サイパン旅行記パートT

旅の始まり。

サイパンに行こうと思いました。理由はまず娘が大学生活を終了し、就職して社会人になる区切りの年であること。

実はそれよりもあたし自身50歳になり、持病の腰は悪い肩は上がらない、1年中耳鳴りはするとあっちこっち体が悲鳴を上げてきていて、まあこの際だから元気なうちに家族(自分自身も含めた)の良き想い出を作っておきたかったのが本音。

あと冬になると青い空と白い雲、さんご礁でできた白い砂浜、椰子の木陰で昼寝している姿が浮かんできて体が疼くんです。(笑)

まず保険からスタート。

NICOSカードに海外旅行傷害保険が無料で自動的に付帯しているものがあるので、かみさんに入会してもらいました。

あたしと息子はかつてのグアム旅行の時に入会済み。

あとかみさんの母親と娘はまだカードがないのでインターネットにて調べて一番安かった三井住友海上にて保険に入りました。@1,770円

次に新居町立図書館にて【06〜07地球の歩き方サイパン】のガイドブックを借りてきて下調べ、同時にサイパンについての掲示板をネットサーフィンして情報収集。

【地球の歩き方】のガイドブックはガイドブックとしては史上最強でこれがなければ、あたしとしてはにっちもさっちもいかなかった状態でした。

と言う訳でこのガイドブックはサイパンに連れて行き大変重宝しました。

購入もせずに。図書館のレンタル本(笑)

(第1日目)

PM1時30分出発です。

前回のパラオは息子とあたしの2人旅でしたので自宅から浜松西インターまで車で移動して浜松西インターからは遠鉄バスにてセントラル空港までは移動しましたが、
今回は5人でバスの運賃がトータルで25,000円もかかってしまう為、車で行くことにしました。

車での費用は15,000円ぐらい。

出発した直後ですのでモチベーションが高いのでまず息子に運転を押しつけます。(笑)

節約もかねて国一で音羽蒲郡インターまでそこからは出発する前に一家全滅になってはいけないのであたしが運転を替わりました。息子は免許取得してからの運転時間20時間の超初心者。

どうせ亡くなるのなら帰り道のほうがいいが全員の意見。(笑)

東名に乗って豊田ジャンクションから伊勢湾岸道、知多半島有料道路へ。

駐車場は常滑ICを降りた民間駐車場。料金は4,200円。中部国際空港内P1駐車場料金は6,700円。よって2,500円の節約。

この民間の駐車場はほとんどがかつての小牧空港の時開業していた駐車場業者が、中部国際空港ができると同時に引っ越してきたそうです。

民間駐車場のワゴンで送ってもらって4時頃ようやっと中部国際空港に到着。

取り敢えず、スーツケースが邪魔なので大型ロッカー(@600円)にぶち込んで身軽になります。

その足で2Fにあるソフトバンクのカウンターにて海外で使える携帯電話を借りました。

1日の利用料金は210円あと安全の為に保険に入りました。

やはり1日210円で1日の携帯のコストは420円。

まあ日本の我が家でなにかあると困るので安心代とおもえば安いものです。

かつてのグアム旅行ではグアムの空港でグアム島でしか使用できないアイランドフォーンを借りましたが、携帯電話の日進月歩の進歩で驚くほど便利になりました。

次回は携帯電話自体を国際ローミングができる機種を購入すればそのまま海外で使用できます。

まだこの時点で4時半、空港のカウンターに集合するのが6時半ですので禊をしようとの事で空港内4階にある展望風呂へ。

空港が開設した当初は数珠繋ぎでお風呂に入るのも大変だったそうですが、比較的空いていました。

航空機の離発着が見れていやがうえにも気分は盛り上がります。icon24しかし他人のお尻も見れて気分はいやがうえにも盛り下がります。icon25

このセントレアは造るにあたって、トヨタの社員が出向してきて指揮を取ったそうで、関空と比較しますと、随分と安くまた便利に造ったそうでさすがは世界のトヨタですね。

そんな事をお風呂に入りながら考えていました。

日本国内での【最後の晩餐】は、マルハ食堂でのお刺身定食。

そしていよいよチェクイン(搭乗手続き)セキュリティーチェック、と進み搭乗ゲートの前の待合室へ、セントレアのターミナルはとてつもなく長くて、最初間違えて反対方向に歩いていて、そこから正しい搭乗口に向かったのですが多分1kmぐらいは歩いたと思います。

歩く歩道が無ければ空港利用者は皆さんダイエットできるでしょうね。

8時搭乗の8時半ようやっとサイパンに向けて出発。

サイパン旅行記パートU(第2日目午前編)

(第2日目)

サイパンまでの飛行時間は3時間15分。高度11,500m世界最高峰エベレストが8,848mですので間違っても山には激突はしない成層圏での飛行。温度はマイナス40度。

最初に機内食が出ました。経費削減の関係か経営状態が厳しいのか年々内容が悪くなってゆきます。

それを見越して空港内で軽く食べていたのですが、何故か完食してしまいました。

出された物は全て食べなければならないとしつけられている為と言うよりも、ただ単純に食い意地が張っているだけ。

サイパンでの水着デビューが恐ろしい。



その後は綺麗なアテンダント(スッチー)を眺めていても別段二人の関係に進展がないので映画を2時間観てました。

映画が終わるといよいよサイパン空港です。到着時間は時差が1時間ある関係で現地時刻31日0時55分。
そのままお迎えの送迎バスに乗り込んでホテルに直行。

テンションが高い状態ですが寝ない事には本日の行動に差し支えがでるのでベッドに入り無理やり寝る体勢に入りますが、なかなか寝付かれませんでした。

と本人は思っていたのですが朝目覚めてから息子が言うには「何言ってんの。イビキをガーガーかいててうるさかったぜ。4,5回蹴り飛ばそうと思った。」と家庭内暴力の芽が芽生えているので、「君は人間が出来ていないな。お釈迦様のような慈悲の心を持つべきだ。」とやさしく諭しておきました。

朝は7時には目が覚め、とりあえずゆっくり1時間かけて体をほぐして8時に朝食。

ガラパン地区のドーナツ屋(Winchell’s)甘い甘い砂糖がたっぷり振り掛けられたドーナツとクラムチャウダー(@2$)。

息子が「こっちに永住するのもいいよなぁ〜」なんて、言っていたので『マックはあるから、ミスタードーナッツを開いたらどうだろう。

名前は商標権の関係もあるから少し変えて【ミスターどーなった】なんてどうだろう。』と薦めてみました。

9時過ぎにレンタカーを借りるために隣のホテル(Hafadai Beach Hotel)にあるレンタカーデスクに。

カローラクラスで日本からリクエストを出してあったのですが借りれたのはワンクラス上のカムリ。

料金はカローラクラスの料金の$78でしたラッキー。

しかしグアムでは$30で借りていますので良く分かりませんが、グアムの料金が異常に安かったのではと思っています。

とりあえず北部に向けて出発です。

ハンドルは左側についていて道路は日本と反対側の右側通行。ウインカーを出す為レバーを下ろすとワイパーが動きます。

つまりウインカーとワイパーのレバーの位置が日本とは逆でかなり戸惑います。

ガラパン地区を抜けるとじょじょに交通量は減ってきてたまにすれ違う車があるくらい。


ラジオからはゆっくりしたメロディーのハワイアン、道路の横にはところどころやしの木が植えられていて風で葉がなびいています。

日差しは強くでも車の中はエアコンで快適。

時々左手にサンゴで出来た白い砂の海岸線の向こうにフィリピン海が見えます。あぁサイパンに来たんだなぁと実感していました。

最北端にはバンザイクリフ、ラスト・コマンド・ポスト、スーサイドクリフと見てきました。

戦争の影さえなければ素晴らしい景勝地です。

崖の上から眺める群青色の太平洋、崖の下では打ち付けられる荒波で真っ白なしぶきがあがっています。空に浮かぶ白く輝く入道雲。

しかし1944年7月8日に追い詰められた婦女子や老人たちがアメリカ兵の制止の声を振り切って次々と断崖から身をなげたそうです。死者は1,300人。

サイパン、テラニアン島の約3万人いた旧日本軍は壊滅状態、民間人も約1万人がその命を落とした訳です。

当時飛行できる距離が短かった爆撃機はサイパン、テニアン島の陥落で日本への本格的な空爆を開始することができるようになりました。

そして1945年8月サイパンのすぐ横の島テニアン島を飛び立ったB−29爆撃機エノラ・ゲイに搭載した原子爆弾が広島、長崎に落とされました。(リトル・ボーイ、ファットマン)

つまりサイパン、テニアン島が陥落した時点で日本の敗戦は決まったといっても過言ではないでしょうね。

当時アメリカ兵に捕まって辱めを受けるぐらいなら、自決しなさいと教育を受けていた訳でその教育の為に多くの日本人が命を落としました。

その話を子供達にすると「そんなの捕虜になればいいじゃん」と言いますが教育はそれほど影響を与えているものだと過去を振り返ると良く分かります。

話は変わりますが阿部政権が目指している教育改革は是非行って頂きたい。教員免許の更新制や学校の外部評価。子供の教育ほど大事な事はないのではないでしょうか?  

サイパン旅行記パートV(第2日目午後編)

さて今度はサイパン島の南を目指します。

海岸線にはビーチ・ロードそして一歩山側にミドル・ロードと呼ばれるメイン・ロードがあり、これを使って軟化、もとい南下。

所々にPokerの看板があり、サイパンの人達はポーカーが好きなんですかねぇ?

途中サイパン最大のスーパーマーケットのJoeten Shopping Centerにて買い物。サイパン最大と言っても、日本の街中で見かけるスーパーマーケットより規模が小さいですよ。

とりあえず、水、缶ビール(バドワイザー)×6本、それから翌日の為の魚肉ソーセージを購入。

目を引いたのがお肉の安さ。ビーフの塊が(10×10×50cm)たったの6$。

次は日本製品が豊富なエビスヤへ。

翌日の朝食とランチをどこかで買わなければいけないので、とりあえず偵察。店内で焼き上げているパンや、サンドイッチ、種類豊富なお弁当などで気に入りました。

日本製の食料品も多く空輸で来るのでしょうか?

ここで目を引いたのが茹でたこの足3本が$6。

ん?と思いました。巨大なビーフの塊が$6、茹でたこが$6

日本の常識でいけばビーフの塊があきらかに割安ですが、ここは自治領とは言えアメリカ合衆国日本の常識は通用しません。

つーか多分関税の関係と空輸代で割高なんでしょうね。

次はディナーを予定しているレストランAJ‘s Restraurantの下見。

でエビスヤの駐車場を出ようとした時に、左から来る車と右から来る車とがあり、どの車も駐車場に入ろうとしていて慌てて駐車場から出ようしたら、ついいつもの癖で左車線に入ってしまって前から来た車と鉢合わせ。

もう少しで正面衝突するところでした。

隣の助手席で息子が「もう嫌だー。」と喚いていましたが無視。考えながら運転しているのですが瞬間の判断は日本の癖がでてしまいます。

その後幹線道路に出るたびに『右、右、右。』とあたし以外が大合唱で、車内はうるさいのなんって勘弁してほしぃーーー。

運転してみると、交通標識がうまく読み取れません。

一方通行(One Way)出口(EXIT)入り口(ENTRY)を読み取らなければならず、もともと英語を聞いていても英語→日本語(hearing)、(answer)日本語→英語という思考回路です。

それを小さな標識や店の看板を読み取りすぐに反応してハンドルを切らなければならないのですがどうしてもワンテンポ遅れてしまいなかなか難しいなぁが感想です。

さてそれやこれやで南部探索も終わりビーチ・ロードを経てガラパン地区に戻りました。

お昼は和食のお店【ふるさと】あたしはカツ丼お肉がやや堅かったですが、味は日本人用にあわせてあるので問題なし。その後ABCマートによって水着を購入。

今まで長年使用してきた水着はゴムが伸びきり、飛び込みでもしたらスッポンポンになってしまいギャラリーが喜びそうなのが悔しいのでゴミ箱に。

午後はビーチで泳ごうと出掛けてみたら、だだっ広いビーチ、何キロも続くビーチの一角に25m四方のブイが浮いていてその中で泳げとビーチボーイが言っています。

ホテル前のビーチにはマリンスポーツの受付カウンターが乱立していて全部で7ありました。

受付カウンターと言ってもテントが立てられていて持ち運びできるカウンターとイスが置いてあるだけの簡単なもの。

それぞれがライバルで客引きが凄い。大体言っている事は『ホテルのカウンターは高い。安くやります。人数多いならもっとディスカントよ。』

25m四方の区画があるのはモーターボートの離発着やジェットスキーなどが走り回っている関係で危険だから区画をつくりましたとの事かなと?

うがった見方をするとあれはツアーの連中が共同で狭い区画をつくりわざと泳げないようにしておいて、自分たちの商売(ツアー)を有利なように進める為の戦略ではないかと。(笑)

あたしらは檻に入れられたクマ状態。

しかも藻が密生していて白濁りであきれ果ててしまいました。仕方がないので炎天下ふらふらとした避難民になったあたしと息子はホテルのプールに戻り遊んでいました。

プールサイドにはリクライニングチェアーがありひと泳ぎしたあとはごろりと横になっていました。

時々プールのほうから歓声が上がったりしています。白いビキニの女の子達がビーチボールで遊んでいて、目を細めながら見ていました。

ふと横の息子を見ると寝たふりをしているそのサングラスの中の目が見ていたような見ていなかったような・・・。

昔は白の水着は透けて見えるからと着用されなかったのですが、透けない素材が出来たとの事で最近は白が増えましたね。

プールでは4時過ぎまで遊んでいました。

その後部屋に戻りお風呂に入ってお出掛けです。

夕食をどこにするか、まだこの時点で揉めていました。

ホテルのジョイフル・ディナーショウ。プールサイドでバーベキューにさまざまなダンスが繰りひろげられます。しかしフラダンスは盆踊りみたいなもので、あたしは新婚旅行の時にハワイで見ています。

ファイヤーダンスは迫力がありますが一番の問題は一人あたり$45のコスト。

それ以外には昼間に下見したAJ‘sとホテル前にある魚料理のココナツ亭。

AJ‘sは昼間事故を起こしそうになった為、あたし以外が反対票を投じた為却下。

よってココナツ亭に決定してぶらぶら歩いて出掛けました。

ホテルを出てココナツ亭までわずか50mぐらいですが、韓国マッサージの女の子が次々に声を掛けてきます。

「$70で気持ちいいよ。マッサージはいかが?」

その声を振り切ってココナツ亭まで驀進します。

でわずか1分で到着してみたら、電気が消えていて無人の気配。

入り口に本日は定休日の日本語の看板。あちゃーやってしもうた。

そうなるとAJ‘sしかありません。

送迎もあるのですが電話で予約を入れて打ち合わせするのが英語ですし(グアムでは予約、送迎をお願いしましたがチップとか車の中の会話とかやはり面倒)、通訳の息子もあてにならないので、カミサンは送迎してもらってとうるさかったのですがレンタカーで強引に出掛けました。

今回は運転が2回目ですし道路も覚えているのですんなり到着しました。

昼間見たAJ‘sは波打ち際近くの林の中に立てられた薄汚れた建物だなぁと思っていましたが、夜薄暗い店内のテーブルに置かれたキャンドルの火がムーディーでまるっきり雰囲気が一変していました。

店外にはオープンエアの席もあり恋人と過ごすには最高のシチュエーションですがあたしらは5人の団体さん。(笑)

グアム旅行ではあまりにも一皿の料理の量が多すぎて食べ切れなかったので、とりあえず一人$20〜30の予算でアラカルトにオーダーを出してみました。

まず最初の一品スライスしたパンを持ってきてお皿にオリーブオイルとバルサミコ酢を入れそれに浸してパンを食べてと、これは一口。

次は海老のガーリックバター焼き(オリーブオイルとバターににんにくと赤とうがらしの香りを移し海老をフライパンで焼き上げたもの)本来は一皿を一人で食しますが1皿に5匹乗っていたので一人1匹ずつで【あっ】つうまに食べつくしました。

次はバスケットに入っているパンの大盛り。これも欠食児童みたいにがつがつと食い散らかします。

次はエスカルゴの香草焼きでこれも一皿に6匹ありましたが一人1匹の一口。

バリッと糊がきいた白のシャツに黒のロングスカートに腿までスリットが入っていてなかなかセクシーなユニフォーム姿のウエイトレスさん日本のちょい悪親父の魅力にくらくらして虜にされたのか、日本の貧民がやってきて1皿を5人で分け合う姿にあまりの事と哀れんだのか、ウインクしながらバスケットにもう1回パンを山盛りにして「サービスです。」と持ってきてくれました。

次はボンゴレ。そしてシーフードピザ、そして最後に白身魚のクリームソースがけ。

最後の締めはアイスクリームとコーヒーで一人あたりの平均値は$22。

全ての料理のオーダーは一人前です。このレストランにとって多分珍しい部類のお客さんだったのでは。

子供らの評価は雰囲気が良く料理も美味しく「good」だったそうで、めでたしめでたし。

さて帰り道、夜外国の見知らぬ土地を運転するのが嫌だなぁと思っていましたが逆にその緊張感がよかったのかどうってことなくガラパン地区に戻ってきました。

ホテルの手前にDFS(免税店)があるので寄ってみました。

時間は1時間と区切って自由行動。DFSは嫌いです。女性陣がいるので仕方なくお付き合いです。

あたしは一巡りしたらソファーでずーっとボーっとしていました。



することがないのでそういえばDFSの裏に焼き鳥のお店があり1本$1で美味しいとガイドブックに書いてあったのを思い出して寄ってみましたが、閉店していました。残念。

その後ホテルに戻り就寝。  

サイパン旅行記パートW(第3日目午後3時編)

朝7時起床。

ゆっくり体をほぐしてゆきます。途中息子を起こして『どうだ寝れたか?』と聞いてみたら「ぐっすり。アイ・ポッドで音楽を聴きながら寝た。」とイビキ対策をしたとの事。

なるほど人間は問題があれば工夫するもんだなと、とりあえず原因については棚上げして感心しました。そうだ次回は耳栓を購入しましょう。「あーちみ。うるさいからベランダか廊下で寝るべし。」と言われても困るし。

8時にレンタカーにて出発。昨日訪れたススベ地区のえびすやへ。

店内に一歩入ると人で溢れていました。皆さんこれからツアーに出掛けるのでしょうか?う〜ん、やばいなぁ〜。

見ている間に手が伸びてお弁当がどんどん無くなってゆきます。あわてて焼き飯と親子丼、巻き寿司、あとはパンを購入しました。

で店内にあるテーブルで朝食先程購入したものから好きな物を食べてもらって残りはランチ用に持ってゆくことにしました。あと水とサラダとマンゴージュース4本を購入。

昨日10時前にレンタカーを借りたので帰りの足でレンタカーを返却。

歩いてホテルまで帰りましたが、ホテル前に1m幅の下水道があり、サイパンでも下水はドブ川になっちゃうんだなぁと見ていたらそのドブ川にたくさんの魚が泳いでいます。

これから沖にあるマニャガハ島にシュノーケルに行く予定ですが、息子に『あーちみちみ、マニャガハ島まで行かなくてもここでシュノーケルはできるよ。』と振ってみたら「いやー、そんな面白そうな事ちみに譲るよ。」となんとも親思いな返事。

9時40分、ホテル前ビーチにあるマリンスポーツの受付カウンターにて受付。

シートとアイスボックス、フィン、シュノーケルセットをレンタル。これだけの荷物を持ってぞろぞろ歩いていると浮浪者の引越しの集団。@一人$50

しばらくしてビーチから出発です。

ヤマハF−22に140馬力のエンジン,エンジンカバーには大きな穴が開いているし、ボートは相当年季が入った代物ですがここはサイパンまっいいか。

ボートの後ろにバナナボートが牽引してあってそれに乗り込んだらすぐに出発です。

オーバーパワーのエンジンで引っ張られるバナナボートは荒馬みたいで先頭に乗っている息子は体がかなり激しく上下していて振り落とされそうで笑ってしまいました。

10分ほどでマニャガハ島の桟橋に到着、入島税$5を支払って上陸。

桟橋から見ているとサイパンからマニャガハ島まで1本の高速道路ができているみたいに次から次に小型ボートから大型船が行き来していて過密状態でした。

とりあえず場所、日陰は人で溢れていましたがなんとか椰子の木の木陰を見つけてシートを敷いて確保。

スタートが遅れた関係もありますが、人が溢れているこの島はサイパンにとってはドル箱なんでしょうね。

すぐにシュノーケルを手にビーチに。やはりここでもブイが浮いていて区画が作られています。

ビーチ際は白いサンゴの砂でサヨリやダツが見えるくらいでしたが沖にサンゴ礁があり、そこに魚達が群れていました。

しかし少ないなぁが印象。狭い区画の中にたくさんの人間を押し込もうとするとそりゃ魚達は逃げてゆきますよ。

そのうちランチタイムで塩辛い体に甘いマンゴージュースがなかなか美味しかったですよ。(最近は日本でもマンゴーブームだそうですね。)

ランチタイムの後、島の反対側に行ってみました。北よりの風が吹いている関係で波が打ちつけられていましたがたいした波ではありません。

韓国の人達が大勢いてお仲間に入れてもらいました。波打ち際からすぐにサンゴ礁で無数の色とりどりの魚達が泳いでいます。

すぐに息子と娘を呼びに行ってついでにソーセージも持ってきました。

海面近く群れで泳いでいるのがサヨリ、サヨリの倍の大きさのダツ。サンゴを啄ばんでいるのがカワハギ、キンチャクダイ、それからヤガラ、アイゴ、ロウニンアジの姿も見えます。あとは名前がわかりません。

ソーセージをばらばらにほぐして水中に漂わせるとあっというまに無数の魚達が目の前に集まってきました。お金持ちが万札を空中高くばら撒いてキャバレーで豪遊している気分です。

なにか表現がおかしい?

たくさんの魚が集まってきたのですが、気がつくとアイゴが大群でやってきました。

サンゴに住んでいるアイゴは黒、砂浜に住んでいるのは白のまったく同じサイズが入り乱れて体の周りを取り囲んでいます。

このアイゴ釣り人は良く知っていますがヒレに猛毒を仕込んであり刺されでもしたら3〜4時間は腫れ上がり猛烈な痛みに耐えなければなりません。

ひぇ〜てな感じで子供らを見たら、息子がソーセージを握り締めてその先端を魚達に食わせていました。

アイゴは遠巻きにいるだけ。

なるほどさっそく真似てみたら数種類の魚だけが食べにきますがアイゴは来ません。

ソーセージにがつがつ食われる感触がありまるで自分の指を食べられているような感触、特にヤガラは猛突進してきてソーセージにドーンと鼻先をぶつけて齧ってゆきます。

そのうち試しに目と目と真ん中にソーセージを持っていってみたら3〜4種類の魚だけが恐る恐るですが食べに来ました。

こいつらはチャレンジャーなのか恐怖感がないのか魚にも個性があり面白いですね。

1時間ぐらい遊んでいましたがなかなか楽しかったです。

帰り際波打ち際の看板を見たら【Don’t Swim】で吹き出しました。

今マニャガハ島を思い出しながら書いているのですが少し杞憂があります。

例えば数年後あなたがサイパンを訪れてマニャガハ島に出掛けたとします。綺麗なビーチからじゃぼじゃぼ海に入ってゆきますと、足元には無数の魚達が集まってきて真っ黒くなっています。

そのうち足の指先にちくっとした痛み、それを合図に一斉に魚達が興奮状態であなたの足元は飛び跳ねる魚から背びれを立てて泳ぐ魚からでばしゃばしゃ音が出ています。

しばらくして変だなぁと、あなたが引き上げた足は海面から下の部分は白骨化した骨になっていた。

その原因を探ってみたら2007年2月1日に訪れた日本人観光客の与えたソーセージの味を覚えた魚達のDNAが変化してピアニア化したなんて言われたらどうしよう。

PM1時20分に迎えのボートが来る事になっています。コンクリート製の桟橋の上で待とうとおもいましたが、強烈な陽射し、皮膚は強いほうですが紫外線が日本の4倍でさすがのあたしも退散、しばらく小屋の日陰で待っていたらボートがやってきました。

次から次にボートが来ますので飛び乗るように撤収。次は沖でシュノーケリング。

運転とサポートのチャモロ人(どちらかと言いますとフィリピン系)なかなか陽気で

「この海サメイッパイいるね。・・・でも大丈夫サメは今お昼寝タイム。」おいおい。

「ソーセージ2本あげるね。3本目は自分の出してね。」やっぱり。

「海の中にいるあたしの友達のニモ君によろしく。はい、いってらっしゃい。」

でドボーン水深10mの世界ですが10m横にサンゴ礁がありそこは水深が3〜4mぐらいしかし本当にお昼休みで魚達の姿が薄い。

しばらくサンゴ礁の周りで遊んでいましたがつまらないので早上がり。

ボートに上がるとボートに残っていたかみさんと御母さんが話ししたみたいで「お父さん。ボートの仕事してる?このくらいのボートどのくらい?前に$15,000ぐらいと言われた。どう?」

$15,000と言う事は180万円ですので日本でなら相当いいボートを買えますが問題は運賃、かつて石垣島にボートを送る為運賃を調べたら50万円ぐらいかかりますと言われてお客さんがあきらめた事があります。多分コンテナが港に見えたので運賃だけで100万以上はかかるのではないでしょうか。

『ボートはもっと安いよ、問題は運賃。』と言いたかったのですが問題はその運賃の英語がわからないのが問題でうまく伝わりません。

その後本来海水が入らないエンジン側の取り付け部分が海水でザブンザブン洗っていたり、エンジンを始動しても上手くかからなくて直接エンジンをいじくって始動したりで大丈夫かなぁとだいぶ不安になりましたが無事帰港。  

サイパン旅行記パートX(最終日)

毎週木曜日PM6時よりホテル前の通りでガラパン・ストリート・マーケットが開催される事を調べてあったので当日の夕食はここしかないと決めていました。

日本のお祭りや、正月に神社の中で屋台が軒を連ねている状態と同じ。アクセサリーや野菜も売っていましたが、ほとんどが食べ物の屋台。

特に中華料理が多くひとつの屋台で何十種類の料理が軒下に陳列してあります。屋台の後方では炭火でがんがんお肉が焼かれていてもうもうと白煙が上がっていました。

香ばしい香りがあたり一面に流れていてその匂いだけでお腹は臨戦態勢。だいたいの屋台が$5で7品をチョイスできますと書いてあります。

しかしここは慎重に行こうと考えていました。まず2〜3人前購入し、すると品数では最大21品になるので、試食して美味しい物又は新しいお店で改めて購入すればいいなぁと考えていたのですが、お腹が空きすぎで皆気がせいていたのか、知らんでいるまに4人前も購入してきてしまいました。

仕方がないなぁー。

すぐ近くのレストランで飲み物を注文すれば屋台のお弁当を食べていいですよと張り紙がしてあったので入店してビールを注文。

缶ビール$2、生ビール$3でしたので迷わず生ビールを注文。喉がからからなので【カンパ〜〜イ】でごくごく喉に流し込みました。

うっ、


・・・・・・・・・・・不味い。・・・・・・なんで?

この味はあきらかに缶ビールの味。

考えてみたらサイパンにはビール工場がありません。ビールは全て輸入。

つまり缶ビールをプシュと開けてジョッキに注ぎ込めばあ〜〜ら不思議生ビールに変身。

カウンターの向こうでしゃがみこんで注いでいるのか厨房で注いでいるのか差額の$1は手間賃とジョッキの洗浄代といったところでしょうか?目の前で注ぎ込んでもイインダヨ〜〜〜。

それではと気を取り直してお口直しにお料理を食べましょうと、まずは焼きたてのスペアリブからがぶり


うっ、

・・・・・・・・不味い。・・・・・・・・なんで?

それではと次の北京ダックをパクリ
うっ、不味い。

それでは酢豚。
不味い。

それでは餃子。
不味い。

それでは串に刺された牛肉。
不味い。

う〜んどうにも舌に合いません。何が不味いかと言いますと全てがあまりにも甘いのです。

家族中が持て余し気味で少し食べては顔を見合わせていましたが、結局食べきれずに残してしまいました。

ホテルに帰ってからしばらく考えていたのですが、国民飲料なるものがあります。

つまりその国で1番飲まれている飲み物。日本、中国は緑茶、アメリカはコカ、おフランスならカフェ・オレ、イギリスなら紅茶、ドイツならビール。

それでは国民調味料なら日本は醤油(海外に出てみると良く分かります。そしてあたしはやっぱり日本人なんだと思います。)韓国なら唐辛子。

それでサイパンは砂糖ですかね?1914年以降に日本人によってさとうきびの植栽によって精糖業が一大産業になったそうです。

大豆は育たないわけですから醤油(ソイ・ソース)は日本、中国からの輸入物。輸入物は一般的な調味料にはなりえません。

一般家庭で日常茶飯事的に使われているのが砂糖とやし油かなと想像してみました。

この屋台の出品者が一般家庭のサイパン人なら、朝から1日がかりでお料理に精を出していたと思いますがその調味料はヤシ油であり砂糖が主体ないのかな?


夕食に失敗したあたしは傷心を抱いたままプールサイドから聞こえてくるディナーショーの音を聴きながら翌日の帰国のために荷物のパッケージをしていました。

息子はそのままマーケットに居残りその後始まったハワイアンからストリートダンスを見ていたそうです。

ずる〜〜い。知らんかった。なんて薄情な・・・。いけず、つねっちゃうから。

(第4日目)
AM4時半起床いよいよ帰国です。

6時にピックアップで空港に、セキュリテーチェックはどうってことはなかったですが靴を脱がされてX線で透視したのは、かかとの部分に危険物を仕込まれる可能性があるのでしょうか?

待合室のフードコートで見ていたら缶のコカが$4(480円)でうどんみたいなラーメンが$8(960円)で溜め息がでそうでした。

AM8時35分サイパン発セントレア到着がAM11時15分でした。


(サイパン旅行記を終えるにあたって)
サイパンは戦争の傷痕が今もって残っている島でした。

空向く対空高射砲、大砲、壊れた戦車、沈んでいる沈船、トーチカなど。

あたしがまだ小学生だった頃には遠州灘の海岸にはコンクリートで作られたトーチカがありそれがどんな意味を持っているものか知らずに無邪気に遊んでいた記憶があります。

数年後に気がついたら片付けられて何事もなかったようにただの砂浜に変身していました。

おそらく日本全国どこでも(広島とか長崎とか特殊な場所は除いて)そんな風に汚れたテーブルの上の料理は片付けられ、魔法みたいに真新しい真っ白なテーブルクロスが掛けられて何事もなかったように新しい日本に変わったのではないでしょうか

。そして日本の経済復興が始まり高度成長期の中に突入してあたしらの世代は戦後派、もう少し後の世代は戦争ってなに?の戦無派、今の若者にとっては戦争って遠い昔話の世界なのでしょうね。

サイパンは経済が許さなかったから戦争の遺物が残ったわけですが、しかしそれが幸いしたのかいつしかそれが重要な観光資源になり現在に至っている訳です。

【北マリアナ諸島の主な収入源は観光産業です。年間の平均観光客数は45万人に上り、日本人はマリアナ諸島を訪れる観光客全体の70パーセント以上を占めています。】

これが書かれたのがいつかわかりませんが、グアムの時にも感じていたのですが随分と韓国の人達が増えたなぁと思っていましたが、5年経ったサイパンではさらにその比率が増えておそらく今では韓国の人達のほうが多いのではないでしょうかね?

バブルが弾けて失われた10年の日本と経済成長著しい韓国、この小さな島(伊豆大島の2倍の大きさ)の観光にも色濃くその影響はあるみたいに思えます。

マニャガハ島は素晴らしかったですが島一帯は魚の保護区になっているそうでお魚も実は立派な観光資源。

つまりサイパンの経済は観光とそれからサトウキビなんででしょうか?(サトウキビ畑は1回も目にする事はできませんでした。)

ほとんどの物資が輸入で当然運賃の部分かさ上げされますから缶コカが460円なんて数字になります。もっとも空港と言うと特殊事情もありましたけど。

ホテルの女性用トイレには木箱がありそこに使用済みのトイレットペーパーが流されずにうず高く積まれていたそうです。

水が貴重である事とサンゴ保護の為にろ過した水を出来るだけ海岸に流したくないのではと推論してみました。

日本の常識は外国では非常識、一体なにが常識なのか?

ひょっとすると始めから常識なんてものはなくて思い込んでいるだけかもしれませんね。

日本を離れて改めて日本を見てみると目新しい発見があり大変面白かったです。

この旅行記をお読みいただいた皆様、かなり独善的にまた偏見に満ち満ちた文章でしたがお読みいただきありがとうございました。

また次回いつになるかわかりませんがぼろぼろの体が無事に動くようでしたら是非出掛けてみたいなぁと思っています。

(後記)
空港に到着して駐車場までの迎えの車を寒さに凍えながら待っていました。

そうだお昼は知多半島の先端で温泉に入って魚料理もいいよなぁー。

迎えに来た車の運転手さんに『どこかお薦めの所はないですかね?』と尋ねてみたら

「それならマルハ食堂がいいよ。」との事でさっそく出掛けてみました。

茶色く濁った温泉に入りハマチの刺身、シャコの釜上げ、海老の塩焼き、茹でかに、たちの塩焼き、エビフライ、味噌汁、香の物、ご飯と食べたら、あーやっぱりあたしは日本人のDNAが流れているんだなぁと実感しました。

これだけの料理でなんと2,500円安い、しかし出発する時に空港で食べたマルハ食堂も同じ経営でしたがこちらはかなり割高。空港という特殊な立地条件がからんでいるのかもしれませんね。


(後記の後記)

ホテル前にあったネオンサイン【TAKAKUNAI銀センター】

一見怪しい店名ですがガイドブックにも掲載されていました。

あまりにも怪しいのが逆に新鮮。