4
搾り出すような、低く、掠れた声が自分の名を紡ぐ。 それは紛れも無い、愛しい者の声。焦がれて止まない彼の者の。 「ネスっ?!」 「繋がったみたいね…今よ!」 「オッケー!」 トリスの変化にいち早く反応したメイメイの呼びかけに、ナツミがすばやく返答する。 「我、四界の意志をたずさえ、悠久に、楽園の守護者となるべき者。 我が声、すなわち四界の声なり。 我が力、すなわち四界の力なり。 至源の時より生じて悠久へと響き渡る、この声を聞け。 誓約者たる "ナツミ" が汝らの力を望む―――」 「四界の力集いし大樹よ。 願わくば、我が声を受けて、その真なる姿を示さんことを。 四界天輪…陰陽対極…龍命祈願…自在解門…、 星の巡りよ……四界の意志を継ぐ者たちに閉じた時空の門を開きたまえ…。 王命に於いて、疾く、為したまえ!」 二人の詠唱に呼応するかのように大樹が輝きを増していく。 樹の幹にぼんやりとした黒い空間が浮かび上がり、それが異世界への扉だと気付いた瞬間、その場にいる誰よりも早く 一つの影がその闇の中へと身を投げ入れた。 「なっ…、アメルっ?!」 咄嗟に伸ばした腕は間に合わず、白い翼が闇の中に吸い込まれる様を呆然と見送る。 「ちっ…、モナティ、トリスを押さえてるんだ! いいか、絶対に離すなよ!」 「! は、ハイですのっ!!」 ソルはトリスが我に返る前にいち早くモナティに指示すると、詠唱を終えたナツミの手を取った。 「路が繋がっているとはいえ、別の場所に落ちたらマズイ事になる。ナツミ、急ぐぞ」 「…ごめん、あたしのミスだ…あの子の気持ち置き去りにしちゃってた…」 何も出来ない辛さと後悔。 自分が一番良く分かっていた筈なのに、彼女の気持ちを汲み取る事が出来なかった。 目の前にいて何も出来なかったのはトリスだけじゃない、アメルも同じだったのに。 「今はいい。それより早いところ捕まえるぞ。……マイナスはプラスで帳消しにしたらいいだろう?」 「! そうだね…うん! 行こう!!」 アメルのとった行動に再び気が動転し、己を拘束する腕を解こうともがくトリスに、 その彼女を後ろから羽交い絞めにするモナティも必死である。 「…離して、っ、モナティ…っ!」 「ダメ、ですの! ソルさんとお約束したんですの、絶対、離しちゃダメって!」 二人が異世界への扉をくぐると同時に、歪んだ空間が元の景色を取り戻していく。 「アメルーーーー…っっ!!」 成す術も無く消えていく扉を見送るトリス。 伸ばしていた腕が力無く下ろされたのに気付き、モナティは拘束する手を解いた。 何かを言おうと口を開きかけたトリスを制止するようにメイメイが言う。 「自分の所為だ、なんて思わないでよ、トリス。あの子はあの子なりに自分の責任ってのを果たしに行ったんだから。…信じて待ってあげなさい?」 ゆっくりと顔を上げると穏やかに微笑むメイメイと目が合う。 その瞳の奥はまるで全てを見通すかのように、深く、静かで。 胸を圧迫する焦燥感は次第に落ち着き、トリスの心に落ち着きを取り戻させた。 「さぁて。そこのキミぃ、ひっくりかえってる場合じゃないわよ〜? 貴方の大事なマスターさん達を出迎える準備があるんだから。ほらほら、急いだ」 「ま、待って下さいですの〜!」 メイメイにせっつかれ慌てるモナティは、予想通り、というべきか、何もないところで見事にひっくり返る。 彼女にはナウバの皮も必要ないようだ。 堪らず噴出すと『笑うなんて酷いですの、トリスさぁん!』と半泣きのモナティが抗議してくる。 トリスはそんな彼女の頭を撫でながら願った。 どうか皆が無事に戻ってくるように。 こうやって他愛も無く笑える日々が還ってくるように、と。 神の居ない世界であっても何かに祈らずにはいられなかった。 「っ、たぁ〜……みんな大丈夫?」 耳鳴りと激しい頭痛がやっと治まり、何とかナツミはそう口にした。 「俺はなんとか、な。それより問題はこっちだ…おい、アメル、大丈夫か?」 白い肌を更に白く、いや、青白いと言った方が的確かもしれない。 額に脂汗を浮かせ真っ青な顔でアメルは小さく頷く。 とても大丈夫そうには見えなかったが無理矢理ついて来た分、気を遣っているのだろう。 ナツミやソルは本人達が言っていた通り、異世界への扉を潜るのは初めてではない。 無論今回のようなケースは初めてであるから、普段のそれより身体にかかる負担は大きかったが、 それでもアメル程影響を受けてはいなかった。 ソルはぐるりと辺りを一瞥すると安心したように肩の力を抜く。 「どうやら無事にアルミネの森に着いたようだな」 そう言って小さな小屋を指差す。 「あ! あれってルゥの家だよね?」 寄ったのは一度きりなのであまり自信はなかったが、確かに見覚えがあった。 「事情を説明して少し休ませてもらおう。立てるか? アメル」 「………」 「アメル…?」 「ごめんなさい……あたしの所為で、あたしの我侭でこんな事に……」 固く拳を握り、何かに耐えるよう肩を震わせ自分を責めるアメルを、何もかも笑い飛ばすかのようにナツミはあっけらかんと笑う。 「ナツミ、さん?」 「なんだ、その事ー? 気にする事ないって。別に休むのはアメルの為だけじゃないし。休んで魔力回復しとかなきゃ、 こんなヘロヘロ状態じゃタケシーにだってやられちゃうってば。こっちのトリスにお仕置きするんだから完全回復しておかないとね!」 ケタケタ笑いながら「ねぇ?」と隣にいる相棒に同意を求める。 「ああ。それにこの世界で俺達はあんた達と出会ってるとは限らないからな。こっちが知ってても向こうは初対面、って事だってある。 変な警戒心をもたれるよりアメルが居てくれた方が助かる」 「そういう事。だからお互い様ってことで。おあいこ!」 容姿は全く違うのに、ナツミの笑顔はどこかトリスを思い出させた。 周囲の者を和ませる、信じたいという気持ちにさせる、そんな強い瞳の輝き。 言葉にならない感謝の気持ちを笑顔にかえ、アメルは二人に微笑む。 笑顔の戻ったアメルの様子に安心した二人は、ふらつく彼女を支え、ルゥの住み家へと向った。 アメルの話では召喚獣が家の周囲を警固していたようだが、召喚獣どころか人の気配も無い。 警戒しつつナツミは扉を叩く。 「こんにちわー。ルゥ、居ないのー?」 呼べども返らない返事に、三人は勝手知ったる他人の家、とばかりにありがたく身体を休ませて貰うことにした。 主不在の家であったが、中は荒れることなく綺麗にされている。 本当はルゥからこの世界の事情を訊き出したかったのだが、干渉しすぎるのも歴史に影響を与えかねないため、 結果的には良かったのだろうと三人の意見は一致した。 「どしたの、ソル? 難しい顔して」 メイメイから受け取った回復アイテムを口にし、小一時間程経った頃だろうか。 界の扉を潜った負荷が薄れたにも関わらず、表情を固くしたままのソルを心配し、ナツミは声をかける。 「あの、どこかご気分でも…?」 ナツミの問いにすぐ答えない彼にアメルも心配して声をかけたが、ソルは『いや…』と短く返事をすると、一点を見つめていた 視線を二人へと向き直し、重い口を開いた。 「…十中八九、俺達が扉を開いた事は向こうに知られていると考えた方がいいだろう。一瞬でも空間の歪みや何らかの影響が出るからな。 問題は誰がそれに気付くか、だ。それがネスティなら俺達の行動を察して上手くやってくれるだろうが、 万が一、別の人間が気付いた場合―――」 「面倒な事になる、ってコト?」 「残念ながら、な。幸い、ネスティの魔力は感知出来る範囲を移動してはいない。おそらくこの世界のトリスは気付いていないんだろう」 ネスティの強大な力は魔力の質を見分けられる者であれば、ある程度の距離があっても十分に感知出来る。 加えてトリスから預かったサモナイト石の欠片もあるため、彼の居る大体の位置は特定可能だ。 もしトリスがナツミ達の存在に気付いているなら、ネスティを連れて逃げても不思議ではない。 むしろ彼女のとった強硬手段を考えれば何らかの行動を起こしていて当然だろう。 だが、こうして身体を休めている間、何の動きも見られないという事は。 「……あたしが、行きます」 そう言ってゆっくりと立ち上がったのはアメルだった。 瞳に強い決意の光を灯し、入口へと向かい歩き出す。 「アメル?」 「あたしにしか、…いいえ、あたしが止めなくちゃいけないんです」 開いた扉の向こう側には、同じように強い意思でそこに立つアメルの姿があった。 いや、正確にはもう一人、尖った耳と翼、そして尻尾を持つ少年の姿も。 身体的特徴からサプレスの悪魔と判るが、元天使であるアメルと共にいるこの状況は普通に考えれば異様な光景だ。 しかしそんな疑問も、アメルの瞳に宿る暗い光に一瞬で消え去る。 「自分がもう一人いるっていうのに、全然驚かないんだね」 「……想定内、って事か」 十数メートルの距離は保っていたが、まるで行く手を阻むかのように三人の前に立ちはだかるもう一人のアメル。 同一次元に同じ人間が同時に存在していて影響が出ないのは、アメルの魂が豊穣の天使アルミネの魂の"欠片"である為だろう。 互いがアルミネの"一部分"だからだ。 が、魂が繋がっているが故にその存在をいち早く察知されてしまったのもまた事実。 「……あなた達をここから先へ通す訳にはいきません」 広がる翼。白い羽から零れるマナはいつもの温かな癒しの光ではなく、冷たい、無機質な感じを受ける。 自分自身でありながら、アメルは彼女の姿に、声に息を呑む。 しかし躊躇したのは一瞬だった。 「お二人は先へ進んで下さい。ここは、あたしが」 視線をこの世界の自身に向けたまま、先を促すよう二人に合図する。 いくら自身が相手といえどもこの世界の彼女が同一の力を持っているとは限らない。 別の未来を辿っている分、力に差があって当然と考えるべきだろう。 アメル自身、その事に気付いていない筈は無い。 だが、それでも彼女に行動を起こさせる理由がそこにあるのだ。 「何を言って…あんた一人じゃ無謀すぎる」 前に出ようとするソルをナツミは手で制す。 「分かった。二人の事はまかせて」 「おい、ナツミ…!」 「あたし達が力で抑えつけるのは簡単だけど、それじゃ救われないよ…どっちのアメルも」 その一言でソルは続ける言葉を失くす。 そう。 彼女が危険を犯してまでこの世界に飛び込んだ理由が、ネスティを助け出すだけの目的では無い事を知っているから。 「…分かった。だが無理はするな、絶対に。…行こう、ナツミ」 「オッケー!」 二人は踵を返し、小屋の裏手へと回ってアルミネの森へと走る。 追ってくるとふんでいた悪魔の少年は、意外にも二人の行動を微動だにせず見送っていた。 「……ありがとう、ナツミさん、ソルさん…」 アメルは再び自身に対峙する。 自分を見る彼女は、まるで機械遺跡で見たアルミネのようだと思った。今の彼女も召喚兵器にされたアルミネのように、 瞳に光が浮かんでいない。闇色の瞳。 (たぶんあたしより…) 魔力が上なのは最初からわかっていた。自分自身の事だ、わからない筈は無い。 だが、それでもやらねばならなかった。 (この世界のトリスさんを止めなかったのは、この世界のあたし) (もう一人のあたしの責任だから) 「あなたはあたしが止めます。どんな事をしても」 「…………」 二人のアルミネの欠片は、共に、クレスメントを守るため翼を広げる。 同じであって異なる、自分達の大切な友人の為に。 |
あ と が き |