☆遍路とは お大師様が約1,200年前(792年)に修行されたと伝わる足跡を辿り巡りゆく修行の旅人を『お遍路(現在は「歩き遍路」と表現されます)』といいます。 「お遍路」はお大師様の歩まれた足跡を辿り巡りゆく修行行為それ自体が本来のお遍路な のです。 |
☆「歩き遍路」と「札所巡り」は全くの別世界です。 → お遍路の道中や道筋にこそ「お大師さま」はいらっしゃいます。 お大師様が1200年前に修行されたと伝わる足跡を辿りつつ四国の山野を白衣姿で荷物を背負い、菅笠をかぶって金剛杖を持ち、黙々と歩いて巡る修行をさ れている方々を“お遍路“とか“おへんろさん“と敬いの思いを込めて昔からいっています。 四国八十八箇所の寺は、江戸時代に四国遍路中興の祖とも称され る宥辨真念聖が四国各地に散在していた寺院の中から88寺を選び1番から88番の番号を付けたことに起因して、現在の八十八箇寺が始まっています。 江戸 時代以降は、お大師様の歩まれた修行足跡を辿る本来の遍路修行に随従して、遍路の道筋に散在する八十八箇寺にも立ち寄り、お大師様をはじめ先人賢哲や聖に 畏敬と感謝の念を捧げつつ、四国(阿波・土佐・伊予・讃岐)の山野を徒歩で巡る“修行の旅”を続けているのです。 バス・タクシー・自動車などの乗り物を利用する参拝方式では、お遍路本来の四国の山野を「歩くという原点」から遠く離れきっている為に、「札所の参詣=札所巡り」という形式的・表面的な一部分の中に旅行目的を求め、その意味を細々と積み上げることでしか術がなくなってしまいます。 お遍路への姿勢や発心そして原点の根本的な違いから、乗り物利用の「四国八十八ヶ所札所巡り」と自分の脚で歩く「四国八十八ヶ所歩き遍路」とでは、お遍路さん自身が経験し・体感するその世界が全く異なってしまいます。 外見や装束などがそっくりで、立ち寄る札所がたまたま同一であったとしても、歩きへんろの一歩に凝縮されている遍路修行の重みと修行の道程を省略し札所を巡るだけの軽々な足取りとの間には、比較のしようもないほどの大きな違いと開きが厳然とあるのです。 |
*お遍路さんの区分 ⇒「お遍路さん」と「札所巡り」と「団体さん」
最近の四国八十八箇所を巡る方々を客観的に区分すると次のようになると思います。 区分根拠は四国八十八箇 所の巡り方と主体性保持の有無により独断で判定しています。 「お遍路さん」と「札所巡りさん」と「団体さん」に大きく区分しますと、より判り易 く整理分類され理解がすすみます。 なお、観光バスなどを利用して四国島内に散在する八十八の札所寺院に参拝することを旅行の主目的として、バスや自動車等で点と点の寺院を足早に車移動してゆく旅行者のことを「札所巡り」さん又は「八十八霊場巡り」などと表現し、それらをまとめて「団体さん」と称して区別しています。
分類 | 人数区分 | 区分 | 交通手段など | 概 要 | 主体性の有無 |
3名以下 | お遍路さん | 徒歩 | リュックを背負い、自分の脚で修行の路を巡ります。 自由自在・自業自得・自主自立の世界、本物の「歩き遍路」です。 *年間で3千人弱のお遍路さんが、本物のお遍路で結願されています。 | 有 | |
お遍路さん | 徒歩+公共交通機関 | リュックを背負い、自分の脚とバス・鉄道なども利用して修行の路を巡ります。 自由自在・自業自得・自主自立の世界です。 歩くという原点が不完全なので心残りと云い訳が生じます。 | 有 | ||
札所巡りさん | 自転車(含二輪自動車) | 歩くという原点から離れます。 荷物は自転車に載せ運びます。 四国に散在する札所を巡りますが点から点への移動旅です。 天候の影響を受けますが自分で計画し、自分の脚力にも依るので主体性は有します。 | 有 | ||
自動車(マイカー) | 歩くという原点から遠く離れます。 荷物は車に載せ、身軽です。 天候にも左右されず、効率的に四国に散在する札所を巡りますが点から点への急ぎ旅です。 スタンプラリーになりがちですが、自分で計画してルートも選び運転もしますので主体性は有しています。 | 有 | |||
4名以上 | 札所巡りの 団体さん |
伴走車+集団ウォーキング | 募集ツアーに参加し、引率され、身軽にウォーキングしています。 おしゃべりもしながらなので、自分のリズムでは行動できず、他の参加者の遅いペースに引きずられてしまいます。 疲れたり遅れると伴走車に拾われ車輛移動できますので始める前から「甘え心」も生じ、「本来の修業とは程遠い」ものとなります。 団体行動ですから時間にも追われ制約されて主体性等はありません。 自由自在・自主自立とは全く異質な遍路姿での集団ウォーキングです。 | 無 | |
自動車・ジャンボタクシー | 歩くという原点からは遠く離れてしまっていることから、札所での「参拝形式や装束にこだわる」ようになってしまいます。 他の参拝者やお遍路さんに迷惑をかけないよう注意しながら集団行動で巡ります。 しかし参加者にマナーの劣る人がいれば団体のマナーレベルもその人のレベルまで堕ちてしまいますし、参加者個々の存在感も「参加人数分の一」と希薄です。 募集ツアーに参加し引率されて、札所から札所を急ぎ足で訪れる気楽な自動車旅行です。 業者の企画通り、時間に追われて従うだけですから主体性等はありません。 納経までも他人任せですので札所寺院の名前も定かでなく、旅行内容の優劣や満足度は担当する先達さんの指導や技量水準により決することが多いようです。 そして、四国88箇所の札所を巡ったことがある、という記憶だけが残ります。 | 無 | |||
観光バスなど | 無 |
昔、お遍路さんにも上・中・下の区分があったのだそうです。
○「上遍路」とは、他家の門口に立ち勤行を唱え一手一銭の功徳を受けるなどの修行を重ねながら巡るお遍路さんをいいます。
○「中遍路」とは、他家の門口に立つなどの修行を行わず、四国88個所を歩いて巡るお遍路さんをいいます。
○「下遍路」とは、合力を連ね(人夫を雇い)この人達に荷物を運ばせ自分は身軽に楽をして巡るお遍路さんをいいます。
最近では、門口に立ち修行するお遍路さん「修行遍路」(一日七軒、他家の門口での立ち勤行を修めつつ巡る。)は見受けられません し、門口に立ち修行を志す僧侶も全く居ません。 また、お遍路から納経料や志納金の布施を受けている立場の札所寺院自体が逆に境内での托鉢を禁じるなど、
修行遍路への支援姿勢や保護意識も薄れており、修行をしながら遍路を続けることへの理解者や居場所などは無くなってしまった状態と思われます。 そして、
修行の上遍路さんは昭和30年代後半以降に居なくなったと思われます。 お遍路の道中でへんろ道の補修保全活動や道筋の清掃活動など「下座の行」と「利他の心」を抱かれて巡るお遍路さんも稀に見受けられますが、現在の上遍路とはこうしたお遍路さんを指すのだろうと思います。
☆「上遍路」修行のお手伝いを希望する方はご相談ください。 上遍路とは、菩提と繁栄等を祈り他家の門口で立ち勤行を納めつつ(一日七軒と伝えられています。)巡る修行の遍路旅を云います。
自ら発心し、辛苦を厭わず、雨の日も風の日も、自分の脚で歩いて巡られる「歩き遍路」さんが 現在の中遍路さんに該当するのだろうと思います。
観光バスやタクシーツアーなどに参加し、「歩くという原点」から遠く離れ去り、リュックも背負わず、引率されるまま納経まで他人任せの「団体さん」は現在の下遍路なのでしょう。 同様に歩く原点から離れ、自動車や二輪車を利用している「札所巡り」さんも下遍路に含まれるのでしょう。
上・中・下以外にも「遍路じゃない遍路姿の人」がいろいろと居るようです。
○こじき遍路 他人の善意やお接待を当てにして、然も、それが当然のごとくに振舞う「心のさもしい遍路」を指します。 受けたお接待を自慢げにブログに載せたりするお遍路さん達はここに属します。 残念ながら、心のさもしい遍路は周りの方々への施しや自らお接待する気持などを持ち合わせていませんので、遍路修業とはほど遠い寂しい方々です。 こじき遍路に堕ちないようにご注意ください。
○偽物遍路 縁日や催事場などで、遍路姿を真似て布施を媚びる或いは納札を渡して金をせびる等、善意の方々を騙すだけの「偽物の遍路」を指します。 また、道中で時々姿を現すのですが、札所巡りの「錦札」や「先達札」をこれ見よがしに見せたがる傲慢遍路もここに属します。
○口毒遍路 功徳を積む振りをしていても、道中で宿の悪口や寺院への不満、少しばかりの知識を振りかざすなど「周囲に口毒を撒き散らす遍路」を指します。
○無謀遍路 気合だけで遍路を始める人で、準備も知識も不十分、軽率で「周囲に心配を押しつけるタイプの遍路」を指します。
○Walker お遍路の装束も身に着けず、自分の都合で「自分勝手にウォーキングしている方々」を指します。
昔と変わらぬ本物の「歩き遍路」に関心のある方はこちらもご覧ください。⇒ お四国センター 直心(じきしん)
*転ばぬ先の杖 ⇒ 注意惹起 ⇒ 長い道中です。国内で最も安全な四国島内であっても、不快な場面に遭遇することだってあり得ます。 |
---|
タクシー 上乗せ料金をお遍路さんにさも当然の如くに請求する雲助もどきのタクシーや地域もあるのです。 肉刺などで足を痛めたり、道を間違い日暮れとなった場合などに地元のタクシーに送迎を依頼する場合もあります。 見知らぬ土地で送迎を受けると本当に助かる場合もあります。 然しながら、お遍路さんの状態を見透かして
上乗せ料金を当然の如く要求する雲助のごときタクシーや地域もありますので驚かないようにしてください。 |
物乞い・たかり・つきまとい 出会うことは殆ど無いと思いますが、念の為に注意されてください。 お遍路の道中で多くの方々から道案内や応援の声掛けを受けます。 そして心温まるお接待を戴くこともあります。 有り難いことです。 然し、極めて稀に応援の素振りを示しながらお遍路さんに近づき物乞いや金品をたかる不逞の輩も稀にいるのです。 |
納経所 僧侶を含め寺院の方々も十人十色、ピンからキリまであります。 稀にですが、傲慢無礼で冷酷な仕打ちに遭うこともあります。 お遍路の道中には八十八箇所の寺院もありますので立ち寄ります。 経文を唱え参拝した証として納経帳などで墨 書・朱印を受けます。 「お疲れ様…」・「気を付けて…」などの気遣いや普通の応対をしてくださる納経所がほとんどなのですが、一部の納経所では傲慢無礼な応対をしてしまう愚か者もいるのです。 ⇒ 不思議なことです…、歩き遍路の道中で不愉快な出来事や不快感を抱く方々に出合うこともありますが、その殆ど全てが寺院の納経所で生じるのですよ。 |
「御朱印」・「御納経」等の意味合いって… 何 ?…? 近年、全国的に「御朱印ブーム」が広がっていました。 一般的に、神社や仏閣に参拝した折に参拝者の持参した「朱印帳」あるいは「納経帳」に墨書朱印を授け、志納金を納める有様を「御朱印」と云い、全国的なブームにもなり、なかでも有名な神社仏閣ほどその人気を得ている状況です。 神社系は「御朱印」、寺院系では「御納経」と称されています。 その意味合いについての説明は 神社系では神様に参拝し御縁を結んだ“証”として、寺院系では御本尊に参拝し写経・読経を納めた“証”として墨書朱印を授け、参拝者は志納として朱印料又は納経料を納めるとされています。 「神様に参拝し御縁を結んだ証」・「御本尊に参拝し写経等を納めた証」が従前からの“権威”付けの根拠であり、“ありがたさ”を感じさせる由縁なのです。 神様も仏様も尊く神聖な不思議の霊性であって信仰の原点でもありますし、神仏の御姿御尊顔を現世で参拝者が拝することはできません。 …然しながら、その“ありがたさの証”として現世に生きている人間が現に物質である朱印帳・納経帳に墨書し朱印を施して、金銭(朱印料・納経料)の受け渡しを現世で、現実に生きている人間が行っているのです。 この故を以って“ありがたさの証”を担当する朱印処・納経所の方々は、その“ありがたさ”を減じたり裏切るような所作をしてはならないのだろうと思います。 *新型コロナウィルス(COVID-19)騒動の折、全国で大多数の有名な神社仏閣は参拝制限や拝観制限そして朱印処・納経所閉鎖等の措置がなされました。 他との接触等に因る感染拡散を予防する為、参拝や来訪の自粛要請や協力依頼の趣旨でした。 行政組織等の意向に添い、感染拡散予防に協調する姿勢は多人数の集まり易い施設や観光施設運営者の立場としては当然の対応でありますし、批判されるような筋合いでもありません。 然しながら、大多数の有名な神社仏閣が参拝制限や拝観制限を行い、朱印処・納経所等を神社仏閣側の判断で閉鎖措置がなされたと云うことは、従前の“ありがたさの証”の権威付けを自らが放棄し、“証”の根拠が虚しい作り話で絵空事であったと云うことを白日の下にさらけ出した、ということになってしまったのではないでしょうか。…?。 今後、神社仏閣等を参拝される方々は虚しい絵空事などに惑わされること無く、冷静に“ありがたさの証”について見直してみることも必要なのかな? とも思います。 私ごときには判りませんが、近年に広がりを見せた「御朱印ブーム」も新型コロナ騒動での対応姿勢などからブームの沈静化が始まるかも知れませんネ。 |
お遍路シール お遍路シールが剥がし棄てられ、減少しています。 歩き遍路さんにとって道中に貼られている「遍路シール・道標」はありがたいものです。 四国外から来訪するお遍路さんにとって四国島内での「方向・方角」や「道順」等は全くの不案内ですし、地名等は殆ど全てが初めて耳にする言葉です。 四国島内に住まいする方々でさえ、道順や方向方角を間違えることもあるのですから、遠来の四国島外のお遍路さんが不安を抱き道順を間違い困窮するのは当然のことだと思います。 そうしたお遍路さんを導いてきたのが江戸時代であれば真念法師の建立された「真念しるべ石」であり、明治時代であれば中司茂兵衛聖の「道しるべ石」であって、平成の時代の現在では電柱やガードレール等に貼られている「お遍路シール」だと思います。 もしも、このお遍路シールが無いと仮定しますと、ほぼ全ての歩き遍路さんは地図と磁石で遍路道を探しながら、不自由・不案内で見知らぬ土地を不安に駆られながらの苦しい道行きを強いられることだろうと容易に想定されます。 |
昔と変わらぬ本物の「歩き遍路」に関心のある方はこちらもご覧ください。⇒ お四国センター 直心(じきしん)
Copyright (C) 2009 E.Shirahama. All rights reserved.