向こ - キミがいちばんほしかったもの -








「……?」

誰かが、呼んでいる。


初めは空耳かと思った。
聞きなれた声が頭に残っているために起こる現象なのかとも。
だが、日を追う毎に幻聴ではないかと思えるほど、その声は強く、はっきりとした響きを持ち始める。
不思議なもので、言葉の内容ははっきりとしないのに、自分を呼んでいるという事だけはわかった。
その人物が泣いている、という事も。


「ネス?」
「…あ、ああ。どうした?」
「どうしたって…もう、最近どうしちゃったの? 全然うわの空で」
「…すまない、ちょっと考え事をしていたんだ」
そう言うと、心配そうに見つめる紫紺の瞳から逃れるように、彼女の頭を撫でる。
それが彼流の誤魔化しである事は分かっていたが、それ以上問い詰めても上手くかわされ、結局真実の答えになど辿り着けない。 彼という人物をよく知っているからこそ、トリスは頭の上の大きな手をそのままにした。
「もう。ネスがぼーっとしてたんじゃ、今日の『協力召喚』の実験、失敗するかもよ?」
いたずらっぽい笑みを浮かべてネスティをからかうトリスだが、当然ながら弁の立つ彼が反撃しないはずもなく。
「他人より自分の事を心配してもらいたいものだな、ご主人様。先日もタライを頭に降らせていたのは誰だったかな」
「! み、見てたの…?」
訳知り顔で微笑むネスティを見て、トリスはうっ、と喉を詰まらせた。
今日のために一人、こっそりと召喚術の練習をしていたのだが、その努力も空しくしっかり見られていたとは。 よりにもよって、一番秘密にしたかった相手に。
「自己学習もいいが、君のように魔力が強い人間が召喚に失敗した場合、大惨事になりかねない。今度からは必ず僕を呼ぶんだ、いいな? ……もし僕の居ない所で君に何かあったら、僕は……」
ネスティを呼ばなかったのは秘密特訓の成果を見せ、驚かせたかったからなのだが、結局失敗した姿を見られ、その上、こんな風に心配までかけている。 これでは秘密にする意味など無い。
「うん。ごめんなさい…ネス」
素直にそう言うと、トリスはネスティの手を取り、並んで歩く。
「トリス?」
「ほ、ほら、これから『協力』召喚でしょ? 気持ちを一つにしないとね!」
そう理由付けたもののやはり恥かしさに耐え切れず、顔を赤く染め、トリスは俯いた。
手を繋ぐ以上の関係にあっても、彼女のこういう初心な、純真さは、ネスティにとって可愛らしくあると同時に、少しもどかしくもある。
長い間兄妹弟子の関係にあったのだから、そうすぐに変われないのはお互い様なのだが、勘違いした馬鹿な男が彼女に言い寄ってくる事も少なくないため、ネスティは虫除け目的もあってトリスの護衛獣をかってでた。
根底にある想いが、彼女を誰にも渡したくないという醜い独占欲だと認識しても、 それでも共にいたいという気持ちに、もう嘘はつけなかった。
「そうだな…だが気持ちを一つにする方法は他にもあるぞ?」
「え……」
嫌な予感に恐る恐る顔を上げれば、極上の笑みを浮かべるネスティの視線とぶつかる。
トリスだけにしか見せない笑顔ではあったが、それは同時に彼女にだけ適用される罠。
「君がきちんと誓約を交わし、僕を正式な護衛獣にしてくれさえすれば」
「だーかーらー! んもう、その話は断ったでしょ!」
「護衛獣として君を傍で守ることは迷惑なのか?」
囁くような甘い響きが耳元に降りる。
吐息の熱さえ感じるかのような近さに、トリスは1ミリも顔を動かせず硬直状態にあった。 それが相手の手の内だとわかっていても、対抗手段が無いのだからどうしようもない。
「……あたしは、支えてもらうばかりじゃなく、あたしもネスを支えていきたいの」
「トリス……」
そう言って顔を上げたトリスの、穏やかで、強い輝きを放つ瞳。
デグレアからアメルを守ると決心した時と同じように、揺ぎ無い意志が表情に浮かぶ。
「だけど自分の事は自分で出来るようじゃなきゃ、ネスのこと、支えられないもの。あたしは 自分の荷物は自分で持って、空いたもう片方の手でネスと手を繋ぐの。こんな風に」
握る手に力がこもる。
昔からこうと決めたら譲らない、頑固な一面を持つトリス。
そんな彼女に護衛獣となる事を認めさせるには、相当骨が折れる話だろう。
ネスティとて諦めるつもりなど毛頭無かったが、口で言い負かすだけが方法では無い。
トリスにはより効果的な方法が有る事を学習した彼は、彼女にとってある意味『最凶』といえるだろう。
「やれやれ…仕方無い。それでは別の方法で気持ちを一つにするとしよう」
「え――― 」
両手で頬を包み込むようにして、顔をあげさせる。
そうやって動けなくしてから口付けを降らせ、彼女の反論を飲み込む。 抵抗されない事を知っているが故の行為は、彼女の好意を、あたかも、再確認するかのようで。
「……ん…っ…」
唇に重なる熱に驚いたのは一瞬。
瞳を閉じると更に強くお互いを感じる、深い口付け。
兄妹弟子でも主従関係でもない、恋人同士のキスは、ネスティの言う通り2人の気持ちを一つにした。 その後までしっかりとオチをつけて。

「まぁ…確かに人通りが少ないとはいえ、気をつけなきゃ駄目よ〜?」
「…は…はい…」
「見たのがあたしだったから良かったけど、こんな昼間っからあーんなに熱いラブシーンは、年少の見習いの子達にはちょっと 刺激、強すぎるわね」
「………」
蒼の派閥の一室でミモザを前にし、トリスとネスティは貝になる。
何を言っても言い訳にならない、この事実を前には仕方が無い。
派閥の敷地内で、人目が無かったからとはいえ油断しすぎた。しかも一番見られてはマズイ彼女のいる、派閥の敷地内で。
ネスティは今更ながら軽率な行動だったと反省するが、時既に遅し。
後は沈黙を貫き通すしかこの場をやり過ごす方法は無かった。
「でも、ま、仲が良くっていい事じゃないの。ね?」
「ミモザ……もうその辺りで勘弁してやらないか。2人が困ってるだろう?」
流石に可哀想になったのか、ミモザのパートナーのギブソンが仲裁に入る。
それが鶴の一声だったのか、時間が差し迫っていたからか、意外にもミモザはあっさりと「はいはい」と場を収めた。
明らかに安堵の息を漏らす2人にギブソンは苦笑しつつ、準備に移るよう促す。
「それじゃあネスティ。始めてもらえるかい?」
「はい。…トリス」
「うん!」
トリスはネスティと共に、召喚試験場の中央に向かう。
そもそも彼らが派閥を訪れたのは『協力召喚』の実験データ取得協力が理由だった。
協力召喚は通常の召喚発動・ユニット召喚・憑依召喚等と同様に、召喚魔法の一種である。 誓約済みのサモナイト石一つに対し、2人以上の人間がそれを用いて同時に召喚術を行使するというものだ。
協力召喚による召喚術はどれも特殊で、強力なものが多い。が、その分制約も大きく、 行使出来る人間が極端に少ないため、派閥内部でも研究は断念されて過去の記録が殆ど残っていなかった。
だが、最近になって状況は一変する。 トリスとネスティ、この2人の出現によって。
何かの話のついでにラウルがポツリと漏らしたのがきっかけだった。
複数で一つの術を行使するという事に興味を持ったトリスは、早速その場にいた兄弟子に軽い気持ちでもちかけた。 元々探究心の強い彼が断る理由も無く、意外にもあっさりと彼女の提案を呑み、2人は見事に『協力召喚』を 完成させる。その場で見ていたラウルが息を呑むほど、簡単に。
クレスメントは強大な魔力を有していたが、彼らはエルゴの王以前の存在であり、王が生み出した召喚術を使ってはいない。 ゆえに、ライルの一族と協力召喚を行っていた可能性は無いに等しく、また、ネスティの持つデータにもそのような事実は存在しなかった。
血脈による因果関係も無く、誓約による強固な結びつきを持つ訳でも無い。
その話を聞いたギブソンが興味を示したのは言うまでもなく、すぐに研究が再開され、データ取得の協力に、今日2人が呼び出されたという訳だ。
ネスティが細心の注意を払っているとはいえ、2人の協力召喚はその後も一度で成功している。 データを取る、という緊張要因はあっても、過度の重圧や油断など無いだろう、と誰もが思っていた。 その瞬間まで。
「行くぞ、トリス!」
「オッケー、ネス!」
2人が同時に詠唱し、機神ゼルガノンが召喚されようとした、まさにその時。


『ネス……』


「…っ?!」
一瞬の気の乱れ。
それが全てだった。
「きゃあっ!」
「! しまった…!」
機神ゼルガノンは召喚されず、術の施行に使われるはずの強大な魔力は行き場を失い、それを 支えきれなくなったサモナイト石は無残にも砕け散る。
失敗、というより暴走、に近い。
「トリス、大丈夫か!?」
「う、うん…。はー、びっくりした…」
座り込んでいるトリスをゆっくり抱え上げる。風で舞い上がった埃を身体から払ってやっていると、慌しくミモザ達がやってきた。
「ちょっと、ちょっと! 大丈夫? 2人共」
「あたし達は大丈夫です。それよりすみません、実験、駄目にしちゃって…」
色々と面倒をかけてしまったミモザ達に、何とか恩返しがしたかったのだが、気持ちだけが空回りしたのだろう。 結果、こんな風にまたいらぬ心配をさせてしまった。
しゅんと項垂れるトリスをミモザとギブソンは不思議そうに見返す。
「駄目? まさか。これも立派に役立つよ…いや、立派どころか、こういうデータこそ重要なんだ。 成功例ばかり研究していては、その真の姿が見えなくなってしまうからね」
「そうよー。召喚は失敗でも実験は成功したんだから、そんなにしょげないの」
ミモザに頭をポンと優しく撫でられ、トリスはやっと笑顔を見せる。
「ネスティ、ちょっといいかな」
「…はい」
3人が今回の結果について話合っている間、手持ち無沙汰となったトリスは召喚試験場をふらふらと散策しながら、 正召喚師と認められたあの日の事を思い出す。
「…ここでモナティを召喚しちゃったのよね…」
ついこの間の出来事のようで、とても昔の出来事でもあるような、不思議な感覚。
しかし、感慨にふけっているトリスの目に、砕けてしまったサモナイト石が映り、途端にいたたまれない気持ちになる。
その漆黒の石はもう二度と輝きを見せる事はない。
大好きな人の大切なものを壊してしまった。
2人が初めて協力召喚に成功した、記念のサモナイト石。
割れたカケラを丁寧に拾い集め、ハンカチで包む。元に戻る事はないと分かってはいるが、そのまま捨て置く事は 出来なかった。
「……一緒に帰ろうね」
トリスはそう呟くと、大切そうに、そっとポケットにしまった。
「とりあえず今日の実験は終了だ。後は僕達の方でまとめるから君達はあがっていいよ」
「有難うございます、先輩」
「いや、お礼を言うのはこちらの方だ。また次回も頼むよ」
ギブソン、ミモザに挨拶を終え、2人は派閥を後にする。
帰路の中、トリスはいつネスティに小言を言われるのかびくびくしていたのだが、結局、協力召喚の失敗に ついて問いただされる事はなく、終始無言のままの帰宅となった。

「トリス」
「もぅ、ネスってばしつこい!!」
屋敷の庭で近所迷惑になりそうなほどの勢いをもって、トリスは叫ぶ。
怒りというよりも、切羽詰ったような声ではあるが。
「どうしちゃったのよ、ネス。護衛獣護衛獣って、そればっかり。ねぇ、何かあったの?」
召喚実験後からネスティの態度は一変する。
今までも護衛獣の誓約をトリスに求める事はあっても、からかい半分であるところが多かったのだが、あの日以来、 何が彼に起こったのかというほど、執拗に誓約を迫ってきた。
「夜だけじゃなく、ひ、昼間っから、べ、べったりだし…」
「嫌か?」
間髪入れない答えと、肯定できない問い。
「だからっ、そ、それは、い、嫌じゃないって言ってるでしょ! ネスが一緒にいてくれるのは嬉しいけど…」
「じゃあ問題ないだろう」
「だからって何で護衛獣なの? こうやって一緒にいるだけじゃ駄目なの? ……あたしはこれ以上ネスを縛り付けたくな――」
胸元に掴みかかろうとした手を拘束され、無理矢理唇を塞がれる。
激しい口付けだった。
抵抗する言葉は飲み込まれ、脱力したトリスの身体をいたわるように、ネスティはそっと抱え込む。 壊れないよう、優しく抱きしめている大きな身体は、逆に、小さな身体に抱きしめられているかのような、縋り付く様な、 そんな感じさえ受ける。
「ネ、ス……」
「……不安、なんだ…君をこうして抱きしめていても、君が離れていってしまいそうで…」
「あたしはどこにもいかないよ?」
「…分かってはいるんだ……君が僕を裏切ることは無いって。だが、そう理解しても不安は消せない。 だから、確かな形を求めてしまう。心も……身体も繋がっているのに……僕は我侭だな」
「か、っ、から…!」
はっきりと言葉にされ、トリスは顔を真っ赤にし、続く言葉を無くした。
例え誓約したとして、それが絶対とは言い切れない事もネスティには分かっている。 誓約をするも解約するも、全て主の気持ち一つなのだから。
だが、彼女がそうしない事を知っているから、無理矢理にでも護衛獣の誓約を結ばせたかった。 トリスの優しさを逆に利用し、裏切らせないため。
もう彼女以外の為に生きるのはまっぴらだった。
「ネスの寂しさとか不安とか…埋めてあげられるなら、あたし、何でもするよ? でもね」
そう言うとトリスはポケットから小さなお守りを出し、ネスティの首に下げる。
「ネスには自分の為に生きて欲しいの。誰か他の人の為じゃなく」
お守りは赤い生地にシルターンの文字で『縁結び』と白く刺繍されていた。
「縁結びのお守りだって。カイナに貰ったの。ほら、あたしとおそろい」
セーターの中に隠れていた紐を引っ張ると、ネスティの首に下がったお守りと同じものが顔を出す。 それは、少女達が好きな者を思って願をかけるだけのもので、絶対の効力など無い。 だが、自分を想うトリスの心はしっかりと伝わってくる。
「えへへ。これでシルターンの神様がばっちりあたし達を結んでくれるから大丈夫!」
「……ありがとう、トリス」
「あたしは護衛獣のネスなんかいらないんだからね? わかっ…」


『 あなたがいらないなら、あたしがもらうね 』


「え…?」
声が頭の中に響く。はっきりとした音をもって。
それは自分自身の声に間違いなかったが、それゆえに、思ってもみない言葉でトリスの頭は混乱した。
あまりにも不確かで、トリスはネスティにも声が聞こえたかを確認しようとする。が。
「……呼んでる……」
「ネ――――」
名を呼ぶ間もなく、彼はトリスの目の前で消えた。
瞬きより早く、ほんの一瞬で。先程まで確かにそこにあったぬくもりは、もう無い。

「……い……いやぁああああ〜〜〜〜っ!!!」

トリスの意識はそこで途切れた。













「…う……」
激しく揺さぶられるような感覚が続く。
まるで船酔いにでもなったかのような気持ち悪さ。
しかしその不快感が突然に止み、代わりに、温かく、心地よい魔力に包まれる。
この魔力の持ち主は間違いなく、自分の知る、たった一人の人物のもの。
世界で一番愛する人物の。
ネスティがゆっくりと重いまぶたを開くと、新緑の眩しさと共に一人の少女の顔が映る。
少女の紫紺の瞳から、ぽたり、と涙がこぼれた。

「……おはよう、ネス」

派閥の制服に身を包む、その少女は間違いなくトリス、彼女そのもの。
「トリ、ス…?」


『聖なる大樹』の浄化の光が降り注ぐ、その場所に2人は、いた。


あ と が き

すみません、ちょっとパラレル気味のお話です。
久し振りの小説でリハビリ、と思ったのに長編です。どうなんだ自分。
通常の好感度大ネスティEDも、番外編ネス護衛獣EDも好き好きーなので、 どっちのネストリも好きです。
最初日記に限定公開、って思ってたんですが、あまりにも長くなりそうだったので 普通に公開の形にしました。ちょっと賛否両論な内容ですが(汗)
ちなみに一番時間がかかったのは「協力召喚」のあたり。
削るに削れない場所だったので、ホント、苦労しました…
あまり間を空けないで書ききっていこうと思ってますので、お付き合い頂ける方、 少しお待ちくださいね。

05.04.11