<春が待ち遠しい>        目次   ホームページ
☆11月☆

 仕事が終わり駐車場に行くと、フロントガラスに雪が積もっている。震えながら、エンジンを掛け、ワイパーを動かすと雪は何処かへ飛んでいってしまった。
 本格的な冬にはまだまだ早いが、大方の人は11月になるとスタットレスタイヤに履き変える。いつ雪が降っても良いように、準備をしておくのだ。
 会社に岡山から来て、まだ2年のYさんがいる。
「実家のほうでは、スキー場に行くのにも、タイヤなんか取り替えないですよ。こっちの人って、神経質ですよね」と大口をたたいていた。
 9日。雪が空を舞っていた。アスファルトに落ちるとあっという間に融けて、儚く消えてしまう。
 冬なんかなければ良いと思うのに、降りはじめの雪は、不思議と幾つになっても、うきうきとする。
「坂道で、2回転半した」とYさんから電話がきた。夏道の調子でブレーキを踏んで、スピンをしたようだ。
 私も数年前、坂道でスピンしたことがある。対向車がなかったので事故にはならなかったが、冬道は怖い。
 冬の入り口に入ったばかりなのに、春が待ち遠しく思うこのごろである。

<シニアネット>           目次   ホームページ
☆12月3日☆

 先日、NHKミューで行われた「シニアネット」へ行ってきた。
 マイクを通して話す声が、パソコンの画面に文字で表示される、音声を文字に変える実演をしていた。
 声が正しく表示されないと、「戻る」と言う。カーソルがバックし、「消す」と言うと、指定された文字が削除されていく。
「おて」と言って、犬を訓練しているようで可笑しくなった。
 係りの人に聞いてみた。
「どうして、あなたの言わない言葉が表示されるのですか」と。
 私の顔を見て、「周りで話す言葉を、マイクが拾ってしまうからですよ」と彼は困り顔で言った。
 ソフトを買うと出来るそうで、数千円から一万五千円くらいするそうだ。
 年老いて、体の自由が利かなくなったら、声でパソコンを操作するのも良いかもしれない。その頃は口だけは達者だろうから。
 そう思うと、決して高い買い物ではない。 

初期化>          目次    ホームページ
☆12月11日

 晩御飯の後、パソコンに向かうのが日課となっている。
 台所の片付けを終えて、今日は7時にパソコンにスイッチを入れた。
「フレッツ接続ツール」をダブルクリック。次に「プロファイル」をダブルクリックする。
 何度やってもインターネットに繋がらない。どうしよう……、頭の中が一瞬フリーズする。
 メカの弱い私にはどうすることも出来ない。夫は頼りにならないし、こんな時、近くに便りになるような人は誰もいない。
「そうだ、NTTに電話しよう」と、モデムを買ったときの説明書を開いて電話をした。電話から指示されるがままに操作をするが繋がってくれない。
「一度全ての電源を抜いて、5分経ったらスイッチを入れてください」と言い、5分後に電話がかかってきた。
 今度は簡単に繋がった。電源を抜くと初期化されるそうだ。
「今度から、おかしくなったら電源を抜いたら良いのでしょうか?」
「今回は繋がりましたが、一概に言えません」との答え。
 そりゃそうだ。我ながら単純な質問におかしくなった

    

おみやげ>          目次   ホームページ
☆12月14日☆

夫がスーパーの袋を下げて仕事から帰ってきた。
袋の中には、えびせん、プリッツ、チェルシーのキャンディが入っている。
「おみやげ」と渡された。
「誰から?」
「オレから」
「え? どうして?」
「いや、食べたいだろうと思って」
おみやげならケーキでしょう、と心の中で言い返す。
夫としてはしゃれたことをしたつもりだろうが、どうも泥臭い。
花束をドライフラワーにして玄関に飾っている友達がいる。メッセージを付けたまま、壁に何個も飾ってあるのだ。花束から、ご主人の思いが伝わってくる。
友達のご主人のようなことを、夫に求めるのは酷だろう。
花が欲しいなんて言ったら、菊の花束を贈られそうである。
「いちごに似合いそうな花だから」と。

もちつき>          目次    ホームページ
☆12月17日☆

 家庭用餅つき器がはやり、子供が小さかった頃、よく餅つきをした。
 もち米をといでセットし、炊き上がったらスイッチを入れる。すべすべとした餅がつけたら、粘土工作をするように、子供たちが思い思いの大きさに丸め、お汁粉やきな粉餅にして食べるのだ。
 子ども会の父母が、今は見なくなった餅つきを是非に子供たちの見せたいと、冬休みに餅つき大会をしたことがある。
 餅の大好きな子供たちは喜んで出かけたのだが、このお餅美味しくないと言う。
 臼と杵でついた餅は美味しいはずである。杵つき餅は粘り気があって、腰がある。電気餅つき器はつくと言うより、捏ねている。つくと捏ねるでは、食感がぜんぜん違うのだ。
 でも、小さい時から餅つき器で作ったお餅ばかりを食べて育った子供たちにとって、噛み切ることも無く、とろけるように柔らかい餅を好むようになっていたのだ。
 慣れ親しんだ味が一番美味しいのである。
 その時、食文化はこうやって変化していくんだと、親の責任を感じた。
 夕刊に「つきたてに舌鼓」の見出しで、子供が餅をつく姿が載っていた。この子たちは餅を食べてどんな感想を言うのだろうかと、興味を抱きつつ記事を眺めた。

感謝の毎日>                   目次

 以前勤めていた会社を辞めて家にいると、仕事が舞い込んできた。急に辞める人がいて、来てくれないかとのこと。
 今度仕事をするなら4.5時間のパートがいいかなと思っていたので、9時から5時までの勤務となると、ちょっと気が重い。
 自分の年齢を考えるとわがままは言えないし、大学の息子に仕送りをしなければいけない。
 同居している夫の両親に相談してみた。
「かあさんがご飯の支度をするから、働きなさい」と姑が言ってくれた。
 舅84歳、姑79歳。ゆっくり老後を過ごしたい年齢と思うが、姑の後押しで働く決心がついた。
 仕事をして帰ると、晩御飯が用意されている。昔の嫁なら、夫の両親のために身を粉にして働いただろう。我がことながら、世の中がこんなに変わってしまって良いのだろうかと思ってしまう。
 この8か月、上げ膳据え膳で、極楽の日々を送っている。
 姑には感謝、かんしゃの毎日である。
☆平成14年12月20日☆

ちから関係>                    目次

「この頃、父さんと喧嘩、しなくなったよ」
 久しぶりに訪ねてくれた夫の姉に、姑が言った。
「とうさん、丸くなったんだね」と姉がほっとした顔をする。
 舅は畳み職人をしていたからと言うことも無いのだろうが、生真面目で融通の利かない頑固者だ。
 確かに若い頃、姑は苦労したのだろう、夫からも何度か聞かされている。でも、最近の舅が丸くなったとは思えない。
 先日、仕事から帰ると、姑がそっぽを向いていた。晩酌を終えた舅の前にはご飯と味噌汁がない。
「あら、ご飯、終わったんですか」と、自分のを盛りながら聞いた。
「おかずに文句をいうから、食べなくていいって言ったんだ」と、姑は憤慨している。
舅は「すいませんねェ」と身体を小さくして、小声で答えた。
 まさしく、丸くなったのではなく、姑が強くなったのである。
☆平成14年12月23日☆

時空を越えて>             目次

 毎晩、WEB上を散歩して、小説を読み漁っている。
 時間を気にせずよその家を訪ねたら、間違いなく嫌がられるのに、ホームページの場合はそんな心配はない。
「訪ねてくださった方は、足跡を残してください」と掲示板まで用意されている。
 一度もあったことの無い相手を想像しながら、書き込みをしていると、自分の書いた文章のそばに、見覚えの無い文章が並ぶことがある。その人も違う空間からホームページを覗き込み、私と同時に書き込みをしていたことになる。
 話し掛けることはもちろん、相手の存在すら確認することが出来ないのに、確かに同じ場所に相手もいるのだ。
 もしかしたら、その人だけではなく、何人もの人たちが気づかずにすれ違っているかもしれない。そんなことを想像していると不思議な気持になってくる。
 時空を越えた世界を彷徨っているうちに、迷子になって現空間に戻れなくなったらどうしよう。そんな不安を抱きつつ、夜な夜なふらふらとしている。
☆平成14年12月27日☆

ドナーカード>            目次

 年末の大掃除をしていると、「いのちへの優しいおもいやり」と書かれたパンフレットが出てきた。間には「臓器提供意思表示カード」が挟まっている。
 何年前になるだろう。1月に成人式を迎える息子が高校1年の時のことだったように思う。その頃、連日話題になっていて、ドナーカードは郵便局の窓口から貰って来た。
 死後、切り刻んで臓器を取り出すことに恐れる気持がなかったわけではないが、提供することで多くの命が救われるのなら、私が生まれてきたことも死んでいくことも、無駄ではないだろうと、軽い気持で息子に同意を求めた。
「万が一の時、お母さんの死を無駄にしたくないので、臓器を提供しようと思うの。覚えておいてね」
15.6歳の息子には酷な話だったのだろうか。
「僕は反対。署名は出来ない」と言われた。母が死ぬことを認めたくない、だから反対。そんなことを言っていたような気がする。
 そんな息子も大学へ行く時、お父さんに署名してもらったと、ドナーカードを見せてくれた。
 私は出鼻をくじかれ、そのままになっていたが、新しい年を迎えるにあたって、来年こそは署名しようと決心も新たにしている。
☆平成14年12月31日☆