〜第三夜〜


「本当に行かれるのですか…?」
「フラットの皆に会っていかなくていいの?」

夏美はサプレスのエルゴを探すべく、霊界へ行くことにした。
かえって心配をかけるから、と、夏美はフラットの仲間に会わず、ソルと二人、異界へ赴くことに決めた。
勿論、カイナたちも同行を求めたのだが、"こっちで何かあった時に困るから"と、夏美はその申し出を辞退した。
「それにサポート役がいなくなっちゃうでしょ?」
召喚対象ではないモノがゲートを通るには、それ相応の魔力が必要となる。初めて行く世界だ。どんな事が起こるか全く分からない。
そんな世界に魔力を空にして行くわけにはいかない、という夏美の正論が通り、行きはカイナ達の魔力を使って門(ゲート)を通ることになったのだ。
エルゴの危機、という理由もあり、剣竜も快くその力を貸してくれた。
「…ナツミの話を聞く限りでは、一刻の猶予もなさそうだ。急ごう!」
ソルの言葉に全員が頷く。
「我らエルゴの守護者たる四者の魔力の全て―――彼の者に預けん」
カイナ、エルジン、エスガルド、そして剣竜の体から光が発せられ、夏美の元に集まる。
「―――異界へ通じる四界の門(ゲート)よ、我の作りし結界を今ひとたび開放し、霊界へと我らを導きたまえ……誓約者の名に於いてナツミが命じる……開け、サプレスの門!!」
光が雲を割り、天空を貫く。
地上には先の見えない黒い穴のような空間が、ぽっかりとその口を開けていた。

ゴクリ、と、夏美は唾を飲む。
怖くない、と言えば嘘になる。
しかし―――――
「…!」
「……行くか」
「……うん!」
震えそうになる夏美の手を、ソルがしっかりと握り締めた。

伝わる温もり。
暖かい気持ち。
それだけで夏美の恐怖感は、スッと消えた。

皆が見守る中、二人はゲートへと足を踏み入れる。
ゲートは二人を包み込むや否や、その入り口を閉じ、天空へと伸びる光と共に、その形を消した。
残された三人は、ただ待つことしか出来ない自分達を歯がゆく思うのだった…。




眩しい光を感じ、夏美はその目を開けた。
そこは柔らかい風が吹いていて、緑がサワサワとざわめく、花の香り広がる草原だった。四方は森に囲まれているものの、太陽に似た、穏やかな光が降り注ぐ場所。
「ここ…本当にサプレスなの?」
夏美の声にソルがむくり、と起き上がる。
「…何だ、ここは……」
ポーカーフェイスのソルも、流石に驚きを隠せないようだ。
呆然とする二人の上空に、羽音が近づく。
二人がソレに気付くと、羽音はゆっくりと彼らの前に降り立った。
『―――人の子よ……よくぞ参られた、このサプレスへ』
そう言って、羽音の主は二人に微笑みかけた。
白い羽が光を浴び、七色に輝く、そんな美しい光景に、夏美は言葉を忘れ見入っていた。

「もしかして…貴方は、天使エル……?」

ソルが慎重に尋ねる。
天使はそんなソルにニコリと笑った。
『……ええ。流石は我が主。私は天使エルエル。そして―――』
『私が魔臣ガルマザリアだ』
音も立てずエルの背後から現れた悪魔に、二人は一瞬驚くが、不思議と恐怖感はなかった。その理由をガルマに尋ねると、今はそういう"気"を出していないから、と説明された。要するに、相手に恐怖等を与える気の放出を今はしていない、と、そういう事なのだ。
「それにしても、サプレスって意外に綺麗なところなのね。あたし、もっと岩とか、こう、ゴロゴロしてる"荒れ果てた大地"みたいなイメージ持ってたのに」
『確かにそういう所は多いですね。でもこうした美しい場所も残っているのですよ』
「…天使と悪魔、全てが敵対してる訳でもなさそうだしな。俺達の持つサプレスのイメージは大分誤っているようだ」
『…別に仲良しこよしという訳ではない。利害が一致するから共に戦っているだけだ』
ぶっきらぼうに言うガルマだが、どこか照れているように感じられるのは気のせいではない。
悪魔は本心を言わないが、全ての悪魔が味方を裏切るわけではない。誓約する際に、心の触れ合いを感じる夏美には分かっていた。
素直に気持ちを表現出来ない、そんなガルマに、夏美とエルはクスリと笑った。




マナに溢れた聖地、リィンバウム。
その魅力的な楽園は、常に侵略の危機にさらされていた。
しかし、サプレスの住人全てが攻め入ったわけではない。
争いを嫌う天使は勿論、他の世界への干渉を良しとしない悪魔や、異世界へ興味を持たない者―――残りの者全てとはいかないが、そういった者達の手により、リィンバウムへの侵攻は抑えられてきたのだ。
天使と悪魔は、それぞれの特技を生かし、攻守両面で互いに支えあってきた。
しかし。
『どうやって手に入れたのかは判らんが…突如ケタ外れな魔力を持って、奴は戻ってきた………』


ある日、一人の天使が言った。
"この強大な力を使い、悪魔達に総攻撃をかけよう"と。


「まさか……」
『…そう。そのまさかなのです。彼が手にしていたのが、貴方達の探す、サプレスのエルゴの力……』
禁断の力を手にした天使は、その白い羽を黒く染め、天使でも悪魔でもない、"堕天使"へと成り果てていた。
その強大な力に呑まれ、彼の臣下に成り下がる者もいたが、大抵は…。
『全く、同士討ちなんて馬鹿らしい!それこそ奴らの思うツボだ!!』
堕天使はまだエルゴの力を完全に取り込んでいないため、戦局は五分五分だった。しかし、真にエルゴの力を使えるとしたら。
「…魔王クラスの力だな、それは」
ソルの言葉に全員が無言になる。
反論出来ない事実だからだ。
『彼は永い間地上に"はぐれ"として存在してしまったため、人の欲望に触れすぎたのかもしれません…。誓約者の力により送還された時には、すでに心を決めていたのでしょう……』
『悪魔であれば人の浅知恵などに惑わされないが、天使というのは元が純粋だ。疑うことを知らぬ』
二人の天使と悪魔は悲しげにそう語ると、夏美とソルに力を貸して欲しいと言った。このサプレスが彼に支配されるのを止めてほしい、と。
懇願する二人に、夏美は笑顔で答える。
「元よりそのつもりだよ。大丈夫!あたし達に任せて!ね、ソル?」
「ああ。アンタ達には世話になりっぱなしだしな。ここらで恩返ししなけりゃバチがあたるぜ」
二人は夏美とソルに礼を言うと、早速、堕天使の本拠地である場所に案内した。

『スミマセン…あわただしくなってしまって…』
そこは乾いた風の吹き荒れる、砂塵の舞う、荒涼とした大地だった。
「気にしないで。こっちも急いだほうがよさそうだったし」
夏美へのメッセージを考えると、エルゴも取り込まれる寸前と考えた方がいいだろう。
(間に合うかな…ううん、絶対間に合わせなきゃ!!)
夏美はグッと拳に力を入れ、気合をかける。
『…私が雑魚を引き付ける囮になる。その間にエルは二人を奴の元へ』
『分かったわ…無茶しないでね、ガルマ』
『フン。誰に向かって言っている』
敵の拠点となる場所は、剣竜の峰によく似ていた。険しい断崖に囲まれた住処。そこから数キロ離れた平坦な荒野で、ガルマは一人、高らかに吼えた。

『くおおおぉぉぉぉぉお――――っっ!!』

激しく振動する地面。
その声に驚き、山の頂にある入り口から、わらわらと堕天使と悪魔の群れが飛び出してくる。
ガルマは自分に向かってくるその集団に怯むことなく、大きく息を吸った。
(…我に仇なす愚かなる者 その身に地獄の業火の裁きを受けよ)
『デヴィルクエイク!!』
大地が割れ、炎の柱が上がる。
何百、何千もの堕天使や悪魔、獣魔達が飲み込まれていく。
『さあ、今のうちに!!』
二人はエルに抱えられ、誰もいなくなった山の頂を目指す。
夏美は地面に降り立つと、エルにガルマの援護に行くよう促した。
エルは初めキッパリと断ったが、ソルにも強く勧められ、すぐに戻りますから、と言い残し二人の前を飛び去った。

異様に静かなその空間に残された二人。
静けさが逆に不気味さを増長させていたが、夏美は不思議と取り乱してはいなかった。
(あたしってゲンキンなのかな…)
隣に立つソルの姿を見て、夏美はそう思った。


今はまだ、その後おとずれる大きな悲しみを知る由も無い二人。
彼らはゆっくりと、その足を前へ進める。


激しい後悔が襲うとも知らずに―――――