飲みすぎにご用心。 


(ネスの目、すわってる…?)
トリスが異変に気付いた時には、既に彼はいつもの彼でなくなっていた。
正体を失うほど酔っ払う…例えばそう、今、パンツ一丁で踊っているフォルテのような、 そんな酔い方なら分かるのだが、ネスティは顔色ひとつ変えず、いつもの仏頂面で ただ注がれるままにカップを空けている。
まるで水でも飲んでいるかの如く。
普段ならあんな無茶な飲み方はしないし、また、飲んでも"酔わない体質"と自身が公言する通り、 素面の時と何ら変わりのない彼。
(なんだか嫌〜な予感、するなぁ…もう今日は寝ちゃおうっかな…)
メルギトスとの戦いが終わり、ここフラットで連日開かれるどんちゃん騒ぎも、もう 3日目に突入していた。
流石のトリスも疲れたのか、今日は早めに寝ようと兄弟子に声をかけに来たのだが、 彼の周りは人を寄せ付けない、何ともいえない雰囲気で。
怖い。理由はわからないが本能がそう感じる。
その時。
「トリス、ちょっと…いい?」
逡巡しているトリスに、申し訳無さそうに声をかけたのは。
「ナツミ? どしたの」
彼女こそ、四大世界のエルゴと誓約を交わす最強女子高生、橋本夏美、その人だった。
「うん…ちょっとさ、あの…言い難いんだけど…キミの彼氏」
「あのねぇ…ネスは兄弟子だって何度も説明したじゃない」
トリスの反論を無視し(というか聞こえていないのかもしれない)、ナツミはぼそりと話し出す。
「ネスティってさ、全然酔っ払わないじゃない?」
「うん。体質が違うんだって言ってた…けど、それが?」
「いや、あのね。何とかして酔わせたい、って皆がいうもんだから。入れちゃったのよ、コレ」
「…? なに、コレ」
差し出されて手に取るものの、トリスにその小瓶の正体を判別する知識は無い。
ナツミが見せたものは、彼女の世界では珍しくもない、市販の目薬。
どうやらこちらの世界に来る時、ポケットに入っていたものらしい。
「これをお酒に入れると、酔い潰せるって聞いたことあってさ……ほんと、ゴメン!」
気持ちはわからなくもない。
あのカタブツ眼鏡が羽目を外す姿を見てみたいと思うのは、ある意味、 人として当然の欲求といえるのではなかろうか。
「ま、命に別状ないものならいいんじゃない? ネスも気付いてないだろうし」
そう言ってみたものの、なんだかそれは自分を安心させるための言葉のようで。
トリスは先程から感じる黒い空気に、なんとなく寒気を覚えた。
「で? 何にそれを混ぜたの?」
「清酒竜殺し」
一気に血の気が引く。
どうみても普段の彼とは違う雰囲気に、きっと、少なくとも、多少なりとも酔っ払っているのだろうと トリスは思っていた。
しかし。
(なんてことをしてくれたのよ…っ!)
あの、一口で酒豪のフォルテをも撃沈させる威力を持つ竜殺しを、ネスティは先ほどからガバガバと 水でも飲むかの勢いで飲み続けている。何も無いなんてことは在り得ない。
トリスは先程の悪寒の正体が分かった気がした。
「あ、あたし悪いけど…」
すぐさまここから離れなければならない。
トリスは挨拶もそぞろに、寝所へ引っ込もうと後ずさる。が。
「トリス、ちょっとこっちへ」
「 ぴ 」
今気付いたのか、それとも最初からその姿を捉えていたのか。
今、一番関わりたくない相手にその名を呼ばれ、トリスは油の切れたゼンマイ人形のように ギギギ、と首だけ反転させた。
「な、なんでしょう、ネスティさん。あたし、そろそろ寝ようと…」
「いいからこっちに来るんだ」
「は、はいっ! はい、はい!」
「…返事は一度でいい」
「…はぁ〜〜い…」
"覚えてなさいよナツミ"とでも言いたげに、トリスは恨めしげな視線を一度送って、そうして ネスティの待つ席へのろのろと歩き出す。
「来たわよ、ネス…」
彼の隣の席に腰かけようとするトリスを、ネスティは腕を引いて止めた。
「そこじゃない。こっちだ」
「 は ? ……って、きゃあ!」
とすん。
止められた腕を今度は引き寄せるようにして、ネスティは自分の上に彼女を座らせる。
「ちょ、ちょ、ちょっと! ネス!」
じたばたもがくように暴れるトリスに全く構わず、ネスティは酒の入ったカップに手を伸ばす。
恥ずかしい。恥ずかしすぎる。
いつのまにか皆の視線は自分達に集まっていたが、赤面するトリスとは対象的に、涼しい顔で カップの酒を煽るネスティ。彼は酔っているのだろうが、素面に近いトリスにはこの天国のようで 地獄のような状態はまさに拷問だ。
「トリス、君は本当に可愛いな…」
そう言って頬ずりする。
まるでそのへんのオヤジの如く、何度もスリスリと。
普段の彼からはとても考えられないような恥ずかしい台詞と仕打ちに、 顔から火が吹き出そうな思いを懸命に堪え、トリスはそっけなく返そうと努めた。
「ネス…酔ってるでしょ…」
嫌そうに顔を背けるものの、 その頬は誤魔化しようのないほど、彼女の動揺を映すようにほんのり色づく。
自分の対応が彼の行動を更に暴走させる結果を招いたとも知らずに、トリスはぷい、と横を向く。
「本当に可愛いぞ…食べてしまいたいくらいだ」
ぶちゅっ。
ネスティはトリスの頬に思いっきり口付けた。
「お〜ろ〜し〜て〜! お〜ろ〜せ〜!!」
膝に乗せられながら、耳までも赤く染めて叫ぶトリス。
もはや恥ずかしいどころの騒ぎではない。一刻も早くこの状況から解放されたかった。
「なに、かっ、考えてるのよ! ネスの馬鹿! もう……だいっきらい!!」
「………」
しかし。
酔っている(と思われる)ネスティはいつもと一味もふた味も違う。
トリスの(照れ隠しと思われる)叫びにちょっと顔をしかめた彼は、カップの酒をぐいっとあおり、 そのまま叫ぶ彼女の口を己のそれで塞いだ。
「!? …む〜っ! んぅ〜〜っ!!」
その間、約45秒。
最初はもがき、暴れる彼女の身体から、徐々に力が抜け、脱力していく様が目に見えてわかる。
まるでその力を奪うかのような口付け。
トリスの腕はいつの間にか彼の首に回されていた。
そうしてやっとのことで解放されたトリスの唇から漏れたのは、恨みごとでなく、熱い吐息。
「続きはどうする…?」
「………する」
場の空気は白く固まっていたが、既に自分達だけの世界を築いている二人には 何の問題もない。むしろ邪魔なくらいだ。
「今夜は君を帰さないよ」
どこへ帰すというのだろうか。
トリスの耳元で甘い台詞を囁くネスティに、皆、心の中でツッコミを入れる。
お姫様だっこで運ばれ、消えていくトリスを見送りながら、ナツミは願う。
朝がきたら二人が全て忘れてくれていることを。
(神様仏様エルゴ様…っ! どうか、どうかあたしを守って下さい!!)

酒は魔物。
後日、ネスティの日記にはひとこと、そう書かれていたそうな。



2003.7.26