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エロス+虐殺

 純粋の芸術映画か、あるいは映画を前進させる意図の下に作られた実験映画を配給する。こうした旗印で活動を開始した日本アート・シアター・ギルド(ATG)が、いわゆる独立プロダクションと提携して映画制作に乗り出したのは1967年のことだった。製作予算1000万円という厳しい条件にも関わらず、今村昌平、大島渚、岡本喜八、篠田正浩、熊井啓ら、大手映画会社を退社した監督たちが次々と意欲的な作品を発表、国内外問わず今も評価されつづけているものも少なくない。
 1966年に松竹を退社し、現代映画社を興していた吉田喜重もまた、ATGでの公開を前提に、大正時代のアナーキスト・大杉栄をめぐる愛憎関係に材を得た映画に着手した。『エロス+虐殺』と題されたこの作品は、結局企画段階で1000万の予算枠に収まらないことが確実になりATGは出資を断念したが、吉田の現代映画社による完全な自主制作映画として完成し、1970年3月14日に、ATGの配給で公開された。
 一柳慧が音楽監督を務めたこの映画のサウンドトラックに、エイプリル・フールが演奏で参加していることはよく知られている。映画公開後の1970年4月には10インチのサウンドトラック盤が発売され、そのB面の曲「ジャズ・ロック」は、エイプリル・フールの音源として、いくつかのコンピレーションCDにも収録された。一聴してわかるように、この曲ではほとんど柳田ヒロのソロ・パフォーマンスかというほど彼のオルガンがフィーチャーされている。クレジット上の作曲は一柳慧と伝わっているが、柳田のインプロヴィゼーションに頼るところが大きい印象を受ける。特にベースパートは最も存在感が稀薄であり、一部では細野の参加を疑問視する声も上がっていた。
 2000年3月になって、この問題にはひとつの解答が与えられた。『HOSONO BOX』同梱ブックレットにおける細野のディスコグラフィで、『エロス+虐殺』サントラ盤に関する注釈部分に「細野晴臣は不参加」との記述があったのだ。エイプリル・フール名義の音源であることから中途半端に定説と化していた細野の参加が、ここではっきりと否定されたことは喜ばしい。しかしこのことは新たな疑問を引き起こさずにはおかない。すなわち、『エロス+虐殺』のディスク化された以外のサウンドトラックにも細野は不参加なのだろうか、という疑問である。
 この問の答えを探るためには、まず『エロス+虐殺』とエイプリル・フールとの関わりを押さえなければならない。映画音楽という枠の中で、エイプリル・フールに求められていた役割はなんだったのか。
 映画『エロス+虐殺』は、大杉栄の生きた大正時代と映画製作当時の現代とが交錯しながら展開するという複雑な構造を持っている。完成作品を観る限り、一柳慧はこの映画で描かれるふたつの時代に、それぞれ全く異なる音楽ディレクションをしたようだ。大正のシーンでは、一部に効果音的な電子音楽を用いつつも、基本的に小編成の弦楽によるひとつのテーマで展開し、これに対して現代のシーンでは製作当時の若者文化を象徴するようなサイケデリックなバンド・サウンドをつける、というように。そして後者を表現する上で選ばれたバンドこそ、高い演奏能力で東京のライブ・シーンをリードしていたエイプリル・フールだったということなのだろう。
 現代音楽の作曲家とディスコ中心に活動するロック・グループという取り合わせは、一見違和感があるように思える。だが、当時アメリカから帰国して間もなかった一柳は、60年代後半の日本の文化状況に対して非常に柔軟かつ広い視野を持っていた。例えば次のような発言(※1)はそのことをよく表している。

「いまはコンサート・ホールが雨後の筍みたいにどんどんできてますが、60年代後半にできたのはディスコテックですね。ディスコテックもその頃のものはただ音楽があって踊るというのではなくて、非常に解放された空間になっていたと思います」
「当時、ポップやサイケとクラシックを等価に扱おうと思って、例えば東京文化会館で『オーケストラル・スペース現代音楽祭』の2回目にロックとオーケストラを共演させたりということをやっているんですよ。すごい顰蹙を買って(笑)。つまり、特に日本では、音楽というのは一番種類の多い分野なんですよね。だからなんとなく暗黙のヒエラルキーがあるんです。一番上はヨーロッパのクラシック音楽で、一番下は日本の歌謡曲という感じで、中間にロックとか民族音楽とかジャズとかが入っているわけですね。とにかくオーケストラは一番上だと思っているから、ロックが同じステージに出てくるということにすごい抵抗があるんですね(笑)」

 無論『エロス+虐殺』においては、大正時代のシーンの音楽と現代のシーンの音楽との間に、ヒエラルキーなど存在しない。一柳が『エロス+虐殺』を「ポップやサイケとクラシックを等価に」扱うことを実践するひとつの機会と捉えていたとすれば、エイプリル・フールの起用は彼にとって極めて自然な流れだったのではないかとも思える。
 一柳のディレクションの下でエイプリル・フールにそのような役割が与えられたとして、実際の音楽制作がいつ行われたのかということも、細野の参加を占う上では重要な意味を持つ。エイプリル・フールは短命なグループだった。仮に音楽制作の時期が解散間近と重なるようなことがあるとすれば、細野はプロジェクト自体に関わっていない可能性があるからだ。
 山田正弘・吉田喜重の脚本によると「現代」のシーンは1969年3月〜4月と設定されており、撮影自体もこの時期に行われたものとみてよいだろう。映画音楽が通常、撮影と編集の終了後、あるいは編集と平行して制作されると仮定すれば、その作業時期は同年4月以降ではないかという推論が成り立つ。
 さらにもうひとつ見過ごしてならない事実がある。1970年3月の公開を約半年も遡る1969年8月に、この映画はフランスのアビニヨン映画祭で上映されているのだ。つまりその時点で作品は完成していたわけであり、これによって音楽制作時期はさらに絞り込まれてくる。
 1969年4月ごろから夏前まで。この時期はエイプリル・フールがグループとして演奏を続けていた実質的な活動期間とほぼ一致している。果たしてエイプリル・フールは、細野も含めたオリジナル・メンバーでこのプロジェクトに参加したのか、あるいは、名義はエイプリル・フールであっても、やはり細野は参加していなかったのか。
 我々は想像の拠り所を、実際に映画で使用された音楽そのものに求める他ない。
 今日観ることのできる映画『エロス+虐殺』は、登場人物のひとりのモデル・神近市子が映画での刃傷事件の描写はプライバシーの侵害であると主張したことに配慮して再編集が施されたバージョンであり、「完全版」ではないのだが、それでもなお3時間近い長尺となっている。音楽がつけられているシーンは全部で17。うち「現代」のシーンは次の6つである。(※2)

1. 1969年3月7日・金曜日・午後/CFディレクター・畝間満(川辺久造)のスタジオで行われている撮影を、学生・束帯永子(伊井利子)と和田究(原田大二郎)が眺めているシーン。

2. 1969年3月13日・木曜日・午後・新宿西口・副都心造成地/永子と和田の対話のシーン。

3. 1969年3月31日・月曜日・喫茶店フランソワの中/永子と刑事・日代真実二(金内喜久夫)の対話のシーン。

4. 新宿の街頭/永子と伊藤野枝(岡田茉利子)が出会うイメージシーン。

5. 4月1日・火曜日・午後3時40分・畝間のスタジオ/永子と和田の対話のシーン。

6. 4月1日・火曜日・午後4時50分・畝間のスタジオ/永子と和田のラブシーン。

 4につけられた音楽が「ジャズ・ロック」としてディスク化されたものだ。他の5つのシーンは、オルガンとギターのソロが延々と続く中でドラムとベースも存在を主張する、より明確なバンド・サウンドにのって展開するが、曲自体は2曲しかない(1・3・5が同一曲、2・6が同一曲で、シーンによって使われている部分が異なる)。6つのシーンすべてに20歳の女子大生・永子が絡んでいることからも、一柳慧のディレクションはやはり同時代の音楽に若い世代を象徴させようとする明確な意図を感じさせる(一柳は、即興演奏と思われるこれらの曲を作曲はしていないのではないか)。
 エイプリル・フールの関与状況について、音を聴いた上で言えるのは、第一にすべてがインストゥルメンタル・ナンバーであり、従って小坂忠はプロジェクトに不参加だろうというごく当たり前のこと。そして第二に、即興主体のこのセッションが柳田ヒロ・菊池英二主導で行われていたとしても、やはりここでのベース・プレイは細野以外によるものとは考えにくいということである。ダイアローグの隙間から聴こえてくるサウンドには、アルバム『エイプリル・フール』で展開されたそれと同じ匂いが感じられる。例えば上記1+3+5はどこか「Another Time」の倦怠感を思わせるし、2+6の煽情的なグルーヴからは「母なる大地 I」的な狂熱を想起せずにはいられない。
 しかしそれらの印象もまた希望的観測の域を出ないし、残念ながら今後も「答え」が与えられる可能性は低いと言えるだろう。フランスでも日本でも絶賛された『エロス+虐殺』を映画作品として捉え直す試みは、完成から30年以上を経てなお繰り返されていくかもしれないが、その音楽という一側面に関心を払う者が圧倒的な少数派であり続けることは疑いようがないのだから。我々にできるのはただひとつ、残された音を、ある期待とともに聴くことを置いて他にはない。

(文中敬称略)

※1 一柳慧の発言は『Inter Communication』26(NTT出版/1998年)での磯崎新との対談より。
※2 以下、各シーンの日時等の設定は、山田正弘・吉田喜重によるシナリオより。

<参考文献>
アートシアター75『エロス+虐殺』 日本アート・シアター・ギルド/1970年
シナリオ作家協会編『'70 年間代表シナリオ集』 ダヴィッド社/1971年
佐藤忠男『現代日本映画 1970年-1973年』 評論社/1974年
『ATG映画の全貌 日本映画篇』改訂版 夏書館/1981年


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