空の向こうに
- キミがいちばんほしかったもの -
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「……?」 「…っ?!」 一瞬の気の乱れ。 それが全てだった。 「きゃあっ!」 「! しまった…!」 機神ゼルガノンは召喚されず、術の施行に使われるはずの強大な魔力は行き場を失い、それを 支えきれなくなったサモナイト石は無残にも砕け散る。 失敗、というより暴走、に近い。 「トリス、大丈夫か!?」 「う、うん…。はー、びっくりした…」 座り込んでいるトリスをゆっくり抱え上げる。風で舞い上がった埃を身体から払ってやっていると、慌しくミモザ達がやってきた。 「ちょっと、ちょっと! 大丈夫? 2人共」 「あたし達は大丈夫です。それよりすみません、実験、駄目にしちゃって…」 色々と面倒をかけてしまったミモザ達に、何とか恩返しがしたかったのだが、気持ちだけが空回りしたのだろう。 結果、こんな風にまたいらぬ心配をさせてしまった。 しゅんと項垂れるトリスをミモザとギブソンは不思議そうに見返す。 「駄目? まさか。これも立派に役立つよ…いや、立派どころか、こういうデータこそ重要なんだ。 成功例ばかり研究していては、その真の姿が見えなくなってしまうからね」 「そうよー。召喚は失敗でも実験は成功したんだから、そんなにしょげないの」 ミモザに頭をポンと優しく撫でられ、トリスはやっと笑顔を見せる。 「ネスティ、ちょっといいかな」 「…はい」 3人が今回の結果について話合っている間、手持ち無沙汰となったトリスは召喚試験場をふらふらと散策しながら、 正召喚師と認められたあの日の事を思い出す。 「…ここでモナティを召喚しちゃったのよね…」 ついこの間の出来事のようで、とても昔の出来事でもあるような、不思議な感覚。 しかし、感慨にふけっているトリスの目に、砕けてしまったサモナイト石が映り、途端にいたたまれない気持ちになる。 その漆黒の石はもう二度と輝きを見せる事はない。 大好きな人の大切なものを壊してしまった。 2人が初めて協力召喚に成功した、記念のサモナイト石。 割れたカケラを丁寧に拾い集め、ハンカチで包む。元に戻る事はないと分かってはいるが、そのまま捨て置く事は 出来なかった。 「……一緒に帰ろうね」 トリスはそう呟くと、大切そうに、そっとポケットにしまった。 「とりあえず今日の実験は終了だ。後は僕達の方でまとめるから君達はあがっていいよ」 「有難うございます、先輩」 「いや、お礼を言うのはこちらの方だ。また次回も頼むよ」 ギブソン、ミモザに挨拶を終え、2人は派閥を後にする。 帰路の中、トリスはいつネスティに小言を言われるのかびくびくしていたのだが、結局、協力召喚の失敗に ついて問いただされる事はなく、終始無言のままの帰宅となった。 「トリス」 「もぅ、ネスってばしつこい!!」 屋敷の庭で近所迷惑になりそうなほどの勢いをもって、トリスは叫ぶ。 怒りというよりも、切羽詰ったような声ではあるが。 「どうしちゃったのよ、ネス。護衛獣護衛獣って、そればっかり。ねぇ、何かあったの?」 召喚実験後からネスティの態度は一変する。 今までも護衛獣の誓約をトリスに求める事はあっても、からかい半分であるところが多かったのだが、あの日以来、 何が彼に起こったのかというほど、執拗に誓約を迫ってきた。 「夜だけじゃなく、ひ、昼間っから、べ、べったりだし…」 「嫌か?」 間髪入れない答えと、肯定できない問い。 「だからっ、そ、それは、い、嫌じゃないって言ってるでしょ! ネスが一緒にいてくれるのは嬉しいけど…」 「じゃあ問題ないだろう」 「だからって何で護衛獣なの? こうやって一緒にいるだけじゃ駄目なの? ……あたしはこれ以上ネスを縛り付けたくな――」 胸元に掴みかかろうとした手を拘束され、無理矢理唇を塞がれる。 激しい口付けだった。 抵抗する言葉は飲み込まれ、脱力したトリスの身体をいたわるように、ネスティはそっと抱え込む。 壊れないよう、優しく抱きしめている大きな身体は、逆に、小さな身体に抱きしめられているかのような、縋り付く様な、 そんな感じさえ受ける。 「ネ、ス……」 「……不安、なんだ…君をこうして抱きしめていても、君が離れていってしまいそうで…」 「あたしはどこにもいかないよ?」 「…分かってはいるんだ……君が僕を裏切ることは無いって。だが、そう理解しても不安は消せない。 だから、確かな形を求めてしまう。心も……身体も繋がっているのに……僕は我侭だな」 「か、っ、から…!」 はっきりと言葉にされ、トリスは顔を真っ赤にし、続く言葉を無くした。 例え誓約したとして、それが絶対とは言い切れない事もネスティには分かっている。 誓約をするも解約するも、全て主の気持ち一つなのだから。 だが、彼女がそうしない事を知っているから、無理矢理にでも護衛獣の誓約を結ばせたかった。 トリスの優しさを逆に利用し、裏切らせないため。 もう彼女以外の為に生きるのはまっぴらだった。 「ネスの寂しさとか不安とか…埋めてあげられるなら、あたし、何でもするよ? でもね」 そう言うとトリスはポケットから小さなお守りを出し、ネスティの首に下げる。 「ネスには自分の為に生きて欲しいの。誰か他の人の為じゃなく」 お守りは赤い生地にシルターンの文字で『縁結び』と白く刺繍されていた。 「縁結びのお守りだって。カイナに貰ったの。ほら、あたしとおそろい」 セーターの中に隠れていた紐を引っ張ると、ネスティの首に下がったお守りと同じものが顔を出す。 それは、少女達が好きな者を思って願をかけるだけのもので、絶対の効力など無い。 だが、自分を想うトリスの心はしっかりと伝わってくる。 「えへへ。これでシルターンの神様がばっちりあたし達を結んでくれるから大丈夫!」 「……ありがとう、トリス」 「あたしは護衛獣のネスなんかいらないんだからね? わかっ…」 『 あなたがいらないなら、あたしがもらうね 』 「え…?」 声が頭の中に響く。はっきりとした音をもって。 それは自分自身の声に間違いなかったが、それゆえに、思ってもみない言葉でトリスの頭は混乱した。 あまりにも不確かで、トリスはネスティにも声が聞こえたかを確認しようとする。が。 「……呼んでる……」 「ネ――――」 名を呼ぶ間もなく、彼はトリスの目の前で消えた。 瞬きより早く、ほんの一瞬で。先程まで確かにそこにあったぬくもりは、もう無い。 「……い……いやぁああああ〜〜〜〜っ!!!」 トリスの意識はそこで途切れた。 「…う……」 激しく揺さぶられるような感覚が続く。 まるで船酔いにでもなったかのような気持ち悪さ。 しかしその不快感が突然に止み、代わりに、温かく、心地よい魔力に包まれる。 この魔力の持ち主は間違いなく、自分の知る、たった一人の人物のもの。 世界で一番愛する人物の。 ネスティがゆっくりと重いまぶたを開くと、新緑の眩しさと共に一人の少女の顔が映る。 少女の紫紺の瞳から、ぽたり、と涙がこぼれた。 「……おはよう、ネス」 派閥の制服に身を包む、その少女は間違いなくトリス、彼女そのもの。 「トリ、ス…?」 『聖なる大樹』の浄化の光が降り注ぐ、その場所に2人は、いた。 |
あ と が き |