〜第十夜〜

chapter.10 「 在るべき場所へ 」







『ぐあぁあああぁぁっ!!』

その姿を異形のモノへと変えながら、女性は断末魔の悲鳴を上げる。
同時に周囲を覆っていた闇が崩れ始め、徐々に光が入り込んでいく。
闇が融け切ると、そこには白い世界が広がっていた。
次々と光となって元の世界へ還る魂を見送りながら、悲しい感情の渦が消えていくのを感じる夏美。
しかし、一人だけ、膝を抱えて動かない少年の姿が視界に入る。
それはキオクの世界で見た、オルドレイクその人だった。

「――――」

近寄ろうとする夏美だが、その肩を不意に捕まれ、止められる。
振り返ったそこには。

「ソ……」
「見てろよ、ほら」

言われた通り、ソルが指差す方向を見る。
「あ……」
オルドレイクに近づく、一人の女性。
どこかソルに似た雰囲気を持つ女性は、先程見た、オルドレイクの母親だった。
女性が少年に声をかけると、少年は驚いたように顔を上げる。
女性が笑いかけると、少年も笑顔を見せる。歳相応の、屈託のない笑顔を。
手を引かれ立ち上がった彼は、その姿をゆっくりと光へ変え、そして消える。
母親と共に。
二人が消える瞬間、女性は夏美の方を向き、軽く頭を下げているように見えた。


「……いいの?」
「……ああ。あいつの苦しみは取り込まれた時に全部見た。狂っていく姿と、悲しみとを」
「許しはしねぇ。だが、もう憎むことは出来ねぇからな」

バノッサも言った。
彼の表情にもう、生前の曇りは無い。
「またテメェに助けられちまったな、はぐれ野郎……いや、もう"はぐれ"じゃねぇな」
二人を見て夏美の目から思わず涙が零れる。
それを見て慌てるソルと、ケッ、と笑うバノッサ。
「……も…会えないかと…おも……」
ふう、と息を吐き、夏美を胸に抱きしめ、あやす様にぽんぽん、と背中を叩くソルに対し、バノッサは、
「…全くテメエは強いんだか弱っちいんだか、分かんねぇな」
と、呆れた声を出す。




「バノッサさーん!!」

「…また煩せぇのが来たな……おう! ここだ!」
遠くから走り寄るカノンの姿に、バノッサは声を上げる。
鬱陶しい素振を見せながらも、どこか嬉しそうな表情を浮かべ。
「お姉さん、有難う御座いました。これで僕らも安心してあっちの世界へ行けますよ」
突っ込めない発言に、場の空気が凍る。
その反応にきょとんとするカノン。しかし。

「カノン…おメェ、冗談にならねえよ……」
「そうですかぁ? アハハハハハ…」

まるで他人事のように笑うカノンに、一同にはもはや突っ込みの言葉が浮かばなかった。

「あ、そうだ。この空間もじきに崩れます。僕らも僕らの在るべき世界へ行きます。本当に有難う御座いました、お姉さん、お兄さん」
「ええっ?! も、もう?」
当然といえば当然の話だが、彼らとは本来、二度と会うことは叶わなかったはずだ。 今回、こうして会えたのはアクシデントによるものでしかない。
一緒に同じ時を過ごすことは、もう、ありえない存在。
でも、もう少し、もう少しだけ一緒に話したかった。
生前には叶わなかった、分かり合うための時間を。

再び泣きそうな夏美に気付き、バノッサはまたか、と苦笑する。
だが、彼はもう後ろを振り返る人間ではない。
皮肉にも最期の時に、彼は変わることが出来た。
夏美は自分がリインバウムに来たことで、彼を苦しめてしまったことを後悔し続けていたが、バノッサには既に恨みの念などない。あるとすれば、それは。

「…てめぇとは変な縁があるからな、またどっかで会うかもしれねぇな……ま、今回の礼はそん時に返してやるよ」

あばよ、と別れの挨拶もさせずにバノッサはその姿を光へと変える。
「ちょ…、バノッサってば!」
「…おっと、言い忘れたぜ」
「?」

「―――ソル。あんまりそいつを泣かせんなよ。煩せぇからな。おちおち寝てもいられねぇ」
「……ああ。努力するよ……兄貴」

お元気で、というカノンとバノッサの姿が光となって空間から消えた。
魔王の身体の中で、二人に何があったのかは分からなかったが、きっと、その時間はソルにとって忘れられない時間になるだろう、と夏美は別れ際の二人を見て思う。
運命は彼らに別の道を歩ませたが、いつか、きっと。
またきっとどこかで交わるだろう、と、何故かそう思えた。


「さて、と…」
残された静かな空間に、三人の姿。
切り出したのは想だった。

「……それじゃあ最後の仕上げといこうぜ」
「……そうだな」

二人が視線を合わせる。
その張り詰めた空気に慌てた夏美は、近づく二人の間に割り込み、待ったをかけた。
「まって! どうするつもり?! 想がいなくなるんなら、そんなの―――」
ソルが夏美の唇を指で押さえ、言葉を飲み込ませる。

「心配ない。在るべき本来の姿に還るだけだ」
「ああ。元に戻るだけだ」

そういう二人の姿が遠くなる。
徐々に薄れていく周囲の景色。
身体が何かによって急激に引き戻される、そんな感覚。

「ちょ…なに、これ……待って! あたしは、まだ――――」

血の気が引いていく。
また離れ離れになるのかと考えると、身も心も引き裂かれそうだった。


「いやだっ! ソル…っ!! 想―――っ!!!」