… 心地好い病気

この世には実に不思議で心地好い病気がある。 その病名は『お四国病』 と呼ばれており、歩き遍路の回数と年月を重ねるにつれその症状は重症化しつづける特徴を有している。 科学の進んだ現在においてさえ、症状を軽くする処方箋も治療薬も未だ開発されていないのである。 この『お四国病』に私も感染し、白衣姿でへんろ笠を被り金剛杖を手にして歩き遍路に出かける毎にその症状は 広がりと深みを増し、心地好さが心身の隅々にまで浸透している。 最近では、私自身も『お四国病』の保菌者として御縁の結ばせていただく方々に実に不思議 で心地好い病気を感染させているようにさえ感じています。


お接待とお遍路文化 … 1,200年の歴史

 国内で、をつけて呼んでいただける地域はだけです。 そして、お四国に住まいする私達も訪れる方々にをつけて親しく呼びかけています。さん頑張ってくださいって!
 “お四国”ではお接待を受けることがあります。 そんな時、自然と手が合わさり合掌している自分に気付くこともあります。 お接待する人もお接待される人も共にお大師様なのです。

  究極のお接待は「行き倒れ遍路の埋葬」です。

 昔も今も、多くのお遍路さん達が四国の地 を訪れます。 そんなお遍路さんの中には江戸時代から戦前にかけて、不治の病に罹り、お大師様の功徳にすがろうとして巡り続けていたお遍路(病い遍路とい います)も多くいました。 記録によると、嘉永4年(1851)国府の早渕地区(現、徳島市国府町早渕)では22名の行き倒れがあり、村人達は捨往来手形 に基づき埋葬しました。
 客観的に考えてみます。 行き倒れたお遍路は、村人にとっては全く無縁の他人であって、しかも業病に罹っていた死骸を埋葬することなど、誰だって嫌で関 わり合いたくもありません。 地域にとっても大きな迷惑であり、災いです。  しかしながら、長い年月にわたって私達のご先祖はお大師様への功徳として続 けてこられたのです。 そして、難渋しているお遍路さんに乏しい生活の中から食物(米や麦など)を施し、時には宿の提供や金品の施しも行って、お遍路さん 達の無事結願を支え続けてこられました。
 ご先祖様達の続けてこられた与えて報いを求めない行為与えっぱなしのこころ、「お大師様への功徳お大師様への供物」などお接待の習慣が今の時代にも受け継がれているのです。
 お祖母ちゃんもやっていた、お母ちゃんもやっていた、周りの皆もやっている、だから子供の頃から私もやっています。 …… これって「文化」です。 そして、これこそが時代の変化にも不変の本物の「
文化なのです。


  お遍路休憩所(へんろ小屋)

(おやすみなし亭)
 歩いて巡るお遍路さんが気兼ねなく休憩できるようにと、お四国のへんろ道沿いに「お遍路休憩所(へんろ小屋)」が地域の有徳者の好意により設置されています。
 汗だくでへとへとに疲れていてもお遍路さんは、周囲に迷惑が掛からないようにと気を遣いながら歩いています。 そんな
お遍路さんを気遣って、地域の住人や有徳の方々がお遍路さん専用に設けてくださっているお遍路休憩所、その中には触れ合いと気遣いと感謝の心があふれています。
 どうぞ、感謝の気持ちをもってご利用いただき身体の疲れを少しでも軽くしてください

(おやすみなし亭内部)

  善根宿(ぜんこんやど)

(柳水庵善根宿)
 善根宿は、修行のお遍路さんや僧侶に、無償で一夜の宿泊を提供することを云います。 お大師様に功徳させて頂く気持で、今宵の宿に困っている修行の歩き遍路さんを対象として、有徳の個人が家屋や自宅の一室を提供し、宿泊のお接待をしてくださっているのです。
 一般に、風雨を凌げ、水・トイレ・畳敷きで布団などの用意もあり、修行のお遍路さんは自由に利用することができます。 ⇒ 火の用心・清掃・整頓・後始末などは利用者が守る最低限のマナーです。
 お接待には出費が伴っています。 
善根宿の維持にも当然に出費が伴い、それらは全てお接待者の個人負担で賄われています。 お接待をさせていただいて良かった!と感じるお遍路さんも居れば、そうでない方も居ます。 お接待を受けるお遍路さんも心して一夜のお接待を受けて欲しいものです。

(寿康康寿庵善根宿)

 昔と変わらぬ本物の「歩き遍路」に関心のある方はこちらもご覧ください。⇒ お四国センター 直心(じきしん)                         TOP


お接待への立場や観点

「お接待される側」 と 「お接待を施す側」 と 「お接待を求める側」
 立場や意識の区分  こんな方々  状況・説明等
お接待される側
お供えされる方
歩き遍路さん 辛苦を厭わず世塵を離れ、唯、飄々と歩いているお遍路さん。 雨の日も、風の日にも一歩一歩と前に歩んでいる姿は「お大師さま」に重なるがごとく目に映ります。 アメ玉一個でも自然とお供えさせて頂きたくなります。 
歩いている「おんな遍路」さんや
「夫婦遍路」さん
お遍路は本来「歩くことが原点」です。 楽を選ばず修行の路を歩いている姿は、周囲の方々の仏性を目覚めさせます。 特に、女性やご夫婦連れのお遍路さんには、声を掛けたり、僅かでも応援したくなります。
お接待を施す側
お供えをする方
施して報いを求めない方
お四国の住人の皆さんへんろ道沿いの小母さんやオヤジさん達) 昔からのお接待文化の伝承者、担い手です。 お遍路さんを見守ってくださるお大師さまは、お遍路の道筋におわします。 “施して報いを求めない姿”、“与えっぱなしのこころ“これが「お四国お接待文化」です。 子供達の挨拶だって、凄い“お接待”です。
歩き遍路体験のある先達さん 歩き遍路の気持や苦しさや嬉しさ等が肌で、実感でわかるから、温かな気遣いやお接待をして差し上げられます。 歩き遍路の体験者でないとわからない世界です。
☆歩き遍路体験のある先達さんって、ほんの僅かな一握りなのです。 大多数の先達さんはお接待の心なんて理解できていないのですよ。
個人宿泊者を大切にする宿坊や遍路宿 ヘトヘト・クタクタの疲れを癒し、回復させてくださいます。 家庭的な応対や人情味がお接待です。 ホテルや観光旅館では味わえないようなやすらぎと心遣いそして親しみがあります。
お四国病に感染しているお遍路さん 感謝しているから、感謝の心を持って、感謝の念いを周りの方々に施すことができます。お接待させていただく有り難さに目覚めています。
お接待を求める側
好意に甘え、善意を弄ぶ方
慳貪な心を抑えられない方
こじき遍路
“癒し・自分探し”等ブーム言葉のお気楽遍路
観光パンフレット等に踊る表面的で意味不明な連想言葉に惑わされ、軽々に「お接待」や「布施」等を期待し、受けた接待を自慢げにブログに記するなど、さもしい心にとらわれている利己主義な若年層や修行とは無縁な浮浪の乞食達をさします。
一部の札所寺院や札所関係者 衆生救済の志を忘れ、利他に目を背け、我欲に勤しみ、建物改築などで尊厳を造形しようとしているが、原点となる「尊敬」を周囲から失っているのかも知れませ ん。 狭い宗門世界の中に安住し、世襲で僧侶という職業に就いたからでしょうか、生きている人間の苦労や心の痛みや喜びなどを理解できず、傲慢にお遍路さ んを見下している方々にも稀に出会います。 愚かさに気が付く感性さえも、見失ったのでしょうか。
観光気分の団体遍路さん
歩き遍路体験のない先達さん
お遍路の「歩くという原点」か ら遠く離れて「札所の存在する場所」を形式重視で足早にバスや自動車等で巡るだけですから、お接待に巡り会う機会はほとんどありませんし、訪れる札所自体 もお接待をしません。 そして、荷物も背負わず気楽な観光気分ですのでお接待の対象者でもありません。 ワイワイ・ガヤガヤと騒がしく集団で動きますが、 外見上は一人前のお遍路さん姿です。 だから、折角来たのだからお接待を受けたいと望んでいます。

 昔と変わらぬ本物の「歩き遍路」に関心のある方はこちらもご覧ください。⇒ お四国センター 直心(じきしん)              TOP


歩き遍路文化 … 遍路修行を支える基盤

“お四国”はお大師さまに出会う旅。

 お大師さまに出会えることを念じ、お遍路さんは菅笠や 杖に同行二人と記してお大師さまの足跡を巡ります。 ⇒お大師さまに出会えます。 すれちがう子供たちの笑顔や挨拶、ポケットからあめ玉を握り出しお接待 くださるお婆さん、道の間違いを追いかけてきて教えてくださるオヤジさん、みんな皆お大師さまです。 疲れを忘れさせてくれる路傍の花、これだってお大師 さまが形を変えたお姿かも知れません。 お四国、お遍路の道筋のいろんな処や場面でお大師さまはお遍路さんを導き、お迎えしてくださっています。  ☆お遍路さんの歩かれている道筋や道中にこそ「仏様」も「お大師さま」もいらっしゃいます。 


“お四国”は清浄心に立ち還る路。 

 お遍路さんにお大師さまが一緒に同行してくださるとい われていますが、お大師さまも超御多忙のお立場ですので、あまり頼ってもいけないと思います。 長い人生の過程で、自分で積み上げ、自分に積ってしまった 分厚い我執やエゴなどを捨て去りながら、本来の素直な自分(本来の自分自身)に立ち還ってゆく路。 「我執だらけの自分」と「本来の素直な自分」、この二 人が一緒に同行しながら「本来の素直な自分一人」に還る修行の路、これがお大師さまの諭される同行二人の教えかも知れません。 お遍路は、歩きを通して自分自身に出会うのです。 當に、清浄心に立ち還る修行の路です。


 “お四国”ではお遍路さんの「袋」に「ほころび」ができます。 

 歩き遍路されるお遍路さんには、其々にいろんな人生が あります。 持ち切れないほどの我慢や願事そして語りえぬ哀れ等を自分の袋に一杯詰め込んで歩き始められます。 でも、「お四国」って不思議なんです!  歩き始めるとお大師様がお遍路さんの袋の角に「ほころび」を付けてくださいます。 そのほころびから、持ち切れなくなっていたものが、そのうちにボロボロ とこぼれ落ち始めます。 持ち切れないほどに膨らんでいた袋も一歩一歩の歩みと供に少しづつ少しづつ軽くなり、やがて空になってゆきます。 足腰は疲れま すが、その疲れとは逆に心の重みは薄らいでゆくのです。 ふと気がつけば手を合せ素直に合掌しているお遍路さん、すれ違う方々に満面の笑顔で挨拶をされて いるお遍路さん、……いつの間に、これほどやさしく素直なお遍路さんになられたのだろうと不思議に思います。 お大師様は、そのお遍路さんに合わせて 「袋」に「ほころび」を付けてくださるのです。 こころの重荷が軽くなるにつれて、その人本来の仏心・仏性が目覚め、素直な自分自身が甦ってまいります。 お四 国って、「捨て去り、忘れ去りしながら歩く修行の路」、「しんどい思いをすれけれど、気分の好い世界」、「素晴らしい人生甦りの場」なのだと思います。


“仏をまねて生きる教え” 

 仏様には三つの教えがあるんだそうです。 一つは「仏の教え」。 二つは「仏になるための教え」。 三つは「仏をまねて生きる教え」だそうです。
 仏をまねて生きる、というのは、仏になったつもりで仏のまねをして生きていこうと発心すること。 言い換えると、毎朝、目が覚めた時にちょっと発心す る。 そして、お大師さまのように顔を洗い、お大師さまになったつもりでご飯をいただき、挨拶をする。 もちろん始めはよちよち歩きのお大師さまだから、 なかなか巧くまねることはできないけれど、「お四国」を歩きながら、少しづつ上手にまねをしてゆけば良いのだそうです。 なるほど、お遍路さんは、お大師 さまになったつもりでお大師さまのまねをして歩いてゆけば良いわけです。 だから、お遍路さんは、お大師さまと同行二人の修行旅なんですネ!


“笠ほとけ 杖は大師よ 春の風”   

 お四国の修行は、感謝の学びです。 「お遍路さんがお 大師さま」なのです。 ただ一所懸命に一歩一歩あるいておられる御姿、何の力みも抜け切った御姿、素直に感謝の気持ちを表している御姿、素直な眼差しと満 面の笑顔、当り前の有り難さに感動し感謝されている御姿……  皆々、神々しく輝いています。 ふと気が付けば、手を合わせ合掌されているお遍路さん。  いつの間に、こんな素直なお遍路さんになられたのだろう。 お大師さまがお遍路姿に身を変えて、お遍路さんになろうとしているお遍路さんに同行し、導かれ ている。 “お大師さま”って、“お四国”って凄い! “お遍路さん”って素晴らしい! ……「お遍路さんはお大師さま」です。 やっぱり、お遍路さんは お大師さまと同行二人なのです。  「一切衆生悉有仏性」、「衆生本来仏なり」なのです。 合掌


“お四国”の大先達

 ○ お四国の大先達 宥辨真念 

(真念標石=左側)
宥辯真念(ゆうべんしんねん ?~元禄五年)
「四国遍路中興の祖」といわれる大先達。 江戸時代初期の高野聖。 20回以上お四国を歩く。 「四国邊路道指南(1687)」を記す。 標石の造立、遍 路宿(真念庵)建設、霊場記などその功積は非常に大きい。 八十八の数字の由来を定め、札所番号・詠歌を制定した。
左写真は、六番安楽寺から七番十楽寺に向かうへんろ道に残る真念法師の「標石(しるべいし)」、現存三十余基。 右写真は、八四番屋島寺から八五番八栗寺に向かうへんろ道沿いの須崎寺境内に残る真念法師の墓。

(須崎寺境内)

 お四国の大先達 中務茂兵衛

(鶴林寺山門前茂兵衛標石)
中務茂兵衛(なかつかさもへえ 1845(弘化2年)~1921(大正10年))
周防国(山口県)大島郡生、本名:中司亀吉、法名:義教。 22歳(慶応2年・薩長連合、竜馬暗殺の時代)より四国遍路に出る、生涯一度も生国に帰らずへ んろ道を住まいとした。 280回お四国を巡り、茂兵衛が建立した標石は現存237基、明治政府の廃仏毀釈・神仏分離令による仏教苦難の時代に「生き仏」 と庶民に慕われていた。 寺院が廃れていた時代に、お遍路の苦難を想い、道標を再構築した。 87番長尾寺付近で没。 左写真は、茂兵衛の標石です。

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道標 … 歩き遍路の道先案内

○ お遍路シール    ⇔ 歩き遍路さん専用の道先案内、信頼できる味方です。 








 最も信頼できる歩き遍路さんの味方です。 地図などには限界がありますので、お遍路さんが歩くへんろ道沿いの電柱や適当な箇所に、歩き遍路体験者達が判り易い位置に貼付して進む方向を示しています。 主にへんろ道の分岐点などでお遍路さんが道を迷わないよう、進路を示しています。

注意①、自動車用の案内板や石柱など多くの案内表示がされています。 もし、多種類の方向案内がある場合には、「お遍路シール」を信頼してください。
*自動車用の交通標識や案内板は自動車遍路用のものであって、歩き遍路用ではありません。
*手書きの案内標識の中には、店舗などへ誘おうとする看板もあります。

注意②、お遍路シールには貼付する主体別に種類があります。 写真に掲載しているのは「遍路とおもてなしネットワーク
近年はシールの貼付活動を休止しており、貢献度合いは低下しています。)」のシールです。 他に「へんろ道保存協力会」のシール等があります。

注意③、歩き遍路のへんろ道を外れると、遍路シールはありません。 だから、30分も歩いている途中に「お遍路シール」が目に映らない場合には道を間違えている可能性が高いです。 現在位置の確認をお奨めします

注意④、歩き遍路の体験者は非常に少ないです。 地域の方々もお寺の関係者も、歩き遍路の未体験者がほとんどです。 だから、お遍路シールを見つけながら迷わずに歩いてください。

注意⑤、道を間違えるのは、遍路シールを見落としたことに因ります。

なお、これらの「お遍路シール」も全て有徳者や個々人の費用負担と貼付ボランティア活動で支えられ、歩き遍路さんへのお接待として貼られています。 
 最近は「お遍路シール」の価値や効用を理解できない行政マン達が関与しているのかどうかは判りませんが、お遍路シールが剥がされたり捨てられたりしている様子で、随分と少なくなってきています。 ⇒ 寂しい限りです。





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