向こ - キミがいちばんほしかったもの -











5






二人の翼が輝き始め、周囲は光に包まれていく。
どちらも同じ天使の力だというのに、この世界の彼女の力の方が勝っているらしく、輝きの大きさは 歴然としていた。同じ大悪魔と対峙した経験があるとはいえ、誓約者達の力を借りて封印したのと違い、 こちらの世界の彼女達は自分達の力だけで決戦まで戦い抜いてきたのだ、差があって当然といえる。
しかしアメルはその差に臆することなく、その想いをぶつける。
「ネスティさんをトリスさんのもとへ還してあげて下さい」
「………」
彼女は答えない。
ただ、黙ってアメルの視線を受け、瞬きもせず、逸らすことなく見つめ返す。
何を考えているのか、何を思っているのか。
自分自身であるのに全く違うような気がした。
「貴方だってトリスさんが悲しむ事は辛いはずでしょう?」
「……何も知らないから……」
聞こえるか聞こえないかの小さな声。まるで苦しみを搾り出すかのような。
「え?」
「何も見てないから、そんな簡単に言い切れるんです」
「―――きゃあっ!!」
激しい光に身体が弾かれ、アメルは後方に吹き飛ばされる。
幸いにも柔らかく覆い茂る草がクッション代わりとなり、ダメージは最小限で済んだ。
「トリスの絶望は、苦しみは……あたしの力じゃ癒すことも、涙を止めることさえ出来なかった。 …見せてあげます、あたしの記憶の全てを。この世界がどうやって守られているのか。 全てを知って、それでもまだ、貴方がトリスを止められるというのなら……」
二人の同調が始まったことを示すように、互いの身体は光の糸で繋がっていく。
まるでそれぞれの記憶を受け取り、送り出しているかのように行き来する光の欠片。
アメルは光を受け取る度に、その身を小さく震わせる。
あまりに残酷で、そして悲しすぎる彼らの現実がそこにはあった。
緋色のマントが消えていく様を見送った自分。トリスを止めた事が本当に良かったのか。 もしかしてトリスが行く事で回避できたかもしれない、だがその可能性を奪ったのは 誰でもない、自分自身。
トリスから最愛の人物を奪い、闇へ突き落としてしまったのは。
「…んな…こんな事、って……」
「―――ネスティはその後、この世界を…いいえ、トリスを守るために、トリスの生きる、 愛するこの世界を守るために源罪を浄化する聖なる大樹へと姿を変えました」
「う、そ……」
「…だから止めなかった…トリスが別の世界からネスティさんを召喚する事を。 だって、止める資格なんてあたしには無い。 トリスの行為を止める資格なんて誰にも…この世界に生きる誰にも…」
浄化の光を発し続ける聖なる大樹。
かつて己自身がこの森で迎えた最後の時より、この記憶の方が何倍も残酷に感じるのは、 アメルが自身より他者の痛みを強く汲み取る、天使アルミネの魂の欠片ゆえのことだろう。
だがアメルは知っている。本当はこの世界のアメルも。
トリスの行為は悲しみを増すだけだと。余計に深い傷を負う愚かな行為だという事を。
しかし、理解していても止められないほどの悲しみが、この世界にはあったから。
アメルの中の彼女の記憶は、まるで悲痛な叫び声のように心を締め付けた。
苦しくて、悲しくて、やりきれない思いに心が蝕ばまれていくのが分る。
だが、悲しみの想いに支配されそうになった時、奥底から聞こえる声にアメルは意識を浮上させた。

≪…たす…けて……助けてあげて……≫

慈愛に満ちた優しい響き。そして少し悲しげな声の主は。
(そう……貴方だったんですね、あたしをこの世界に呼んだのは……大丈夫、もう心配しないで―――アルミネ)
「……貴方の後悔はわかります…だけど、それで皆幸せになれるんですか? …トリスさんも、ネスティさんも ……貴方自身も」
「……っ」
「あたしにはこの世界のトリスさんの想いは貴方ほど分りません…でも、きっと同じトリスさんだから…こう思うんです。 自分を止めてほしい、って思ってるって。後悔してるって。だって…この世界のトリスさんが望んでいるのは、この世界で 過ごした、一緒にいてくれたネスティさんですから……たった一人の人を待っているんじゃないですか?」
アメルの慈愛の光が溢れ、眩く輝きだす。先程の力の差が嘘のように、向かい合う彼女を優しい光が包み込んでいく。 闇に囚われてしまった彼女の心を照らす光で。
「あたしの記憶も貴方に、あげます。だから…」
あたしも苦しかったから分かるんです、とアメルは微笑む。
トリスの目の前でネスティが消えた時、自分は傍にいたのに何も出来なかった。
自分達は同じなのだと。
アメルの記憶を受け取り、彼女はその場に崩れ落ちる。
「…っ、あた…しは……」
一人の影が近づき、そして彼女の頭に優しく手を置く。
「バル…レ、ル…君…」
「……もう似合わねー事すんな」
「あた、しは…」
「…誰もオメーを責めたりしねぇ。バカオンナも……メガネもな」
「……っ…!」
その言葉に堰が切ったようにあふれ出した涙は止まる事を忘れたかのように、止めどなく零れ落ちる。 自分より小さなバルレルにしがみ付く彼女の姿は、少年の姿をした彼より小さく、頼りなく見えて。
メンドくせーな、と言いながらも、バルレルは彼女を振り払うことなく、子供をあやすかのように頭を静かに撫でた。
アメルがあの日、置き忘れた慟哭は今ここでひっそりと零れていく。
また明日からトリスに笑顔を向ける、そのために。今はただ、泣いた。






「ここ、みたいね」
ナツミとソルの二人はネスティの魔力を辿り、森の奥深くにひっそりと建てられた小屋を目の前にしていた。
「作戦は……って聞く必要はなかったか」
ナツミの自信たっぷりな表情に苦笑いするソルだが、彼女の行動を止めるつもりなど無さそうだ。 それだけ信頼しているということだろう。お互いに。
「わかってるじゃん♪ もち、正攻法でいくよ」
が、扉を叩こうと振り上げられた手は、触れることなく止められる。 目の前で軋むような音をたて、静かに扉が開いた。
「―――やはり、君達か。僕の世界の、と付け加えるべきだろうか?」
「やっほー、ネスティ。元気そうね。けどさぁ、久し振りなんだからもっとこう、再会を喜んでくれてもいいんじゃない?」
自分達の置かれた状況を気にもとめない相変わらずのナツミ、にネスティは一瞬言葉を失う。
あの戦いの日々の中、彼女の明るさとそして心の強さに救われた記憶が蘇る。見た目は全く似ていないが、 それはトリスとどこか似通っていて、他人を簡単には信用しないネスティも彼女に親近感さえ覚えたほどだ。
「すぐに還れない理由があるなら手伝うけど?」
「全く…君こそ相変わらず直球だな…」
この世界のトリスが結んだ誓約がネスティを包み込んでいるのは見てすぐに分った。
だが、だからといってネスティが大人しく従っているのには何らかの理由があるのだろう。 でなければこの状況下で誓約者であるナツミを頼り、サイジェントに向かわないはずはない。
「この世界は俺達の歴史とは違っているのか?」
「…とにかく中へ。詳しい話はそれからだ」
ネスティに促されるままに、二人は中へと足を進めた。
「……この子が……トリス…?」
案内された部屋にはトリスが眠っていたのだが、その姿をまじまじと眺めたナツミは僅かな疑問を含んだ言葉を投げかける。 目の前にいる少女の様子が、自分達のよく知るトリスの姿とは少し違っていたからだ。
「本当は別の部屋で話したいんだが…」
目が覚めた時、自分の姿が見えないと彼女がどうかなるのだと暗に匂わす。
「精神的な疲労が?」
ソルの問いにネスティは頷く。
「……食べない、眠らない。いつ自分の命を絶ってしまうんじゃないかと、皆で順に監視していたらしい」
ネスティは苦しげにそう語ると、この世界で何が起こったのかを二人に伝えた。
メルギトスを倒すために、この世界の自分が何をして、どうなったのかも。
「そうか…それでこの世界のトリスは耐え切れずにネスティを召喚しちまった、って訳か……」
「ああ。僕も記憶が混乱していて戻るまでに数日かかってしまったが……しかし理由を知った以上、このままこのトリスを 放ってサイジェントへ向かう事は出来なかった……向こうのトリスに心配かける事は分かっていたんだが」
眠るトリスの頬を優しく撫でると、彼女の身体から緊張が解け、穏やかな寝顔となる。
沈黙が部屋を包み、ネスティもソルもそれきり無言になってしまった。
彼女の事情が分れば尚更、彼の行動を非難する事など出来ない。例えそれが間違っていたとしても。
だが、その重い空気を一掃したのはありえないナツミの行動だった。
ぽかっ。
一瞬それが何の音か忘れてしまうほど、それはそれはいい音で響く。
「……い……っ…たああーーーい!!」
頭を抱えてトリスが飛び起きる。
何が起こったのか全く分からない、といった表情で、まるで鳩が豆鉄砲をくらったかのように、目を パチパチと瞬かせてトリスは目の前に立つ少女を見つめた。
「起きたわね。さ、行くわよ」
そう言ってトリスへ手を差し伸べる。
思い切り叩いておいて『起きたわね』はないだろう、と、その場にいる者全てが思ったが、それを口にすれば何となく 命が無い様に思え、誰も突っ込む事が出来なかった。
「ちょっと待って、何処へいくの…っていうか、あなた――」
「あたしはナツミ。17歳のピチピチな女子高生。でもってこの世界じゃ一応、誓約者(リンカー)ってことになってるみたい。 てなわけでヨロシク」
「あ、よろしく…って、そうじゃなくってぇ……ええっ?!」
いーからいーから、と、有無を言わさずトリスの腕を掴みグイグイと引っ張り出す。
さすがのトリスも彼女の行動に圧倒され、訳のわからないままに外へと連れ出された。
「あの、ちょっと、ナツミさんってば!」
「ナツミ、でいいよ。あたし達の世界の君にはそう呼ばれてたし」
「…!」
ぐい、と力強く腕が引き戻される。
誓約者がエルゴの協力の下、この世界に結界を張っている事実は知っていた。
ゆえに、彼女の意志をもってすれば、送還術(パーシング)や全ての召喚術の無効化も可能であることも。
怯えと警戒の眼差しで見つめるトリスにナツミは一瞬目を見開くが、すぐにその緊張を解き、ふ、と微笑んだ。
「大丈夫だよ」
「え…?」
「君の一番好きな人のとこへ、行こ?」
「おい、ナツミ…それって……」
「ネス、の…?」
「うん。だから行こう」
もう一度差し出された手に、トリスはそっと手を重ねる。
「あなたのこと、待ってる」
そう言うと、ナツミはトリスの手を取り、誰に案内されることなく森の奥深くにある聖なる大樹の下へと向かう。 機械遺跡があった場所であり、ナツミも知ってはいるが、そこにネスティの化身である"大樹"があるなどとは誰も話してはいないし、 彼女もその事実は知らない。 ただ、彼女は彼女だけが感じる何かに導かれ、そこを目指していた。
あたたかな浄化の光が降り注ぐ、その木の下を。
「ここね」
ナツミは目を閉じ、手を両耳にかざす。そして両腕を広げ、深く息を吸い込んだ。 神経を研ぎ澄まし、一瞬の変化も逃さないよう、注意深く感じ取る。
「…聞こえるの…声じゃなくて、感覚かな。ネスティのマナはね、ここに在るんだって」
ナツミの中のエルゴの力が彼女に語りかける。魂とも異なる、別の何かの存在を。
「この世界に降りた時にね、わかったんだ。ネスティの魂は輪廻の輪を廻ってないって」
時が満ちるのを待っているのだとエルゴは言った。
だが、その言葉はナツミの中にしまわれる。今、それは口にするべき言葉じゃないと。
その代わりに、こう繋ぐ。
「信じて、トリス。そうじゃなきゃ何も始まらない。奇跡は神様じゃない、想いの強さが起こすんだって、 願いは叶うんだって。あたしは知ってる……還ってくるよ、絶対。トリスのところに」
トリスの手が樹に触れる。
「ネス――――」
トリスが大樹に呼びかけると、それに呼応するかのように木の葉がサワサワと揺れた。 降り注ぐ浄化の光は小さな粒となって、彼女の身体を包み込む。その様子はまるで、光のシャワーを浴びているかのように、 彼らの目には幻想的に映った。
「……っ、ネス……っ……ネスぅ…っ…ネス、ネス、……ネスティ……っつ!!」
大樹に縋り付くように身体を寄せ、愛しい者の名を呼び続ける。
今はまだ、目覚める事のない、その人の名を。
本当は分っていた。
違う世界のネスティを喚んでも、それは別人と同じだということを。
失った人の代わりなど居ないということを。
それでも喚ばずにはいられなかった。
いつ叶えられるとも知れない約束に、気が狂いそうだったから。
一人、置いていかれたような気がして。
誰かに言って欲しかった。
信じさせて欲しかった。
戻ってくると。
あの優しい声で、また、名を呼んでもらえる未来があると。
彼女が本当に一番欲しかったのは―――――






「……ごめんね、色々と迷惑かけて……」
泣きはらした目を擦り、精一杯の笑顔を見せる。
作り笑いじゃなく、今の彼女にとっての最高の笑顔を。
「いいって、いいって。あたし達、親友でしょ? ね!」
細かい事は言いっこなし、と、ナツミはトリスの背をばしばし力一杯叩く。
親友なのは向こうの世界のトリスとなのだが、ナツミの中ではトリスはどの世界にいても親友なのだと、そう言いたいらしい。
その力強さに『ナツミの馬鹿力〜』と恨めしげに呟くトリスを見て皆一斉に吹き出した。
「オメーよりたくましいオンナがいるとはねぇ…全く、名も無き世界ってのは恐ろしい所だな」
ケケケ、とからかうバルレルの頭にゴチン、と一撃加えて彼を沈めてから、トリスはコホン、と一つ咳払いをする。
「それから、アメルもありがとう。あたしの我侭を許してくれて…嫌な思いさせちゃったね…。あ、勿論バルレルにも感謝してるからね?」
「…なんだよ、そのとって付けたような言い方はよ……」
「あたしはトリスが笑ってくれてれば、それでいいんです。だから」
気にしないで下さい。ね?
と、アメルは微笑む。天使の曇りない笑顔で。バルレルは少々拗ね気味ではあったが。
「それじゃ、そろそろ仕上げといきますか。ソル!」
「了解」
ナツミとソルは元の世界へと還る道の扉を開く。
道は行きに繋いでいるので、来た道を戻る分には、手順がかなりの割合で省略されるようだ。
空間にぼんやりと映し出される世界は、今この場所と同じ森が広がっている。
違うのはそこに"聖なる大樹"の存在が無いということ。
そして両手を合わせ、必死に祈るトリスの姿がそこにあった。
(……ごめんね、もう一人のあたし。同じ思いさせちゃったね。誰よりもその辛さをあたし自身が一番よく 知ってるはずなのに……ごめんね…)
「ネスティ」
トリスはネスティに向き直り、手を差し伸ばして握手を求める。
「今までありがとう…そしてさよなら」
何も言わず、突然トリスを抱き寄せたネスティに、トリスは驚いて目を丸くする。彼の胸の中でじたばたともがくが、 いくらネスティが細身とはいえ、所詮は男と女。当然ながら簡単に抜け出すことなど出来ない。
「あ、あのっ、」
「………ちゃんと食事は日に三度とるんだ。それから寝ろ。君はそれだけが楽しみだ、といつも言ってたじゃないか」
「…ネス…」
「……僕はきっと還ってくるよ。これでも物覚えは君よりいい方だからな。君が覚えている限り、僕は………」
「……うん……」
「もし僕が約束を果たせないと思ったら……またこれで僕を喚べばいい」
そう言って彼女の手にトリスから貰ったお守りを握らせる。
「……あっちのあたしが黙ってないと思うけどな」
あたし、これでも嫉妬深いんだよ? とおどけて笑う。
「でも、ありがとう。……大事に、するね」
「…ああ……」
強く、強く抱きしめあう。 これが最後の抱擁になることを二人は知っているから。
ネスティの身体を包むトリスのマナが、次第に薄れていく。
――――それは彼女との誓約の解約を意味した。
(今、還してあげるね。あなたの一番大切な人を)
ゆっくりと、名残惜しむようにその身を離すと、トリスは開かれた異世界の扉に向かって叫ぶ。
「トリス。名前を呼んで、あなたが一番大好きな、大切な人の名前を!」



「………え…?」
一瞬、空耳かと思った。
だが、それにしてはあまりにもはっきりと色をもった声。
「どうかしたんですの? トリスさん」
きょろきょろと辺りを見渡すトリスの不審な動きに、モナティは首を傾げる。
「あ、うん…今、声が――――」
『ごめんね、あたし。今、還すから。そっちの世界に』
トリス達の目の前で異世界の扉が開く。
「え、? あ……あた、し…?」
そこに映っているのは紛れも無い、自分自身の姿。
『もう自分から"いらない"なんて言っちゃ駄目だよ。ネスの代わりはどこにも居ないんだから。あなたのネスティは世界にたった一人だけなんだからね』
寂しそうな笑顔に、つい、喉から声を発しそうになるがギリギリで踏み止まる。
どうして、と。何があったの、と。聞きたいことは山のようにある。
だが。
トリスは迷わなかった。
いや、迷ってはいけなかった。
それが目の前にいる、自分の願いだから。
「古き盟約を超えて、今、新たなる契りをここに結ぶ。超律者、クレスメントの呼びかけに応えよ!」
まだ名の刻まれていない、黒のサモナイト石を握り締め、胸にあてる。
(――――ネス……!!)



「これは……」
ネスティの身体を新たなマナが包み込む。
「召喚の光だ…。どうやら、ネスティ。あんた専用のお迎えらしいな」
「ホント。熱烈ラブコールじゃん。早く応えてあげたら?」
「ラブ…って、何を言ってるんだ君達は…ただの召喚じゃないか」
ソルとナツミにひやかされ、ネスティは照れ隠しに眼鏡のブリッジをくい、と押し上げる。
「違うよ。ただの、じゃない。そんな簡単なものじゃないでしょ、あの子の場合」
少し拗ねたように頬を膨らますナツミに苦笑すると、ネスティは彼女の頭をポンポン、と、いつもトリスに していたように優しく撫でた。
「……ああ、知っている」
「ならいいわ。…さ、ソル。あたし達もいこ!」
にっこりと笑うとソルとアメルの腕を取り、じゃあね、と扉へ勢いよく飛び込む。
その危険度を知っているにも関わらず、なんとも突飛な行動をとる誓約者の思い切りの良さに、バルレルとアメルは唖然として見送った。
「それじゃあ僕も行くよ。……元気で」
今度はネスティからトリスに握手を求める。
「うん。ネスもね」
「ああ」
その身が光に包まれて消えてしまうまで。
握られた手が離れることはなかった。

「……さよなら、ネスティ……大好きなもう一人の、ネス」

召喚の扉が閉じた瞬間、辺りが激しい光に包み込まれる。
「きゃあ!」
「うわっ、どうなってやがるんだ!」
眩い光に、アメルもバルレルも目を開けていられなくなり、瞳を固く閉じた。
光が治まり、やっと二人が目を開ければ、そこには意識を失い倒れるトリスの姿があった。
「トリス……!!」
「おい、目ぇ開けろよ! バカオンナ!!」
頬を叩かれ、ようやく目を開けたトリスだが、何か様子がおかしい。
辺りをキョロキョロと見回し、不思議そうに小首を傾げ、むぅ、とかうーん、とかいつもの口癖を繰り返し、唸っている。 昨日までのトリスではなく、そう、あの悲しい戦いの前のトリスに戻ったような、そんな感じの。
「おい…?」
「ねぇ、あたしここで何してたの? まさかまた昼寝して寝過ごしてた?」
ねぇねぇ、と疑問符を繰り返すトリスに、二人は返す事が出来ないでいた。
何の反応も返さない二人にトリスは諦めたのか、話題を移す。
「ま、いっか。あたしなんだかお腹空いちゃった。ねぇ、アメル。今日の晩御飯、なにー?」
「え? あ、ええとですね、おイモのグラタンとかぼちゃのスープと…」
「あたしデザートにパイも食べたいな。アメルのパイって美味しいんだもん。あとね、……何よ、バルレル。その顔。 わかった、あたしが一人で食べちゃうんじゃないかって心配してんのね? 大丈夫だって、ちゃんと分けてあげるわよ」
「馬鹿か、テメエは! ンなこと誰が心配するか! 俺はなぁ…!」
「うん、わかってるよ。ちゃんと食べなきゃネスが心配するもんね。…なんかね、ネスの夢、見てた気がするんだ。 ネスってば夢の中でもあたしにご飯食べろ、ってお説教するんだもん、相変わらずだよね。えへへ」
「…トリス…?」
「さ、帰ろう。あたし達の家に。ネス、また明日会いにくるからね」
そう言って聖なる大樹に手を振る。
「おい、これって…」
足取りも軽く、二人より先に家路を急ぐトリスを追おうとしたバルレルの肩を掴み、 アメルは首を横に振る。これでいいのだと。
記憶の混乱。欠如。
異世界のネスティを呼び出した弊害は、その事実を全てトリスの中から消去してしまうものだった。 心に温かな思いだけを残して。
(あれ、これ…)
帰り道、トリスはポケットが不自然に膨らんでいることに気付く。
中に手を入れると、白い刺繍の入ったお守りがコロリと手に転がった。
不思議そうに眺めていたが、不意に右手に違和感を感じ、掌握を繰り返す。
「! トリス、どうかしたんですか?」
「え…? 何が…」
「何が、って、泣いてるじゃありませんか」
「あれ…どうしてだろ。なんかね、これを見てたら胸が熱くなってきて……なんでだろ」
おかしーね、と笑いながら涙を零すトリスに、アメルは何も言わずただ、優しく微笑んだ。

それきり彼女に異世界のネスティの記憶が蘇る事はなかったが、トリスは時々、 なにをするわけでもなく、ぼんやりと空を見つめて過ごす。
何を想うのか、ただ、眼差しはそこにある空ではなく、もっと遠くを見ているかのように。
手にはあのお守りを握り締め、彼女はネスティが約束を果たすその日まで穏やかに過ごした。







「古き英知の術と我が声によって、今汝へと新たなる名を与えん……新たなる誓約の名のもとに、トリスがここに望む」
詠唱に反応して光は激しさを増し、徐々にその形は人の姿へと変化していく。
「今ここに、護衛獣の誓約を交わさん………!」
光の柱ははっきりとした輪郭を持ち、そしてトリスは大好きな、世界で一番大切な人をこの世界に喚び戻した。
永遠に引き裂かれる事の無い、誓約(エンゲージ)という形で。
「……ネス、おかえりなさい……!」
「……ああ、ただいま―――トリス」

どさどさっ。
そんな擬音語が相応しいような音をたて、ナツミ、ソル、アメルの三人はこの世界に帰ってきた。
「い……ったあ〜。あー、酷い目にあった」
「お帰りなさいですの、皆さん!!」
腰をさするナツミにモナティが駆け寄る。
「その顔だと無事に終わったようねぇ〜、にゃははは」
手のトックリからグイ、と一口飲むと、メイメイはナツミの頭をくしゃくしゃと乱暴に撫でた。
「わー、ちょと! メイメイさん、それはいいから早く扉を閉じてってば!」
「ああ、それなら大丈夫よ〜。あっちの世界とこっちの世界は本来接触しちゃイケナイものだったワケ。 でもって、君達がネスティを無事に連れ帰った事で時空の収束ってやつが勝手に起こってくれるから、 何もしなくても元通り、ってコトね」
へぇー、と納得する女性陣四人。しかし。
「……いいから早くよけてくれないか…いい加減、重いぞ」
ソルはナツミとアメルにのしイカにされ、潰れかけていた。
「れ、っと。あ、ネスティはどうなった?」
ソルの手を引き立ち上がらせると、ナツミはきょろきょろと彼の人物を探す。
「それならあっちですの〜」
嬉しそうにナツミの袖をくいっと引っ張るモナティ。
視界に入ったものに、皆、一様に回れ右、の姿勢をとる。
「あー、うん。いこっか、みんな」
「何だ、覗いていかなくていいのか?」
そういってからかうソルだったが、
「バカねー、そんなの後でトリスに白状させるからいいっていって」
「今ここにいたら命が無くなりそうですの〜……」
「白状って…」
「迷惑料よ、迷惑料。当然でしょ?」
「にゃはは、そりゃいいわ、若人! あたしはお酒で返してもらうけどね〜にゃははは☆」
どうやらこちらの二人を敵に回す方が恐ろしいと、心底思うのだった。














「しかし随分力技の誓約だな……」
「し、仕方無いでしょ…! 慌ててたし、それに…」
「それに?」
「……もう誰にもネスを渡したくないって分ったから」
「…トリス…」
「だから、覚悟してよね! もう嫌だって言ってもキャンセルはきかないんだから」
「ああ、望むところだ。こちらも泣いたって護衛獣を辞めてはやらんさ」
「…なんであたしが泣くの、かな…? ネス…」
「さて、な。それは今夜にでもゆっくり教えて差し上げますよ、―――ご主人様」
「☆▽□○△??!!」




―――――キミがいちばんほしかったものは、僕がいちばんほしかったもの。


fin.■■■■

あ と が き

半年近くのご無沙汰です。
そして無理矢理の力技で完結させてしまいました。
自分的にはあと一話くらいかなーと思っていたんですが、 あまりダラダラと書いても年単位で進まないので思い切って 完結させるまで書いてみようと頑張りました。
アメルが出すぎたのが長くなった一番の原因なんですが、 まぁこれはこれで良かった…のかな?
なんだか全然ネストリって感じがしませんが、とりあえず 今回のお話はこれにて完結です。
内容の一部を「キセキの在り処」に似せたのは仕様で。
改稿全然してないんで誤字脱字あったらすみません、後で 直しますので;
それでは長々とお付き合いして下さった皆様、有難うございました。

06.03.26(一部修正03.29)