
kousaikai

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『自己実現と共同』 先に紹介しました「絵の好きな仲間たちの合同展」が それこそ祭り気分で、今年もにぎにぎしく会期を終えることが出来ました。会場となった市の公会堂は、大正期に創設された記念的な洋風建築物です。出品者は数十名、作品の数も優に百点を越えました。会期中は友人、知人、家族連れといった人々が引きも切らずに訪れ、願いどおり自由な自分たちの広場になったと思っています。更に開幕に先立っての前夜祭は、大勢の参加者が飾り終えた作品の前で、期待していた以上の高揚を見せてくれました。 佐藤真人氏の優れたフルート演奏/佐藤正助氏の尺八の音色と佐々木さんのピアノ/「折り鶴」の平和への願いを歌に込めた 国分重信さんグループの朗読とコーラス/フィナーレには増子美根子さんと少女たちのフラメンコが華麗な花を添え、どれをとっても単独の公演を出来る方々が、唯一の喜びを分かち合うために無償で参加してくださったのです。おそらく、こんなにも解放された自由な催しって、何処に行ってもめったに味わえるものではありません。 いま、大きな一つの波が「個人と共同のうねり」を残し、再び訪れる日のために遠ざかって行きました。そして「一人は万人のために、万人は一人のために」と、彼方からの潮騒を休みなくただよわせています。 もし、好きって愛することをも意味するとしたら、「絵の好きな仲間たち」は、この世のひとときの出会いに「自分自身を傾けている人々」と呼んでいいのかも知れません。人が外に向かって開かれていくのは、自分の内なる本質に気づいていくためでもあるのでしょう。まもなく梅雨明けと共に大気のエネルギーは、勢いよく積乱雲を空いっぱいに立ち上げます。真夏の強烈な光と影のコントラストの中で、風物の一つ一つが少年期の思い出と重なり、花火や「星まつり」の夜、宇宙への夢に駆られるのも、この季節ならではの物語りと云えそうです。 |
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夏とはなりぬ
毎朝、愛犬のSORAと連れ立って散歩に出る 以前は早足であろうと苦にもしなかったが
今はもっぱらゆるやかな足どりを楽しんでいる
白み始めた遠くまで青田が広がり
まだ若いSORAの歩きは右に左に定まろうとしないときおり放つ叱咤の声も
早朝の静けさにすぐ消えてしまう
やがて目当ての林に分け入る頃
下草の露を紅に染めて朝日が射し始める
そこかしこで鳥が歌を競い
ものかげには楚々とした花が顔を見せる
とたんに樹間をすり抜けた光が紋様となって
その当たりを木漏れ日のパラダイスに一変する
さらに歩を進めると
こんどはSORAの待つ運動公園の広場である
そこは跳躍と突進のステージ
期待にたがわず黒い毛並みのラブラドールは
見るからに体形がしなやかで肢体も実に美しい
この一瞬、人も犬も万緑に同化
雲ひとつない空は今日も
真夏の太陽が灼熱のきらめきを放とうとしている
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| 自分をひらく あのロダンの〈考える人〉は、意識の覚醒と瞑想の戯れに浸っているのでしょうか。
それとも何かの選択を前に、まどい悩んでいる姿でしょうか・・・。
いずれにしても原始を想起させるこのシルエットは、人間の誕生にまつわる孤独な
黎明を、そのときのまま持ち越しているかのようです。
人類最古の祖先が自然史の大河に枝分かれをしたのは、今から300万年前、或い は500万年とも云われています。もし、こんな推測が許されるのなら、自然は混沌の
大地に初めて直立した人間を待って、そのあくなき視線の内に遥かな宇宙への連鎖
と、自己の本質解明を託したのかも知れません。
今年も地球の公転は北半球に秋の訪れを告げ、そして、すべてのものの影が藍染め
の静けさをただよわすようになりました。「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉どおり、これか
らはシベリアの冷えきった高気圧が、次々列島の上に覆いかぶさってくることでしょう。
とりわけ空気の澄んだ夜空には、銀河と共に満天の星がきらめきます。
先日、市の美術館で〈いわさきちひろ展〉が催され、その中の「いちばん星」という作品 が、なんとなく目にとまりました。小さな一つの星と、小さな一人の女の子。唯それだけ
の関係ですが、何故かいつまでも心に焼きついて離れませんでした。そういえば、私も
幼かった頃、やはり夕暮れの路地にたたずんで、「いちばん星」の光るのを待ち詫びた
ものです。その一瞬の願いは、内に開かれた世界への憧れだったのかも知れません。
あの〈考える人〉は、こうも云っていないでしょうか。「一人の人間である」とは、如何なる
ことなのかと・・・。それに対する即座の言葉は出てきそうもありませんが、但し、昨今の
諸事情の中で活躍しているNGOやボランティアの連帯に、「共感・共生・共有」を目指す
人間らしい物語を感じています。その可能性を開いていくキーワードは「一人の人間であ
る」ことの、相互理解と相互依存を離れては考えられないでしょう。
何故かいま、清涼な星空と併せて、野辺の向こうからアベマリアの歌が聞こえてきます。
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| 或る人への手紙 さっそくのお返事、有り難く読ませて頂きました。大切な言葉は、その背景 をも 伺わせてくれます。そして、「人類の歴史は他者の権利を奪いつづけて きた歴史 なのかもしれません」とおっしゃることに、少なからぬ共感を覚えま した。 ミケランジェロの晩年に、〈ロンダニーニのピエタ〉という未完の作品があり ます。 旺盛な青年期の<ダビデ>を想起したとき、その悲哀につつまれた 姿 は戸惑いを投げかけますが、しかし、自由都市フィレンツェの終焉と人間 の相剋に さらされながらも、孤高の中で普遍的な慈愛を具現しました。 そもそも非暴力(一人の人間であることの尊厳)と権力の存在とは、相容れ ないのかもしれません。おそらく民主主義の選択に完結はなく、どのような社 会も解放への過程であればこそ、それは生かされるのだと思っています。もし、 一国家や現制度を正当化するためだけのものなら、途端にその実態は似て非 なるものとなることでしょう。 キング牧師やジョン・レノンの死を招いたアメリカ。とりわけブッシュ氏の武力 是認の発言は、権力を志向する者たちのあからさまな自己欺瞞と独善とで も 云うしかありません。それにしても彼らは人間の死(生)を、自分自身の死を、 どのように受けとめているのでしょう。果たして歴史は、いつ資本の功利的な魔 力から抜け出すことが出来るのでしょうか・・・。 今日、平和はこの世界の一項目ではなく、人類的生存のすべてであると考えて います。そのためには、先ず平和という言葉に真新しい表現を見いだす必要が あるでしょう。童心のきらめき/自然と環境への畏敬/男女の対等な相互依存 と信頼/この世の美しさへの憧れと創意/など。それらはどの一つも欠かせな いものとして、平和の大系を築き上げる基礎なのだと思います。 末尾になりましたが、何よりもあなたの素晴らしいご努力に対して、感謝とお礼を 申し上げねばなりません。それでは心を込めた握手を、お受けください・・・。 |
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「無心」のひととき
紅葉の色が褪せると、とたんに西からの風が吹きつのり
ます。木々の根もとを枯れ葉が被い、そして風景の隅々
まで沈黙の影が占めるようになりました。冬の訪れを前
にしたこの時期の云い知れぬ寂しさには、どんな言葉が
あるのでしょう。
ユトリロの描いたパリの街角は、建物の汚れた壁や石畳
の路地に、とげとげした小枝の先の空に、沈鬱な吐息を
ただよわせています。彼は19世紀末を奔放に生きた女流
画家、ヴァランドンを母として出生しました。のっけか
ら父親不在の境遇は、十代のはしりにアルコールを覚え
させ、母の手ほどきで始めた絵も当初は孤独をまぎらす
ために過ぎなかったと云われています。しかし、そのこ
とは自分の生地であり、かつては芸術家たちの揺籃だっ
たモンマルトルのフィナーレを、やがて一皮剥いだ静か
な目で表すことになりました。
芸術は自然と人生の落とし子であって、その逆ではない
と思います。かのセザンヌの晩年をサント・ヴィクトワ
ール山の風景に向かわせたものも、少年時代に友だちと
遊び散策した、エクス・アン・プロヴァンス郊外の自然
に他なりませんでした。
故郷とは、そこで無心に目を開き、初めての愛に遭遇し
たところと云えなくもありません。この無心は何かが生
まれるときの傍らに、いつも寄り添っているかのようで
す。秋から冬への、一年という歳月が終息を迎えようと
しているとき、新生への循環は、やはり無心から目を開
くのでしょう。
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