2月23日から28日にかけてニューカレドニアに行ってきました。
プロローグ(序章)
息子がいよいよ長かった大学生活を終え就職が内定したので去年のうちから卒業旅行を計画していました。

おそらく今後ある程度の日数で海外へ脱出することは不可能になることと、去年の10月くらいから始まった信じられないくらいの円高でチャンスと考えました。

フィジー、タヒチ等南太平洋に行ってみたいなといろいろ下調べしていましたが南太平洋は2月頃は日本の正反対の夏ですが雨季で日本の梅雨(7月)の2倍の降水量があるなど、そりゃあ無理だなーと思っていたら唯一ニューカレドニアだけは日本の5月の降水量なみでここしかないかなとある程度絞って考えていました。

しかしまだ去年のうちは随分と旅行代金が高くていくらなんでもこれじゃあ行けないなーと…・。

ところが正月H・I・Sさんがお年玉セールで3分の2ほどに設定した旅行代金を出してきた為思い切って行ってみるべと決意。

ともかくひたすらネット(MIXIとアクアさんのサイトで勉強)そして地球の歩き方の本(今回は図書館になく購入)で情報収集。
ネットの情報は本当に参考になりました。紫外線が日本の3〜4倍、日焼け止めやシュノーケル用にラッシュガードを購入、蚊が殺人的に多いのでムヒ、蚊よけスプレー、蚊取り線香それから物価が高いのでカップ・ヌードルを持っていったほうがいいです、などの情報はすべてネットから得ました。

下調べに下調べを重ねてもうこれ以上はない状態までして旅行当日をお迎えましたが、それでも旅行中は大なり小なりハプニングがあり困ったり頭を抱えたり。




芭蕉は旅と人生を重ねた旅行記を書きました大上段に構えるなら旅は人生そのものと言えるのかもしれません。起承転結、喜怒哀楽、旅は道ずれ世は情け、南無阿弥陀仏などと煙に巻いてみたところで旅行記に移ります。

第1日目
前日お酒をたらふく飲んで9時に床に就きました。
明日以降の旅行の事を考えるとテンションはあがりますが移動時間の事を考えますとテンションは下がります。ひたすら寝ておかないと体が持たないと判断して早めに床についたのですが、なんのことはない0時半に目が覚めてあとは眠れなくなりました。
仕方がないので3時に布団から抜け出して固まった体をほぐしていました。
長年の腰痛の為ストレッチは毎朝の日課ですが時間が十分あるので念入りにしていました。
AM4時半息子を起こします。
普段なら1〜2時間以上かけないとなかなか布団から抜け出せない息子は1発で起きてきました。
前日に「起こしても起きなければ捨てていく。」とおどしをかけたのですが
息子氏いわく『俺は旅行の日だけは1発で起きるから大丈夫。』と安心な返答をしていました。
しかしなにかががおかしいッス。なんでやろ?(笑)

AM5時50分かみさんに弁天島駅に送ってもらって始発6時16分東海道本線豊橋行きに乗りました。
行き先は関西空港。
何故関空なのかと言いますとセントレアからNC行きは出ていなく、また成田ですと日本に帰国した日、時間的に新幹線の最終に乗れなくて東京で1泊せざるを得なくなり滞在日を1日延ばしても関空から出発したほうが経済的と判断したためです。
豊橋からこだまで京都まで、さらに京都からはるか11号に乗り換えて一路関西空港まで到着は9時33分。
フライトは11時50分で空港には2時間前までに来てくださいとのことで、この始発しかありませんでした。
関が原が大雪だった場合は前日大阪ステイも考えていましたが天候も問題なくクリア。
空港ではコート(1,400円×2)を荷物一時預かり所に預けたり、うどん(きつねうどん570円、ざるそば500円)を食べたり、電化製品屋さんに行ってコンセントのプラグを購入しました。

NCは電圧220ボルトですがカメラや携帯の充電器には100〜240ボルトの変圧器がついていますのでコンセントが合いさいすれば簡単に使えます。ところが電気屋さん表示のNC用のコンセントを購入しましたが、なんのことはない現地では形状が違っていて使用できませんでした。(怒)

であっちゅうまに時間が迫ってきて、セキュリテイー検査、出国審査そして搭乗ゲートへ。

関空は大きい為かゲートへは無人モノレールで移動でした。
さて待合室に入ってみると人であふれかえっています。よく見ると5〜6割がたはフランス人でしょうか。
フランスから関空トランジットでNCに向かうんですね。
一体何時間飛行機に乗るのか調べてみたらパリから関空まで約12時間関空からNCまで8時間半。飛行時間だけで21時間半あとトランジットの時間とかホテル、自宅までの移動時間を考えますと軽く丸1日をオーバーしますね。
腰が弱いあたしはため息がでますがフランス人にとって暗い曇り空のパリよりも陽光きらめくNCは魅力的なんでしょうね。
ゴーギャンが楽園を夢見て渡航したタヒチみたいなものでしょうか?
しかし待合室に居たフランス人達は無表情で押し黙っていましたが、やはりややお疲れ気味?

飛行会社はエア・カレドニア・インターナショナル(エア・カラン)11時50分定刻通りの離陸でした。
離陸して水平飛行に移るとすぐにお昼の機内食がでてきます。
ワインは飲み放題ですがあたしは0,9気圧の気圧が頭痛を引き起こした苦い経験があるため、アルコールはご法度。

シートの裏面にパーソナルテレビがついているので映画鑑賞やゲームができます。
暇なので2本映画を鑑賞していました。




ハムナンプル3
前作、前前作と同じようにミイラとの戦い。しかし今回は中国の兵馬俑。
柳の下のドジョウを狙ったのかでストーリーはまったく同じ時間つぶしに丁度よし。
ウォンテッド
アンジェリーナ・ジョリーナはさすがに年を感じます。ただ分厚い唇が昔の女優ソフィアローレンを彷彿させて面白かったですね。
唇は肉感的な印象がありました。つーか唇が性的でセクシーかつ卑猥でした。やはり魅力がある女優です。
映画は面白かったですよ。
時差は2時間でトントゥータ空港に現地時間PM10時35分着(日本時間8時35分)。
タラップを降りていくと南国特有のむっとした暑さです。長袖は腰に巻いてシャツは腕まくりして入国審査。次に息子氏に荷物のピックアップを頼んであたしは両替所へ。
両替は40,000円現地通貨はフレンチ・パシフィク・フラン(CFP)。
交換レートは1円=1,05フランぐらいですが
頭の中では1円=1CFPと考える事にしました。両替が終わって息子氏の所に行くとまだ荷物がターンテーブルに出てきていませんでした。
そこから長い。いつも思うのですが旅は移動時間が苦痛です。どらえもんの【どこでもドア】が欲しい。つーか4次元ポケットがほしい!(笑)
荷物をピックアップしてようやっと送迎用のバスに乗り込み50分かけてホテルがあるアンスバタへ。

ホテルの部屋のドアノブに手をかけた時やれやれ長い1日が終わったなと安堵しましたが、…………ドアを開けたらWベッドが目に飛び込んできました。
あっちゃーシングルベッド二つでとリクエストしておいたのに何で?
仕方がないから疲れていたのでそれぞれ端っこでベッドに入りましたがスプリングが効いたベッドなので息子氏が寝返りを打つたびあたしのいる反対側のベッドがボヨンボヨン揺れてとても眠れません。
またまた仕方がないので床に下りて寝ましたが今度は床が固すぎてやはりよく眠れなくて大変な1日は永遠に続くのでした。

勘弁してよ。(笑)




第2日目
鳥の鳴き声で目が覚めました。ぼわ〜んとした頭の状態で半覚醒状態です。しかし予定があるので体をほぐしてシャキットさせます。

久し振りの休日くらいゆっくりしろよと言いたいところですがそこは日本人のDNAを持っている貧乏性です。
まず最初にフロントに出向き日本人の女性スタッフに昨日のWベッド事件の話をして
シングルベッドが二つの部屋に交換できないか相談してみました。

『男二人にWベッドでは困りましたね。
とりあえず今日はエキストラベッドを入れて3日目以降に部屋を確保しますね。』との返答でした。それでやれやれ一安心。







朝食は散歩がてらシトロン湾ショッピングセンターの中のパン屋さんへ。

ショッピングセンターですがレストランが多くお店の外に半開放的なオープンエアー席があり頭上はテント地の屋根があるのですが周りはオープンで夏の風が通り抜けます。








でも雨の場合には透明なビニール地を簡単に下ろせるようにできていました。ツナのサンドイッチと焼きたてのとろけるチーズが乗った食パンを食べましたがこれは美味しかった。大きな美味しそうなクロワッサンも売っていましたが明日以降また来ればいいやと見送りましたが結局2度と食べる事ができませんでした。まあそんなもんやね。
一旦ホテルに戻って水着に着替えて海岸べりにあるロジェ・ラロック散歩道をぶらぶら歩いていると木陰やビーチではフランス人やメラネシアンが肌を焼いていたり、昼寝や本を読んでいたり、泳いでいたり洗練されてはいますが晴れた日本の夏のビーチと同じ光景です。
車道では猛スピードで競技用自転車が走ってきます。
離島からの帰りの飛行機では前のフランス人が手荷物に自転車の替えタイヤを持ち込んでいたのには驚きました。マイ・タイヤ?
ツール・ド・フランスがありますのでフランス人は自転車好きなんですかね?

散歩道の中間に小さな小屋がありタクシーボートの発着地。チケット(往復で1,000CFP×2)を購入しばし待っていると黄色のペイントを施されたボートが出現。じゃぼじゃぼ海水に入っていって乗り込みます。エンジンはと見るとおースズキDF2004サイクル。
思わずI am marine engineer.と叫んでいじくりたくなりましたが、壊すと怒られそうなのでやめました。(笑)しかしヤマハ、トーハツ、スズキと日本製の船外機が多くて日本のメーカーは頑張っていますねーーーーー。



5分でカナール島到着。強烈な日差しなので絶対必要なパラソルとチェアーをレンタル(1,800CFP)タクシーボート代はお安いのねと思いましたがなるほどこちらでしっかり商売しているのね。(笑)
-すぐにシャツを脱ぐのももどかしく海に飛び込みました。
波打ち際ひざの深さぐらいの所からシュノーケルで海中を覗いていると色鮮やかなカワハギやベラ、ブダイ系が海底に口がつくように尻尾を上げて珊瑚をがりがりかじっています。表層にはサヨリ、ダツ、鬼カマス、ヤガラがゆうゆうと泳いでいて、ヒラアジ、サバ系の青物は大群で泳いでいました。


サイパンのマガニャハ島も魚が濃い状態でしたがこちらも負けず劣らず多い。一つ大きな違いはだんとつにこちらは人がいません。お客さんは20人にも満たない状態でした。
だからより自然に近い状態なのかもしれませんね。
20分ぐらい泳いでいたでしょうか。荷物係りの息子氏とタッチ交代です。
息子氏が「ラッシュガード着ないの?」すっかり忘れていました。
慌てて伸縮性のナイロンの上着を着ましたがそのわずか20分で日焼けしてしまい、夜シャワーの時に背中がひりひりして痛かったです。恐るべしNCの紫外線なにしろ日本の3〜4倍はあるそうで油断すると赤くなるどころか水泡までできて大変な事になるそうです。
AM1時が迎えのボートが来る時間でその前にもう一泳ぎしました。今度は本当の波打ち際水深20cmくらいの世界を覗いてみますとイワシ系の魚が群れになって泳いでいます。





時々ヒラアジ系のフィシュイーターが深いほうから浅いほうを伺っているのが見えますが襲ってくる気配はなくやはり朝、夕方、夜みたいな条件の時にスイッチが入るのかなーと思っていました。
で時間になったので帰りのボートを待っているとそのヒラアジがいきなりスイッチが入ったのか波打ち際水しぶきを上げ猛スピードでイワシ達を襲っていました。
さてアンバスタに再上陸。まだお昼を食べていなかったので情報を聞きがてらおみやげショップのアクアさんへ。日焼けした肌を癒してくれるタマヌオイル(1,000CFP)を購入。


お店にはかずこさんがいたのでお勧めのレストランを聞いてみたら「2時までレストランは開いていますが1時にオーダーストップになりますのでもう時間的に無理ですわ。」

あっちゃーガイドブックに書いてある2時までってそういう事。がっくし。

仕方がないので近くのスーパーアセアニアへ。

お弁当の炒飯、豚の甘辛煮弁当、ネム(ベトナム風春巻き長さは30cm)、鳥の串焼き(串の長さは25cm)NO.1ビールを12本、、チーズ、サラミ、生ハム、コーラ、マンゴージュースと明日の離島の事を考えて購入。




オセアニアの表看板は日本語でマーゲトになっていました。ッがおかしい。
他のレストランですが中華料理の理が里だったり、空港の看板が【ようこ Welcome】
ようことは何ぞや?女性の名前?多分最後のそを書いてないんじゃあないかとの結論になりました。息子氏が言うにはわざと間違えて日本人の気をひく新しい発想の看板ではとうがった意見を言っていましたが…。なるほど確かにあたしは簡単に釣られました。(笑)



芝生で昼食を食べようと思っていましたが箸がない為ル・サーフ・ホテルまで戻って昼食。
炒飯、サラミ、生ハムは安全。チーズはパッケージを少しだけ開けた瞬間息子氏に「あのさー君、おならした?この狭い空間で」と聞いたほど臭いはデンジャラス!
一応食してみましたがあたし的には美味しかったですが息子氏は『〇〇〇を食べているみたい。』とその後完全拒否。結局冷蔵庫に放置プレイ。
腹は満ちたりましたがまだ買出しが必要なのでスーパーUへ。今度は少し遠い為バスで移動。ワンマンカーで乗車時に200CFP運転手に渡すとカードをくれるので、機械に通してパンチしてもらいます。







バスの車窓から眺める景色は赤い屋根の住宅、学校、ショップ急な坂道等、またバスの中で聞いていた女性のフランス語のお喋りは小鳥のさえずりみたいで耳に心地よくニューカレドニアは個人的な感想ですが宮崎 駿監督、原作角野栄子さんの作品【魔女の宅急便】に出てくる海辺の町みたいな印象があります。
スーパーUでは赤ワイン、フランスパン、ミネラルウォーターが3本、リンゴジュース、オレンジジュース、チーズを購入。



ホテルでシャワーを浴びて夕食はアクアさんが入っているラ・プロムナード・ショッピングセンターのベトナム料理屋さんへ。
ネム、ブンチャ(米粉でつくったBUNという麺に牛の焼肉を載せ、ニョクマムベースのたれをかけて食べる物)炒飯。炒飯は翌日の朝飯か昼飯にしたかったのでテイクアウトしました。
PM9時頃ホテルに帰ってくるとホテル周辺は昼間よりもさらに路上駐車であふれかえっています。なんなん?????



宿泊しているホテルでカジノが開催されている関係でした。リゾート地でのギャンブルは楽しいのでしょうね。
  












第3日目
5時半起床。6時に昨日のパン屋さんに出かけましたがクローズド。
息子氏が言うにはガラスに書いてあったオープン時間が分かりにくい7でどうも7時半からオープンみたいだと言っていました。
ホテルの部屋でフランスパンの真ん中を飛行機で出たナイフで開いてチーズ(あとで買い足した安全なチーズ)サラミ、生ハムを挟んでサンドイッチにして食べました。これがどうしてなかなか美味しかったです。NCはさすがフランス領だけあってどこでもパンは美味しかったです。
フロントに7時半に降りてお迎えの車を待ちます。 今回NC渡航の最大の目的は実は本島グランドテール島ではなくて離島のイル・デ・バンに行く事。
ところが7時半過ぎてもお迎えが来ない為改めて書類を見てみたら違うホテルに7時半までに来いと書いてありました。あちゃー慌ててフロントにタクシーを申し込んでいたら、フィロツアーズの気を利かせた運転手さんがお迎えに来てくれて『山下さん?』と尋ねてくれ「ウイ、ウイ、イエス、イエス。」




途中韓国系のお客さんを1組拾ってマジェンタ空港へ。最近は韓国からの直行便が就航したそうでアクアのかずこさんが仰るには少し韓国の人達の旅行者が見えるようになったそうです。しかしグアム、サイパンと比較しますと圧倒的に日本人観光客の数が多い。
森村桂という作家が昔【天国にいちばん近い島】の表題の本を書きました。これはウベア島の事、やがてそれが角川映画、原田知世さん主演で映画化され日本人には馴染み深い観光地になったのでしょうね。


飛行機は双発機でした。席は9割がた埋まっていたのでイル・デ・バンは人気があるオプオプショナルツアーみたいで場合によっては予約が取れないケースもあるそうです。
離陸してからアンスバタ周辺の町並みを機上から見ましたが、丘の斜面に無数に建てられた赤い屋根の家が南仏やコートダジュールを連想させます。しかし南仏もコートダジュールも行った事はありませんガイドブックに書いてありました。(笑)
50分フライトしていよいよイル・デ・バンこちらも機上から眺めているとリーフにあたり湧き上がる真っ白な波しぶき、リーフの近くはエメラルドグリーンからターキシュブルーに変わっていく天然のグラデーションの色。息を飲む美しさです。

空港は小高い山の頂上付近。迎えのバンに乗って宿泊先のジット(民宿)ナタイワッチへ。





坂道を転げ落ちるように走って行くので思わず後ろ手でシートベルトを探しましが見つかりません。時速80kmぐらいでしょうか、なかなかスリリングでした。そうこうしているうちにナタイワッチに到着。
とりあえずお昼なのでお湯を貰いに行ってインスタントの大盛りやきそばと昨日のテイクアウトした炒飯、夏でビーチとくればこれでしょう。つーかお昼がないかもと思って用心の為と節約の為に持ってきていました。食べているとどこからともなく犬と猫が現れ仲良く物欲しげな顔でこちらを眺めています。息子氏が最後に炒飯をあげていました。



さてビーチへ。ぶらぶら林の中を50mぐらい歩いて行くといきなり視界が開け真っ白なパウダーサンドの砂浜。珊瑚が波で打ち砕かれて誰かが片栗粉と表現したほどきめ細かくなっていました。エメラルドグリーン、ターキシュブルーに変化してゆく海の色。湧き上がる入道雲真っ青な空。微妙に違う青がうまく表現できません。
メラネシア人たちはイル・デ・バンを【クニエkounie(海の宝石)】と呼んだそうです。
海に飛び込んでみますと小島のあたりは色とりどりの魚達で溢れていました。だんだん午後遅くなるにしたがって雲が湧いてきて日差しがなくなってきました。日本だと海風で夕立になりますがイル・デ・バンでも同じなんでしょうか。
何時間か遊んでいましたが夕方には宿に。息子氏は疲れていたのかそのままベットへ倒れるようにバタン。




あたしはどうしても夕景の写真を撮りたくて、6時頃カヌメラ湾と隣接するクト湾に出かけました。おそらくもう2度と生涯訪れる事のできない南の島の夕景。
日没を待っているとフランス人の恋人が現れ、男性が「失礼。写真を撮っていただけませんか?」『いいですよ。』「わたしもニコンのカメラを持っています。」『それは日本で作られました。私は日本人でうれしいです。』なんてやりとりがあり幸せそうなカップルをパチリ。こちらもお願いして不幸せそうなあたしをパチリ。(笑)

夕食は屋根があるけど吹き抜けの席。最初にだいこんの煮物。息子氏は茹で海老、ロブスターの半分に割れているもの、魚の切り身の炒め物。貝の煮物のシーフドプレート。





あたしはイルデバンでしか取れない円錐型の巨大エスカルゴ。お互いにシェアして食べました。やはり先程の犬が現れて物欲しげな顔でこちらを見て座っています。パンを上げましたがしばらくしたら見限って他のテーブルへ、その後次から次にテーブルを渡り歩いていました。(笑)
夕食の後は懐中電灯をがさごそ出してきて真っ暗な道を歩いてビーチへ。
見上げると降るような無数の星。丁度頭上が天の川なのか帯状に星達が見えます。





息子氏が「手で掴めそう、こんな星今までに見た事がない。」と感激していました。
少し残念だったのは近くのホテルがビーチに向けて泳いでいる人の為に強力なライトを照らしいた事。
早めの就寝。扇風機をかけていましたが暑さとベッドが柔らかすぎてよく眠れないでいたら夜中2時頃息子氏はトイレに【吐き気と下痢】でどたばた。どうもイル・デ・バンの呪いがふりかかったみたいでその後帰国するまで完全復調できない状態でした。
  


第4日目
調子がでない息子氏を残して一人朝食を食べます。コーヒー、フランスパン、洋梨。名前がわからない果物。
この日はオプショナルツアーでビローグツアーを申し込んであります。息子氏に「大丈夫か?とりやめしてもいいぞ。」と聞いてみると『多分行けそう。』と心もとない返答
それでも時間が来たので出かけました。
2台のバンに満載状態でパオ村を過ぎたボート乗り場へ。降りてしばし待っていると他のホテルからバンに乗せられたお客さんが続々集まってきます。総計30〜40人ほどになったところで4台のビローグ(帆かけ船)に乗船。
最初はのんびり帆に風を受けてユピ湾を横断しながら風上の湾の奥を目指していました(ヨットの原理)。




水深は浅く2〜3mくらい海面はエメラルドグリーンに輝いています。これだと何時間かかるか分からないなと心配になってきたらキャプテン、トーハツの船外機をいきなり降ろしたと思ったら全速力でブワーと走り出しました。途中マシュルーム型の奇岩を見たり、2回2mほどの小型マンタに遭遇真っ黒なひれを広げて優雅に泳いでいてこんな浅瀬でマンタが見れるなんてびっくり。


ユピ湾の奥にたどり着いたら皆原生林の中に入って行きます。1mほどの幅の踏み跡にちかい山道があり両サイドはうっそうとしたジャングル。真夏の蒸上げられた空気の中をどんどん歩いていっていい加減嫌になった頃に水が流れている川にでて、さらにそこから蛇行している川を遡ってゆくと急に開けた所にでました。



周りは南洋杉が生い茂り、川と思えたのは実は海水でさらにその奥から貿易風によって打ち付ける波しぶきによって海水だけが流れ込んでいて正反対の方向に500mちかく流れて行きます。水深は深い所で3〜4mほどプールみたいになっています。ここが実はどうしても来たかった場所。
ピシング・ナチュレ天然の水族館。しかし花より団子。美しい景色よりも食欲が勝ります。


宿で作ってもらったフランスパンのサンドイッチと日本から持参したボンカレーを食べました。サンドしてあったのは野菜と焼いたお魚。
お腹が満ちた所でプールにどぼん真っ白なパウダーサンドの所でもすぐに魚達が群れになって寄ってきます。人間が来たと言う事はエサが来たと認識しているのでしょう。取り囲んですぐにこりゃだめだと散って行きました。(笑)



プールの中央部分には珊瑚がありカラフルな魚達が珊瑚をついばんでいます。綺麗ですねー。波もまったくなくて透明度の高い海水。もう一度砂の所に戻って体を動かさずにシュノーケルで砂地を見ていると、微妙な波が光の線になって幾重にも砂地を通り過ぎてゆきました。

昼食に残ったフランスパンをちぎってパンを手で揉んでみますと先程とは違って沢山の魚達に取り囲まれます。



20〜30cm目の前でパンを漂わせると狂乱状態の魚達が物凄い勢いでぐるぐる体の周りを回りだしまるで竜巻の中にいるみたい。中には指に噛み付くやつもでるくらいでえさじゃあねーよと手を振ってみても魚達には通じませんでした。こわー(笑)
あたし達は2時頃まで遊んでその後バンに乗って3時に宿へ。
4時に宿を出て空港に向かい5時の飛行機の予定でしたが、フロントマネージャーが「予約の飛行機はリフー島へ飛んでしまいその後こちらに向かう為8時フライト予定です。夕食は航空会社持ちでナタイワッチで食べてください。







7時15分に空港に向けてバンがでます。」『えー。予定が…・。まいっか。』とりあえずやる事がないので芝生で横になって寝ていました。であとで息子氏が言うには『小学生が4〜5人通りかかって10分くらい指差ししながらがやがや見ていた。確かに俺が見ても君は死んでいるか行き倒れているかのように見えたし。俺は知らん顔して関係ない人の振りしていたけど、中の一人が心配のあまりか話かけてきたのでOK,OKと言っておいた。』となんて親思いなんだ。ありえへん。(笑)
しかしメラネシアの子供達はやさしいのね.

7時過ぎようやっとバンに乗って空港に出発です。街灯もない山道を上って行きます。
しばらくしたら車が停車しました。真っ暗な景色の中よく見ると2階建ての建物が見えました。『?』『ん』なんとなく空港みたいに見えますが灯ひとつ点いていなくて人っ子一人いません。『????』念の為よく見るとどう見ても空港です。ひょっとすると…・。フランス系の運転手が携帯を片手に降りていきました。長い事外で携帯を使って話をしていますがなかなか帰ってきません。同乗していた大学生くらいのフランス人の女の子2人が「友達に電話して聞いてみたら今日飛行機は飛ばないって。」まじっすか?
そのうち運転手が帰ってきて「飛行機は飛びません。エアコン、テレビ、シャワーがついた3つ星のホテルを航空会社持ちで準備してありますからそちらに向かいます。明日7時15分ホテル発8時フライトです。」
げー予定が。まあでも明日は予備日でヌーメア市内観光に当てていたのでまっいっか。朝市はなくなったけどこれが帰国日だと大変な事になっていた。
空港にちかいホテルコジューに到着。これがなかなかいいホテルである意味ラッキー。







第5日目
ホテルのバンガローは海岸に突き出た形ですが先端は船の突先みたいに尖がったコンクリート製で出来ていて大波の時にも波を避けれるように作られていました。
朝食はビュッフェスタイルで念願のクロワッサンを食べましたが、息子氏が言うには『一番美味しいパンでした。』と

朝の空港、搭乗手続き中あたし達の番の時に係官がチケットを何枚も数えなおしていてなかなか手続きをしてくれません。

昨日乗り損ねた乗客と本日の乗客でオーバーブッキングなのかもかも?いやーーーーーーーな予感がしましたがしばらくしてようやっと受付。やれやれです。しかし飛行機の席は一つの空席もない満席でしたので、乗り損ねたお客さんもいたのでしょうね。
AM9時マジェンタ空港に到着すぐにツアーの送迎用の車を探しますが来ていません。ここは外国で連絡がいい訳がなく念の為に昨日のうちにツアー会社に連絡しておくべきだったと後悔。
さあどうするべ俺?

ツアー会社に電話して不都合が生じた場合はタクシーで帰りますかと組み立てしてとりあえず公衆電話を捜します。コイン式でなくカード式なので売店でカード(1,000CFP)を購入。ところがこのカードを公衆電話が読み取ってくれません。
埒があかないので隣にいたメラネシアンのおばちゃんに日本語で「これどうやっ使うんですか?」と聞いてみました。なにしろ英語は通じずフランス語でやり取りなんてできるわけがなく身振り手振り交えても日本語のほうがいい。「%$#“!‘コイン’&%$#スクラッチ。」息子氏がカードはコインで削って番号を出せと言っているみたいと。なるほどコインで削ってみると数字が出てきました。先程のおばちゃん通じないと見たのかすぐ隣の若者に声をかけて、そしたら回りが心配しだしたのか何人かが見に来てくれました。


そのうち息子氏が公衆電話に書いてある事を読んでいて「わかった。」と電話してみると通じました。ご迷惑をおかけしました。メラネシア系の人達は見た目少し怖いのですが実はとてつもなく親切なんですね。それ以降この国がすごく好きになりました。
10分後に車が来てホテルに、到着するとチェックアウトの10時が迫っていたので慌てて荷物をパッキング。荷物はバッゲージルームに預けシトロン湾ショッピングセンターでコーヒー。好むと好まざるに関わらず時間に追いまくられていましたが久し振りにほっとしたコーヒータイムを楽しめました。

でトイレを借りたのですが男性用の小便器(あさがお)の位置が異常に高く驚き。これだと子供は届かないと心配になりますがイス式があるからいいのかな?

ここでトイレ事情を少し、公衆トイレはあちこちにありますが汚いのと便座がまずないそうです。

じゃあどうやって用を足すのか掲示板ではエアートイレでそこに便座があるつもりで便器にお尻をつけずにするか、携帯用の濡れティシュで拭いて使うか、和式式で便器に足を乗せて使うとかなかなか難しい技術的な問題があるみたい。(笑)あと鍵がかかっていて緊急なのに係員を捜さなければいけないこともあり、まかりまちがうと大変な事に・・・・。(笑)

1番いいのはカフェで飲み物を飲みながら出来るだけ振り絞るのがいいみたいです。濡れテッシュは沢山持っていきましたが結局公衆トイレは使うチャンスはありませんでした。
バスで移動してヌーメア市内へ。ランチはモーゼル湾のヨットハーバーにあるル・ブー・ドゥ・モンド満席でしばらく待ちました。鹿肉のカルパッチョとフォアグラが乗ったサラダを注文。


その後ココティエ広場から必ずガイドブックの中の写真になる眺望のいいF・O・Lの丘へ

ぜいぜい言いながら丘の頂上を目指します。途中二股に別れていたので同じようにぜいぜい言いながら登ってきたメラネシアンの太ったおばちゃんに「F・O・L?」と聞いたら『!“#$&‘’&%$#”!“##$$%%』フランス語でしかも長い話で、途中手を合わせる仕草をしていたので息子氏とあとであれはこれから教会にお祈りに行くと言っていたのではと推論していました。でも人のよさそうなおばちゃんでさらにこの国が好きになりました。フランス語が分かれば面白いのでしょうがね知っていたフランス語がメルシー、ボンジュール、ボンソワール、スィルブプレ(〜お願いします、なんですが息子氏が使ってみたら皆さん首を傾げます)。

で結局F・O・Lはどこだかわかりません。(笑)多分こっちやろでなんとか到着。お約束の写真をパチリ。またホテル街へバスで舞い戻ってホテル横のラグーン水族館へただ券で入場。




ゲップがでるほどのあまりにも沢山の魚達を見てきたので特別感慨がなし。それでも光るサンゴ、オウム貝は始めて見ました。アクアさんへお土産を買いに行って7時まで1階のソファーでのんびりしていました。
いつもいつもカップ・ヌードルやお弁当では息子氏が可哀想なので最後のNCのディナーは豪華なフレンチレストラン、ル・ミレッティ・ガスコンを予約。7時に迎えの車がきました。
グアムの事もあり1皿がめちゃくちゃ多いのではと前菜に海老のマヨネーズ和え、メインディシュにホタテ、海老、貝のパイ包みクリームソースと鴨肉のソテーを注文しました。たった3皿これでも食べきれなくて残しましたが欧米人と胃袋の違いを感じます。さていよいよ帰国です。ホテル迎えが10時半トントゥータ空港発がAM1時半、

ところがそこからさらに機内整備が送れ2時間遅れの3時半離陸。まあ飛びだってくれただけでもいいか。(笑)
あとがき
人間の記憶は旅行からたった2週間しかたっていないのにもう細部は薄らいできています。将来思い出せるようにいろいろ記載してみました。お読みいただいている人にとってはつまらない部分が多かったのではと思いますが申し訳ございませんでした。

離島のイル・デ・バンでは釣りもしたいと思っていて掲示板で情報収集しましたが、酋長の許可があればできる所までは分かりましたが、酋長までたどり着くことが困難で結局挫折しました。

イル・デ・バンは少し前までは電気がなく各ホテルの発電機がPM10時まで稼動して、それ以降は電気がない生活をしていたそうです。今は発電所が建設されて冷蔵庫、エアコン、もちろん電灯など不自由のない生活ができるようになったそうでジャングルの中の1本道に電柱がぽつんぽつんと立っています。

ピローグにはエンジンが取り付けられて早く移動できるようになりました。近代化とはそんな事なんでしょうね。

ピローグツアーも村人の副業だったものが毎日になり安定収入になるようになったそうです。ちょっと前までは気が向かないと働かないなんてこともあったそうですが…。

人懐っこい犬や猫が飯時に現れたり、海に潜ればフランスパンに群がる魚達、急速に近代化し観光化してきているのでしょう。
あたしが例えば20年後にイル・デ・バンを訪れるともっと便利になった生活を目にする訳で、近代的なホテルが立ち並んでいるのかもしれません。

いやそれよりもひょっとすると温暖化の影響で海面が上昇してあの真っ白なパウダーサンドの砂浜はなくなっているのかもしれません。
結局は今現在見た事感じた事がその瞬間の真実で心の中に残っていくものなんでしょうね

あとがきのあとがき。
ニューカレドニアを訪ねてからもう3ヶ月たちます。

逆にまだ3ヶ月しか経っていないのにすでに遠い過去の出来事みたいに思えてきます。

夏の日差しに肌がじりじり焼け、椰子の木の木陰や、打ち寄せる波の音がとても懐かしく思えてきます。

帰り道関空から電車に乗り継いで帰ってきたのですがホームで待っていると電車の進入とともにがなりたてるスピーカー、正確無比に運行されている電車。

ドアが開けば川の流れみたいに一斉に人々が動き出す、まさにそこは日本そのものでした。

ニューカレドニアはゆっくり時間が過ぎてゆき人々はのんびり暮らしていました。

カレドニアンは土日だけの為に働いていると言っていたガイドの言葉が印象的でした。

息子の就職とともに海外旅行は卒業だと思っていましたが忙しい日々の中でなんとなく心が疼いています。(笑)


また機会があるかどうかわかりませんが生きている間に(笑)いつかまた日本を飛び出してみたいですね。