逢魔が時物語2


          第二十五夜 呪われたポスター


関係者の中では、長い間、口外されることのなかった呪われた広告キャンペーンという話がある。

ある酒造メーカーの売れ筋商品をPRするためのポスター制作で、実際に起こった怪異である。
この話が、ずっと封印されてきたのは当然だ。
広告というのは、商品をイメージ豊かに伝えるものだから、怪談めいたスキャンダラスな出来事は、たとえ噂話であろうとも一般に流出するのはタブーなのだ。
しかし、私はこの話が闇から闇へと葬られ、風化してしまう前に、もう一度事実として書き残しておきたいと思った。
それほど因縁めいて不可思議な話なのだ。
もちろん、その酒造メーカーも、その商品も今なお存在しているめ、具体的な名称は一切避けることにする。

               ***

「では、御社にキャンペーンをお任せしましょう」その企画がスポンサーに採用されたとき、正直言って報われたという喜びよりも、ああ、もう徹夜は今日はしなくてもいいんだという安堵の気持ちの方が大きかった。
ある酒造メーカーの売れ筋商品のキャンペーンにたずさわっていたディレクターのSさんは、内心ほっとしながらも、企画を具体的な原稿に進めていく過程のたいへんさを思うと、ずしっと肩に荷が重くのしかかってくるのを感じた。
華やかな広告の表舞台では窺い知ることもできない、スポンサーと広告制作者との攻防戦。
クリエイターが幾日も幾日も知恵を絞って提案した企画が、いとも簡単にスポンサーからNGを食らうのは日常茶飯事だった。
それも、スポンサーの宣伝担当者の好き嫌いだけで、せっかくの血の滲むような企画が抹殺されてしまうことが往々にしてある。
金を出すスポンサーと広告会社という、はっきりとした上下関係があるので、結果的には、泣く子と大家には勝てないということになってしまう。
さわやかな飲み口を売り物にしたその商品は人気があり、いきおい追随する競合メーカーからの類似商品攻勢は激しく、トップシェアを維持していくには広告のアイデアに負うところも大きかった。
ディレクターのSさんは、たんなる商品広告ではなく、企業イメージのアップにまでつながるようなスケールの大きいキャンペーンを考えていた。
しかし、そのスポンサーの宣伝担当者の優柔不断さはつとに有名で、企画を具体的な表現にしていく過程で、重箱の隅をつつくような不毛のチェックを重ねるのだ。
もう一片のアイデアも出ない、というところまで再提出を繰り返させる。これにはどんな優秀なスタッフ、どんなタフな精神を持っている者でも参ってしまう。
途中で自信を無くしてつぶれていったり、プライドを傷つけられて降りる者が続出する。
それでも数ヶ月にわたる紆余曲折の末、クリエイターのすべてが身も心もボロボロになった頃、スポンサーから奇跡的にOKが出た。
それは多分に時間切れに救われたという面もあったが、なにはともあれOK案に基づいてロケ撮影が行われた。
大自然の中を縫うように、とうとうと流れる美しい川。
その上流にはいくつもの滝があり、清冽な流れは無数の水しぶきと白泡を立てながら、岩とダンスをするかのように軽やかに流れ落ちている。
カメラは無垢な流れを遡り、さらに上流をめざして、滝をジャンプして超えようとする渓流魚の姿をとらえていた。
産卵のために、生命の旅をつづけるトラウト。
その尽きない生命力と躍動感を活写し、大自然の透明なエネルギーの中心に酒のボトルを重ねるというデザインが採用されたのだ。
無数の撮影カットの中からベストな一枚が選ばれた。
あとはキャッチフレーズが決定すれば、ほぼ原案は完成のはずだった。
コピーを担当したのは、Aさんというフリーの女性コピーライターである。
30歳を少し超えたぐらいの年齢は、コピーライターとして最も脂がのっている時と言っていいだろう。
寡黙だが粘り強く、責任感も人並み以上だったので、その真面目な仕事ぶりにディレクターのSさんも満足していた。
しかし、先ほども言ったように、一筋縄ではいかないスポンサーである。
来る日も来る日も、百案近くキャッチフレーズを提案しているのに、また、決めようとしない悪弊が始まっていた。
それでも、Aさんは歯を食いしばり、連日の徹夜でコピーを生み出していた。
もともと頑健とはいえないAさんは、無理がたたって体調を崩しそうになりながらも、とにかく精神力だけで頑張りとおした。
今日、印刷入稿しなければ間に合わないという日。
祈るような気持ちでキャッチフレーズ案を提出したところ、担当者の機嫌が良かったせいもあって、その内の一本がやっと選ばれた。
クリエイターの中で、いちばんホッと胸をなでおろしたのはAさんだろう。
自分のコピーが悪いから今まで決まらなかったと思い込んでいたのだから。
大至急、原稿がつくられ、なんとかその日中に印刷に回すことができた。
しかし、あまりの過労が続いたせいか、Aさんは心身ともに激しく疲れきっていた。
そして、あろうことか印刷に入校した数日後、突然の心臓発作のためにあっけなく亡くなってしまった。
Aさんが急逝したらしいという悲報は業界の噂にのって、スタッフの間にも届いた。
仏壇に手を合わせたあと、Sさんはポスターの校正刷りを前に、遺族に丁寧なお悔やみを述べた。
お互い多くを語る事もなく「これが、Aさんの遺作になりました」という言葉をそえて、遺族にそのポスターを手渡した。
美しい滝をジャンプして越えようとするトラウトの姿と酒のボトル。
そして、Aさんの最後の仕事となったキャッチフレーズが、びしっと決まっていた。
しかし、それを見て喜ぶAさんは、もういない。
遺族にとって、その美しさはさらに悲しみを募らせるだけだった。
そんな悲しい出来事なんかは、商品を売るというコマーシャリズムの中ではすぐに忘れられてしまう。
ポスターは大量に印刷され、全国の酒屋、コンビニの店頭を飾っていた。
キャンペーンの第一弾としては成功し、悲劇など知るよしもないスポンサーも大いに満足しているようだった。
新聞や雑誌への広告出稿の手配もなんとか終わった頃、やっと時間の余裕ができたディレクターのSさんは、自分のデスクの近くに貼ってあるポスターを満足げに眺めていた。
白い水の泡立ち、トラウトの跳躍、そしてボトル…。
何度も見て熟知している構図だが、何か違和感があった。
それが何なのかは見当もつかないが、喉の奥に魚の小骨が刺さっているような妙な気分の悪さがあるのだ。
ぐっとポスターに顔を近づけて、仔細にチェックしてみる。
色やデザインのアンバランス、といったものではないようだ。
何なんだろう?
何かがある。何かが、気になる。
今度はポスターから離れ、全体をとらえられる位置から見直してみる。
奇妙な違和感は、そのままだった。
…この感覚は、しいて言えば、視線のようなものだった。
しかし、なんで視線なんだろう?
ポスターが、鏡のように自分の視線を撥ね返してくるのだろうか。
そんな馬鹿なはずはない。
ポスターと対峙するように凝視していたSさんは、あることに気づいた。


その視線は、ポスターの中に発信源あるのではないかと…


視線を発するポスターなんて、オカルトポスターでもあるまいし聞いた事がない。
しかし、視線を感じるということは、このポスターのどこかに何か秘密があるはずだ。
Sさんはもう一度ポスターに近づき、目を凝らして“視線の元”を探しはじめた。水の中か?トラウトの目か?遠景の森の中か…?
どこかに、何かが、あるはずだ。

そして、とうとう彼は見つけてはいけないものを、見つけてしまった。
視線の発信源を…。

そこには、顔が、あった。

首を左へ大きく傾けてポスターを改めて確かめると、滝から岩を噛んで流れ落ちる水の泡立ちの中に、コピーライターのAさんの顔があったのだ。
水の青さと泡の白さが複雑に混じりあった流れの中に、じっと見つめる、まぎれもないAさんの寂しそうな顔があった。
髪をひっつめた広い額、眠いような細い目、そして黒っぽい枠の眼鏡までが水流の中に形作られていた。

それを発見したSさんは、目を見開き「あああぁぁぁぁー…」と、か細い声をあげてしまった。
Sさんはすぐに、上司である部長や関わったスタッフを呼んだ。
「大変なものが写ってますよぉ、こ、このポスター。た、大変なものが…」尋常ではないSさんの狼狽ぶりに、集まってきた者たちは、ただ事ではないとは思ったが、ポスターとSさんの顔を交互に見比べるだけで、誰もポスターに写っている怪異を見つけられなかった。
「何だ?何が写ってるんだよぉ?」忙しいのに、つまらないことで騒ぐなとばかりに部長はSさんをなじった。
Sさんはそんな事は気にも留めず、ポスターの一点を指差した。
人差し指は、小刻みに震えている。

「こ、ここですよ。写ってるんです、Aさんの、顔が…」
「ええーっ!」という驚きの声をあげ、指差された個所を全員が食い入るように見つめた。
言われたように、顔を斜めにかしげて見たとたん、部長は「おおっー!」と後ずさりし、顔色をなくしていった。
争うようにほかのスタッフも首を斜めにして、ポスターの中の顔をつぎつぎと確認した。
全員が全員青ざめている。
「これ、冗談じゃないですよ、とんでもないことですよ…」
「どうするんだよぉ、これ」
大声を出すのもはばかれるように、ひそひそ声が飛び交う。

テレビや雑誌の怪談特集で、よく心霊写真と称したあやしげな写真が紹介されたりしているが、そのほとんどが光と影のコントラストや、雲や煙の陰影が霊の顔や姿に見えるというこじつけが多い。
しかし、このポスターに写っているものは、たずさわった者全員が、異口同音に「これは、Aさんに間違いない!」と断言するほど決定的で、現実味のあるものだった。

もちろん、信じない者からすれば、水と泡が偶然に作り出したまだら模様がそう見えるだけだというだろう。
しかし、いくら論理的に説明されようとも、そこに寂しそうなAさんの顔が存在することは事実なのである。
しかも、Sさんは得体の知れないポスターの視線すら感じている。
少なくとも、スタッフは誰一人としてこれは偶然の産物とは思っていなかった。
Aさんが、この仕事を最後に亡くなった経緯を知っているから…。


後日、このポスターの怪異の話はスポンサーの耳にも入り、検証の後、ただちにすべてのポスターは回収され、焼却処分になったという

               ***

この怪事件のあと、ポスターを急遽新たに作り直す必要があった。
それはそうだろう。
いきなり店頭から、なぜか一斉にポスターが回収されてしまったのだから。

やりかえのポスターも、やはり川をビジュアルに使う事になった。
ただし、前回のように流れのアップではなく、悠々と海に流れゆく大河を採用することになった。
前の基本テーマとガラリと違うのは、自然の中の川ではなく、大都市の中を流れる大河が選ばれたことである。
商品の酒が都会的な洗練されたイメージを狙っていたため、東京湾へそそぐ多摩川の航空写真に白羽の矢が当たったのだ。
今回は撮影をするのではなく、既存の航空写真をレンタルすることになった。
だから、もうあのような霊が写る心配はないはずだ。

多摩川は羽田空港の脇をゆるやかに蛇行しながら広大な河口となり、東京湾を遥かな水の旅の最終地としている。
写真は上空からの鳥瞰図で、堂々とした大河と羽田空港、そして東京湾の全貌がおさめられていた。
そして商品のボトルは、川が海と一体となる場所にレイアウトされていた。
因縁のポスターを怪事件とともに断ち切るような、まったくイメージの違うデザインがそこにあった。
それでも印刷前の校正刷りでは、異常がないか、つぶさにチェックされたのは言うまでもない。
神経質なほどのチェックが終わり、何の問題も発見されなかったので、いよいよ輪転機は回りはじめた。

数日後、新しいポスターはふたたび店頭に貼り出された。
おしゃれな都会風の酒というイメージに塗り替えられ、消費者に爽やかな媚びを売っていた。
そして今度は、何ごともなく過ぎようとしていた…。

一週間ほどたった頃。
テレビの放送中に、臨時ニュースを告げるテロップが流れた。
「本日、午後**時頃、羽田空港に着陸しようとしていた**航空機が羽田 沖の海上に墜落しました。多数の死傷者が出ているもよう…」
一見、何の関係もなさそうな事故のニュースだが、じつは、おぞましい一致がここにあった。
やはり、呪われているのか…と、思っても仕方ないような一致が。
新聞による詳細な事故の記事で明らかにされた墜落地点。
略図の上に×印がついているその場所は、羽田空港から目と鼻の先、多摩川が海にそそいでいる場所だった。


そして、×印の場所こそ、ポスターに入っている酒のボトルキャップの部分に寸分違わない位置だった。


たった数週間の間に起こったポスターに因む怪異…。
それは、すべて偶然のいたずらになる産物なのだろうか。
それで済ませていいのだろうか。
きちんと供養もせず焼却処分にされた、Aさんの顔が写っていた大量のポスター。
そして、二枚目のポスターの惨劇…。

呪いとは、思いたくない。
しかし、偶然であるとは、もっと思われないことも確かなのだ…。

                


「逢魔が時物語」より転載。

http://www02.u-page.so-net.ne.jp/zb3/coo/

 


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