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区内は、戦災による消失地域が少なかったため、現在も戦前からの町並みを残し、狭い路地に住宅、商店、工場が混在密集している地域が多いことから、古くからの住民が多数おられ、また庶民的な感覚と昔からの人間関係により地域に根ざしたコミュニティ活動が活発に行われている。
戦後まもない昭和20年9月頃にはヤミ市が登場したといわれている。初めは復員者を相手に大阪駅前、鶴橋等で蒸しパン等を売っていたが、次第に市民や旅行者を相手に食物、衣類等を供給する市場となり、販売される商品は公定価格の数倍から数十倍で取り引きされるようになった。こうした混乱と極端な物資不足、無秩序な経済環境の中、市民消費生活の安定と商業秩序の回復をめざし、正常な商業活動を推進すべく大阪市の支援のもと、昭和23年4月、約30の商店会により生野区商店会連盟が結成された。
結成以来、大阪市商店会総連盟の各種事業にも積極的に参画すると共に各商店会相互の親睦・連携、並びに地域住民と密着した商業活動の振興を図るため、他都市視察研修、消費者懇談会、各種セミナーやイベント等を開催するなど商店街の発展に積極的に取り組んでいる。
また、各商店会においても消費者に愛される感性豊かな商店街づくりのため、アーケードや街路灯の設置、テラゾーカラー舗装が進められる一方、地域とのコミュニケーションを図るため、創意工夫を凝らした夜店や商店街地域ふれあい事業の「みこし祭」、商店街の地域特性を生かした「コリアタウン・アジア民族祭」などのイベントを積極的に展開している。
また、商店婦人の教養を高めるとともに婦人相互の親睦を深めることを目的として昭和34年11月に婦人部を結成、各種のイベントに協力し、さらに施設見学会、観劇会等を通じて組織の活性化と連携に大きな力を発揮している。
生野区商店会連盟として、大きく変貌する商業環境や消費者の価値観の多様化、さらには高度情報化・国際化の新しい時代に的確に対応できるよう商店会の近代化の促進、区商連の組織強化、会員相互の連携、後継者の育成に全力で取り組み、更なる商店街の発展をめざしている。
「商店街は<まち>の顔」といわれている。生野区商店会連盟では地域の発展・活性化の原動力として大きな役割を果たしている商店街の振興発展に努めるとともに地域コミュニティの核として「生野まつり」をはじめ「すきやねん生野」区民運動への参画など住みよいまちづくりにも積極的に参加しつつ、21世紀に向けての商店街づくりに取り組んでいる。
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