の速度もそこそこである。
 「初荷」は、正月二日に、飾りをつけて、その年初めて商品を送り出すこと。と辞典にある。
 最近は、正月元旦から開いている店も多く、「初荷」も意識が変わっていくだろう。ゆっくりと正月気分を味わえなくなった。働く人たちは正月から大変だろうと、便利さよりもそちらが気になる。
 正月早々、車であちこち移動するのも気が重い、雪が積もっていたりするとなおさらである。正月三が日はことさらに安全運転を心がけるようにしている。
 路面に雪がなくても、安全運転できちっとした走りをしている車をみるのは、気持ちのいいものだ。そんな車に書いてあるロゴマークをみると、よし、あそこの製品を買ってやろうじゃないか、という気にもなる。
 テレビだとか、新聞などのコマーシャルもいいが、折角毎日走っている車だ、これを宣伝に使わない術はない。「坊主にくけりゃ」のたとえではないが、反感を買うような運転はしないほうがいい。
 看板背負って、私どもは、こんなむちゃくちゃな会社でございます。人の迷惑など意に介さない会社でございます。といって走っている車がずいぶんと目に付く。損をしているなーと私は思う。
 幸いに、インゴットマークの入った車では、乱暴な運転をみかけたことはない。教育もさることながら、社員一人一人の自覚がしっかりしているからだろう。うれしいことだ。
 景気が落ち込んだり、明るいニュースの少ないときは、気持ちも滅入りがちだが、こんな時だからこそ気持ちを前向きに切り替えよう。
 「初荷」の幟が、景気回復の御旗となってはためいて欲しい、と願うや切である。(99/01)[▲]


蝋燭(ろうそく)能を堪能 
 
観世流二十六世宗家・国の重要無形文化財保持者である観世清和師を招へいした「蝋燭(ろうそく)能」(同実行委主催、室蘭民報社など共催)が三十日、室蘭市文化センターで開かれた。
 蝋燭のかすかにゆらめく明かりの中で演じられる荘重な日本の古典芸能に夢幻のひとときを過ごした。途中居眠りをして、不謹慎さにいささか恐縮していたが、自然の摂理(室蘭民報・忙中閑)と知って安心した。
 それにしても素晴らしいものだった。

 もとより、芸の深遠さを理解する力はない。すごいと思ったのは、出演者のすり足の完璧さであり、乱れぬ足元である。親指がしっかりと踏みしめられた微動だにしない、腰のすわりである。
 能の動きは、緩慢である。スピードを落とすと、無駄な動きが出来なくなる。無駄な動作は徹底的にそぎ落とされ、研究され、洗練された動きのみが表現される。その凝縮された動きを、すわった腰の一転で受ける。
  一流とはまさしくこのようなことを言うのだろう。

  能を表現するとき、よく幽玄の世界と言う。「緩慢な動き」という先入観もあって、非常に静寂な舞台のように錯覚しがちであるが、現実はむしろ喧噪という表現がぴったりである。
  大鼓、小鼓の激しい音、間断なくはいる「いヨウー!」「はっ」といった合いの手。そしてなによりも、あの闇をつんざくような能管の独特の音である。 
  一噌流では、ヲヒャーライ ヒウルー ヒヨリーなどと唱歌(しょうが)される。時に激しさを、時に怨念の炎を、そして時には深い悲しみを伝える芸の確かさに敬服する。
  能楽師、地謡、大鼓、小鼓、笛方 それぞれから受ける、あの気迫のようなものは、芸にかける修業の密度の濃さか、何百年と続いてきた芸を自分たちの代で消滅させてはならないと言う使命感、といったものででもあろうか。
  職業に対する意識の高さを感じた一夜であった。(1998/08/30) [▲]


ホームページ開設しました  
 
平成8年7月、パソコン導入。平成9年5月、インターネット接続。
この5月、念願の個人のホームページを開設することが出来ました。

  内容は、やっと開設にこぎつけたといった程度のもので、とても誇れる内容ではありませんが、それでもレイアウト、内容、リンクなど解説書と首っ引きで作った当人としては、結構自己満足しています。
  パソコン導入以来2年、試行錯誤、憤り、挫折感などなど紆余曲折を経て、当初の一応の目標であったホームページを開設することが出来ました。
  この間、さまざまな人達のお世話になりました。議会だより(22号)に記載させていただいた方々はもとより、同じ職場の三浦さん、安田さん、環境・機器・システムの舛田さん、池田さん、市教育委員会の山田さん、市企画の藤本さん こうした方々には大変お世話になりました。記してここに、あらためてお礼申し上げます。

  それにしても、と思うものである。
  パソコンや周辺機器の解説書、マニュアルの類のなんとわかりにくいことか! サトウサンペイさんの「パソコンのパの字から」〈paso増刊号〉ではありませんが、とても日本人を相手にしているとは思えないような言葉ばかり出てきて、何度も中断を余儀なくされました。
  ひるがえって企業に籍をおくものとして、同じようなことをお客さんにしてはいないだろうか? と不安にも思う。
  品物の説明は誰にも分かりやすくなっているか? カタログや解説書は、独りよがりになっていないだろうか?
  分かりやすくと思えば、冗漫になり、簡潔さを意図すれば専門的になる。ほどよく分かりやすくというのは、言うにやすくきわめて困難なことではあるが、しかし理解してもらえなければ意味はない。
  この議会だよりも例外ではない。皆様方のご批判をいただきたいと思う。
  なにはあれ、自身の中でパソコンにひとまず区切りをつけることが出来た。お世話になった各氏、とりわけ面倒をおかけした舛田、池田両氏にこの拙文を捧げ、お礼にかえさせていただきます。 (98/7)  [▲]


七面山に登ってきました  
 
昨年10月に七面山に登ってきた。 山梨県にある。
 2000メートルという高さも久しぶりであったし、山の匂いもひさしぶりであった。
ルールや、マナーの悪さが語られることも多いが、七面山は信仰の対象として登られる山にふさわしく静かな山旅を楽しむことが出来た。中高年の登山ブームと聞く。北大の山岳部とともに歩んできた札幌の秀岳荘も、このところ店内は若者より中高年層の多さが目につく。山登りの魅力を人に語り、その素晴らしさを理解してもらうのは易しいことではない。えてして、景色の素晴らしさや、山頂からみる日の出の美しさのような、視覚観点での讃美に終始してしまい勝ちだからである。

 勿論、それも山登りの素晴らしさの一つには違いない。しかし山登りをする人は、その魅力について語りながら、どうもうまく自分の意志が伝わっていないな、本当に話したいのはもっと内面的なもの、精神的な充実感みたいなものなのだが、とやや不満に感じながら相手と話をしているものだ。

  深田久弥の「日本百名山」は、対象とした山そのものの素晴らしさと同時に、山登りと言う行動の素晴らしさについても合わせ語られた名著である。思いを理解し合うには、こうした名著を仲介に使うことも一つの方法である。
 
 先日、「峠」と名付けられた小誌が届いた。広島山稜会という山岳会の会報である。多くの山行報告の中に、こんな一文を見つけた。

  「(前略)撤収を終えて出発前の一服というところへ、朝の早い山仕事の人が上がってきた。昨夜はどこでキャンプしたのかと言う。山師の目に野営の跡を見せない出立の支度ができたとはうれしい。(中略)後は、原生林の木陰に続く山稜の下りと、汐谷の遊歩が残るのみだから、ここでは各自のリュックから最後の取っておきの珍味や果物がいろいろと取り出されて、くつろぎを一層豊かにしたのであるが、このときふとしたことから、仲間の一人が昨夜のビールの空き缶を全部、ビニール袋に入れてリュックの底に携行しているのを知ったのです。さてもこそ、野営の痕跡をとどめぬ手際となったものだ。
吹く風はなかったのですが、爽やかな気が流れたのです。」 <倉本栄亮氏・ぶどう小屋谷>

  私は、こうした彼らと同じ会の仲間であることに、誇りを持つ。 (98/4) [▲]


「さらなる」は誤用 「・・・してございます」は正しい用法か?

 「週刊ダイヤモンド」に隔週で掲載される、野口悠紀雄のエッセーが好評である。
エッセー集をまとめて発刊された単行本『「超」整理日誌』、『無人島に持ってゆく本』は、二冊とも売れ行き好調と聞く。
野口ファンが多いことを裏付ける。
 論旨が明快で、かつ歯に衣着せぬするどい切り込み、加えて、裏づけられる知識の豊富さ、これが著者の魅力である。
 『「超」整理法』で書類整理の悩みが解決し、『パソコン「超」仕事法』でパソコンの使いかたを学んで以来、わたしは著者のファンである。 『「超」整理法』、『「超」整理法・時間編』、『パソコン「超」仕事法』、『「超」勉強法』、『「超」勉強法・実践編』、『シンデレラのパソコン「超」活用法』など「超」シリーズはもとより、『税制改革のビジョン』など氏の著書の購入は十冊を超えた。 相当の入れ込みようである。
 氏のホームページには、すでに週刊ダイヤモンドに発表された未刊行のエッセーが載っている。

 1997/9/6号の週刊ダイヤモンドのエッセーは、“「さらなる」を追放しよう”である。
「登別市のさらなる発展を願って・・・」などと使われる「さらなる」は誤用だというものである。
「より一層の・・・」とか「さらに一層の・・・」と使うべきだと言う。「さらに」は、副詞であり、これを「さらなる」と活用することは出来ないのだそうだ。詳しくは、氏のエッセーを読んでいただきたいが、論旨は明快で説得力を持っている。
私も実は使っていた。今後、気をつけよう。

 ところで、私にはどうしても引っかかって仕方がない言葉がある。
「〜してございます」 だ。 あるいは「〜やってございます」 という言い方だ。 
例えば、こんな言い方である。
「その件については、ただいま検討してございます」 という言い方である。
「〜しています」 あるいは 「〜しております」が正しい用法ではないか。
「ございます」を使うなら、「検討中でございます」のように「・・・でございます」 とすべきだ。
と 私は密かに思っている。

 議会の答弁でも 「〜してございます」 は使われるし、先日は「美しい日本語を・・・」 と コラムで訴えた、報道関係者でさえ、「〜してございます」 を使っていたから、この使い方は正しいのかもしれない。
が、しかし 私は「〜してございます」 が多用される話を聴いたり、議事録を読むたびに、居こごちが悪く、内容よりもそちらが気になって、続けて聴く(読む)気持ちが萎えてくる。

「〜してございます」は誤用だ、と喝破できる程の知識を持ち合わせていないのが残念で仕方がない。誰か教えてくれる人はいないだろうか。 私淑している野口悠紀雄さんでも解説をしてくれればゆっくり眠れるのだが、と思う今日この頃である。(98/1)  [▲]


熱闘久住(ボーイスカウト第11回ジャンボリー大会を省みて)     
 
北の札幌ですら、今夏は連続夏日43日を記録したそうだ。
 九州大分での、日本ボーイスカウト第11回日本ジャンボリー大会は、長旅のけだるさが残り、まだ自由のきかない重い身体が、南国の湿度の高い熱風に包まれ、意識がもうろうとする中で、その初日が始まった。
 コンテナ開梱、資材の運搬、個人荷物の整理、息つく暇もなく始まった設営。そして長時間にわたる開会式。
 子供達の体力は、疲れと緊張とでまさに極限状態にあった。 標高800b、夜間の涼しさが熟睡を可能にした。せめてもの加護であった。
  それにしても子供達の環境への順応性は早い。
  次々と選択プログラムに挑戦し、灼熱の太陽のもと、ひたむきに走りまわる彼らをみていると、学校で問題になっている非行だのいじめだのという問題は、どこかに吹き飛ばしてしまう、そんな活力にあふれている。子供達の本来の姿がそこにある。
  札幌、苫小牧、登別 異なる地域の、それもたかだか二・三度の合同訓練だけで行われる長期キャンプ。
  心配はしかし、危惧に終わった。個性の強い班員達のまとめ役として頑張った4人の班長。さして年も違わず、ともに遊びたい、そんな気持ちをシニアという名前だけで我慢した4人の高校生。 
  煩雑な記録・会計業務担当の佐藤リーダー、プログラムの一切の面倒をみた木戸リーダー。そして、胃をきりきりさせながらそれでも特徴あるヒゲ面に笑みを絶やさなかったユーモアあふれる高木隊長。
  そして何よりも、参加した子供達一人一人の努力の結果が、脱落者も、事故もないジャンボリー大会をつくりだし、帰る日の安らかな眠りと、なごやかな笑い声をもたらしたのだ。
  黒い牛を思わせる久住連山の彼方から、浮き出てくるように昇った真っ赤な太陽の荘厳な輝きも、トイレの目を射る臭気も、マムシのこわさも、一本の清涼飲料水を得るために何十分も並んで待ったつらさも、制服の暑苦しさも、隊長にしかられたことも、すざましい雷鳴も、そして毎日照りつけたあの情け容赦のない強烈な太陽の熱ささえも、日を経るに従って彼らは忘れていくだろう。
  しかし親たちは、送り出した8月1日の子供と、迎えた8月8日の我が子の成長の差を感じ取っているに違いない。ジャンボリーのよさがそこにある。
  いつでもそうだが、裏方として面倒をみてくれる人がいて、催し物は成功する。今回も例外ではない。
  この第11回日本ジャンボリー大会に、直接的にあるいは間接的に関わってくださった多くの方々全てにお礼を申し上げペンを置く。
  賜った多くの感動と友情に感謝しつつ。 弥栄(94/8/30記)[▲]

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