
kousaikai


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自然との出会い/覚書その1、 最初はすべてが驚きとして感じられ、その感覚はすぐにも不思議な 世界への誘いとなっていきました。そして、初めて眼を外に開いた のは、母の肩に背負われてのことだったと思っています。 心には朝の光が真っ先に訪れ、更に真昼を照らす陽光の輝き、夕闇 と静かな月明かりの路地、、森閑とした夜空いっぱいにキラメク星々 など、そうした眼差しは人にこそ託された彼方への意識(自然本質) というものであったのかも知れません。 そういえば幼少の頃に、小さな旅への門出がありました。春先の川 べりを訪ねては野の花の小道を彷徨い、五月の新緑をまぶしく見上 げては、郭公の声に心を弾ませたものです。ところで往時の町並は 方々に欅の大樹が枝を拡げ、そこでは蝉しぐれのコーラスがまるで 降るように夏空を奏でておりました。 やがて、周りの風景に静けさが忍びよると、森や林がいつのまにか 秋色に衣替えをし始めます。それにしても、自然は一年という周期 の終わりに際して、何故かくも艶やかな彩りに染まるのでしょうか。 すでに次世代への種子をはらみ終えた稙性の落ち葉が、一枚一枚と さりげなく宙に飛び去っていきました。あるときからこの一瞬の挽 歌を、私は荘厳なものとして胸に抱いています。 あの、最初に感じられたときの驚きとは、そして、唯々遥かに思わ れた彼方への不思議さとは,そもそも個別の可能性と限界を生きる しかない者への、如何なる啓示だったのでしょうか。仮にもここま での一人旅を経てきた私は、いま改めてもう一つの自然の摂理につ いて思いを馳せています。それは素朴なままの、たどたどしい言葉 での、それでいて温もりいっいな「母の子守唄」ではなかったかと 気づかされているのです。まぎれもなくその調べは生命(いのち) を育むための唄であったし、愛以外の何ものでもありませんでした。 つまり、愛こそが個の存在(儚さ)の支えであったとしみじみ実感 しているのです。しかも、この愛の本当の姿は情愛の物語にとどま ず、自然生命史の起源にまで遡る何かなのかも知れません。 更に次回は、共生にについても思いを巡らせてみるつもりです。 |

自然との出会い/その2 先月はテレビ/新聞ともに、バンクーバーオリンピックの話題で もちきりとなりました。確かに古代文明のギリシャを発祥の地と したオリンピックは、人類の歴史における英知の所産としても考 えられます。その理念(人間の黎明)は近代の覚醒を待って、更に 1500年という胎生のときを経ることになりますが、19世紀末 フランスの教育者であったクーベルタン男爵は、オリンピックを 世界規模の祭典へ復活することを提唱、1894年6月23日、 記念すべき「国際オリンピック委員会」が参加国の同意と併せて、 人類の名のもとに創立されました。。また、それを象徴する五輪 マークのデザインも、創始者であるクーベルタン氏自身の構想か ら生みだされたとのことです。今日を生きる私たちは何と高邁な 理想を遺産として継承することになったのでしょうか。その精神 には、友情(理解)/連帯(協調)/フェアプレー(平和)の三本柱が 根本となって貫かれているのを見ます。同時にそれは、私たちが 未来に向かって担うべき、人間としての課題でもああるというこ とでしょうか。 省みて20世紀は第一次、第二次と、二度にもわたる世界戦争の 世紀だったのですが、そのために一時中断することはあっても、 オリンピックに込められた人類共存への志向が、少しも途絶えた りすることはありませんでした。「オリンピックは参加することに 意義がある」とは、余りにも有名なもう一つの言葉ですが、そこ には、やはりギリシャに芽生えたデモクラシーの思想が、連綿と 息づいて感じられてまいります。 しかし、私としては今回のバンクーバー大会に、たいへん気がか りだった点もありました。それは日本の報道関係者、競技解説者 といった人々の、事前の教養の程度についてです。そこではいろ んな選択肢に惑わず、個々の競技者たちの熱意と達成感に対して、 先ずは勝敗を超えた共感と人間的な敬意(美的評価)を、示して欲 しかったと思っています。(何故、あそこまでメダルの数と種類に こだわる必要があったのでしょうか)。 ともかく、重ねて言えばオリンピックとは「人間の、人間による、 人間のための、世界史的な祭典」でありました。 二伸 ことしも万作がいつもの場所で、、いち早く満開の花を開きました。 |

| さくら幻想 今年もさくらの開花が自然の可憐な美しさを一身に集め それぞれの野山に春のコーラスを拡げています。やがて それは落花の舞を演じ、あたりの風景に儚い光を散りば め.たりもするのてすが、しかし、人々はこの花の風情の 中でこそ、己れの生命(いのち)の来し方行方に、しみ じみとした感慨を馳せることになれるのかも知れません。 私にとっても、ふと思い出されるのは戦後間もなく中国 からの引揚者となって帰国した姉との再会です。その姿 は途中の労苦に苛まれ、疲れきってもいたのですが,で も、我が家には何にもまして心を張り詰め、待ちつづけ ていた母の愛がありました。 それから暫くした或る日、私はやっと一息をついた姉に 声をかけ、川添の堤につづくさくら並木へ誘い出すこと にしたのです。すでに満開となった花は、空いっぱいに まぶしく枝を広げ、ときおりの花吹雪がその下に立つ姉 を包み込むかのように降りかかりました。まるでその情 景は、私が初めて目にした「絵姿」の美と云うものだっ た気がしています。それからというもの、この不思議な 感覚は私を離れることなく、春が訪れるたびに心を疼か せてまいりました。 もう一つ、私の思い出の風景には、一人ぽつねんと咲き 誇っていた染井吉野の姿があります。以前、街の郊外の 丘を散策していた折、偶然、紛れ込んだ芝草の敷地内に、 その一本のさくらは春光を一身に集め、そこだけを明る く照らし出していたのです。よく見ると周りは高い植垣 によって仕切られ、それを背にして幾つもの十字架が立 ち並んでおりました。つまり、知らなかったとは云え、 私は教会所有の墓地に足を踏み入れていたのでした。 それにしても人っ子一人いなかったその場所は、なんと 静かで平和な世界でもあったことでしょうか。しかも、 ただ一本のさくらであったればこそ、私はそこに無限の 愛を感じていたのかも知れません |

人間は 人間の未来である/フランシス・ポンジュ 上記の言葉は、岩波新書「人間回復の経済学」神野直彦署序文の 末尾に引用されていた一節です。、それを私なりに「人間の心とは、 未来へのものである」と書き換えてみました。気の遠くなるような 宇宙歴の中にあって、人の意識はいつ、何処で、何を介して、彼方 への想いを描くようになったのでしょうか。 太陽系の一惑星として誕生した地球は、当初灼熱のマグマに覆われ ていたそうですが、その表面に大気層と海洋,及び地層が形成され るに従って、徐々に有機的組成としての生命環境が仕上がっていき ました。しかし、突如として発生する大地の変動は、諸々の生態系 の存続を幾度危機に落とし入れたことでしょうか。でも、地球だけ に許された有機的自然界は、その多様な相互関連と自立への過程を 経ながら、人間性の実現にたどり着くことが出来たのです。しかも、 その意識の開示は、深遠な「自然史の覚醒」を意味しておりました あれは、いつのことだったでしょうか。まだ健在だった母と連れだ って、妻と幼かった子どもたちも一緒に、峠のしなびた出湯を訪ね たときのことでした。足もとには渓流の水音が聞こえ、その傍らに は積み石でで囲った露天風呂も見られました。 私は夜半、ふと目覚めると、異様な光が窓から射しこんでいるのに 驚かされました。それはすぐにも手の届きそうな近さで、ガラスの かけらのような星たちがキラメイテいたのです。街場だけの生活を 知って育った私の眼に、空気の澄んだ山上の夜空は余りにも美しく、 後にも先にも、初めて別世界というものと対面した気持ちになりま した。勿論、この感動は無理にも家族のみんなのものにしたいと考 え、さっそく露天風呂での星祭りを楽しんだのです。 |