水戸の梅まつり イバイチの
旅のつれづれ


 平成22年(2010)の「水戸の梅まつり」は、2月20日(土)から3月31日(水)まで行われた。
 前回の「雪中の梅花」は、梅まつり前の2月14日と18日に雪が降ったときに偕楽園に行った時の紀行文と写真で、本格的な観梅はその後である。
(写真は偕楽園本園の案内図)

 梅まつりの期間は偕楽園本園近くにJR常磐線の「偕楽園臨時駅」が開設され首都圏からの下り特急が停車するようになっていて、千波湖方面からの道と合流して東門から入れる。 しかし、本来の正式な入園門は西側にある表門なのだが、道が細く、くねくねと分かりにくく交通の便も悪いため、現在は先ほどの東門からと、後楽園・桜山駐車場から常磐線を跨ぐ梅桜橋を渡り南門から入園する人が大部分である。(写真は表門付近)

 今回は表門から孟宗竹林を通り、吐玉泉に降りて杉林を抜けて好文亭の眺望を楽しみ、、梅林に行くお勧めコースをたどりたい。まず黒門とも言われる表門を潜ると一の木戸がありすぐに孟宗竹叢がある。竹叢に沿った小径を行くと風に竹の葉がそよぎ、深山幽谷に入る気分になる。やがて小径は二つに分かれ、下る路を選ぶと杉林に囲まれた大きな白い石があり、中央に穿たれた水盤に水が湧き出ている処に導かれる。吐玉泉である。(写真は一の木戸と孟宗竹叢)

 この泉は偕楽園造園当時から涸れることが無いと言われ、夏でも冷たく玉のような澄んだ水を吐き(湧き)続けるというので吐玉泉と名付けられている。水を受ける大きな白石は寒水石と呼ばれる大理石である。湧水の勢いが強いので石の形が悪くなり、現在は4代目だそうである。偕楽園の創始者である水戸藩主徳川斉昭は、この水を汲み上げて好文亭で茶の湯を開いたと言われている。(写真は吐玉泉と太郎杉)

 吐玉泉の畔に聳えている樹齢750年といわれる太郎杉を見上げ、順路を示す案内標識を見ながら坂道を上がると好文亭の入口にある中の門に着く。料金所に190円払って中に入るのだが、梅まつりの時はたくさんの人が行列を作っていることが多いので、ゆっくり見られるのは梅まつりの終わり頃である。 (写真は好文亭3階からの展望 1.梅林の一部と芝生の広場 2.偕楽園公園の田鶴鳴梅林方面 3.千波湖と桜田門外ノ変オープンロケセット方面)

 好文亭から芝生の広場に出る。いつも家族連れでにぎわっており、5月には日の出つつじの群落が深紅の花を着け、9月には赤萩・白萩が楚々とした花を着ける場所である。梅まつりの期間中、梅林近くには「梅大使」(以前は梅むすめと言った)という和服の若い女性がそぞろ歩いていて記念写真を一緒に取ってくれるのでいつも人だかりがしている。

 梅林には約3,000本、100品種の梅の木があるが、その中で花の形、香り、色などが特に優れているものを6品種選び「水戸の六名木」としている。そのうち3種類が丁度咲いていた。
 (写真は左から 1.烈公梅 2.3.白難波 4.月影)

 梅林は広く、熱海梅林のように混み合って、遠くからしか見られないということは無い。梅林の様子や満開の梅花の写真を幾つか示す。










 偕楽園梅林から芝生の広場に戻ると南側が緩やかな崖になっており、崖の途中に植えられ梅の木を通して眼下に千波湖や偕楽園公園の田鶴鳴(たづなき)梅林や猩々(しょうじょう)梅林が見渡せる。

 千波湖の近くには徳川光圀の像が建っており、その近くからJR常磐線の上に跨線橋が架けられて、偕楽園東門につながる広い歩行者用の道路になっている。そこから逆に偕楽園の芝生の見晴広場を眺めると、南崖の梅が綺麗に見える。また田鶴鳴(たづなき)梅林のピンクに染まった梅花が望まれて春の景観を形作っている。

 勾配が急なその道の終わり近くにある椿の下に「大日本史完成之地」という碑が建立されている。大日本史は江戸時代初期に、水戸徳川藩主光圀が編纂を初めて明治39年に完成したという300年に亘る大事業で、多くの学者が集い水戸学という学派も生まれたのだが、幕末にはその尊皇の思想の勢力と、徳川宗家に忠誠を尽くそうとする勢力の間で水戸藩を2分した激しい争いが続き、明治維新の時には水戸藩の人材は殆ど枯渇してしまった。しかしその苦難を乗り越えて藩幕制度が消滅した後も編纂を続け、明治の後半までかかって完成させた人々も居たのである。

 偕楽園の見晴広場に戻り、南崖を下る階段の途中に水戸八景の一つである「僊湖の暮雪」碑がある。偕楽園を造成した水戸藩主徳川斉昭は藩内を巡って中国洞庭湖にある「瀟湘(しょうしょう)八景」に倣って優れた景勝地を選び水戸八景と名付け、同じタイトルの漢詩を作っている。また八景の地にそれぞれ碑を建立したが、その題字も斉昭の筆である。

 因みに水戸八景は次のとおりである。 @仙(僊)湖の暮雪 A青柳夜雨(水戸市青柳町) B山寺晩鐘(常陸太田市) C太田落雁(常陸太田市) D岩舟夕照(大洗町) E広浦秋月(茨城町) F村松晴嵐(東海村) G水門帰帆(ひたちなか市)。

 更に下ると南門近くに正岡子規がこの地で詠んだ「崖急に 梅ことごとく 斜なり」の句碑がある。子規は明治22年、21才の時に来水し「水戸紀行」という紀行文を書いているが、この句はその時のことを思い出して明治29年に創ったもので、句碑は昭和28年に建立したものだそうである。

  南崖の小路を降りて南門を潜ると梅桜橋のエレベーターの近くにJR常磐線からよく見える偕楽園と書いた木柱が建っている。梅桜橋を渡ると偕楽園本園から一段下がった偕楽園公園の駐車場に出る。偕楽園公園の好文亭に一番近い位置にあるのが田鶴鳴(たづなき)梅林である。梅花の先に好文亭が臨まれ、写真を写すには良い場所が多くある。

 偕楽園公園は本園の倍以上広く、訪れる人も本園より少ないので非常に空いた感じで散策できる。梅の木も若木が多いため花もたくさん着けるので見ごたえがある。公園内には桜川と沢渡川が流れ、その上に幾つかの橋が架けられ風情を醸し出している。近くの幼稚園の児童がお弁当を食べたりして、のんびりした雰囲気が漂う。田鶴鳴(たづなき)梅林の先には猩々(しょうじょう)梅林、窈窕(ようちょう)梅林と続き、梅の林と広々とした芝生の広場は訪れる人々の身も心も浄化してくれるようである。
(H22-3-3,H22-3-12,H22-3-19訪)

 
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