もう二昔ほど前に起こった、ある高校の定期演奏会での出来事である。 ある高校、それは私の母校である。 ここでは仮に薄情高校としておこう。 薄情高校 器楽局では、この年の定期演奏会でモートン・グールド作曲の 狂詩曲「ジェリコ」 を演奏することになっていた。 この事件の話の進行上必要となるので、まず、曲の解説からすることにしよう。
この曲は、序奏、点呼、聖歌、踊り、行進と戦闘、ジョシュアのトランペット、城壁の倒壊、ハレルヤの八つの部分からなり、次のような物語に基づいている。
大昔イスラエル人はエジプトに移住したが、エジプト王からの迫害を受け、モーゼの教えに従ってエジプトを脱出し、40年もの長い年月を費やして故郷イスラエルに帰って来た。 いよいよヨルダン河を渡ってイスラエルの土を踏もうとしたときモーゼを失い、代ってジョシュアという人が指導者になった。 ジョシュアに率いられたイスラエル人達はヨルダン河を渡り、カナン地方に入ったが、ここでジェリコの町の堅固な城壁に道を阻まれてしまった。 ジョシュアは神の助けを借りて7日の間城をとりまき、毎日ラッパを吹き鳴らした。 最後の7日目に天にも響けとばかり高らかにラッパを吹くと、堅固な城の石垣が自然に動き出してくずれ落ち、ジェリコの町に入ることが出来たと伝えられている。
さて、ここからが本題。 今回の主役も弦バス奏者である。 彼はもちろん、この曲でも弦バスを弾いていた。 そして曲が進み、「ジョシュアのトランペット」の場面になった。 ここでしばらくトランペットの演奏が続く。 彼はこの間を利用して上手(かみて)から舞台裏を通って下手(しもて)に移動した。 この後に続く「城壁の倒壊」でドラを鳴らすためである。 実は、大音響をたてて崩れ落ちてゆく城壁を表現するために多数の打楽器奏者が必要であり、打楽器パートの人数だけでは足りず、彼がドラ叩きに抜擢されたのである。
舞台下手は各種打楽器でいっぱいである。 曲の最中に楽器の中をかき分けていくのは非常に危険だ。 従ってドラは舞台下手の最前列にあり、彼は客席のどこからも見ることができる、おいしい場所を得ていた。 しかし、このポジションが彼の悲劇を観客全員に知らしめることになるのである。
トランペットが高らかに鳴り響き、「城壁の倒壊」がやってきた。
彼は腰を落とし、マレットを大きく振り上げ、ドラに思い切り打ち当てた。
その瞬間・・・
マレットが折れ、先の部分が飛んでいった。
そう、崩れ落ちたのは城壁ではなく、マレットだったのである。
「城壁の倒壊」の場面は結構長く続く。
スネアやらシンバルやらがロールしている間、彼はじっと揺れ続けるドラを見ていた。
いや、ドラを見続けているしか方法はなかったのだ。
悲しい顔をして指揮者を見ても、指揮者は助けてくれない。
代わりのマレットはない。
バス・ドラのマレットを借りようにも、ロールで2個使われている。
ましてや打楽器パートの人に助けを求めようにも、全員演奏でふさがっている。
当たり前だな、人手が足りないので彼を呼んでいるんだから。
私はOBとして演奏会当日のリハーサルから見ていた。
リハーサルでは何度も、何度も力強くドラを鳴らしていた。
おそらく練習場でも同じように、同じマレットで叩き続けていたのだろう。
その疲労が蓄積され、本番の最初の一発で力つきてしまったのだ。
無情に揺れ続けるドラを見ながら、彼は何を考えていたのだろうか・・・・・
教訓: スティックやマレット等は予備を用意しておこう。