貢 彩 会
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橋本 貢
橋本 貢

橋本 貢

橋本 貢
まもなくの春
  
  「わたしには夢がある・・・」。この言葉は、かつて公民権運動(黒人解放)
  の先頭に立ち凶弾に倒れたキング牧師が、《ワシントン大行進/1963年》の際
  に全体を透徹して語られたスピーチのテーマです。
  私には訳文でしか理解できませんが、人種差別を排した自由と解放へのほとば
  しりは、魂の奥まで突き刺さる格調をもって人々に明日への希望を告げていま
  す。しかも、その感動はいまなお、アメリカの大地を揺るがしつづけてもいる
  のです。
 
  去る1月18日(キング牧師生誕の日)、ブッシュ政権のイラク戦争への画策
  阻止すためワシントンで50万人、サンフランシスコで20万人とも云われる市民
  の大集合が、それぞれの街を埋めつくしました。いまや、この反戦のうねりは
  「地球規模の非暴力と平和への連帯」となって、更に広がりを見せようとして
  います(マスコミは、この真実に消極的過ぎます)。
 
  「子どもたちの未来に爆弾を落とすな」「戦争はキリスト教徒の信仰でない」
  「石油のために血を流さない」「ブッシュ君よ、イラクは君の牧場でない」と、
  こうしたプラカードがロンドン、パリ、フィレンツェ、といった世界各都市の
  市民の手で掲げられ、東京でもオモチャの銃に花飾りをつけるといった姿が登
  場しました。また、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世も世界の反戦運動に呼応し
  て、次のような声明を発表しています。「戦争は危機を解決しない」「戦争は
  運命ではなく、人類の敗北である」と・・・。
 
  まもなくの春が、北半球に新生の息吹をもたらそうとしています。森閑とした
  虚空の銀河を背景に、地上の生命の連鎖は何を夢み、何を受け継ごうとしてい
  るのでしょう。ところで、子どもたちのあどけない瞳に、明日への希望は映し
  出されているのでしょうか。今日、「非暴力」「愛と平和」「男女平等」と云
  った指標には、切実な人類の命運までも感じとれます。そして、これまで余り
  にも利権に走り、私的所有の膨張に狂奔しきた経済(瑣末な欲望と差別是認
  の支配)を、そのまま素直に経済とは呼べなくなりました。しかし、人間は新
  たな自己実現に導かれ、いつか必ず超え出る日を迎えるに違いありません。
 
  母なる地球と豊かな自然は、夜明けを美しく黎明で飾り、日没を燃えさかる輝
  きとして見せてくれます。明日を開く扉は「愛」であり、「夢見る者」の手に
  世界は託されてある、と告げているかのように。

橋本 貢
弥生/やよい
 
     この名は、季語の中でもとりわけ優しさを感じさせます。昨日までの寒気と身体
     のこわばりは、嘘のように融けてゆきました。
 
     そう云えば今朝、いつものバス停で「まんさく」が小枝の先まで花をつけている
     のに気づきました。細い触手のような黄色の小さな花弁に、私は吸い寄せられ
    るようにして「こんなにも、いつのまに、ありがとう」と、思わず声をかけていたの
    です。
 
     今年も間違いなく、春は新生の芽吹きを携えてやってきました。つい昨日までは
     無彩色だった山野が急に色めきだち、この麗らかな風景の中に融け入ってしま
    いたい気持ちを誘います。
 
    わたしは小学校の頃、行事のときなど決まって聞かされるレコードの曲に、ひそか
    な夢を抱いておりました。当時は何も知らず、ただ口笛で旋律を模していただけで
     すが、それがメンデルスゾーンの「春」という曲だと判るには、あの時代の戦争に
    幕が下りなくてはなりませんでした。以来、この「春」の調べは、わたしが絵を描く
    ようになってからも、少年の日の思い出を絶やさずにいてくれます。
 

    足もとには「いぬふぐり」、そして「つくし」「たんぽぽ」「猫柳」と、春への前奏が次々
     と始まりました。そして、梅、桃、桜と花いっぱいの楽章が、まもなくスタートを切ろう
     としています。生命(いのち)のなんという不思議、自然の植生のなんと美しい表現
    でしょう。
 
     人の世も「弥生」の季節に和して、〈雛まつり〉〈彼岸詣で〉〈野遊び〉〈摘み草〉〈うぐい
    す餅〉など、昔ながらの心優しい習わしが出揃います。そして、これは云うまでもあり
    ませんが、わたしたちには〈野外写生〉の出番が待っています。
 
    春光をうけ、黙したまま、時を忘れて野辺にたたずんでいたいですね。そのとき微風
    が、こんな囁きを残してくれるかも知れません。「これが平和です。世界はこんなにも
    美しいのです」と・・・。(ワン !!、うちのSORAくんが、先に返事をしています)。

橋本 貢
NO WAR/世界がこだましています。
 
   今回のイラクに対するアメリカ・イギリスの武力侵攻は、安全保証理事
   会での査察と平和解決を一方的に破棄するといった、強硬な姿勢で
   火蓋が切られました。
   しかし、そうした暴力是認に反対する市民レベルの平和運動も、地球
   規模の連帯となって波及し、さらに大きな輪に広がろうとしています。
   また、ローマ法王は前回に引きつづき、「イラク戦争は人類の運命を
   脅かす」といった、平和への要請を再度発表しました。
 
   この瞬間も断片的な報道と映像の影で、どれほど罪のない子どもたち
   や家族が、不慮の死と犠牲を被っていることでしょう。高度な破壊技術
   を身につけた最新兵器のことを、ピンポイントとか限定破壊などと言葉
   を弄してみても、所詮、戦争は不毛な荒れ地を広げるだけであり、愛を
   見失った人間たちの、過酷な殺戮であることに何ら変わりありません。
 
   いま、国連は『子どもたちの平和と非暴力の文化国際10年』を、世界
   の国々に向かって呼びかけています(2001〜2010年)。下記の宣言文
   は、その「平和の文化国際年」にあたって、ノーベル平和賞受賞者が
   起草し、ユネスコによって提唱されている宣言の内容です。
   訳文は、「平和の文化をきずく会(NGO)」によって記されたものですが、
   何よりも心引かれるのは、この宣言の主体は「わたし」であり、誰彼なく
   自分自身への決意表明であるという点です。しかも、ここには人類史的
   な解放への夜明けすら感じとれます。(但し、本文の一部を私の感慨で
   補足いたしました。もし、趣旨に反していましたら文責は私です)。
   それではみなさん、一読された上で「ひとことのメール」を私宛に送って
   頂けませんか(署名もかねて ・・・)。SORAくんも待っています。
  
   まもなく桜前線が通過しますと、いよいよ光溢れる新緑と薫風の五月で
   すね。そしてわれわれの合同展も控えています・・・。

橋本 貢
5月の風
 
  1947年の5月3日は、現在の日本国憲法が世界史的な理念に導かれ、
  初めて「不戦と人権と国民主権」を本文に明記し、施行された日です。
  同時に、これは偶然に過ぎない話ですが、それから逆上ること18年前の
  同月同日、私はこの世に最初の産声を上げていました。なにがなくとも、
  5月は新生の光に溢れ、その晴れやかさは普遍的な歓喜を奏しています。
 
  しかし、私の出生した1929年は、突如として「世界大恐慌」の嵐に見舞わ
  れ、数多の銀行、工場が倒産すると共に、失業者と破産者の群れで巷が
  一挙に暗澹と化したそうです。以後、私の少年期時代は、ほとんど軍国主
  義の下て過ごすことになりました。当時の思い出と云えば、やたらと民族の
  美化や国家への忠誠心だけが誇張され、人権という人間についての認識
  も、自由な感慨に立っての思想や表現も、すべて根こそぎ刈り取られてし
  まうという有様でした。
  その挙げ句、日本の侵略戦争は中国大陸から東南アジアにまで進出し、
  遂には米英との軍事対決に走ることになり、最後は広島、長崎の頭上に
  原爆が炸裂するという、史上空前の惨劇を招くに至りました。
 
  こうした戦争の悲惨な瓦礫を踏まえて構想された憲法の理念には、従来
  の国家や制度上のレベルを遥かに超えた人間の自己解放、人類史的な
  な意味での平和実現が、非暴力を選ぶ高邁な思想となって深く刻まれて
  いるのを見ます。それこそ、21世紀の可能性をひらく先駆的な表現と云っ
  ていいでしょう。
 
  唯、残念なのは日本の国政の大半を占める為政者たちの存在です。彼ら
  はイラク戦争を阻止するための国連に添った対話解決を避け、アメリカの
  武力行使にひたすら加担するといった愚行を犯してしまいました。これで
  は自らの存立にとって誇るべき憲法と、国際社会に位置する立場を喪失し
  たも同然と云わねばなりません。いずれにしても、この世界的な不信を埋
  め合わせするのは、決して容易なことでないでしょう。
 
  けれども今地球には一千万人とも云われる市民の連帯が生まれ、非暴力
  と平和を絆に結ばれました。ワシントン、ニューヨーク、サンフランシスコ、
  ベルリン、パリ、ロンドン、フィレンツェ、ローマ、モスクワ、東京、大阪、京都、
  その他、ジャカルタ、カナダ、南米など世界各地の街々で・・・。
  
  北半球を新緑で彩る5月の風は、人々の心に愛を呼び起こしています。それ
  はまぎれもなく、犠牲となった子どもたちの涙を拭き取るために/暗く落ち沈
  んだ母親の胸に光射す窓を開くために/崩れ落ちた街が新しい街に生まれ
  変わるために/そして、かけがえのない微笑みを人々の瞳が取り戻す日のた
  めに/・・・風は今日も野山から川添の街へ、白い浜辺から砂丘の彼方へと、
  休みなく吹き過ぎているのです。
 
  美しい5月の風よ、すばらしい5月の風景よ、5月は私のいのちです・・・。
 

橋本 貢
「自分をひらく」
 
 梅雨を迎える6月は、万緑の季節です。横溢とした生命が山河をつつみ、
 見わたす限りの森や田畑に、瑞々しい彩りをみなぎらせています。
  そして、朝の散策の楽しみは、雑木林のグリーンシャワーを浴びながら、
  静かな小道をたどるときの快感です。ときおり郭公の声がこだまし、小鳥
  の囀りが手の届くところで聞こえてきます。
 
  そこは、私の住む大槻地区の運動公園。いつも同伴のSORA(愛犬)にと
  っては、この僅か1時間の行程が唯一解放と自由のひとときなのでしょう。
  家にいては見られない、完璧な歩行スタイルを振る舞ったりもします。
 
  自然はいつもこのように平温無事とばかり限りませんが、しかしながら、
  人間は原初以来、その生成のドラマに共感と喜びを抱いてまいりました。
  やがて黎明と祈りを経た心は、木々の小枝や庭の茂みといった一隅にも、
  大自然との調和を想像し得るようになったと考えられます。
 
  今年も「絵の好きな仲間たち」は、第6回合同展を去る5月31日〜6月
  3日まで、無事開催することが出来ました。しかも出品作品約15O点、
  入場者数800名という成果は、これまでの記録を更新したばかりでなく、
  さらに喜ばしかったのは誰もが巧拙などに縛られず、それぞれが自分自身
  を「美の担い手」として了解できたことです。
 
  少なくとも市の公会堂は会期中の4日間、そこに集まった人々の夢によっ
  て、実に生きがいのある解放の世界に変身いたしました。連日、知人友人
  が朝から訪れ、お互いの近況や息災を確かめたり、孫子と連れ立って家族
  の紹介までするなど、それこそ祭りの縁日のような賑わいを見せてくれた
  のです。そして、入り口には「NO WAR」と記された一枚の絵が、綺麗
  なバラのセットと一緒に飾られました。この世界には「愛と平和」「人間の
  相互信頼」ほど、美しい心遣いはないと思っています。私はいそいそと展示
  する仲間の後ろ姿を眺めながら、しばしそこに立ち尽くしました。
 
  また、大変遅ればせのお礼となりましたが、前夜祭の場に揃いの衣装で参加
  してくださった、若いお母さんコーラス「コーロ・ファミリアーレ」と宮村
  雅子先生/フラメンコの情熱的な踊りを披露された増子美根子先生と皆々さ
  ま/尺八と琴の合奏をなさった佐藤正助先生/平和と自由を歌いつづけてい
  る郡山合唱団の方々/には、心からの感謝をお伝えしたいと思います。
 
  何処を歩いても、シルエットから抜け出せないでいる愛犬のSORA(黒の
  ラブラドール)。しかし、全身にビロードの艶をまとったその容姿は、ます
  ます抜群のスタイルを示すようになりました。今のところ彼と対応できるの
  は、素早く逃亡するカラスぐらいかも知れません。
 
  早朝に見る水田の苗もしっかりと根を下ろし、一段と成長が早まってきたよ
  うに見えます。青々とした風がその上に吹き寄せるのは、もうそんなに先の
  ことでありません。植生にとっては、喜びの湿潤な6月。果たしてここから
  人々はどんなメッセージを受け取ればいいのでしょう。それとも自然の方は
  人間の気づくのが、余りにも遅過ぎると怒っているでしょうか。
 
  いずれにしても、人間にまだまだ欠けているものは、愛と、平和と、美しい
  生き方に違いありません。

橋本 貢
愛の花々
 
  少年ネロと愛犬のパトラッシュといえば、大概の人が「フランダースの犬」のこと
  を思い起こすでしょう。ここでは物語りの詳細を省きますが、しがない暮らしにも
  めげず、いつも一緒だった少年と犬は、或る吹きすさぶ雪の日の夜、生きる力
  をすべて使い果たした身体で、唯一の憧れだったアントワープ大聖堂の、ルー
  ベンスの絵の前にやっとたどりつきます。しかし、そこで寄り添う少年と犬には、
  もはや永遠の眠りが待ち受けているだけでした。もし、せめてもの救いが見られ
  るとしたら、少女アロアとの楽しかった思い出と云えるでしょうか。
 
  わたしはふと、何気なく、この本を開いたのですが、今更のように人間と動物の心
  の触れ合いや、そこに記された愛と芸術への問いかけなどに、思わず胸を詰まら
  せてしまいました。
 
  いま、わたしの足もとには愛犬のSORAくんが横たわっています。その無心の寝息
  を耳にしていると、何故か自省を喚起する呼びかけに思われてなりません。
  「SORAよ!!、キミの愛にわたしは少しでも応えてきただろうか」と・・・。
 
  この世のドラマは、何処とも知れぬ自然の深みから生まれてくるようです。おそらく、
  その奥には生成と消滅のマグマが噴出していて、喜びと悲しみの連鎖に終わる日
  はないのかも知れません。しかし、地上にはやがて散る定めを超えて、四季の花々
  が美しく咲き競います。自然は永遠の夢(詩)を、それらの花々に託したと想像する
  こともできるでしょう。
 
  真夏というのに、書き出しに雪の話を付しましたが、人間の感性は炎天と極寒とを
  結ぶ四季を架け橋として育まれてきました。ネロ少年と愛犬パトラッシュの物語りは、
  たとえそれが悲劇であったにしても、人と自然が深く結ばれたとき、花に劣らず美しく
  なれると告げているかのようです。

橋本 貢
       「貢彩会のホームページ」と「絵の好きな仲間たち」に寄せて。


  そもそもこの企画は、同会のメンバー真壁明夫さんの、なみなみ
  ならぬ熱意と努力から生まれたものです。そして、嬉しいことに、
  いま現在(2003年7月)6,500人を越す方々の訪問が記録さ
  れました。また、彼からはこんなメッセージも、私宛に寄せられて
  います。「先生!このホームページを、どんどん、どんどん、進化
  させましょうね」と・・・。

  最初は、私のギャラリーをきっかけにスタートしたのですが、いず
  れは「絵の好きな仲間たち」みんなの、芸術村といった環境を実現
  したいと夢みています。

  「絵の好きな仲間たち」は、それ以上でも以下でもない、その名の
  とおりの”素敵な存在”です。画面を前にしたときの無心な眼差し
  には、「外の自然」と「内部自然」の双方に開かれた、新しい地平
  がただよっています。

  私はふと、「生命の誕生は系統発生を繰り返す」という言葉に思い
  当たりました。つまり、美しいものへの視線は、自然と文化の原点
  に深く根ざしているということです・・・。

  いまの世の中、何処を眺めても温もりに欠 け、街の中に佇んでみ
  ても、生き生きとした顔や血の通った界隈などには、なかなかお目
  にかかれなくなりました。これはかつての繁栄と裏腹に浪費と競走
  に馴らされた、人間の自己喪失とも考えられます。もし、人としての
  生きがいを痛感しているとしたら、改めて「人間とは、生きるとは何
  か」を、自分の出生に逆上って内省してみる必要があるでしょう。

  こんなにも人間を不在にしてきた、政治・経済・教育に欠けていたも
  のとは何なのか。私は真っ先に「人間解放への思想である」と、応じ
  るつもりです。もちろん、その中には芸術や文化も含まれています。

  省みて「絵の好きな仲間たち」とホームページの誕生には、そうした
  動機が脈打っておりました。「人間とは人間であろうとしてきた存在」
  と理解することで、私は歴史をはじめて眺められるようになったと思
  っています。それにしても大多数にとっての自由は、近代の曙光を見
  るまで権力の重圧に縛られた、苦難の物語りだったことを知らなくて
  もなりません。

  敢えて断わるまでもなく、ホームページの未来は「絵の好きな仲間た
  ち」の”自由の国”です。一夜の解放とは云え、合同展前夜祭の記録
  を、ぜひ開いてみてください。ささやかな自由の中で、人々はかくも美
  しくなれるのを知るでしょう。今回は愛と平和の表示をバラの花で飾り、
  「NO WAR」と会場入り口に掲げました。また、誰もが交信できる広場
  として、そろそろ月変わりの「掲示板」を欲しい気もします。

  それでは、創設者の真壁明夫さんに再登場して頂き、彼の唱和で一斉
  に乾杯しましょう。「絵の好きな仲間たちに未来あれ/乾杯・・・」。


橋本 貢
          もう一人のわたし          
 
   夏が終わると蝉の声も途絶え、こんどは秋の夜長をいっせいに虫がすだき
   始めます。塀の片隅や植え込みの陰から、それは何と静かな闇をただよわ
   せているのでしょうか。やがて大気の湿度も下がり、星々が降るようにきらめ
   きだすと、天空の果てから果てへ銀河が流れ、宇宙の壮大な物語りを告げ
   てくれます。
 
   わたしは青年期の頃、『ジャン・クリストフ』と出会い、著者のロマン・ロランを
   魂の師と仰いできました。さらに彼自身の履歴ともいえる『内面の旅路』を読
   むに及んで、そこから自分を見つめることや、人生における様々な遭遇につ
   いて、少なからぬ啓示を受けてきたと思っています。
  
   とりわけ感銘させられたのは、彼が留学生としてローマに滞在していた折、
   純粋な敬愛をもって対した女性マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークの存在
   です。彼女は当時、七十三才の高齢に達していましたが、しかし、それまで
   の経歴はニーチェ、リスト、ワーグナーといった、十九世紀を代表する人々と
   も親交があったほどのすぐれた女性でした。青年ロランもまた、音楽にはひと
   きわ深い憧れを持ち合わせていて、彼女と一緒の時間を過ごすときはピアノ
   による静かな対話を、互いの至福としていたそうです。おそらく二人の間の絆
   には精神の浄化と深い慈愛以外、何一つ入り込む余地などなかったのかも
   知れません。そして、もしこんな想像が許されるなら、すぐれた男性はすぐれ
   た女性に、なんと多くを依存しているのでしょうか・・・。
 
   もう一つ、わたしを捉えて離さない話は、『ジャン・クリストフ』の前半、それも早
   くに顔を見せる行商の「ゴットフリート叔父さん」についてです。彼は旅から旅へ
   の途次、突然立ち寄ってクリストフを散歩に誘い出します。行く先は近くの牧場
   につづくゆるやかな丘。秋の夕暮れがはやばやとあたりを染め、足もとを虫の声
   がさかんに奏でています。ふと、そのトレモロに合わせるかのように、叔父さんの
   口からも静かな歌が流れ出しました。クリストフ少年にとっては、初めて聞く叔父
   さんの不思議な歌です。でも、何故か心に食い込んできて、そのメロディーを耳
   から避けることができなくなりました。
 
   「その歌は誰の作った何という歌なの、もう一度聞かせて」と少年・・・。
 
   「坊や、この歌はね、誰が作ったものでもないんだ。だから二度とは歌えないんだ
   よ」と叔父さん・・・。
 
   「しかし、誰も作らなくて、どうしてこの世に歌があったりするの」と少年・・・。
 
   そのあと、しばらく二人の会話はつづくのですが、最後に叔父さんがいいます。
 
   「坊や、歌というものは誰にも作ったり出来ない、遠い昔々からのものなんだよ。
   それは心と身体の奥の奥から自然に伝わってくるんだ。ほら、じっと耳を澄まして
   ごらん」・・・。
 
   丁度そのとき牧場の丘の向こうに、まんまるい月が顔を出しました。そして、虫の
   音をのせた微風が、頬をやさしく撫でていきました。少年の心はいつのまにか、
   森閑とした空と広々とした大地に抱かれていたのです・・・。
 
   以上は、実に大胆きわまる、わたしの勝手な部分要約ですが、しかし、こうして振り
   返ってみると、かつての自分の原点というか、その古いアルバムの中から「もう一人
   のわたし」が、ちゃんとこちらを見つめているのに気づきます。そして、誰であろうと
   忘れたりしなければ、そこには目を開いている自分が、いつでもいてくれるのだと知
   るべきでしょう。
   例えば、昔の額縁店で見た「ミレーの晩鐘」の写真が、わたしには最初の油絵だった
   こと/手描きの映画看板に、いつまでも見惚れたりしたこと/路地の板塀に落書きし
   て叱られたこと/通学路につづく赤レンガの塀に、夕焼けが眩しかったこと/出征兵
   士を送る行列が、だんだん寂しくなっていったこと/空襲で倒れた女学生の白い腕が
   血で真っ赤に染まっていたこと/食料買い出しの道で母が花を摘んだりしていたこと
   など・・・。
 
   こうして幾つかの断片を掻き集めただけでも、この「わたしの中のわたし」たちを、決し
   ておろそかには出来ないと、つくづく思いました。これから日々に深まっていく秋は、
   それぞれが自分自身と新たに再会するための、大切な季節といえなくもありません。
 
   それではグラスを美酒でいっぱいに満たし、お互いの「もう一人のわたし」を生きるた
   めに、そして、何よりも「自然の夢を託された人間」であることのために、高々と乾杯し
   ようではありませんか。

橋本 貢
                 希望への架け橋

  近年、生産者と消費者を一つに結ぶ「地産地消」の言葉が、頻繁に使われる
  ようになりました。もともと野菜/果物/魚/肉/といった自然の食材は、その
  産地で口にするのが一番美味いと、これは誰にとってもそう信じられてきた話
  です。
 
  わたしは浜育ちの知人に、「スーパーなんかで見る魚は、本当の魚でないよ」
  とよく聞かされたものですが、ずばり、新鮮なものの大切な価値を、その都度
  教えられていたのかも知れません。
  
  また、わたしの子どもの頃は、人参と玉ネギならあそこのもの。大根や白菜は
  何処そこに限ると云った、近所のおばさんたちの井戸端会議の傍らで、近郷
  近在の地名や風土にまつわる因縁まで覚えてきた気がします。つまり、わたし
  の中のふるさとは、この世間話によって育まれてきたと云えるでしょう。
 
  その当時の界隈は多分に下町風だったというか、季節ごとに物売りの声が遠
  く近くに聞こえ、そして、リヤカーを引いて野菜売りにくる顔馴染みのお婆さん
  とか、軒下にまな板つきの箱を広げ、手際のいい魚捌きを見せる親爺さんとの
  語らいなど、そこには路地ならではのつましい生活詩が、ぬくもりとなってただ
  よっていました。
  
  ここで言おうとしているのは、ただ単に昔日の懐古ではありません。物の流通
  に埋もれ、人間同志の対話も検証も省かれてしまった昨今の経済、この喪失
  感を先々まで経済と呼びつづけていいのか、どうかという疑念です。
  
  ごく最近、地元にあった事例でいえば、新装まもない古くからの有名百貨店
  と、贅を尽くして建てられた大型ホテルの二つが、共に経営不振に追われ、
  倒産寸前の危機に立たされるといったことが起きました。いわばバブル崩壊
  の二の舞とでもいうしかありません。
 
  要するに金銭への過度の依存は、物の所有、利権の抗争、強者優先に走る
  ことはあっても、共存と自己実現の調和、数値を超えた人間の創意といった
  ことには、所詮、程遠いというしかないのでしょう。
  
  今年もWTO(世界市場化)の進行に、歯止めがかかりました。美しい地球の
  自然と環境を保全するために、古くに逆上る民族の文化と生活を守るために、
  「大資本の目指す自由化は少しも自由でない」と、それこそ国境に縛られない
  世界の市民(NGO、NPO)が、人権の主張を掲げて結集したのです。
  
  2003年の北半球に、紅葉と落ち葉の秋が広がろうとしています。この移り行く
  大自然の静寂の中で、人間はどのような生活詩こそが自分にとって相応しい
  と、思い描ければいいのでしょうか・・・。

橋本 貢
屋台文化
 
   いずれ何処かでと思っているうちに、この街の何処にも、あの懐かしい屋台の
   「おでん」「焼きとり」「中華そば」といった風情が、いつのまにか姿を消してしま
   いました。つまり、しがない路店の商いは、昨今の道路交通や衛生事情、生活
   スタイルと折り合いがつかなくなってしまったということでしょうか。
 
   確かに屋台は、しがない商売に違いありません。たそがれと共に火をおこし、
   街が夜のとばりにすっぽり覆われる頃、やっと赤提灯に灯をともします。屋根
   つきの荷車に似た「のれん」の内側は、客が五、六人も座れば満席になるとい
   った手狭さで、それを恥じ入るように街の目抜き通りや繁華街を避け、映画館
   のある場末の角とか、駅前広場の外れなどに、ぽつんぽつんと侘しい姿をさら
   していたものです。
 
   丁度いま時分の季節、吹きすさぶ木枯らしに襟を立て、馴染みの屋台に腰を
   おろすと、あの熱燗のコップ酒とおでん鍋からの湯気が、店の親爺さんの立ち
   ふるまいと一緒に安堵感をただよわせてくれました。しかし、いまやお目にかか
   れないとなると、何かとても大切なものを失った気がしてなりません。
 
   それにしても屋台と同様、顔見知りの八百屋、魚屋、豆腐屋、その他、云わば
   庶民の暮らしと共にあった自営業の数々が、何故こうも寂れることになったので
   しょうか。流通革命、販売効率という掛け声が大手を振って通用するようになっ
   て以来、量販形式を身につけた大型スーパーやショッピングセンターが大きな
   顔で各所に進出し、人手を介したこまめなサービスは、その波に押し流されるし
   かなかったのかも知れません。
 
   いまは何処に行くのも車であり、ともかくそこに行けば、溢れるほどの商品が並
   び、レジ以外は相手なしで、なんでも自由に好きなものを選べるといった有様
   です。しかしながら、少なくとも食と健康の安全に関しては、無農薬や添加物の
   問題、産地記載と品質のこと、それに季節感の喪失についても、目をそむけて
   はいられなくなりました。つまり、自然環境と人間の生活に対する無神経さが、
   効率優先(利益至上)には常時つきまとっていると知るべきでしょう。
  
   たまたま手にした本ですが、生活経済学専門の暉峻淑子さんの著書「豊かさ
   とは何か」(岩波新書)の中に、次のような言葉がありました。
  
   「豊かさが必然的にもたらすはずの落ち着いた安堵の情感や人生を味わうゆと
   りは、どこへいってしまったのだろう。本能的に自然に湧き出るはずの他者への
   思いやりや共感などは。金持ち日本(?)の社会から日に日に姿を消していくよ
   うに思えてならない」
 
   「効率を競う社会の制度は、個人の行動と、連鎖的に反応しあっているから、や
   がては生活も教育も福祉も、経済価値を求める効率社会の歯車に巻きこまれる
   ようになる。競争は人間を利己的にし、一方が利己的になれば、他の者も自分
   を守るために利己的にならざるを得ないから、万人は万人の敵となり、自分を守
   る力はカネだけになる」
 
   「しかし、豊富とか豊穣という言葉は、生態学者がいうように、もともと生物にとっ
   て、地球的な豊かさ、つまり、なるべく多くの種が共存していること、を意味して
   いた。(中略・・)木の葉が落ちてバクテリアに分解され土壌を豊かにするように、
   小鳥が木の実を食べたり、土中に蓄えたりすることによって、結果的に植林して
   いるように、多くの種は依存しあいながら生きている。人間もまた相互に依存しあ
   い、連帯しあいながら社会の中に根を下ろし、養分を吸収し、植物のように生の
   循環をくり返す」
 
   「カネというひとつの価値だけに支配されることは豊かさといえない。(中略)もと
   もと、生きるとは、生命力の全体の発揮であり、偏った部分的な人生は豊かな人
   生といえないのである。私たちは食物、暖かさ、眠り、愛し愛されること、社会から
   はじき出されないこと、教育、信念、文化的活動、政治参加などのすべてに対す
   る欲求を持つ者として、生きるのである。それが自己実現である」
 
   以上、長々とした引用をしましたが、要するに私は、ささやかな屋台、吹けば跳ぶ
   ような屋台の存在にこそ、庶民によって保たれてきた人間のためのオアシス文化
   を見る思いがします。これは決して過去を振り返っての物語りではなく、現に九州
   の博多では「らーめん屋台の集落」が、いまもって風土を代表し、繁盛しつづけて
   いると云うではありませんか。
 
   何とかして「屋台文化の未来形」を、本物の屋台村の誕生として想像できないもの
   かと思いめぐらしています。しかも、ここには「豊かさへの文化」の創造が控えても
   いるにことでしょう。いよいよもって、枯れ葉の季節到来です。
 

橋本 貢
雪が降る
 
     歳末ともなれば、本格的な冬の到来です。そして、まもなく風花が積雪に変
      わり、山野を白一色の世界に塗りかえることでしょう。
 
     子どもの頃、ガラス戸にはりついた雪片の花模様を見て、びっくりしたことが
     ありました。後になってそれは自然の造形であると知りましたが、しかし、あの
     ときの雪片に跡形もなく別れたいまとなっても、余りに美し過ぎた記憶の不思
     議さだけは、心にそのまま焼きついています。
 
     見なれた並木道が裸木の風景に変容すると、遠景の山々も一斉に静まり返
     っていきます。私の住んでいる大槻地区の西手には、灌漑や養魚場にも使
     われてきた鎌倉池という水場があり、そこに年々白鳥が群をつくって飛来する
     ようになってからは、冬季の風物詩としても関心を集めることになりました。また、
     そこへの道は、妻と私と愛犬SORAの、毎朝の散歩コースにもなっています。
 
     今朝(11/15-AM 6:00)、明けやらぬ空の向こうから、この冬初めての白鳥の声
     が、遠くかすかに、やがて複数の群れとなって近づいてくるのを耳にしました。
     私たちは思わず両手を振り上げ、「よく戻ってきたね、お疲れさま・・・」と、声高
     な挨拶で迎えました。すると、まさかお返しの筈もないのに、白鳥たちは大きく
     旋回し、超低空で私たちの頭上を通過していったのです。
 
     冬の純白の使者たちは一切の余分なものを払い落とし、極北の透明な輝きだ
     けを身にまとって、一途に飛来して来たのかも知れません。それは今年一年の
     大地の汚れを払拭するため、或いは、地上に鬱積している数多の吐息と疲れ
     を癒すために、純粋無垢の天使となってやってきた、愛の訪れと云ってもいい
     でしょう。
 
     むかし、山形の寒村に「山びこ学校」という、子どもたちの文集が生まれました。
     その編集は無着成恭という、若い熱血教師の魂の所産だったのですが、果たし
     ていまの人々に、どれだけ受け継がれているかは不明です。しかし、その中に
     あった一片の詩との出会いを、いまだに忘れることが出来ません。
 
     「雪がコンコンと降る/人間はその下で暮らしているのです」。
 
     この言葉の解説は、不要というものでしょう。その後の私は、降りつもる雪を眺め
     るたびに、しんしんとした大地の子守唄を聞くようになりました。
 
     さようなら、「2003年」。ひたすら舞い散る無数の雪片の彼方に、新生の希望と
     平和な世界の誕生を祈りたいと思っています。それでは皆さん、まもなくの新年
     を幸せにお迎えください。早々と乾杯・・・。

貢彩会(kousaikai)