反日の言説


 ここでは韓国(たまに北朝鮮)の反日言説をコレクションした。最近の新聞記事以外は、多くを以下の著作から孫引きした。

   鄭大均『日韓のパラレリズム』三交社, 1992年.
   鄭大均『日本のイメージ』中公新書, 1998年.
   鄭大均『在日・強制連行の神話』文春新書, 2004年.
   野平俊水『韓国・反日小説の書き方』亜紀書房, 1996年.
   古田博司『朝鮮民族を読み解く』ちくま新書, 1995年.

 なお、著作や記事の全体的なトーンは、抜粋によって伝えられるものではなく、当たり前だが全体を読まなければ分からない。以下で抜粋を示したものの中でも、たとえば朝鮮日報編『韓国人が見た日本』のように、全体としては極めて親日的なものもある。このページのような選択的な抜粋を読んだだけでは、全体のトーンに対して誤解する可能性もあるが、知ったことではない。






◆日本野蛮論


 古田博司によると中国・韓国・北朝鮮のナショナリズムは、中華思想という古層の上に民族主義という新層が載った二重構造になっている。古層には侮日観があり、新層には反日感情がある。韓国・北朝鮮の小中華思想では、朝鮮は中華の礼を最も純粋・正統に受け継ぐ「東方礼儀之国」であり、日本は華夷秩序で最下位に位置する野蛮人の地ということになっている。礼とはマナー、コスチューム、セレモニーのことだそうで、これらが中国古来の伝統に従っていないと、直ちに軽蔑の対象になり、いくら罵倒してもよいことになっている。江戸時代に来日した朝鮮通信使は、そうした日本を罵倒できるネタを鵜の目鷹の目で探していた。

倭言にいうカンムリは、いわゆる最上者の冠である。その形は盛り炭の容器のようだ。倭言のオリエボシは、いわゆる折烏帽で第二位である。その形は丁字のようだ。倭言のエボシは、いわゆる烏帽であり、その次の位である。奇々怪々で、ほとんど見るに忍びない。[第二回従事官・李景稷『扶桑録』]

君父の喪に慟哭の節なし。親の死に至っても少しも哀しむ心がない。衣服飲食も普通の人とかわらない。[第三回副使・姜弘重『東槎録』]

男子はみな半幅の青布で、へそから下を被っている。はなはだしいのになると隠さない。[第四回副使・金世濂『金東溟海槎録見聞雑記』]

貴賎なく皆草履をはいている。形は平履の制のごときである。前部に一本の縄があって、そこに足指を掛けて挟んで歩く。その形はひどく奇怪である。足袋は蛇の舌のようである。[第六回従事官・南龍翼『扶桑録』]

淫穢の行はまったく禽獣と同じで、家々では必ず浴室を設けて男女がともに裸で入浴し、白昼からたがいに狎れあう。[第九回製述官・申維翰『日本見聞雑録』]

毎日丘の上に倭女が集まって来て、乳房を差し出して、頭を下げて来いといい、尻を出してたたき、手招きもし、服をたくしあげて下半身をちらつかせ、呼びもしたが、恥もなく、風俗も淫乱だ。[第十一回三房書記・金仁謙『日東壮遊歌』]

 その後もしつこく華夷秩序を持ち出すのは、「日本は朝鮮より未開で野蛮な状態にとどまるのが正しい」という「あるべき歴史」観の押し付けか、または軍事的・経済的劣位を無視して文化的優位を主張し精神的勝利感を得ようとする阿Q的な思考方式のいずれかだろう。

日本が日本海中の三島倭人として離れて暮らしていた頃、我が文明と礼儀作法を学び、東洋の開化をこうむっていたのだが、現今に至り、自分たちが昔から文化的な人種であるとかこつけ自慢しても歴史上の事実を拒むことはできず、東洋の文明を「韓国」からもらったということを認めているのである。「日本」は近世、世界の変動の鎮まった機会を捉えて、いわゆる西洋文明というものを吸収し、また一方西洋の兵器等と戦争上の軍略を学び、ついには「韓国」を占領した。[李承晩「すべての同胞たちが三綱五倫を知り、護れ」1957年12月30日]

元来、東北アジア文化圏のなかで日本は、「倭人」といって中華文化の中心から遠く疎外された「絶域」に属していたという文化的「庶子」意識の劣等感が長期にわたって内在していた。伝統文化の序列は、どこまでも中国−韓国−日本(倭)という厳然たる順序ができあがっており、古代から倭は(略)韓国を上国とあがめていた。(略)日本帝国主義の対韓文化政策の底辺には常に、伝統文化圏内における自己卑下と劣等感を外来文化の手先となって自己が属していた文化圏を攻撃することに快感をおぼえる自虐的、病的なコンプレックスが潜在しており、そのコンプレックスが植民地政策としてあらわれるとき、政策遂行が残忍かつサディスティックな性格を帯びるようになる。[申一K, 新東亜 1971年9月号]

中国皇帝がこの五王に贈った将軍称号が、高句麗、百済王に贈ったそれよりはつねに下位にあったものの、倭の他の有力者たちに贈ったものよりは上位に位置していたという事実は、中国を中心とする冊封体制にあっては、倭王は上記二国の王よりは低い地位にあったものの、日本国内では他の豪族より一段高い地位を認められていたことを示している。[朝鮮日報編『韓国人が見た日本』1984年]

日本、日本人――かれらはいま、世界の先進国、先進国国民として世界をとび回っています。しかし日本人は、昔から世界を肩をいからして歩いたり、弱小国に向かって声高に威張りくさるような、そんな民族ではありませんでした。かれらは魚を獲って食べ、あるときは海賊をはたらいたりの、とるに足らない弱小民族でした。そのような力のない国だった日本が急に強くなり、わが国を掠奪したのです。[都鐘煥編『韓くにのこどもたち』1990年]

周知の事実だが、日本という国は元々「武」を崇拝し、「文」すなわち文化は非常に遅れていた。彼らは壬辰倭乱の時、我々の庶民が使っていた椀をもって行き国宝に指定する程だった(略)筆者は日本の読書熱の背景には、文化が遅れている彼らが何かを学んで文化民族のまねをしようとする要望が隠れていると見る。[金起秀「一事一言」朝鮮日報 1994年5月26日]

 日本文化に対しては、それがすべて外来のものだとか、あるいはつまらないものであると主張されて来た。最近では何でも韓国起源にしてしまう韓国人が多いが、これについてはWikipediaの「韓国起源説」の項に詳しいので、ここでは省略する。

日本の風俗文化にしても、私の目には、そのすべてに朝鮮的なものを見いだすことができる。建築、仏寺はそのすべてといいたいくらいであるけれども、神社にしても、庭園にしても、和服にしても、生け花にしても、味噌、醤油にしても、生活のあらゆる領域の様式の底辺には朝鮮的なものがあった。[金東旭『朝鮮文学史』1974年]

日本文化の性格を特徴づけるのに「月光文化」という言葉がある。(略)要するに、日本人は他人の長所をとって応用する術に長けており、月光のように、独創的ではないが、物まねには有能であるといえる。思考と論理においては論理性・体系性に欠ける。日本で禅仏教が盛んになったのもそのせいであろう。また島国である日本の文化はその規模と観点が狭いのも事実である。[金海宗「日本・日本人・日本文化」新東亜 1981年4月号]

外来文物の移植に余念のなかった飛鳥、奈良をはじめ、中世日本――平安、室町、桃山、元禄と多事多端な文化の起伏――、大陸の文化は活発に日本へ流れ入り、体質に合わぬ文化は韓半島という媒介体を経由することによってその消化不良症を未然に防ぐことも心得ていました。中華大陸が日本文化の母なら、さしずめ韓半島は無償の忠実な乳母でありました。[金素雲『こころの壁』1981年]

この世に日本人ほどケチな人間はいません。与えることができないというのは、文化がないということです。ケチな者は美と真理探究に関心がありません。文化があるとすれば、造花のようなものです。彼らはカネ集めと小さなトランジスターを作ることしか知りません。[朴景利, 東亜日報 1982年8月21日]

日本はいつも人の枠組と中身を盗んで来るか貰って来て、磨き上げることしかしなかった。中身と枠組がない国、彼らの政治理念は創造の活力が萎縮した民族を作ったのだ。[朴景利「日本散考」遺稿]

率直に言って、世界に普遍化されている文化のうち、日本のオリジナルなものはきわめてまれです。昔は中国や韓国から、そして近代以降は西欧からすべての文化を輸入したのが、日本文化の実情に他ならないからです。そうですから、その文化の表皮を一枚ずつ剥いでいくと、タマネギのように何も残りません。[李御寧『「縮み」志向の日本人』1982年]

日本は外来文化を受け入れることに熟達している。これはすなわち、日本自体の文化がないという話になる。文化創造の歴史的資源がない日本の模倣文化は、日本の生存それ自体だ。日本は日本文化形成に多くの影響を与えた国に中国を指称したがるが、韓国が絶対的で、その次が中国・ヨーロッパ等だ。[「日本の模倣文化と韓国の複写文化」慶南道民日報 2008年02月14日]

 日本人は排他的な島国根性の持ち主であるという主張もよくなされる。

たいてい口げんかや感情争いで言葉を激しくするのは、劣等意識が大きい側だ。日本には島国で発源される根深い劣等意識が存在する。[「日本人を正しく取扱う方法」オーマイニュース 2005年6月8日]

日本語の辞書に「島国根性」という単語がある。「島国の人々の排他的でせせこましい性質」という意味だ。島国根性から脱け出せない限り、日本は決して国際社会で指導的な役割を果たせない。[「日本は閉じた‘島国根性’から脱け出せ」東亜日報 2005年8月1日]

こうした日本人の“心理”を理解できなければ交渉は同床異夢の果てに“不平等交渉”になるほかない。日本は間違いなく「君が1つ出せば、私も1つあげよう」というやり方の、はたから見れば対等な交渉を主張するだろう。こうした交渉の結果は目に見えている。1億3000万人に迫る日本人一人ひとりが皆“非関税障壁”でねばっている限り、FTAを結んでも韓国が日本に売ることができる商品はほとんどないと思っても過言ではない。その上、日本は経済産業省が大型企業を後ろから手を差し出している。ソニーがシャープから液晶パネルの調達を受けて、半導体、携帯電話会社が合従連衝をしているのもすべて見えない手として作用する日本政府の教唆と作戦によるのだ。韓日FTAを決して楽観視することができない理由の数々だ。[「韓日FTAと日本の排他主義」中央日報 2008年3月26日]

 武士の伝統に対しては、ひねくれた解釈をして残虐性や執念深さを強調する。

「刀の文化」と呼ばれる日本に住んでみると、いつ、理由もなく、刀が飛び出してくるかもわからないという不安にかられる。このような刀の振り回しが頻発する理由とは何か。これは遺体に対して敬意を払わない文化的背景と「サムライ」支配社会からくる「刀の文化」に起因しているようである。これは近親結婚からくる精神病者が多いためではないだろうか。[宋孝彬『これが日本だ』1985年]

封建領主らの戦いの後に徳川家康の天下統一の時代が展開したというが、その平和はサムライの刀によって維持される平和だった。武力と恐怖と位階秩序の規範によって維持される平和だったと言っても誤りではないだろう。このような刀の文化の伝統が現代の残忍な暴力モノに現れていると言ったら過言だろうか。[金永明『日本の貧困』1994]

現代日本でサムライ式復讐の伝統がまだ濃く残っているのが政治であるらしい。恩怨関係による‘復讐政治’は、しばしば政界版図をひっくりかえす触発剤になる(略)復讐は‘サムライ国家’日本の精神世界の根を解くキーワード中のひとつだ。[「日本の恩怨政治」朝鮮日報 2005年8月9日]

日本の総選挙で自民党の圧勝に寄与した「刺客候補」らが脚光を浴びていると言う。(略)「刺客選挙」が「小泉劇場」に観客たちを呼び集めるのに大成功をおさめたということだ。サムライの伝統がある日本で「刺客」という言葉が有権者たちにアピールする現象に対して、どう解釈すべきだろうか。[宋チュンシク「刺客」京郷新聞 2005年9月13日]

 日本は服従の帝国であり、それは日本の異常な教育のせいと解釈される。

韓国人の多くが猪突的に上(権力)だけを志向する僭越の相だとすれば、日本人の大多数は下に体をすくませる自己卑下型といっても過言ではないと思う。多くの日本人が家父長的な権威を仰ぎ、おかみに頼りながらその影響圏の枠内で安住しようとするならば、韓国人はなるべくその枠からはずれ、下から上に対して突き上げる飛翔の意志をもっているともいえる。[朝鮮日報編『韓国人が見た日本』1984年]

日本はきわめてアブノーマルな国である。国家も国民も、ともにそうである。日本のあらゆる社会構造と人間関係は、力のある者とない者、金のある者とない者という非常に単純な図式によって支配されている。(略)飼いならされ支配されてやっと安心するという日本人の天性が結果的に「経済大国」を成し遂げただけであり、残酷な戦争をも引き起こしたのだと思う。[田麗玉『悲しい日本人』1994年]

日本では昔から権力に拒逆することは、共同体の秩序を紊乱するようにすると看做された。共同体に累を及ぼした張本人は、共同体から疏外されたり追放されるという不文律が存在して来た。これは政府とマスコミが一体化している現代日本社会では、さらにそうだと言える。[「小泉総理の二重性」ハンギョレ 2004年11月10日]

もちろんさまざまな面で、わが国が日本を凌駕する要素はまことに多いと思う。わが国ではお母さんが子供の気を生かす教育をしており、日本では気を殺す教育をする。幼い頃からあまりにも他人に迷惑をかけるなと強調して育てられると、大人になって大部分気迫がなくなると言う。[「日本で感じた文化の底力」世界日報 2007年7月5日]

 日本女性の地位は、韓国と比べても格段に低いとされる。

事実、日本社会は完全な男性社会であった。夫婦のあいだでも、男尊女卑が際立っていた。お互いの呼び方からしてそうであった。わが国では互いに「あなた」で通るが、日本では妻が夫を「あなた」と呼ぶのに対して、夫は妻を「おまえ」と呼ぶ。嫁にいって子供を生んでも、男の子を生めなければ離婚されても不平をいえなかった。離婚も一方的なのであった。[朝鮮日報編『韓国人が見た日本』1984年]

事実日本ほど女性の権利のない社会もないようである。今でも妻は「あなた」ではなく「お前」と呼ばれる。夫の出退勤の時には必ず玄関に出て来てひざを折って送り出し、迎える。結婚した次の日から女性の姓がなくなり夫の姓に従う。ここには女性の権利を見いだすことができない。[宋孝彬『これが日本だ』1985年]

私の考えだと女性の地位の低さでいえば、第一位は中東諸国、第二位は日本、そして第三位が韓国となる。[田麗玉『悲しい日本人』1994年]

 日本統治のせいで朝鮮の古き良き文化が堕落したという珍説もある。

淫売婦が日本の最大の輸出品となっているのは、衆目の認めるところである。日本人の行くところ、いかなる土地でも売淫の市が開かれないところはないが、わが国においてはとくに甚だしい。その淫風は、わが国古来の礼俗を破壊し、わが人命を害し、風紀を乱すことこのうえないものになっている。[朴殷植『朝鮮独立運動の血史』1920年]

実際、韓国女性の地位に大きな影響を与えたのは日本帝国主義の三六年間だ。朝鮮時代まで、夫婦間では尊敬語が使われたし、夫も妻に敬意をもって対した。しかし日本の植民地時代、妻を所有物扱いにする日本文化の影響で女性の地位がいっぺんに低下した。これはかなり説得力があると思われる。[田麗玉『悲しい日本人』1994年]

 日本は国は豊かだが、庶民の暮らしは貧しいというのもよく語られるステロタイプである。

日本の生活で基本となる衣食住の内で食べることと着ることはまあまあ世界の先進国水準であるが、住む家のみはまだ未開な状態である。[宋孝彬『これが日本だ』1985年]

必要以上に自分の国に対して自負心を持っている日本人は多いが、彼らを黙らせる簡単な方法がある。すなわち韓国人が自分の今住んでいる家の面積を話してやれば日本人はバンザイして降参する。十五坪、二〇坪の小さなアパート一つをローンで買って、そのローンを三〇年、四〇年かけて退職のころまでかかってようやく返して行くのが普通の日本人の一生である。[シン・ピョン『日本の地、日本の風』1990年]

国は豊かだが、国民は貧しい。会社は金持ちだが社員は貧しい。そんな日本で社宅の占める比重は並でない。(略)つまり、一生働いてみたところでせいぜい「兎小屋」のような狭いマンションが一つ買えるかどうかという現実。自分の家をもつ夢はあきらめるというのが金持ちニッポンの真の姿だ。[田麗玉『悲しい日本人』1994年]

 日本人は淫猥で日本文化は低俗であるという固定観念は、朝鮮通信使以来脈々と受け継がれている。1998年以降に日本文化の開放が進む以前は、開放反対派から日本文化の低俗性が盛んに喧伝された。

日本国内どこの大衆浴場でもみられる風景を、はじめて見る韓国人が驚くことがある。日本の銭湯の番台は、男女に分かれている脱衣場のどまんなかの高台で両方を眺望することができるからである。われわれの知る「男女七歳不同席」の儒教の原則は、日本では通じないのだ。[朝鮮日報編『韓国人が見た日本』1984年]

社会的な側面でもマスコミの普及と発達は性の解放と性を製品化する不良文化を発展させ、低俗なグラビア雑誌を溢れさせている。(略)すべての文明の崩壊の原因を求めてみれば外敵の侵入や征服よりも内部的な崩壊が先行する。このような観点から我々は日本のような病んだ文明のカスを正確に把握して他山の石としなくてはならない。[宋孝彬『これが日本だ』1985年]

日本のテレビでは、昼間でも女性の裸が見られる。それどころか、主婦向けの朝の番組でも、女性の上半身ヌードをよく見かける。(略)夜一一時過ぎると、成人用ビデオ女優がパンティー姿で現れ、服を着た男性タレントとセックスする素振りを見せる。ただそのものズバリを見せないだけのことで、これではまるごとポルノ映画だ。むしろポルノ映画以上のいやらしい身の動き、そして水準以下の幼稚なセリフがテレビには溢れている。[田麗玉『悲しい日本人』1994年]

この地球上、女性を裸にして金を儲けようとしない国は一つもないといっても、いいすぎではない。(略)だが日本の場合は、その異常さに問題がある。彼らが好む対象は幼児であったり、体の一部に支障のある女だったり、あげくには知能の低い白痴女だったりする。一言でいって、社会的、精神的意味で徹底的に弱い者をセックスの対象と考えるのだ。セックスに異常な関心をもっている日本人は多くのマスメディアを通して、女性をただのおもちゃとして売り、買い、もてあそぶ。そんなものを見る時私は日本社会独特の非人間性に怒りを感じる。弱者を残忍かつ執拗にもてあそぶ日本の一面を見たような思いがするからだ。[同]

(日本という)出版大国の底辺にはものすごい量の低質、ポルノ本が乱舞している。(略)以前、韓国のスポーツ新聞がこのような方向に流れたと言って物議をかもしたことがあるが、日本のスポーツ新聞を見ると本当に韓国は道徳君子の国だということを再度感じる。[金永明『日本の貧困』1994]

 日本漫画に対しては、帝国主義の尖兵だとかホンネの代理満足だとか、わけわからん解釈が横行している。

強力で物理的な力よりもむしろより効果的に良いイメージを植えてやり優位に立つ武器である「ソフトパワー」として、漫画ほどに強力な日本の資産はない。不幸な歴史を作るのに力を貸した日本漫画、いつも日本主流を代弁することに忠直だった日本漫画が、日本が願う方式で歴史を消してしまうかも知れないという心配は、まだ簡単には振り落とせない。日本漫画の歴史がこれを立証しているからだ。[「孫悟空よ‘ドラゴンボール’探すのやめろ」ハンギョレ 2006年7月27日]

しかし日本人たちも人間で、感情がある動物なのに、本当に親切で気分が良くていつも笑って明るい顔をしているのか? そこで出る言葉が 'ホンネ' だ。問題をテーブルの下に隠すように、本音を表に表さない日本人。(略)もしかしたら日本人たちは、ホンネを表さない暮らしを生きながら生じるストレスを漫画を通じて排泄するのかも知れない。実生活でたやすく表せない憤怒と悲しみ、痛みといった感情を、漫画の中のキャラクターを通じて代理満足を得るのではないか。[「日本人たちはなぜ漫画にはまるのか」オーマイニュース 2006年12月21日]

 日本女性はブスという固定観念も強いらしい。

私はためらいなく言う。我が国では美人を発見しようとすれば一〇分ほど道を歩けばいいが、日本では一〇日ほどかかる。[李洪烈『サヨナラ、ギャグナラ』1993年]

日本女性の多くが韓国の女性に比べて顔がまずく、特に歯並びが悪い女性が大部分で、これは日本の風土病の一種ではないかと思われる程である。[シン・ピョン『日本の地、日本の風』1990年]

我々と異なり、日本人には歯並びがひどく悪い人が多い。専門分野ではないから確言はできないが、先天的に我々より歯並びが悪い民族であるようだ。[金燦「一事一言」朝鮮日報 1994年11月8日]

ある日の午後二時か三時だったと思う。三〇人ほどの乗客を観察していて、いつしか、「なんて日本女性はブスなんだろう」と呟いている自分に気づいた。[田麗玉『悲しい日本人』1994年]

 日本人は英語ができないというのは、韓国人が優越感を感じる格好の材料である。実際には韓国人の英語力は日本人と大差なく、場合によっては日本人より成績が悪いこともある。

(日本人が)恥ずかしがらなくてはならないのは表現の限界が明らかな日本語の発音である。カタカナで表記される外来語はその語源を求めるのも困難なありさまである。コーヒー、バスといった簡単な生活用語からしても言葉の由来はおろか語源が破壊され、意志伝達自体が困難なのは日常茶飯事で、国名、人名に至ってはその深刻さは度を越している。[洪鎮憙『ゆがんでいく日本人』1993年]

去る16日、日本の最後の打者が空振りして韓国に再度敗れた瞬間、ダッグアウトにいた鈴木イチローの顔がTVの画面いっぱいに映し出された。彼は頭を激しく振って、何か一声発した。音は捉えられなかったが、口の動きを見れば「ホワック」だった。口汚い英語の悪態“Fuck”の‘F’の発音ができず、日本式に吐き出したのが明らかだった。[「韓国野球誇らしい」朝鮮日報 2006年3月19日]

講演が終わって必要な品物を買いに行った進歩学者が、その商店の主人に英語で尋ねた。主人はびっくり仰天して、まるで日本人のように見えるわれわれ学者を異常だというように眺め続けた。「この野郎、英語もできないのに見下すように見て。こいつら英語も知らないじゃないか。それで何の先進国か? いやさっき見たら教授たちも英語を全然できないし。発音はまさにわが国のカッペみたいだし。これだから日本はだめだ。本当に日本はない! 今は韓国だ! 夕方には必ずキムチちょっと食べましょう」[「日本で送った小半日」京郷新聞 2007年5月10日]

なぜ英語をできないのか。結論から言えばその理由は「英語が難しいのではなく、英語を難しく学んだから」だ。(略)それでは「このように英語の教え始めた人が誰だったのか」という疑問が生ずる。正解は1919年から日帝が外国語教育を中等学校で実施してからだ。当時英語を教える教師は大部分日本人だった。これらの教師は、自分が教えている英単語の実際の発音がどんなものなのか、生まれてから一度も聞いたこともない純土種の日本人だった。日本語は発音が50音図がせいぜいで、taxiは「takkushi」、McDonaldは「magudonarudo」式でしか英語発音をできない。このように発音悪い日本人教師らは、韓国の学生たちの発音教育を始めから放棄したばかりではなく、日本人の「英語発音恐怖症」までそのまま学生たちにもたらしたのだ。[「日程残滓の“文法解析式”英語学習」ソウル新聞 2008年4月15日]


◆韓国優越論


 日本人を野蛮人として侮蔑する意識の裏には、当然韓国文化の優越性を誇る意識がある。そこには軍事的・経済的劣位のような物質世界の状況に目をつぶり、精神的世界で勝利感を得ようとする小中華思想の特徴が現れている。

歴史からいえば、朝鮮は五千年にして、日本はその半ばにすぎない。言語からいえば、音韻変化の豊かさは天と地ほどかけはなれており、文字からいえば、表記範囲の広狭過異なること朝鮮は世界的容量であるが日本は地方的貧弱である。飲食衣服にいたるまで、朝鮮の文化的に高級なるのに比し、日本のそれが実質的価値においていかに低劣であるかは、もとより定評のあるところである。[朴殷植『朝鮮独立運動の血史』1920年]

元来、わがハングル、民族のことばが、その由来・伝統においても、日本語に比較して悠久かつ独特であるだけでなく、言語そのものから言っても、その含蓄味、伝達機能の振幅の広さ、発音表記の卓越さなどにおいてきわめて優秀であることは、自他共に認めているところだ。(略)このハングルの創造は、大陸文化に正面切って対抗する確固たる姿勢と意思を、独自の文化的力量という次元において初めて形象化させた代表的実例であり、どれほど高く評価してもしすぎることはあるまい。[白基[王完]『抗日民族論』1975年]

しかし、日本人の厚い障壁を越えることのできる裏道がありますが、それが「文化的攻略」に他なりません。いわば、われわれの商品や政治的影響力よりは、「歌謡曲」「囲碁」「スポーツ」の方が日本に入り込むのがたやすく、また可能だということです。彼らと競争して勝つとか、あるいは彼らを説得しうる「刀」(軍事力)やソロバン(経済力)ではなく、まさに「筆」だということですね。朝鮮王朝の通信使が日本に行ったとき、彼らが要求したのは「書画」や「書籍」でした。軍事力や経済力はわが国より先立っていたが、「筆の力」に対してはコンプレックスをもっていたし、実際その点においてはわれわれが優位に立っていたんですね。(略)文化的にみるとき、われわれは日本を抑えることができます。それが日本の弱みでもあるんです。[李御寧「韓国・韓国人−日本・日本人」月刊朝鮮 1982年8月号]

日本の荒唐無稽な建国神話によっても、やつらの国家起源年代は紀元前六六〇年をさらに越えることはできないが、我々(ウリ)の檀君神話や檀君に関する記録によれば、朝鮮の建国年代は紀元前二三〇〇年まで遡る。かくして日本の歴史が朝鮮より一六〇〇年以上も短いものとなり、したがって自ずから文化もその分だけ劣ったものとなる。[民主朝鮮 1993年8月31日]

19世紀末日本の先覚者達は、彼らが明治維新を通じてあれほど渇望した近代的国家体制が既に500年前に朝鮮で実現したという点を知ってひどく驚いたという。私たちには経済大国日本を凌駕する高い国家哲学と、世界平和に対するビジョンを提示する底力がある。今からは大局的な見地から長い呼吸で懸案を解いて行こう。[文化日報 2005年3月27日]

韓国のソンビが遠い道を行くときは、腰に筆筒を差して出た。これとは異なり日本のサムライは外に出かけるとき、いつも腰に刀を差して出た。(略)しかし筆は常に刀に勝って来た。これこそ「筆の文化国」と自負しても良い韓国人の矜持ではなければならない。[金烈圭「筆はいつも刀に勝って来た」世界日報 2005年4月18日]

 韓国の伝統文化や学術に対しては、褒めてくれる外国人があまりいないので自画自賛しているのだろうが、無理矢理感が否めない。また、日本文化にちょっとでも朝鮮の影響が見られると鬼の首を取ったように誇るが、朝鮮文化に見られる中国の影響は過小評価し独自性を強調する傾向がある。

高在彦によれば、徹頭徹尾曲線だけでできている韓国式家屋の瓦屋根は、すばらしい曲線の芸術であると同時に、韓国式建築だけが持つ味わいと美しさである。意志的な技巧がこらされ過ぎている中国式の屋根や日本式の屋根がヤボで単調であるのに較べ、韓国式家屋の屋根は、どこまでも自然に順応する自然の美を持っている点が高く評価されねばならない。[尹泰林『韓国人−その意識構造』1975年]

ほとんどの場合において、中国の科学と技術が、韓国人にそのまま受け入れられたことはなかった。韓国人は、中国のそれをいつも韓国的なものに変形し改良するよう努め、そこからさらに新しいものをつくりだそうと試みた。そうした努力の過程で、韓国人は多くの創造的発見と新しい発展的所産を生みだしたのである。[全相運「韓国科学技術史」1978年]

李朝時代の大工たちの手になる韓国の窓の桟の文様の美しさは、ときにはモンドリアンの作品をしのぐほど洗練された面の分割を少なからず残している。(略)中国の窓の桟の文様が煩雑でわずらわしいのに較べて、最大限に単純化した韓国の窓の桟の文様のもつ美の次元は、見た目にもすっきりしている。おおまかで単純でありながら、それでいてほのぼのとした人情が感じとられる韓国の窓の桟に対して、日本のそれはいささか神経質で近視眼的な面があると思う。(略)それに較べると、韓国の窓の桟はなんとなく丸っこく、角がたたないようにしながら、さっぱりした構図をなしている。とくに、昌徳宮の秘苑にある演慶堂のそれに見られるすばらしい面の分割は、見る者をほれぼれさせる最高傑作の一つである。[崔淳雨『韓国の風雅』1981年]

韓国の絵画は中国の絵にも日本の絵にもみられない巧妙な純真美とわびの美しさの魅力を備えている。技巧を超越した放心の美しさ、いささか疎剛、奔放であるかのように見える筆致の陰に隠れた風雅と禅と詩の美しさがそれである。李朝時代のすぐれた作家の作品に接していると、そこには共通した疎敬と野逸、省略と諧謔の美しさを発見することができる。[同]

韓国人のすぐれた科学精神は各種文化遺産を通じても既に立証されている。瞻星台・石氷庫・金属活字・ハングル・水時計・日時計・七井山・測雨器・手票・亀船・東医宝監等々、自慢の種が数えきれないほど散らばっている。[「[余滴] 科学技術DNA」京郷新聞 2005年1月27日]

 韓国料理への自画自賛は、中華料理や日本料理ほど世界的評価が高くないことが残念でならないことから来ているらしい。

豆腐は古代中国で発明されたものだが、韓国に入ってきて、もっとも多様な発達をとげた。(略)。豆腐を昔から食べていた民族は、韓国人のほか中国人、日本人、インドネシア人、ビルマ人だけというが、これらの国民の中では韓国人の品数がずば抜けている。(略)豆腐文化圏の三大国である韓国・中国・日本の中で韓国の豆腐が最高であるというのは、優れた韓国人の応用創造力を示す証明で、これは以上のような史実でも明らかにされているのだ。[李圭泰『韓国人の心の構造』1986年]

われわれの飲食文化は世界最高だ。日本の味噌は、われわれのものに比べれば香ばしい味がなく甘ったるい。わが味噌は味もあり、薬用に使われるほど体によい長寿食品だ。キムチは既にわれわれだけが食べる食品ではない。日本や中国までも広がった。世界的災殃と憂慮される鳥類毒感に韓国のキムチが特効という説は、米国やヨーロッパでも広まった。[「韓流はわれわれにかかった」慶南日報 2006年2月27日]

先月出版された『ミシュランガイド東京版2008』は、世界でも最も多い150店に星が与えられたことで話題となった。選ばれた150店のリストには日本料理やフランス料理、イタリア料理、スペイン料理、中国料理が名を連ねたが、日本で60年近い伝統を誇る韓国料理は1店もなかった。それが残念で仕方なく、ミシュラン側に対し「最初から韓国料理は調査対象に含まれていなかったのではないか」と尋ねたところ、ややあきれた調子で「そういった区別をするはずがない」との答えが返ってきた。[「名料理人は一日にしてならず」朝鮮日報 2007年12月21日]

いつのまに韓国料理は健康食だという観念が米国に広がり、求める客が急増した。これだけではない。最近、米国では韓国文化の躍進をあちこちで感じる。(略)タイ料理のように韓国料理も、運がよければ中国や日本に続いて世界の料理になる可能性が十分だという話だ。キムチのにおいをぷんぷん漂わせながらさっそうと歩くニューヨーカーが登場する日が来ないとも限らないのだ。[「ニューヨークに流れ始めた韓流」中央日報 2008年2月7日]

中国や日本の芸術に比べて、さほど華麗でも目立たちもしないながらも、濃い香気と品格がある文化。同じ味噌が東洋三国にすべてあるが、最も味噌をうまく作って食べる人々の文化。そこでこんな名前を考えて見たのだ。ルース・ベネディクトが日本の文化を '菊と刀' と定義したのが有名だが、同じ論法ならわが文化は '野バラと味噌' というのがふさわしいのではないか?[オーマイニュース 2008年1月24日]

崔佛岩は「日本人たちが食べるおかずは大概わが国に由来するものが多いが、われわれが和食に後れる理由がない」とし「ドラマを撮影して韓食の卓越さを多く学んだ。わが韓食も世界的な飲食として席つかむのに不足がない」と強調した。[「‘食客’崔佛岩“飲食戦争熾烈…韓国、日本に後れている”」イーデイリー 2008年6月9日]

 小中華思想の行き着く先は、世界に冠たる韓民族という誇大妄想である。一方では朝鮮民族は平和的で他国を侵略したことはないと自慢しながら、古代には広大な領土を支配していたという矛盾は気にならないらしい。

わが民族は大陸の北から鴨緑江と長白山を越え、韓半島に移住してきたツングース族の後裔として知られている。歴史以来五千年間を単一民族として単一言語と単一文化を発展させてきたことは日本や中国とは比べものにならないすぐれた民族の特質として高く評価されている。わが国民は長い間、儒教思想によって練られた強靭な独立心や誠実性や愛国心をもっている。最近の国際労働機関(ILO)の報告書によると、韓国人は世界で最も勤勉な国民とされている。それでいながら、わが国民の性格は寛大で義理深く人情にあつく、また歌や踊りを愛する。[韓国海外開発公社編『わが祖国大韓民国』1985年]

百万年も前にわれらの祖先は北満州一帯に礎をかためた。人類の起源はバイカル湖付近の古代桓因の国である。ここから一群は東に向かい牛首河(現在の吉林)に至って桓雄王朝を築き、別の一群は、シュメール文化にも影響を与えた。(略)にもかかわらず、なぜ今われわれは満州族を敵視し、シベリアを異国の土地と思い込み、中国北部を取り戻そうとしないのか。「無窮花三千里を守ろう」――これだけが、われわれの最終目標である必要はないのだ。わが民族の失われた地平線は、決して三千里ではなく、数万里におよんだのではなかったか。[金正彬『丹』1987年]

アジア各民族が数千年の伝統を受け継いできた共通の文化的基盤を回復し、共栄の広場を確保する作業は、大陸の先頭走者、韓国からその第一歩が踏み出された。(略)はるか大陸を見わたしてみよう。あの広大なシベリア、満州の平野、中国を下ってベトナムに至るまで、数千年にわたってわが民族の活動舞台でなかったところはない。そのひろびろとした大陸が、いまわが民族を呼んでいる。モスクワから、タシケントから、沿海州から、吉林省から、北京から、山東から、揚子江から、広東から、ハノイから、プノンペンまで、わが民族の力量、韓国の力を必要としている。(略)大陸へ行こう。(略)理念の苦痛から解放される大陸の無限の地平に駆けて行き、わが民族の古来の地に未来の空間を拡張しよう。(略)ソウル・オリンピックが開いてくれた大陸――この機会をむなしく逃すとすれば、歴史は一九八八年に生きた韓国人たちを軽蔑するだろう。[朝鮮日報 1988年9月6日]

「孔子も東夷に住みたがった(故孔子欲居九夷也)。」後漢書東夷列伝に出ている言葉だ。原文で「九夷」は東夷の様々な勢力を包括する言葉。後漢書ではまた東夷人たちは「天性が柔順で道理として治めやすいため君子国と不死国がある」と明らかにしている。ひいては中国が「礼を失えば東夷に求めた」という句節もある。このように古代東夷族、すなわち韓民族は中国等の周辺国家が「ベンチマーキング」した先進文化人だったのだ。[「古朝鮮・三国時代に“もっとすごかった韓流”」文化日報 2007年7月24日]

朝鮮民族は悠久な歴史と優れた文化を創造した民族である。人類発生のれい明期からこんにちまで、この地で世界5大文化の一つである「大同江文化」を創造し、同じ血筋を継いで暮らしてきた。大同江流域で発見された古代文化遺物と遺跡がそれを実証している。[朝鮮新報 2007年12月7日]


◆歴史の叙述


 古代史に関しては小中華思想に則り、日本文明のあらゆるものは朝鮮の恩恵にあずかっていることが強調される。王仁や曇徴のように日本側の記録しかない事項でも、韓国に都合がよいものは無批判に使うご都合主義は、見事としか言いようがない。

百済は日本と政治的に緊密な関係を維持したので、三国中、日本文化に一番大きな影響を与えた。近肖古王のとき、阿直岐と王仁は日本へわたり、漢文・論語・千字文を伝えてあげ、武寧王の時には段陽爾と高安茂などが、漢文と儒学を教えてあげ、日本に政治思想と忠孝思想を普及させてあげた。つづいて、聖王の時には仏教を伝えてあげ、そのほか天文・地理・暦法などの科学技術も伝えてあげた。高句麗もたくさんの文化を日本に伝えてあげた。高句麗の僧侶慧慈(えじ)は聖徳太子の師であり、曇徴(どんちょう)は紙、墨、硯をつくる技術を教えてあげ、法隆寺の金堂壁画も彼の作品として知られている。高松古墳の壁画は、高句麗の影響を受けたものである。新羅は船をつくる技術、ならびに堤防と城郭を築く技術を、伽耶は土器をつくる技術を日本に伝えてあげた。このように三国は発達した文化を日本に伝えてあげ、日本の古代の飛鳥文化を生み出すうえで大きく貢献した。[中学国史 1996年版]

新しい文物を持って日本に渡ったわが国の人々は、土着社会の日本人を教化した。百済の阿直岐と王仁は日本に渡り漢文を教えたが、漢学は日本人に文学の必要性を認識させ、儒教の忠孝思想も普及させた。また百済は仏教、仏像、五経博士、医博士、暦博士、そして画家と工芸技術者も送り、その影響で五重の塔が建てられ、百済伽藍という建築様式も生まれた。一方、高句麗も日本文化に多くの影響を与えた。高句麗の僧侶慧慈は日本の聖徳太子の師となり、曇徴は儒教の五経と絵画を教え、紙と墨の製造法を伝授した。日本が誇る法隆寺金堂の壁画も曇徴の作と伝えられている。現在日本の各地に残っている古代仏像の中には、その形態や特徴からして、三国の影響を受けたものが多い。新羅からは築堤術と造船術が日本に伝えられ、築堤術が伝播されたことから「韓人の蓮池」という名称が生れるほどだった。このほか、三国の音楽も伝えられ、高句麗楽、百済楽、新羅楽等の名称もあり、日本音楽の主流となった。このように三国時代のわが国からの流移民が日本列島に渡り、先進技術と文化を伝授し、大和政権を誕生させ、古代飛鳥文化の成立に貢献した。[高校国史 1996年版]

パク社長はこの本で、古代日本の支配階層および主流階級は大和民族でなく、韓半島からの渡来人であることを立証すべく力を注いだ。 (略)この本には▽日本の国号「ニッポン」は7世紀後半に高句麗(コグリョ)の高僧によって命名された▽645年まで日本の通称だった「倭」は伽耶(カヤ)の別称だった▽日本の建国神話に出てくる韓神は、大己貴尊(おおあなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)であり、今でも奈良市の神社に韓国の神として祭られている−−などと詳細な記録とを根拠に記述している。[「古代日本は韓国人の支配下」中央日報 2004年9月16日]

都市国家連合体である伽耶(太陽民族、光明の民族)の一部族だった新羅が慶州地域で高句麗から独立新羅国を作ることになり、かつての伽耶時代のとき既に日本の島根県側に渡って行って暮していた「昔脱解」(日本の島根出生)が新羅の二代王の南解次次雄の女婿となって儒理王の次の王になった。この時は日本がすべて高句麗・百済・新羅・伽耶の地だった。[姜東敏「日本は伽耶の地、韓・日は今は憎むまい! 」ブレイクニュース 2008年1月14日]

隣国日本の歴史には、古代に遡るほどすべての部分にわたってわが民族の歴史が現れる。その理由は、わが民族が日本を作ったからでもあるが、日本のすべての文化がわが方から伝授されたものだからだ。[姜東敏「60年の歪曲記述、歴史教科書を変えよう」ブレイクニュース 2008年4月13日]

 江戸時代になっても朝鮮の優越はゆるがず、日本は朝鮮から多くの経済的・技術的援助を受けたことになっている。日本が得たものに関してはともかく、朝鮮が日本から何も学ばなかったという点では、正しい記述と言えるかも知れない。

壬辰倭乱の後、日本の徳川幕府は朝鮮の先進文化を受け入れようと、対馬島主を通じて交渉を認めるよう朝鮮に求めてきた。朝鮮は、これを受け入れ、制限された範囲内で再び通行することを許したので、両国間の国交が再開された。(略)それだけでなく、日本は政治的目的で朝鮮に使節を派遣することを要求してきたが、朝鮮からはこの要求に応じて十余次にわたり通信使を日本に派遣した。通信使は、その一行が一回に400名ほどで編成されたが、学者、芸術家、技術者などが含まれていた。したがって通信使は、外交使節としてだけではなく、私たちの先進文化と技術を伝えてあげる文化使節の役割もあわせてもち、日本の文化発展に大きく役立った。[中学国史 1996年版]

壬辰倭乱をきっかけに朝鮮と日本の外交関係は断絶していた。したがって、日本は経済的に困難に陥った。ために戦乱後成立した徳川幕府は、先進文物を受け入れるために、対馬島主をとおして交渉を許可するよう朝鮮に懇請した。朝鮮では日本が犯した誤りを恨みながらも、建国以来の交隣政策の原則に照らし、制限された範囲内での交渉を許した。(略)また、日本は朝鮮を文化の先進国と考え、使節を派遣するよう要請してきた。これに対し、朝鮮では通信使を派遣したが、その一行はおよそ400余人になり、国賓として待遇を受けた。日本は通信使の一行をとおして先進学問と技術を学ぼうと懸命であった。したがって、通信使は外交使節としてだけでなく、朝鮮の先進文化を日本に伝播する役割も果たした。[高校国史 1996年版]

日本に派遣された朝鮮通信使の中でも、日本人に対する優越感を楽しんだ人が多かった。朝鮮通信使が日本を訪れる過程で、朝鮮の有識者らは日本の識者を見くびり、もてあそんだ。日本側の記録によると、日本人らが揮毫を書いてもらうため持ってくる紙を、朝鮮の文士らは文鎭の代わりに、かかとで踏んだまま、書き下ろしたという。[「日本を見くびる唯一の国」中央日報 2007年6月22日]

 1910年以後の日本の統治は同化政策をともない、実際1945年の解放間際にはかなり同化が進んでいた。独立後はその反動として、あらゆる理屈を動員して日本の統治が世界史上最悪の極悪非道なものだったことを立証する必要が生じた。

日帝の憲兵警察による武断殖民統治は世界にその類例のないものであった。日本の憲兵司令官が中央の警務総長となり、各道の警務総長がその道の警務部長となった。そして全国各地に憲兵警察が配置され、わが民族は武力によって生存までも脅威にさらされた。憲兵警察の主要任務は警察の業務を代行すること以外に、独立運動家を捜索し処断することにあった。彼らには即決処分権がありわが民族に対し思いのままに笞刑を行なった。韓国人のあらゆる行為は憲兵警察の判断によって裁判もなく拘留されたり重い罰金が賦課された。また、一般官吏はもちろん、学校教員にまでも制服を着せ、刀を下げさせたことは威嚇的な憲兵警察統治の一手段であった。わが民族はこのような日帝の憲兵警察統治によって言論、集会、出版、結社の自由を剥奪され、民族指導者は逮捕、投獄、虐殺された。ために、救国運動を行なって投獄された人士が数万人に達したときもあった。日帝はいわゆる105人事件や様々な独立運動結社に関連した独立志士を逮捕、拷問し独立運動の抹殺をはかった。[高校国史 1996年版]

日帝は政治的、社会的弾圧や経済的収奪もさることながら、文化面においてもあらゆる手段を使って統制政策を進めた。まず教育分野においては、愚民化教育による韓国人の皇国臣民化を企てた。そのためにわが民族はウリマルの代わりに日本語を学ぶように強制され、各学校の教科書は彼らの侵略政策に合うように編纂された。彼らは私立学校や書堂などの民族主義教育機関に対しても抑圧し、植民地統治に役に立つ実業技術教育を強制した。中日戦争後はよりむごい植民地教育が実施された。すなわち、日帝が打ち出した「内鮮一体」「日鮮同祖論」「皇国臣民化」といった荒唐無稽なかけ声のもと、ウリマル教育とわれわれの歴史教育は一切禁止され、これに抵抗した学校は閉鎖された。他方、韓国人の言論、集会、結社の自由は剥奪され、日帝植民地統治に抵抗した新聞はすべて廃刊となった。三・一運動以後、いわゆる文化統治により『朝鮮日報』と『東亜日報』の発行が認められたが、これらの民族紙も日帝により記事が削除されたり、停刊・廃刊にされ、言論人が拘束されるなどあらゆる迫害を受けた。また、わが民族史も日帝の植民地統治を合理化するために変造された。とりわけ民族史の根源ともいうべき古代史の歪曲が最もひどく、檀君朝鮮は否定され、韓国史の他律性と停滞性が強調され、韓国史の自立性や独創性はまったく無視された。[同]

日本帝国主義者は、約半世紀ものあいだ朝鮮を占領して資源を略奪し朝鮮人民を過酷に搾取、弾圧、虐殺し、朝鮮民族に血涙の奴隷生活を強いた朝鮮人民の不倶戴天の敵である。過去、日本帝国主義が朝鮮民族におよぼした災難と苦痛ならびにすべての物的、人的被害ははかり知れないものがある。[朴慶植『朝鮮人強制連行の記録』1965年]

一九三〇年代にはいった日本帝国主義の対韓政策は、三一年九月の満州事変を契機にして韓国を大陸侵略の兵站基地として再編成し、日本帝国主義文化のファシズム化に歩調を合わせて、「皇国臣民化」という名の「亜日本人」的奴隷化、さらには日本語常用、日常生活の日本化、創氏改名などをほしいままにおこない、この地球上から永遠に韓国民族を抹殺しようというヒットラーにも劣らない歴史的犯罪をおかした。英国のインド植民地統治がいくらきびしかったとはいえ、日本帝国主義の植民地侵略ほど残忍無道でまったく非人間的民族否定の暴挙をあえてしたことはなかった。日本帝国主義の特色は、その無制限性にあった。それは植民地化を政治、経済面に限ったり、最小限の被抑圧民族の自治を許すといったような有限性はまったくみいだすことができない。それは全人間的隷民化であり、集団的奴隷化であった。[新東亜 1971年9月号]

日本の近現代史は「犯罪の歴史」である。朝鮮半島の土地と資源の収奪、民族差別賃金での酷使、民族運動に対する残忍な弾圧、日本語強要・神社参拝強要・「創氏改名」などの皇民化政策、軍人・軍属・「慰安婦」としての侵略戦争への動員、工場・鉱山・炭鉱などへの強制連行と強制労働、等々、どれ一つとして犯罪でないものはない。こうした犯罪がなければ、在日朝鮮人という存在自体もなかった。七十万在日朝鮮人が、これらの犯罪の生き証人である。[徐京植『分断を生きる』1997年]

 土地調査事業は、朝鮮人の土地を収奪するために日帝が行なった悪逆非道な所業ということになっている。安秉直や李榮桙轤ノよる実証的研究に基づく反論が正統史観になる日は、おそらく永遠に来ないだろう。

日帝の支配下で、わが民族はとくに経済的な収奪によってひどい苦痛を受けるようになった。この中でもっとも大きな被害を被ったのが土地の侵奪だった。日帝は国権を奪った直後から、いわゆる土地調査事業という名をつけて農民の土地を申告させた。これは土地所有関係を近代的に整理するという口実で進められた。しかし申告の手続きが複雑でややこしく、日帝に協調しないという反日感情があって、多くの農民たちは申告をしなかった。その結果、申告されなかった土地は持ち主のいない土地として見なされ、総督府の所有となった。(略)総督府は、これらの没収した農地を、東洋拓殖株式会社など日本人が経営する土地会社に払い下げたり、韓国に渡ってくる日本人に安価で引き渡したりした。その結果、韓国の農民たちはいっそう貧しくなり、土地を失った農民たちは深い山の中に入り火田民となったり、新しい生活の糧を求めて満州など国外に移住する人びとも多くなった。[中学国史 1996年版]

国権被奪後、各種産業は日帝の植民地経済体制に改編された。そのなかでも核心的なのは、農業部門で行なわれたいわゆる土地調査事業で、その目的は全国的な土地略奪にあった。(略)しかし、当時、土地申告制が農民に広く知られておらず、申告期間が短いのに比べ手続きが複雑なので、申告の機会をのがした人が多かった。日帝が申告手続きを複雑にしたのは、いうまでもなく韓国人の土地を奪い取るための手段であった。また、農民のなかには日帝の施策に協助したくないという民族感情のために申告を故意に忌避し、申告されない土地が多かった。日帝はこのような未申告地はもちろん、公共機関に属していた土地、村や門中の土地と森林、草原、荒蕪地なども全部朝鮮総督府所有にしてしまった。こうした土地調査事業によって不法に奪取された土地は全国土の約40%にもなった。朝鮮総督府は奪取した土地を東洋拓殖株式会社をはじめとする日本人の土地会社や個人に安値で払い下げた。突如、土地を略奪された農民は日帝当局にその不当性を抗議したが、日帝当局は正当な事由がないとして無視した。いわゆる土地調査事業の実施は韓国農民の生活基盤を徹底的に崩した。従来の農民は土地の所有権とともに耕作権も保有していたが、土地調査事業以後、多くの農民は期限付き契約による小作農へと転落してしまった。そうして生活基盤を喪失した農民は日本人の高利貸に苦しめられ、生計維持のために火田民になったり、満州、沿海州、日本などへの移住を余儀なくされた。[高校国史 1996年版]

日本の支配者は一切の権力を握り、当時朝鮮農民の生活の基盤であった祖先伝来の土地をとり上げるためにいわゆる「土地調査事業」を行なった。(略)その結果朝鮮農民は地主対小作人の半封建的な関係にしばられるとともに高率の小作料、地税などの半封建的、植民地的な二重、三重の収奪の下に呻吟するようになった。その上日本人農業移民が盛んに行なわれ、朝鮮人は小作農もできなくなった。そのため祖先の墳墓の地である農村での生活が破壊され、離れがたい故郷をあとにやむを得ず満州や日本に流浪し、生きるための糧を求めねばならなかった。こうしてわれわれの同胞は亡国の民の悲哀を切実に味わうようになったのである。[朴慶植『朝鮮人強制連行の記録』1965年]

 閔妃や柳寛順は悲劇のヒロインとして、日帝の蛮行を告発するには格好のアイコンである。

日本が三国の圧力に屈服すると、朝鮮では明成皇后[閔妃]を中心に日本の勢力をくいとめるためにロシアに接近する動きがあらわれた。これに日本は、彼らの勢力をばんかいするために軍隊を先頭にして宮中に侵入し、明成皇后を殺害する野蛮な行為を犯した。これを乙未事変という(1895)。[中学国史 1996年版]

刺客は、各部屋をすみずみまであまねく捜索し、ついに王后を刺して弑逆した。遺体は緞衾につつみ、松坂の上に安置し、殿庭から鹿園の林の中に運び出し、遺体の上に薪をのせて油をそそぎ、これを焼いた。[朴殷植『朝鮮独立運動の血史』1920年]

八月二十日、ニ、三十人の日本の大陸浪人が、景福宮の閔妃の寝所に踏み込んで斬殺した。それは三浦の命令であった。一国を代表する公使が、外国の王妃斬殺計画の首謀者になるとは、世界史でも稀な事件である。しかも、斬殺した屍体に石油をかけて、王宮の庭で焼いてしまうという蛮行を重ねた。[金両基『物語韓国史』1989年]

少女の柳寛順は日本の警官や憲兵の銃剣の前にたってもひるまず、後に韓国のジャンヌ・ダルクと称えられた。彼女は水原の警察でひどい拷問にあいながら、「独立万歳」を叫びつづけ、殺されていった。[同]

 3.1独立運動の弾圧は、日本の悪逆非道さの代表例として念入りに描写される。

日帝の警察と軍隊は、平和的な方法で独立万歳を唱え示威をする人々に対して、銃剣できびしい弾圧を行った。柳寛順の殉国、華城郡堤岩里住民に対する無差別虐殺など各地で弾圧による死傷者が2万名となり、監獄に入れられた人だけでも5万名にもなった。[中学国史 1996年版]

全民族がこれに加わり、太極旗の波と大韓独立万歳を叫ぶ咸声は全国津々浦々に拡大、波及していった。これに大きく狼狽した日帝は、憲兵警察はもちろん、陸海軍まで緊急出動させた。平和的な示威によって正当な要求を主張したわが民族は、無差別の銃撃によって殺傷され、家屋と教会、学校などの建物が焼き払われたり、破壊されるなど激しい受難にあった。[高校国史 1996年版]

 『朝鮮独立運動の血史』には、これでもかとばかり弾圧の描写が列挙されている。印象的なエピソードは使い回し、弾圧に屈せず民族の尊厳を守り抜くというパターンが貫かれている。

日本は、筆紙につくしがたいような各種の拷問をわれわれ同胞に加えて、人命を殺害し、それを快楽としている。今回わが独立運動団の諸君のうち投獄されたものは、とくに過酷な拷問をうけ、往々にして、気絶して命をおとすものもあった。しかしながら、かれらは毎夜獄中で「独立万歳」の声をあげ、全監獄が相呼応し、その叫びはソウル全体にこだました。[朴殷植『朝鮮独立運動の血史』1920年]

文容基は、キリスト教の信徒であり、全羅道群山港永明学校の義務教諭であった。四月初旬、裡里駅で男女一万余人が集会し、独立示威運動を開始すると、日本兵数百名が突然襲来して、剣をふるい、発砲した。しかし容基は泰然自若として演説をつづけた。日本兵は、国旗をもっていた容基の右腕を切り落とした。容基は、ただちに左手に持ちかえ、なおも「万歳」を疾呼した。日本兵は、またその左腕を切り落とした。容基は、両腕をもがれたからだのまま、勇躍して会衆を促し「万歳」を叫んだ。日本兵はその胸を刺して容基をうち倒した。容基は大呼して、「諸君よ、諸君よ。私は鮮血をもって、陰ながら大韓新政府を援助しよう。諸君を大韓の新国民たらしめよう」と言い、言いおわって死んだ。[同]

ソウルで独立運動が展開された日、まだ年のいかない女学生が、右手に国旗をもち「万歳」を叫んだ。日本兵は、剣をもち、その右手を切りおとした。女学生はさらに左手で旗をあげて「万歳」を叫んだ。日本兵はまたその左手を切りおとしたが、女学生はなお「万歳」の連呼をやめなかった。日本兵はその頭をつき刺してこの女学生を殺した。[同]

趙永信は、咸興の人、今年二十歳の青年である。独立運動の指導者として逮捕され、捕らえられて「万歳」を連呼した。日本兵は刀でその口を割いたので鮮血が淋漓として流れた。しかし、「万歳」の声は絶えなかった。[同]

日本兵二名が左右にあって、一人は女学生の手をきつくにぎり、一人は竹針をたばねて頭に刺した。しかし、それでもなお屈服せず、激烈となり、かえって日本人を怒りののしった。日本兵はいよいよ怒り、刀をぬいて唇をさこうとしたが、長官が引きとめ、「顔の表面は傷つけてはいけない」と言った。[同]

鉄山群で独立運動の起きた日、ある寡婦の一人息子が運動に参加していた。時に年は十四歳であった。かれは、日本兵の三発の弾丸と数十の刀創を受けていた。臨終に際し、その母に言った。「わたしは上帝の前にいきます。わたしの胸の刺傷はどれほどでしょうか。わたしはこれを上帝に告げようとおもいます。これを焼かんかな。これを焼かんかな。わが胸の熱血は、点々として熱火となり、かの島国を焼かん」。言いおわって死んだ。[同]

四月二十八日、日本兵は釜山港東北二十里(朝鮮里)の郊外で、十四歳の子供を逮捕し、詰問し、「お前が『万歳』を叫んだのは、お前の兄にそそのかされたのではないか」と言った。子供は答えて、「わたしが『万歳』を叫ぶのは、わたしの自由です」と言った。日本人は子供に屈服を強制しようとし、そのズボンを剥ぎとり、竹きれで子供の陰茎をはげしく打ち、瀕死の状態におとしいれた。しかし、その子供は、それでも屈服しなかったという。[同]

 女子への拷問に関する『血史』の描写は凄惨を極めるが、同書に収録されているアメリカ上院への報告書にそうした描写は出てこない。英米人が信憑性があるとして報告書に収録した拷問は、殴る、蹴る、裸にして立たせる、跪かせ重いものを差し上げさせる、指を縛って痛めつけるなどである。以下のような凄惨な強姦や陰部への加虐の証言はなかったか、あっても信用されなかったのだろう。

日本の野蛮人どもは、女学生のうち美貌の者何人かをえらび、輪姦をかさねた。(略)日本人は、後列の十字架の傍に炭炉を置き、鉄線を真っ赤に焼いて盧永烈の乳頭を三、四回刺してからその縄を解き、刀で四肢を断ちおとし、まるでまこも(苽)のように分切した。血が雨のようにしたたりおちた。そこでまた他の十字架にうつし、四肢と頭髪など五ヵ所を縛り、天空に架けて仰臥させ、膏薬を火に溶かしたものを頭髪と陰門と左右両腋とにねばりつけ、冷却させた後に強い力で急に引っぱった。髪の毛も皮膚もともに剥げおちて、血があふれるように流れ、大地を染めた。日本の野蛮人どもは、大笑してこの残虐を楽しんだ。[同]

平壌では、拘留され入獄した女学生に対し、日本の野蛮人どもは、焼きごてをかの女らの陰部にあて、「男は何人いるか」など質問し、拷問を加え、いいしれぬ恥辱を与えた。[同]

朝鮮人女子は、監獄に入るとかならずはだかにされて訊問を加えられた。すでに判決をうけた女学生も、かならず日本人の姦淫暴虐をうけた。(略)女子をはだかで仰臥させ、その腋毛、陰毛をぬいた。また膏薬を煮解かし、女子の陰部にそそぎ、冷却して固まってから、いきなりこれをぬきとった。その陰毛はことごとく脱落した。[同]

 戦時中の強制徴用は日本人に対しても行なわれたので、それだけでは日本非難の理由にならないと考えたのか、徴用の仕方やその後の使役の非道さを強調しようとする。

1942年から始まった朝鮮での徴用の無慈悲さに就ては今更に喃々喋々を要しないであろう。戦時中朝鮮の官憲は日本への食糧供給を確保する為の「米穀供出」に狂奔し農家の糞溜の底まで目を光らした。「労力供出」も之に劣らない方法、例えば市場とか村落をトラックを以て急襲して手あたり次第に捕えては頭数を揃えるとか、徴用逃亡者の為に山狩りをするとか等々の奴隷狩りを彷彿させる方法が取られた。[朴在一『在日朝鮮人に関する綜合調査研究』1957年]

とくに大陸侵略と太平洋戦争の時期にいたって、日本帝国主義は戦時労働力の不足を打開するために、朝鮮人民を強制的に大量徴用した。日本帝国主義は当時朝鮮人を連行するにあたり、夜中に農家を襲撃し、白昼にトラックを横付けして畑で働いている朝鮮の青壮年たちを手当たりしだいに拉致していくなど、文字どおりの「朝鮮人狩り」をおこなった。[朴慶植『朝鮮人強制連行の記録』1965年]

一九四五年八月十五日、日本が敗戦したとき、日本には約二四〇万人の朝鮮人が住んでいました。当時、在日朝鮮人総数の九五−六パーセントまでが、朝鮮半島南部の出身でしたが、その多くは戦時労働力として、各地の炭鉱や土建関係、軍需工場、港湾荷役などの作業場に釘づけにされていました。とく強制連行されてきた炭鉱労働者などは、「生地獄」といわれた「タコ部屋」にとじこめられ、賃金もごまかされてタダ働き同然でした。鉄道建設の危険な工事現場では、「枕木一本に朝鮮人一人の命」といわれたくらいです。[尹健次『もっと知ろう朝鮮』2001年]

 女子労働力の徴用については、韓国では挺身隊=慰安婦という図式があり、書き手の方もわざと誤解を助長して読者の憤怒をかき立てようとする意図があるらしい。

日帝はこうした物的な略奪ばかりか、韓国人を強制徴用によって鉱山や工場で苦痛に満ちた労働を強要したり、強制徴兵制と学徒志願兵制度を実施した。このとき、女性までも挺身隊という名目で引き立てられ、日本軍の慰安婦として犠牲になったりした。[中学国史 1996年版]

また、わが民族は戦争に必要な食料と各種物資を収奪され、わが国の青年は志願兵という名目で、また徴兵制と徴用令によって、日本、中国、サハリン、東南アジアなどに強制動員され、命を失い、女性まで挺身隊という名で強引に連行され日本軍の慰安婦として犠牲になった。[高校国史 1996年版]

日帝が太平洋戦争末期の一九四五年、教師らを動員、一二歳の国民学校少女までも挺身隊に引きずっていった事実が一国民学校の学籍簿で確認された。この学籍簿には七六年に廃校になったバンサン国民学校(戦前の京城第二公立小学校)六年制の担任だった池田正枝(六八・日本生駒市居住)氏が過去、子供たちを挺身隊に送った後、良心の呵責を感じて昨年八月、日本フジテレビの取材チームとともにバンサン国民学校卒業生学籍簿を保管中だったソウル江南区逸院洞永禧国民学校を訪問し発見した。一四日、永禧国民学校が公開した池田氏が直接作成した学籍簿には、池田氏が担任だった六年生四班(女学生班)生徒七〇名余りのうち一名が四四年二月二五日に、五名が七月二日に富山不二挺身隊として出発したと記録されている。[朝鮮日報 1991年1月15日]

日本では「挺身隊」といえば勤労動員された女学生を意味した。これは日本においては歴史的事実である。(略)しかし韓国では「挺身隊」という美名に隠れて両家の子女を強制動員し慰安婦に仕立てあげたという事実があり、それが韓国では「挺身隊」についての常識であるという事実もある。この彼此の差を思いやってほしいのである。[金容雲『醜い日本人』1994年]


◆日本警戒論


 どこまで本気で信じているかは知らないが、日本が再び軍事大国化して攻めて来るというのは、韓国マスコミの常套句になっている。これも韓国マスコミの「元気の素」なのだろうか。

欧州におけるドイツがそうであるように、東洋における敗戦国日本は、戦前においては人類の敵であり、将来においてもさらにそうである可能性が十分にあり、特別な警戒を要する。(略)日本の場合は、いわゆる建国神話をはじめとして、すべてが侵略と征服を出発点としており、歴史教育、文化全般すべてがこれを基本にしていた。日本国民からこの感情をなくすことは、今後、半世紀や一世紀をかけても、可能とは考えられないし、連合国の一時的占領では所期の目的を達成することも困難であろうとわれわれは考える。[朝鮮日報 1946年11月12日]

無条件降伏調印の結果、日本人は侵略者として追放されたが、最近彼らから、遠からず朝鮮に舞い戻ってくるということを前提に、自分たちが住んでいた家を改造するなとか、きれいに使うようにという手紙が届いているという。こういう事実に接すると、日本人たちのたくらみに激憤を覚えざるをえない。彼らはポツダム宣言による無条件降伏の事実を完全に忘れてしまったかのようだ。降伏文書やその他の国際法に照らして明瞭な「敵産(敵方の財産・引用者注)の帰属」を単純に知らずして、そうしたというより、再武装して(中略)朝鮮を再び自分たちの領土にしようという野望からそうしているに違いない。[朝鮮日報 1948年5月6日]

最近日本では、極右保守主義者らの存在とその発言権がはっきりと浮上し、復古ムードが高まり、軍備増強論に見られる軍国主義復活の兆しがあることを大きく注目したい。こうした雰囲気のなかで、彼らが過去の帝国主義的な侵略史に対し、「悪」と認めたものを「善」に覆す態度そのものはさして意外なことではないかもしれない。それは日本が敗戦国という立場からつけていた仮面をかなぐり捨て、軍国主義的、国家主義的正体をむき出したことに過ぎないからである。[中央日報 1982年7月26日]

教科書改変と関連した日本文相の「妄言」は、日本の一部指導人士がいまだに「大東亜」の迷妄から覚めていないことを物語る端的な例に過ぎない。名実伴ってアジアの盟主になって大東亜共栄圏を築くべきだという虚妄な夢を実現しようとした大陸浪人、頭山満や内田良平は久しい以前に死んでいるが、彼らの亡霊は、戦後四〇年が過ぎた今日でも、日本の指導層の意識を支配しているからである。[京郷新聞 1986年7月28日]

教科書を歪曲すれば、韓・中両国が怒りの声をあげることぐらい、ずる賢い日本が知らないはずがない。知りながら歪曲するのは、それなりの底意があるからだ。その底意とは何か。こちら側の態度を見て恐れるに足らずと判断すれば、序論ではない本論に入ろうとするたくらみである。その本論が憲法改正、軍事大国化、「大日本帝国の栄光の奪還」へとつながっていくのは目に見えている。[中央日報 1986年8月18日]

過去、日帝の侵略を受けた経験がある国の選手団や観客たちが唖然としたのは、二百二十人のサムライたちだった。赤い衣装に長い木剣をもったサムライたちは、太鼓の進軍の音に合わせ戦場に向かう戦士たちのように雪原を走った。さらに「瀬戸の四季」は、後世が「サムライ精神」を受け継ぐことを期待しながらいっそうオクターブを高めた太鼓の音の中で幕を閉じた。日本は今なお過去の侵略時代をなつかしみながら、刃を研いでいるのだろうか。[朝鮮日報 1994年10月3日]

自衛隊が海外の災害救護活動に乗り出すのは今回が初めてだ。日本政府内では「自衛隊まで出さなければならないのか」という問題提起があったが、行方不明者の捜索及び救助を掲げた防衛庁側の大義名分に押されたという。南アジアの強震に乗じてこっそりと自衛隊の活動領域を広げようとする日本右翼の内心が窺えるようで苦々しい思いだ。[東亜日報 2004年12月29日]

日本が「米国の力」に安住しながら、地域協力者役割を放棄することがだんだん多くなったのだ。日本が最近独島問題及び過去事の敏感性を無視し、右傾化に走る背景もある程度説明できる。[京郷新聞 2005年3月21日]

三島の本を発行した出版社は、このフィルムをDVDに製作して三島全集の付録として普及させる計画だと言う。こんな現象は、日本右傾化以外の言葉では説明し難い。日本の右傾化が自己制御能力を失うようで不安だ。[京郷新聞 2005年9月25日]

久しく前から韓国が実効的に占有している独島を自分たちが勝手に「竹島」と呼んで、自分たちのものだと叫んでいるだけなら吾不関焉すればよい。しかしこの機会に言って置くべきことは、名目上一等国家だという国が、歴史的資料と国際法の明示規定まで無視して、所有権主張を繰り返す内心を明らかにする必要がある。筆者はそれを、日本政府の「減らず口正体性」だと見る。日本は古代から絶えず韓国を侵略してきた。(略)島国に限定されて、それ以上伸びるのが難しい領土欲を他国侵略で満たそうとする虚欲だ。[大邱日報 2008年6月9日]

独島が韓国領ということは天も知り地も知り、何より日本自身が誰よりもよく知っている。それなのに独島を自己の土地だと言い張る面の皮が厚い日本だ。人の国を侵犯することには本当に履歴が出ている日本だ。侵略根性は日本が存在する限り治り得ない痼疾病だ。(略)日本の独島領有権主張は、わが領土の侵奪で宣戦布告に異ならない。当場われわれもこれに相応する正面対応をしたい。しかし日本に比べて力が足りないわれわれとしては、日本に正面切って宣戦布告できない立場なのが耐え難い。[大邱日報 2008年7月15日]

◆道徳的優越感

 黒田勝弘が述べているように、韓国人は蛮族である倭を叱り、諭し、道徳的に教え導くことに民族的快感を感じている。古田博司によると、そもそも朱子学というのは相手より自分が道徳的有意にあるという名分の奪い合いなのだが、必ずしも精緻な論証が行なわれるわけではないという。要するに自分が正しいとより大声で激烈に主張した側が勝つという李氏朝鮮時代の党争の流儀を、現代の国際関係に持ち込んでいるということなのだろう。

日本は現在、その経済力を滑走路に、世界の指導国家として飛翔するという夢を抱いている。そんな日本がその翼にアジア各国の涙と傷と憤怒を乗せ、果たして空に羽ばたくことができるのか。そのような意味から見れば、歴史を覆すような妄言や放言を頻繁に口にする日本の指導者クラスの人々は、アジアの“危害犯”ではなく、日本自らを害する“自害犯”なのである。[朝鮮日報 2004年3月2日]

かつてわが国と中国と東南アジアを侵略しながら、いわゆる国益線確保だとか東洋平和だとか大東亜聖戦だとかいう詭弁を並べ立てて、21世紀の日本の主人になる若者達に教えれば、アジアでの唯一のG7だとかG8だとかに入る先進国で経済大国であることを誇る日本でありながら、結局文明国であることを自ら拒否する侵略主義の「非文明国」になってしまうだろう。[京郷新聞 2004年3月8日]

ここ数年間、日本は明らかに異常な方向に進んでいる。特に韓国関連では異常兆候がさらに深刻になっている。(略)日本は20世紀が始まる前に韓国を植民地化し、収奪、侵略、虐殺を通じて近隣諸国に癒せない傷を与えた加害者だった。この加害者である日本が第二次世界大戦時の被爆体験だけを拡大し表に取り上げ、加害者から被害者に姿を変えようと絶えず試みて来たのが戦後60年の日本の歴史だ。[朝鮮日報 2005年3月11日]

この戦争で生きる道を探し団結すべき時期に、過去事紛争で時間を消耗するのは韓・中・日ともに不幸だ。しかし加害者が悔やまない限り、真正な和解と協力は不可能だ。日本は「戦犯国家」として永遠に残るのか、本心から謝罪してアジア団合の一軸になるのか選択しなければならない。正答は明らかではないか? おのれの足元をすくう馬鹿なまねは、今までだけでも充分だ。[京郷新聞 2005年4月18日]

日本右翼の妄言−謝罪−妄言の堂々巡りを見ていると、近頃ペット用に人気を呼んでいるオウムを思い出す。美しいオウムにはすまない話だが、学んだ言葉だけくどくどと繰り返すオウムと、妄言・謝罪を反復する日本人の生理と、なぜそれほど似ているのか驚くほどだ。[大田日報 2005年6月20日]

日本外務省の内部報告書『朝鮮半島をめぐる動き』は外交的欠礼を越えて、隣国の指導者を扱き下ろす妄発に違いない(略)日本が過去韓半島侵略に対する一抹の呵責でも感じたら、このようにわれわれを見下し傲慢にふるまうことはできない。軍隊慰安婦問題の解決に誠意を見せるどころか、文部科学省が教科書検定課程に介入して出版各社に「独島は日本領」であることを銘記させる等、両国の善隣に逆行して行く歩みはいちいち列挙し難い程度だ。[世界日報 2006年4月6日]

日本はわずか百余年前韓半島を戦場にして中国・ロシアと次々に戦争を行い、韓半島を「奴隷状態」で支配した罪深い国だ。どうしてそんな日本が、米国の背にこっそり乗って、さらに大声で先制爆撃を叫び、もう一度隣国を火の海にしようと率先できるのか。それが国家的良心がある国の声か。韓半島の分断と北韓という国の誕生自体が、植民支配という日本罪業の遺産という事実を忘れたのか。日本がこの地を侵略しなかったら、また日本が第二次大戦のとき少し早く降参しただけでも、北韓という国は生まれなかったはずだ。韓国民族にそんな洗えない罪業を負う日本ならたとえ、米国が先制爆撃論を出したとしても “そこまで行ってはいけない”と抑え、他の代案を出すのが人倫の道理だ。[朝鮮日報 2006年7月10日]

小泉の後任の首相に挙がっている安倍官房長官に懇切に勧告する。前任首相の精神的破綻を踏襲してはいけない。日本が真の隣国と善隣友好関係を発展させていくのを期待するのなら、誤った過去の歴史をきれいに清算するために努力しなければならない。歴史を歪曲しようとしてはいけない。小泉首相の行為は日本の国家イメージと利益を大きく害したことを肝に銘じなければならない。新しい首相はますます拡大する韓日間経済、社会、文化的交流に歩調をあわせて政治的関係も友好的に発展させるために努力することを期待する。[中央日報 2006年8月16日]

北韓をかばうつもりは秋毫もない。しかし北韓と総聯は分離して考えなければならない。在日本大韓民国民団(民団)と同じく、総聯も日本帝国主義の被害者だ。日本は依然として総聯にも借りを負っている。そんな事実にはあえて目を閉じ、北韓を口実にして総聯や総聯係学生たちをいじめるのは、歴史認識が欠けた強者の横暴だ。韓国には複眼で韓日問題を見ろと要求しながら、自分たちは相変わらず単眼を持ち、低質な腹いせをするのは恥ずべきことだ。「総聯いじめ」は日本の国格に関する問題でもある。日本の国際的位相を貶めるものだ。こんなことに断固として対処せずに日本は、平和と反省を云謂する資格がない。[東亜日報 2006年8月21日]

 日独比較論は日本の反道徳性を糾弾する際によく持ち出される論拠だが、日本はホロコーストに該当するような民族浄化作戦はやっていないのだから、対応に差があるのは当然である。それに加えて、ドイツが国家間賠償をほとんど行なっていないこと、ドイツを含む欧米列強が旧植民地に謝罪した例がないことを韓国人が言及することはない。

ドイツとイタリアが敗戦後、ファシズムを罪悪視し国家体制の変革を通じて過去のあやまちに対する追及を徹底して行ったのとはちがって、日本では過去のことに対する追及が弱いだけでなく、むしろ弁明しようとする傾向が強くあらわれている。ブレーキのはずれたような右傾化の姿勢が顕著になっているのである。[金容徳, 臨時増刊世界, 1995年8月号]

日本よ、ドイツのようになりたいか? だったらドイツのようにしろ。韓国人がフランス国民より馬鹿と思うか? それで懺悔もせず、賠償もしなくても韓国文化に熱狂してやり、観光客ちょっと送ってやれば韓国人たちが感之徳之すると思うか? 韓国人を朝三暮四に泣いて笑う猿の群れのように思うのか? (略)お前らがいくらヨン様を見て善良な涙を落としても、そのつまらない涙で濯ぐには韓国人の怨恨があまりにも深い。骨の中にしみた怨恨をお前らが分かるのか! [デイリー・サプライズ 2005年1月20日]

ドイツ人の過去の反省は終わりがない。日常生活の一部であるようだ。日本人が韓国に向かって、「首相が変わる度に韓国に謝罪しろというのか」と話すのとは対照的である。東京の銀座や新宿に、強制連行された朝鮮人勤労者や慰安婦、南京大虐殺の犠牲者の霊を慰める追悼碑を一つ建てるのを期待するのは、西から日が昇るのを待つのと同じように見える。(略)日本政治家らの言行を見ると、日本は精神的、文化的、知的発達障害にかかったようだ。日本は国連安保理常任理事国になる資格を自らはく奪している。[中央日報 2005年4月15日]

日本主流社会は覚醒しなければならない。同じ第二次大戦敗戦国であるドイツと比較して見ても、日本は歴史意識と領土問題に対する接近方式にあまりに差異が出る。経済大国なのに、なぜ近隣諸国には厄介者になっているのか、よく考えてみてほしい。[ハンギョレ 2006年4月23日]

ドイツ人は幼い時節から合理主義哲学で訓育され、神の愛と平和に対する理解が可能な民族だ。そのため彼らは自己反省に忠実な人々でもある。(略)しかし「マルタ」と称される生体実験と、全地球的な指弾を受けた「南京大虐殺」を恣行した日本はそうではなかった。彼らの反省は口先だけの、つまりホンネではない美辞麗句に過ぎなかった。(略)ただ、哲学も思想もない見窄らしい島国、心も大きさも矮小な人間たちを見ながらが、可矜な心を禁ずるすべがない。[デイリーアン 2008年5月21日]


◆怨念、呪詛、恫喝


 道徳的優越感は韓国人の自我を支える重要な要素で、日本人がいくら謝罪しても韓国人には最初から許す気などない。しかし道徳的優越感だけでは恨プリにならないようで、「いつか後悔するぞ」的な呪詛を投げつける者も多い。

日本よ、良心の聴診器を胸に当て、歴史の声を静かに聞いてみよ。アジアで日本が好きだという国は、おそらく一つもないであろう。世界各地で日本人嫌悪の声が日毎に高くなっている。これが歴史の声であり、世界の声である。(略)歴史への悔恨もなく島国小人の奸と驕で他国民に対するならば、遠からず神の峻厳な鞭と歴史の冷酷な審判を受け、悲劇的な敗亡の国へ再び転落するであろう。[安秉U「聴無聲」東亜日報 1982年9月6日]

私自身が絶対に許せないのは、その悪の制度化だ。人類の残酷な歴史の中でも、女性を戦場に連行し娼婦役を強要した国はこの地球上で日本しかない。強姦が犯罪なら、日本は集団的強姦を制度化したまれな国である。私は、従軍慰安婦というのは日本がわが国の女性の全てを集団で強姦したようなものだと思う。おそらく日本はその血の代価をこれからずっと払い続けねばならないだろう。[田麗玉『悲しい日本人』1994年]

「施恵的植民観」を堅持する日本保守派にはこれからは「その‘恩恵’を返してやろう」と言おう。以下は彼等に向けた記者の夢想的発言だ。「…我々もいつか力がつけばあなた方の‘自発的同意’の下に国を併合し、外交権を代行してやろう。あなた方の名前を韓国式に変えさせ、資源も開発してやろう。またどんなことがあっても貴国の‘自発的’従軍慰安婦を連れて行くだろう…。」このように‘恩恵’をやり返してやれば、彼等は我々に感謝を表すだろうか。[京郷新聞 2005年4月18日]

小泉首相は米国のペットという嘲弄を受けるほど、親米的だ。一言で強者に弱く、弱者に強い卑しい姿勢だ。日本がアジアを離れて西洋を徘徊する間、アジアで日本の居場所は減るほかない。(略)日本はアジア国家としてのアイデンティティを取り戻すときだ。グローバル時代に脱米と脱欧はありえない。しかし日本が時代錯誤的な福沢信仰にしばられてアジアからそっぽを向けば、高い対価を支払う日が来るだろう。[金永熙「日本よアジアに帰れ」中央日報 2005年11月25日]

小泉はこのように国内実績が順調で、韓国なぞは笑ってみせる様子だ。彼は強力な米国と手を握っており、中国なぞ気にすることはないと考えているようだ。現在うまく行っているからと、傍若無人にふるまうのは小人がすることだ。既に小泉式の傲慢不遜な外交が、アジアで日本を孤立させているではないか。(略)日本が死ぬか生きるかかけている米国の立場からも、アジアで排斥される日本が不都合になる日が来るだろう。それほど遠くない後日、小泉の「異常な考え」に流され正気を失ったことを日本が後悔する日が来るだろう。[朝鮮日報 2006年4月26日]

自動車産業等の一部尖端技術面ではまだ70〜80%上下水準で遅れていることを是認するが、半導体をはじめIT、造船、鉄鋼、建設(プラント)等の基幹産業では一歩も引けをとらずむしろ先を行っている側面もあることを知るなら、過去侵略国だった時の優越感と傲慢に陶酔し発展変化して行く隣接韓国の自尊心を傷つけ時代錯誤的な妄言を続け理性を失い倫理道徳を忘れるならば、天に代わって誅罰があろうことを警告する。[世界日報米州版 2008年6月7日]

 韓国人の夢は上の京郷新聞の論調に見るように、日本を併合し、土地を収奪し、資源を強奪し、皇后を暗殺し、独立運動を弾圧し、日本人を改名させ、労働力と慰安婦を徴用し…と日本にやられた(と思い込んでいる)ことを片っ端からやり返してやることだが、これが無理ならせめて日本が自然災害で滅ぶことを願うらしい。

依然として軍国主義の妄想を棄てられず、総理が靖国神社を参拝し、過去の植民地支配に対して反省することを知らず、歴史歪曲を事とし、それでも足りずに独島まで自己の地だと言い張る日本。彼らは克服対象であって「敵」でもあり、決して一緒に生きて行くわれわれの「隣人」ではないのだと思う。できることなら、気分次第で自分の力で一度ガツンと倒したいが、それを自然災害が代わりにしてくれるならどんなに有り難いことか。[韓国日報 2006年9月7日]

われわれの立場では、日本国民たちが抹殺された方がよいはずがないが、過去を反省せず妄言を事とする日本の政治人たちを見れば鬱火が上って来るのが事実だ。特に最近米国下院で採択された慰安婦決議案に対して、日本の政治人たちは「根拠がない」という反応を見せており「ああ、ついには沈まないといいがな」という悪態が自然に出る。[フォーカスニュース 2007年8月16日]

 呪詛や恫喝ということでは、北朝鮮の日本非難には軍事国家らしい勇ましいセリフがよく登場する。ただ言い回しがいかにも紋切り型なためか、あまり迫力が感じられないのが難点である。

我々は日本当局の反共和国挑発策動を断固として糾弾し、次のように宣言する。日本が反共和国敵対行為にこだわる限り、日本とは絶対に国交を正常化しない。日本が過去の罪行に対する謝罪と補償をこれ以上回避するなら、全ての罪科に対しては全的に日本側が責任を負うことになる。日本の反共和国行為には、挑発的で強力な自衛的処置で断固として対応する。[外務省代弁人声明 1998年9月15日]

日本当局は無分別な弾圧迫害の罪科に対して深思熟考し、反総聯策動を即刻中止しなければならない。我々の警告にもかかわらず、引き続き反総聯策動に固執するならば、我が自主権に対する侵害と認定し、断固たる報復処置を採るであろう。[外務省代弁人声明 1998年10月25日]

日本反動どもが我々の度重なる警告にもかかわらず、我々を制圧するための道に進むのであれば、彼らに待っているのは破滅のみである。[朝鮮中央通信 1998年11月2日]

日本反動どもは、反共和国対決策動から得るものは何もなく、破滅が待っているだけだということを銘心しなければならない。[平壌放送 1999年1月24日]

日本軍国主義勢力が朝・日関係を意図的に悪化させ、極点に向かう場合、朝・日間に爆発的な事態が起こらないとはだれも保証できない。わが朝鮮はすでにいかなる対朝鮮制裁措置も宣戦布告と見なし、それに強く対応すると警告したことがある。わが軍隊と人民は、日本極右勢力の反朝鮮騒動を鋭く注視しており、もし、彼らがわが国の自主権を少しでも侵すなら強力な物理的措置で対応していくであろう。[労働新聞 2005年1月6日]

日本は、わが民族に謝罪と補償はおろか、逆にわが祖国の神聖な領土まで手に入れようとし、侵略と犯罪の歴史をわい曲してわが民族の尊厳と自主権を乱暴に冒とく、侵害し、正義と良心に挑戦している。全朝鮮民族は、日本反動層の策動をいささかも許さず、日本がわが民族に犯した罪悪を徹底的に計算し、その代価を必ず払わせるであろう。[朝鮮中央通信 2005年3月18日]

日本反動層が対米追従に狂って謀略的で挑発的な反朝鮮「人権」攻勢を繰り広げようとするのは、きわめて卑劣な策動である。このような行為が、朝鮮人民の反日感情と対日超強硬対応意志を誘発するというのは明らかである。日本反動層の極端な反朝鮮政治挑発行為によって生じるすべての結果に対する全責任は、日本が負うことになるであろう。[労働新聞 2006年6月26日]

人類史には、侵略勢力の略奪および殺人蛮行に関する数多くの記録はあるが、日帝のように朝鮮人民の固有な言葉と文字、民族伝統を無残に抹殺し、朝鮮民族自体を地球上から完全になくそうと手段と方法のかぎりを尽くした侵略者、植民地主義者の記録はない。(略)日本は朝鮮人民の百年来の宿敵である。日本とはどんなことがあっても最後まで決着をつけるというのが朝鮮人民の揺るぎない意志である。 (略)全朝鮮人民は、民族共助の旗じるしのもとに団結し、百年来の宿敵日本に対する血塗られた恨みを晴らしてみせる。[労働新聞 2006年8月15日]

倭国の軍国主義者らはいわゆる『日本の安全保障』の口実の下に、わが国に対する先制攻撃で朝鮮再侵略の野望を実現しようとしている。(略)わが軍隊と人民は、日本軍国主義者らがわが国を攻撃するなら、軍事優先の威力によって無慈悲な懲罰を与え、百年の宿敵に対する恨みを晴らさずにはいないだろう。[労働新聞 2007年1月4日]

日本反動層が総連と在日同胞に対して繰り広げている蛮行は、その一つ一つがあまりにも卑劣で幼稚なので人々を驚がくさせている。朝鮮民主女性同盟は、歴史的に積もりに積もった怒りと恨みを合わせ全朝鮮女性と母の名において、総連と在日朝鮮人に対する人権侵害行為を断罪、糾弾する。[朝鮮中央通信 2007年1月26日]

歴史はわい曲するからといって変わるものではなく、犯罪は否定するからといってうやむやになるのではないということを日本当局はしかと知るべきである。安倍政権が時代錯誤で愚かな妄動を止めなければ、日本には前途がなく、破滅的な結果だけがもたらされるであろう。[朝鮮中央通信 2007年4月3日]

日本が国際社会の反対を無視し、軍国化と海外膨張の道をひた走るなら、高価な代償を支払うことになるであろう。[労働新聞 2007年9月27日]

◆スポーツ反日

 韓国人の恨の原因は、日本支配からの解放が自力で勝ち取ったものでなく、日本がアメリカに負けたために独立できたということにある。このため日本に対する勝利感が不足し、いまだにスカッとできずにいる。この恨を解くために、韓国人は日本と戦争して勝つことを熱望するが、スポーツの日韓戦はこの代理満足を与える。このため、日本に勝とうものなら気が狂ったように喜ぶ。

「われわれは日本をとらえた。日本を破った」という大歓声が空をつくように爆発した。一四日夜、蚕室大運動場で韓国のアマ野球が日本をおさえ世界の頂上を制覇した瞬間、全国民があげた歓声は天と地にこだました。この一大逆転ドラマを直接観戦した五万観衆はもちろん、TVとラジオの前に集まった視聴者たちはひとつの心になり勝利の歓声を声高くあげた。まさに日本の歴史教科書歪曲事件によって克日しようという雰囲気が高潮しているとき、この日の野球の勝利はわが国民に、日本に勝つことができる、日本を破ることができるという自信感を植えつけてくれるに十分だった。[京郷新聞 1982年9月15日]

「日本はない」これ以上痛快なことはない。日本列島で活躍しているともに29歳の「太極男」李承Y(千葉ロッテ)と安貞桓(横浜マリノス)が、13日並んでホームランとゴールを入れた。決勝ホームランと決勝ゴールなので、さらに感激的だった。[「‘日本はない’コリアン突風列島強打」日刊スポーツ 2005年4月14日]

一編のドラマだった。沈みがちな競技雰囲気を一気に反転させた絵のような守備、アジアのホームラン王の逆転ホームラン、そして韓・日両国代表選手たちの最後の勝負まで。一昨日日本の東京ドームで開かれた世界野球クラシック(WBC)アジア予選最終競技は、野球の真髄を見せてくれたまれに見る名勝負だった。特に両国最精鋭選手たちの間の史上初の正面対決だったから、野球版「東京大捷」と呼ぶほど国民の胸をすかっとさせた逆転勝だった。[「謙遜さで掘り出した韓・日戦勝利」ハンギョレ 2006年3月6日]

 韓国人のこうした恨をよく承知しているマスコミは、日韓対決を擬似戦争として大いに煽り立てる。

「勝てば喜び2倍、負ければ悔しさ倍増」 韓国人大リーガーには今年も避けられない対決が待っている。大リーグでプレーする日本人選手との対決だ。[「韓日大リーガーがプライドかけ投打対決」朝鮮日報 2004年4月2日]

国内言論はスポーツで日本に対して「宿敵」という表現を多く使う。隣国だから国際大会で多くぶつかることもあるが、歴史的な部分が強調され韓日戦は普通の試合以上の意味を持つ。太極マークをつけて競技に臨む国家代表選手たちは、常に韓日戦では「必勝意志」を燃やす。[「‘洪明甫号’が必ず勝たねばならないもうひとつの理由!」スポーツソウル, 2006年11月14日]

また別の全北関係者は「広報活動を韓日戦に絞るしかなかった。それでこそファンが関心を持つようになるから。秋夕連休の最終日に浦和戦が行われたが、韓日戦を前面に出した広報のお陰で、いつもより多くの観衆が全州ワールドカップ競技場を訪れた」と明らかにした。[「城南・浦和戦を眺める韓国と日本」スポーツ2.0 2007年10月12日]

 スポーツ新聞の見出しには「日本征伐」「列島平定」という見出しが躍り、すぐにでも戦争を始めそうな勢いである。

「[ピンクスカップ]韓国娘子軍‘南伐’出征」国民日報 2000年11月28日
「Jリーグ洪明甫‘列島平定’」国民日報 2001年2月2日
「朴贊浩‘イチロー南伐’GO!」韓国日報 2001年2月2日
「コエリュ号、日本征伐‘準備完了’」聯合ニュース 2003年5月28日
「太極戦士たち“31日は日本征伐の日”」京郷新聞 2003年5月29日
「太極戦士、列島征服に出る」ファイナンシャルニュース 2003年5月30日
「日本征伐に出る鄭a臺」ニューシス 2003年11月2日
「李承Y、日本征服本格鍛錬開始」iMBCsports 2003年12月22 日
「21日に日本を二度殺す“独島セレモニー放つ”」スポーツトゥデイ 2004年2月2日
「李承Y‘列島征伐’快足亢進」文化日報 2004年4月1日
「曹宰榛‘Jリーグ平定してヨーロッパ行く’」聯合ニュース 2004年12月1日
「太極娘子たち、今回は日本征伐!」YTN TV 2004年12月4日
「李承Y“南伐準備完了”…28日出国」国民日報 2005年1月26日
「清水移籍崔兌旭、‘スピードで日本征伐’」聯合ニュース 2005年1月27日
「‘韓国のシューマッハ’日本征伐始動」ハンギョレ 2005年1月28日
「李承Y、2試合連続大砲‘本格南伐’」OSEN 2005年4月6日
「崔洪萬、6月14日南伐確定」OSEN 2005年4月18日
「李承Y‘南伐’開始」江原日報 2005年7月22日
「朴智星の後輩たち、日本征伐に出る」聯合ニュース 2005年8月23日
「李承Y30号ホームラン“南伐完成”」京郷新聞 2005年9月24日
「李承Y、2年目で“南伐”成功」聯合ニュース 2005年9月28日
「李承Y“南伐”の打棒立てた」世界日報 2005年10月7日
「プロ野球三星、日本征伐ねらう」毎日経済 2005年10月20日
「三星“今回は日本征伐”来月亜王中王戦参加」ヘラルド経済 2005年10月20日
「“日本征服”李承Yビッグリーグ狙う」世界日報 2005年10月27日
「‘キング’承Y、列島征服」ソウル新聞 2005年10月27日
「“南伐”に出る韓国シリーズMVP呉昇桓」OSEN 2005年11月8日
「‘南伐’に出る李承Y」OSEN 2006年1月30日
「李承Y、日本平定して前半期終える」聯合ニュース 2006年7月19日
「張晶、‘列島完全征服’」スポーツカン 2006年10月1日
「朴主永、日だけ見ればやり抜く‘南伐先鋒将’」スポーツカン 2006年11月15日
「李承Y、来年には日本征伐!」ニューシス 2006年11月29日
「‘バットで日本平定’李承Yの新年の抱負」SBS TV 2006年12月25日
「李承Y、2007年日本征服のための始動かけ」 2007年1月3日
「日本征服開始!−炳圭28日、承Y30日出国」スポーツソウル 2007年1月26日
「李承Y26日出国…日本征伐2弾‘スタート’」聯合ニュース 2007年2月25日
「モムチャンになった李承Y、日本征伐出征」スポーツカン 2007年2月26日
「李炳圭の日本征服‘障害物なし’」スポーツソウル 2007年4月8日
「金廣鉉‘列島征服’…SK、中日に6−3勝利」東亜日報 2007年11月8日
「林昌勇‘汗で列島征服!’“体作ってヤクルト合流”」スポーツカン 2007年12月14日
「李承Y、日本征伐に17日午前出国」OSEN 2008年3月17日
「申智愛、日本列島占領」プライム経済 2008年3月24日
「李承Y・李炳圭・林昌勇…‘韓国人3銃士’列島征伐始まった」世界日報 2008年3月27日
「韓国男子ゴルファーたちの“日本征伐”本格化」週刊韓国 2008年5月10日
「全美貞、JLPGA通算8勝、‘列島征伐’」デジタルタイムズ 2008年6月8日
「車範根監督、Kリーグ・オールスター率いて南伐に出る」スポータルコリア 2008年6月10日


 本当に言っているかどうかは知らないが、韓国人スポーツ選手は日本に対しやたら挑発的な発言をしていることになっている。

「見ていてください。日本野球の鼻っぱしらを必ずへし折ってやります」プロ野球、サムスンの林昌龍(イム・チャンヨン/28)投手がイ・スンヨプ(千葉ロッテ・マリーンズ)の衝撃的な2軍落ちの知らせに覚悟を新たにしている。[「“イ・スンヨプを他山の石に”日本目指すサムスン林昌龍投手」朝鮮日報 2004年5月13日]

今回、崔敏浩の最大のライバルは日本の野村忠宏。柔道名家の血を継ぐ典型的な武人だ。96年アトランタ、00年シドニーに続く3連覇をねらっている。対戦表を見ると、崔敏浩は野村と準決勝で対戦することになりそうだ。崔敏浩は「野村時代を確実に終結させ、韓国の国民に金メダル獲得を伝えたい」と語った。[「崔敏浩“野村かかってこい!”」中央日報 2004年8月13日]

「日本は嫌いだ」金炳賢(25)が自身を日本プロ野球団にトレードさせようという所属チームのレッドソックスと綱引きをしていることが明らかになった。[「金炳賢“日本は嫌いだ”…ボストンは接触継続」聯合ニュース 2004年10月28日]

あの時は韓国人という自負心ひとつで野球をした。東京ドームに初めて愛国歌を響かせたし、私が打席に立ち入る時のテーマソングも愛国歌だった。日本野球の象徴と呼ばれる読売で最高になって、日本人たちの鼻を平たくしたかった。[趙成aインタビュー, スポーツ朝鮮 2005年8月16日]

「アジア大会(野球)日本戦敗戦のうっぷんはわたしたちが晴らしたわよ!」韓日の女子プロゴルファーらによって争われるKYORAKUカップ・第7回日韓女子プロゴルフ対抗戦(賞金総額6150万円)は、韓国スーパー女子の勝利で幕を閉じた。[「ゴルフ:韓国、女子ゴルフ韓日対抗戦に快勝」スポーツ朝鮮 2006年12月4日]


◆韓流への陶酔


 ドラマを中心とする韓流熱風は韓国人の民族的自尊心を大いに満足させたが、特に文化的に日本を征服したと考えることは、恍惚となるほどの幸福感をもたらした。本来は物質的世界での劣位を苦労して無視して、精神的世界でのみ得られるはずの満足感が現実的なものになったのだから、無理もないと言える。

韓国で大衆文化に携わる人々のフレッシュな発想がアジア各国で熱い韓流を作り出した。新鮮な素材と奇抜なアイディアがさまざまな作品に反映されて、プロ精神が言語と風俗のハードルを乗り越えてアジア人の胸を打つという分析がもっともらしい。[「日本の“冬のソナタ”」東亜日報 2004年6月18日]

日本で最近「最もよく売れる」テーマは韓国だ。放送は勿論のこと新聞、雑誌等に一日も切れ目なく韓国関連話が登場する。震源地は「ヨン様」裴勇俊だ。ドラマ冬恋歌を土台としたヨン様の人気はブームからシンドロームに、いまは学問的な研究対象にまで発展した。[「[東京から]“ヨン様”と韓国人掏摸」京郷新聞 2004年7月11日]

韓国映画の突風は映画祭受賞と招請にのみ局限されない。韓国映画は今や国際舞台で単に映画祭の受賞に満足せず、世界市場の興行成功可能性に目を向けている。韓国映画が米国市場で、中国とタイ映画等とともにアジア映画突風の主役として目立っている。[「韓国映画“国際舞台”でなぜ強盛なのか?」ノーカットニュース 2004年9月12日]

日本内での韓流スター人気に対するある日本女性の分析も紹介した。保守的な日本人達が日本スター達を差し置いて韓国男性にこのように熱狂するのは、日本男性達に目覚めろというメッセージでもあるというもの。日本女性達は軍隊に行く韓国男子を好み、韓国男子と比較して「軟弱な」日本男子がむしろ女子達にはみだりにする点を挙げるということだ。[「崔佛岩、“『ヨン様』大変なものだ”」聨合ニュース 2004年10月27日]

負けたらきれいに承服して勝者から学ぶのが日本文化の根という説明だ。今日本で起きている韓流を理解するのにベネディクトの研究を想起するのが適切かは疑問があるが、その研究は韓流への反転を理解するには参考になるだろう。現実をあるとおり直ちに受け入れる日本文化の開放性と現実性を知る必要があるという話だ。[「2005年の韓流と反日は?」ソウル新聞 2005年1月6日]

韓国の大衆文化、情報通信、住居文化水準は日本が無視できない段階になり、両国間の民間交流は一時的に不振なことはあるが、時間が経つほど増大する趨勢だ。韓国でも、日本大衆文化に対する拒否感は相当部分消えた。日本が公平性を問題視して韓国大衆文化を拒否する理由が消えている。言い換えれば日本で「韓流の固着化」が進行される兆朕が見えるのだ。[張八鉉「日本、なぜ今‘嫌韓流’か」新東亜 2005年10月号]

それに日本若者の〈嫌韓流〉に対する熱狂は、攻勢というより反作用の性格が濃い。日本人たちの間で韓国の位相が急に高まったことによる反感から出発した。特に韓国ドラマとスターたちに没頭する中年女性ファンたちの過激な姿が、これらにはいまいましいことこの上ない。一体韓国がいつからそんなにすごい国になったのかというすねた口ぶりが絶えない。このような反感が韓国叩きにつながる。[「‘嫌韓ウイルス’退治法」ハンギョレ 2005年10月16日]

韓流はアジア人たちの韓国に対する認識を、経済途上国家から文化先進国家へと転換させた。数多くのアジア人たちが韓国の作品とスターたちに熱狂し、直接韓国を訪ねて来たり韓国語を学ぶことに没頭した。[「韓流を予測できなかった理由の反復」デイリーアン 2006年9月27日]

韓国文化を海外で楽しんで消費するということは、もちろん嬉しいことだ。産業的にのみならず、文化的自負心の面でも好材だ。[「'東方神起' と '怪物' は韓流ではない」NEWSIS 2007年2月11日]

中国や東南亜を旅行すれば、韓流がわれわれだけの錯覚ではないことを改めて実感することになる。ショッピングセンターには名品待接を受ける韓国産製品が一杯で、道路には韓国産自動車が整然と並ぶ。韓国ドラマと韓国演芸人が登場する広告も、随時に接することができる。韓流は明らかに虚像ではなく、実在する文化現象だ。[「韓流を越えて」韓国日報 2007年2月27日]

日本内の韓流に対して語る人は多い。東京の地下鉄で韓国語をはばかりなく話すようになったのも、日本のカラオケで韓国歌を思いのまま歌えるようになったのも、韓流熱風に負うものだろうと。ふと見れば、まるで韓国が日本を占領したような気分に陥りやすい。[「韓国‘横車法’と日本文化の浸透」ソウル新聞 2007年3月15日]

しかし韓国の文化品目と伝統飲食がこれほど愛を受けるという現実は、感動的で暗示的だ。韓国のイメージは、人間の暮らしで最も重要な味と情緒・幸福のイメージだ。政治がときどき三流から四流に転落する韓国だが、キムチ・歌・テレビドラマ・映画そして美しい携帯電話は、全世界人の愛を受ける。[「韓国のイメージ」東亜日報 2007年3月30日]

国民個々人が韓流の拡散を見て、われわれの文化的力が世界へ伸びて行っていると誇らしがる。政府次元では一歩進んで、韓流の拡散はわが大韓民国の経済的利益はもちろん、国家的自負心を高め、世界市場で国家ブランドのイメージを高め、わが文化の優秀性を世界に知らせると規定し、あらゆる支援を惜しまずにいる。 新聞と放送は先を争って世界の隅々に隠れている韓流を捜し出し、「大韓民国」を叫ぶのに先頭に立ってている。[「‘メイド・イン・コリア' 烙印の本当の理由は…」プレシアン 2007年9月13日]

 韓国のスポーツ紙によると、スポーツ選手ばかりでなく韓国の芸能人も、しょっちゅう日本を征伐したり占領したりしているらしい。

「[映画]‘共同警備区域JSA’日本平定目の前」韓国日報 2001年5月15日
「ロックグループトラックス、日本征伐−オリコンチャートに上がる」マイデイリー 2004年12月17日
「東方神起、日本デビューシングル出して日本征服始動」ジョイニュース24 2005年4月26日
「朴龍河、1万席規模の‘南伐’コンサート」京郷新聞 2005年6月2日
「テイ、日単独コンサート…本格日本征伐開始」マイデイリー 2005年8月17日
「ドラマに次いでOSTも日本征伐始動」ヘラルド生生ニュース 2005年8月17日
「韓国大衆文化、日本列島‘完全征服’」ヘラルド経済 2005年11月3日
「ピ、列島完全征服‘カウントダウン’」スポーツカン 2005年11月8日
「李東健“南伐”…映画・単行本等今年日本市場攻略」世界日報 2006年1月25日
「カンタ&バネス、日本平定に出る」スターニュース 2006年7月11日
「‘怪物’の南伐…主演俳優たち日本行」ニューシス 2006年7月31日
「“セクシー・ディーバ”アイビー、演技者として日本征伐」世界日報 2007年3月15日
「南伐に出る‘朱蒙’日内房劇場に‘怪物番組’紹介」ノーカットニュース 2007年3月30日
「安在旭 列島征服始動…6月日本四都市ツアー公演」スポーツカン 2007年4月29日
「沈炯來監督、“D−WAR日本占領に出る”」スポーツ朝鮮 2007年10月17日
「‘太王四神記’日本平定に出る…劇場上映に続きNHK来年末放映予定」韓国経済 2007年10月29日
「FTアイランド、タイに次いで日本まで占領」世界日報 2007年12月24日
「‘大祚榮’の崔秀宗、日列島征伐作業着手」韓国日報 2007年12月26日
「SS501、日本征服戦略は現地化A」世界日報 2008年2月12日
「7年ぶりに‘演歌’復活…韓流スターたち日本征伐」スポーツ朝鮮 2008年2月19日
「ビッグバン4月日本二枚目ミニ・アルバム発表‘本格列島征伐’」ニュースエン 2008年3月7日
「‘日本征伐’SS501、国内活動スタート」デイリー・サプライズ 2008年3月12日
「張娜拉‘韓流南伐’開始 オー!ハッピーデイ」韓国日報 2008年5月7日
「“太王を敬拝しろ”熱い列島」スポーツ東亜 2008年6月2日
「韓流 宋承憲−朴龍河、日本列島‘占領’」ジョイニュース24 2008年6月7日
「柳時元、列島平定に出る」ノーカットニュース 2008年6月24日


◆羨望


 日本人のノーベル賞受賞は、韓国人の文化的優越感に打撃を与え、小中華思想を危うくさせる。このため韓国人は、一刻も早く科学分野と文学でノーベル賞を取らなければならないと考えている。

ノーベル賞のために私たちの文化的優越感、数千年の間、海を隔てた国よりは先んじていたという自負心が輝きを失う。(略)日本は手先が器用で文明的であるが、韓国は文化的だと誇ってきた。ものを作って売ることには負けるかもしれないが、思惟し、窮理する分野で負けるわけがあろうかと言ってきた。しかし小説文学という文化で負けた。[東亜日報 1994年10月15日]

1901年に始まったノーベル賞は、今年(2001)年に100周年を迎える。優秀なソンビ祖上の血を引く韓国人がこの賞を取ってこそ、われわれも先進文化民族としての体面が立つと言われて来た。最近人々が集まればよく出る話題が、韓国はいつどの分野で次のノーベル賞を取れるかということだ。[金イルフン「韓国人ノーベル文学賞はいつ可能か?」月刊ハングル+漢字文化 2001年3月号]

この日の科技部記者室の雰囲気は、日本とは大違いだった。「韓国はいつまで他人の祝賀を聞くだけなのか」「日本が次々に取るノーベル賞を、韓国はなぜ取れないのか」自嘲の声が漏れてきた。[「日本は学士もノーベル賞を取るのに…」韓国経済 2002年10月10日]

呉明科学技術部長官、金雨植青瓦台秘書室長、鄭雲燦ソウル大総長等社会各界人士達は去る5月20日ソウル三仙洞コエックス・インターコンチネンタル・ホテルに集まり世界最初に人間肝細胞培養をしたソウル大黄禹錫教授の後援会を作り、ノーベル賞を乗れるよう努力することにした。このように後援会まで作ってノーベル賞を乗るため努力する程度にわが国はノーベル科学賞に焦がれている。今までただの一名もノーベル科学賞施賞台に上がれなかったためだ。[「ノーベル科学賞が見える−まだ2%不足だ」京郷新聞 2004年6月10日]

 ノーベル賞を含め、日本の国力を目の当たりにした韓国人は、政府の努力不足のせいにして自分を納得させる傾向がある。

日本政府と企業が、数十年間自国文化を伝えるために全力を注いできた事実は決して「ニュース」ではない。このようにとてつもない時間とお金と真心で、世界の人々を「日本びいき」にしているのだ。[「日本文化あふれる大英博物館」中央日報 2002年3月13日]

日本が計11人目のノーベル賞受賞者を輩出し、科学分野で3年連続受賞者が出たことを見るにつれ、うらやましさを感じる一方で、我々の現実に対するもどかしさを禁じえない。(略)我々の現実はどうか。昨年、政府と民間の研究開発投資額は125億ドルで、米国(2650億ドル)の4.7%、日本(1390億ドル)の9%に過ぎなかった。フォードとGMを合わせた額(136億ドル)より少ない。[「科学分野のノーベル賞、韓国は無理か」中央日報 2002年10月9日]

久しく前から「富士山」「着物」「歌舞伎」「寿司」「相撲」などは、日本政府が国家の象徴物に指定して、日本文化を紹介するとき活用して来たと言う。加えて「活け花」「浮世絵」に至るまで、日本のイメージは今日あちこちに溢れており、よく目にするため親密な感じすら抱かせる。わが国の国家政策決定権者達は、実際に造形芸術分野や映画などを楽しむ人々ではないのではないかという気がする。彼らは「芸術」とか「文化」という単語の代わりに、常に「文化産業」という単語を好む人達だからだ。その誰も、真の愛情をもって文化政策に参与しているように見えない。[「一国の魅力はどこから来るのか」オーマイニュース 2005年1月22日]

この行事では日本の着物が登場し、中国の京劇の衣装もずっと観客の目を引いていた。しかし韓国の衣装はどこにも見つからなかった。民族衣装だけではない。韓国の文化や伝統をイメージしたものなど何一つ登場しなかったのだ。さらに拍子抜けなことに、アジアと中東の歴史を紹介する場面で、着物を着た女性が登場した後に日本と韓国の歴史が紹介されたのだ。しかも韓国に関する内容はスタジアムの超大型スクリーンに「紀元前2300年・檀君」と短く表示されただけだった。(略)韓国で常日ごろスポーツ外交を強調している関係者たちは、いったい何をしていたのだろうか。[「ドーハ・アジア大会に韓国は見あたらなかった」朝鮮日報 2006年12月4日]

政府と公共企業の後援を受けて、米国人教師たちが日本で短期研修するプログラムもたくさん提供する。日本の支援下でその文化を直接・間接に体験した米国教師が「日本ファン」にならないはずがない。問題は相当部分韓国から渡った日本文化を、固有で独創的な文化だと考えることだ。甚だしくは韓国文化を日本の亜流と考えたりする。[「米国内の日本」ニューシス 2007年11月12日]

世界政治の中心地ワシントンの至るところで日本の力を発見して驚いた経験は一度や二度ではない。(略)米国で日本が力を発揮できる状況は一朝一夕で生まれたものではない。現在米国で日本の立場を代弁する日本専門家は大半が早期に発掘され、「管理」されているものだ。日本政府と民間企業は米国の有望な日本研究者が大学院生だったときからビジネスクラスの往復航空券を買い与え、研究費を支援してきた。[「米国で発見した日本の力量」朝鮮日報 2008年5月31日]

 日本の経済力は韓国人にとってはかんしゃくのタネで、ときには確証がなくても「円の力ビリビリ」とやる。

日本政府がアジア地震・津波大惨事を、国際舞台で自国の位相を精一杯引き上げる絶好の機会に活用している。(略)東京の外交街ではこのような日本政府の大々的支援決定は、大惨事を契機に「指導国家」としての存在感を誇示し、国連N常任理事国進出に有利な環境を造成しようとする野心が敷かれたものと分析している。[「日、資金・人力・装備世界最大支援」聯合ニュース 2005年1月2日]

日本の国連安全保障理事会常任理事国の席を占めるための戦略は、やはり「カネ」だった。日本政府は国連の「政府開発援助(ODA)の大幅増加」の要求を全幅受容することにした。[「日常任理事国進出の最大の武器はやはり‘カネ’」プレシアン 2005年3月31日]

こうした差は単に野球実力の差や偶然の現象ではないという有力な「証言」を、ブライアン・キャッシュマン・ヤンキース団長は松井再契約のときにした。年平均1300万ドルの年俸にトレード拒否権まで付いた松井の契約に対し、一角で「厚遇しすぎではないか」と批判されると、キャッシュマンは「野球の実力以外にビジネス的側面も勘案した契約だ。松井はグラウンドでの才能だけではなく、日本でヤンキースの注目度を高めることができる存在だ。特にビジネス面で他の選手に抜きん出た価値を持っている」と反駁した。(略)逆説的に松井と松坂の 「特急待遇」を見ていていると、朴賛浩ら韓国人ビッグリーガのすごさを改めて実感することになる。事実上いかなる野球外的市場の価値もなしに、ひたすら野球の実力だけで現在の富と名声をつかんだからだ。[「朴賛浩が松井・松坂より‘すごい’理由」OSEN 2006年11月22日]

日本の森理世が1位を占めて、ネチズンたちは騒ぎ始めた。ミス・ユニバース大会と日本の密接な連関があるからだ。25億ドルの価値の2007ミス・ユニバース・クラウンは、日本の有名ジュエリー・ブランドのミキモトの作品だ。一部では「日本のスポンサーが大会結果に有利に作用したのではないか」という疑い深い推測をしている。[「ミス・ユニバース結果論難“豊かなスポンサー日本の影響?”」中央日報 2007年5月29日]

韓国が開発途上国の市場で、いつも日本の壁にぶつかっている。日本がこれまで発展途上国にばらまいて来た「政府開発援助(ODA)」のためだ。(略)ベトナムの大型国策事業の受注で、韓国が日本に押される理由は簡単だ。2005年に日本は6億266万ドルをベトナムにODAとして与えたが、韓国は1529万ドルのODAを出すにとどまった。[「アフリカ・中央亜等で韓国が日本に押されるわけは?」毎日経済 2007年7月17日]

しかし問題は他の部分にあった。ヨーロッパ出身審判陣の金妍兒に対する予想より低い評価だ。(略)あるネチズンは「日本のスポンサーの力ではないか」という推測性疑惑の文を残した。実際今回の世界選手権で日本の影響力は大きい。リンク外郭を飾る日本屈指のスポンサーの看板はもちろん、フィギュア選手権のホームページでも開催国であるスウェーデン語以外では英語・日本語だけがサービスされている。「フィギュアの順位は国力の順位」という言葉も虚荒な言葉ではない。[「金妍兒‘唯一の弱点は国力?!’」デイリーアン 2008年3月21日]

 日本文化開放前の1990年代には、反対派は根拠不明の陰謀論まで持ち出して開放を阻止しようとしていた。

現在韓国は「ベルン条約」や「世界著作権条約」などの国際著作権条約に加入しておらず、世界各国から非難を浴びている。しかし、唯一日本だけはこれに箝口令をしいている。その理由は多々あろうが、日本の識者の中には、日本の新刊書籍が韓国で次々に翻訳・出版されることを満足に思う者が多いという。わずかなロイヤルティは得られなくとも、さほどの労力を使うことなく、日本文化を韓国に移植できるからだという。日本の韓国に対する計算の中身を如実に物語る例である。[朴相泰「密入国する日本の下半身文化の現状」『政経文化』1984年3月号]

日本政府が韓国に対してわざわざ日本映画と大衆文化の輸入開放を要求しているのは、大きく飛躍する兆しを見せている韓国人の民族意識、民族的自負心、未来への雄大な設計意欲を麻痺させるべく麻薬服用を強要するようなものだ。[愼纛『韓国現代史と民族問題』1990年]

漫画問題に精通したある児童文学家が聞かせてくれた日本漫画の韓国進出のシナリオは、驚くべきものであった。漫画大国らしく漫画の文化、イデオロギー伝播力をよく知っている彼らは、巨視的な視点に立って自分達の漫画を植えつけようとしてきたという話だ。そのような努力は多角度に展開されている。我々がいくらタダで海賊版を出しても漫画に対しては別に抗議がなく、むしろ我が国の業者にひそかに海賊版出版を勧めてきたということだ。甚だしくは日本漫画業界で招待、歓待までして漫画を紹介する場を斡旋することまでしていたという。[「童心まで侵食する日本漫画」朝鮮日報 1991年5月11日]

我々の漫画が素材の制限と支援不足で零細性を免れないでいるなかで、八〇年代末から日本漫画が無断コピーで流入し始めました。はじめには拱手傍観していた日本側が、最近に入って原稿料を要求しています。一旦韓国読者らに日本漫画を味あわせておいて、これからは金を儲けようと言うのです。[朝鮮日報 1995年4月10日]

我が生活文化の庭先は公然と流れ込んでくる日本風文化でいっぱいだ。テレビ・映画・漫画・歌謡など大衆文化全般で日本文化の流入が日増しに増加している。特に八〇年代末からNHK、WOW−WOWなど、日本の衛星放送視聴ブームは我が大衆文化の多くの部分を日本風に染めている。[「茶の間にまで押し寄せる倭色文化」韓国日報 1995年8月8日]

 いざ開放してみると、韓国の文化産業全体が崩壊するという危惧は、韓流ブームによって杞憂に終わった。しかし日本文化の浸透が静かに続いているのも事実で、いまだに大時代な警戒感や反感を提起する者もいる。

この他にもコスプレ、J−POP、アニメなどに対する国内原産の「オタク」族の勢いが拡がっている実情だ。一方独島などの民族問題と関連する日本発妄言に対しては、特別な反応がない。むしろ「私たちは日本に10年は遅れている」「日本に追いつくことができるのか」など、自嘲混じりの日本称揚歌が若者達の間を流れている。[「明洞‘日色’一色…3.1節が恥ずかしい」ヘラルド経済 2005年2月28日]

援助交際は日本が極甚な不況に陥っている間に、10代の少女たちが小遣いを得るために職場人男性と性的交際をしたことから生じた。甚だしくは今や国内では、履いたパンティーをインターネットを通じて売る女子高生まで登場して衝撃を与えた。金ジヨン建陽大治療相談学科教授は「わが青少年たちの大部分が濾過なしに日本退廃文化を受け入れ染まって行くのが大きな問題」と憂慮した。光復60周年を迎え、太極旗が光化門四角を覆っている。しかし今や大韓民国は、日本退廃文化の空襲で支離滅裂になっている。精神を再び自発的に強奪されているわけだ。[「光化門には太極旗の波、日退廃文化空襲には支離滅裂」ヘラルド生生ニュース 2005年8月15日]

このようなジャパニメーションの氾濫は、まかり間違うと日本文化を濾過なく受け入れる問題を発生させる。(略)ほとんど30余年にわたって形成された日本の文化的情緒が溶け込んだ「ケロロ」は、韓国児童の文化的正体性さえ揺るがす危険性がある・「ナルト」と「犬夜叉」のような作品は、日本の「サムライ文化」と「土俗信仰と汎神論」等が込められている。[金ヨンドク「わが暮らしの中に染みこんだ日本アニメーション」デイリーアン 2006年9月22日]

良い本に国境があるのかとはいえ心思が複雑なのは仕方ない。取るに足りない民族感情なんかが動いたのではない。そうでなくても息苦しいのに1000年の歴史の日本の小説を受け入れて肩身が狭い。日本小説全盛時代だ。どうしたらいいか。[「1000年前の小説まで…日本の小説、なぜ人気?」中央日報 2007月1年16日]

気づいているか。日本文化が忍者のように音もなくわれわれの背後に忍び寄っていることを。知っているか。われわれ自身も知らぬ間に日本文化の口当たりの良い味にはまっていることを。(略)われわれの息子や娘たちは、民族の苦悩よりは甘い個人事を扱う日本小説にまず魅了される。あなたは彼らを咎めるだろうか。日帝侵奪の歴史をどうして忘れられるのかと。[「忍者のように忍び寄る日流」毎日経済 2007年1月30日]

日本小説の洪水下で、露骨で加虐的な性愛場面を描写したり、情緒的に納得し難い不倫を描いた含量未達の作品まで堰の水のようにわが文学市場に流れ込んで来ている。(略)ある文学専門出版社の代表は「日本小説があまりに無分別に入って来ている」とし「母親の友人との愛を描いた不倫小説、猟奇殺人等を扱った三流小説まで堂堂とわが書店街を飾っている」と告発した。[「不倫・猟奇…日小説幅を利かせる」ソウル新聞 2007年2月23日]

日本原作をリメイクしたドラマ「白い巨搭」のヒット以後、国語辞典にもない見慣れぬ単語「巨搭」という言葉が大衆の間に何気なく流れているのを見れば、まるで洋葱を「タマネギ」、大根漬を「タクアン」と呼んだ恥ずべき過去が思い出される心境だ。いまだにわが言葉には日本式造語の残物がいかに多く残っていることか。ところでこんな日本原作の無分別な流入によって、自浄され始めた日本式表現が再び急増するのかと思うと胸が苦しい。[「‘韓国の村上龍’を探して…」朝鮮日報 2007年3月30日]

日本漫画とアニメーションが広く広まり、日本帝国主義や極右的な視角にわが国の青少年たちが無防備状態で露出されている。(略)日本の帝国主義熱望を美化したり、日本を被害者にすり替える日本漫画・アニメーションが青少年の間に深く入り込んでいるのだ。青少年たちが作家の考えや思想が強く投影された漫画やアニメーションを濾過なしに受け入れることで、歪曲された歴史観を持つようになる可能性が高いということだ。[「日右翼アニ・漫画インターネット占領」毎日新聞 2007年9月6日]

ところで書店街やCD売場に行って見れば、まるでここが韓国ではなく日本であるように錯覚するほど日流があふれているということに、少しは苦言を呈したくなる。ベストセラーを見ても、韓国文学よりは日本文学が多数を占有している。(略)そんな点でわれわれの中の日流は、あまりに行き過ぎている。われわれが日流を通じて、自己の文化的正体性を多く、そして早く忘れてしまっているからだ。[鄭銀淑「文化正体性まで見下す日本の波」ハンギョレ 2007年6月24日]

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