自らの魂を引き換えに情熱をキャンバスに叩きつけた孤高の画家・山本弘 遺作展U‐ 額縁の中の深淵 ‐ を開催しています。
東京・銀座での遺作展以来でしょうか。
ゴッホやモジリア―ニ同様古今東西、時間を超越して存在する画というものがある。山本弘の絵画もそのひとつだ。生と死の狭間の中で心の葛藤に苦しみもがきながらも絵画に全てを捧げ、死を選ぶしかなかった孤独な天才。
自らが放つ閃光が眩しすぎて、深淵の闇の中で静かに瞼を塞いでいた幻の秘蔵作品(1956年〜1958年)8点余りを展示しています。
Metro Gallery
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山本弘 Hiroshi Yamamoto 1930〜1981
ウィキペディア (Wikipedia) より
1930年6月15日、長野県下伊那郡神稲村(現豊丘村)に生まれる。まもなく父親について長野県飯田市へ転居する。1945年予科練に入ると言って上京するが入隊しなかった模様で、帰郷してまもなく終戦を迎える。戦後ヒロポン中毒に苦しみ、何度も自殺未遂を繰り返す。
帝国美術学校(現武蔵野美術大学)に入学するが中退。中央線沿線に住み、池田龍雄らと付き合う。菊華女子高校で開かれた第1回杉並文化展に出品する。20歳代早いころ飯田市へ帰る。日本アンデパンダン展等に出品する。相変わらず何度も自殺未遂を繰り返す。
34歳で結婚、以後アルコール中毒に苦しみながら油彩を制作し続ける。飯田市で何度も個展を開く。40歳代後半、2度アル中治療のため飯田病院へ入院するが完治に至らず。最後に1年余の入院から退院後まもなく自殺する。1981年7月15日、51歳だった。
死後、飯田市立美術博物館に50点余収蔵される。また美術評論家の針生一郎に絶賛され、東京都京橋の東邦画廊で遺作展を繰り返し、瀬木慎一、ワシオトシヒコ等美術評論家より高い評価を受ける。その後、銀座や日本橋の兜屋画廊、77ギャラリー、ギャラリー汲美で個展を開いている