やまぶき 長唄・その他曲目解説 やまぶき

 

ライブのチラシでの解説を抽出しております。
曲目は、ライブで演奏されたものが中心ですが、徐々にその他の曲目解説を増やす予定です。



曲名 作曲者
作詞者
解説
長唄
秋色種
十世杵屋六左衛
南部侯


1845年
南部候の隠居(少将利済)のお歌で秋の景物を唄った描写曲。湯治、舞踊のための曲が多い中の素唄の名曲。
長唄
明の鐘
作曲者、年代共に不詳

芭蕉の「花の雲 鐘は上野か浅草か」が使われていて、以前は手ほどき(初心者)向きとされていた。
長唄
吾妻八景
四世杵屋六三郎

1829年
主に、劇場音楽として発展してきた長唄の中に室内楽風の曲が現れてくる、その先鞭をつけたとも言うべきこの作品は、江戸の情緒を詠い上げる事が、眼目となっています。また、合い方の描写的性格が明確であることも、この曲の特徴です。
長唄
安宅の松
冨士田吉治

1769年
お能の「安宅」から取材したご存知勧進帳より71年も前に作曲されています。僧正坊が名木安宅の松の下で落葉を掻いている里の童べに都名物の扇を与えて奥州平泉へ行く近道を教えてもらう。
長唄
安達ケ原
二世杵屋勝三郎

1870年
那智の東光坊の阿闍梨祐慶が奥州安達ケ原で道に迷い、黒塚のひとつ家に泊めてもらう。主の老女は淋しく世を送っているが、祐慶に接して心を和ませるが、祐慶の共の者に約束を破られ、鬼女の姿になってしまう。最後は法の力によって消えていく。
長唄
雨の五郎
十世杵屋六左衛門

1841年
曽我五郎時致が化粧坂の少将の許へ廓下通いの華やかな所作で、凛々しくもあり麗しくもあり、大きくて壮快な曲。
長唄
雨の四季
山田抄太郎
作調:
田中伝一郎
池田弥三郎

1967年
江戸下町の風物を織り交ぜて、全く新しい叙情的な一篇の詩としたもので、曲は実に自然な形で江戸下町情緒を盛り上げ、雨を通して見た江戸の四季を、見事に描き出しています。(杵屋弥之介 譜本より)
長唄
菖蒲浴衣
二世杵屋勝三郎

1859年
歌舞伎女形芳沢あやめ好みの浴衣を売り出すために作られた広告長唄であると云われている。
三絃三重奏曲
浮拍子
杵屋正邦

1968年
三味線音楽のもつ明るく親しみ易い、庶民的な一面を強調しようと試みた作品です。古典的な手法や旋律型、リズムなどをことさら避けようとせず、積極的に取り入れることによって、伝統の中の現代性と作曲者の創意との融合をはかり、新たなる表現を企図したものです。(杵屋正邦楽譜本より)
長唄
浦島
十世杵屋六左衛門
二世瀬川如皐


1828年
竜宮から帰ってきた浦島太郎が乙姫との契りを兼ね、開けてはならぬと戒められた玉手箱の蓋を開けて白髪の老人になる伝説の話を舞踊曲として作曲された。
長唄
越後獅子
九世杵屋六左衛門
篠田金次

1811年
三河万歳・鳥追い・角兵衛獅子など、共に江戸の初春の景物としてなくてはならなかった街頭芸の舞踊曲。
越後の国から出てきた角兵衛獅子の舞踊化で、一夜で作曲されたと言われている。歌詞は筝曲の越後獅子を基礎としてあり、三下がりのケレン物である。
長唄
大望月
三世杵屋勘五郎

1870年
謡曲の望月の詞章をそのまま長唄にした大曲。
長唄
惜しむ春
四世杵屋佐吉
香取仙乃助


1919年
逝く春を惜しむ多情多感な若い女の気持ちを中心に春雨、落花、帰雁、入相の鐘などを配したもの。
長唄
鏡獅子
三世杵屋正治郎
福知桜痴


1893年
曲の前半(前ジテ)は御殿女中の弥生、後半(後ジテ)は勇壮な獅子に変身する舞踊曲。
常磐津、長唄掛合い
角兵衛
岸沢四式佐
四世杵屋三郎助

瀬川如皐


1827年
江戸時代の街頭芸人、角兵衛獅子と鳥追い女太夫を組み合わせた舞踊曲で、浄瑠璃の常磐津と長唄の掛合いで作曲された。
異なるジャンルの三味線音楽で1曲を演奏する様式を掛合いという。
長唄
勧進帳
四世杵屋六三郎
三世並木五瓶


1840年
歌舞伎十八番の勧進帳は人気第一の出し物で、松羽目の舞台に十丁十枚(10人の三味線10人の唄)お囃子七、八名が並んで演奏されるのは壮観である。源頼朝と不和になった源義経が弁慶以下四天王を従え、山伏姿に身をやつして陸奥に落ちていく途中、安宅の関でせき止められる。先達の弁慶は白紙の巻物で勧進帳を読み上げ、強力姿の義経を怪しいと睨まれ、大事に及ぼうとした時、主人を打って助けようとする弁慶の苦衷を察した富樫の情により見逃されて陸奥に落ちて行く。歌詞は謡曲の「安宅」から取ってある。
長唄
神田祭
四世吉住小三郎
三世杵屋六四郎

幸堂得知

1911年
大江戸祭りの一つとなっている神田神社の祭礼で、昔は九月十五日が祭日であった。祭り前夜の様子から明け方の山車の繰り出し、踊屋台の一節、屋台囃子、木遣りで、賑やかに終わる。
長唄
紀州道成寺
五世杵屋三郎助

1861年
歌詞は謡曲の道成寺をほとんどそのまま使っており、まず道成寺の縁起を説き清姫の霊が白拍子姿で現れ舞を奏でているうちに鐘を落とす。そこでこの鐘に執念のかかる由来の説明となり、再び現れた蛇体の清姫は行者の法力によって退散する。
清元・長唄
喜撰
十世杵屋六左衛門
松本幸二


1831年
歌舞伎舞踊、喜撰法師と茶汲女の音楽で浄瑠璃の清元と長唄の掛合いです。
二つ(三つもある)の異なるジャンルの三味線音楽で一曲を演奏する様式を掛合いといいます。(同じジャンルの掛合いもあります)
清元の中棹、長唄の細棹、音色の違いに面白みがあります。
筝・三絃二重奏曲銀河 沢井忠夫

1984年
筝は日本のハ−プなどとよく言われるが、私はこの表現を好まない。しかし、楽器の構造上、音色的には非常に近いことは事実である。それにも拘らず、そこから求める音楽の方向がまるで違うのは、その楽器を育てた人々の生活の違いであって、例えばそれは洋舞における空を翔るような表現と、日舞の大地に根をはったような舞い方の違いとも共通するものであろう。そんな事を考えながらも、しかしこの曲では筝にハ−プ的な表現を意識的に与え、三絃には対称的に土俗的な性格を持たせてみた。二つの非常に違った世界の組み合わせである。(1984年 沢井忠夫)
三味線三重奏曲九絃の曲 本間貞史

1979年
本間貞史 昭和56年第5回杵屋静子リサイタルより
 この曲は昭和54年度文化庁芸術祭参加作品としてNHKからの委嘱により作曲されたものです。その時の担当ディレクタ−神正氏の提案は「近世邦楽の歴史の上で同じ種類、あるいは、音質の近い二種類の三味線の掛合いの音楽は、音楽的にも技法的にも充分に洗練された成果が挙げられてていると考えられる。そうした伝統を踏まえながら、更に伝統的には見受けられない形、即ち音質の著しく違った、細棹、中棹、太棹、の三種の三味線を組み合わせる事により、三声的な音楽を試みて欲しい」というものでした。
こうしたことをふまえ、音律および旋律音型は近世邦楽で確立されているもののみを使用し、組み合わせるという邦楽本来の作曲法にのっとりました。
また、三声的な音の流れの中で各音が生きるためには、三種の三味線の音色の違いは非常に有効であり、更に各楽章は洋楽の楽式法に基づいてまとめられております。
初演は、細棹、杵屋五三郎さん、中棹、中能島欣一さん、太棹、鶴澤清治さんという古典的、伝統的な技法において卓越した技量を持つと共に、優れた現代感覚を備えた方々に演奏していただく事ができました。
そして今回、杵屋静子さんのリサイタルで取り上げていただき、中棹に矢崎朋子さんを加え、これまた素晴らしい方の顔合わせにより舞台初演をしていただくことになりました。
長唄
鞍馬山
二世杵屋勝三郎

1856年
稚児姿の牛若丸が幼い頃に別れた母を思い、そして天狗を相手に剣道修行の有様を述べた勇ましい曲。
平の宗清の情で命助かり、僧正坊、天狗を相手に剣の道に励む。
長唄
黒髪
湖出市十郎
初世杵屋佐吉

桜田治助

1784年
長唄の中に「めりやす」という種類の曲想があり、その代表的な曲と想われる。詞の美しい幽艶な独吟曲。江戸桐座の顔見世狂言の中で、辰姫が頼朝を待ち明かす一人舞台の独吟に使っためりやすの唄で、これが上方で流行って地唄にもなる。
長唄
外記猿
十世杵屋六左衛門
 
1824年
小猿を背負うて町々を渡り暮らす猿回しがお屋敷に呼び込まれて猿の芸を見せるという筋の話で「石橋」「傀儡師」それにこの曲の三つは外記猿三部曲と言われている。
三絃二重奏曲
呼応
杵屋正邦

1964年
伝統的手法である清掻(すががき)を発展させて作曲した器楽曲で、二人の奏者のリズムを半間ずつ、ずらせて同じ音形を弾く。
長唄
心の四季
三世今藤長十郎
土岐善麿


1956年
(昭和31年文部省芸術祭奨励賞受賞作品)
土岐善麿先生の書かれた文をご紹介いたします。
作者の言葉・・長唄の曲に四季を扱ったものは少ないが、これはいくらか新工夫で、万葉の奈良、源氏物語の平安、堤中納言物語の鎌倉、芭蕉の江戸、と時代を取り、大伴家持の名歌三首を春に、夏は葵祭りの車争いから東京の山王祭へ特急的にとんで都会的情緒を出した。秋は野々宮の虫の音から虫めずる姫を誘い出し、冬は木枯らしで芭蕉の漂泊の生涯・・・
人間は古今様々な心を持つが自然は歳月を超えて常に悠々としている。
長唄
寿
作曲者、年代共に不詳

共白髪まで夫婦で長寿を祝う曲。
長唄
寿二人猩々
九世杵屋六左衛門


1810年
能の「猩々」によって作られたもの。
酒の徳をたたえ酒を飲んで楽しむ華やかで爽快な曲。
長唄
五郎
十世杵屋六左衛門

1841年
曽我五郎時致が化粧坂の少将の許へ廓下通いの華やかな所作で、凛々しくもあり麗しくもあり、大きくて壮快な曲。
長唄
五條橋
杵屋正邦

1903年
真夜中、人通りの絶えた京の五條橋の橋の上、笛を吹く牛若丸と千本目の剣を取りにきた弁慶の立ちまわりの勇ましい曲。
長唄
鷺娘
冨士田吉次
杵屋忠次郎

1762年
三変化所作事 柳雛諸鳥囀


長唄
五月雨
四世杵屋佐吉
香取仙乃助


1924年
五月雨けぶる水辺に紺の蛇の目の傘をさひて物思いにふける女を主題にして飛び交う燕、鐘の音、筝の音などを配した曲。
合奏曲
さらし幻想曲
中能島欣一

1943年
三弦・筝・フル−トのための合奏曲。古典の「さらし」から幾つかの旋律を取り、更に自由に変化、発展させフル−トの特徴も生かして作られた三章からなる器楽曲。なお「さらし」という古典は、宇治川の槙の島の布ざらしの情景と付近の名所を歌った地歌。(邦楽社 楽譜本より)
長唄
三曲糸の調べ
九世杵屋六左衛門 三曲と言うと、筝、三味線、尺八の三つの楽器を主として合奏される場合を指して言います。この曲に用いられている「三曲」の意は、筝、胡弓、三味線の三つの楽器を指しています。
最初に、義太夫三味線それから筝、胡弓、長唄三味線と各々の楽器の特徴を出せるように作曲されています。
義太夫や歌舞伎の「阿古屋琴責の段」の文句をそのままに使われている。
長唄
四季の山姥
十一世杵屋六左衛門

1862年
邦楽では山姥を題材とした「山姥もの」という一群があります。北面の武士と契りを結んだ京都九条の里の遊女八重桐が後に足柄山中に入り、前身を語る春夏秋の廓気分と、山間の冬の描写。変化に富みすぐれた作品。
長唄
汐汲
三世杵屋正治郎
二世桜田治助


1811年
須磨の浦に流された在原の業平は海女の松風村雨姉妹に馴れ初め、三年の後、勅免され都に戻る。
形見に烏帽子・狩衣を残して。
長唄
賤の苧環
五世杵屋勘五郎
菊池武徳


1908年
源義経の恋人 静御前が平家に捉えられ、鎌倉八幡宮若宮堂で舞ったくだりを取り扱ったもの
長唄
賎機帯
十世杵屋六左衛門

1828年
女物の賎機帯は能狂言の隅田川の物語で人攫いにさらわれた梅若丸を追って都白河から東に下ってきます。能では母親が子供の行方を尋ねる狂女物五つの内この曲だけ遂に生きてめぐり合う事のできぬ哀傷随一の曲です。
清元・長唄掛合い
舌出し三番叟
二世杵屋正治郎
二世桜田治助

1812年
三世中村歌右衛門が帰阪のお名残としてできた舞踊曲で、初演の時は長唄と富本の掛合いでしたが富本から出た清元浄瑠璃を聞いた延寿太夫によって、清元と長唄の掛合いになった曲で、長唄の「三番叟」物の中では一番賑やかな曲である。
長唄
忍車
二世杵屋勝三郎

1858年
佇伽の神社の前の舞台で「だんまり」に使った唄浄瑠璃。くどきは車づくしで榻(しぢ)のはしがき、忍車、網代車、力車、七の車などが歌い込まれている。
長唄
島の千歳
五世杵屋勘五郎
作調 :
七世望月太左衛門
大槻如電 

1904年
七世望月太左衛門襲名の披露曲として開曲された小鼓一調の曲
委嘱初演
樹林/水脈
井上鑑 昨夏、演奏旅行で北京に参りました、その時井上鑑氏が三味線のために書いてくださった曲は誠に美しい曲でした。滞在最後の日第20回ライヴのための作曲を依頼いたしました。
新しい三味線の曲の誕生を楽しみにまっております。(杵屋静子)
文学と音楽と並んで

大つごもり

叙情
杵屋正邦
本:
樋口一葉

1964年
大つごもり
二円の借金を返さなければ年越しができぬ祖父のために主家の金を盗む”お峰”の心の動揺をつぶさに追う・・・裏路地の世界から明治社会の陽の当たる場所相対化してゆく一葉のしたたかなまなざしが作品の隅々にまで行き渡る。(前田愛「岩波文庫解説より)
叙情
あわただしい明け暮れのさなかに、ふと想う時を得て心を弦に託し、殆ど一気に書き上げた作品です。調子は情を述べるに足る三下がり。(杵屋正邦・博信堂楽譜本より)
新平家物語序曲 杵屋正邦
原作:
吉田英治


1957年
長唄協会委嘱の大合奏曲である。
筝曲
新娘道成寺
(鐘ケ岬)
石川勾当

1830〜40年
筝曲八重衣などの名曲を残している作曲者が、三味線曲をして作曲したと言われている。歌詞は長唄娘道成寺の「鐘に怨みは」から「思い染めたが縁じゃえ」までで、道成寺伝説と直接の関係はない。
長唄
末広がり
四世杵屋六三郎


1854年
太郎冠者が主人に云い付けられて末広(扇)を買いに出かけ、間違えて傘を買って帰ると云う趣向。
長唄
助六
十世杵屋六左衛門
桜田治助


1839年
歌舞伎狂言の助六は昔から幾度も繰り返されて、その浄瑠璃も又幾種類ができました。そして今日代表的に伝わっているのは河東節です。
後年作曲された長唄の助六は詞も曲も河東節に基づくところが多く作られています。
現代邦楽
筝三絃二重奏曲
杵屋正邦

1961年
三絃と筝という二つの伝統的邦楽器による楽曲ですが殊更安易な妥協的融合性は持たせず、両者が出来るだけ個性の主張を行うことにより従来の作品にみない独自性を与えようとした作品です。(博信堂 楽譜より)
長唄
其面影二人椀久
初世錦屋金蔵

1774年
男性の狂乱は恋人を、女性の狂乱は恋人やわが子を失ったための狂乱が多くあります。狂乱の姿を見せるのでは無く無心に踊り狂う舞踊の面白さを狙って作られています。
椀屋久右衛門は浪花の豪商で新町の遊女松山と深く馴染み豪遊を極めたため、座敷牢に入れられて狂います。
一人椀久(1772年)が作られる38年前(1734年)に二人椀久が二人の役者の所作で演じられているのに対し初世中村富十郎が一人で踊る椀久の所作を一人椀久と称したようです。今日演奏されているのは其面影二人椀久で一人椀久より2年後に作られています。(杵屋静子)
三重奏曲
太鼓の曲
杵屋正邦

1946年
〆太鼓、大太鼓、大拍子、鞨鼓(かっこ)等の持つリズムや音色感を三味線だけで汲み取れるように幾つかの部分に配分して作曲されている。この曲は三味線のみでも演奏されている。
対面三重 曽我の十郎五郎兄弟が花道に出てくる所に使われる合い方で一座の立三味線が独り弾きする。
長唄
宝船
初世杵屋佐吉

1784年
正月二日の初夢に縁起の良い夢を見たいと願い七福神の宝船の絵を枕の下に敷いて寝る風習があった。
長唄
巽八景
十世杵屋六左衛門
立川えん馬


1839年
江戸の昔には深川が遊里として全盛を極め、大江戸の辰巳に当たるので辰巳と言った。永代の帰帆、八幡の晩鐘、仲町の夜の雨、石場の暮雪、新地の晴嵐、洲崎の秋の月、櫓下の夕照,など遊里を中心に情景を謡った曲。
長唄
昔噺たぬき
二世杵屋勝三郎

1864年
長唄としては類の無い、ふざけたケレンものでその内容は文福茶釜や、狸の腹鼓、軽業、綱渡り等、狸に縁のある事象を寄せ集めて1曲にまとめたもので、打楽器を沢山使うと面白くなります。
三味線合奏と打楽器による
玉桂

長澤勝俊


1995年
この曲は1981年、杵屋静子さんの委嘱により、三味線独奏曲をして作曲、初演されました
1995年、NHK千葉放送局の委嘱により「玉桂-三味線と打楽器による-」ヴァ−ジョンを作曲。
三味線による合奏の面白さと、打楽器の掛合いの中に、アンサンブルの可能性を追い求めた作品です。
(長澤勝俊)
長唄
多摩川
五世杵屋勘五郎
永井素岳

1908年
日本六玉川の1つで、源をイザルガ獄に発し、北都留郡に入って丹波川と言い、多摩郡に入って初めて多摩川と称する。
筝曲
千鳥
吉沢検校
1860年頃
雅楽の筝の調絃にヒントを得て古今調子をあみだし、古今組と総称される千鳥の曲、春の曲、夏の曲、秋の曲、冬の曲を作曲した。
長唄
三世今藤長十郎
深尾須磨子


1959年
昭和34年度芸術祭奨励賞、団体賞受賞。
「日、月、星」の内の一曲。
長唄
綱館
三世杵屋勘五郎

1869年
源頼光の家来、渡辺綱は羅生門で悪鬼茨木童子の腕を切り落とし武名を轟かせております。悪鬼は綱の伯母に化けて腕を取り返しにきます。心優しい伯母と悪鬼、武勇に優れそして人情にほだされる若武者の物語性の濃い曲です。その昔江戸中村座で演じられたが世に出ないで埋もれていたのを123年後に、新生された曲。
詞曲
三枝孝栄
長田午狂


1977年
舞踊家グル−プの委嘱で作曲された。オ−ケストラに唄、三味線、小鼓、筝を加えた大編成の曲で既にレコ−ド・テ−プ等が発売されて各流派の舞踊家が舞台にかけている。
三人での演奏は始めての試み。
長唄
木賊刈
初世杵屋正次郎

1797年
園原山は信濃国の木賊の名所、元気な翁が秋の夜の月光をあびて木賊を刈る。木賊は物を磨くものだから「心を磨く種にも」と縁づけて、自分も心をみがく木賊を刈ろうと云い掛ける。曲の中ほど、鼓唄がきかせ所になっている。
長唄
藤船頌
三世今藤長十郎
作調:
四世藤舎呂船
林悌三


1957年
四世藤舎呂船の襲名披露記念に開曲された。大体小鼓一調のために作られているが、笛もしえられている。
長唄
常磐
十世杵屋六左衛門
毛利候


1851年
安芸の厳島明神の縁起から筆を起こし、江戸の芝浦から高輪の沖へかけての景色を叙したもの。
長唄
鳥羽の恋塚
四世吉住小三郎
半井桃水


1903年
高尾の文覚上人の若き日の恋の物語。渡辺渡の妻袈裟御前を見初め我が物にしようとして・・
長唄
供奴
十世杵屋六左衛門


1828年
中村芝翫の当たり芸のひとつで芝翫奴とも云う。
長唄
楠公
十三世杵屋六左衛門
榎本虎彦


1902年
曲の前半は楠木正成、正行親子の桜井の駅の悲しい別れ、後半は湊川の合戦の勇ましい模様を語る。
文学と音楽と並んで
にごりえ
 
樋口一葉

1985年
酌婦の身を嘆きつつ日を送るお力のはかない生涯・・・
明治29年24歳でその生を終えた女性作家、樋口一葉が語った明治の女性達の生、その抱える存在としての苦悩は、現在の女性達が抱える生の困難と確かに響きあっている。(菅聡子)
長唄
軒端の松
二世杵屋勝三郎

1845年
江戸新川から売り出された銘酒「軒端の松」の宣伝に作られた作曲者二十二才の処女作である。
長唄
橋弁慶
三世杵屋勘五郎

1868年
謡曲「橋弁慶」を長唄にしたもので主役の弁慶と、更に強い牛若丸が長刀を小太刀で戦う、重々しくて、勇ましい曲です。
長唄
花の友
杵屋三五郎

1830年
売り出された銘茶「花の友」の宣伝に作られた茶の銘茶の用語、香の用語等が詠み込まれている。
長唄
春の調べ
三世杵屋勝三郎

1865年
春霞、鶯の初音、雪どけの山など早春の情景を描いて、のどかな御世太平のよろこびを祝福した曲。
三絃独奏曲
盤渉調
中能島欣一

1941年
題名は中国及び日本で1オクタ−ブを構成する12の音の名称の1つで、壱越(いちこつ)平調(ひょうじょう)双調(そうぢょう)黄色(おおしき)などで盤渉は五線譜真ん中の三線上の「シ」の音になる。
長唄
瓢箪鯰
四世杵屋三郎助
瀬川如皐


1828年
七変化の所作事「拙筆力七以呂波」の一つで、長唄と常磐津の掛け合いで演じられた洒落た曲。
長唄
福助
二世杵屋作十郎
二世桜田治助

1823年
江戸時代縁起直しの玩具として浅草今戸焼きの福助が非常に流行った。雷門の名物玩具の宣伝長唄。
長唄
藤娘
四世杵屋六三郎
藤井源八


1826年
有名な大津絵の図柄を舞踊化したもの。
2つの三味線と小鼓による三章 長沢勝俊

1978年
三味線と小鼓の持つ豊かな音色と表現力を巧みに活かした三重奏曲で、第一章「やさしく」、第二章「気魄をもって」、第三章「軽快に躍動的に」との指定があり、第二・第三章は連続して演奏される。ロスアンジェルスでの初演以来、国内の再演でも三味線Tは殆ど杵屋静子が担当してきた。小鼓の掛声は即興に任されているので、奏者によるその違いもまたこの曲の興味の一つである。 
長唄
船弁慶
二世杵屋勝三郎

1870年
歌詞はほとんど謡曲の船弁慶そのままで、明治の初年頃は能楽も振るわず能役者日吉吉左衛門が能に三味線を加え、今様能楽と称して興行した時に作られた曲。同年に作曲された阿立ケ原と後に作曲された虎狩は杵勝三伝と云われている。
前半はシテ(主役)静御前と義経の別れ、後半シテ知盛と弁慶の戦いは祈り伏せて亡霊を追い払う。
長唄
蓬莱
四世杵屋六三郎

1840年頃
中国の仮想上の神山で日本では 祝、喜、寿の意に用いている。
廓を蓬莱にみたて、遊女を仙女に見立てている。
幕三重
舞台の道具を替える間、幕の中で演奏するもので独奏である。

三世杵屋栄蔵
九世望月太左衛門

佐々木信綱

1941年
清元「藤」と共に藤間流家元 藤間勘右衛門 お流儀の名取試験曲として作られた。
長唄
松の緑
四世杵屋六三郎

1840年頃
杵屋六三郎が六翁となってからの作で、娘せいが杵屋六と改名披露した時に出来た曲で長唄の代表的な独吟曲です。そして有名な勧進帳も六三郎時代の作品です。娘を松のみどり、松の若木にたとえて、その初々しさを述べ、やがて年を重ねて末広を、と結び祝している。
長唄
三勝道行
杵屋作十郎

1756年
年代が古く長唄としては初期の作品で上方浄瑠璃や地唄の影響が大きく残っている道行もの。三勝と半七が千日寺へ死にに行く道行きの哀切感の曲。
長唄
都鳥
二世杵屋勝三郎

1855年
芝居の独吟に使われたもので、作詞者は不明だが文章は洗練されて簡潔によくまとまっており「名にそわば言問わん都鳥 わが思う人はありやなしや」とあり在原業平に歌われて以来、隅田川の都鳥を主題として、色々な歌や文章に紹介されている。
長唄
虫の声
杵屋六四郎
中村蝶二

1918年
兎と亀、吉住小三郎作曲のお月様、起き上がり小法師、の四曲は手ほどき新曲として初演されました。
長唄
娘道成寺
初世杵屋弥三郎

1753年
初代中村富十郎が江戸下がりの初お目見えとして出した所作事で、謡曲の道成寺から趣向を取ったもの謡曲の道成寺は紀州日高の寺、道成寺に伝わる安珍・清姫の物語で、それから趣向を取った娘道成寺は白拍子の踊りが主となって、次から次へと小唄の連続で、唄と唄の間にはなんらの繋がった意味も無いが作曲と振り付けが良く出来ていて演奏に舞踊に人気第一の曲。物語性は少ないが妖精の白拍子、町娘、恋に悩む娘、鞨鼓に興じる娘の舞踊性を主にした曲。
尺八・三絃二重奏曲
明鏡
杵屋正邦

1975年
尺八が胡弓に代わって三曲構成の一翼を担うようになってから既に久しく今では一般に、尺八の合奏は筝曲系の楽器や奏者によるものが最も自然で且つ、融合しやすいと考えられているようです。正にその通りであろうかと思われますが、かえって、尺八本曲、就中、琴古流系の演奏に想いを致す時、その間合いや呼吸法には長唄を含む三味線音楽のそれと極めて相似するものがあり、そこに新しい組み合わせの可能性を感取することができます。
先ず、遅い部分のやり取りから始まり、次で軽快な動きから、やや長めのフレ−ズの交互演奏、転じて急速調となり、最後に冒頭と異なる遅い曲調をもって終わります。(杵屋正邦著 博信堂楽譜本より)
長唄
もみじば
初世杵屋新右衛門

1744年
吉原のおいらん十代目高尾の亡霊が現れて、身の罪業を懺悔する。長唄「高尾懺悔」の一節を独吟ものとして演じられている。
長唄
桃太郎
四世吉住小三郎
三世杵屋六四郎

黒田撫泉

1906年
桃から生まれた桃太郎のお伽話。
清元
保名
清沢万吉
篠田金次

1818年
安部保名が恋人榊の前の死に狂い、形見の小袖を手に蝶を追い狂乱の哀れを漂わす曲。
長唄
熊野
三世稀音家六四郎


明治28年
歌詞は‘能‘の詞章をほとんどそのままに用いている。
歌詞と構成の面では最も能に忠実な曲の一つである
したがって当然ながらコトバの部分も多く、内容は非常に劇的で、本来舞踊曲本位だった長唄の中では異色の存在であるが、それでいて単なる能の模倣ではなく、唄・三味線ともによく工夫を凝らし、全体に極めて巧みに音楽化している。
二十歳の時の作曲(二作目)であるが、自らも会心の作とし、世人からも研精会派の演奏曲目中の傑作の一つとされている。(第七回杵屋静子リサイタルの熊野演奏のために書かれた上参郷祐康先生の解説)
長唄
吉原雀
冨士田吉次
杵屋作十郎

桜田治助

1768年
吉原雀は元来、葭原(よしはら)の中で啼いている葭切のことを云うのだが、吉原を流す素見ぞめき(ひやかしの客)の客を吉原雀と云う。
先ず、放生会の故事から説き始めて廓の諸訳となる。
長唄
漁師
二世杵屋勝五郎

1832年
凪と汐どきに恵まれて、良い獲物を得た漁師が、上機嫌で浮かれているありさまを舞踊曲に作られた曲。