貢 彩 会
kousaikai
橋本 貢


・・・・・・2010年 6月のメッセージ・・・・・・

           路地の水たまり


雨の季節になると子どもだった頃の、殆んど舗装などされてなかった
凸凹の道が、なぜか妙に懐かしく思い出されてきます。それは足もと
に見たなんの変哲もない水溜りの話ですが、でも、いっときの夕立は
そこを雨足の激しい踊り場に変え、やがての雨上がりには涼風と青い空が、
白い雲を一緒に浮かべてもくれました。また点在する水鏡の表は黄昏
どきの路地を夕焼けに染め、寂れた家並みの影にも静かな月明かりを
添えてきたのです。当時、まだ幼かった私にとって、そうした自然の
身近な物語は、暮らしの中での想いともなってきました。少なくとも
そこを故郷として、私は育まれてきたのですから。

しかし、昭和という時代の暗雲はすでに頭上に立ち込めておりました。
かの経済恐慌による激変は大多数の庶民に倒産と失業の憂き目をもた
らし、冷害の不作に喘ぐ東北の農村は極貧のために娘を身売りすると
いった窮地にまで立たされました。また、それに先行して起きた関東
大震災の惨状は、その後の昭和の瓦解を象徴していたと云えなくもあ
りません。/旧満州への利権獲得を/目指した武力進出/更には不況打
開の糸口を対外侵略に求めた日中戦争の拡大など/国家総動員の名の
のもとに強行された軍国主義の体制(暴力是認)は、やがて国内を焼
土と化し。ますます歯止めを見失っていくことになったのです。
なんと忌まわしい権力の存在が、当時の歴史を覆っていたのでしょう
か。その下では人権を基本とした感慨も、自由な表現も、息を殺して
いるいるしかありませんでした。

それにつけても、私は家族と身の回りの人々に支えられてこそ、これ
までを歩き通してこれました。そして、生きるとは、自然と愛の意味
する深さに眼を開くことだったと思っています。とりわけ母の眼差し
は、病弱に沈みがちだった私を励まし、好きな絵の世界の選択へ、新
たな自己実現の機会をもたらしてくれました。

六月の長雨には憂いがこもっています。、でも、この梅雨空はもう一つ
の物語を、つまり「人間とは何か」の反省を、問いつづけているのでは
ないでしょうか。

しかも涼風のさざ波の後には路地を走る電線や古び
家並みのガラス戸などが映し出されたりもしました。或いは子どもの無邪気な
目にとって、その小さな水鏡は「不思議のくに」への扉だったのでしょうか。

 

            記/橋本  貢
                                        
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