夏美は籐矢に案内されるがまま、彼の後をついて歩いた。
籐矢は何も聞かずただ黙々と歩き続ける。
夏美も何も喋らなかった。
まっすぐ続く廊下を歩きながら、フト視線を窓の外へ向ける。
外はもう12月―――紅葉も既に終わり、世間はクリスマス一色に彩られる季節だ。
そんな事を考えていると、先刻までの事が夢であったかのような、そんな錯覚に陥る。
いや、錯覚ではなく、本当に夢だったのかもしれない。
今さっきまでサプレスにいた事も。
ソルがこの世界に自分を迎えに来た事も。
リインバウムに在た事も自体、すべて幻―――――
そう考え、怖くなった。
あの日々を、リインバウムを否定する事は、自分の存在意義をも否定してしまうような気がして。あの日があったから自分は変わる事が出来たのに。
「――――ここだよ」
突然耳に入った籐矢の声にビクリ、と怯える夏美。
落としていた視線を上げると、視界に "図書室" と書かれたプレートが入る。
不思議そうな顔で籐矢の方に目を向ける夏美に、籐矢は、そんな彼女の反応を予想していたかのように微笑んだ。
「…僕が聞いても分からない事だろうから、今は聞かないでおくよ。でも、きっと君が求めている "答え" がここにある筈だから」
理由を聞かないでいてくれる事は、今の夏美にはありがたかった。
今は先刻の、あの、忌まわしい光景を思い出したくは無かったし、現実と認めたくは無かったから。
籐矢の心遣いに感謝し、夏美は図書室へと足を踏み入れた。
ゆっくりとそのドアを開いて―――――
放課後の図書室にはぽつり、ぽつりと、まばらに生徒が点在していた。
皆、静かに本を読んでいたり調べ物をしていたり。誰も夏美の方に目を向ける事は無かった。
広い図書室をぐるりと見回す。
もう外は陽が落ち始め、窓から夕陽が射し込み、部屋の一部を照らしていた。
(夕焼け、か…)
夏美をリインバウムへ誘った日も、こんな夕焼けの綺麗な日だった。
公園で一人、考え事をしていた自分を突如包む光。
あの日、あの場所へ行かなかったら、自分はどうなっていただろう?
リインバウムはどうなってしまっただろう。
それとも、他の "誰か" を召喚したのだろうか。
夕焼けの空からフト視線を戻すと、本も読まず、夏美と同じ様に窓の外を眺める人物の姿が飛び込んだ。
―――――ドクン。
少しだけ茶色がかった髪。
見覚えのある、その後ろ姿。
恐る恐る、ゆっくりと近づく。
夏美の心臓は、今にも破裂しそうな程、苦しいくらいにその胸を締め付けていた。
唇が震える。
その名を口にしようとするが、声が出ない。
だが、夏美が躊躇している間に、その人物は背後にいる彼女の気配に気付き、振り向いた。
「…………?」
間違い無い。
先刻別れた時と変わらない、意思の強そうな瞳。
少し不機嫌そうな、いつもと同じ表情。
夏美の瞳からは無意識に涙が溢れていた。
「……っ!…ソ…ルっっ!!」
彼にしがみ付いた。
もう離したくなかった。離れたくなかった。
二度とあんな思いはしたくなかった。
自分を守るため、死を選ぶなど――――――
「…ソル……生きてたんだね…良かっ…」
しかし。
力強く引き離される身体。
しがみ付く夏美の肩を押しやって、彼は言った。
「誰だよ、あんた」
「……え……?」
心底迷惑そうな表情で、冷淡に言い放つソルに戸惑う夏美。
呆れたり、怒ったり…そんな表情は何度も目にしてきたが、こんな彼は初めてだった。
放心状態の夏美に深く溜息をつくと、彼はその視界から彼女を外し、傍にいた籐矢を睨みつけた。
「…アンタの差金か?コレ」
親指で、ちょい、と夏美を指す。
「いや。彼女が "逢いたい" と思っているのがお前だと思って連れて来たんだが…僕の見当違いだったかな?」
何か含みがあるような籐矢の発言に、苛立つ少年。
ソルに似た少年と籐矢のやり取りが繰り広げられる中、夏美の思考は止まっていた。
――――否定。
言葉と、そして、態度と。
明らかに拒絶された自分。
(この人はソルじゃない……じゃあ、やっぱり…)
夏美の中にフラッシュバックする光景。
ソルの笑顔と―――――そして広がる紅い海。
彼女の意識はそこで途絶えた。
ちゃんと伝えておけば良かった。
いつもそばにいるのが当たり前で……そんな日が永遠に続くって、勘違いしてた。
何で言えなかったんだろう。
ひとこと「好き」って、ただそれだけなのに……
言っておけば良かった。
――――二度と会えなくなるんなら――――
ひんやりとした感触に、夏美はゆっくりその瞼を開く。
目に映るのは白い天井と、そして――――心配そうに覗きこむ一人の女生徒。
黒く長い髪と、慈愛を秘めた眼差し。
その瞳に何となく見覚えがあった。
「気がつきました?」
はっきりしない頭で考えてみても、この状態が良くつかめなかった。
一体何故、こんな……
「……っ!」
体を起こそうとすると、不意に頭痛がはしり、夏美は顔をしかめた。
「ほら、まだ無理ですよ。もう少し横になっていないと……」
優しく、諭すように言われ、夏美は再び体を倒す。
女生徒は夏美の額のタオルを交換しながら独り言のように呟いた。
「…泣いた後って、頭が痛くなりますよね。水分が無くなるからなのかしら…ね」
額にのせられタオルを少しずらし、瞼を覆う。
冷たいタオルは夏美の涙を吸収し、温かくなっていった。
泣いても、泣いても。
どんなに涙を流しても、大切な人はもう還ってこない。
微笑んでくれない。
誓約者などと言われ、いい気になっていた。
一人では何も出来ない、一番大切な人も守れない、無力な自分―――-
「絶望しないで」
不意に握られた手。
「世界に、自分に絶望しないで」
タオルを外し、むくりと起き上がる夏美。
女生徒は夏美に笑顔を向ける。
その笑顔は誰かに似ていた―――――そう。夏美の最愛の人物に。
「彼は……"弟" は間違い無く貴方の知る彼―――だから、大丈夫です」
「!?貴方は、一体……?」
「…私は、瀬戸倉菜(せと くらな)。貴方がソル、と呼んだ人物――― "瀬戸想(せと そう)" の姉です」
ソルに良く似た笑顔で語る倉菜に、夏美はただ戸惑うばかりだった―――――