祭のあと □□□□□□□
〜喧騒の日々の中、貴方は何を想っていますか?〜





(いつから君はそんな顔を見せるようになったんだろう。)
(まるで、知らない女性みたいで。)

(僕はひとり、取り残されたような、そんな気持ちになった。)


「ネス…?」
何となく傍にある空気が変わったような気がして、声に出した。
しかし、後ろを振り返るといつもあるはずのその姿は見えなかった。
きょろきょろと辺りを見回せども、マントの端すら目に捉えることは出来ない。
「どうしたの? トリス」
立ち止まり、動揺した様子のトリスを見て声をかけるミニス。
それに気付いた他の仲間達も同様に、トリスの方を向く。
「ネスがいないの。さっきまですぐ後ろにいたのに…」
「この人混みだ、はぐれちまったんじゃないのか?」
串揚げにかぶりつきながら話すフォルテに、だらしない、とケイナが後頭部をどつく。
「浴衣を着て更に可愛らしくなったトリスさんを、ネスティさんが放っておくはずがありません!  きっと今頃トリスさんに色目を使おうとした男の方達を、路地裏で……」
「ちょ、ちょいとアメル、物騒なこと言わないでおくれよ」
「あら。冗談ですよ、冗談♪」
「…………」
大悪魔メルギトスを封印することに成功したトリス達は、旅の後、それぞれの生活に戻った。
トリスの傍には、いなくなったモナティの代わりにネスティが護衛獣として付く事になったが、 まぁ、単なる護衛獣と思っているのは主であるトリスだけで、他の人間は皆、彼の独占宣言だと 認識していたのだが。
そうして慌しく日々が過ぎた頃、ミニスから、ファナンで追悼花火大会をするので 見に来ないかという誘いの手紙が届く。 慰霊祭なので、豊漁祭ほど華やかではないが、それでも久し振りに仲間と顔を合わせるのには いい機会だから、と、モーリンからの言伝もあった。
一も二も無くファナン行きを決めてしまったトリスに、ネスティは何も言わなかったが、実際は 思うところがあったのかもしれない。あまり人の中へ入りたがらないネスティを、 彼の意思も聞かず半ば強引に連れてきてしまったのだ。
もしかして、それで彼を怒らせてしまったのではないかと、トリスは不安になる。
「あたし…ネス、探してくる…っ!」
仲間が静止する間もなく、トリスは下駄をカラカラと鳴らし、元来た道へと走りだした。
(あたし…浮かれすぎてたのかな…ネスに浴衣、見てもらいたくってこんな格好したけど… なにも、何もネスのこと見てなかった…ネスがどんな気持ちでいるかなんて…)
歩く人波に逆らって進むのは中々大変で、更に着慣れない浴衣に下駄では、 流石のトリスも走り難く、直ぐに息を切らす。 なんとなしに痛む足に、トリスはついに走ることをやめ、ゆっくりと歩き始めた。
横を通り過ぎる、幸せそうな恋人達。
彼らを見ながらトリスはなんともいえない気持ちになった。
(あたし…ネスの何なんだろう…)
考えたくなくて逃げてきた疑問が、頭をよぎる。
答えを出すことが怖くて、訊けない疑問。
もし、自分が望む答えを得られなかったら。
その時不意に肩が掴まれた。
「ネ……、っ!」
「一人で散歩とは寂しいねぇ」
「俺達が一緒に遊んであげるよ」
咄嗟に肩の手を振り払う。
(…さん、し……五人か)
瞬時に男達の人数を確認する。
こうして状況を把握するのも戦闘慣れした癖ともいえよう。
考え事をしているうちに繁華街から離れてしまったらしく、見回せども人の姿は無い。
「さ、こっちに来な。優しくしてやっからよ…ククク」
単なるナンパでも金目当てでも無さそうだ。
そもそも、こんな人気の無いところで潜んでいる奴らに、ロクな人間はいない。
だが今日は、いつものように立ち回れる武器も召喚術も無い。
この動き難い格好でどうやって逃げ切るか。トリスはタイミングを待った。
その時。
「ぐあっ…!!」
「ぎゃあっ!!」
「うぐ…っ」
鈍い音と、そして、男達の呻く声。
人が倒れこむ音がしたかと思うと、目の前に見慣れた紅が映る。
「ネ…」
「……そいつらを連れてさっさと消えろ」
「な、何だ、てめぇは…っ!」
「…今日の祭は慰霊祭だったな…お前達の分の花火も追加してもらおうか?」
ネスティが術を唱え、黒い光の玉を創り出すと、男達は慌てて方々に逃げ去った。
男達がいなくなると、ネスティは詠唱を溜め息へと変える。
「…全く、きみはどう」
「………っ…」
しかし。
マントにしがみつかれ、彼は言葉を失った。
トリスの身体は小刻みに震え、洩らすまいと抑えている声が泣いているようだったから。
ネスティは小言を止め、彼女を自分の方へ抱き寄せる。
「どうした…そんなに怖かったのか?」
胸に押し付けるように、がっちりとネスティの体にしがみ付くトリス。
彼の問いかけに頭だけ横に何度も振るが、一向に顔を上げようとしない。
「何故みんなと一緒にいなかった…危険だと知っているだろう?」
幼子をあやす様に、ネスティはただ優しく彼女の頭を撫で、問いかけた。
「……
ったから …」
「 ? 」
「…ネスがいなくて…あたしが勝手だから、ネスが嫌いになって、いなくなっちゃったから…」
ぐすぐすと泣きながら話し出すトリスに、ネスティはぎょっとする。
「何の事を言ってるんだ、君は…僕は君の格好が……って、い、いや、そうじゃなく…!」
きょとんとした顔で見上げてくる紫紺の瞳。
疑うことを知らない、無垢な眼差し。
だが、その表情は以前と違う、女性らしい艶を帯びていて、胸の奥を熱く締め付ける。
「なに?」
「だから…そういう…男を誘うような顔をするな」
「はぁ?」
「見慣れた僕でさえこんな気持ちになるんだ、他の男の前でしてみろ、君は……」
「こんな気持ちって…ネス、あたしに欲情してくれたの?」
「よ、っ、欲情、って、キミは…っ!!」
そっと唇で触れる。
ネスティの上気した頬は、手で触れるより熱を感じた。
「な、何を…っ!」
「えへへ。ファミイさんに感謝しなくっちゃ。ネスに可愛い〜って言わせようと思って、浴衣、 着せてもらったの。だから大成功」
「僕、に?」
トリスの唇が触れた頬に手をあてる。まるでそこだけが自分の身体じゃないようで。
「あったり前でしょ〜!? ネス以外に誰がいるっていうのよ!」
心外だと怒り出すトリスを、再び胸に閉じ込めると、今度は恋人を愛しむように抱きしめた。
互いに、自分の鼓動が相手に聞こえるのではないかと思うくらい、胸が高鳴る。
「すごく…ドキドキしてるの…ネス、聞こえてる?」
「ほう?」
頬を染めながら、恥ずかしそうに言うトリス。
だが、兄弟子の目の色が少し違うことに気付いた時には、既に遅かった。
「ちょっ…ね、ネす! や、ン!」
胸元に寄せられる兄弟子の顔に、恥ずかしさとくすぐったさで思わず息を洩らす。
「な、なにしてるのよ!」
「君が聞けと言ったんじゃないか」
「ちがっ、それはそういう意味じゃなくて…! だ、ちょっとネス、駄目、だって…ば!!」
鎖骨に口付けられ、徐々に露になっていく胸元の涼しさに、トリスは渾身の力で彼を押しのけようと するのだが、上手く力が入らない。
「ユカタっ、崩れちゃうから駄…」
「心配ない。着付けなら習っている」
「う、そ…」
全身から血の気が引く。最後の手段さえ封じられてしまった今、トリスに抵抗の術は無い。
言葉を失ったトリスに、勝ちを確信したネスティはたっぷりと彼女にしか見せない微笑を向けた。
「それに僕は注意したからな。そんな誘うような目で見るな、と」
「え…」
迫る性悪護衛獣の背に、夜空を照らす光の花。
これぞ天の助けとばかりに、トリスは空を指差した。
「ほ、ほら、花火! 始まったよ! 花火見にきたんだから、ねっ?」
「ああ、そうだな…君は見てるといい。ただし……見ていられるものならな」
辺りには人気の無い草むら。ちょっと高台になっていて、花火を見るには絶好の場所だ。
しかし。
目の前にいる大好きな人は、花火など眼中にない。
ついでにいうと、弔いのための祭であることなどすっかり忘れられている。

「覚悟はいいな? ご主人様」

耳元で囁かれる甘い響きに勝てるはずもなく、トリスはただただ、仲間が早く自分達を探し 出してくれることを祈るほかなかった。


2003.7.22