徳川大坂城 東六甲採石場…それは、六甲前山の南東麓、現在の神戸市 東灘区〜西宮市にかけて所在する、徳川幕府による大坂城 再築(元和6年{1620}〜寛永6年{1629})に伴う石切(採石)丁場。当時の歴史的ドラマ・規模・学術的な価値もろもろで、世界遺産にも匹敵すると云える遺跡です。 近畿で開かれた考古学関連の現地説明会の資料等を公開するサイト http://www.keyton-co.jp/gensetu/index.html 等も ご参照ください。 ところが近辺は大阪・神戸の二大都市に近接して眺望も良い、日本でも屈指の高級住宅街として有名であり、ここも従来の延長線上にある宅地乱開発で消されようとしています。 私は、2005年正月の撮影旅行の帰り…夜でしたが、少しだけ現場を訪れるに至りました。現場は夜景が良く眺められたのですが、全体が急な山斜面であり、周囲は密集した住宅街に囲まれ、狭くて急で見通しの悪い車道が迷路のよう張り巡らされていました。 そこを車で巡った訳ですが、登りはエンジンを高回転まで回し、降りはブレーキを多用することが要求される、極めて不自由でエネルギー効率が悪く、また危険で道が極めて判りにくい難路でした。とにかく無秩序な一帯であり、カーナビが無いと到達は困難でしょう。 徳川大坂城 東六甲採石場に話を戻すと、現場上部を東西に切り裂く車道に出て、立ち入り禁止の柵が有るので「ここだ!」と思いました。柵越しに現場を覗くと、急な斜面を成す一帯が夜景の灯かりで微かに見渡せました。樹木は、下の方に僅かに残っているだけのようでした。斜面は車道の上部にも展開しており、其処には樹木が多く有りましたが、やはり宅地開発で潰されている最中でした(=_=;) 此処が今日まで破壊から免れたのは、この近辺でも特に急峻な地形だったため開発が後手に回ったのではないか?! そんな印象すら抱けました。 とにかく周囲は宅地開発によって破壊し尽くされ、もはや自然地形が残っているのは此処だけ!しかも世界遺産級の遺跡を包蔵している!!!この現場に選択の余地など在りません。今すぐ乱開発を中止し、世界のために先ず保存し、活用に向けて動くのです!やれば出来ます。やれば、やった通りに成ります。ははは…当り前ですねぇ。 | |
2005年2月16日 要 望 書 兵庫県知事 井戸 敏三 様溪慈(keiji)
しかし芦屋市は、そうした発掘成果も余すところなく市民に伝えるという"文化財行政としての責任"を果たすことなく調査を打ち切り 業者に引き渡した結果、遺跡の存在すら市民に浸透していない状態で抹消に向かう異常事態に至っていることは、『市民の会』が配布したビラで遺跡の存在を知り、行政の不徳に憤慨された市民の存在からも覗えます。 記 1.芦屋市は、文化財保護法の趣旨に基づいて、文化財行政としての然るべき責任を果たすべく、前述のような発掘成果も 芦屋市民に限らず全国的に余すところなく伝える十分な説明会などを開くよう、貴職の権限でご指導くださるよう強く要望いたします。2.時代に逆行した宅地乱開発を即時凍結させるとともに、遺跡一帯の現場は、徳川大阪城再建の舞台に思い馳せ、一帯の風景まで望める眺望史跡公園として保存・活用させるなどの然るべき方策を、毅然と取り組まれることを強く要望いたします。 なお、本要望書は請願法に基づく要望とし、2005年3月末日迄に、本要望に対する兵庫県知事 井戸敏三 様のご対応および芦屋市の対応についてご返答いただくことを求める公開要望書 http://www7.plala.or.jp/keiji/request_1.htm とさせて戴きます。 以上 |