韓流の言説


 ここでは韓国の新聞記事を中心に、韓流に関する言説を検討する。その前段階として、韓流関連の統計データを整理しておく。ところでこのページの写真は、内容とは全く関係ない。



.統計

 日本における韓流ブームを主導したのは、『冬のソナタ』をはじめとするTVドラマだった。NHK総合で2004年4〜8月に放送された冬ソナによってヨン様ブームが爆発すると、民放各社もこぞって韓国ドラマを買い求めた。これは既に中華圏で生じていた韓国ドラマへの需要拡大をさらに加速し、2004〜05年の韓国TV番組の輸出額は50%以上の増加率で急増した。日本の韓流ブームが冷めた2006年には、増加率は落ちたもののTV番組の輸出額はしぶとく増加を続け、輸入が減少したこともあって黒字幅は1億ドルを超えた。2006年の輸出の内訳を見ると、ドラマの輸出は減ったが正体不明の「その他の番組」の輸出が増えており、日本への輸出は減ったが台湾等が増えている。

韓国の放送番組の貿易収支
年次 輸出(万ドル) 輸入(万ドル) 収支(万ドル)
1998 1001.7 2703.6 ▲1701.9
1999 1273.6 2873.3 ▲1599.7
2000 1311.1 2909.3 ▲1598.2
2001 1892.0 2044.2 ▲52.2
2002 2881.3 2511.1 70.2
2003 4213.5 2806.2 1407.3
2004 7146.1 3109.6 4036.5
2005 12349.3 3697.5 8651.8
2006 14774.3 3165.7 11608.6
韓国放送映像産業振興院『2006年放送映像物輸出入統計』MARKET CLIPPING 06-09.
(http://www.kbi.re.kr/report/ipaview.jsp?c_seq=9&menucode=3/2/ipa&cpage=1)

 しぶとく韓流の面目を支えている放送コンテンツに比べ、映画は日本市場への依存がはるかに大きく、2006年には悲惨な凋落ぶりを示した。それまで順調に伸びてきた輸出実績が、日本でのバブル崩壊のあおりを受けて、一気に前年の1/3水準まで落ち込んだのである。それでなくても韓国の映画産業は、スター俳優のギャランティーとマーケティング費用の高騰で危機的状況にあり、ここに頼みの綱の輸出まで激減したことで、2006年には映画界全体で1000億ウォンの投資損失が出たと推定されている[朝鮮日報 2007年3月14日]。

韓国映画の輸出実績
年次 総計(万ドル) 日本向け(万ドル) 日本のシェア (%)
2002 1495 658 44
2003 3097 1389 44
2004 5828 4040 69
2005 7599 6032 79
2006 2452 1039 42
映画振興委員会『2006年韓国映画産業決算』
(http://www.kofic.or.kr/b_movdata/b_02bstatis.jsp?BOARD_NO=10561)
「韓流, ハリウッドに☆を浮かべろ」[中央日報 2006年10月19日]

 日本における韓国映画の興行は、2000年公開の『シュリ』にまでさかのぼるが、ヒット作が立て続けに出るようになったのは、やはり冬ソナブームが起きた2004年以降である。『ブラザーフッド』の興行に続き、年末に公開された全智賢チョン・ジヒョン主演の『僕の彼女を紹介します』は『シュリ』の記録を4年ぶりに塗りかえた。翌2005年が韓流バブルのピークで、裴勇俊ペ・ヨンジュン主演の『四月の雪』と、孫藝珍ソン・イェジン鄭雨盛チョン・ウソン主演の『私の頭の中の消しゴム』が大ヒットを飛ばした。

日本における韓国映画の興行実績
年次 タイトル 興行収入
(億円)
2000 シュリ 18.5
2001 共同警備区域 JSA 11
2003 ボイス 10
2004 スキャンダル 9
ブラザーフッド 15
誰にでも秘密がある 8
僕の彼女を紹介します 20
2005 甘い人生 6.5
四月の雪 27.5
私の頭の中の消しゴム 30
「韓流 映画ブーム終焉へ」[産経新聞 2006年12月9日], 他

 ところが2006年に入ると韓国映画の勢いはぱったり止まり、結局10億円を超えるヒット作は出なかった。2005年までは、韓流スターが出演する韓国映画なら完成前から飛ぶように日本に売れていた[聯合ニュース 2005年5月18日]。しかしそうした入札競争の激化によって、日本での公開費用が過去の4〜5倍に跳ね上がり、日本側も次第に韓国映画を買い控えるようになった[聯合ニュース 2006年5月10日]。2006年5月のカンヌ・フィルムマーケットでは、日本の配給会社の関係者の間に「日本の韓流ブームは終わった」との認識が広まっていた[ハンギョレ 2006年6月9日; 中央日報 2006年6月26日]。
 ドラマや映画と異なり、音楽CDの場合は何が韓流なのかを定義するのが難しい。韓流を「韓国で製作された文化コンテンツ」と考えるなら、BoAの一連のヒット曲は韓流とは言い難い。一方で冬ソナ関連商品は韓流に含めるべきだろうが、クラシックやらジャズやらオルゴールやらわけわからん商品が多すぎる。ここでは音楽CDのデータを示すのはあきらめた。
 韓流ブームは日本人観光客の誘致にも一役買った。日本人観光客の韓国入国数は、2003年の新型肺炎(SARS)の流行で大きく落ち込んだが、2004〜05年には韓流ブームもあって2002年以上の水準まで回復した。2006年にはさすがにウォン高と韓流ブームの終焉のため減少したが、それでも2002年の水準は維持している。春川チュンチョン市等の冬ソナ観光地では閑古鳥が鳴いているらしいが、日本人観光客全体では不振とまではいえない。

日本人観光客の入国数
年次 入国数(万人)
2000 247.2
2001 237.7
2002 232.1
2003 180.2
2004 244.3
2005 244.0
2006 233.9
韓国観光公社公表値
ツーリズム・マーケティング研究所のホームページより
(http://www.tourism.jp/statistics/outbound/)

 韓流ブームは一時的にせよ、日本人の韓国に対するイメージを好転させたとされる。2004年の『外交に関する世論調査』で韓国への親近感が史上最高値を記録したが、韓流ブームの影響とする見方が大勢を占めた[朝鮮日報 2004年12月19日]。しかし2005年2月に島根県が「竹島の日」を制定すると、韓国側は激烈な反応を見せた。3月1日の独立運動記念式辞で、盧武鉉ノ・ムヒョン大統領は「自分の任期中には歴史問題を提起しない」とした発言をあっさり撤回し、竹島に加えて教科書・靖国参拝・従軍慰安婦等の問題に片っ端から言及し、1965年の日韓合意を無視して賠償を求めた。韓流ブームもこうした日韓関係の悪化の流れには勝てず、韓国への好感度も悪化の一途をたどっている。

韓国への好感度
年次 韓国に親しみを感じる(%) 韓国との関係が良好だと思う(%)
2001 50.3 42.0
2002 54.2 58.3
2003 55.0 59.8
2004 56.7 55.5
2005 51.1 39.6
2006 48.5 34.4
内閣府『外交に関する世論調査』

 韓流ファンの主流は中高年女性だったが、ブーム中には韓国人男性にあこがれる独身女性も増えたとされる。ワシントン・ポストの2006年8月31日の記事「韓流にはまる日本人女性(Japanese Women Catch the 'Korean Wave')」は、ヨシムラ・カズミという26歳の独身女性の事例を取り上げた。記事によると彼女は韓国人男性とのお見合いに10回ソウルに飛び、数十万円を費やしたという。これを読むと日本人女性と韓国人男性の結婚がさぞかし増えたのではないかと思われるが、婚姻の届出数にはそのような動きは見られない。日本の人口動態統計では、日本人女性と韓国・朝鮮人男性の婚姻届出は長期的に減少傾向にある。韓国では2003年に増えたが、韓流ブームの影響と考えるには時期が合わない。ちなみに日本人男性と韓国・朝鮮人女性の結婚は、2002年に大きく減少した後、ゆっくりと回復している。いずれにせよ、韓流ブームで日本人と韓国人の国際結婚が増えた兆候はない。

日本人と韓国・朝鮮人の婚姻
夫=韓国・朝鮮人、妻=日本人 夫=日本人、妻=韓国・朝鮮人
年次 日本届出 韓国届出 日本届出 韓国届出
2001 2477 976 6188 3011
2002 2379 959 5353 2377
2003 2235 1242 5318 2613
2004 2293 1224 5730 3378
2005 2087 1255 6066 3072
厚生労働省『人口動態統計』,韓国統計庁『人口動態統計』

.特性

 冬ソナがなぜヒットしたかについては、色々な人が色々なことを言っている。その中で放送した張本人であるNHKの小川純子プロデューサーは、中高年女性向けの純愛ドラマが日本には存在しないため、隙間市場で成功できたとした[聯合ニュース 2005年6月23日]。このジャンルの不在に対しては、10年以上前にある韓国人中年女性が文句を言っていた。

疲れた時に甘いケーキが食べたくなるように、外国生活のストレスから私は甘ったるい恋愛ドラマが見たくなった。しかし、日本のテレビには厳密にいって恋物語はなかった。[田麗玉(金学文訳)『悲しい日本人』たま出版, 1994, p. 195]

 このように韓国人女性にとってはベタな純愛ドラマを見るのが当然でも、日本の中高年女性の多くは自分が見たがっているものに気づいていなかっただろう。そんな潜在需要を見破った小川PDの慧眼の勝利といったところか。
 評論家の이문원イ・ムヌウォンは、コラム「東方神起トンバンシンギ怪物グエムルは韓流ではない」[NEWSIS 2007年2月11日]の中で、「主流大衆文化コンテンツが15〜34歳層を対象に設定される日本で、35〜49歳の間の女性層(F2層)の市場を開発して先占したのが韓流の本質だ」と書いている。韓流が隙間市場狙いなのは考えてみれば当然のことで、いきなり日本で国内ドラマや米国ドラマを代替できるわけがないのだが、韓流がそれほどすごいと勘違いしている韓国人読者が多いということだろうか。
 村上龍は裴勇俊ペ・ヨンジュンについて、「日本の俳優と比較したとき、相当に知的だという感じがするのがアピールしたようだ」と述べた[エコノミックレビュー 2007年3月7日]。確かに日本で人気がある韓流スターは知的で洗練されたイメージが強く、ワイルドな男優や天然ボケの女優は思い当たらない。BoAやユン・ソナも才知ありげな感じで、ボケのイメージはあまりない。
 もちろん韓国でも、アイドルあがりの女性タレントに天然ボケが多いのは日本と同じである。中でも『宮〜ラブ・イン・パレス』でヒロインを演じた尹恩惠ユン・ウネのボケっぷりはすさまじい。アテネ・オリンピックのサッカー韓国代表の緒戦直前の応援番組にゲストとして登場した尹恩惠ユン・ウネは、時差というものを知らなかったのか「なぜギリシアではこんな夜中にサッカーをするの?」と質問してスタジオ中を凍りつかせた[スポーツ韓国 2004年8月16日]。尹恩惠ユン・ウネほどの美少女が素っ頓狂な日本語でプッツン発言を連発すれば、日本でも人気が出るのではないかと思われるが、韓国ネチズンはそんな「国辱」を許容しないだろう。
 ともあれ、『宮〜ラブ・イン・パレス』のような若者向けのドラマは日本では人気が出ず、日本の韓流は冬ソナに代表される中高年女性向けのコンテンツに限定されてしまった。前出の이문원イ・ムヌウォンの「東方神起トンバンシンギ怪物グエムルは韓流ではない」では、これを「メロ性が濃い韓国ドラマが韓流で、日本でよくプリンス系と指称する20〜30代の花美男バラード歌手たちが韓流だ」と説明している。立命館大教授の황성빈ファン・ソンビンは、「日本のマスコミが冬ソナファン=おばさんというフレームでくくってしまうのにも原因があるが、一方では若い層を遠ざける原因になる」と愚痴をたれている[京郷新聞 2007年2月23日]。
 評論家の김헌식キム・ホンシクは、コラム「韓流を予測できなかった理由の反復」[デイリーアン 2006年9月27日]で「韓国の歌謡とドラマ、映画は日本が持っている加虐性・猟奇・近親相姦・自我閉鎖的な心理描写という点を脱色させ、ここに情・家族愛・共同体的価値観を加味させた」と書いた。このように韓流が毒抜きした日本文化だと考えれば、日本の中高年女性が冬ソナをはじめとする韓国ドラマにノスタルジアを感じ、のめり込んで行ったのも納得できる。
 一方で「韓流=日流の換骨奪胎」論は、韓国による日本パクリの系譜を想起させる。TV番組から歌謡曲、広告から商品デザインに至るまで、韓国のパクリ体質はあまりにも明らかなため、指摘された側が否定しても韓国人ですら信じようとしない。かつてフジテレビがKBSとSBSにパクリ疑惑を提起したとき、中央日報[2003年11月20日]は「日本の番組のまねを恥と知れ」という社説を掲載した。しかしその後もMBCの『黄金漁場』は『SMAP×SMAP』の、KBSの『大韓民国1교시』は『学校へ行こう』の、MBCの『強力推薦土曜日』は『恋するハニカミ』のパクリだと指摘されている[スポーツ朝鮮 2007年2月15日]。大衆音楽で日本のパクリを恥と考えるようになったのも、ようやく1990年代半ば以降とされる。それ以前は、たとえば홍수철ホン・スチョルの『会いたい友よ』が長淵剛の『とんぼ』の丸パクリであることがばれてもまったく問題とされないほど、著作権に対する韓国内の認識は低い水準だった[韓経ビジネス 2007年3月8日]。
 日本に輸出された文化コンテンツでパクリが問題になったのは『グエムル〜漢江の怪物』で、怪物のデザインが2002年の日本アニメ『劇場版パトレイバー 廃棄物13号』にそっくりだと指摘された。製作会社のチョンオラム側は当然否定し「『グエムル』のデザインが完成するまでの過程が厳然と存在しており、これらはすべて公開されている」と主張した[STARNEWS 2006年9月4日]。たまたま『グエムル』の日本公開が『日本沈没』の韓国公開と重なり、週末興行成績で『グエムル』が7位だったのに『日本沈没』が『グエムル』を蹴落として1位になると、ことは日韓ネチズンの自尊心対決に発展した。韓国ネチズンはパクリ疑惑をやっきになって否定し、「怪獣映画の元祖だと自負しながらもろくな怪獣映画ひとつ作れなかった日本人の劣等感が爆発した!」と意味不明の罵倒を投げつけた[オーマイニュース 2006年9月5日]。しかしデザインの類似性は否定し難く、NEWSISのキム・ヨンホ記者は記者手帳[朝鮮日報/NEWSIS 2006年9月6日]で「2年6カ月間、2000枚以上のスケッチの中から奉俊昊ポン・ジュノ監督が選んだという言葉もむなしく響くばかりだ。ビジュアルが似ていると印象が深く残り、盗作騒ぎも長く続く」と書いた。NEWSISの取材に応じたある怪獣映画専門家も、「初めて『怪物』のデザインを見たときから『廃棄物13号』をすぐ思い浮かべた」と答えた[NEWSIS 2006年9月6日]。これらの念頭には、『テコンV』以来連綿と続く日本パクリの系譜があったのかも知れない。韓国のパクリ文化はそれほど根深く、パクリを暴露することを生き甲斐としているような韓国人ネチズンが大勢いる。そもそも『グエムル』のパクリ疑惑も、ある韓国人ネチズンが自分のブログに文を上げて、波紋が大きくなると削除したという話もある[オーマイニュース 2006年9月5日]。


.凋落

 日本で冬ソナブームに火がついたときから、韓国マスコミの論調は「何とかしてブームを長続きさせなければならない」という点で一致していた。その際、必ずと言ってよいほど反面教師として持ち出されるのが1980年代の香港映画ブームだった。たとえば「少数のスターに頼る韓流は、香港でそうだったように、すぐに消え去る危険も高い」[中央日報 2004年7月23日]、「このままでは、韓流も80年代の香港映画のように、一時の流行で終わってしまうだろう」[朝鮮日報社説 2004年11月1日]といった具合である。製作会社サイダスFNHの代表も「80年代に日本で起きた香港ブームの没落を反面教師にすべき」と警鐘を鳴らし[聨合ニュース 2006年4月21日]、詩人の金芝河キム・ジハは香港のクリエイターたちを「香港ノワールや武侠で一時よい思いをしたが現在は失敗した人々」と呼んだ[ノーカットニュース 2007年2月26日]。しかし考えてみれば、最近もそれなりにヒット作を飛ばしている香港映画に対し、失礼な言い草ではある。
 もうひとつの反面教師は、他でもない日本の大衆文化である。韓国経済の社説[2005年1月11日]は、「90年代初盤に東南アジアで日流が旋風を起こしたが、当時日本が自国文化の優秀性による熱風と誤解して傲慢な価格政策に固執し、5年余りで追い出されてしまった」と書いた。また、中国のメディア専門家によると、中国でも1990年代に日本の大衆文化がブームになったが、2000年代に入ると韓流に取って代わられたという[聯合ニュース 2005年11月27日]。日本ブームなら山口百恵の『赤い…』シリーズや『おしん』やアニメーションを通じて、これまでに世界のあちこちであっただろう。他でもない韓国でも、後述のように日流の逆襲が問題になっている。現在なら韓国マスコミも、日本を反面教師と呼ぶことはできないだろう。
 韓国マスコミは、冬ソナに続く起爆剤として『宮廷女官チャングムの誓い』に期待していた。中央日報[2004年7月23日]は、同年10月からチャングムがNHK BS2で放送されることを伝え、冬ソナ以上の韓流が日本で広がる可能性が高いとした。実際に放送が始まると、絶頂を迎えていた韓流ブームに負ってか、チャングムは冬ソナの1%台を上回る2%台の視聴率を記録した。すると韓国マスコミの間では、チャングムが地上波で放送されれば冬ソナを上回る視聴率を記録するはずだという予想が広まった。冬ソナの視聴率(関東圏)の最高記録は最終回(2004年8月21日)の20.6%だったから、当然チャングムは常に20%を超える視聴率を取るだろうということになる。チャングムは2005年10月から地上波で放送されたが、予想はいつの間にか既定事実化され、マイデイリー[2005年11月21日]は「チャングムが20%を超える平均視聴率で大ヒットの兆候を見せている」と書いた。実際にはチャングムの視聴率(関東圏)が毎週ドラマ部門のベスト10に入るようになったのは、放送も終盤に入った2006年9月以降で、最高記録は16.2%(2006年11月11日)だった。これは悪くない成績だが、韓流ブームを拡大するほどのパワーはなかった。日本の中高年男性は、中高年女性が裴勇俊ペ・ヨンジュンにはまるようには李愛英イ・ヨンエにはまらなかったし、『王の男』のような朝鮮史劇への需要が拡大したようでもない。
 映画を基準とするなら、韓流の没落が決定的になったのは2006年からだが、兆候は既に2005年3月に報道されていた。朝鮮日報[2005年3月7日]は日経ビジネスを引用して、冬ソナ関連商品の売り上げがピークを越えたこと、映画とドラマで冬ソナに続くヒット作が出ていないことを伝えた。中央日報[2005年3月8日]は、それに加えて日本人観光客が減少していること、音楽著作権の扱いが障害になっていることを伝えた。ちょうどこの時期に、韓国放送映像産業振興院は日本の地上波放送局127局のうち半数の64局が韓国ドラマを放映しており、ブームは健在だとする分析を発表した[聨合ニュース 2005年3月9日]。しかし2005年9月には日本テレビとフジテレビの韓国ドラマの放送枠が終了し、地方局もこれに続いた。一年後の放送映像産業振興院の調査では、韓国ドラマを放映する地上波放送局の数は36局と、ほぼ半減していた[聯合ニュース 2006年3月7日]。この頃になると、韓流観光の衰退が相次いで報道されるようになった[朝鮮日報 2006年3月23日,聯合ニュース 2006年3月28日]。
 2006年の韓国映画の劇場公開の結果は、期待から失望へというお決まりのパターンの連続だった。2月に封切られた權相佑クォン・サンウ主演の『美しき野獣』は、予約チケットの売上が3万5000枚に達し興行は成功するものと思われたが、公開後には急速に冷え込んだ[聨合ニュース 2006年4月21日]。崔志宇チェ・ジウ主演の『連理の枝』は、週末興行成績4位→8位→9位と3週ベスト10にとどまったが、興行収入は4億円程度だったとされる[聨合ニュース 2006年8月1日]。5月に公開された全智賢チョン・ジヒョン鄭雨盛チョン・ウソン主演の『デイジー』も週末興行成績6位→9位と不振で、朝鮮日報/STARNEWS[2006年6月6日]は「2人の韓流スターが主演している映画であることを勘案すれば、みじめな成績であるといえる」と書いた。『デイジー』は約6億円の収入を上げたとされるが[産経新聞 2006年12月9日]、これが2006年公開の韓国映画の最高記録と思われる。
 このように韓流スターを前面に出した映画が相次いで興行に失敗する中で、韓国マスコミの期待を一身に集めたのが9月公開の『グエムル〜漢江の怪物』だった。この映画は韓国で1300万人を集める空前の大ヒットを飛ばし、韓国の映画産業がスター俳優のギャランティー高騰に苦しむ状況で、キャスティングよりコンテンツで勝負する『グエムル』が日本で成功すれば、韓流の新たな突破口が開けるはずだった。奉俊昊ポン・ジュノ監督と主演俳優陣は7月と8月に日本を訪問し、大々的なプロモーションが行われ、250スクリーンが確保された。日本マスコミの批評もすべて好意的で[ハンギョレ 2006年9月6日]、YAHOO!JAPANのアンケート調査でも『グエムル』が9月2日公開映画中で「最も見たい映画」の1位に上がり[NEWSIS 2006年9月5日]、韓国マスコミは成功を確信した。ところが『グエムル』の週末興行成績は7位→10位で、5.4億円で日本に売られたのに2.8億円程度の興行収入しかあげられず、期待はずれに終わった[産経新聞 2006年12月9日]。
 『グエムル』の後も韓国映画の不振は続き、9月公開の『僕の、世界の中心は、君だ。』は週末興行成績10位にも入れなかった。10月公開の『トンマッコルへようこそ』は10位、11月公開の『サッド・ムービー』は6位で、いずれも1週で姿を消した。12月公開の『王の男』は、『グエムル』に破られるまで国内観客動員数1230万人の歴代最高記録を持っていた作品だが、日本では10位とふるわなかった。これによってコンテンツで勝負する作品が日本で通用しないと悟ると、韓国マスコミは李炳憲イ・ビョンホン主演の『夏物語』に最後の望みをかけた。しかし2007年1月公開されたこの作品は、週末興行ランキング10位に入れず、韓国映画の日本輸出にとどめを刺す形となった。
 韓流の退潮が決定的になると、「衰退ではなく単なる変質」と言い張る負け惜しみのような主張も見られるようになった。韓国知識財団研究委員の신승일シン・スンイルのコラム「第二の韓流時代を開こう」[東亜日報 2006年5月10日]では、「日本では韓流が熱風を経て成熟段階に入っている」とした。統一日報[2007年1月1日]の記事「韓国ドラマ、人気はむしろ上昇」では、「韓流は終わったのか。そうではない。目に見えるブームが収まっただけだ。川に例えるなら、流れの急な上流域から、緩やかな中流域に差し掛かったところか」と書いた。日本で活動する歌手のユンナは、スポーツ朝鮮[2007年2月15日]のインタビューで「韓流はひとつの流行から文化のジャンルに変わった。これは衰えたという意味ではなく、いつでもヒットできる可能性を持つようになったということだ」と答えた。しかし何と言おうと、韓流が「香港ブームや日本ブームの前轍を踏まない」という目標を達成できなかったことは、否定のしようがない。


.嫌韓

 日韓ワールドカップの頃から、無理にでも親善ムードを盛り上げようとするマスメディアと、これに反発するインターネット言説という対立の構図が目立つようになった。こうした状況は、次のように描写されている。

テレビのバラエティ番組で「韓国戦の審判おかしいんじゃないの?」と疑問をはさんだ飯島愛が2ちゃんねるでは「神!!」扱いされていたのが印象的だったほど、マスコミはこの問題に関しては何も触れたくありませんという姿勢が濃厚だったのだ。[鈴木淳史『美しい日本の掲示板』洋泉社新書, 2003, p. 149]

マスメディアが光の部分を強調すればするほど、グローバルなメディアであるはずのインターネットはますます「部族的」な影を代表するようになっていった。日本の敗退を願い、その失敗を喝采する韓国の声は、韓国の「不正」や全体主義的な姿に唾棄する日本の声と反響し合った。テレビや新聞では友好親善の側面ばかりが取り上げられたが、ネットではその正反対の姿が浮かび上がっていた。[土佐昌樹『変わる韓国、変わらない韓国』洋泉社新書, 2004, p. 31]

 冬ソナがブームになると、売れるコンテンツを常に求めているマスメディアはいっせいに飛びついた。特にNHKが冬ソナ関連商品で大儲けするのを見た民放各局は、二匹目のどじょうを狙って必死の競争を繰り広げた。マスコミは「ヨン様」「ジウ姫」礼賛一色となり、それに比例してインターネット上で表出される嫌韓感情も激しさを増した。
 こうしたワールドカップ以来の対立構図を別にしても、日本の韓流は最初からトラブル続きで、嫌韓感情が形成される下地は十分にあった。まず2004年1月、「崔志宇チェ・ジウに会える」ことをうたい文句にした観光ツアーに崔志宇チェ・ジウが現れず、共同企画社であるJTBワールド九州はツアー客に旅費を払い戻すはめになった。原因は崔志宇チェ・ジウの事務所との調整ができないまま見切り発車したためだった。2004年5月には安室奈美恵がソウルで単独ライブを行ったが、韓国の代行会社が「観客が少なく支払えない」として出演料を支払わなかった。安室側は予定の半分以下の額しか受け取れず、スタッフの給与も支払えないまま帰国するしかなかった。2004年7月に文藝春秋社から出版された裴勇俊ペ・ヨンジュンら5人の韓国男優の写真集『the man』に対し、男優の所属事務所側が肖像権侵害で提訴した。原因は写真作家の趙世鉉チョ・セヒョンが、各所属事務所の同意を得ていなかったためだった。文藝春秋社は、増刷した写真集12万部を廃棄するはめになった。これに頭に来たのか、『週刊文春』2005年新年特大号は崔志宇チェ・ジウをくそみそにこき下ろし、「韓流は継続してはいけない」と書いた。2004年10月には、ソウルで行われるはずだったBoA・
神話シンファ等が出演するコンサートが開場後に突然中止された。原因はチケット2万枚のうち6千枚以上が、主催者側のミスで二重販売されたためだった。席に座れない観客らが払い戻しを要求し、出演者の控室近くまで押し掛ける等、会場は大混乱に陥った。
 こうしたトラブルにもかかわらず、日本マスコミの韓流礼賛は続いた。日本の韓流ブームには、電通やAvexのような大手も積極的に関与していたため、マスメディア業界には表立って批判しにくい空気があったと思われる。一方でインターネット上の嫌韓感情は、2005年2月以降の竹島騒動によってさらに激しくなった。こうした嫌韓感情の高まりに乗ってヒットしたのが、2005年7月に出版された山野車輪『マンガ嫌韓流』だった。同書はベストセラー・リストを独走し、2ヶ月で30万部以上発行された。2ちゃんねるのようなインターネット掲示板を主な情報源にしただけに、日本マスコミの親韓友好キャンペーンの胡散臭さを正確に突いた点が成功の原因と思われる。
 『嫌韓流』に対しては、韓国マスコミで様々な意見が提示された。まず忠北大講師の張八鉉チャン・パルヒョンはコラム「日本、なぜいま嫌韓流か」[新東亜 2005年10月1日]で、日本の極右勢力が軍国主義を推し進めるためには、韓流による日韓友好ムードが邪魔になるから、これを潰そうとしているのだととんちんかんな分析を示した。京郷新聞[2005年10月05日]の取材を受けた国士舘大教授の신경호シン・ギョンホも、「日本内で右派的思考が拡散し、韓国を毀損する視角が大きくなっている」とし、「韓流逆風を遮断するためには、韓国文化商品の質を高めて日本に比べ優位にあることを持続的に立証する必要がある」と民族主義まる出しの発言をした。一方でハンギョレの박중언パク・チュンオン東京特派員のコラム「嫌韓ウイルス退治法」[2005年10月16日]は、「マスコミが韓流熱風に便乗し収入を上げるのに味を占め、韓国の否定的な面には目を閉じている」と感じる若年層の不満を正確に指摘し、「嫌韓ウイルス退治に必要なのは、劇薬の処方ではなく基礎体力の強化だ」と穏当な言い回しで締めくくった。韓国言論ではないが、ニューヨーク・タイムズ東京支局長のノリミツ・オオニシは、「アジアのライバルの醜いイメージ、日本でベストセラー(Ugly Images of Asian Rivals Become Best Sellers in Japan)」[ニューヨーク・タイムズ 2005年11月19日]で、『嫌韓流』では日本人が白人風に描かれているのに対し、韓国人は黒髪で細い目のきわめてアジア的な風貌に描かれており、これは日本人の欧米コンプレックスを表すとした。しかし『嫌韓流』は公平無私な立場を謳っているわけではないから彼我の描き分けは当然で、これは言いがかりに等しい。しかし朝鮮日報のコラム「万物相」[2005年11月21日]はオオニシの分析に全面的に賛同し、「今日日本の『嫌韓流』旋風を見て心配より憐愍が先に進むのは、100年余り前の日本人の二重的劣等感をまた見るためだ」とした。
 韓流の凋落が明らかになると、これが嫌韓感情のせいだとする見方が出て来た。たとえば聨合ニュース[2006年12月18日]は韓国ドラマの輸出が2006年に減少したことを伝え、「これはアジア地域で発生している反韓流や嫌韓流が原因と分析される」とした。しかし台湾や中国はともかく、日本の韓流ファンは中高年女性、『嫌韓流』の読者は若年男性で、両者はまったく重ならない。したがって、嫌韓感情が韓流メロドラマの衰退に影響したとは考えられない。また韓国映画界では、『グエムル』の日本での失敗が嫌韓流のためだと見る視角がある[STARNEWS 2006年9月20日]。確かにパクリ疑惑をめぐる論争に嫌韓感情を持つ若年男性が多く参加したのは間違いないが、そもそも日本で怪獣映画の人気が停滞気味で、見るのは子どもとオタクだけなのにブロックバスターとして売り込んだのが間違い[NEWSIS 2006年9月6日]という分析が正しいように思う。


.民族

 アジアにおける韓流ブームの拡散は韓国人の自尊心を心地よく刺激し、恍惚境に陥らせた。韓国科学技術院教授の전봉관チョン・ボンゴァンのコラム「韓流を越えて」[韓国日報 2007年2月27日]は、この事情を次のように説明している。

中国や東南アジアを旅行すれば、韓流がわれわれだけの錯覚ではないことを改めて実感することになる。ショッピングセンターには一流品の待遇を受ける韓国産製品が一杯で、道路には韓国産自動車が整然と並ぶ。韓国ドラマと韓国の芸能人が登場する広告も、随時に接することができる。韓流は明らかに虚像ではなく実在する文化現象だ。韓国人の自負心を目一杯高めた韓流が、以前のようではないと言う。

 これは中国や東南アジアに関するものだが、日本に関するものもある。高麗大教授の최동호チェ・ドンホの「韓国の‘横車法’と日本文化の浸透」[ソウル新聞 2007年3月15日]は日流の浸透を扱ったコラムだが、話の枕として次のように書いている。

日本内の韓流に対して語る人は多い。東京の地下鉄で韓国語をはばかりなく話せるようになったのも、日本のカラオケで韓国の歌を思いのまま歌えるようになったのも、韓流熱風に負うものだろうと。ふと見れば、まるで韓国が日本を占領したような気分に陥りやすい。

 他に前出の김헌식キム・ホンシクの「韓流を予測できなかった理由の反復」にも「遅ればせに韓国人は、海外の反応によって自ら自負心を持つようになった」とあるし、이문원イ・ムヌウォンの「東方神起トンバンシンギ怪物グエムルは韓流ではない」も「韓国文化を海外で楽しんで消費するということは、もちろん嬉しいことだ。産業的にのみならず、文化的自負心の面でも好材だ」としている。これらは韓流が韓国人の自負心を高めたことを客観的に述べているだけだが、中には本気で痛いコラムもある。晋州教大教授の곽재용コァク・ジェヨンの「韓流はわれわれにかかった」[慶南日報 2006年2月27日]は、「世界的にもオンドルはわれわれの固有な文化だ」「われわれの飲食文化は世界最高だ」「インターネットの普及率と速度面でわれわれが世界最高だ」と韓国最高!を連発し、そうした韓国文化を韓流を通じて世界に広めなければならないとした。アメリカ国防研究院の오공단オ・ゴンダンは、各国で聞いた韓流や韓国製品への社交辞令をいちいち真に受け「韓国に生まれた徳を引き続き享受したい」と書いた[東亜日報 2007年3月30日]。
 どこのイエロー・ジャーナリズムもそうだが、韓国のスポーツ新聞や芸能ニュースも扇情的な表現を売り物にしている。そうしたメディアは何かというと「日本征伐」「中国征服」のように書きたがる。かつて裴勇俊ペ・ヨンジュンはこのような記事に苦言を呈し、「裴勇俊ペ・ヨンジュン日本征伐」「裴勇俊ペ・ヨンジュン日本を跪かせる」のような記事を書いてくれるなと要求した[マイデイリー 2005年9月7日]。もちろんヨン様に怒られたからといって、イエロー・ジャーナリズムが突然クオリティー・ペーパーに生まれ変わるわけがない。一年半後、のプロデューサーの朴鎭英パク・ジニョンは「マスコミが‘日本征伐’‘中国征服’式で書くから外国で反韓流の気流が形成されるのだ!」とぶち切れ、「映画や音楽のような文化商品から‘韓流’という国家ラベルを剥がさねばならない」と主張した[中央日報 2007年2月7日]。多くのコラムニストがこの発言に言及し、ほとんどが賛成する立場を表明した。唯一批判した김종휘キム・ジョンフィの「韓流は元来脱民族、錯覚させるな」[中央日報 2007年2月9日]も「その主張のために正体がぼんやりした '韓流民族主義' を狙ったのでは、かえって民族主義をけしかける口実を与える」としており、民族主義を擁護したわけではない。しかしヨン様に怒られてもこりなかったスポーツ新聞や芸能ニュースが、コラムニストが束になって批判したからといって扇情的な表現をやめるわけがない。朴鎭英パク・ジニョン発言からわずかひと月後の2007年3月、李準基イ・ジュンギが主演映画『フライ・ダディ』のプロモーションのため日本に発つと、スポーツソウル[2007年3月13日]は「王の男・李準基イ・ジュンギ、日本列島攻略秒読み」と見出しを打ち、YTNの芸能ニュース[2007年3月15日]は「日本もこの手中にある!」とやった。
 朴鎭英パク・ジニョンがぶち切れたのはマスコミだけではなく、民族主義を叫ぶ政治家やネチズンに対しても同様だった。ネチズンに関しては、の中国公演でチャイナ服を着てカンフー・ダンスをさせようとしたところ、ネチズンから「なぜ韓国の自尊心を捨てて中国のものに従うのか!?」という非難が殺到したという。韓流が韓国的なものでなければならないという主張は、かつてはコラムニストの間にも見られた。たとえばヘラルド経済の社説[2005年1月3日]は、「韓流が必ず韓国の伝統文化を代表する必要はないが、国籍不明の歌と踊りを主流にすることは考えて見る問題だ」と遠慮がちながら韓国的なコンテンツを期待した。しかしアジア諸国に嫌韓・反韓感情が蔓延していると見ると、こうした主張は影をひそめた。それでも韓国人が自尊心を心地よく満たしてくれる海外での評価に飢えていることは事実で、そうした意識は簡単には変わらない。これは中国や日本より国際的知名度が落ちるのに、プライドだけは高いことと関係しているだろう。マスコミや政治家はそうした国民の弱点をよく承知しており、学者や評論家が何と言おうがナショナリズムを煽り続けるだろう。


.日流

 韓国における日本の大衆文化の浸透は、もちろん目新しいことではない。しかし韓流ブームの最中の2004〜05年には、ドラマと映画を中心に明らかに韓国の輸出超過だったため、韓国人の間には「日本はない!」という自負心が広まっていた。中央日報[2004年6月7日]の記者コラム「日本版‘韓流’の正体は?」は日本の韓国人観光客誘致の努力を紹介し、「日本が、韓流ブームを宣伝してまで韓国人を呼んでいる状況なのだから、韓国も、韓国にない‘日流’ブームでも作って、積極的に取り組むべきだ」と余裕のあるところを見せた。映画評論家の정지욱チョン・ジウクの「日本の妬み、韓流逆襲注意報」[週間東亜 2004年12月]は、日本における嫌韓感情を扱っているが、最後に「今は韓流が日本で商業的な成功をしているが、(日本人は)何年か後に韓国に自分たちの文化を逆流させるために投資している。それは真の意味で日本の‘逆襲’になるだろう」と書いている。今になって見ると、驚くほど正確な予言である。
 韓国では長らく日本の大衆文化を禁止していたが、漫画は1998年に解禁され、映画も1998〜2000年にかけて段階的に解禁された。ドラマは2003年に衛星放送やケーブル・テレビでの放送が解禁されたが、地上波での放送は許容されなかった。2000年に日本語で歌うコンサート、2004年には日本語の音楽CDが解禁された。2006年9月時点で残っていた禁止事項は、地上波放送での日本語歌謡、「15歳以上観覧可」のドラマや娯楽番組等だが、金明坤キム・ミョンゴン文化観光部長官は「日本文化の完全開放は時期尚早だ」と述べた[聯合ニュース 2006年9月14日]。
 ともあれ日本文化の開放によって真っ先に打撃を受けたのは、漫画産業だった。ストーリー作家の유지호ユ・ジホは、日本漫画の解禁によって国産漫画の流通システムは崩壊し、かつて20〜30万部出た漫画雑誌の売り上げも2〜3万部に落ち、韓国の漫画家は「マニア対象の純情漫画雑誌とスポーツ新聞の漫画市場でやっと命脈を維持している」と書いた[オーマイニュース 2006年2月9日]。もちろん韓国漫画が絶滅したわけではなく、現在でも『宮〜ラブ・イン・パレス』『ユーレカ』『マリーン・ブルース』のようなヒット作もそれなりに出ている。しかし圧倒的な物量を誇る日本漫画には抗し難く、国産漫画のシェアは20%程度で、残る80%のほとんどは日本漫画が占めているとされる[東亜日報 2006年12月23日]。
 アニメは地上波放送がないわけではないが、韓国では主にBSやCSの専門チャンネルを通じて放送されている。アニメーション専門チャンネルに対しては、国産アニメを放送時間の35%以上編成しなければならず、輸入アニメについては一国のものが60%を超えてはならないとする規定がある。ところが最大手のトゥーニバースをはじめ、各局ともこの規定を全然守っておらず、分期ごとに過怠料を払い続けている。2006年の第一四分期には、トゥーニバースが日本アニメを88.4%、アニワンは95.8%編成し、それぞれ500万ウォンの過怠料を徴収された。KMTVとキャッチオンに至っては日本アニメを100%編成し、規定を守る気がまるでないことを示した[聯合ニュース 2006年10月1日]。人気があるのは『ドラえもん』『クレヨンしんちゃん』『NARUTO』『犬夜叉』『ケロロ軍曹』等で、当面これらに匹敵する韓国産アニメは出そうにない。そこで各チャンネルはクオータを稼ぐためだけに20年も前の韓国産アニメを深夜に編成し、他の時間帯は日本をはじめとする外国産アニメで埋めている[ニュースメイカー 2007年1月4日]。
 日本小説に関しては、過去にも三浦綾子『氷点』、山岡荘八『徳川家康』、村上春樹『ノルウェイの森』等による散発的なブームがあった。しかし「大空襲」と呼ばれる日本文学の攻勢が始まったのは、江國香織と辻仁成の『冷静と情熱のあいだ』が2004年にベストセラーになってからである。2006年には509種・153万部の日本文学作品が翻訳出版され、アメリカ文学を抜いて外国文学のトップに躍り出た[聯合ニュース 2007年1月8日]。これと比例するように韓国小説の不振が言われ、2006年の教保文庫のベストセラー100冊に日本小説が31冊入ったのに対し、韓国小説は23冊だった[文化日報 2007年1月20日]。評論家の柳宗鎬ユ・ジョンホは、『ノルウェイの森』を「高級文学の死をもたらすがらくた大衆文学」とこき下ろしたが[東亜日報 2006年5月25日]、日本文学を貶めたところで韓国文学が復活するわけでもない。小説家の박상우パク・サンウは、1990年代の女性スター作家作りシステムが韓国文学の多様性を奪ったと指摘した[京郷新聞 2007年2月7日]。
 これだけなら、韓国の映画・ドラマに対し日本の漫画・アニメ・小説(ついでにAV)という分業が成り立っていると見ることもできよう。韓国マスコミが「日流の逆襲」を騒ぎ出したのは、映画とドラマで日本原作のリメイクが目立ち始めてからである。日本での『私の頭の中の消しゴム』の大成功に刺激されたのか、2006年には日本原作の映画が急激に増えた。TVドラマではそれほど目立った変化はないが、2005年以降は年2作のペースで、日本原作のドラマがプライムタイムに地上波で放送されている。マイデイリー[2006年5月29日]は、日本原作モノの隆盛の原因を、マンネリズムに陥った韓流映画・ドラマが新しい素材を日本に求めたためとした。評論家の김헌식キム・ホンシクは、ラジオのインタビューで「結局韓流が日本の水準を越えられず、むしろ日本の捕虜になる様相が甚だしくなるのではないかと憂慮される」と述べた[ノーカットニュース 2006年5月29日]。

日本原作の韓国映画
タイトル 公開年 原作
白蘭 2001 『ラブレター』浅田次郎原作,1998年映画化
オールドボーイ 2003 『オールドボーイ』土屋ガロン原作,1996〜98年連載
私の頭の中の消しゴム 2005 『Pure Soul〜君が僕を忘れても〜』2001年日テレ系
僕の、世界の中心は、君だ。 2006 『世界の中心で,愛をさけぶ』片山恭一原作,2004年映画化
フライ・ダディ 2006 『フライ,ダディ,フライ』金城一紀原作,2005年映画化
愛なんていらねぇよ 2006 『愛なんていらねぇよ,夏』2002年TBS系
美女はつらいよ 2006 『カンナさん大成功です!』鈴木由美子作・画,1997年
覆面ダルホ 2007 『シャ乱Qの演歌の花道』斎藤ひろし原作,1997年映画化
肩ごしの恋人 製作中 『肩ごしの恋人』唯川恵著,2001年
正しく生きよう 製作中 『遊びの時間は終わらない』都井邦彦原作,1991年映画化
プリズンホテル 製作中 『プリズンホテル』浅田次郎著,1993年
黒い家 製作中 『黒い家』貴志祐介著,1997年

日本原作の韓国ドラマ
タイトル 放送年 放送局 原作
窈窕淑女 2003 SBS 『やまとなでしこ』2003年フジ系
ヨンジェの全盛時代 2005 MBC 『愛の力』2002年フジ系
春の日 2005 SBS 『星の金貨』1995年日テレ系
101回目のプロポーズ 2006 SBS 『101回目のプロポーズ』1991年フジ系
恋愛時代 2006 SBS 『恋愛時代』野沢尚著,1996年
白い巨塔 2007 MBC 『白い巨塔』山崎豊子原作,1978・2003年フジ系,他
恋人よ 2007 SBS 『恋人よ』野沢尚原作,1995年フジ系

 これで日本原作の映画やドラマがすべてコケればどうということもなかったろうが、『美女はつらいよ』が韓国史上8位の660万人を動員する大ヒットを飛ばし、『白い巨塔』はそれまでの韓国ドラマにはなかった主題の重厚さと骨太な構成で「安いメロの時代は終わった」[OSEN 2007年3月12日]と言われるほどの反響を呼んだ。こうなると日流騒ぎは一層大きくなり、新聞は「日流一度はまると…」[韓国日報 2007年1月24日]、「日流の逆襲」[毎日経済 2007年1月28〜30日]、「漫画と日本熱風」[毎日新聞 2007年2月8日]、「音もなく日文化が押し寄せる」[スポーツ朝鮮 2007年2月15日]のような特集記事を相次いで出すようになった。これらの記事は、裴勇俊ペ・ヨンジュンのようなスターを押し立てた派手で騒々しい韓流に対し、いつの間にか韓国のエンターテインメント産業に深く食い込んだ日流の不気味さを強調した。たとえば「われわれが冬のソナタによる日本内の韓流熱風に酔っているうちに、日流は音も噂もなくわが文化市場の底辺を乗っ取っていたのだ」[韓国経済 2007年1月11日]、「外側だけ騒々しく騒いだ日本内の韓流と違い、静かに奥深い所まで掘り下げているのが韓国内の日流の恐ろしさだ」[OSEN 2007年1月21日]、「韓流が特定の俳優中心の人気集めにとどまる反面、日流は音もなく近づいて敵を倒す忍者のように韓国の文化底辺を占領している」[スポーツ朝鮮 2007年2月15日]といった具合である。しかし韓国の漫画・小説市場が停滞し、映画やドラマがコンテンツ不足に苦しむのは韓国側の事情であり、完全に韓国の一人相撲と言える。
 日流警報を発する記事では、大衆歌謡やファッションや風俗、さらにオリジナルの日本映画・ドラマの浸透も日流現象に含まれることがある。J−POPの韓国侵入は、アユミの「キューティ・ハニー」のヒットや、嵐の単独ライブ(2006年11月11日)の成功が象徴的である。しかし韓国のCD市場はネット上に蔓延する違法コピーの影響で凋落を続けており、Waxや申昇勳シン・スンフンのような実績がある歌手が韓国で食えず、続々と日本に出稼ぎに来ている状態である。正規のCD市場よりネット上の不法コピーの方が影響力が大きいのでJ−POPの浸透度もはっきりしないが、トレンドを作る若年層にファンが多い点は日本の韓流ブームと異なる。
 日本映画に対しても一定のマニア層はあるらしいが、興行的にはアメリカ映画に遠く及ばない。2006年の前半には『メゾン・ド・ヒミコ』『NANA』『スウィング・ガールズ』等が少数スクリーンで公開され、数万人の観客を集めた。8月末には『日本沈没』が実写映画としては史上最多の53スクリーンで公開され、いよいよ日本産ブロックバスターの時代の到来かと思われた。しかしこの作品は、週末興行ランキングで1位を取ったものの最終的に94万人を集めるにとどまり、この年の外国映画の中では13位に終わった。もちろん上位12作品はすべてアメリカ映画で、アメリカ以外の外国映画はベスト20内に4編しかなかった。しかしデイリーアンの김영기キム・ヨンギ客員記者は『日本沈没』の成績が大したことなかったのがよほど嬉しかったのか、日本映画を「縮み志向」「漫画的表現方式」「全体主義の名残り」「女性蔑視」とこき下ろし、「自慢に陥らない限り、文化界の韓日戦でわれわれは常に勝者であるだろう」とぶち上げた[デイリーアン 2006年12月26日]。こうした電波ゆんゆんの記事は、よほど現実から目をそらしていないと書けるものではなく、日流警報を発する一連の記事によって押し流されてしまった。

2006年韓国公開外国映画の観客数ベスト20
順位 タイトル 国家 観客(万人)
1 ミッション・インポシブル 3 アメリカ 574.1
2 パイレーツ・オブ・カリビアン
デッドマンズ・チェスト
アメリカ 462.9
3 ダ・ヴィンチ・コード アメリカ 333.9
4 ナイト・ミュージアム アメリカ 254.6
5 ポセイドン アメリカ 221.5
6 X−MEN ファイナル・ディシジョン アメリカ 209.6
7 スーパーマン・リターンズ アメリカ 176.5
8 プラダを着た悪魔 アメリカ 173.1
9 モンスター・ハウス アメリカ 120.2
10 ホリデイ アメリカ 113.6
11 Hoodwinked アメリカ 105.7
12 SAYURI アメリカ 98.4
13 日本沈没 日本 94.1
14 プライドと偏見 イギリス 93.9
15 アイスエイジ 2 アメリカ 92.4
16 森のリトルギャング アメリカ 90.6
17 007 カジノ・ロワイヤル アメリカ 84.5
18 ミュンヘン アメリカ 81.7
19 無極 PROMISE 中国 79.8
20 デスノート 前編 日本 77.7
映画振興委員会『2006年韓国映画産業決算』

 『白い巨塔』の成功が示唆するように、いまだに韓国では田麗玉ジョン・ヨオクが恋しがったようなメロドラマが主流である。これに飽き足らない若者達はアメリカや日本のドラマにはまり、それぞれ「美ド族」「日ド族」と呼ばれるマニア層を形成している。これらのドラマはCSの専門チャンネルで正規に放送されるものもあるが、主な流通経路はインターネット上の不法動画ファイルである[世界日報 2007年3月24日]。韓国にはボランティアで不法動画ファイルを流すネチズンが大勢いるらしく、日本で放送された翌日にはもうハングル字幕付きの動画ファイルが出回っているらしい。ともあれ不法コピーを媒体とするサブカルチャー的な集団なので、J−POPマニアと同じく日ド族の規模もよくわからず、美ド族とどっちが多くどの程度重なってるのかも不明である。

.将来

 韓国は日本に比べて内需市場が小さく、輸出志向が強くなるのはやむを得ない。特に国内CD市場の衰退に苦しむK−POPはそうで、BoAや張娜拉チャン・ナラは今後も国外を中心に活動を続けるだろう。1990年代にK−POPに革命をもたらした서태지ソテジも韓国より日本にいることの方が多いらしく、歌手としてかプロデューサーとしてか知らないが、日本で一発狙っているかも知れない。
 日本の韓流ブームが去ったことで、映画の輸出先の80%を日本が占めるといういびつな構造は解消された。これによって『グエムル』が日本で2.8億円を稼いでも惨敗で、アメリカで1億円を稼げば大成功といった評価の不均衡もなくなるだろう。日本原作の映画で『美女はつらいよ』以外は大した成績ではないらしいが、もう一本ヒット作が出れば日本モノのリメイク・ブームはさらに長期化することになろう。
 韓流ブームは終わっても裴勇俊ペ・ヨンジュン人気は健在といわれる。その意味では主演ドラマ『太王四神記』への反応が注目されるが、時代劇ということもあり冬ソナほどのヒットは期待できず、従ってブームを再燃させるだけの効果はないだろう。日本原作ドラマでは、『白い巨塔』以外に『恋愛時代』『恋人よ』も評判が良いらしく、今後も日本モノが製作されるだろう。


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