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序 章  ヨハン・デ=メイ Johan de Meij



 まず、素晴らしい曲を作ってくれた作曲者について簡単に解説しよう。


ヨハン・デ=メイ (Johan de Meij)

de Meij  ヨハン・デ=メイは1953年の11月23日に、オランダのフォーアベルクで生まれた。 彼はハーグ国立音楽院で音楽教育を受け、そこで吹奏楽の指揮とトロンボーンを学んだ。 卒業後、彼はクラシック、ポピュラーのレパートリーを問わないアレンジャーとして国際的に名前が知られるようになった。 そして、彼がシンフォニック・バンドのために書いた最初の作品である、トールキンの小説に基づく交響曲第1番「指輪物語」のブリュッセルでの初演(1988年)は大成功だった。 その翌年、1989年にシカゴで開かれたサドラー国際吹奏楽作曲賞において第1位を獲得し、1990年11月にはオランダ作曲家基金から表彰されたんだ。

 ちなみに、このサドラーというのは、つい最近亡くなった世界的大指揮者、サー・ゲオルグ・ショルティーが審査委員長を務める、とっても権威のある賞なんだ。 そして彼の曲は、27か国からエントリーした全143作品の中から選ばれて、第1位に輝いた。

 ヨハン・デ=メイという人は多才な音楽家で、作曲家/アレンジャーであるだけでなく、トロンボーンとユーフォニアムの奏者でもあり、アムステルダム・ウインド・オーケストラ、アムステルダム・トロンボーン・クァルテットなどで活躍している。 さらに彼は1993年に自作の客演指揮者として日本を訪れており、翌年にも交響曲第2番「ビッグ・アップル」の日本初演に立ち会うために来日しているんだよ。

 日本の吹奏楽界に大きな役割を果たし、影響を与えてきた作曲家の多くはアメリカを活動の場としてきた。 でも、最近ではオランダの作曲家による作品が多く取り上げられるようになってきたよね。 その中の一人がヴァン・デル=ローストであり、もう一人が この曲の作曲者、ヨハン・デ=メイ、その人であるのだ。


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