〜第六夜〜


(ソルが「弟」?しかも、想って……)

急な展開に思考が追いつかない夏美。
一方、そんな夏美に構わず、倉菜は話を続ける。
…どうやらかなりのマイペース人間のようだ。
瀬戸家は、長男・長女・次女・次男…と続く四人兄弟(姉妹)だった。
この長女と次男がそれぞれ倉菜と想にあたる。
家が神社という事もあってか、兄弟は昔から勘(感)が鋭く、人には見えないものが見えたり、気配を感じる等、他人とは違う能力を持っていた。だが、成長する度に周囲の奇異の目に耐えられなくなり、中でも想は特に他人との接触をひどく避けてきたのだという。

ゆえに。

「あの子があんなに興味を示す貴方と、一度お話したかったんです」
「あたしに…?」
「はい」
微笑む倉菜。
しかし少し前に「あんた誰だ?」と言われた夏美だ。
少なくとも興味を示していた人間の態度とは思えない。
怪訝な表情の夏美に、倉菜は意味深に笑う。
「…あの子、見てませんでした?窓の外」
そういえば、と、図書室の窓から外を眺めていた想の姿を思い出す。
夏美は彼が夕焼けでも見ているのだと思っていたのだが。
「フフ…あの子、毎週あの時間、決まってあそこから見てるのよ」
「何を…ですか?」
夏美にはまだ、倉菜が何故そんなにも嬉しそうなのか分からなかった。
(毎週…?今日は木曜日だから、あの窓から見えるのは第二グランドで、あの時間は―――)
そこまで考え、夏美は"まさか"という顔をする。
「そうなの。あの子はいつもバレー部の夏美さ―――」



「姉貴!!」


ゼイゼイと息を切らして会話を中断させたのは、話題の中心人物である想、その人だった。
手には、沢山のペットボトルが入ったコンビニの袋を下げている。どれも皆、スポーツドリンクの。
照れたような怒ったような…そんな表情の想。
こんなにも似ているのに、ソルとは違う人。
夏美の心は再び痛む。
「―――ほら」
突如差し出されたのは、彼が手にしていたスポーツドリンク。
自分とソレを交互に見て戸惑う夏美に、想は短く、ぶっきらぼうに言った。
「…水分補給しとけよ」



(怒ったような、照れた顔)

(言葉少なめの、優しい声)

(どれをとってもソルなのに)

(ソルじゃない、ヒト)



夏美は声に出したい思いと、触れたくなる衝動を懸命に抑える。
別人なのだ、と、何度も繰り返し繰り返し言い聞かせながら。
そんな夏美の苦悩を知ってか知らずか、倉菜は想に提案する。
「じゃあ…もう外も真っ暗だし、想、あなた彼女を送ってあげたら?」
「はぁ?!何で俺が送―――」

にこにこにこ。

倉菜の笑顔。
提案という名の強制。
意義を許さない無言のプレッシャーに、想の反論は止まる。
彼は諦めたように立ち上がり、自分の黒いリュックを左肩に背負った。そして夏美の鞄とスポーツバックを手にして部屋を出る。
呆気に取られその光景を見ていた夏美は、ドアの閉まる音でようやく我に返った。
「あ、あの…」
「心配しないで。私は籐矢君の部活が終わるのを待ってるから。ほら、早く」
倉菜に半ば追い出される形で、夏美は保健室を後にする。
とりあえず玄関まで行くと、そこには想の姿があった。が、彼は姿を確認するとさっさと歩き出し、夏美は慌てて彼の後を追いかけた。



近すぎず、離れすぎず。
一定の距離を置いて歩く二人。
いつもの夏美なら、「折角一緒に帰ってるんだから何かお喋りしようよ〜」とか何とか言うのだが、今の彼女にそんな余裕も無く。
ただ、物も言わない想の後ろを大人しくついて歩いた。
二つの白い息が街灯に照らされ、水蒸気に変わって。
同じ道なのにいつもと違う帰路の中、夏美はいつものように視線を外す。
そこにはあの―――ソルに呼ばれた、異世界への旅の始まりとなった公園があった。




「――っ、おい!!」
「…え…?」



焦りの色を浮かべた想。
呼び止められたことに驚く夏美だが、自分が今居る場所に気付いて更に驚く。
夏美は無意識に、ふらふらと公園の中に入ろうとしていたのだ。
無意識に…訳は考えなくても分かってしまう。
あの瞬間に戻りたい意識が頭の隅にいつでもあるから。
だが、何も言わず黙ってしまう夏美に、想はその手を力強く引っ張り、歩き出した。
「え、ちょ、ちょっと…」
ずんずん進む想に戸惑う夏美。
公園を抜け、元の道に戻り、少し歩いた所でやっと彼の足が止まる。
「寄り道は却下だ。それと、余りあそこに近寄らない方がいい…今のアンタじゃ引っ張られる」
「引っ張る……」
そう言って、夏美は想に繋がれた自分の手を見つめる。
想はやや間を置いてその事実に気付き、顔を赤く染め上げた。
「ち、ちがっ…これは……!!」
慌ててその手を解こうとしたが、今度は夏美によってしっかりと握られてしまう。
驚く想に、夏美は少しだけピンクに染まった頬で笑った。
「手…もうちょっと繋いでてもいい?」
「な……」
「寄り道、もうしないから…」
「〜〜〜〜っ、少しだけだぞ!」
えへへ、と夏美ははにかんだように笑い、その顔を見た想は更に己の顔を紅く染めた。
想の手から伝わる温もりは、不思議と全てを忘れさせてくれるような気がして。

結局、想はその手を振りほどく事をせず、夏美の家まで彼らは手を繋いで帰る事となった。
お手手つないで仲良く、とはいかなかったが。








翌日。
意外にも悪夢にうなされる事無く熟睡した夏美は、寝坊もせずに学校へと向かっていた。
「ん〜〜〜、いいお天気♪」
冬の空というのは晴れている方が空気が冷たく、気温も寒い。
それでも夏美の心は寒さに負けていなかった。
(えへへ)
左手をジッと見つめ、ニンマリしたかとおもうと、グッと握り締めて胸の前へ当てる。
それだけで心が温かくなる。
(そうだよ、倉菜さんも深崎君も言ってたじゃない。ソルじゃないか、って…)
(ま、まぁ本人は否定してたけど…)
色々な考えに一喜一憂しながら、夏美は教室へたどり着きいつもの日常が始まった。
始まった、筈なのだが……




「先輩、センパ〜〜〜イっっ!!」


キンキンしたカン高い声で、昼休みの教室に飛び込んできたのは。
「絵美ちゃん??」
後輩の日比野絵美、その人だった。
呑気に友人と話していた夏美に、絵美はちょっとイライラしながら手足をジタバタさせる。
「あぁ、もう、ポッキーなんか食べてる場合じゃないですってぇ〜〜!大変なんですってば!!」
「何よ、ゴジラでも攻撃してきたっていうの?」
「ゴジラの方がマシです!!」
このままじゃラチがあかない、と、絵美は夏美の腕を引っ張り、無理矢理教室から連れ出した。
絵美は夏美を引っ張り、ずんずん進んでいく。
止まらぬ絵美の勢いに、流石の夏美も押され気味だ。
「ねえ、絵美ちゃん…せめて何処へ行くのかだけでも教えて欲しいな〜、なんて…」
夏美の言葉に絵美は歩みを止める。
クルリ、と振り返った彼女の顔は、鬼のような形相だった。
「もうっっ!何でそんなに鈍いんですか、センパイは!!そんなだから、克也が……っ!」
鬼の顔から一転、ボロボロと涙をこぼす絵美。
理由も原因も、何が何だか分からない夏美にはどう対処してよいのか分からない。
とりあえず泣きじゃくる絵美の肩に手を乗せて、ゴメンね、と謝った。
絵美は俯いたまま、頭をふるふると横に振り、懸命に涙を止めようとする。
「……めんなさ…センパイが…っく……わ、悪いんじゃな……」
どうやら後輩の西郷克也が関係しているらしい事は分かった。


(分かったけど、あたしが鈍い事と克也君に何の関係があるんだろ…?)


―――絵美の言う通り、恐ろしく鈍い夏美であった。




「―――――関係無い、だと!?」

突如耳に入った、男性の怒鳴り声。
二人はその声に聞き覚えがあった。
普段、こんな怒鳴るような事は無い、温厚な人物。
絵美の幼馴染で、夏美の後輩である、西郷克也―――その人の声。
声はどうやら体育館の裏から聞こえてきたようだった。
「今の…克也君、よね…」
しかし、声の出所を確かめようとした夏美の前に、絵美は両手を広げ、立ち塞がる。
「絵美…ちゃん?」
絵美の涙は既に止まり、今は夏美の目をしっかりと見据えていた。
「センパイ…昨日……瀬戸君と一緒に帰ったって本当ですか!?」

(あちゃ〜、見られてたか、やっぱり…)

夏美は心の中で"しまった"、と、舌打ちする。
噂になるのは嫌ではないが、まだ何となく気恥ずかしい年頃だし…
「あ…うん……でも、付き合ってるとかそういうんじゃなくて…」
そう、まだそういう関係ではないし、自分の心もハッキリしていないのだ。

ソルと想。
本当に想をソルと思って良いのかどうか。
ソルはあの後、本当に死んでしまったのか。
確かめなければならない事が、本当は山積みなのだ。だが――――





(逃げてる)

(あたしは楽な方へ逃げようとしてる……)


想をソルと思えば、それ以上苦しむ事は無い。
あの状況下で、ソルが生きている可能性はゼロに近い。
そうなれば、何らかの形でソルが想に生まれ変わった、と考えた方が楽なのだ。
今度は好きなヒトと同じ世界の住人でいられる。
夏美はあの絶望を記憶の奥底に封じ込めるため、良い様に解釈している自分に気付いていたが、それを止めることは出来なかった。

止めれば―――――自分が壊れてしまうから。
きっと自分を保てなくなる。


でも。






「センパイ?」
「…ごめん、絵美ちゃん。あたし、好きなヒトがいるんだ」


そう言った夏美の顔は、全てを吹っ切ったように晴れ晴れとしていた。
そんな夏美を見て、絵美はふぅ〜、と溜息を一つ吐き、にこやかに微笑みを返した。
「…分かってました、何となく。最近、センパイの感じが変わったの気付いたから…」
「そっかな〜?」
「そうですって!…でもセンパイ鈍いから、それを"恋してる"って気付いてないんですもん。だからいつまでも諦めきれない人間を作っちゃうんです!…楽にさせてやって下さい」
「…そ、っか……ありがと。ゴメンね、絵美ちゃん」
絵美は大きく頭を横に振り、夏美の背中をポン、と押す。
走り出す夏美に、"センパイのファン、激減しますよ、きっと!"と、言い、絵美は彼女を送り出した。








「関係ないだろ、お前には。これは俺とアイツの問題だ」

想が吐き捨てるように言った。
昼休みに体育館裏に呼び出された想。
相手は夏美の後輩、西郷克也だった。
呼び出された理由は言われなくとも解る。
夏美の事だ。
克也にしてみれば、後輩としても、知り合いとしても割に近い位置にいた自分を差し置き、のこのこ しゃしゃり出てきた想に夏美が奪われそうになっているのだ。

(納得いかない気持ちはわからなくもないが、な。俺だって……)

想にしてみれば、夏美が好きなのは自分のようで自分じゃない人間だ。
自分を通して、他の誰かを見ている。
そんな事実を再認識させられ、胸がチクリと痛んだ。
それゆえ、克也にあたりたくなっても、それは仕方の無い事なのかも…しれない。



「…んだと……もういっぺん…っ!」
克也が想の胸倉を掴みかけたその時。


「あああ、もうヤメヤメ〜〜っ!!」


間に入ってきた夏美に、二人の動きは止まる。
夏美は腰に手を当て、大きく息を吸い込んだ。
「何だか知らないけど、アンタ達が喧嘩する必要なんてないの!」
「やっぱり、先輩…こいつの事……」
克也が呻くように言うと、夏美はその笑顔を一瞬、曇らせた。そして、寂しそうな、切なげな笑顔を想に向ける。
「…あたしの好きなヒトは、もう、いないの…この世界の何処にも…だから…っ…」
そこまで言うと頭を垂れ、俯く夏美。
そんな夏美を心配し、声をかけようとする二人に、何とか涙を堪え、再び顔を上げる。


「だから喧嘩する必要なんか、ない」


その悲しすぎる夏美の言葉と、笑顔。
我慢が出来なかったのは、想の方だった。
「―――っっ!!」
強く、その身体を抱きしめられる夏美。振り解こうとしても女の力では身動きすら儘ならない。
突然の抱擁に動揺する夏美は何といって良いのか分からず、ただその身を彼に預けた。
「あ、あの…?」
「…もう、いい」
想は夏美の耳元で、低く、囁くように言葉を綴る。
ソルと同じ、優しい声で。
「ゴメン…呼んでいいんだ…泣いて縋ったって構わない……だから、もう無理するな……いや、しないでくれ」
「〜〜〜っ」
その言葉を聴いた瞬間、夏美の緊張の糸がプツリと切れた。
「…う、……ソル〜〜〜〜っっ!!」



ずっと、欲しかった言葉。
欲しかった、温もり。
後悔と自分の浅はかさに、壊れそうだった。
それでも必死に立っていた夏美。





「…俺が支えるから…」
止まらない涙を止めようとする事無く、想は夏美を抱きしめた。
(そうだ、俺が支える…今度は)
想は決意した。
揺るがない、自分のため、そして目の前にいる大切な少女のための選択を。
「思い出すよ…アンタが好きな、アンタを好きな俺を」
「え…?」
「見つけよう、方法を」






―――――それが例え「俺」を消してしまうことになったとしても――――――



2002.1.14