<雪の音>            目次   ホームページ
☆1月8日☆

 5日の朝、雪を踏むと、ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅっと鳴った。雪の音を聞くのは何年振りだろう。最近はセカセカと歩いていて、足音に耳を傾けることなどない。
 確かめるように、ゆっくりゆっくり歩いてみる。子供の頃、でんぷんの入った大きな袋があって、上から押すと、でんぷんがぎゅっ、ぎゅっとなったのを思い出した。10キロ入りのお米の袋ぐらいだったと思う。
 大量のでんぷんを何に使ったのかは判らないが、秋になると大きな袋が納戸の隅に置かれた。私は遊び飽きると何度に行って、でんぷんを鳴らして遊んだ。
 ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅっ。雪を踏みしめる音の向こうに、縁側で縫い物をしている母の姿、障子、ストーブの上に置かれた鉄瓶などが懐かしく思い出されてくる。

 

<仕事に励む>               目次  ホームページ
☆1月12日☆

 私の勤めているのは、ダムや川などの水質検査や流れの速度、港や高速道路の風の向きや、波の高さなどの調査をするところだ。天気予報の仕事のほうが一般的に知られているが、私の勤める支店では天気予報の仕事はしていない。
 私は経理と港の波と風のデーターを整理している。
 波は0:00〜23:55の間で1時間ごとの波高を調べ、その中に満潮と干潮がある。風は瞬間風速と平均風速があり、0:00〜24:00までの間から、最高風速を記す。
 12月は北東から北西の風がふいていた。北風は寒い、だから冬は寒いんだと納得する。
 室蘭港は十数メートル以上の風が吹いている。同じ時期、白老港は数メートルの風が吹く。地形によるのか、50キロメートル程しか離れていないのに、風の強さはこんなにも違う。
 仕事を通して、色々なことを知る。この知識をどこかで生かすことはできないのだろうかと考えながら仕事に励んでいる。
 


<大沢先生>                 目次    ホームページ
☆1月16日☆

 中学の時、英語の授業を放棄したことがある。私一人ではない。クラス全員でしたのだ。
 大沢先生。当時20代後半くらいだったと思う。髪を七三に分け、黒ぶちのめがねを掛けた姿が子供っぽく映ったのだろう、坊ちゃんとあだ名がついていた。
 英語の授業は面白く、何の不満もなかったはずなのに、男子の誰かが「授業中、絶対口をきいてはダメだ。当たっても、知らん振りしよう」と言い出した。
 しーんと静まり返った教室から、怒って帰ってしまったが、次の日、何事も無かったかのように、授業は進められた。
 当時のことは、私にとって懐かしいが、大沢先生にとっては、思い出したくもない嫌な思い出となっているかもしれない。
「みんな大沢先生のことが好きでした」と伝えたい。


<カーリング>                 目次   ホームページ
☆1月19日☆

 今日、体育館でフロアーカーリングをしてきた。
 氷の上でストーンを使ってするカーリングと違って、室内体育館でする。木製のターゲットを的に、キャスター付の木製のフロッカーを送球し得点を競うのだ。
 フロアーにはキャスターが3個付いているので、力の加減で右へ左へと思いもよらない方向へ流れていく。
 氷上カーリングと同じで、ターゲットに近づくために、邪魔をしたり、相手のフロッカーをはじいたりするのだ。
 20cmほどの直径で、10cmの高さなので軽くて送球しやすいし、ルールも簡単でスポーツ不得意な私でも充分楽しめる。
 雪が降ったらフロアーカーリング、雪が融けたらパークゴルフ。夜はインターネットと忙しい。
 平均寿命の折り返し点を過ぎた私としては、限られた時間を以下に楽しく過ごすかが、これからの課題となる。


<七色の雪>                目次    ホームページ
☆1月22日☆

 朝起きると、花畑がすっぽりと雪で覆われていた。のんびりとはしていられない、出勤の用意をして表に飛び出した。
 車の屋根には20cmほどの雪が積もっている。
 スノーブラシで掻き落としていると雪が水色に見える。まるで、青空が雪の中にあるようだ。
 子供が小さかった時に観た、アニメーションを思い出した。
「七色の雪の降る町」と言うような題名だったと思う。赤い雪、青い雪、黄色い雪と次々に、ナナイルの雪が降ってくる。雪が降るたびに、子供たちが無邪気に雪の中を走り回る。そのアニメーションを観ながら、七色の雪なんて、子供を騙してはいけないのではないだろうかと気になった。
 その後、何かの本で読んだのだが、七色の雪があるという。塵と微生物によって、雪には色が付くのだそうだ。
 今日は赤い雪、明日は青い雪、と1週間、毎日違う色の雪が降ったら、どんなに楽しいだろう。

<仕送り>                   目次    ホームページ
☆1月26日☆

「仕送り有難うございます」
 関心にも、毎月息子から電話が来る。
「わるいわね、たくさん送ってあげられなくて」 
 仕送りの中から、携帯電話の通話料を差し引くので、充分とはいえない金額となる。
 今月は1万6千円もの電話代がかかっていた。ファミリー契約をしているので、電話代は夫の口座から引き落としとなる。その分を差し引くと、こんな金額でやっていけるのだろうかと心配になる。
 でも、ここで優しい顔をするわけにはいかない。仕送りが少ないと思うのなら、携帯電話の通話料を数千円代に減らす努力をしなければいけないのだ。お父さんもお母さんも、君に仕送りをするために、欲しいものを買わずに我慢しているのだから。
 大学卒業まで後二年。もう一頑張りだ。
 そんな話を友達にしたら、
「仕送りをしていた頃が懐かしいわ。卒業したら、張り合いがなくなるわよ」と言われた。
 そんな暢気なことをいえる時期に、早くなりたいものだ。


<小説の巧くなる方法>           目次   ホームページ
☆1月30日☆

 小説が巧くなるための本なるものを何冊か読んだことがある。読んでいる時はなるほどと思うが、書きあがった小説を読むと、さっぱり役に立っていないことが分かり、がっかりする。
「うれしい」と言うとする。
「うれしい」と本当に嬉しそうに言うのと、不愉快そうに言う場合があり、後者はその人物の、 屈折した心理や人間像を書くといいのだそうだ。
 なるほどとおもうが、小説の中では希望通りの台詞を言ってくれない。「うれしい」と言わせようとすると、話が違う方向へいってしまう。
 出掛けに、「今日は雨が降るかな……」なんて台詞を言わせるな、と書いてあった本もある。玄関からおもむろに空を見上げて、傘を持って出かけたら、余計なことを書かなくても、雨が降る、ということが読者に伝わるからだと。
 1冊読むと、上手に書けるような気がしてくる。2冊を読み終わると、どこかの文学賞に出したら、入賞するような気分になってくる。
 だからこそ、懲りずに小説を書き続けているのだろう。