弔 辞
吉田さん 熊野です。あなたが愛された民謡や尺八の仲間を代表して、いまここ あなたの御霊前に謹んで弔辞を捧げます。
吉田さん 昨夜のお通夜の席上で、丹羽先生をはじめ明暗虚竹会の仲間とともに「手向」を合奏させていただきました。
そして、奥様のお許しをいただいて、あなたの好きだった「江差追分」も吹かせていただきました。涙で満足な音になりませんでしたけど、聞いてくださったでしょうか?
吉田さん、当日 あなたが参加を予定されていた江差追分の講習会会場では、「どうしたんだろう、あんなに熱心な吉田さんがきていないね」と、多くの人が心配してくれていたそうですし、翌6月16日には、あなたの急逝を知った参加者の皆さんが、あなたのために黙祷を捧げてくれましたよ。
決して高い声ではありませんでしたが、あなたの唄われる江差追分は、基本に忠実でしかも聞く人の心を打つような情感がありました。
自分からは口にされることはありませんでしたが、若い頃のご苦労や戦時のつらい思い それを乗り越えた人のみが持つ暖かい響きがありました。
それは、唄だけではありません。
丹羽先生のところで習得された古典尺八にもそんな響きが感じられました。盟友の西山さんの手による長管尺八を駆使して、難曲にも次々と挑戦されていました。特に、好んで吹かれた「無住心曲」は、あなたのためにある曲といってもいいほど、誰も真似ることの出来ない えもいわれぬ味わいがありました。
若い頃のご苦労や、つらさを乗り越えた人間の強さに加え、頑固とも言える曲に対するこだわり、そして惜しみない努力 あなたの、一途に努力される姿勢には、いつも頭のさがる思いがしていました。
人しれないそんな努力があったからこそ、江差追分をはじめてわずか1年で、5級秀と言う素晴らしい資格を得ることが出来たのですよね。
吉田さん あなたが江差追分を唄いたいと、私のところにこられた平成8年4月3日のことを、私は今でも忘れることが出来ません。
終始、正座をして聴いてくださいました。その正座姿は、お亡くなりになる二日前の6月13日 毎週一回の練習日 通ってこられた6年間あまり、一度として変わることはありませんでした。
あなたが最後に車を停められた場所にも行って来ました。体調の急変に襲われたあなたは、締め付けられる胸の苦しさに悶えながらも前後を確認され、自分の車が他人の迷惑にならないようにと、あの場所へ車を移動されたのでしょう。
口癖だった、他人に迷惑をかけないように、そんな心根の優しさが、意識朦朧とした身体にむち打ってなお、あの狭いスペースに車を移動させた。私には、そう思えてなりません。
車がぶつかって傾いたコンクリートブロックが、あなたのその時の苦しみを表わしているようで、涙が止まりませんでした。
来年の正月に、ご家族の皆さんの前で唄いたいと、練習を始められた「謙良節」も、そして、私の唄の伴奏をお願いした「古調刈干切り唄」の尺八も、もう聞かせていただくことは出来ないのですねえ。
なによりも、心を込めて取り組まれ、こよなく愛され、切々とした情緒溢れるあなたの江差追分を聞くことが出来ないのは、何にも増して寂しいことです。本当に、残念でなりません。
江差追分は、鎮魂の唄だと言います。また、人生のつらさに堪え忍ぶ唄だとも言われます。
語り尽くせないあなたへの思いを込めて、江差追分の一節を送り、追悼の言葉といたします。
「泣いたとて どうせ行く人やらねばならぬ せめて波風おだやかに」
吉田さん どうかやすらかにお眠りください。お付き合いをさせていただいて本当にありがとうございました。
平成14年6月18日 吉田さんへ 熊野正宏