キミと出会ってから、一年。



あの日の返事は、まだ出せずにいる。









- 君去りし後(後編) -



「あれから…もうすぐ一年になるわね」
「ええ、ほんとに。あっという間でしたね…」
そう言って、二人は手の中のカップを口元へ運ぶ。
湯気の立つその液体は、先程クノンが淹れてくれたものだ。
「…で? 本当は何なの? 思い出話をしに来た訳じゃないんでしょう?」
アルディラに意地の悪い微笑みを浮かべられ、アティは呻くように言葉を詰まらせる。
一年近く前、彼女は「一人のためだけの先生」から「皆の先生」となるため、この島に帰ってきた。
慌しくあったが、それでも充実した日々。
が、そんな気持ちでいた彼女を、時折ふと、どうしようもない空虚感が襲う。
心にぽかんと穴が開いているような、そんな想い。
その正体を尋ねた時、向いに座る親友は小さく笑って言った。自分で考えなさい、と。
それから半年が過ぎ。
「まだ悩んでいるの?」
アルディラの問いに視線を合わせず頷く。
「貴方は難しく考えすぎなのよ。私、前に言ったわよね? "恋愛は左脳でするんじゃない"って。 理屈や理論じゃない、感情が先に立つもの…割り切ることなんて出来ないのよ」
この私が言うのよ? と、そう言ってアルディラは屈託無い笑顔を向けた。
「あの子、マメに手紙くれてるじゃない。何も言わないの?」
「うん…学校のこととか、皆はどうしてるか、なんて書いてあるだけ」
「……本当に貴方って、恋愛に関しててんで子供なのね…彼の方がよっぽど大人だわ」
うう、と小さくなる彼女に笑うと、アルディラは誰も聞いていないだろうに、そっと耳打ちする。
「知ってた? 私ね、彼に貴方の事を頼まれていたのよ?」
期待通りに頬から何から赤く染めるアティに、アルディラは思わず声を上げて笑う。
「わ、私っ、島の見回りしてきますね!」
アティはこれ以上からかわれては堪らないと、慌てて部屋を飛び出す。
扉の前でお茶のおかわりを持ってきたクノンにぶつかりそうになり、少しよろめきながら、それでも 逃げるように去っていくアティ。 そんな彼女の後ろ姿を見て、涙を流しながら笑う主人の姿にクノンは首を傾げていた。

「絶対に読まれてる気がする…」
いつもの見回りコースを一人歩きながら、アティは呟く。
正確には一人と一匹。
眼鏡をかけた二足歩行のネコ。ウィルの護衛獣、テコである。
軍学校の寮に入る彼について行く訳にもいかず、彼が卒業するまで島に残ることとなった。
「ミャーミャミャ?」
「え? ううん! 何でもないですよ、テコ」
「ミャ〜?」
みんなとは違う"好き"を自覚してから半年。
この歳にして初恋なのかと馬鹿にされたが(主にアルディラやミスミに、である)、この歳だからこその問題か、 元来の性格によるものか。二人の関係に発展はこれっぽっちも無かった。
互いに離れているのは仕方ないとして、一番の問題はアティ自身。
彼女が彼に気持ちを伝えられないため、このお子様恋愛は遅々として進まないのだ。
(手紙より、会って直接今の素直な気持ちを伝えたいし…それに…)
その時、遠くに聞きなれた叫び声が響く。
「ダメですの〜っ! 離して下さ…っ、きゃあ!!」
「マルルゥ?!!」
二人は声の方に向かって駆け出す。召喚獣であるテコの方がいち早く、アティが到着した時は既に テコがその姿を捉え、何者かに威嚇しているところだった。
「フーッ!!」
「何だぁ? お前も密漁か?」
「え?」
「だがこいつは俺の獲物だ。高く売れそうだからな…悪ィが余所へ行ってくれ」
アティの姿を見て安心したのか、聞いてもいないことをペラペラと喋りだす男。
詠唱が出来ないよう、布で口を覆い、品定めするようにマルルゥを眺めると、 持っていた大きな袋に詰め込もうとし始めた。
「その子を返して下さい」
「ああ?」
「その子は私達の大切な仲間です。…いえ、その子だけじゃない、この島にいる全ての召喚獣が 私達にとってかけがえの無い、大切な友達なんです。勝手に連れて行かれては困ります」
「大切な…仲間、だって?」
男は大声で笑い出す。
「…何が可笑しいんです」
「ハッ、結局何だかんだ言って、テメエもこいつが欲しいって訳か。そんな見え透いた嘘までつきやがって」
「っ、嘘なんかじゃありません!!」
男はマルルゥの頬にナイフの刃を向け、アティを睨みつける。
声を出せないマルルゥから、ひっ、と悲鳴があがったような気がした。
「そんなに大事なお友達なら、傷つけたくないよな、お嬢ちゃん?」
「…っ!」
アティは手に掛けていた剣を引き抜けずに、その手を降ろす。
一歩も踏み込めず、焦りだけがただ、彼女の中を占めた。
男はそんなアティに満足そうな笑みを浮かべると、退路を求め、道を塞ぐ彼女に退くよう手を払う。
「さぁ、分かったらとっとと退―――」

「退くのは貴方の方ですよ? ……テコ!」
「ミャア!!」

男が声の方を向くと同時に、テコがその手に飛び掛る。
慌てた男が手の中のマルルゥを取り落とした、その一瞬の隙に、背後から現れた何者かが彼女を奪い取った。
「もう、大丈夫だよ」
口を覆う布を外してもらったマルルゥの第一声は。
「委員長さん!!」
一年前より背は格段に伸び、少年らしさを残しながらもその大人びた風貌は以前とまた違って、 青年へと確実に変化していく様子が伺えた。
「ウィ…ウィル?」
「お久し振りです、先生」
「いつ、ここへ…」
ウィルはぽかんと口を開けたアティに苦笑しながらも、視線の先を別な方へと向ける。
「説明は後で。それより先にあいつを何とかする方が先じゃないですか?」
「あ!」
すっかり忘れ去られた男はウィルの言葉にハッとし、持っていたナイフを向け、彼に襲い掛かった。
アティは女性だが、力量は不明だ。それよりもまだ、少年であるウィルの方が何とかなるだろうと男は踏んだのだが。 どちらを選んだにせよ、この場合は相手が悪い。
「……っ!」
金切り声を上げて切りかかろうとする男のナイフをかわし、己の短剣の柄を鳩尾に当てる。 そして容赦なくその後頚部に一撃入れると、男はあっけなく地面に沈んだ。
男が使うはずだった袋にかけてあった紐で容易く男を縛りあげるウィルの姿を、皆、声も出さずに見つめる。
「何を見てるんですか、全く……マルルゥ、誰か力のありそうな人を2、3人呼んで来てくれないか?  この人を連れて行ってもらわないと」
「は、はいですぅ〜!」
「テコ、お前は念のため彼女を護衛してあげてくれるかい?」
「ミャア♪」
大好きな人に頭を撫でられ、テコは嬉しそうに目を細めると、彼に言われた通りにマルルゥの後を追う。 そんな二人の姿を見送るウィルを、アティはただ見つめていた。
「先生?」
視線に気付き、彼女に向き直る。
しかし面と向かって自分を見つめる瞳に、返事が出来ず、アティは胸の辺りを押さえた。
(言葉、が…出てこない……どうして…)
明らかに様子がおかしい彼女に、ウィルは体調が悪いのかと、額を合わせて体温を確かめる。
「?!!」
「……熱は無いみたいだけど…そのわりには顔色が……って、先生?!」
緊張が最高潮に達したのか、自分の名を呼ぶウィルの声を遠くに聞きながらアティは意識を失った。

ゆらり、ゆらり。
船の上にいるみたいに揺られている。
そんな浮遊感を感じ、アティは徐々に意識を取り戻す。
(…温かい……昔を、子供の頃を思いだすようで、何だか…)
「気持ちいい…」
「 え? 」
その声に驚いたアティは、ウトウトと半覚醒状態だった意識を一気に引き戻した。
が、見開いた目で、今の自分の現状に驚愕する。
「な、ななな…一体どうしちゃったんです、私!?」
「…と、あんまり暴れないで下さいよ、先生。落ちますよ?」
どうやら気を失ったらしい自分をウィルは背負って運んでくれているらしい。
横を見るとテコが嬉しそうに彼の後に続く姿が見える。
「ゴメンなさい…」
自分が気絶している間に全て終わったのかと思うと、恥ずかしさでいっぱいだ。
年長の身でありながら、と、しゅんとするアティに、ウィルは小さく笑う。
「いえ、あれは僕が悪かったから…驚かせてすみませんでした」
軽々と背負う後姿。
声も身体も、同じ人間なのにまったく知らない人のようで少しだけ怖かった。
変われない自分を残して、変わっていってしまったのではないかと。
だから会うのが怖かった。
(どうして言えないんだろう…簡単な事なのに…)
今更にして気付かされる。
あの時自分に告白してくれたウィルの想いが、決心がどれほどのものであったかを。
「…簡単じゃ、ないよね…」
ポツリと呟くアティの言葉の真意を測りかね、ウィルは首を傾げる。
「大きくなったんですね、ウィル。こないだまでは私が背負れるくらいだったのに」
「まぁ、あれから一年も経ちますし。あの頃のままじゃ困るでしょう?」
「あはは…立場逆転ね、これじゃあ」
「人間は変われるって、変わる生き物だって、先生が言ったんですよ?」
だからたまにはこういうのもいいじゃありませんか、と、ウィルは茶化すように言う。
高鳴る心臓の音を聞かれているのはないかという不安を抱きながら、アティが言葉を発しようとした、その時。
「……本当は戻らないつもりでいたんです」
「!」
「もっと大人になるまで…貴方に追いつくまでは会わないつもりでいたんです」
「ウィル…」
「でも、駄目ですね。我慢出来なかった…僕もまだまだ子供で―――」
「違う!」
「え?」
「子供とか…そんなこと関係ないの。私だって……ウィル、貴方に会いたかったから…っ」
「先生…」
「だから…、だから…っ」
それ以上は続かなかった。
「……あいかわらず貴方は泣き虫なんですね…」
「うっ、く…」
「言ったでしょう? 僕の想いは変わらないって。育ってはいくけれど、無くなりはしない。 だから、焦らないで下さい。…僕はいつまでも待ってるから…だから…」
ピタ、と足を止める。

「待っててもいいですか?」
「待っててもらえるかな?」

重なる声に、一瞬の間を置いて笑い出す二人。
しかし、アティは彼の耳が赤く染まっていることに気付き、そっと触れる。
表情が見えないゆえ、余計に気になるのだ。
「!?」
「耳、真っ赤だね?」
「…そ、そりゃあ…っ、な、何を…!」
背負われたまま身を乗り出し、顔を覗こうとするアティから、ウィルは懸命に視線を逸らす。
「ちゃんと顔、見せて欲しいな?」
「〜〜〜っ、先生、からかってるでしょう…」
拗ねたような少年らしい声に、アティは少しだけ安心する。 恋愛初心者といえども、まだまだ年上の威厳というものを見せたいし、教師としてのプライドもある。
なけなしのプライドではあったが。
「それで、どうするんですか?」
「何がです?」
「何って…このままでいるか、それとも降りて歩くのかって事ですよ」
ふぅ、と溜め息をつく仕草も口調も、あの頃と変わり無い。
一人で動揺していたのが嘘のように、気持ちが凪いでいる。無論、鼓動の方は変わらなかったが。
「せっかくだから、このまま連れて行って欲しいな…駄目?」
「駄目なら訊きませんよ、最初から」
ちょっと嫌味っぽい返答も単なる照れ隠しで。
アティはそんな彼に小さく笑う。
「ところで…どうやってここまで来たんです?」
「カイルさん達の船に乗せてもらったんだ。学校も長期休暇に入ったとこだから」
軍学校の生徒が海賊船に乗っていいものだろうか、と突っ込みたい気持ちもあったが、それよりも先に 確認しておかなくてはならない事があった。
「あのね…」
だが、彼女が言い切る前に答えが返ってくる。
「また休暇に合わせて来ます。…今度はもう少し早めに来ますよ」
お互いに我慢できなくなる前にね、と小さく付け加えて。





(背伸びしなくていい、等身大の恋。)

(恋は一人でも出来るけど、恋愛は二人じゃなきゃ出来ないから。)


(私の恋は、やっとここから歩き始める。)