病は気から?



ストラの温かな光が照らすその先は、少女のか細い足。
うっ、と苦悶の色を浮かべたのは一瞬で、すぐにその表情は穏やかなものへと変わる。
「全く…この程度の怪我で済んだからいいものの…あんたは一人で突込みすぎるんだよ、トリス」
ほら、とモーリンが手を離すと、元あった痛みはすっかり消え、キズも綺麗に無くなっていた。
「わ。ありがと、モーリン」
その場でピョンピョン跳ねて感触を確かめるトリスの姿に、モーリンは深い溜め息をつく。
今回は戦いの最中の怪我ではない。釣りをしていて竿ごと引きずられ、足を踏み外し水中へダイブ。そうして出来た傷だ。彼女らしいと言えば彼女らしいが、果たして若い娘がこんな事でいいのだろうか。とりあえず自分の事は棚に上げ、モーリンはそう思った。
「そういえば…ストラって、身体の自己治癒力を高めるんだよね?」
「ああ、そうだよ。その人が持ってる身体の自己修復能力を最大限に引き出してやるのさ」
その答えに考え込むトリスを見て、モーリンは何故今更、と、不思議に思う。 ストラを見たのは初めてでもないというのに。
そんなモーリンの視線に気付いたトリスは、バツの悪そうな微笑を向け、言い難そうにポツリと洩らす。
「うん…あのね……ストラ、ネスに効かないかなぁ、って。ほら、ベイガーってこっちの世界の病気に免疫が無い、って言ってたでしょ? だから治癒力を高めれば風邪とかひきにくくなるんじゃないかな、って思って」
「なる程ね。それでアメルじゃなく、あたいのとこに来たって訳だ」
にっこり言い切るモーリンに、ぐっと詰まるトリス。
「ハハ、図星だろ?」
「うぅ…モーリンの意地悪……」
頬をぷっくり膨らまし、抗議の視線を向ける彼女の姿は、まるで子供。
その年齢にそぐわない可愛らしさに思わず笑みを零すモーリンだが、これ以上機嫌を損なわないようにと、頭をポンポン、と優しく撫でてやる。その行為が更にトリスを子供扱いしているという事実に彼女は気付いていないようだが。
「確かにあんたはスジがいいけど、ストラを会得出来るかどうかはねぇ…短期間じゃムリな話だよ。でもまぁ」
話を聞いているうち、みるみる沈んでいくトリスに優しく笑いかけると、モーリンは彼女の手を取り、ぎゅっ、と握り締めた。
「あんたはその強い意志で出来ないこともやってのけてきたんだ。大丈夫だよ、きっと出来るさ」
「…うん! ありがと、モーリン!」
トリスは満面の笑みを浮かべモーリンの手を握り返すと、それじゃ、とパタパタと駆けていく。
忙しないその様も、彼女らしさの一つだ。良い悪いは別として。
モーリンはそんな彼女の後ろ姿を見て笑う。
「さて…トリスはもう行ったよ。出てきたらどうだい?」
「………」
モーリンの声にカサリ、と葉の揺れる音がし、彼女の背後から背の高い神経質そうな眼鏡の青年が現れる。
「気付いていたのなら言って下さい…人を覗き見してるみたいに」
「何だい、男のくせに言い訳なんて。腐ったこと言ってるんじゃないよ、ネスティ」
バシ、と背を叩かれ、その強さに一瞬息が止まる。
力加減を知らない豪快なモーリンに、ネスティは閉口する他無い。
「ホント、トリスは一生懸命だねぇ…恋する乙女ってヤツは可愛いもんだよ」
「なっ、何を…アイツはそんなんじゃ…! だ、大体、トリスは誰に対してでも一生懸命ですよ。僕だけ特別じゃなく」
「今更なに照れてるんだい、みんな知ってることだろう? トリスがあんたを好きだって事」
「な、ななな…」
「トリスはアンタのために、ストラを会得したいと思ってるんだ。他の誰のためでもない、ネスティ、アンタのために。 この意味、わかるだろう?」
モーリンの言葉にネスティは顔を真っ赤にし、動揺を隠せない。
流石の冷静沈着な彼も、色恋沙汰には弱かったようだ。
「アンタだってそうだろ? ネスティ。まさか今更"違う"だなんて言わせないよ?」
確かに自分はトリスを特別な感情で見ている。
が、だからといって、トリス本人に言えない事を第三者を前に言えるはずもない。
痛む頭を抱え、どうにか誤魔化そうとするネスティだったが、モーリンの、関節をパキパキと鳴らす姿を視界に捉え、もはや覚悟を決めるしか道はなかった。
「…ああ。モーリン、君の言う通りだ。僕も彼女のことが好――――」

パキ。

枝を踏む、一つの音。
「あ……えっと……ご、ごめん」
「と、トリ、ス?!」
緊張のあまり、周囲の気配に気付いていなかったネスティは、すぐ傍にあるトリスの姿に驚愕する。
心なしか、頬をほんのりピンク色に染め、はにかんだ様に微笑んでいる彼女の姿を見て、事の次第をすっかり聴かれたであろうことを確信するネスティ。
あまりにも間抜けすぎる自分に、ネスティは眩暈がした。
「えと…聞くつもりは無かったんだけど……でも、そういう事はあたしに直接言って欲しいかな〜なんて……えへへ… ? ネス??」
ふらり、とその場に崩れるようにして倒れるネスティ。
しかし、いつもは顔色が悪くて土気色になるネスティだが、今日は…
「ネス! ネス、どうしたの!?」
「なんだ、随分赤いと思ったら、熱があったのかい。全く…」
額に手を乗せ、モーリンは安堵の息を吐く。
心配するトリスを余所に、少し呆れるように言うモーリン。だが、その後の行動は迅速で、男手を集めるとすぐにネスティを家の中へ運ばせ、タオルや着替えを用意した。そうして放心状態のトリスに彼を預けると、自分達は部屋を後にする。
「ネスティもあんたに見られるなら問題ないだろう?」
と、そう言い残し。
人の気配がすっかりなくなった部屋で、トリスはやっと落ち着きを取り戻した。
多量にかいた汗を拭き、寝巻きに換えてやる。
意識の無い人間を着替えさせるのは、かなり骨が折れる仕事だ。まして、自分よりはるかに大きな身体をしているのだ、その重みもなかなかだ。 やっとのことで着替えさせ、額の上に冷たいタオルを乗せる。と、熱のためかいつもより肌に浮き出ている異質な模様に気付く。
そっと手で触れてみる。
彼が起きないことを確認すると、トリスは指で静かになぞり始めた。
脈を打つような、力強いモノを感じる。
こうして見るのは三度目であったが、今のようにゆっくり見たのは…
「あ、こないだ見せてもらったんだっけ…ふふ…」
「…何がそんなに面白いんだ?」
「 !!? 」
「顔。だらしないぞ」
ネスティの着替えているところにたまたま遭遇し、彼の肌を見せてもらった時の事を思い出していたトリス。自分の世界に入っているうえ、ニヤケていることに気が付かなかったようだ。
「い、いつから起きてたの…?」
「さて、な」
「…ネスの狸…」
まるでさっきの仕返しと言わんばかりのネスティの態度に、トリスはむぅ、と頬を膨らます。
「そう怒るな。これでも僕は病人なんだぞ。労ってくれ」
ネスティは冗談交じりにそう言うと、そっぽを向いたトリスの頭を優しく撫でた。
くすぐったそうにこちらを向いて微笑む彼女に、ネスティの顔も緩む。
「そうだ、ネス。モーリンにストラ、かけてもらおっか!」
閃いたように言うトリスに、ネスティは指を唇にあて、考え込む。
「全く効果が無い訳ではないだろうが…特効薬というわけにはいかないだろう。怪我ならともかく、病気に対して気をコントロールさせて送るのは難しいからな」
「ええ〜? そうなの?!」
がっくりと項垂れるトリス。
しかし直ぐに気を取り直し、どうやったら効率よく気を送れるのかぶつぶつと考え始めたようだ。
ネスティはそんな彼女を励ますつもりで声をかける、が。
「いや、でも君の気持ちは嬉しかったよ。ありが―――☆○×□?!!」


重なる唇と。
送り込まれるあたたかな、熱。


「…………ぷ、は」
「………」
「…えへへ、どう? 速攻ドーピング(?)効果!」
「……」
「直接気を体内に送れるとしたら、やっぱ、これよね〜」
「……き……君は…」
「?? ネス?」

「君は馬鹿か〜〜〜っ!!」






だがしかし。
意外なことに、トリスにキスをされたネスティは次の日にはいたっていつもと同じ、 お小言を繰り返す口やかましい兄弟子にしっかり回復していたそうな。
トリスの言うように、気が送り込まれて元気になったのか、はたまた、怒りのパワーによるものなのか。
真相は不明だが、この日を境に、ちょっとでも体調の悪い素振を見せるとトリスが気を送ろうとするため、 ネスティは体調管理に一層力を入れた、ということだ。


トリスが本当にストラを会得したのかしなかったのか。
それは治療(=愛情)の対象であるネスティ、彼にしか真実は判らない。


2003.6.14