その先に待つもの 




「またここにいたのか……」
溜め息と呆れがほどよく混じった声で彼は言った。
言われた当人は全く気にせず、彼の姿を視界に捉えると嬉しそうに表情を和らげる。
聖なる大樹。
二年前からそこにあるもの。
二年前から変わらず、世界を浄化させる光を放ち続けているもの。
つい最近まで自分が「それ」であったというが、そう言われても、彼自身ピンとこなかった。
樹になっていたとされる時間は、全て曖昧で。
唯一覚えているといえば、大切な少女の泣き続ける声。
彼自身も、肉体を失ったはずの自分がこの世界へ戻ってこれた理由は分からない。
だが、自分を呼び続ける彼女の声があったから、ここへ帰ってこれたような気がした。
「こっちのネスと一緒にいたんだよ〜」
恐らく自分が声をかけるまで眠っていたのだろう、とろんとした表情でこちらを見る。
「トリス、僕は樹じゃないと…」
「え〜、だって、こないだまでネス、ここにいたんでしょ?」
うっ、と詰まる。当人に自覚が無いのだからなんとも返しようがない。
時々、彼女はこの樹のそばで眠る。
本人は特に理由はないというが、ネスティは何となく察していた。
自分が出かけて帰った後は、必ず彼女がそこにいたからだ。
偶然ではない。それは言い切れる。
(…こうやって君は僕を探し続けるんだな…)
一体どうすれば彼女の不安を消し去ることが出来るのだろうか。
彼女の二年間の思いは想像も出来ないし、どんなに深く探っても彼女自身にしか分からない。 とうてい他人には理解できない感情なのだ。
自分の出来ることで、彼女を安心させる方法は。
(そうだな……いや。だが、その前に)
何を思いついたのか、ネスティはフッ、と口の端を上げる。
一瞬ですぐ元の仏頂面に戻ってしまったので、トリスはそれを見逃したのだが、 もし見ていたらすぐに逃げ出したであろう。 人間とはに己の身に迫る危険に、非常に敏感な生き物であるから。
「…ところで僕は、君に課題を出していったはずなんだが?」
「え? あ。あー」
「呑気に昼寝をしていた、ということは、全て終わっているということなんだろうな」
「えっ、いや、ちょ、ちょっと分からないとこがあって、気分転換でもして頭をすっきりさせようかな〜、 なんて…」
「で、気分転換しているうちに、ついつい、寝入ってしまった…と?」
「あ、あははははー」
「ハハハ」
ネスティは笑っていた。が、なぜか言いようの無い威圧感を感じる。
背筋を走る冷気は決して気のせいではないだろう。
長年の経験から、この後に待つ恐ろしいものを動物的勘で察するトリス。 どうやったら素早く立ち上がり、走り出せるか。 ギリギリの瞬間まで待ちの作戦でいこうと考えた。
しかし。
「そうだな。せっかくこんなに天気がいいんだ、たまには昼寝も悪くない」
意外な言葉が返ってきて、トリスは面食らう。
融機人の時と今と。
感じ方や考え方が変わってしまったのだろうか。
例え融通がきくような性格になったとしても、それは元の彼ではなく、 彼らしさを失ってしまったのかという不安な思いに捉われ、トリスは俯く。
が、次の瞬間体は宙を舞い、視界は180度回転、あげく、布に顔を押し付けられた。
「?! な、なに! こ、これ…っ!?」
首を逸らして何とか布から顔を上げると、トリスはようやく自分の置かれた立場を知る。
抱っこやおんぶではない。まるで荷物のようにネスティの肩に乗せられている自分の状況を。
「ちょっ…ネス、降ろしてってば! 何のつもり?!」
彼の肩越しに喚きながら、唯一自由な腕で背中をぽかぽかと叩く。
流石に、背負って運ばれている状況ではバランスが悪く、うまく力が入らないため、 思うように効果は得られていないようだが。
「一緒にいられなかった分、君の気持ちを分かりたいと思うんだ」
「ネ…」
「まず手始めに昼寝といこう」
「はぁっ?!」
「君の気持ちを分かるには一番だろう?」
血の気が引く。
だが、トリスも反論せずにはいられない。
…例え口で敵わないと分かっていても。
「ひ、昼寝ならここでだって出来るじゃないの、ねぇ、何で家の方に向かってるのよ〜!」
「誰にも邪魔されず、君と二人っきりになれるだろう?」
「え?」
「一人にさせて寂しい思いをさせたからな。今日は特別にたっぷり一緒にいてやろう」
「!!!」
背負われたこの状態ではネスティがどんな表情をしているのかは見えない。
からかわれているのならいいが、もし本気だったら…?
そう思うと恐ろしくて確認など出来やしないのだが、彼特有の、趣味の悪い冗談であることを 願わずにいられなかった。

「ごめんなさい〜! もう課題さぼって昼寝しないから許してよ〜!!」

その叫びが彼に届いたかどうか。
ここリィンバウムに神様はいない。
故に、この先は当人達のみぞ知る、のであった。



2003.7.26