小樽

2巻の、第二章〜小樽のガラス坂に登場する場所です。
センチでは沢渡ほのかのデートスポットでおなじみですね。また、もしかしたらセンプレでも?

小説内ではいろんな場所が出てきますが、大体実在するもののようです。
寿司屋横丁、小樽運河、小樽交通記念館、富岡教会、ノルドホテルなど、いろいろです。
ここではいままで管理人が調べた小樽の坂を紹介します。

舟見坂………………小樽市博物館から富岡ニュータウンに伸びる坂。
名前の由来が町並み、第三埠頭の一部、そして、港の眺望が一番絵になる坂だから、だそうです。

地獄坂………………小樽にこの名が付く坂は2つあるそうです。1つは国道5号線沿いの産業会館前から警察署の前を通り浅草寺に至る通りのこと。 もう1つは寿司屋横丁から小樽商業高校や小樽商科大学に至る道のことだそうです。
後者の方は戦前から、前者は戦後になって出来たそうです。
後者は小樽商科大学(旧・小樽高等商業高校)の第1期卒業生が付けたそうです。 前者はこの坂沿いにある税務署近くに昔、高利貸しがいて、あまりにも過酷な取り立てからこの付近を地獄坂と呼ぶようになったとか。

外人坂………………水天宮の丘から堺町に降りる急坂で、坂の途中にドイツ人カール・コフ氏が住んでいたことからこう呼ばれているそうです。

職人坂………………妙見川から水天宮前通りを横切り、入船側に向かう坂のことで、坂沿いに仏壇屋、塗り師、金具師、指物師、表具師などが軒を並べていたので付いた名前だそうです。
ただ、現在では数件の仏壇屋さんが残るだけなんだそうです。

赤坂…………………住吉神社前から南小樽駅前を通る道路は、海の方に進むと突き当たって左右に分かれます。
左が「三本木坂」、右が「山の上の坂」といいます。で、突き当たりに立つと細い急坂が崖下に続いています。
これが「赤坂」です。周りが赤土だからこの名前が付いたそうです。

山の上の坂…………赤坂で説明しました突き当たりの場所から右に行くとある坂が山の上の坂と言う坂だそうです。
この突き当たり一帯は、かつて山の上町と呼ばれていたことから付いた名前です。
この山の上の坂と「三本木坂」は、「安政の坂道」と呼ばれているそうです。
この2つの坂が、安政4年(1857年)に開かれた道なので、こう呼ばれるようになったのではないでしょうか。

三本木坂……………「安政の坂道」の一つです。この名前は、今の海陽亭向かいの道ばたにタモの大木が3本あったからなんだそうです。
ただ、急勾配の坂だったので、2度に渡る切り下げ工事が行われました。
その工事の時に伐採されてしまい、今は存在しないようです。
ちなみに、坂の下は「メルヘン交差点」と呼ばれていて、観光スポットになっているそうです。

十一坂………………入船大通りを跨ぐ函館本線の陸橋の山側に、花園方面に向かって鉄道に沿うように上がっていく坂です。
坂の途中に十一屋という酒屋があったことから付いた名前だそうです。

手宮十間道路の坂…手宮仲川通りから荒巻山まで通じる坂です。
名前から察すると、道幅が十間(約18.2m)あるから付いた名前なんでしょうか?
その辺りは分かりませんでした。ただ、坂の勾配がすごいみたいです。
荒巻山側の坂が23.4%もあるそうです。100m進んで23.4m上がる、という坂です。

野藤坂………………梅ヶ枝交番横にある坂で、梅ヶ枝通り向かい側に市議会議員、野藤常太郎が住んでいたことから名前が付いた坂だそうです。
交番横には坂の名前が刻まれた石碑が建っているそうです。

桃太郎団子坂………団子坂とも言うそうです。ここに昔、茶屋があって、そこの名物が桃太郎団子(きび団子)だったことからそう呼ばれるようになったそうです。
場所は、小樽公園の桜ヶ丘球場沿いに東山中学校に通じる道路がありますが、その道の途中から花園青葉ヶ丘に降りる坂がこの坂です。
小樽公園に近い坂ですが、これは多分、ガラス坂のモデルではなさそうです。

小樽の市街地付近でこれだけあるそうです。全部で12、ありますね。
市街地では12ですが、小樽市全体でいうと、まだあるようです。
JR朝里駅付近に「いなりの坂」と「なべこわしの坂」、JR塩谷駅付近の立岩という場所に「観音坂」と言う坂があるそうです。





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