著名犯罪者紳士録


 ミステリー小説をもっと楽しむために。


阿部定 (Abe, Sada)

『愛のコリーダ』のモデル。不倫相手を絞殺し、男性器を切り取って持ち去った。

1905年5月28日、東京生まれ。18歳で芸妓となり、東京、横浜、富山,信州、大阪、名古屋などを転々とした。1936年2月1日、東京・中野区新井の鰻屋「吉田屋」に女中として入り、すぐに主人の石田吉蔵(42)と愛人関係になった。4月には吉蔵の妻に関係を知られ吉田屋を出たが、その後も逢引を重ね待合を転々とした。1936年5月18日の朝、居続けていた待合「満佐喜」で、定は吉蔵を絞殺して男性器を切り取って逃走。2日後に逮捕された。1936年12月21日、東京地裁で懲役6年の判決を受け服役。恩赦で1941年5月17日に仮出所し、偽名で結婚していたが夫に前歴を知られ離婚。巡業劇団の女優、温泉地の旅館の女中、料理屋の女中、バーやおにぎり屋の経営者になったりして、あちこちを転々。1971年、千葉県市原市のホテルで働いていたとされるが、以後の消息は不明。


麻原彰晃 (Asahara, Shoko)

オウム真理教教祖。1994〜95年にサリンによるテロを立案指揮した。

1955年3月2日、熊本県八代市生まれ。本名松本智津夫。県立盲学校卒業後、鍼灸師、薬局経営を経て阿含宗の修行をした後、1984年2月東京都渋谷区で「オウム神仙の会」を創建。1987年7月、「オウム真理教」に改称後急速に信者を増やした。1989年11月4日の坂元堤弁護士一家3人の殺害を指示。1990年2月の衆院選で信徒25人が立候補し全員落選。1994年6月27日、長野県松本市でのサリン散布を指示、7人死亡、約600人が重軽症。1995年3月20日、東京都心で地下鉄サリン事件を立案指揮し、12人が死亡、約5500人の重軽傷者を出した。5月16日逮捕。2004年2月27日、東京地裁で死刑判決。


デイヴィド・バーコウィッツ (Berkowitz, David)

サムの息子。1976〜1977年に10代の少女を中心に6人を殺害した。

1953年6月1日、ニューヨーク生まれ。1971年から3年間陸軍、除隊後は警備会社に勤務。退職直後の1976年7月からニューヨークの路上で10代の少女を中心に大口径拳銃で無差別殺傷。8回の犯行で6人を殺害し、6人を負傷させた。6回目の1977年4月17日の犯行で現場にニューヨーク市警宛の挑戦状を残し、その中で「サムの息子
(Son of Sam)」を名乗った。1977年8月10日、自宅近くで逮捕。懲役365年の判決を受け、アッティカ刑務所で服役中。


ポール・バーナード (Bernardo, Paul)

連続強姦殺人犯。1991〜1992年に3人の少女を誘拐・殺害した。

1964年8月27日、トロント生まれ。トロント大学を卒業後会計士になり、1987〜88年にトロントで11件の連続強姦事件を起こす。1990年12月23日、婚約者カーラ・ホモルカの協力のもとカーラの妹タミーを麻酔で眠らせ強姦しようとした際、誤って窒息死させた。1991年カーラと結婚、会社を退職し米国への煙草の密輸で生計を建てた。1991年6月から1992年4月にかけて3人の少女を誘拐して殺害。1993年3月に逮捕、第一級殺人・暴行・監禁・誘拐・死体損傷等で有罪となった。


テッド・バンディ (Bundy, Ted)

連続強姦殺人犯。1973〜78年に脱獄を挟んで少なくとも28人の少女を強姦殺人。

1946年11月24日、ヴァーモント州バーリントン生まれ。本名セオドア・ロバート・バンディ。ワシントン州タコマで育ち、ワシントン大学で中国語、後に心理学を専攻。1973〜75年にワシントン州、ユタ州、コロラド州で20人以上の少女を陵辱して殺害。1975年8月16日ユタ州で逮捕され、誘拐未遂で有罪となりユタ州刑務所で服役。1977年4月コロラド州のガーフィールド郡刑務所に移され、殺人容疑の裁判中の1977年12月30日に脱走。1978年1〜2月フロリダ州で3人の少女を殺害、他の3人に重症を負わせた。2月15日フロリダ州で再逮捕され、3件の殺人で有罪とされ死刑判決を受けた。1989年1月24日、死刑執行。28人の殺人を告白したが、実際の人数は不明。


アンドレイ・チカティロ (Chikatilo, Andrei)

ロシアの食人鬼。1978〜1990年に52人の少年少女を殺害、食人した。

1936年10月16日、ウクライナのヤブロチノエ生まれ。除隊後電話エンジニアとなり、後に教師となった。1978年から1990年にかけて少年少女を中心に53人を殺害、最後期には食人にまで進んだ。1984年に一度逮捕されたが殺人で起訴されず、3ヶ月の懲役で釈放後は機関車工場のエンジニアとして方々に出張、その機会に犯行を重ねた。1990年11月、自宅付近で逮捕。52件の殺人で有罪とされ、1994年2月14日、死刑執行された。


ジェフリー・ダーマー (Dahmer, Jeffrey)

連続同性愛殺人犯。1987〜1991年に16人の男性を殺害、死姦、食人した。

1960年3月21日、ウィスコンシン州ミルウォーキー生まれ。1978年オハイオ州立大学に入学したが飲酒で中退。1979〜80年陸軍に在籍しドイツに滞在するが、やはり飲酒で除隊となった。1981年10月酒乱で逮捕、オハイオ州の実家からウィスコンシン州の祖母のもとに移り、チョコレート工場に就職。高校時代に既に同性愛殺人を犯し、1987年9月から1991年7月までに16人の男性を殺害、死姦、解体、食人等の行為を繰り返した。懲役957年の判決を受け、ウィスコンシン州ポーテイジの刑務所で服役中の1994年11月28日、同室の囚人によって殺害された。


アルバート・デサルヴォ (DeSalvo, Albert)

ボストンの訪問者。1962〜1964年に13人の独身女性を絞殺したとされる。

1931年9月3日、マサチュセッツ州チェルシー生れ。少年時代から暴行で数回の逮捕歴がある。1948〜56年陸軍に在籍、除隊後はゴム工場のプレス操作員として勤務。1960年以降侵入・窃盗で数回逮捕され、1961年3月の侵入未遂で懲役1年半の判決を受け服役。1962年4月に出所後に「ボストンの訪問者
(The Boston Strangler)」事件を引き起こしたとされる。これは1962年6月14日から1964年1月4日にかけて、ボストンを中心に13人の独身女性が自宅で絞殺されたもので、性的暴行の跡があり、室内を物色しながらほとんど何も持ち去っていないという共通点がある。11人が公式の被害者とされ、残り2人は同じ犯人によるとするには疑問がある。公式被害者である11人も、5人は19〜23歳、残り6人は55〜75歳と極端に年齢層が異なり、同一犯人ではあり得ないとする説もある。しかしアルバートの自供が詳細を極めていたため、1967年終身刑を宣告された。ウォルポール刑務所で服役中の1973年11月刺殺されたが、犯人は分かっていない。


アルバート・フィッシュ (Fish, Albert)

ハンニバル・レクターのモデル。1928〜34年に多くの少年少女を殺害し食人した。

1870年5月19日、ワシントンDC生まれ。ニューヨークで塗装工として働く。1903年に窃盗で逮捕され服役。その後微罪で6回逮捕されたが、実刑には至らなかった。1928年6月3日、10歳の少女を誘拐・殺害して調理して食い、1934年11月に少女の母親宛にその詳細を記した手紙を送りつけた。その封筒が手掛かりとなり、1934年12月13日逮捕。4人の少年少女を誘拐して食ったことを告白したが、実際の被害者数ははるかに多いと言われる。1935年、誘拐殺人で有罪判決を受け、1936年1月16日死刑執行された。


ジョン・ウェイン・ゲイシー (Gacy Jr., John Wayne)

連続同性愛殺人犯。1972〜78年にシカゴで33人の少年を強姦・殺害した。

1942年3月17日、イリノイ州シカゴ生れ。内装関係の会社を起こし、雇用した10代の少年を中心に33人の少年を強姦して殺害。1978年12月、面接した15歳の少年の失踪が契機となり逮捕。1980年死刑判決を受け、数年後に死刑執行された。


エディー・ゲイン (Gein, Eddie)

『サイコ』のノーマン・ベイツ、『羊たちの沈黙』のバッファロー・ビルのモデル。死体で家具や衣類を作った。

1906年4月27日、ウィスコンシン州ラ・クロス生れ。本名エドワード・セオドア・ゲイン。極度に宗教的で厳格な母親に育てられた。1947〜57年の間に女4人、男2人を殺害したと考えられている。1957年11月17日に金物屋の女主人バーニス・ウォーデン失踪事件の捜査中に、ウィスコンシン州プレインフィールドの自宅で人間の皮膚で作った家具や衣類が発見された。ウォーデンと酒場経営のメアリ・ホーガンについては殺害を自白。精神鑑定で分裂病と診断され、ウィスコンシン州立中央病院に生涯収容された。1984年7月26日、癌で死亡。


林真須美 (Hayashi, Masumi)

和歌山毒カレー事件の犯人。

1961年7月22日生れ。1998年7月25日、和歌山市園部の夏祭りで自治会が作ったカレーに砒素を混入。男子小学生(10)、女子高校生(16)、自治会会長(64)と副会長(53)が死亡した他、63人が急性砒素中毒で重軽傷。10月4日逮捕。2002年12月11日、和歌山地裁で死刑判決。2005年6月28日、大阪高裁で死刑判決。


平沢貞通 (Hirasawa, Tadamichi)

帝銀事件被疑者。死刑囚として39年間獄中にあり、95歳で死亡。

1892年2月18日生れ。小樽市出身。テンペラ画家。1948年1月26日、長崎帝国銀行椎名町支店に東京都消毒班を名乗る男が赤痢の予防薬と偽って16人の行員に青酸化合物を飲ませ、12人を死亡させた上現金16万円余りを奪って逃走した「帝銀事件」の被疑者として8月21日に逮捕。捜査段階での自白を翻し一審以降一貫して冤罪を主張したが、1955年4月に最高裁で死刑が確定。しかし死刑は執行されず、1987年5月10日に八王子医療刑務所で死亡。


セオドア・カジンスキー (Kaczynski, Theodore John)

ユナボマー。1978〜95年に大学や航空関係者に爆弾を送りつけ、3人を殺害し29人を負傷させた。

1942年5月22日、イリノイ州シカゴ生れ。1962年ハーヴァード大学卒業、1967年ミシガン大学で数学博士号を取得し、カリフォルニア大学バークレー校の数学助教授に就任。1969年に大学を退任してモンタナ州の山中に隠棲。1978〜95年に大学、航空会社、コンピュータ販売店等に爆弾を郵送または設置し、3人が死亡、29人が重軽傷を負った。1995年に現代社会を批判する長文の論説を複数のメディアに送りつけ、9月19日にワシントン・ポスト紙がこれを掲載した。1996年4月3日、モンタナ州の自宅で逮捕。1998年5月4日、カリフォルニア州サクラメント地裁で終身刑4回の判決が下った。コロラド州フローレンス刑務所で服役中。


川俣軍司 (Kawamata, Gunji)

深川通り魔事件犯人。1981年、白昼の商店街で通行人に次々と包丁で切りつけ、4人を死亡させた。

1952年2月21日、茨城県鹿島郡波崎町生まれ。中学校卒業後、集団就職で東京の寿司屋の職人見習となった。1972〜81年まで暴行・傷害等で4度実刑判決を受け服役。1981年4月21日に出所後、6件の寿司店に勤めるがいずれも数日で解雇。1981年6月17日に7件目の寿司屋から不採用の通知を受けた直後の午前11時35分頃、深川の商店街で通行中の主婦2人と幼児2人を柳場包丁で刺殺、他3人の女性に重軽傷を負わせた。1982年12月23日、東京地裁で無期懲役の判決が下った。


小平義雄 (Kodaira, Yoshio)

連続強姦殺人犯。1945〜46年に7人の女性を強姦絞殺した。

1905年1月28日、栃木県日光町生れ。上海事変で海軍陸戦隊員として中国兵6人を刺殺し、勲八等旭日章を授受。古河電工精鋼所工員だった1932年7月2日深夜、離婚を望む妻の実家に侵入して妻の父を撲殺、家族6人に重症を負わせた。懲役15年の判決を受けたが、2度の恩赦で1940年9月に仮出所。1945年5月25日、勤務していた海軍第一衣料廠の女子工員を強姦絞殺。同年6月から12月にかけて、駅で買出しに来ている女性に農家を紹介すると偽る手口で5人を強姦絞殺。1946年8月に就職を世話すると偽り17歳の少女を強姦絞殺、目撃証言から逮捕された。1947年6月18日に東京地裁で死刑判決が下り、1949年10月5日に死刑執行された。


栗田源蔵 (Kurita, Genzo)

連続強姦殺人犯。1947〜52年に3人の女性を強姦絞殺、巻き添えで幼児を含む3人を殺した。

1926年秋田県生まれ。貧困の家庭に育った。終戦後闇屋をやっていた1946年8月、窃盗、物価統制令違反、食糧管理法違反で1年間服役。仮出所後千葉県で闇屋をやっていた1947年に近所の娘(17)を強姦絞殺したが、発覚しなかった。1951年8月8日、栃木県小山市で盗みに入った家の主婦(29)を強姦絞殺。同年10月10日、国鉄外房線大原駅で会った主婦(29)を強姦絞殺、長男(5)と次女(2)を崖から突き落とし死亡させた。1952年1月13日、千葉県剣見川町で盗みに入った家の主婦(25)を絞殺、その叔母(65)を刺殺し、4日後に逮捕。1952年8月13日、千葉地裁で死刑判決が下り、翌1953年12月21日、宇都宮地裁でも死刑判決が下った。栗田はそれぞれの判決に対して控訴したが、1954年10月控訴を取り下げ死刑が確定した。1959年10月14日、宮城刑務所で死刑が執行された。


チャールズ・マンソン (Manson, Charles)

ヒッピー・カルトの教祖。1969年、信者を率いて富豪や映画女優ら9人を虐殺した。

1934年11月12日、オハイオ州シンシナチ生れ。母親はアル中で自堕落。12歳で窃盗で捕まって以来、各所の施設を転々とした。成人後も押し込みや車泥棒を重ね、1967年に釈放された後サンフランシスコのヒッピーの間で頭角を現し、人種間アルマゲドンを予言し、若い女性を中心とする信者を集めた。1969年に信者を率いて牧童、音楽教師、ハリウッド女優、卸売り業主ら9人を虐殺。1972年に終身刑となり、カリフォルニア州ココランの州刑務所で服役中。現在でも、サタニストからネオ・ナチに至る反社会的グループからのファンレターが絶えないという。


丸山博文 (Maruyama, Hirofumi)

新宿バス放火事件犯人。1980年に停車中のバスに放火し、6人が死亡した。

1942年北九州市生まれ。出生直後に父が離婚、3歳のとき母が枕崎台風で死亡。親戚を転々としながら義務教育を終え、とび職見習い、農家の手伝い、建設作業員などをして生計を立てた。1972年に結婚し長男が生まれたが、翌年に妻が精神疾患で入院し離婚。長男を施設に預け大阪、静岡を転々とした。1980年8月19日午後9時過ぎ、新宿駅西口京王デパート前のバス停で発車待ちをしていたバスに放火。乗客30人中6人が死亡、14人が重軽傷を負った。1984年4月、東京地裁は無期懲役の判決を下し、1986年8月の東京高裁も一審を支持した。服役中の1997年10月7日、作業場の配管にビニールひもをかけ首吊り自殺。


宮崎勤 (Miyazaki, Tsutomu)

連続幼女殺人犯。1988〜89年に埼玉県で4人の女児を誘拐して殺害。

1962年8月21日、東京都五日市町生れ。父親は印刷工場経営。先天性撓尺骨癒着症の障害を持つ。1988年8月22日に入間市、10月3日に飯能市、12月9日に川越市、翌1989年6月6日に飯能市でそれぞれ4〜7歳の女児を誘拐して殺害。また1989年2〜3月には、最初の被害者宅に遺灰と犯行声明文を送りつけた。7月23日、幼女を裸にして写真を撮っているところをその父親に見つかって逮捕。1997年4月14日、東京地裁で死刑判決。2006年1月17日、最高裁が上告を棄却し死刑が確定。


大久保清 (Okubo, Kiyoshi)

連続強姦殺人犯。1971年のわずか41日間に8件の強姦殺人を重ねた。

1935年1月17日、群馬県高崎市生まれ。両親に溺愛されて育ち、実家でぶらぶらしていた1955年に2件の強姦致傷事件を起こし、4年間服役。出所後前科を隠して結婚し牛乳販売店を経営したが、1967年に恐喝と強姦致傷で懲役4年半の実刑判決を受けた。1971年3月2日に仮釈放直後、父親に金をせびって買ったマツダ・ロータリークーペを乗り回し、群馬県を中心に各所で芸術家を装ってモデル依頼にかこつけて女性を誘い、3月31日〜5月10日までの41日間に8件の強姦絞殺を重ね、死体を山中に埋めた。1973年2月22日前橋地裁で1件の強姦致傷と8人の殺害で死刑判決。1975年1月22日、東京拘置所で絞首刑が執行された。


リチャード・ラミレス (Ramirez, Richard)

ナイト・ストーカー。1984〜85年にロサンジェルス周辺で連続強盗殺人事件を起こし、少なくとも14人を殺害した。

1960年2月28日、テキサス州エル・パソ生れ。ヒスパニック系。1984年6月28日から1985年8月25日にかけて、カリフォルニア州ロサンジェルス周辺で16件の強盗事件を起こし、14人を殺害。女性を陵辱強姦、被害者に悪魔礼賛を強制し、壁に口紅で悪魔教のシンボルを描きなぐった。8月17日には、サンフランシスコでも同様の強盗殺人を働き2人を殺害したとされる。8月31日、ロサンジェルスの街頭で市民により逮捕された。1989年9月20日、ロサンジェルス地裁で死刑判決。サン・クエンティンの死刑囚房で服役中。1996年10月3日、フリー編集者のドリーン・リオイと刑務所内で結婚。


アンヘル・マツリーノ・レーゼンデス (Resendez, Angel Maturino)

鉄道殺人鬼。1997〜99年にテキサス州を中心に強盗殺人で9人を殺害した。

1960年8月1日、メキシコのプエブラ州イスカール・デ・マトモロス生れ。別名ラファエル・ラミレス。10代の頃から不法入国によりメキシコとアメリカの間を往復し、窃盗・強盗・暴行等でアメリカで数回服役、強制送還されている。1997年8月29日から1999年6月15日にかけて、テキサス州、ケンタッキー州、イリノイ州で強盗殺人により9人を殺害。不法乗車した鉄道で移動し、線路脇の家に押し込む手口から、鉄道殺人鬼
(Railroad Killer)と呼ばれた。1999年6月13日、テキサス州エル・パソで自首。死刑判決を受け、テキサス州リヴィングストンの死刑囚房に収容中。


佐川一政 (Sagawa, Issei)

パリ留学生食人事件の犯人。現在作家として活動中。

1949年神戸市生れ。関西学院大学大学院修士課程修了。1977年パリのソルボンヌ大学に大学院留学。博士論文のテーマは「川端康成とヨーロッパ20世紀前衛芸術運動の比較研究」。1981年6月11日、オランダ人女子学生(25)を射殺、屍姦して大腿部を食べた。4日後に逮捕。1983年に犯行時心神喪失で無罪判決を受け、アンリ・コラン精神病院に入院。1984年5月に国外追放となり、東京都立松沢病院に入院。日本の警察当局は殺人罪での起訴を検討したが、フランス側が証拠提出を拒否したため断念。現在も作家として活動中。著書に『霧の中』『サンテ』『生きていてすみません』『カニバリズム幻想』『蜃気楼』『華のパリ、愛のパリ』『少年A』など。


酒鬼薔薇聖斗 (Sakakibara, Seito)

神戸市児童連続殺傷事件の犯人。犯行当時14歳。

1982年(?)神戸市生れ。1997年3月16日、女子小学生(10)の頭部を金槌で殴り撲殺、別の女子小学生(9)の腹部をナイフで刺し重症を負わせた。5月24日、男子小学生(11)を殺害。5月27日早朝、口に挑戦状をくわえさせた頭部を市立友が丘中学校正門に遺棄。6月4日、神戸新聞社宛に第二の挑戦状を送付。6月28日逮捕。10月17日、神戸家庭裁判所は医療少年院送致を決定。10月20日、関東医療少年院(東京都府中市)に収容。2004年3月、関東医療少年院から仮退院。


ハロルド・フレッド・シップマン (Shipman, Harold Fred)

イギリスの医師。多数の患者にモルヒネを過剰投与し殺害した。

1946年6月14日生れ。ヨークシャー州のリーズ大学医学部を卒業。ハイドのドーネイブルック医療センターに勤務。1998年6月24日、裕福な未亡人をモルヒネの過剰投与によって殺害し、自分に386,000ポンドを贈与する遺書を偽造したことがきっかけとなり逮捕。2000年1月31日、プレストン裁判所は、15人の在宅患者をモルヒネの過剰投与で殺害したとして、シップマンに終身刑15回の判決を言い渡した。2004年1月13日、ウェストヨークシャー州ウェイクフィールド刑務所の独房で首吊り自殺。


正田昭 (Shoda, Akira)

バー「メッカ」殺人事件主犯。1953年に証券ブローカーを強盗殺人。戦後アプレゲールの暴走としてマスコミに大きくとり上げられ、獄中から手記や小説を多く発表した。

1929年4月19日、大阪市天王寺区生まれ。慶応大学を卒業し、日産自動車に採用が内定していたが、健康診断で肺浸潤が見つかり、入社が取り消しになった。三栄証券に就職するが、あちこちに借金する生活の乱れから半年で解雇。1953年7月27日、新橋のバー「メッカ」の屋根裏部屋で証券ブローカーの博多周(40)を撲殺し、現金41万円と腕時計などを奪った。1956年12月15日、東京地裁で死刑判決。1963年1月25日、最高裁で上告が棄却され死刑が確定した。獄中で小説や手記の執筆を続け、短編小説「サハラの水」、獄中手記『黙想ノート』『夜の記録』等を出版。1969年12月9日、死刑が執行された。


リチャード・スペック (Speck, Richard)

看護学生虐殺事件の犯人。

1941年12月6日、イリノイ州カークランド生れ。テキサス州ダラスで育った。1966年ダラスで傷害・窃盗を犯しシカゴへ逃走。4月13日、バーのホステスを撲殺。7月14日、サウスシカゴ・コミュニティ病院の女子寮で8人の看護学生を滅多刺しにして虐殺。犯行後ホテルの部屋で自殺を試み、搬送された病院で身元が割れ逮捕。1967年4月15日、ペオリア郡地裁で死刑判決を受けたが、最高裁の方針変更で懲役50〜100年に変更された。1991年12月5日、心臓発作で死亡。


宅間守 (Takuma, Mamoru)

大阪小学校児童殺傷事件の犯人。

1963年11月23日、兵庫県伊丹市生れ。高校中退後航空自衛隊に入隊するが、1年で除隊。その後は不動産会社社員、運転手、用務員、建設資材会社社員等をして生活。2001年6月8日、大阪府池田市の大阪教育大付属池田小学校に乱入し、複数の教室内で次々と児童を出刃包丁で斬りつけ、1、2年生8人が死亡、教師を含む15人が負傷した。2003年8月、大阪地裁で死刑判決。弁護団が出した控訴を自分で取り下げ、死刑判決が確定した。2004年9月17日、大阪拘置所で死刑執行。


都井睦雄 (Toi, Mutsuo)

八つ墓村事件の犯人。1938年に一夜で自分が住んでいた岡山県の山村を壊滅させた。

1916年3月5日、岡山県苫田郡加茂町大字倉見の中農の家に生れた。両親が結核で早死にし、11歳のとき祖母の出生地である西加茂村の貝尾部落に一家で移った。小学校の成績は良く進学を勧められたが、経済的理由で断念。自分も胸膜炎を発病し、結核すじの家として疎まれていた上に、村の女性に手を出したことで村八分状態となった。恨みと被害妄想が爆発した1938年5月21日午前1時頃、まず自宅で祖母を斬殺。近隣の家に放火し飛出してきた住人を猟銃で射殺するという犯行を繰り返し、合わせて30人を殺害、3人に重軽傷を負わせた。このときの風体は学生服にゲートル、地下足袋を履き、白鉢巻に懐中電灯を2本角のように差込み、首から自転車用懐中電灯をぶらさげ、日本刀一ふりと短刀2本、9連発に改造した猟銃1丁を持つという異様なものだった。午前3時頃には中国山脈に逃走。西加茂村大字楢井字仙之城の山林中台地で猟銃自殺を遂げているのが、午前10時30に発見された。横溝正史『八つ墓村』のモデル。


上田宜範 (Ueda, Yoshinori)

大阪愛犬家連続殺人事件の犯人。

1955年(?)、大阪府八尾市生れ。1992年7月から1993年10月にかけて、男3人と女2人を次々と筋肉弛緩剤を注射して殺害。1994年1月26日逮捕。1998年3月20日、大阪地裁で死刑判決。2001年3月15日、大阪高裁で死刑判決。2005年12月15日、最高裁が上告を棄却し死刑が確定。


上部康明 (Uwabe, Yasuaki)

下関通り魔事件の犯人。

1963年(?)、山口県生れ。1999年9月29日、JR下関駅構内にレンタカーで突入、通行人7人を跳ね飛ばし、車から降りてホームまで通行人を追いかけ文化包丁で斬りつけた。死者3人、重軽傷者12人を出した。2002年9月20日、山口地裁で死刑判決。2005年6月28日、広島高裁で死刑判決。


造田博 (Zouta, Hiroshi)

池袋通り間事件の犯人。

1975年(?)、岡山県生まれ。1999年9月8日、東京池袋東急ハンズ付近の路上で通行人を次々と金槌と包丁で襲い、主婦2人を殺害、6人に重軽傷を負わせた。2002年1月18日、東京地裁で死刑判決。2003年9月29日、東京高裁で死刑判決。



戻る