例えば、その何も知らない身体に全てを刻んで。 自分のモノにしてしまいたい感情とは正反対に。 いっそ、殺してしまいたい程の激しい感情がある。 醜い、心。 知っても君は離れてしまわないだろうか? ギリギリのラインで僕の心は不確かに、揺れている―――――――― 熱 情 「ネスってさ、欲情とか、したりするの?」 唐突に質問され、その内容を真に理解するまでしばし時間を要す。 あっけらかんとした顔で、恥ずかしげも無く、そう尋ねてきたのは妹弟子のトリスだった。 「・・・どういう意味だ?」 表情は崩さず、至って平静を装って答えるネスティだが、その心中は穏やかでない。 時刻はとうに日付を変えている晩さで、妙齢の女と男が部屋に二人きり。 派閥から与えられた部屋ではあるが、トリスの部屋の周囲のそのほとんどが空き部屋で(老朽化した建物である、という理由もあるが)、二人以外の音は全く聞こえなかったし、二人の音が他に聞こえることも無かった。 そんな状況でトリスがしてきた質問に、ネスティが面食らうのも無理は無い。 誘っているのか、と、取られても仕方の無い発言だが、この呑気な妹弟子に限ってはそんな事もあり得ないだろう。 ネスティは自問自答に終止符を打つと、深い溜息を吐き、心底呆れたフリをする。 「・・・僕は君がどうしても、というから自分の時間を割いてこうして教えにきているんだが?」 「だって・・・さ、皆がね、そういって聞いてくるんだもん・・・」 「そんな馬鹿な質問に構っている暇があったら、少しは勉強に力を入れて欲しいものだな」 「むぅ・・・」 ぐうの音も出ないよう言い負かせば、こんな馬鹿な質問など、もうしてこないだろう。 ネスティは意地の悪い自分を演じることで、トリスの興味を他へ移そうとした。 そもそもトリスの部屋にこうしてネスティが居る、というのは、彼女が講義をサボり、まともに授業を受けず、落第点をとりまくった所為なのだ。男女のあれこれを教えにきている訳ではない。 そんな事を言外ににおわすネスティだが、彼の予想を裏切って、トリスは話題を変えずに話し続ける。 「・・・ふぅ〜ん、年上のお姉さん達が手取り足取り御教授してくれるって訳だ・・・」 「何だ、それは」 「べっつにぃ〜?ご自分の胸にお尋ねになったら如何ですかぁ?」 椅子に座ってぶらぶらさせていた足を止めると、トリスは急に立ち上がってベッドに身体を沈めた。 何が彼女を不機嫌にしたのか分からないが、ネスティにとっては八つ当たりもいいところである。 一見、人と同じに見えても実際は異なる種族。 融機人という、この身体である限り、他人とは触れ合えないのだ。まして他人に興味の無いネスティが、年上であろうとなかろうと、美女だろうが野獣だろうが相手にする筈も無い。 そんな事は当然わかっている彼女がそんな質問をしてきた、ということは。 「誰に何を吹き込まれたのか知らないが、君が気にする必要は無いといつも言っているだろう?」 成績優秀・眉目秀麗。 最年少で召喚師の名を手にした、そんな彼が、派閥の少女達の注目を受けないはずは無い。 その雰囲気と、元来の人嫌いで、彼に近付いてくる女の子はそうそういなかったし、例えそんな命知らずな人がいたとしても、ネスティの慇懃無礼な対応についてこれる女性など皆無だった。 尚且つ、派閥でそれなりの地位に立つ人間であれば、ネスティが如何に優秀であろうとも"婿"に出来ない理由を知っている。本来であれば喉から手が出るほど欲しい人材であっても、己の娘を異界人の妻には出来ない、と、諦めていた。 で、あるからして、必然的にネスティに近寄ってくる女性は中流以下の貴族の娘くらいなもので。 そんな彼女達を全く相手にしないネスティが、妹弟子だからという理由で、トリス一人だけに構うのは面白くない人間もいるようだ。 勿論、ネスティがトリスに接するのは兄妹弟子関係だからという理由だけではないのだが。 「・・・女の子に興味が無いんなら、男色家だって言われるよ?」 トリスはベッドの上で大の字になりながら、天井を仰ぎ、呟いた。 ネスティはこの台詞で腹を立てるより先に、トリスのショックが大きかった事を心配する。 「何を、言われた?」 「・・・・・別に」 両手を組み、視界を塞ぐ。 その態度に、どうやらこれ以上彼の話を聞くつもりも、話すつもりもないらしい事を察する。 いつもならそのまま放って置くのだが、何故か今日は出来なかった。 ギシリ、と音を立て、椅子から立ち上がるネスティ。その音に、微かにだがトリスが震えたのを見逃さない。 「・・・当ててやろうか」 トリスの傍に立ったまま、ネスティは答えない彼女に呟いた。 しかも言葉は疑問形でありながら、語尾がそうなってないところをみると、彼もまた、彼女の返答など求めて無いらしい。 「女性の影が全く無い。だからと言って君に手を出している訳でも無い。これは僕に男色の気があるか、君に女を感じない所為のどちらかだ・・・・と、大方そんな事を言われただろう。どうだ?」 「・・・・ご名答。流石はネスティ・バスクさん」 皮肉めいた声で答えるトリス。 ネスティはそんなトリスに溜息を一つ吐くと、彼女の傍に腰掛けた。 「他人がどうこう言おうと関係無いだろう?君に女性としての魅力が無いとは僕は思わないが?」 「・・・・・」 「一応言っておくが、僕はそっちの気もないからな」 「・・・・・」 「トリス」 「・・・・・」 「・・・まぁ、いい。続きは明日教えてやるから、今日はもう寝ろ」 ネスティがそう言って立ち上がろうとした、その時。 何者かにその腕が掴まれ、邪魔される。 「!っ、トリス?」 どうした、と続けようとするネスティの言葉を遮って、トリスは小さく呟いた。 「じゃあ、ネスはどうしてあたしに何もしないの?」 切羽詰まったような瞳を向けられ、ネスティは思わずくっ、と笑う。 「わ、笑うことないじゃない!」 顔を紅潮させて怒りを露にするトリスだが、そんな彼女が余計に愛おしくて、ネスティは耐えられずに大声で笑い出す。 そんなネスティの態度に、なによぉ、と瞳を潤ませるトリス。 ネスティはひとしきり笑って満足したのか、ふう、と息を吐き、トリスの頭をぽんぽん、と撫でた。 泣いている幼い子をあやすかのように。 「・・・またそうやって子供扱いする・・・・」 上目遣いにネスティを睨みつける仕草も可愛らしく、ネスティは破顔する。 そんな彼の笑顔に思わず見とれたトリスだったが、次の一言でその紅い顔は一転、青に染まった。 「君は大事な妹弟子だからな・・・見習いの間は、師範に"間違いを起こさないように"と強く言われている」 「え?」 「・・・だが、僕もこう見えて男だからな。理性が限界にくることもある」 「あ、あの・・」 「据え膳喰わぬは男の恥、とも言ったな。・・・どうだ、試してみるか?」 さっきまで自分が掴んでいた筈の腕が、今は逆にネスティによってしっかりと握られている。 眼鏡の奥に光る笑顔。その妖しげな瞳にトリスは慌てる。 「や、やだっ、ちょ、ちょっとネス、嘘、ねぇ、ま、待って・・・!」 咄嗟にガードしようとした手を片手一本で押さえ込み、ネスティは残った手でトリスの顎をグイッと引き上げる。 目を閉じて、行為を待つ。抵抗の手は何故か止んでしまった。 「ん・・・」 しかし、降ってくる筈の唇は、予想を反して頬に口付けを落とした。 押さえられた腕が解放され、トリスの身体は自由を取り戻す。 「ね、す・・・?」 「どんな男でもこうやってオオカミになるんだ。・・・あまり男を挑発するような言葉を口にするんじゃない。いいな?」 「う、ん・・・」 ネスティはそう答えたトリスに優しく微笑むと、呆然とするトリスをそのままに、部屋を後にする。 残されたトリスはといえば、しばらく頬を押さえ、その熱さに胸を鳴らしていた。 「これって・・・結局どういう意味なの、ネス・・・」 不完全に燻る想いが胸を締め付ける。 曖昧に濁された返答。 だが。 「・・・全く・・・・こっちの身が持たない」 扉の前で安堵の息を漏らすネスティ。 彼もまた、己の欲望と理性との間で懸命に戦っていたのだ。 無論、それはトリスの知るところではないが。
例えば、何も知らないフリをやめたら。ネスはあたしを抱いてくれるんだろうか。
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あたしはネスが思っているほど、綺麗な人間じゃない。 □□□□□□□□□□□□ 嫉妬もするし、ネスに近付く女の子を殺めたくなる事だってある。 □□□□□□□□ とても醜い、心。□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ それでもネスに知られたくなくて、何も知らない子を演じてる、卑怯者で。□□□□□ いっそこの関係が壊れてしまえばいい、そんな危険な感情を抱いて。□□□□□□ どっちかが一歩踏み入れば、簡単に崩れてしまう、そんな関係に支えられてるけど。 あたし達は、今、ギリギリのラインに立っている。□□□□□□□□□□□□□□□ 「・・・でも、もう限界かも、しれない・・・・・・」 それはどちらからと無く、漏れた言葉。 嵐の前の、一時の静けさのように、二人の心は、穏やかに波打つのだった――――――――― |