不思議な話

逢魔が時

第一夜 金粉

 

ことわっておくが、今回から書き記す「逢魔が時物語」のひとつひとつの内容はすべて実話にもとづいている。

題が大仰なのと、筆者の人格から邪推して、ほら話ではないかと読者は疑ってはならない。

私は特に霊感が強いとは感じたことがなかったし、ましてや超能力の類はまったく備わっていないと思う。

しかし、私がこれまで説明のつかない出来事、不思議なこと、怪奇なことを、しばしば体験したというのも、また事実である。

これから始まる幾つかの話は、私の特異な体験と、私の信頼できる知人たちから聞いた話をまじえて進めていきたいと思う。

 

前置きはこの辺にして、とりあえず第一夜の筆をすすめることにしよう。

 

この話は、もう三年ほど前にさかのぼる。

私の友人にTさんという同年齢の人がいる。

大阪のN芸術短期大学の講師を職としつつ、墨絵を描くことが堪能なので、かたわら画家、イラストレーターとしても活躍している。

ことに鬼をテーマとした墨彩画がここ数年来の作品に多く、年に数回個展をひらくほどの技量である。

 

  

こう書くと、読者は芸術家肌のおとなしい人を想像するだろうが、あにはからんや風体は丸坊主にヒゲをたくわえ、眼光するどく、体躯は筋肉質でがっちりとしており、一見、やくざと見まがうばかりである。

それもそのはず、余技に円心流居合い抜き有段者という腕をもち、弟子を十人近くかかえる武道家でもある。

円心流は居合い抜きの練習においても真剣を用い、青竹、藁束を一刀のもとに切断したりするほか、身の長い刀や、ずしりと重い業物をあえて使い、より困難で危険度の高い居合いの技を磨いている剛胆な流派である。

居合い抜きの形は四十二手あり、これを「死に手」と読んでいる。

主君のために命を賭して敵に当たり、かならず相手の命を奪うことからこの名を冠したという。

 

このようにTさんは、画家としての道を歩みつつ、激しく武道家としての鍛錬を怠らない日々をおくっている。

常人とは違う先鋭的な精神生活を続けていると、いつしか自分では気づかないうちに、ある種の異能がそなわっていくのかも知れない。

このTさんからは、色々と不思議な体験を聞いているが、今回の話はその中のひとつである。

 

ある日、Tさんは居合い抜きのハードな練習がたたって、右肘に強い腱鞘炎を起こしてしまった。

刀を振ることはおろか、箸を握ることさえ鋭い痛みが走る。

外科医の門をたたいても、消炎湿布薬をくれるだけで、完治まで二、三か月はかかると診断された。

練習はもちろん、絵筆も満足に持てぬ日がつづき、イライラがつのっていた折、知人が妙な話をもちこんできた。

「あのなぁ、岡山に超能力のある先生がいて、そのくらいのケガなら手をかざすだけですぐに治してくれる。だまされたと思って行ってみたらどうかね」と言う。

いつもなら一笑に伏すところだが、一刻も早い回復を願っていたし、岡山の骨董屋で刀剣を捜したいという気持ちもあったので、ふと行ってみる気になった。

 

その超能力をもつという先生は六十歳をこえる年配で、地元ではけっこう有名らしく、訪れる人はひきもきらずであった。

知らなかったが、数冊の超能力に関する著書もあるらしい。

Tさんは患部の右肘を出し、半信半疑ながら先生の手にそれを委ねた。

軽く曲げたIさんの右肘に手をかざし、先生は別にあやしげな呪文をとなえるでもなく、時折、世間話を交えながらじっとしているだけであった。

五分ほどすぎた。が、Tさんは何の変化も感じなかった。

 

ところが、である。

 

手をかざされていた右肘のあたりから二の腕にかけて、ポツポツと煌めくものが現れてきたのである。

それは見る間に右肘の患部を中心に、ハラハラっと右腕に広がっていった。

 

金粉である。

どう見ても、それは金粉である。

 

なぜ、右肘に金粉が吹くのかはよくわからないが、微細に輝き、光を放ちながら、あとからあとから湧き出て奇跡のように腕を覆っていくのであった。

眼前に起こる不可解な出来事にTさんは声を失い、ただ、信じがたいことにあきれるばかりであった。

金粉が現れて数分。

腕からこぼれ落ちるほどの量になったところで、先生はおだやかに言った。

「さ、腕をうごかしてごらん。痛くないから」。

Tさんは、はっと我にかえり、恐る恐る腕を動かしてみた。

すると、痛みは嘘のように消え去っていた。

 

道理の通らない、なんとも不思議な出来事だった。

Tさんは重ねて礼をのべ、治療代は受け取らないという先生へのせめてもの気持ちとして、著書をその場で数冊買い求めた。

その本には先生の超能力が閉じこめられてあるので、読む人にその力の幾分かが授かるというマユツバっぽいものではあった。

Tさんがその本を読んだ後、超能力が授かったのかどうかは、残念ながら聞き漏らしたので定かではない。

 

しかし、この不思議な話はこれで終わらなかった。

それどころか、私にある奇妙なことが降りかかってきたのである。

 

Tさんの話を聞かされていたその日、彼はくだんの本を一冊持っていた。

喫茶店のテーブルに問題の本を置き、「これがな、超能力のこもった本や」と、私に見せてくれた。

何の変哲もない、カッパブックスのような安っぽい装丁の本である。

ただ、表紙には奇妙な模様というか、見たこともないマークのようなものが大層に金箔で型押しされていた。

その頃は、超能力を売り物にしていたスプーン曲げ少年や、ユリ・ゲラーなどはトリックだという反論が主流になりつつあり、超能力ブームは去ろうとしていた。

だから、何をいまさらという感じがしたし、もしかすると新興宗教のひとつではないのかという疑いさえ持った。

そんな不信感があったのでパラパラとページを繰りながら「へえ、そんなことがあるのかなぁ」と、適当に相づちをうつものの、ほとんど興味は起こらなかった。

 

しかし、翌日。

帰宅の通勤電車の中で、それは起こった。

 

車内は満員で、クーラーも効かないほどの蒸し暑さに辟易としながらも、私はつり革につかまりながら文庫本の活字を追っていた。

電車が少し揺れた拍子に、本から目をはずし思わずつり革を強く握ったとき、半袖の私の腕になにやらキラッと光るもがあった。

ん?なんだろう、と目をこらしてみる。

それはごく微細な金属片のように見えた。

なぜこんなものが…。

息でふっと吹き飛ばそうと思ってよく見ると、それは金粉であった。

 

電車の中に金粉があるわけないし、ましてや会社で金粉に触れる機会などまったくない。

しかし信じがたいことだが、どう見てもそれは金粉である。

それも腕の中から突如にじみ出てきたという感じである。

それでもチリかも知れないと思って何度か手で払おうとしたが、落ちることもなく、まるで芽が出たかのようにピシとくっついたままであった。

気になるので爪で摘み取ろうとしたとき、昨日のあの話がよみがえってきて、一気に、すべての説明がついたのである。

 

そうだ、昨日、Tさんの前であの本を手にしたとき、冗談半分に「超能力をさずけてくれ!」と一瞬念じたような気がする。

Tさんも言っていた。

本を手にして、一心に念じることで超能力が、砂にしみこむ雨のようにその人の心に入っていくのだと。

そして、その証として金粉が現れることがあるんだと。

 

いまでは、その本の題も忘れてしまったが、私の腕に金粉が吹いたのはまぎれもない事実だ。

それいらい私は奇妙な、得体の知れないものを見たり、気配を感じたりすることが多くなったような気がする。

 

あれから数年。

その本が書店にまだ置かれているのかどうかは知らない。

もしも、あなたが書店で、奇妙なマークが金箔で型押しされた本を見かけたら、手にとって真剣に念じてみてはいかがだろう。

何かが、起こるかもしれない。

                        (第一夜・金粉 完)

 


 

第二夜  白い手

 

JR学研都市線に「祝園」という駅がある。

これは「ほうその」と呼び、京都府の東南部、奈良県に近い相楽郡精華町に属する。

美しい木津川ぞいにひらけた古くからの農村地帯である。

のんびりとした田園の中にいくつもの村が点在し、都心から意外な近さにありながら、交通の不便さからこれまで開発の波の外におかれていた。

しかしここ数年来、京阪奈学術研究都市の一角として、急に脚光をあび、日に日に村も町も姿を変えつつあった。

いたるところで山が削られ、田畑が埋め立てられ、ダンプが土砂を満載にして巨獣のごとく狭い道を爆走している。

 

この話は二十一世紀に向かって古い衣をむしり取るように変貌をとげつつある祝園の、ある古い村に起こった不気味な出来事である。

 

祝園−祝う園。

いい名称である。

 

人々の幸を祝う、作物の豊作を祝う、暮らしの事なきを祝うといった具合に吉兆を冠したたいへん縁起のよい地名である。

しかし、この目出たい名の祝園だが、もともとは「葬る園」というのが語源だとも言われている。

 

祝園ではなく葬園。

 

もし、これが事実だとすると、この地は死臭ただよう不気味で、陰惨なイメージにがらりと塗り替えられてしまう。

なぜ、昔この地が「葬る園」という不吉な名称で呼ばれていたのだろう。

歴史を村の古老から聞いてみると、戦国武将たちが血で血を洗う戦いに明け暮れていた乱世の時代へと話はさかのぼる。

京の都を舞台にあくなき権勢への執着と、天下取りへの強欲にとりつかれた者たちの儚き夢。

その陰で、武将も雑兵も、時には罪のない百姓たちも虫けらのように命を絶たれ、無念の屍は累々と積み重なり、怨念の血は都を染めつづけ乾くことがなかったという。

 

腐乱した屍はいたるところに捨て置かれ、都には埋葬する場所すら事欠くしだいであった

窮余の策として、当時、人がほとんど住まない僻地であったこの地に屍の捨て場所を求め、亡骸を埋めたり、野積みにしていたという。

供養も満足にされることなく、生ごみのように捨てられ、土に還っていった戦乱の世の人びと。

あまりの歴史の無惨さに、いつしか「葬る園」は祝園と名を変え、土地の汚名をはらそうとしたのかも知れない。

 

しかし、名を変えただけでは過去はなにも変わらない。

亡骸の上にモダンな家が建ち、美しい花が庭に咲き乱れようとも、それは血をたっぷりと吸った土地に咲く徒花でしかないのだろう。

そのせいか、この地では今でも説明のつかない奇怪な出来事がよく起こるという。

この話は、その「葬る園」にもたらされた小さな恐怖のひとつである。

 

ある年の晩秋の頃−。

祝園の古くからの村に住むA君は、受験勉強の追い込みで連日深夜まで自室で参考書を広げていた。

A君の家は村の中でもひときわ年代がたっている方で、太い丸太の梁をがっしりと支える煤けた大黒柱や、おくどさんの鎮座する土のままの薄暗い台所、家の鬼門にある雪隠などが時代を感じさせていた。

A君の勉強部屋は、家の一番奥まったところにある。

ギシギシと軋る階段を上がった二階である。

階段の上はそのまま一間半の廊下になっていて、部屋は廊下とふすまで仕切られている。

A君はそのふすまを背にして、窓のそばに置いた文机で毎夜遅くまで頑張っていた。

受験生をかかえた家庭はどこでもそうであるかのように、A君の家でも母親が深夜になるとあたたかい夜食をつくってくれる。

勉強の邪魔をしないように、そっとふすまを開けて畳の隅に夜食を置いていってくれるのをA君はいつも階段の軋みで感じていた。           

   

母親はかくべつ声をかけて邪魔をするようなこともなく、そっと食べ物を置いていってくれるのが常なので、A君は勉強の疲れをいやせるその時間を心待ちにしていた。

 

その夜もいつもと同じように机に向かっていたA君は、階下の古時計がすこし前に十二回刻をきざんだのをかすかに耳にしていた。

「ああ、そろそろお袋が夜食を持ってきてくれるはずだ…」と思いつつも、目はしっかりと問題集の活字を追っていた。

しかし、五分たち十分たっても母親が夜食を持って上がってくる様子はない。

階段の軋みも、あたたかい食べ物の匂いもしてこない。

A君は、今日にかぎってどうしたのかな、やけに遅いなと、ちらっと思ったが気にすることもなく勉強に集中していた。

 

すると。

 

スーッと、ふすまが音もなく開いたような気配がした。

その一瞬、ひやっとした空気が首筋をなでたようにも感じたので、母だと思い、「あ、お母さん? 夜食はそのへんに置いといて」と、机にむかったまま振り向きもせず声をかけた。

 

母親は無言のままだった。

おや?と思った。

あいづちの声もかけてくれず、沈黙しているのは変な気がした。

なにかイヤな感じがするので、A君は背中に神経を集中させながら鉛筆をそっと置き、ゆっくりゆっくりと後ろを振り返った。

そして、いま開いたふすまの方に視線をおくった。

開いたふすまの端の左下、いつも少しだけ母親が開けて夜食を置いてくれるところに、それはあった。

 

母親の手とは、はっきりと違う病的なまでに真っ白な痩せた手が。

 

細く痩せた白い手は、ちょうど、階段の上がり口からそぉーっとふすまを開ける途中というかたちで、そこにピタッと貼りついていた。

まるで、いたずらっ子が現場を見つけられたように、手は動きを止めていた。

 

ヒュッ。

それを見たA君は、のどの奥で声ならぬ声をあげた。

その瞬間、ふすまを開けようとしていた手は、スルスルッと白蛇が逃げるように、音もなく階段の闇に消えていった。

 

A君は、いま目にしたものを理解できず放心していたとき、ギシギシといつもの軋みをたてながら母親が上がってきた。

「ごめんね、夜食、遅くなってしもうたわ。ここに置いとくよ。なんや、あんた、ボーっとして、それに顔色悪いよ。あんまり根つめたらあかんで」と、ふだんと変わらない母親の元気よさに、さっき見たものも気のせいだろうと思えるようになった。 

                            

そして、次の夜がきた。                        

         

 

A君は、いつもと同じように机に向かっていた。             

   

ボーンボーンボーン…。

いつものように古時計が十二時を打つ音が聴こえる。

いままでと何も変わらない夜だった。昨日以外は。

思い出したくないと思えば思うほど、よけいに昨日見た奇怪なもののことが気になってくる。

あれは気のせいだったんだ、と思い込もうとするのだが、目の奥に焼きついた生々しい白い手がよみがえってくる。

心臓がドッドッドッと早くなっていくのがわかる。

神経が、もう耐えられそうにもなくなった時、また、首の後ろにひんやりとした気配を感じた。

反射的にA君は、振り返った。

 

白い手は、そこにあった。

 

ふすまの下側に手をかけ、じわりと廊下の暗闇から開けようとしていたのである。

A君は凍りついた。

それは錯覚でも、見間違いでもなく、昨夜見た細く白い手だった。

目をみひらき、叫び声が出そうになった瞬間、

また、白い手はスルスルとためらうように暗闇に消えていった。

 

結局、その病的に白い手の正体はわからない。

別にA君が霊的なものに怨まれる覚えもないし、身内や近所で不幸があったというわけでもない。

まさに、突然の不気味な出来事である。

白い手は、はじめて現れた日から続けて三夜、同じ時刻にふすまを開けたという。

四日目からは、あまりの恐ろしさにA君はその部屋に立ち入らなくなったので、その後の顛末は不明である。

 

この話は以上である。

あなたには、あくまで人ごとだろう。

しかし、このような不可思議は予告もなく、唐突に起こることが多い。

何も知らずに住んでいるあなたの家が、たいへん忌まわしい場所である可能性は、誰にもわからないのだから。

                        (第二夜・白い手 完)

次の話

「逢魔が時物語」より転載。

http://www02.u-page.so-net.ne.jp/zb3/coo/

 


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