グアム顛末旅行記

先週3月24日から28日にかけて息子と二人でグアムに行ってきました。てなわけで以降グアム顛末旅行記です。
3月24日
起床朝4時半旅行に行く時は普段と違い特別早起き、普段なら絶対起きない息子も信じられないくらい素早く起きてきた。(普段もそうせいよ〜。アホー。)とりあえず国道をとことこ走り岡崎から東名高速へ。時間に余裕みてでたはずなのに名古屋市内でもうすでに始まっているラッシュで思わぬ時間がかかり空港渡しの航空券貰うHISのカウンターに7時半到着(案内書には7時半までに来いと書いてあった)やや焦りつつ搭乗手続きふと見ると手荷物検査のところが長蛇の列。戦争の影響でテロ警戒の為か。息子が「ジャンプを買う」と言っているのに『出国手続きをしてから免税店で買え。』さて免税店に行ってみるとジャンプは売っていません。駅の売店じゃあないから当たり前か・・・。そこで息子はすかさず家に電話して「お姉ちゃんにジャンプ買っとくように言っといて」思わず後ろからとび蹴りしようかなと思いました。君は高校生だろうがー。(笑)ジェットは座席がなんちゃってC席(エコノミー券だけどリクエストするとビジネスクラスの座席を確保してくれます)フットレストありリクライニングもゆったりで快適でした。でも乗客はビジネスクラスには3組だけでした。少ない。
グアム空港着すぐに空港で無料の携帯電話(アイランドホォーン)をレンタル。(これ大変便利。)レンタカーでホテルへ到着後すぐにツアーデスクでバスパスを購入(8ドルこれで1週間バス乗りたい放題。しかし後でホテルの机の上にサービスのバスパスを発見。がっくし)とりあえず買いだし、もちろん英語には自信はありません。とりあえずバスが止まって運転手がこっちを見ているから『Kマート、プリーズ。』「OK」こうなありゃあ[・・・・プリーズ]でいけちゃうか(笑)Kマートでは息子にマリンシューズ6ドル、ビールが9本で7ドル29セント(1本95円ぐらいかな)水1ガロン3ドル59セントグアムの水は飲めないとのことで買いましたがあまりにも巨大なのを買って失敗でした。使ったのが10%ぐらい。
夕食はベトナム料理のビンミン、バスで移動してアルパンビーチリゾートと言うホテルで降りました。ところがレストランは道の反対側その道路は7車線の幹線道路で時速100キロくらいで上りも下りもビュンビュン丁度時間帯がラッシュの頃でこりゃ渡れないなあぁ。どうしようと思っていたら瞬間車が途切れました。『はしれー。全速力。』50mぐらいある道路を必死に走りました。あたりは街灯もなく真っ暗息子のほうがやや前方を走っていて渡った歩道のあたりで急に姿が見えなくなりました。んー?よく見たら歩道にウルトラマンが飛んでる格好して伸びています。そうか段差があるんだ。よかった先にいかしといて(笑)しかし相当ひどく転んだのか2分ぐらい伸びていました。まっいいか海外旅行保険には入っているし・・・。(笑)
さてその噂のビンミン長屋の中の1軒屋外観は怪しい雰囲気ここまで来て帰れないからしり込みする息子を「ダイジョウブ」と言いくるめて無理やり連れ込みました。まず料理をオーダーネットで評判の揚げ春巻き『3ピーシーズ(個)、5ピーシーズ?』とりあえずいろいろ食べたいから少なく頼んどいてたほうがいいなぁと判断して3ピーシーズ。ところが料理がきてみたらスリコギが3本お皿の上「これが春巻き?」日本の春巻きの5倍はあろうかとの代物それ以外にそばが山盛りにレタスみたいな白菜サイズの野菜が3枚、美味いんだけど1本食べたら満腹です。その次はあんかけ焼きそば
直径20cmのお皿に直径30cmの固焼きそばがのっておりその真ん中にあんかけがのっておりました。「お皿から10cmぐらいはみ出している・・・。」思わず絶句。それでも出された料理だから必死になって食べましたが半分でギブアップ。最後にチキンカレーがきましたが完全に戦意喪失。ごめんなさいあたちが悪かった許してくれー気分でした。とりあえず息子には「礼儀だから出されたものは全て食べるように」と言いましたがこちらもノックアウト(笑)(あんかけ焼きそばは発泡トレイにいれてもらって翌朝の朝ごはんになりました。これが結構味が染みて美味しかった。)二人で飲み物入れて23ドル。


満腹で死にかけている。 さらに親父が食べろと強要。
疲れ果ててホテルにそのまま就寝。息子は宿題。途中息子に「いびきがうるさい勉強ができない」と起こされそれ以降寝ているような寝ていないような状態。俺はいびきなんかかかないぞーと翌朝言い張ったが隣の部屋の人が2回壁を叩いたと言われて沈黙。ホントカヨー?(笑)ちなみにホテルでは冷房の効きが良すぎて夜寝ていて凍死するかと思いました。南国の島に来て凍死したなんて日本の恥になってしまうのでエアコンはスイッチを切ってベランダの窓を全開で寝ましたが冷気がドアから入ってきてそれでも肌寒かったです。

部屋から見たタモン湾。   ア〜疲れました。     歯磨き。どうでもいい写真。   

3月25日(2日目)
朝なんにもしないでゆっくり寝ているつもりだったのに持って生まれた貧乏性で6時頃から洗濯したりコーヒー沸かしたりうろちょろしてましたが、どうにも我慢できなくなりグースカ寝ている息子を無理やり起こしました。身支度をして9時過ぎロビーに下りてゆくと10mの高さの天井に向かってゴンドラの作業車が伸びていました。よくよく観察してみたら玄関側のシャンデリアがなく鎖だけでした。その後気になってあっちこっち見てみたらガラスが割れてベニヤが打ち付けてあったり、表玄関の天井が吹き飛んでいたり12月8日に襲った台風の爪あとがあっちこっちにあります。やしの木は葉っぱがなくて鉛筆みたいだし、半分倒れ掛かった木も結構ありました。それよりも民家が屋根がなくて廃墟になった住宅がごろごろしていてとてつもない台風がきたんだなそんな印象でした。レンタカーの人と話をしていたら乗用車が木の葉のようにごろんごろん転がっていったそうです。平均風速85m瞬間最大風速115m電柱はなぎ倒されホテルというホテルは窓ガラスが割れ爆撃にあったみたいだったそうです。

ホテル街があるところはタモン湾なんですがその端っこにイパオビーチパークがありシュノーケルに出かけました。水深はリーフの中なので腰ぐらい透明度の高い海水、さんさんと降り注ぐ夏の日差し白い珊瑚の砂シュノーケルしながら波間に漂っていると時間を忘れてしまうぐらいです。
ただ気になるのはやたらと30〜50cmぐらいな巨大な黒ナマコが転がっていて見た目の触感といい(触ってはいませんが)うねくり具合といいどう見ても誰かが我慢できずにあっちこっちに放出した「巨大なうんこ」に見えてしまうあたちは変態でしょうか?(笑)
リーフに近づいて行くと珊瑚があり色とりどりの魚達が寄ってきました。サヨリが海面すれすれに手が届くくらいまで来たかと思ったらべらからかわはぎ熱帯魚の群れで何百匹取り囲まれました。少し離れたところに40cmぐらいのジャイアントトレバリーも見えました。息子を「オーイ」と呼んで「水中で目の前に手を持っていって指先をもむように動かしてみろ。ただし魚に噛まれないように気をつけろよ」と言ってシュノーケルしながら見ていたらあっというまに魚達が息子を取り囲んで指先に群がっています。そのうちベラが指先に噛みつきました。息子は慌てて手を振っていましたが何故かそれを見ていて笑っている私がいました。(笑)♪なんでだろ〜、なんでだろ〜なんでなんでだろ〜♪
結局3時間ぐらい遊んでいました。その後すぐ近くのヒルトンホテルからバスに乗りグアムプレミアムアウトレットに行きました。中に巨大なフードコート(食堂街)があり干からびて喉がからからなあたち達はとりあえず水分補給をしないと死んでしまいます。(笑)それではとポケットをまさぐったら7ドルしかありません。「ゲー、泳ぐからってお金置いてきたんだ。昼飯とドリンクどーしよう?」とりあえずフードコートの入り口で3ドルのメロンシャーベットを1個だけ息子に買いに行かせました。ところがこれが巨大で二人で分けて丁度いい。まったくもってここはアメリカなんだなと実感。今回通訳で連れてきた息子は(笑)語学力がないためどうにも聞き取れずに『タピ・・・?』まあいいや適当に「イエス、イエス」と返事していたら下にはタピオカが入ってきましたしかも美味。しかしそのいい加減な性格はいったい誰に似たのでしょう?「はぁーい」(笑)少し餓えが満たされたのでまたホテル街に舞い戻りホテルの横の藤一番というラーメン屋(名古屋のチェーン店で70店舗あるらしい)でお昼あたちはみそ、息子は醤油でしたがなかなか美味。その後疲れたのでホテルのプールでビールを飲みながら昼寝したり時々泳いだりのんびりしていました。

巨大な水洗トイレ。

グアム顛末旅行記NO,3
2日目の夕食ル・タシ・ビストロ本格的なフランス料理。ドレスアップしてお出かけです。と言っても10年前に買った中古のジーンズ裾がほつれてポケットは穴が開いていて忘れて小銭なんかを入れると太ももを通って足元にチャリンと小銭がばら撒かれる代物と、やはり10年前に買った色あせた半袖のYシャツどう見ても昼間の半ズボンと伸びきったTシャツ姿のボートピープルから街の浮浪者に格上げされた状態でした。まっいいか。(笑)レストランはグアムの官公庁の近く。車でお迎えに来てもらいました。テーブルにはキャンドルで洒落た雰囲気うーんこれで反対側の席の人物が違う設定なら文句はないんだけどなぁ。(笑)
まずオニオンスープお皿の上にはパイ生地なかなか美味しいが量が日本の2倍、次がサラダチーズがドレッシングとともにかけてあって美味しいしかしこれも2倍この時点でお腹は満腹。おいおいまたかよ。学習能力がないなぁ(笑)。メインディシュはあたちがサーモン、息子がラム肉をチョイスしましたがここから地獄でした。お互いに半分食べたら交換してなんとか目先を変えて完食。グエー死ぬかと思った。しかしアメリカン君達ってどんな胃袋してんの?二人で63ドル


壮大な夕日。    実は朝焼けさあどっち?
3月24日(3日目)
朝9時にホテルの近くにあるコンビニエンス大阪へ。ここのおっちゃんは27年前にグアムに来たそうです。とりあえずおにぎりを購入一個1ドル25セント(160円)味噌汁付、まったくもって純粋な日本のおにぎりでした。ちなみに翌朝ダイビングしたのですが朝7時に迎えがくるためコンビニエンス大阪が8時オープンのためセブン・イレブンでおにぎりを買ったらこれが不味いのなんのって・・・。ぱさついた外米にとろけたサーモンが入っていました。値段は1個3ドル25セント(400円)ついでにホットドッグも買ったのですがぱさついたパンでまず〜。
そのコンビニエンス大阪にマリンスポーツのオプションをお願いして(ツアーデスクでお願いするのより10〜20ドル安い為)しばらくしたらお迎えがきました。オーナー直々にお出迎えですが韓国の人でした。余談ですがこの日6時に起きてタモン湾を散歩したのですがビーチを散歩していたのは話声から半分くらいは韓国の人達でした。私の印象は日本人は随分少なくなって韓国の人が多くなったなぁと感じましたが、去年の統計上は日本人70万人に対して韓国の人7万人だそうです。
お客さんは30人ぐらいでしたが日本人はわたちと息子の2人だけ。最初に2人乗りのジェットスキー6個のブイの外周を回る単純なもの。わたちこう見えてもジェット初体験最初は慎重に乗っていましたがバイクと車の中間みたいな感じで曲がる時は4輪ドリフトみたいに横滑りしてゆき、体はバイクのハングオン状態(体を思いっきり傾けてやる)にすると、以外と簡単に曲がります。それをフルスロットルでやると結構スピード感があり面白いですね。10周ぐらいしたら次の人と交代で待ち時間の間次のジェットで引っ張るバナナボート。4人で乗ってハガニャ湾を走り回ってくれましたがあたちの商売柄感激はないか・・・。(笑)ただ時々ジェットの水をかけられるのはご愛嬌。戻ってきたら息子とタッチ交代して息子がジェットの運転あたちはその後ろに乗って腰に手を回してふと見ると息子の耳が目の前に息を吹きかけると「やめろー、バカ野郎ー。」と怒っていました。(笑)最初息子の運転はめちゃくちゃへたでブイから20mぐらいオーバーしてからようやっと曲がれる状態で後ろからブイの手前10mぐらいから曲がる指示をだしていたら最後になってからフルスロットルで曲がれるようになりました。後で聞いたら今回のグアム旅行で1番面白かったことはとの質問には『ジェットスキー』と言っていました。結局3回ジェットに乗って2回バナナボート最後にハガニャ湾の中央部でシュノーケリングでしたがマリンスポーツをしている会社が5個もあってジェットが走り回っているハガニャ湾には魚がほとんどいなくてたいしたことがなかったですね。ランチ込みで二人で80ドル。



避難民のわたち。下の息子はかっこよすぎ。ゆるせねぇ!揺れるやしの木。

午後4時巨大なショッピングセンターのマイクロネシアモールへ。ぶらぶらと見るだけのショッピング5時過ぎ水曜の夜だけ開かれるチャモロビレッジへ(現地の人達のお祭りみたいなもの) バスで行ったのですが現地についたら物凄い人出で蓋を外したドラム缶の上に網をおいてガンガンお肉を焼いていました。その匂いに誘われるままに30人ほど並んでいる出店の屋台で骨付の焼き鳥からスペアリブ、串にさされた巨大な焼き鳥と野菜とご飯を買いました。一人5ドル。この焼き鳥は激うまでした。水牛が3ドルで乗れて、Tシャツから置物、ペンダント、屋台ではいろんなものが売られていました。ダンスホールもありロコの人達が老若男女楽しんでいました。息子はクロムハートのイミテーションを1個5ドルで買っていました。帰りのバスを探してぶらぶら歩いていたらぽつぽつ雨が降ってきました。バスがいたので行き先を確認して乗ったとたんバケツをひっくり返したような豪雨、バスはトローリーで窓がないのですがオープンになった窓の角に丸い木の棒がありそれに透明なビニールシートが巻きつけてありそれを降ろすと窓になるシステムで乗客全員で降ろしてみたらちょうど息子のとこだけびりびりに破れていたのには笑えました。破れたビニールを走り出したら手で押さえたり足で押さえたりでも15分ぐらい走ったら道路が乾いていてさっきのはスコールだったみたいです。

トドが寝そべっている。  だから鼻をほじくるな!

3月27日(4日目)
この日はわたちだけダイビング息子には「頼むからグアムに行ったら一日だけダイビングに行かせてくれ。」と泣きついて了解を取ってあります。(笑)ダイビングショップの人が迎えに来てあっちこっちのホテルを回りながらピックアップしてゆきます。まずショップで機材の確認と詰め込み作業日本から持参してきたものはマリンシューズと新婚旅行する時に買ったマスクとシュノーケル(シリコン全盛の時代にゴムで作られた20年前のビンテージ物)ボンベからレギュレーター、BCジャケット、フィン、ウエット全てレンタルです。アプラ港からボートが出ました。まず最初はグアムで有名なブルーホール、リーフの外側ドロップオフ水深18mのところから78mにかけて数千年もの昔にできたといわれているたてあながあります。その穴に落ちてゆくんですが最後にダイビングしたのが1996年しかもバディ(相棒)を組むべきインストラクター耳抜き(水圧がかかる為耳の中の圧力を同じにする技術)がうまくいかない為リタイア暗い洞窟の中に肺で浮力を調整しながら落ちてゆかなければならずかなり必死でした。荒い息遣いと不安の中でもう一人のインストラクターが上を指さします。見上げるとぽっかりと開いた青く輝く穴が見えます。少しゆがんだハート型をしていましたがまるで宝石みたいにきらきらしていました。水深28mで横穴へ抜けて外海へ。水深20mではシュノーケルしていた明るい海とは違いやや薄暗いモノトーンに近い音の無い世界。ダイバー達が吐き出す気泡と水中に浮かんでいるダイバー達で幽玄の世界でした。
魚はいっぱいいましたがなにひとつ覚えていません。釣ったら面白いか、美味いか不味いか、その基準でしか頭が反応しない為カラフルな色の魚はただいたんだなとしか思えないみたい。(笑)次のポイントは沈船のアメリカンタンカー。タンカーの中を潜り抜けてゆくんですが、一つの部屋で天井にエアーが溜まっていました。ダイバー達が吐き出した空気ですが酸素はない窒素だけのエアーだと言うことです。甲板上に出て舳先まで移動してそこから陸地の斜面に移動してしばらく遊んでからまたタンカーに戻ってきました。もうほとんど最後に近かったんですがここで事件がおきました。どうも体が浮き気味で(後でわかったんですがウエイト(おもり)が軽すぎたようです。)浮いた体を深みに移動させなければならずそのたんび耳抜きをしていましたが、少し水圧がかかった状態で耳抜きをしたらパチンと音がしました。「いたっ。」あらまどうしちゃったのかな?いやな予感。それ以降息を吸うたんびぽこぽこぽこ空気が抜けてゆきます。最初はマスクから空気が抜けるのかなぁと思いましたが、さっきの出来事を関連付けて考えてゆきますとどうも鼓膜が破れちゃったみたい。それ以降息を吸うたんび耳からぽこぽこ空気が抜けてゆきます。「うーんまずいかもしれない。」でももうじき上がるから慌ててもしょうがないか。ボートに上がってからは耳の中から生暖かな水がでてきました。完全に水が抜け切るように振り絞ってあとは2週間から1ヶ月で再生です。鼓膜が破れた事は心配かけるからと言うよりも将来の遊びに響くからかみさんとばっちゃんには話していません。(笑)ところが最近息子が何かって言うとわたちを脅すんです。今朝も「あーちみちみ病院には行かないのかね?だから駅まで車で送ってって。」なんて訳のわからない日本語を言ってまして『てめー、このやろー』と言いつつ送って行ってます。(笑)


女の子がインストラクター。       左は大阪の看護婦さん。右は東京の男の子。この後に悲劇が・・・・。それは後日「グアムの悲劇」と呼ばれた。

その後事務所によってランチを食べて雑談の後送ってもらいました。途中インターネットカフェに降ろしてもらって情報収集。3時に日本から予約してあったレンタカーがきました。ニッサンサニーの左ハンドル車一通り法規と取り扱いかたを聞いてレンタカー会社の人に「どちらに行かれますか?」と聞かれたので『恋人岬に行くつもりです。』「じゃあ私が先導しますのでついてきて下さい。」いきなりそう言われてもまだ心の準備が・・・。(笑)ひょえーてな感じで出発です。まずウインカー。ん、ワイパーが動いています。そうなんですよワイパーとウインカーの位置が逆なんですよ。考えながらやる時はOKなんですが無意識の時はワイパーが動いていました。(笑)それから道路は右側を走らなければいけないのですが、「左大回り、右小回り。」と幹線にでるときはしばらく呪文を唱えていました。車幅を確認したりでしばらく手に汗を握っていました。息子も同じように手に汗をにぎっていました。(笑)恋人岬(two lovers point)はどう考えても一緒に行くお相手が間違っている。(笑)公園の中央には恋人達の像が横になっていまして随分前衛的な像だなぁと思って見ていたらよくよく考えてみたら台風でひん曲がっていただけでした。しかしそれがなかなかいい。(笑)海抜122mの断崖絶壁の崖で果てしも無いフィリピン海が広がっています。スペイン統治時代にスペイン船長に結婚を強要された恋人がお互いの髪を縛って身を投げた伝説があるそうです。でも本当は戦後しばらくバンザイクリフと呼ばれていました。第2次世界大戦激戦の中追い詰められた日本兵達が身投げした崖です。グアムが観光化してきたらお偉いさんが『イメージ良くないから名前を変えよう。そうだ恋人岬にしよう。』なんてね。時代が変われば名前も変わるんだけど極端だね。その後北部をドライブしました。最北端にリティディアン岬があるのですが果てしもなく白い砂浜が広がっていて青い海と星の砂があるそうです。是非行きたかったのですがアンダーソン空軍基地の敷地の中を通らなければならず戦争の為閉鎖になっていました。ドライブの途中雄大に広がる丘陵地帯に出た時「This is America, I am Japanese,」と言ったら『あたりまえだ。』と冷たいお言葉。(笑)で、2時間くらいドライブして無事帰還。

前衛芸術!         カメラマンの腕がいい。 カメラマンの腕が悪い。

グアム顛末旅行記3月28日(5日目)
今日でグアム旅行は終わりです。旅行の最終日に観光地でないグアムを見てみたくて南部をぐるっと回ってみようと思いました。朝7時にホテルを出て朝飯はマクドナルド。レストランで貰ったレストランガイドブックにチーズバーガーを一つ頼むともう一つおまけが貰えるサービスチケットが付いていたので残りのお金が少ないわたち達は歓喜してこれは使うしかないと心に決めていました。(笑)カウンターに一人並んでいたのでその後ろで「チーズバーガーだよな。」なんて言っていたら前の人が振り向いて『ランチ』ん?私が「ノー。ブレックファースト。」そしたら息子がそうじゃあなくて『ランチでないとそのサービスチケットは使えない』と言っているみたいだよ。「ガーン」なんてこったい。(笑)そんじゃしかたがないので2個のハンバーグと巨大なコカコーラ持って車へ。このコーラも糖尿病になりそうなぐらい甘くていつまでたっても舌に甘さが残ります。こんなの飲んで半端じゃない食事の量を考えるとボブサップに勝てるわけがないじゃん。(笑)
さて出発です。タモン湾からアガニャ湾へ一箇所ロータリー交差点があってむつかしいかなと思ったら以外と簡単に通過チャモロビレッジがあったところがパセオ公園でその横にマリーナがありちょと覗いてみたら2階建ての家みたいなボートが並んでいました。そこから一路南へ。右手は海岸左手は山々が連なり熱帯ジャングルが広がっていました。途中フィシュアイ海中展望塔がありましたが急ぐ旅なので素通り(ほんとは単純に金がないだけ。(;;))グアムは淡路島とほとんど同じ面積で人口は17万人。南部はところどころに集落があるだけでほとんど村というよりも数軒が寄り集まっているそんな感じでした。グアムは全ての物が輸入だそうです。生活用品、肉、魚(たくさんいるように思えるんだけどね・・・。)、南国のフルーツまでも輸入ですニッサンのサニーが250万円なんだって。何故グアムには産業が育たないのか?ハワイはパイナップル(Dollだったかな?)さとうきび生産していますよ。レンタカーの人が言うには土がなくサンゴだから食物が育たないと言っていましたがどうなんでしょう?確かに水は石灰を多く含んでいますが・・・。レンタカーで回ってみるとほとんど川らしい川がないから食物を育てるほどの水がないのかなぁとも思いました。
ともかくどんどん南下をして行ったら海岸を外れて山道に入りました。その上りきったところで急に視界が広がり左手に濃いブルーのオーシャンパシフィク(太平洋)右手にはフィリピン海、右手後方にぽっかり浮かぶココス島。絶景です。そのココス島に向かってサンゴ礁が波をうけて白く泡立っています。「君は私に感謝するべきだ。」と私『ナンデスカー。』と息子(笑)その道を下って行ったらココス島行きの定期船が出るメリッツォ。実は今回のドライブのもう一つの目的はフィシング。何を隠そう実はあたちはフィシャーマンなのだ。(笑)メリッツォの手前のポイントは入れ食いでしたとの情報がありしばらく捜し回ったのですがそれらしいポイントがなく、考えてみたら通り越してきた山の向こうの岬の先端で釣りをしている人が二人いました。ひょっとするとそこかなぁと思いましたがものぐさなあたちには戻るほどの気力はありませんでした。(泣)仕方なしにココス島行きの定期船がでる桟橋のもう一つ手前の桟橋の所に駐車しました。すぐに年取った人相の悪い白人のおっちゃんが来て(ココス島に渡すぼったとの情報があります。)「ココス島?」『No. Excuse me。 Where is best fishing point?』そしたらそこの桟橋を指します。『Thank you』しばし車の中で朝食。マックなんですがパンが不味い。何故かグアムのパンは3回ともぱさついた味がないパンで「まずー。まずー。」と言って食べていました。逆に言いますと日本のパンはしっとりしているパンなのかもしれません。サンドイッチにする白いパンはフランスだったかなぁ?無いととどこかで見たような気がしますがどうでしょう?独断と偏見で考えてみますとそれはしっとりしたお米と関連しているのでしょう。なんちゃって。豪華で貧相な朝食も終わって釣りの支度をしていたら、ボートの準備をしていた若い白人が近づいてきて片言の日本語で「20ドルでボートに乗らない?バラクーダからいろんな魚がいっぱい釣れるよ」思わずくらくらってしました。安い。『ジギング、ボトムフィシング?』「OK,OK」しかしその時頭の奥でなんとなく危険、危険と囁きがしました。よく見たらTシャツの下はタトゥ(刺青)でいっぱい。わかんないけど危ないと思ったときは無理をしない。「それじゃあ、10ドル」いくらなんでも10ドルはないでしょう。「I have no money」じろじろ見てしばらく「10ドル、10ドル」と言ってましたが仲間が呼ぶので本当に金がない日本人と思ったのかボートの方に戻ってゆきました。でもあなたは正解です。本当は本当にお財布に30ドルくらいしかお金がありませんでした。(笑)てな訳で桟橋に行って釣りを開始です。まず始めはワームで挑戦桟橋の先端から急に深くなっているのですがほとんど流れがなくてしかも透明通常だと釣れる気がしませんがここはグアムです。入れ食いで困ってしまうはずですが無反応。2回3回キャスティングしてみてもノーバイト「うげげ、まずいじゃん」5回目ぐらいにゆっくりリーリングしていたら15cmぐらいの魚がついてきましたが最後にぷぃと横を向いて離れてゆきました。それからは見向きもしません。そのうち息子が『桟橋の下にでかいのがいる』と言うので見てみたら40cmぐらいの魚が悠然と泳いでいましたが魚の前を通るように引いても無反応でした。それ以降ルアーにしたりスプーンに変えたりいろいろ試しましたが無反応。仕方がないので息子に「フライドポテトかハンバーガーを持って来い」と言ったら『全部食べちゃった』「なにー」『明日になれば出る』「い、い、いるかー」(笑)必殺技も不発に終わりガンガン照りつける太陽にも負けて撤退しました。(T_T)

傷心の二人ですが敗因を考えますとロッドが超安物の390円のコンパクトロッドだった為かな。(笑)最南端から折り返して東海岸を北上です。グアムは常に東風が吹いている為東側に打ち付ける波は荒いような印象を持ちました。道路も台風の事を考えた為かただ単純にアスファルトがひいてあるだけでした。しかも本当の海岸べりではなくほとんど海岸から離れていてあまり海岸を見る事ができませんでした。そういえば電柱は日本の3倍くらいある太さだったんですがその太さでもへし折ってゆく台風ってどんなんでしょう。道路のスファルトさえも流してゆくし、12月8日の台風の時にはホテル部屋のガラスは割れ天井は落ち部屋と部屋の境の壁まで壊されて隣の部屋の家具が押し寄せてきたそうです。台風が通過後も断水停電でホテルの10階まで水をバケツに入れて階段を登ったり降りたりロビーのトイレはてんこ盛りで悪臭を放っていて悲惨な生活でした。でもグアムの人達はとても親切に世話をしてくれましたとの投稿文を読みましたが・・・。
さて途中『恥ずかしながら日本に帰ってまいりました。』で有名な横井庄一さんの洞窟のレプリカがある横井ケープ(戦後20年間ぐらいジャングルに潜伏していただなんて驚きです。)、でもまあ素通り11時過ぎには幹線のマリンドライブに戻ってきました。とりあえずガソリンは満タンにして返すためガソリンスタンドへ。セルフ方式のため自分で入れてキャッシャーで支払い11ドル。その後息子がおみやげにぬいぐるみを買いたいと言ったのには驚きました。ちみも大きくなったんだねぇ「なんでだー?」との言葉は飲み込んでおきましたが・・・。(笑)あっちこっち走り回って結局グアムプレミアムアウトレットへ。さてお昼ですがこの時点でお財布には15ドル悩みに悩んでフードコートの中の韓国料理のモンゴモンゴへ。急に貧乏旅行に早変わりして1人前7ドルですが二人で1人前。飲み物は息子が走り回って一番安かった缶ペプシを二人で1個(笑)並んでいる食材を選ぶシステムで野菜を4種類お肉は牛肉をチョイスたれもチョイス。それを直ぐ横の鉄板プレートで焼いてくれました。二人で分け合って食べたのですがこれが激ウマお皿の中の半分の境界線を打ち破って侵攻しようと思いましたがフォークを握り締めて血みどろの戦争になりそうなのでやめました。(笑)しかし昨日、一昨日の夕食の60ドルっていったいなんだったのでしょう?(笑)
午後1時にレンタカーの人が車の回収に来るためホテルへ、でその足で空港まで送ってくれます。料金は保険込みで一日(24時間)で30ドルこれは事前にお支払いしてあります。来たときは空港からタクシーでホテルまで来たのですが15ドルかかりましたから、レンタカー料金はかなり割安ですね。

ホテルの前で。海人のTシャツでアッピール

空港に送ってもらう車の中でいろいろなお話を伺ったのですが印象に残ったことを少し書きます。失業率は40%(ほんとですかね。右耳の鼓膜が破れていたから聞き間違いかも)グアムの経済は観光に依存しているため非常に厳しい。ホテルも閉鎖したところもあり売りにでているホテルも多数あるそうです。治安も悪化していて3日前にレンタカーを借りたお客さんがkマートの駐車場で昼間の11時に強盗にあったそうです。台風以降レンタカーを借りたお客さんの中で4〜5件車を壊されたりする強盗にあっている。人気のないビーチとか恋人岬に行く道路がその確立が高いと言ってました。えーまじっすか。先に言ってよ。脳天気にドライブしてきましたけど・・・。やはりフィッシングボートには乗らなくて正解だったかも・・・。乗っていたら今頃フィリピン海のサメのえさか海の藻屑となって消えていたかもね。(笑)確かにビーチでもDFSでも人影がまばらで寂しい印象はありました。戦争、台風いろんな要素が絡まりあっているのでしょうが最大の原因は日本の不景気でしょうと勝手に推察してみました。
飛行機は5時発なんですがテロ対策でボディーチェックと荷物検査がめちゃくちゃ厳しくて何時間もかけて無理やり詰め込んだスーツケースを全部開けさせられてへたり込んだとの話や、靴を脱がされて片足でぴょんぴょん飛び跳ねさせるとか(なんの意味があるのか?)テープを体と服にくっつける検査をするとか聞いていたので安全策で1時半には空港にきていました。ところが全ての検査は簡単に1分で終わってしまい思わずもう少し検査をして「お願い、お願い、お願い」と思いました。(笑)仕方がないので空港内で二人で分け合ってウドンを食べたり、(7ドルすべてのドル紙幣は使い切りました)わたちのおみやげは何一つ買ってなかったのですが最後に10年来使ってきた財布が小銭いれのところが破れていてホッチキスで止めてある財布なんですが(財布を開けると小銭がちゃらちゃら落ちる財布です。)あまりにもなので探し回って1番安いカルバンクラインにしました。レシートを見たら40ドルと思って買ったらセールで28ドル。ラッキー(笑)カードで支払いしました。
グアム顛末旅行記を終えるにあたって。
ここ5年ほど腰の手術をしたりでまともな旅行に行くこともなかったのですが(デズニィーランドと大阪USJには行きましたが遊園地は好きではないですね。)2回目の手術の後ややまともに生活ができるようになり、子供達も大きくなり外国を見せたい。海外から見た日本というものを見せてあげたいと思うようになり思い切って出かけてみました。私自身もいろいろ刺激を受ける部分があり大変面白かったです。次回は何年後になるかわかりませんが是非また日本を脱出してみたいと思います。マイレージを貯めるぞ・・・。
独断と偏見のつたない文章でしたが少しでもグアムの雰囲気が伝わったならばうれしく思います。お読みいただいた皆様ありがとうございました