彼は麻雀が好きなので、仮の名前を麻雀の三元牌である中を使って、チュンさんと呼ぶことにしよう。 その彼は弦バス奏者である。
1985年(昭和60年)のコンクール。 この年の課題曲として真島 俊夫氏の 波の見える風景 を、自由曲としてハチャトウリアンの バレエ音楽「スパルタクス」より"スリーダンスエピソード" を演奏した。 北見地区大会をクリアし、北海道大会へと駒を進めることになったのだ。 が、結局、この駒を進めたのがいけなかった。
場所は札幌市の教育文化会館。 課題曲を演奏したとたん、後方から大きな反射音が聞こえてきた。 この会場の客席の後ろには大きなガラス窓があり、演奏した音が残響としてではなく、直接音として、0.3秒ほど遅れて奏者の方に帰ってくるのである。 これにはとまどったが、何とか無事、課題曲を終えることができた。
自由曲が進み、静かな部分へと曲が流れていった。
そして非常に重要な、他の楽器では決して真似することのできない、効果的なピチカートの場面が近づいてきた。
私は中さんの方を向き、合図をした。
しかし、彼は私を見てはいたが、弦をはじかなかった。
私の目は空中をさまよい、奏者の方ではなく、反響版の方ばかりを見ていた。
「このままではいけない」と、何とか気を落ち着かせ、しばらくして今度は低音グループに合図を送った。
しかし、またも中さんは動かない。
ここは弓で弾く場面なのである。
私は「先ほどの失敗を考えているうちに、入りを忘れてしまったんだろう」と思った。
曲が終わりに近づいた。
力強く全員で演奏している。
が、一人参加していない。
そう、中さんである。
彼の右手は垂れ下がり、顔はうつむいたままである。
体調が悪そうだ。
私は「倒れないでくれよ。
気分が悪くなったら舞台袖で休んでもいいからな。」と心の中で叫びながら最後の追い込みにかかっていた。
そして曲が終わった・・・
演奏終了後の移動中、彼の楽器を見ると、4本の弦がだらしなく垂れ下がっていた。
そして手には弓と駒が握られていた。
そう、彼は自由曲の前半をぶりぶり全開で弾いていたので、駒が飛んでしまったのである。
中さん曰く、「何度も舞台袖に行って駒を取り付けようかと思ったんだけど・・・」
いやいや中さん、仕方ないよ。
たとえ駒の取り付けが間に合っても、チューニングしているうちに曲が終わってしまうからさ、元気を出して生きていこうよ。
ちなみに彼は現在も元気に演奏している。 そして私と同じ四十代である。 皆さんも私や彼と同じく、大きな失敗にもめげず、頑張って長く演奏を続けていってほしい。
くどいようだが、中さんというのは仮名である。 麻雀牌の白・發・中から付けたものであるから、チューさんではなく、チュンさんと読んでほしい。
教訓: 楽器を移動させた後は、必ず点検しよう。 そりの入った駒は取り替えよう。