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「 創立百周年記念誌」 校史編より


本 川 小 学 校 の あ ゆ み


明 治 時 代


元年 明治改元

 2年 藩籍奉還 浅野長勲藩知事となる。 本川木綿方御場所に「商法会所」を置く

 3年 本川学区にあった私塾の主なものは次の通りであった。

   ・ 教業堂 堺町2丁目 塾主 山口怒介・大佐・実造

   ・ 咬菜堂 河原町 塾主 吉村重介・隆義

 4年 廃藩置県

 5年 大年寄、芥川久五兵衛・大年寄格、森川調右衛門・年寄、宮崎l蔵ら協議し、町内

     貯米によって学校建設の計画を立てる。

   ・ 太政官布告(学業奨励に関する被仰出書)

   ・ 太陽暦を採用し、12月3日を明治6年1月1日とする。

   ・ 私塾・寺子屋を閉鎖する。

 6年 1月10日造成舎を開設し教場を左官町妙頂寺にひらく。

   ・ 就学論告を出す。

   ・ 神官・僧侶に小学校の開設を許可する。

   ・ 広島を一大区とし、さらに十二小区にわけて、本川学区を第七小区とする。

   ・ 分校を西地方町浄国寺に設けて玉映舎と称し、芸妓に学芸を授けた。

 7年 学令児童をもつ父兄の毎戸十銭あて公学費負担を定める。

   ・ 公学資金として各戸貧富に応じ年額五十銭以下の寄附を申し付ける。

 8年 小学の年令を満六年より十四年までとする。

   ・ 小学を下等・上等と区別する。各四年八級制

 9年 第七小学、本川学校と改める。

   ・ 下等小学規範鷹匠町学校を清住寺に設け、児童六十名を募集する。

10年 小学教則・校則を定める。

12年 本川小学校と改称する。

   ・ 学制を廃して教育令を公布し、下等・上等の別をやめて公立小学校四年〜八年

     とする。

   ・ 就学期間を一年半以上とする。

13年 教育令を改正し、小学校は三年〜八年とする。

14年 小学校を小学初等科(三年)中等科(三年)高等科(二年)とする。

15年 町村立小学校職員職務を定め、小学校に校長をおく。 

   ・ 校長 三上 主一就任

   ・ 幼学網要を領布する。

16年 河原町分教場を河原町3丁目の富尾源右衛門宅に開く。

17年 成達小学校と改称する。

   ・ 鍛冶屋町(現在地)の新校舎に移転する。

18年 町村立小学校は授業料をとる。

19年 成達尋常小学校と改称。

   ・ 小学校令を公布し、小学校を尋常・高等に分け尋常小学四年を義務教育とする。

   ・ 小学校簡易科は三年とする。

20年 尋常小学読本出版

21年 校長 長沢智水 就任する。

   ・ 小学校体操科に兵式体操をとり入れる。

   ・ 教員の制服を定める。

22年 帝国憲法発布

   ・ 広島市制をしく市長、三木 達 議長 渡辺 又三郎

23年 本川尋常小学校と改称する。 児童数642

   ・ 教育勅語喚発

   ・ 市内小学校は次の通り

    第一高等・本川・袋町・幟町・荒神・天満・白島・江波・県師附小・済美・光道・女学院

   ・ 授業料は無償とする。

24年 河原町分教場を廃止する。江波村に分教場をおく。

   ・ 教育勅語謄本下賜。学校における祝祭日儀式規程を定める。

25年 児童数1,228名 鈴木 三重吉卒業

27年 日清戦争おこる

   ・ 天皇大本営を広島に進められ、沿道にて奉迎。

28年 天皇東京に還幸、沿道にて奉送。

29年 中島本町慈仙寺に分教場をおく。

32年 児童数1,325名

   ・ 中島・鷹匠・江波分教場を廃止する。

36年 国定教科書の制を定める。

37年 日露戦争おこる

38年 ポーツマス条約調印

39年 就学・出席の督促

40年 義務教育を六年とし、尋常科六年、高等科二年とする。

   ・ 唱歌・図画が教科に加えられる。

41年 広瀬小学校分立する。

43年 神崎小学校分立する。

45年 広島物産陳列館にて子ども博覧会を開き児童の成績品を出品する。

   ・ 明治天皇崩御

   ・ 大正天皇践祚

   ・ 紙屋町〜己斐間の電車開通

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大 正 時 代


 4年 町野 寿男 校長に就任する。

 5年 土居 癒吉 校長に就任する。

 6年 帽章を決める。

   ・ 保護者会を創設する。

   ・ 講堂建設完成する。(有志の寄附による)

   ・ 左官町〜横川間電車開通

 8年 本川婦人会創設する。

   ・ 体育器具の充実を図り児童の体位の向に努める。

   ・ 近視が増加する。

   ・ 物価謄貴のため学用品の節約をすすめる。

 9年 吉田 嘉一 校長に就任する。

   ・ トラホーム・結核予防に努める。

   ・ 身体検査規程を定める。

11年 学制頒布50周年祝典

12年 本川尋常小学校と改称

   ・ 校地校舎の大拡張を図り、コンクリート校舎計画差出

15年 山田 栄一校長に就任する。

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   昭 和 時 代


 2年 校舎新築のため1〜2年生を除く各学年は他校へ分散授業を受ける。

   ・ 3〜4年 広瀬校 ・ 5年 神崎校 ・ 6年 袋町校 ・ 高等科 観音校

 3年 鉄筋コンクリート校舎完成 

   ・ 校歌制定 作詞 斎藤 清衛  作曲 永井 建子

   ・ 講堂・奉安殿の新築運動はじまる。

   ・ 考査・宿題について通達

 4年 綴方教育・職業教育を教育目標とする。

 5年 児童の校外補導のため広島教護連合会を設ける。

 7年 学校給食臨時施設方法を定め貧窮児童の給食開始。

   ・ ラジオ体操の会はじまる。

 8年 非常時という言葉が流行する。

   ・ 講堂竣工する。

10年 津田 忠勇校長に就任する。

11年 児童数約960名

12年 奉安殿完成 落成式挙行

13年 惣野 真澄校長に就任する。

15年 紀元二千六百年式典 

   ・ 砂糖・マッチを切符制にする。

16年 広島市本川国民小学校と改称 

   ・ 国民学校令が公布され、小学校は国民学校(初等科・高等科)と改める。

   ・ 本川少年団を編成する。

17年 飛行機献納廃品回収運動をはじめる。

   ・ 衣料・ズックの配給制がはじまる。

18年 防空教育はじめる。

   ・ 電鉄舟入線(土橋・舟入・本町)開通

19年 川崎 政信校長に就任する。

   ・ 国民学校令等戦時特例を定め、学徒動員令を公布する。

   ・ 本川少年隊第一分隊(高等科37名)は藤原寛指揮で中国塗料株式会社へ

   ・ 第二分隊(高等科女子27名)は本間シズノ指揮で倉敷工業へ

   ・ 給食によって児童の栄養を維持する。

20年 高等科男子中央郵便局に通年動員

   ・ 縁故疎開をすすめる。

   ・ 学区内の建物疎開はじまる(高等科女子動員)

   ・ 4月、三年以上児童、備後十日市国民学校・三次国民学校に集団疎開する。

     残留児童は警戒警報の度に下校せしめ、六月末より分散授業をする。

  8月 6日 

   ・ 午前8時15分原子爆弾により、鉄筋の校舎建物を残す外、人員校具全滅す。

   ・ 死亡 「校長 川崎 政信」「教頭 伊達 忠之」「訓導 宮地和藤次・石川正・

     村上トシコ・遠藤キヨコ・沖本照恵・林喜代子」「助教 田中美石・植木初美」

     「雇員 越智 美智子」「給仕 白川 慶子」「使丁 井上伊三郎」 

   ・ 児童の状況は推定により大要次の通り 

     縁故疎開児童数 約500名

     集団疎開児童数 約300名

     残留児童数 約400名(動員少年隊を含む)生存者なし

   ・ 校舎校具の状況は次の通り

     校舎 外部のみ残存・壁面屈折・屋上壁垣飛散・鉄窓枠はじめ校具一切破壊

     全焼一物も残さず・講堂焼失。

  8月 7日 臨時病院となり火傷負傷者残存校舎に充満す。

   ・ 以後臨時救護所となる、また巡査派出所となる。

  8月21日 緊急臨時校長会、階上東側より二番目教室に開く。

  9月 集団疎開児童引取完了

   ・ 本校児童は暫定的に己斐校に併置通学とするもその数全然不詳。

 12月25日 戦災者慰霊祭を行う。


学 校 復 興 へ


21年 2月23日

   ・ 区内有志の協力により本川、広瀬両区を併せて授業を再開する。児童数 45名

   ・ 教職員「校長事務取扱 藤原 寛」「助教 新田 文子」

     広瀬校「訓導 後藤 琢三・森田 裕美」

  3月10日

   ・ 神崎学区も併せる。児童数 60名

     「神崎校教頭 山王 璋」「訓導 秋山 道子」

  3月11日 山本 亀冶本校教頭、校長事務取扱として発令

  4月19日 三滝に全校遠足

  5月26日 春の小運動会を行う。

  5月29日 教育後援会組織協議会を開き各校の復興について協議する。

   ・ 本川校修繕費147万円

  6月 7日 保護者会総会

   ・ 会費 長兄姉三円 弟妹一円五十銭に決定する。 会長 越智 抽一

  6月28日 本川区民大会 食料危機突破対策

  7月 6日 戦災死没者一周忌を別院で行う。

  7月31日 保護者後援会合同で全体協議会を行い復興のため寄附募集開始を決定

  8月 5日 職員児童死没一周忌を空鞘納骨堂前で行う。

11月 3日 日本国憲法公布

 12月17日 地下室排水作業完了

22年 1月11日 酒井 盛正校長に就任する。

  1月13日 連合国民間情報部教育顧問ハーワード・ベル博士 松本 滝蔵代議士等

         本校を視察する。

  1月18日 ベル博士等再度来校し朝会で児童に講演

  2月 8日 本川青年連盟の協力にて校舎北側窓を板で覆う。

  3月22日 学校給食再開

  4月 1日 広島市立本川小学校と改称する。

  4月15日 新制中学発足により、第六中学校本校内に併置

  5月 3日 新憲法実施記念式挙行

   ・ 市民大会に六年生出席

  6月 9日 交通安全指導に進駐軍の指導をうける。  

  6月16日 参観日を設け、さらに母親学級を開設する。

   ・ この頃ガラスなど盗難しきりに続く。

  7月14日 終業式 食糧休暇と夏休みに入る。

  8月 6日 本川学区慰霊祭、校内にて芸能会、展覧会を開く。 

  8月 7日 本川学校同窓会を開く。

  9月 5日 松本代議士より米・ミネソタ州オースチン町リーンカーンウエッブスター

         小学校児童よりの読物と手紙を受け取る。

 10月15日 戦後初の秋季運動会を開く。 

 11月24日 米国赤十字青年団よりの贈物を全児童に配布する。

 12月21日 ベル博士に挨拶のため校長上京し、人形を贈る。

23年 1月 1日 新年拝賀式後学校復興表彰式を行う。

   ・ 小林 熊一・高本 光信 山崎 元の三名と山本 亀冶・藤原 寛・森田 裕美

     の三教官

  1月10日 創立記念日ならびに記念作品展覧式

  2月 4日 文化国家建設学生大会に五年生以上全員出席する。

  2月 7日 学習効果の判定に関する研究会を開催する。

  2月 9日 教室の板張工事のため四年生以下二部授業を開始する。

  2月23日 戦災復興第二周年記念の遠足を行う。

  3月20日 六年生修学旅行を厳島に

  3月24日 本川小学校PTAの結成準備をする。

  5月 2日 ベル博士を迎え歓迎展覧会を開く。

  5月 5日 ベル博士歓迎会

   ・ ベル博士を本校教育顧問に推戴する。

  6月27日 鈴木 三重吉氏十三回忌記念行事を児童文化会館と共催で開く。

  6月28日 本川小学校少年赤十字団結成

  8月 6日 平和祭・花行進に参加

 11月 9日 GHQ外支部書記官来校

 11月27日 避難訓練

 12月17日 横川橋開通式に全員参加

24年 2月24日 本校復興記念行事として、学芸会を児童文化会館にて開く。

  4月 6日 皇太子殿下を児童文化会館に奉迎し、本校児童が奉迎の挨拶を申上げる

  5月15日 学区合同運動会

  7月23日 臨海学習を地御前で開く。

  7月24日 ベル博士帰米のため校長・PTA会長上京し送別の挨拶

   ・ 校舎建設を文部省に陳情する。

  8月18日 模範校舎建設陳情のためPTA役員会を開き、請願署名運動をはじめる。

   ・ 学籍簿が指導要録と改正

25年 2月20日 図画・習字校内コンクールをはじめる。

  2月26日 屋内水洗工事修理開始

  3月11日 本川学区学校復興期成会準備会を開く。

  4月 7日 加田 師一校長に就任する。

   ・ 広瀬・神崎両校分離式

  4月26日 JRC教育指定校となる。

  7月15日 包ケ浦で臨海学校を開く。

  7月25日 本校校庭に接続する本川に、本川学区水泳場を開設する。

  8月 6日 復興期成同盟会より代表上京

  8月21日 日米水泳選手団本校視察

  9月14日 風水害のため登校停止

  9月30日 広瀬・本川両校離別式

 10月23日 子供博覧会見学

26年 2月21日 本校新築校舎起工式

  2月27日 正面校舎撤去作業開始

  4月24日 国民体育大会・スポーツ博を全員見学

  7月18日 原爆死没本校職員児童合同法要を区内鷹匠町法縁堂にて挙行する。

  9月 3日 運動場整地開始

  9月21日 新校舎見取り完了し、4・5・6年の教室を配置する。

 10月10日 講堂の見取完了

 10月13日 整備後援会を結成する。

 10月21日 校舎・講堂落成記念秋季大運動会を開く。

 10月27日 天皇・皇后陛下・三笠宮殿下行幸啓

   ・ 第六回国民大会レスリング会場となる。 

 10月29日 秩父宮妃殿下行幸啓

 11月 9日 CIE本校視察・各方面からの視察相次ぐ。

 11月22日 新校舎・講堂の落成式

   ・ 児童憲章をさだめる。

   ・ 対日講和条約締結

27年 1月15日 本川青年団善行青年団として表彰を受ける。

  2月11日 ピアノ購入着荷

  2月17日 落成祝賀・復興記念行事として学芸会を開く。

    ・ 落成記念日当日はドッヂボール大会を開く。

  3月 1日 模範姿勢図写真をとる。

  3月18日 卒業児童の発意により学校基金を開始する。

  4月10日 田中 稔校長に就任する。

  4月29日 平和条約・安保条約発効を記念して本校講堂において日米子供交歓会

         を開催する。浜井市長列席

  5月 5日 ベル博士夫妻来校

  6月18日 JRC教育研究会

  6月27日 鈴木 三重吉氏十七回忌につき童話会・講演会を開く。

  7月14日 広島市児童協議会を開く。

  8月 6日 職員児童慰霊祭を法縁堂で行う。

 10月12日 世界仏教徒会議を講堂で開く。

 11月 3日 世界連邦アジア会議を講堂で開く。

 12月 7日 校門建設仕上げなる。

28年 1月10日 創立八十年記念式

  1月26日 ストーブ新設

  2月23日 創立八十周年祝賀式後記念学芸会を挙行する。

  5月17日 花壇設置作業

  6月13日 教育資料室をつくり資料展示

 11月19日 教科外活動研究発表大会を開く、会員800名盛会をきわめる。

 12月14日 全教室ストーブを設置する。

   ・ NHKテレビ放送を開始する。

29年 4月10日 世界平和者会議を講堂で挙行せられるにつき各国代表に本校

         より親善アルバムを贈呈する。

  4月27日 管理校舎の新築工事開始

  6月10日 管理校舎増築に伴い寄附募集(後援会)

  6月24日 外柵工事終了

  6月30日 教室に掲示板を取り付ける。

  8月10日 少年赤十字校内トレーニングセンターを宮島包ケ浦キャンプ場で

         一泊二日行う。

  9月14日 台風のため休校とする。

 10月15日 新築工事完了し職員室はじめ移転する。

 10月17日 落成記念秋季運動会を開く。

 10月31日 本川学区婦人会総会を講堂で開く。

 11月 9日 校内写生展覧会を開く。

 11月11日 世界連邦アジア会議講堂で挙行される。

 11月20日 校内放送音楽会を開く。

 12月 9日 教科外活動研究指定校として表彰を受ける。

30年 2月26日 女子の基準服を制定する。

  3月 9日 教育設備充実のため寄附完了する。1,011,819円

  4月 6日 始業式 児童数 1,382名

  4月11日 図書室を普通教室にあてるため西校舎三階廊下ロビーを板囲いして

         図書室とする。

  5月25日 修学旅行を別府方面とする。

  6月 2日 地域分団として各町内会長に校外活動協力員、各分団毎に指導員

         四名を委嘱する。

  8月 6日 原爆記念十周年大会に児童代表参加する。

  9月30日 台風のため全児童を下校せしめる(十時半)窓ガラス飛散する。

 10月 6日 朝会形式を変更して、校旗・赤十字旗掲揚を開始する。

 10月23日 小鳥飼育舎完工 (運動会寄附金11万円で施工する。)

 11月10日 第二回教科外活動研究発表会を開く。 参加500名

31年 3月 8日 広島市研究発表会を本校にて開く。

  4月 2日 東校舎端(本川より)六教室を撤去する事になり講堂を職員室と普通

         教室二つに区分するなど教室移転を行う。

  4月 6日 始業式 学級数29・児童数1,507名

   ・ 西校舎二階廊下ロビーを板囲いして普通教室とする。

  7月21日 終業式授賞方式を本校独自に定め、それによって授賞する。

  9月10日 台風十二号にて臨時休校

 10月 1日 南校舎六教室新築工事に着手する。工費576万円

 10月18日 児童会親善ソフトボール大会に参加し、本校児童会優勝する。

 10月23日 PTA成人講座

 11月11日 町内対抗親善ソフトボール大会にて本校職員チームB優勝する。

 11月 3日 遠足の年次計画をたてる。

32年 1月10日 南校舎三階増築工事に着手

  1月15日 管理校舎二階増築工事着手

  1月22日 校内競書会を実施する。

  2月 5日 PTA総会にて体育倉庫新設・校舎床板の張替えその他を決議し、経費

         70万円をPTA会費倍額拠出六ケ月拠金を申し合わす。

   ・ 賛助会員を募集する。

  2月12日 男子マラソン大会 女子縄跳会を挙行する。

   ・ 平和公園→学校東側道路→相生橋→平和公園→本川橋→学校

  2月21日 地下室満水のため舟入消防署の協力で排水する。

  3月19日 長期信託預金(学校積立基金)22万円を床板張替工事費に立替える。

  4月 6日 始業式 学級数 30 児童数 1,580名 教職員 47名

  5月11日 管理校舎二階・南校舎完工落成祝賀会挙行

  5月21日 修学旅行を山口県湯田にする。

  6月17日 流行性感冒のため二年・六年学級閉鎖 

  6月20日 PTAに部制(教養・体育施設・給食・事業)をおく。

33年 2月21日 岩国アメリカンスクールとの交歓会

  6月28日 校内音楽会を開く。

  7月17日 楽々園にて水泳指導三日間

  7月21日 青少年赤十字団トレーニングセンター開設四日間宮島大聖院にて。

 10月13日 校内作文コンクール

 10月16日 校内工作コンクール

 11月 5日 東校舎一階四教室大修理のため教室を移転する。

34年 4月10日 皇太子殿下御成婚式のため祝日休校

  4月14日 七森 勝郎校長に就任する。

  7月 2日 子ども会発足式

 10月 2日 講堂と南校舎間渡り廊下と一年生用足洗場完成

 10月22日 PTA女子バレーボール大会にて優勝する。

 12月25日 校庭周囲の土堤に市緑地課によってビラカンサスを植える。

35年11月31日 テレビ一台盗難にあう。

 12月16日 給食室を新築して移転する。

36年 2月22日 流行性感冒にて学級閉鎖相続く。

  5月12日 PTA新役員会

   ・ 前年度のプール新設陳情を引き継ぐ。

  6月18日 PTA女子バレーボール大会に優勝(三年連続)

  8月22日 本川学区子ども会ソフトボール大会を開き、毎年行事となる。

  9月14日 プール地鎮祭

 11月 2日 小学校連合音楽会に三年生代表出場する。

37年 2月 5日 映画鑑賞を学期毎に行う。

  4月13日 中村 勲校長就任する。

  6月 5日 基町火災に羅災した家族にPTAより慰問品を送る。

  7月23日 プール落成祝賀式 プール開き。

38年 1月 9日 創立九十周年記念音楽会

  1月10日 創立九十周年記念式

   ・ 記念式典  職員勤続表彰式・記念音楽会・記念展覧会・祝宴

   ・ 記念品  玄関に校章設置・全職員、児童に記念品・創立記念誌発行

           学年別植樹 

  2月 2日 PTA委員会にて基町火災の被災者救援援助対策と交通信号機設置に

         ついて協議

  2月 4日 交通安全危害防止のため黄色い帽子を一年生の制帽とし、今後全学年

         の制帽とする。

  5月18日 校内母親バレーボール大会で六年優勝する。

  7月25日 相生橋西詰信号機が設置されて陳情の目的を達した。

 10月22日 PTA常任委員会にて、運動会売店純益と寄付金総額34,562円で

         鉄製二連滑り台を購入することを決める。

39年 5月 6日 PTA会費を本年度より教職員も負担する。

  9月21日 オリンピック聖火リレー通過につき全員出迎える。

 12月24日 放火と思われる事故あり、全職員警戒態勢をとる。

 12月26日 PTA常任委員会を開き、学校にたいし物心両面の協力を決議する。

40年 3月17日 保健委員会発足

  8月13日 PTA奉仕作業をする。

 11月 7日 父親参観日を開き定例年間行事となる。

 11月14日 小学校児童陸上記録会に参加する。 

41年 2月11日 新年祝賀式をやめる。

  4月 7日 壱岐 武雄校長に就任する。

  7月26日 PTA補導部夏休み中毎週火曜日に校内巡視をする。

  8月 1日 岩石園を職員作業で造成する。

  8月19日 PTA・地区子ども会合同でラジオ体操の会へ参加しその後奉仕除草

         作業をする 参加者150名 30日も行う。

 10月24日 PTA施設部ピラカンサス補植300本奉仕作業

 12月12日 石炭ストーブより漸次石油ストーブに変える。

 12月28日 本川婦人会より置傘100本の寄贈を受ける。

42年 2月16日 全校児童数 961名 基町地区 388名

  4月20日 留守家庭子ども会発足する。

  7月31日 NHK全国学校音楽コンクール広島県大会に出場優秀校になる。

43年 1月 6日 中国こども音楽会に出場し最優秀校に決定する。

  5月 2日 春季小運動会を開く。

  7月17日 本川横断歩道渉り初め式・卒業記念PTA寄贈にて明治百年記念に

         テントを購入する。

 11月 3日 市民体育祭にスポーツ少年団よりリレーに出場

44年 8月 6日 広島テレビ明日への伝承「広島の子どもたちと木島則夫」に出演

  9月21日 NHK主催全国学校音楽コンクール県予選優秀校となる。

 11月23日 第十一回PTA親善母親バレーボール大会で優勝

45年 4月 7日 有田 吉之校長に就任する。

  5月    中国放送協力校の委嘱を受ける。

  6月10日 平和教育資料室設置の準備にかかる。

  7月 1日 宿直を警備員にかえる。

 11月 1日 PTA母親バレーボール大会で準優勝

46年 5月29日 PTA総会 会則を改正し、部制を排して委員会制とする。

  6月29日 創立百周年記念実行委員会を校内に設置する。

  8月 7日 子ども会主催盆踊り大会

  9月 1日 児童用机・腰掛が全学年とも個人用にきりかわる。

 10月 3日 運動会を校内体育学習発表会と改める。

 12月     創立百周年記念行事実行委員会学区準備会を開く。

47年 1月10日 創立九十九周年記念式を挙行、祝賀行事として凧揚げ・駒まわし

          羽根突きをして遊ぶ。

  2月15日 学区内に町内合同による創立百周年記念行事委員会を結成し、趣意書

         を作成し運動を開始する。

  3月25日 基町小学校新設につき、基町地区児童四年生以下全員移籍を決定

  4月 1日 学級数18 児童数 552名

   ・ 創立百周年記念行事の年に入る。

  5月 3日 記念大運動会を開く。

 10月27日 第二十三回放送教育全国大会を記念行事として開く。

 11月26日 記念文化祭を開く。 

48年 1月10日 創立百周年記念式典 記念碑除幕式 カラーテレビ寄贈式

   ・ 祝賀行事として「トンド」を行う。

   ・ 記念誌 児童文集刊行

  6月27日 蒸気機関車D51主動輪を国鉄より払い下げを受け、PTAが校庭に設置

49年 7月30日 全校招集日、全学級平和教育を実施

  8月25日 本川保育園落成

  9月     本川児童館開館 南校舎三階に視聴覚教育研修室完成

50年 1月10日 とんど祭り

51年 8月 3日 全校登校日に平和教育全学級授業

  9月11日 体育館落成

52年 9月 1日 体育倉庫及び指導員室、更衣室完成

53年 9月14日 夜間照明施設完成

54年 4月 7日 弱視学級開設

  10月 6日 PTAバザー(目的 ユニセフ募金・プール日よけ)

55年 1月10日 第百七回創立記念日 記念式と「なわとび」で遊ぼう

56年 1月10日 第百八回創立記念式「児童・父母・教員の願い発表」

57年 1月 9日 第百九回創立記念式 記念行事「正月の遊び」

58年 1月11日 第百十回創立記念式 記念行事「とんど」二基

  8月 1日 平和教育特設日全校

 10月23日 広島市PTA協議会バレーボール大会 中区大会 本川PTA優勝

59年 1月10日 第百十一回創立記念式 記念行事「とんど」二基

61年11月 9日 日曜参観 PTA行事「ウオークラリー」

62年 1月10日 第百十四回創立記念日 記念行事「とんど」

 11月 8日 日曜参観 PTA行事「ふれあい大会」

63年 1月 5日 平和資料館準備

  3月11日 保存校舎を「平和資料館」と命名

  5月 6日 平和資料館開館式

 11月13日 日曜参観 PTA行事「ふれあい大会」

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平 成 時 代


 元年 7月13日 PTA臨時総会、PTA会費(一律150円)予算の承認

  11月 5日 PTA行事「ふれあい大会」

 2年 1月 9日 第百十七回創立記念式 記念行事「とんど」

  11月18日 日曜参観 PTA行事「本川まつり」

 3年11月17日 日曜参観 PTA行事 「わくわく健康ラリー」

 4年11月11日 創立百二十周年記念航空写真撮影

 5年 1月11日 創立百二十周年記念式典 記念行事「児童発表会」

   ・ 創立百二十周年記念誌発刊 記念下敷児童に配布      

15年 1月10日 創立百三十年周年記念式典

   ・ 記念講演 講師「東 ちずる」「泣いて笑ってボランティア珍道中」

   ・ 第1回本川小学校同窓会総会開催 国際会議場ダリアの間にて懇親会

   ・ 記念下敷児童に配布

   ・ 9月 運動会にて保護者と一緒に昼食再開

16年  2月 全児童に防犯ベル配布

   ・ 新潟県中越地震ベルマーク緊急友愛援助に寄付

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