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橋本 貢
橋本 貢

橋本 貢
女性と創造 【非暴力時代の訪れ】
    近年、何かにつけて女性の自主的な活動が、多方面に活発な広がりを見せるようになりました。
    実際に私の携わっている「絵画教室」は、その大半を女性の参加で占められています。これは
    美術・音楽・演劇といった芸術的な展示・公演の会場でも、女性の関心の高さは男性のそれを
    上まわる有様を呈しています。
    少なくとも文化的な領域での、こうしたアンバランスの現れは何を意味しているのでしょう。
    仮にも昨日まで、男性を主として語られてきた21世紀とは、どんな人間の未来を開くことだった
    のでしょうか。
     ・・・  1、女性は自然の直系  ・・・
生涯のすべてを慈愛に捧げた、かのマザー・テレサは「この世に無関心ほど     
忌まわしいものはない」という言葉を残しました。彼女はひたすら貧困と弱者
の傍らに身をおき、そこにあえぐ人々の枕辺に寄り添え、いまわのきわまで
心魂を傾けたと伝えられています。いまとなっては、彼女こそ聖母マリアその
人であったと思えなくもありません。そもそもマリアの愛は、聖書に記される
より遥か以前、大地の豊穣と生命を支える象徴(母性)として、人々の心を祈
りに誘ってまいりました。
  かつて「個体の発生は系統発生を繰り返す」という自然の法則を知って、たいへん衝撃を覚
  えたことがあります。つまり女性の胎内での生命誕生には、四十億年にも及ぶ生命史の
  ドラマが、連綿と受け継がれているというのです。この個体の内に凝縮された永遠の生命
  の息づかいには、圧倒されずにおれません。そういえば彼女たちは何かにつけて可愛い
  という言葉を連発します。
  「愛らしさ」「可憐さ」「いたわしさ」「ふびんさ」といった、このあど
けないものへの衝動は、
  内在する自然(胎生)に由来する、純粋無垢な呼びかけなのかも知れません。
     ・・・ 2.女性の解放と人間の復権 ・・・
遠い昔、自然状態を脱した人間の自立は、古代及び中世の農耕生活から     
近現代の工業化社会へと飛躍的な変貌を遂げてきましたが、その反面、
男性主導の文明は支配権の拡大と利権の抗争に明け暮れ、やがては
二十世紀を核戦争の危機で覆い尽くすに至りました。
西欧を中心として一躍近代に向かった産業革命以降の歴史も、ここにきて
人為的な廃棄物による自然生態系の攪乱、排気ガスの増量にともなう地球
全体の温暖化など、物量優先の前途に限界の陰りを見せ始めています。
  このような環境と生命の存続にかかわる危機のサインは、ことごとく自己中心的な利害と
  競争の原理に溺れてきた、男性支配社会の反自然的行為の結果と云いなくもありません。
  尚且つ、去る9月11日に突発したテロ事件とその後の報復は、最新の軍事力の発動に
  口実を与え、ついに不毛な戦争の再発を許してしまいました。但し、ここでも忘れてなら
  ないのは、戦争による最大の被害者が女性と子どもたち(世界の未来)の存在であること
  です。しかし、いまや生命直接の呼びかけを内にした女性たちの自己解放が、普遍的な
  人間解放への序曲を奏でています。日本では明治44年、平塚らいちょうが有志と共に
  文芸雑誌『青鞜』を創刊。その巻頭を「元始、女性は太陽であった/真正の人であった」
  という、有名な一文で飾りました。往時の牢固とした男性支配社会の偏見を突き破って、
  それは女性から放たれた初めての解放宣言だったと云えるでしょう。
     ・・・ 3.自然と人間と芸術 ・・・
ギリシャ神話の中での「美」は、愛と豊穣とをかねそなえた女神アフロディーテ     
(ヴィーナス)に象徴されてきました。そもそも、この世の美と愛は、森閑
とした宇宙を舞台に目覚めた生命の星、地球のメッセージなのかも知れ
ません。それは原初に衝動として現れ、やがて環境と自立(生態系)を
足場に、ようやく人間の誕生を介して自らを意識するに至ったと想像され
ます。しかし、そうした自覚は言葉としてあるよりも、むしろ、予期しない
感動によって開かれてきたといった方が本当かと思われます。
  そうであればこそ自然美は、人間にとって見果てぬ夢ということになるでしょう。また、
  ギリシャの史跡に刻まれたもう一つの言葉「汝、自身を知れ」も、自然(始原)からの
  呼びかけとしてこそ、現世における欠如の克復をうながしているのだと考えられます。
  先に述べた女性の「可愛い」という感嘆の声は、しばしば生理的、偶然的、主観的に
  過ぎたりしますが、しかし、それを自然美として精神的、普遍的な装いに着替えたとき、
  独自の魅力ある芸術性を生むことになるでしょう。(現に女性の優れたアーチストたちは
  少なくありません)。同時にその日の訪れは、非暴力に徹した男女共同の時代であって
  欲しいものです。
     ・・・ 4.結び ・・・
昨年の後半に起きた新たな暗雲の広がりを見て、誰もが不安を感じたに     
違いないと思います。無謀なテロは絶対許せないように、正義を名目とし
した空爆やミサイル発射も、結局は無差別の殺戮でしかありませんでした。
戦争とその余波は、この瞬間も罪のない人々、いたいけな母と子を、絶望と
恐怖の淵に追えやっています。事件後まもなく新聞に、若い主婦の次の
ような投書がありました。「報復をどのような形で行うつもりなのかわからない
ただ、子供たちの未来を考えるなら、再び人が人の命を簡単に奪う光景を
  見せるべきでない。奪われた人々の命の重さを深く受けとめたなら、これ以上、
  人の命を奪うようなことはできる筈がない。命を大切にする世の中、そんな当たり
  前のことを、今の大人たちは子どもたちに贈れないでいる」(9/16・朝日)
  この際、改めて「人間とは何か」 「美しく生きるとは何か」を、自分の胸に手をあて、
  深く問い直してみる必要があるでしょう。

橋本 貢
  ・・・  春待つこころ  ・・・
  立春とは、やがての春を夢見ることなのでしょうか。まだシベリアからの冷気     
  が、頬を突き刺すように感じられます。それでも、日溜りに小鳥が集まって餌
  をついばみ、先日は庭木の枝に目白の姿も見られました。
  これはまさしく春の使者たちです。
  子どもの頃は雪解けした木々の根方や、畑の所々に黒土が現れると、ふくら
  み始めた春にいち早く心を躍らせたものですが、そうした前触れへの直感は
  自然の深層との一体感だったような気がします。そして<何かが生まれ、何
  かが去る>といった節目に、これまで幾度立ち会ってきたことでしょう。
  地球の自転を<朝焼けの輝き>と<日没の夕映え>が彩り、一年周期
  の公転の旅は<四季の移ろい>が知らせてくれます。しかしながら、
  そのすべてを押し包む銀河系や、さらに遥かな<光年の宇宙>の話になると、
  これはもう想像を絶する無限界と呼ぶしかありません。それでも最新技術は、
  宇宙を森閑とした静の時空としてよりも、新星の誕生と崩壊を繰り返す
  <創造的循環>の過程としてダイナミックに映し出すようになりました。
  例えば、アンドロメダ星雲の広大な渦巻きなどを目にすると、激動し変化する
  無数の星のドラマに吸引されてしまいそうです。
  今、太陽をめぐる生命の星<地球>の、約40億年を経た自然史の夢を、
  新たな春が喚起しています。その地層には、途中に果てた個体の痕跡が
  累々と積もり、なおも生成と消滅の<創造的循環>の流れは、まるで天にも
  通じる大河のように休むことを知りません。そのようにして、まもなく植生の
  芽生えが春への開幕を告げ蕗のとうよもぎ、いぬふぐり、猫柳、雪割草、
  梅、桃、桜と、春爛漫を目指す序曲を奏で始めることでしょう。
  しかも、めいいっぱいに、どれもこれも一回きりの途中を生命として・・・・・・
  さて、今年の春のキーワードを何にしましょう。わたしは外にも内にも優しい、
  <愛>にしたいと考えています。
  さてさて皆さんは、どんな思いをつのらせているでしょうか。

橋本 貢
            ・・・  3月のメッセージ  ・・・
  最近、有機農法という言葉が食生活の健康な在り方とも関連して、一般の     
  注目を広く集めています。しかし、これは単に農耕に関してだけのことでな
  く、畜産、水産といった食料資源全般にわたって、環境汚染との関連が問
  われているからでもあるでしょう。
  昨今の記憶には薄れつつあるとしても、かつてチッソ水俣工場の排水が有
  害物質 (メチル水銀)の垂れ流しであったことや、ベトナム戦争のとき無制
  限に散布された枯葉剤が、強度の毒性を含有していたことなど、また、年々
  増加の一途をたどる石油エネルギーへの依存から、予期しない地球温暖化の
  現象が物理的にも生物的にも破綻を生じつつある事実などです。

  先月のページで、宇宙は壮大な<創造的循環>の脈動を奏でていると記しま
  したが、その悠久な交響の調べは、瞬時に消える火花から路傍の草の芽生え
  に至るまで、すべての生成と消滅の物語を自然の大河に包摂し

  個別の途中の物語に無限のシナリオを連れ添わせています。

  絵を描く眼差しにも、自然はその都度、新たな様相を呈します。
  そして、表現のステージの連鎖(時空)の中で、個々のものは境界の束縛から
  次第に自由になっていきます。例えば、かのセザンヌは自然の殺那さ(有限)と
  深さ (無限)への畏敬を、一個のリンゴに対しても貫きました。しかも、そこに
  描かれた線、形、明暗、色彩、といった構成要素は、全体と部分の密接な繋がり
  を自然の<本質と現象>の有機的な関連として、その依存と対立の見事な表現
  を画面にとどめました。かくも自然への、スピリチュアルな志向に殉じたセザンヌの名は、
  今後とも人々の心に消えることはないでしょう。

  それにつけても、二十一世紀は功利的な打算(資本の優位)の支配と、核兵器の
  使用という自滅的な禍根を、充分な反省なしに引き継ぎました。

  尚且つ、貨幣をもって唯一の価値とする市場原理は、人と自然の交わりから生まれ
  育まれてきた文化を、空疎な商品の羅列に置き換えようとしています。もし、生命本来
  の有機的な組成と恩恵に背を向けるようなことがあれば、人間はせっかくの美の豊かさ
  を、自分自身から遠ざけないとも限りません。

  しかし、三月は弥生。まもなく春爛漫の季節が控えています。

橋本 貢

  今年の桜前線は、例年にない早さでスタート。列島の南端から北限までの     
  旅を、小枝の先々まで咲きこぼれながら、そして「美しいものは儚くもある」
  と告げながら、現世離脱の一瞬を思いっきり輝いて見せます。それにしても
  こんなに早すぎる(5日〜7日)開花はどうしてなのでしょう。
  実は誰もが心を曇らせている<地球温暖化>の不安と、関わりがあっての
  ことかも知れません。そういえば、昔からの言い伝えに<腹八分目>、或い
  は<ほどほど>に、という言葉がありました。それはいまなお。自然の摂理
   に叶った知恵ではないかと思っています。確かに自省を失った欲望の肥大ほど、
  自滅を語るに相応しいモチーフはありません。例えば、年々地球に広がりつつある
  砂漠化現象ですが、そもそもの発端は、古代文明以来の人為の拡張にあると云わ
  れています。家畜の増加に伴って根こそぎ侵食されてきた牧草地、農地を拡げるため
  無制限に伐採された森林など、露出した表土はとたんに乾燥と風雨に押し流され、
  それまで生命循環の温床であった緑野は、土壌の喪失と共に急速に姿を消してい
  きました。
  しかしながら近年、宇宙船のカメラが捉えた地球の全貌は、「生命の星」として青
  く渦巻く輝きと、森閑とした虚空の闇に浮遊する自転の姿でした。この実像を初めて目
  にしたときは、余りの孤独な表情に、何か突き放されたような戸惑いを覚えたものです。
  宇宙の遥かな沈黙は、人間の意識がまだ目覚めたばかりであると告げてもいます。
  それだけに荒涼とした砂漠のの風景は、おぼつかない人間の不明に「生きるとは
  自然との調和であると、呼びかけているかに想えます。
  そうこうしている間にも桜は満開となり、うららかな春の一瞬を楽園に変じ、
  「この世は美しい」と誰を待たずに終え、唯、そのためだけにあなたは通り過ぎて
  行くのですね。ふと、胸がつまってしまいます。

橋本 貢
            ・・・  5月のメッセージ  ・・・
今年も新緑の光溢れる五月を迎え、新生の息吹が山野に満ち満ちています。
わたしは逆のぽること70余年前、やはりこの素敵な季節の中で誕生いたしま
した。やがて年々歳々四季の訪れは、その都度、新たな出会いと別れをもた
らし、それが自然への畏敬を育んでくれたと思っています。
しかし、1929年という年は世界規模の経済恐慌が突発、以後、日本の軍国
主義は満州(中国東北部)進出を起点とした15年戦争に突入していきました。
つまり暗澹とした日々が、わたしの少年時代の頭上を覆い始めていたのです。

  更に、生まれつきの病弱な体は、国策に添わない弱者という否定を、甘んじて受けるしかありませんでした。
  でも、幸せなことに、わたしには夢を絶やさず生き抜いてくれた母がおりました。その母を結び目とする家族が
  ありました。「子どもの口に節のものだけは欠かしたくない」、「どんなに困っても垢貧乏はさせない」と、口癖の
  ようにつぶやいていた言葉が思い出されます。往時の暮らしは少しも楽でなかった筈なのに、わが家には人並
  みの正月、雛祭り、五月人形と笹だんご、夏場の線香花火、お盆や彼岸の墓参り、洗い張りした手縫いの祭り
  着、キノコ取りや栗拾い、その他の年中行事が、母の手で大切に守り続けられていたものです。
  それに、もう一つ忘れ難いのは、一人の姉が教えてくれた「赤い鳥」時代の童謡の数々です。〈青い目をした人
  形〉〈赤い靴〉〈あの町この町〉〈からたちの花〉〉〈お月さん〉〈しゃぼん玉などなど。あの、わびしかった路地住ま
  いの明け暮れの中で、無心に歌う少女のすずやかな声ほど、幼児の不安を優しく癒してくれたものはありませ
  んでした。また、わたしを絵に駆り立てたのも、そうした心の風景の広がりにあったと思っています。やがて敗残
  をもって戦争が終わり、わたしは空腹と挫折と幾ばくの解放感とを抱えながら、ひたすら逢瀬川や阿武隈川の、
  人気のない川べりを訪ね歩きました。秋には月見草の群生が花園をつくり、早春の水辺を猫柳の芽が銀色に飾
  りたてます。そして、いつか五月の息子として、薫風と雲雀の囀る光を受けて、わたしは青春へのスタートを切る
  ことになりました。多分人間は、自分の本質を自然万物との共生として見いだしたとき、より人間であるのかも知
  れません。ご一緒に、何かハミングをしましょうか・・・。

橋本 貢
 第5回 『 合同展 』 のこと
  表記の催しと<絵の好きな仲間たち>とは、同時に発足してまいりました。
  それまでは所属するグループと、その中での繋がりを唯一の拠り所として
  きましたが、しかし、あるときから共通な地域への目覚めというか、絵の好
  きな者同士の開かれた場を夢見るようになったのです。そして、気がつくと
  私自身、すでに幾つかの絵画サークルの結び目に立っておりました。
  メンバーには個々の希望が息づいています。「定年後の人生を追い求め
  ている人」「子育ても終わり自分の再起を始めている人」「現世以外の自由
  に目を向けている人」など、つまり人間らしい生き方への渇望は、当初考え
  ていた以上のものであるのを知らされました。そして、朧気にも解ったのは
  それぞれが少年少女の日の何処かで、すでに絵に対する憧れを強く抱い
  ていたことです。それにしても、儚さの象徴と思われている夢は、何と人の
  心に深く住み着いたものなのでしょう。先ずもって人間らしく生きるとは、
  私自身、戦中という出生以来の抑圧体験を省みて、平和な状況なしには
  考えられないと思っています。すくなくとも芸術と文化の世界にとって、国
  の統制といった権力支配ほど無意味なものはありません。
  このたび、<絵の好きな仲間たち>で主催する『合同展』は、第5回の節目
  を迎えることになりました。とき・6月22日〜24日まで/ところ郡山市公会
  堂。ここに、その案内文からの抜粋を紹介させて頂きます。
  「私たちは絵の好きな仲間です。今年もいっしょになってお祭りをします。
  いってみれば、ささやかな夢飾りの縁日です。会場にはお茶とお菓子の
  <お休み所>も用意いたしました。お気軽にお出かけください」

橋本 貢

        『自己実現と共同』

先に紹介しました「絵の好きな仲間たちの合同展」が

それこそ祭り気分で、今年もにぎにぎしく会期を終えることが出来ました。会場となった市の公会堂は、大正期に創設された記念的な洋風建築物です。出品者は数十名、作品の数も優に百点を越えました。会期中は友人、知人、家族連れといった人々が引きも切らずに訪れ、願いどおり自由な自分たちの広場になったと思っています。更に開幕に先立っての前夜祭は、大勢の参加者が飾り終えた作品の前で、期待していた以上の高揚を見せてくれました。

佐藤真人氏の優れたフルート演奏/佐藤正助氏の尺八の音色と佐々木さんのピアノ/「折り鶴」の平和への願いを歌に込めた

国分重信さんグループの朗読とコーラス/フィナーレには増子美根子さんと少女たちのフラメンコが華麗な花を添え、どれをとっても単独の公演を出来る方々が、唯一の喜びを分かち合うために無償で参加してくださったのです。おそらく、こんなにも解放された自由な催しって、何処に行ってもめったに味わえるものではありません。

いま、大きな一つの波が「個人と共同のうねり」を残し、再び訪れる日のために遠ざかって行きました。そして「一人は万人のために、万人は一人のために」と、彼方からの潮騒を休みなくただよわせています。

もし、好きって愛することをも意味するとしたら、「絵の好きな仲間たち」は、この世のひとときの出会いに「自分自身を傾けている人々」と呼んでいいのかも知れません。人が外に向かって開かれていくのは、自分の内なる本質に気づいていくためでもあるのでしょう。まもなく梅雨明けと共に大気のエネルギーは、勢いよく積乱雲を空いっぱいに立ち上げます。真夏の強烈な光と影のコントラストの中で、風物の一つ一つが少年期の思い出と重なり、花火や「星まつり」の夜、宇宙への夢に駆られるのも、この季節ならではの物語りと云えそうです。


橋本 貢
 夏とはなりぬ

毎朝、愛犬のSORAと連れ立って散歩に出る
以前は早足であろうと苦にもしなかったが
今はもっぱらゆるやかな足どりを楽しんでいる
 
白み始めた遠くまで青田が広がり
まだ若いSORAの歩きは右に左に定まろうとしない
ときおり放つ叱咤の声も
早朝の静けさにすぐ消えてしまう
 
やがて目当ての林に分け入る頃
下草の露を紅に染めて朝日が射し始める
そこかしこで鳥が歌を競い
ものかげには楚々とした花が顔を見せる
とたんに樹間をすり抜けた光が紋様となって
その当たりを木漏れ日のパラダイスに一変する
 
さらに歩を進めると
こんどはSORAの待つ運動公園の広場である
そこは跳躍と突進のステージ
期待にたがわず黒い毛並みのラブラドールは
見るからに体形がしなやかで肢体も実に美しい
 
この一瞬、人も犬も万緑に同化
雲ひとつない空は今日も
真夏の太陽が灼熱のきらめきを放とうとしている

橋本 貢
           自分をひらく

  あのロダンの〈考える人〉は、意識の覚醒と瞑想の戯れに浸っているのでしょうか。
  それとも何かの選択を前に、まどい悩んでいる姿でしょうか・・・。
  いずれにしても原始を想起させるこのシルエットは、人間の誕生にまつわる孤独な
  黎明を、そのときのまま持ち越しているかのようです。
 
  人類最古の祖先が自然史の大河に枝分かれをしたのは、今から300万年前、或い
  は500万年とも云われています。もし、こんな推測が許されるのなら、自然は混沌の
  大地に初めて直立した人間を待って、そのあくなき視線の内に遥かな宇宙への連鎖
  と、自己の本質解明を託したのかも知れません。

  今年も地球の公転は北半球に秋の訪れを告げ、そして、すべてのものの影が藍染め
  の静けさをただよわすようになりました。「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉どおり、これか
  らはシベリアの冷えきった高気圧が、次々列島の上に覆いかぶさってくることでしょう。
  とりわけ空気の澄んだ夜空には、銀河と共に満天の星がきらめきます。

  先日、市の美術館で〈いわさきちひろ展〉が催され、その中の「いちばん星」という作品
  が、なんとなく目にとまりました。小さな一つの星と、小さな一人の女の子。唯それだけ
  の関係ですが、何故かいつまでも心に焼きついて離れませんでした。そういえば、私も
  幼かった頃、やはり夕暮れの路地にたたずんで、「いちばん星」の光るのを待ち詫びた
  ものです。その一瞬の願いは、内に開かれた世界への憧れだったのかも知れません。

  あの〈考える人〉は、こうも云っていないでしょうか。「一人の人間である」とは、如何なる
  ことなのかと・・・。それに対する即座の言葉は出てきそうもありませんが、但し、昨今の
  諸事情の中で活躍しているNGOやボランティアの連帯に、「共感・共生・共有」を目指す
  人間らしい物語を感じています。その可能性を開いていくキーワードは「一人の人間であ
  る」ことの、相互理解と相互依存を離れては考えられないでしょう。

  何故かいま、清涼な星空と併せて、野辺の向こうからアベマリアの歌が聞こえてきます。

橋本 貢
          或る人への手紙

   さっそくのお返事、有り難く読ませて頂きました。大切な言葉は、その背景
  をも 伺わせてくれます。そして、「人類の歴史は他者の権利を奪いつづけて
  きた歴史 なのかもしれません」とおっしゃることに、少なからぬ共感を覚えま
  した。


   ミケランジェロの晩年に、〈ロンダニーニのピエタ〉という未完の作品があり
  ます。 旺盛な青年期の<ダビデ>を想起したとき、その悲哀につつまれた
  姿 は戸惑いを投げかけますが、しかし、自由都市フィレンツェの終焉と人間
  の相剋に さらされながらも、孤高の中で普遍的な慈愛を具現しました。

   そもそも非暴力(一人の人間であることの尊厳)と権力の存在とは、相容れ
  ないのかもしれません。おそらく民主主義の選択に完結はなく、どのような社
  会も解放への過程であればこそ、それは生かされるのだと思っています。もし、
  一国家や現制度を正当化するためだけのものなら、途端にその実態は似て非
  なるものとなることでしょう。

   キング牧師やジョン・レノンの死を招いたアメリカ。とりわけブッシュ氏の武力
  是認の発言は、権力を志向する者たちのあからさまな自己欺瞞と独善とで も
  云うしかありません。それにしても彼らは人間の死(生)を、自分自身の死を、
  どのように受けとめているのでしょう。果たして歴史は、いつ資本の功利的な魔
  力から抜け出すことが出来るのでしょうか・・・。

  今日、平和はこの世界の一項目ではなく、人類的生存のすべてであると考えて
  います。そのためには、先ず平和という言葉に真新しい表現を見いだす必要が
  あるでしょう。童心のきらめき/自然と環境への畏敬/男女の対等な相互依存
  と信頼/この世の美しさへの憧れと創意/など。それらはどの一つも欠かせな
  いものとして、平和の大系を築き上げる基礎なのだと思います。

  末尾になりましたが、何よりもあなたの素晴らしいご努力に対して、感謝とお礼を
   申し上げねばなりません。それでは心を込めた握手を、お受けください・・・。
 

橋本 貢
               「無心」のひととき
  紅葉の色が褪せると、とたんに西からの風が吹きつのり
  ます。木々の根もとを枯れ葉が被い、そして風景の隅々
  まで沈黙の影が占めるようになりました。冬の訪れを前
  にしたこの時期の云い知れぬ寂しさには、どんな言葉が
  あるのでしょう。
 
  ユトリロの描いたパリの街角は、建物の汚れた壁や石畳
  の路地に、とげとげした小枝の先の空に、沈鬱な吐息を
  ただよわせています。彼は19世紀末を奔放に生きた女流
  画家、ヴァランドンを母として出生しました。のっけか
  ら父親不在の境遇は、十代のはしりにアルコールを覚え
  させ、母の手ほどきで始めた絵も当初は孤独をまぎらす
  ために過ぎなかったと云われています。しかし、そのこ
  とは自分の生地であり、かつては芸術家たちの揺籃だっ
  たモンマルトルのフィナーレを、やがて一皮剥いだ静か
  な目で表すことになりました。
 
  芸術は自然と人生の落とし子であって、その逆ではない
  と思います。かのセザンヌの晩年をサント・ヴィクトワ
  ール山の風景に向かわせたものも、少年時代に友だちと
  遊び散策した、エクス・アン・プロヴァンス郊外の自然
  に他なりませんでした。
  故郷とは、そこで無心に目を開き、初めての愛に遭遇し
  たところと云えなくもありません。この無心は何かが生
  まれるときの傍らに、いつも寄り添っているかのようで
  す。秋から冬への、一年という歳月が終息を迎えようと
  しているとき、新生への循環は、やはり無心から目を開
  くのでしょう。

橋本 貢
               途中を美しく

いよいよ今年も歳末です。そして、この一年、やはりいろんなことがありました。庶民にとっては想像もつかない巨額の不良債権処理や、いつ歯止めがつくとも知れないデフレ不況の停滞など、更に、アメリカのブッシュ政権がイラクに対して画策している戦争への危機と、拉致疑惑にまつわる北朝鮮内部の不気味な暗さのことなど、かつての「戦争の世紀」と呼ばれた20世紀の亡霊が、今なお重くのしかかっているのを見せつけられる思いがします。
新しい1000年期の夜明け(ミレニアム)を祝い、惜しみなく打ち上げ花火で夜空を飾った、あのときの歓喜はいま何処へ行ってしまったのでしょう。
しかし、満天の星座はそれからも夜毎変わりなく人類を見下ろしています。そして「汝自身を知れ」の言葉(古代ギリシャの遺産)こそが、人類に託された宇宙への覚醒を意味しつづけているのかも知れません。
この暮れは、例年になく喪中の知らせを手にしました。それぞれにあった現世での追想や、彼岸のことまでが偲ばれてまいります。ひとりひとり〈星の王子や王女〉さまとして出生し、そのときどきの遭遇に如何ばかり溢れる思いを傾けてきたことでしょうか。何かで宇宙とは「いま自分の立っているところ」と聞きましたが、彼方への眼差しと、自分への眼差しとは同一のような気がします。
昨年の9月、ニューヨークを襲ったテロ事件、及びその後の報復の無残を見るにつけ、今日ほど人間の可能性に限界が問われたことは、かつて無かったと思われます。また、高度な技術と破壊力を身につけた軍事手段は、ますます冷徹で過酷な性格を帯びるに至りました。個人の息づかいを無視し、個人の尊厳を省みることもないこのような手段の対象に、自然から託された唯一の生命を、間違ってもさらしていい筈がありません。過去に広島と長崎の人々を、一片の哀悼すらなく一瞬のうちに葬り去った暴挙は、二度と繰り返してならない犯罪です。ましてや、一国家の意志や単独の力の過信で人類の運命を左右するようなことは、国連という世界の良識以外、如何なる
大国であろうと許してならない話です。
2003年の夜明けを明日に控え、わたしたちはもっともっと自分の内なる宇宙に心を傾けてみましょう。きっと涙より何倍も溢れるものを、そこに気づくと思います。そ して、21世紀を開くキーワードは愛と平和であり、そのネットワークに連なってこそ人間らしい自分の生きがいがあると、しみじみそう感じられることでしょう。
古代オリエントから現代に至るまで、人類史はたゆまず美への憧れを築き上げてきました。いまなお、その流れはめくるめく走馬灯となって、心を彼方へ誘っています。
貢彩会(kousaikai)