|
1.出発まで
司馬遼太郎の「街道を行く」シリーズに青森県について記した「北のまほろば」という巻がある。その中に冬の弘前城から眺めた岩木山が素晴らしいと書いてあった。引用すると 「ところで、本丸にのぼった者は、この台上の主役が天守閣ではないことを悟らされるのである。私ものぼりつめてから、天守閣を見るよりも、台上の西北が広闊に展開していて、吸いよせられるように天を見ざるを得なかった。その天に、白い岩木山が、気高さのきわみのようにしずかに裾をひいていた。息をのむ思いがした。----」 とある。それを読んで、冬の弘前では晴れる日は殆んど無いのではないかと思いながらもまた、見られるものなら是非見たいとも思った。
また弘前には北国には珍しく明治時代に建てられた洋風建築物が多くあるとも聞いていたのでそれも含めて機会があれば行ってみたいと思うようになった。弘前といえば春の桜が有名だが、大勢の人ごみの中は敬遠したい気持ちがあってまだ行ったことがなかったのである。
JR東日本には大人の休日倶楽部パスと言って、それを利用すると函館、金沢・福井までを含めたJR東日本全線が3日間乗り放題12,000円で新幹線や特急の普通車指定席が6回まで利用可能というものがある。但し期間限定で今年の第一回目は1月14日から1月25日までの12日間だけしか利用できない。割安なので以前にも5月に函館や奥入瀬に行ったり、11月に金沢の旅(おくのほそ道)、12月に福井・敦賀の旅(これもおくのほそ道)に利用したことがあり、今回もそれを利用して行くことにした。
折角青森県に行くのだから弘前だけでなく青森市も見物したいと思い、調べたら「びゅうばす(観光周遊バス)青森・弘前号」というのがあり、青森市の観光地を巡って弘前まで行くというので、大人の休日倶楽部パスと一緒に申し込んだ。
また「旅市」として「ガイドと巡る弘前市内散策」というのがあり、それも申し込んだ。「びゅうばす青森・弘前号」は乗車場所が浅虫温泉駅だというので「じゃらん」で調べ、浅虫温泉の宿泊と朝飯だけというコースの宿に申し込んだ。正月の料理で太り気味であり、1泊2食では多すぎるので夕食は一品料理で地酒を飲もうと思ったからである。二泊目は同じ様に弘前の温泉があるホテルに1泊朝食付きで予約した。
天気予報は雪が降ったり止んだりであり積雪も大分ありそうなので、服を着込んで靴は足首までの雨靴にした。新幹線の中で長靴では一寸気が引けるからである。住まいがある水戸市からは一旦上野に出て東北新幹線に乗ると一番早く行ける。指定券が6回使えるので空席の心配をせずに済むのが良い。今回は妻が寒いところは嫌だというので一人旅である。
2.車中で
東北新幹線「はやて」は殆ど満席で私は三人席の窓際に座り、残り2座席は韓国の女性二人だった。八戸までは3時間かかるのに一人旅なので手持ち無沙汰なので、隣の人と何か話したいと思った。しかし韓国語は全然判らないのでどうしようかと思ったのだが、韓国人は英語が出来る人が多いと聞いたことがあるので、英語出来るかと聞いた(勿論Do you speak English? と英語で)。出来るというのでこちらも何十年か前に使った英語を思い出し思い出ししながら、どこまで行くのかとか、日本には何回も来ているのか、韓国も雪は多いだろうなどと片言で話した。
聞けば住まいはソウルで、日本観光のツアーで始めてきたのだが鹿児島から京都、東京と北上し5日目で疲れたと言う。今日は札幌泊りで明日小樽から船で新潟に行き、次の日飛行機で帰るのだと言う。相手からもどこまで行くのかとか、何で一人旅なのかとか答え難い事を聞かれ、妻は足が弱いのでと言い訳をしようとしたが、英語の単語を忘れて考えていたら、手帳を出し漢字で書けと言う。
成程漢字という手もあったと思いながら筆談を交えてこれは日本語でどう言うのかなど日本語の言い回しなどを質問されたりして、時間を忘れて楽しい時を過ごせた。降りる時、「Have
a nice day!」 と言われ、ああそう言うのだっけと思いながら、「You too!」 と手を振って別れた。
八戸から特急スーパー白鳥に乗り換えて青森に行く。この特急は函館まで行くせいもあり指定券を3日前に購入した時、最後の1枚だといわれたこともあり満席だった。隣に座ったのは中年の女性で、走り出したら早速弁当を食べ始めた。ちょうど昼時だったが青森まで1時間で着くため北海道に行くのかと思い、そう尋ねた。
しかし青森までだという。月に何回か郡山まで行くので、帰りはいつも車内で弁当を食べるのだという。それから話が弾み、郡山では雪は無かったが寒さは青森と同じだとか、今年の雪は例年より多く1日3回も雪かきをしなければならず大変だとか、青森の名物は海産物で土産にはこんぶを一食分ずつ小分けして包装したのが喜ばれるなど、津軽地方のアクセントでいろんな話をして貰い、これまた楽しく過ごせた。
これが首都圏の電車だったら話しかけてもまともに答えてもらえず、一人旅の味気なさを感じるところだが、東北に来るとこのようなひとときの出会いが期待でき、旅の楽しみが更に増えるのである。
3.メモリアルシップ八甲田丸
 青森駅前は一面の銀世界だった。天気は曇りだが、時折雪が激しく降ったり、つかの間の太陽が顔を出したり変りやすい天候である。繁華街のあるメインストリートの車道には雪は無かったが、それ以外は雪に覆われている。歩道と車道の間は雪の垣根で区分され歩行者の安全は保たれている。車も多く、結構スピードを出して走っており、雪の無い地方から来た旅人の目には大丈夫かなと思われる速さである。
この地方は藩幕時代には津軽藩の領地で、領主は弘前城に居たため青森は小さな漁村に過ぎなかった。明治になって青函連絡船が就航するようになってから発展した街である。それも昭和63年の青函トンネルの開通によって役目を終えた。現在は平成22年12月に東北新幹線が青森まで延長されるのでそれを梃子にして新たな発展を目指しているところである。
 その青函連絡船が「メモリアルシップ八甲田丸」として青森港に係留展示されているのでそれを見ることにした。駅前の観光案内所に行き、マップを貰い道順を聞く。雪で固められた歩道を5分ほど歩くと乗船口がある。
 船内は地下1階から4階まであり、2階の船楼甲板に乗下船口がある。3階の遊歩甲板には当時の客室があり、大正時代の生活用具が置かれている。思い起こせば50年前北海道に渡ったことがあり、北海道に到着するまで、このような間仕切りのある部屋で毛布を貰って仮眠したり本を読んだりしたのだったと少し感慨を催した。同じ階には連絡船の模型なども展示されている。
 4階の航海甲板にあるブリッジから青森湾やこの後行く予定の青森観光物産館アスパムなどの市街地がよく見えた。
 見学順路標識に従って4階から1階の車輌甲板に下りる。この階には9両の本物の車輌が当時のままで展示されている。船尾にある開口部に青森駅構内から線路が敷設されており、載せられた郵便物や資材と共に車輌がそのまま船内に送りこまれるのである。このような全長132メートルもある大きな船でも沈没することがあるとは信じられない気持ちである。
昭和29年(1954年)9月に台風の中を函館港から青森港に向って出港した当時の最新鋭連絡船洞爺丸は激しい風雨のため函館湾内で沈没し、乗客乗組員合わせて1,337名中1,155名が亡くなったのである。その時まで車輌引込みの開口部は閉鎖出来る様になっていなかったため海水が大量に流れ込み、船の最下部にあったエンジンルームは浸水して停止してしまった。その結果洞爺丸は漂流を始め座礁転覆したのである。世界の海難事故を見てもタイタニック号に次ぐ大惨事だった。それを教訓にして、以後の連絡船は開口部を閉じられるようになり、また青函トンネル建設のきっかけになったのである。
   メモリアルシップ八甲田丸」から青森湾に沿って10分弱歩くと「青森県観光物産館アスパム」に着く。地上15階高さ76mの正三角形の建物でAOMORIのAをイメージして作られたという。13階に展望台があり、八甲田丸や青森湾、市街地などが一望できる。一休みして青森駅に戻った。
4.浅虫温泉
 浅虫温泉駅は青森駅から20分ほどで着く。雪が降り続いている。浅虫温泉は平安時代から続く含石膏弱食塩泉という泉質で、布を織る麻を蒸していたので麻蒸しの湯と呼ばれていたのが語源だそうである。海扇閣という宿に泊まったが夕食は付いていなかったので、近くの魚心亭という食事処に行き、此処の名物というホタテの醤油煮と鮭のハラスで七力という地酒を飲む。
   夜、宿のステージで津軽三味線の演奏があるというので聞きに行った。高橋竹山の孫弟子という高橋竹春という女性の演者だったがすごく迫力があった。特に最後に演奏した津軽じょんがら節のヴァリエーションは調子のよいリズムの中に哀愁が漂っていて心を揺さぶられるような感動を覚えた。
翌朝宿の窓から眺めた景色も雪一色だった。
(H22-1-14〜1-15訪)
注) 画面をクリックすると大きくなります。
|
イバイチの
奥の細道
漫遊紀行
イバイチ
旅の小窓
[壱の窓]
イバイチ
関東・茨城散歩
[弐の窓]
イバイチ
甲信 旅巡り
[参の窓]
イバイチ
みちのく探訪
[四の窓]
イバイチ
あちこちの旅
[五の窓]
イバイチ
フォトギャラリ-
|