「トリス……?」 アメルが声をかけるのも躊躇うくらい、聖なる大樹の下で気持ちよく寝息を立てるトリス。 樹に背をもたれ、器用に眠るトリスに、思わず笑みがこぼれる。 膝の上には作りかけの、花で編んだ首飾りのような花冠のような物あった。 その手の中には、まだ、シロツメクサが握られていて。 「…ね……す…」 眠るトリスの口から零れた言葉は、愛しい人の名。 閉じられた瞳の奥から、想いが溢れ出すように、睫毛を濡らす。 「トリス、何の夢を見ているの……?」 アメルはトリスの涙をそっと指で拭い、呟いた。 指輪 小さい頃、あたしはまだ、自分がクレスメントとか調律者とか、そんな事は全く知らないただの子供だった。 毎日毎日、脱走しては(全部未遂に終わったけど)ネスに連れ戻されるばかりで。 帰る場所が無いことなんて知ってたけど、それでも、自分の居場所はここに無かったから。 あの街に戻れば昔に帰れるような気がして。 いつもネスやラウル師範を困らせた。(半分以上はネスに、だけど。) 二人の事は嫌いではなかったけど、あたしは…… 「……講義をサボってるかと思えば、またここにいたのか…」 ぶつぶつ言いながら、また彼がやって来る。 彼の名前はネスティ・バスク。 ネスティというあたしの兄弟子は、決して優しくない。怒りんぼうだし、イヤミが多い。 兄弟子だから、と、嫌いな勉強をさせたり、脱走から連れ戻したり。 毎回毎回飽きもせずお小言を繰り替えす、あたしにとってあまりありがたくはない存在だ。 いい加減、無駄なことに気付いて欲しいわよ。 本当はネス、頭が悪いんじゃないだろうか疑ってしまう。 こういう風にいうと、ネスは面倒見がいいお兄さんのようだけど、実際は違う。 彼はどうやらあたしの事が嫌いらしい。 はっきりと口にされたワケじゃないけど、これはなんとなく分かる。 時々、あたしを見る眼が怖いくらい冷たいから。 ただ。 あたしはここに来るまで孤児だったから、軽蔑されるとか、そんな人の眼には嫌というほど晒されてきたから慣れている。けど、ネスの眼はそれとはまたどこかが違った。 あたしはネスのお小言を無視して、花を紡ぎ始める。 もっともっと小さい頃、孤児院のお姉さんに教えてもらった花の冠。 ここで一面に咲いているこの花を見つけて、思い出したのだ。 「…あ、あれ…?」 「………」 「…う、んと、これは…こう…なって、………」 「……」 「こう…かな…?」 手の中の花たちは、思うように形どってはくれなかった。 「やっぱり見よう見まねじゃ無理なのかな…花も元気なくなってきちゃった…」 まるであたしみたいだね、と傍でじっと見ているネスに、えへへ、と笑ってみる。 どうせまた馬鹿にするんだろうけど、と、そう思った瞬間。 「貸してみろ」 ほとんど強引にあたしの手の中の花を取り、ネスはあっという間に花を編み上げて、見事な花冠を作り上げる。 「ほら」 ネスはあたしの頭にそっと冠を乗せると、勢いよく立ち上がって 『行くぞ』 、と歩き出した。 あたしは慌てて彼の後を追う。 「ねぇ、ネス! ネスってば!」 「…何だ」 「ネス、お花の冠上手だね〜。誰かに教えてもらったの? ラウル師範?」 「…別にあんなもの…上手だからといって自慢できるものでもないだろう」 ネスは相変わらずぶっきらぼうに答えてくれたけど、その後ろ姿から覗く耳が、ちょっぴり赤くなってることに、あたしは気付いてしまった。 そっか。 そうなんだ。 「ね、ね! 次はシロツメクサのお花で、指輪も作ってくれる?」 「……次のテストで8割以上取れたらな」 「え〜〜?! そんなの無理だよぉ!」 ぶうぶう抗議するあたしと、それに律儀に答えるネス。 完全に突き放すわけでもない、そんな不思議な兄弟子を、あたしは心底嫌うことが出来なかった。 この頃のネスの心情を考えると、泣きそうになる。 あたしを恨んで、憎んで、罵って…なにをしても許されるべき人なのに、ネスは。 真実を告げることもせず、ただ一人、自分の胸にしまって、苦しんでいた。 優しい、優しい、あたしのたった一人の人。 「…ネス…」 「トリス…」 ネスティの名を繰返すトリスに、アメルは心配になり彼女の肩に手をかける。 と、その時。 「…どうしたんだ? アメル」 「あ、ネスティ…どうもこうも…この通りです」 二人のもとに現れたのは、深紅のマントを身にまとった、端整な顔立ちの青年だった。 「またここで昼寝してたのか…もうすぐ陽も暮れるというのに…全く」 肩を竦めて呆れるネスティに、アメルはふふっ、と悪戯っぽく微笑む。 「ネスティ。お姫様は王子様のキスでなきゃ目覚めない、って昔から決まってるんですよ」 それじゃあたしは先に戻ってるので、どうぞごゆっくり戻って来て下さい。 あ、でも夕食には間に合うように帰ってきて下さいね? アメルは言いたいことだけ言うと、さっさと家へ戻っていく。 残されたネスティは呆気にとられながらも、ちょっとだけ耳を赤く染めていた。 「……トリス、こら、いい加減に起きないか。風邪をひくぞ?」 耳元で囁く。 耳にかかる息がくすぐったくて、トリスはうう〜ん、と、その瞳を開けた。 「あ、ネス…」 「…やっと起きたか…全く、どれだけ寝れば気が済むんだ」 「あれ、ネス…、これ作ってくれたの?」 見ると、膝の上には作りかけであったはずの花の冠が完成して置かれている。 相変わらず不器用だな、と、ネスティの嫌味にもめげず、トリスはにっこり笑う。 「やっぱりネスは器用だね〜。あ、ついでだから指輪も作って欲しいな。結局あの後、ネスに作ってもらえなかったし」 (結局、というか当然ながら、トリスが80点以上取る日は訪れること無く、憧れの指輪を手にすることは終に叶わなかったらしい。) 君はまがりなりにも女の子だろう、と、ネスティは呆れながらも、シロツメクサを紡ぎ、器用に可愛らしい指輪を作り上げる。 「ほら、これでいいか?」 「うん! あ、そうだ、せっかくだから…ネスがつけてくれない?」 ここまできたついでだから、甘えるだけ甘えみよう、と、トリスはダメもとでネスティに頼んでみる。 ネスティは意外にもすんなり了承し、トリスに目を閉じるよう促した。 「じゃ、はめるぞ?」 「うん!」 ネスティがトリスの左手をそっと手に取る。 あ、ねぇ、なんだかこういうの、女の子の夢だよね、と照れ隠しに言うトリスだったが、指に感じる違和感に、閉じていた目をバッと見開く。 「こ、これ…?」 「…まだ途中だぞ? マナーのなってない奴だな、全く…」 「だ、だって…」 「…約束、だったからな」 「…っ、ネス……!」 トリスの左手の薬指に光る、硬質な銀のリング。 中央には彼女の瞳と同じ、紫紺の色をした宝石が輝いていた。 それはどんなに時が流れても色褪せない、永遠の証。 永遠を誓う、約束。 イメージソング…坂本真綾「指輪」 02.10.26 HAL |