朝。
小鳥のさえずりと太陽の光で気持ちよく目覚め、すがすがしい一日が始まるという朝。
彼(ネスティ)は何度目か分からない大きな溜め息をつく。
「………」
ブランケットから覗き見えるのは、紫の髪とか細い手足。寝巻きの裾はまくれ上がり、隠れているのは最早顔だけ。お世辞にも色っぽいとは言えないその寝姿は、年頃の女性には程遠いと思われた。
悪いとは言わない。
あての無い約束で二年も待たせた自分にそんな権利も資格も無い。
しかし。
毎夜のオヤスミの言葉は彼女の部屋の前で、額に優しいキスを落として。
毎朝のオハヨウの言葉は自分の部屋のベッドの上。
(キスで起せと言われたこともあるが、流石にそんなキザな真似は出来なかった。)
目が覚めるといつも隣でスヤスヤと警戒心の欠片も見せずに眠るトリスに、手を出すことも出来ず、ネスティは繰り返される朝に今日も溜め息をつくのだった。




反省文。 〜How to pass the night which cannot sleep〜



「トリス、ネスティ。お茶でもどうですか?」
数回のノックの後に声が続き、ゆっくりと扉が開いた。
トレイに湯気の立つカップを二つ乗せ、にこやかに現れたアメルは、部屋の中の二人の姿を見て思わず苦笑する。
「あ、ごめんなさい…つい」
ネスティから召喚術の講義を受けていたはずのトリスは(二年間全く勉強してなかったため基礎をやらされている)、机に突っ伏したままスヤスヤとそれは気持ち良さそうに眠りこけていた。
「全く…この馬鹿は一体どれだけ寝れば気が済むんだ…」
起すことを諦めたらしいネスティは、手にしていた本を閉じ、窓辺に立つ。
空を見上げながらどこか違う場所を見ているような遠い目。まるで自分の事をも指すようなそんな口調に、アメルも同じように窓の外を見つめてクスリと笑う。
「……こんなに気持ちのいい日はお昼寝が長くなっても仕方ないですよ」
「……そうだな」
幸せそうな寝顔。
トリスを見つめる二人の目はとても優しかった。

「それにしても…これだけ寝てよく夜もぐっすり眠れるな。全く、感心するよ」
「トリス…よく眠れているようですか?」
「ああ。全くこちらが寝不足になるくら……い、いや! 今の言葉に特に深い意味は…!」
慌てて弁解するネスティの言葉など気にもとめず、アメルは良かったと胸を撫で下ろす。
「……?」
「……トリスはこの二年間、一日としてちゃんと眠れた夜は無いんです」
眠るトリスの髪を撫でていた手が止まる。
「それはどういう…」
「眠ればあの時の光景が浮かんで…夢までもが彼女を苦しめました。毎日貴方の名を泣き叫んでは目覚める事の繰り返し……あまりにも続くので、夜はこっそりあたしが召喚術で夢を見ないよう眠らせました。それでも、苦しくても……例え夢だとしても貴方に会いたかったんでしょうね、トリスは。見てください」
アメルはそう言うと、枕の下から黄色く褪せた一枚の紙を取り出した。
綺麗に折られたその紙をそっと開き、ネスティへと向ける。
「これは…」
上手いとは言い難い、稚拙な文字で何度も何度も繰り返し書かれた言葉。
『真面目になります』
それは幼少の頃、ネスティがトリスに書かせた反省文であった。
「こんなものをどうして…」
尤もな話だ。何故彼女が反省文を枕の下に入れて眠らなければならないのか全く理解出来ない。
アメルは反省文をネスティへと手渡すと、悲しげに微笑む。
「……最後の文字の後。わかりますか?」
「…?」
1000綴られた言葉の後、『トリス』と彼女の名が記されている。そしてその横には『ネスティ・バスク』と書かれた自分の名。チェックしたという検印代わりのサインだ。
「これが一体?」
「わかりませんか?」
首を傾げるネスティにアメルはあっさりと真実を告げる。
「貴方の残したマントで身を包み、枕の下に貴方の書いた文字を入れてまで、トリスは… ネスティ。貴方に逢いたかったんです」
「!!」
繰り返される悪夢に憔悴しきってもなお、一目逢いたいと願う気持ち。
心が壊れてしまったかもしれないというのに、それでも。
「……皆さんはお二人が逆の立場だったらもっと大変な事になっただろうと言いますが、あたしはそうは思いません。だってネスティ、貴方ならトリスを一人で行かせはしないでしょう? 貴方が一人この世界に残されたとしたのなら、貴方はトリスをそれほど愛していない事になりますから」
アメルの目はいつもの穏やかな瞳では無かった。
嵐の海のような、深く沈んだ色で彼を真っ直ぐ見据える。
二年の間の出来事は、恐らく今語られたより遥かに深刻なものであったろう。何しろ、彼が戻ってくるという確証など何一つないのだ。そんな状況でアメルがどんな思いでトリスを支えたのかなど想像もつかない。
恨まれて、憎まれてこそ当然なのだ。
トリスにこれほどまで深い悲しみを与えたのだから。
だがそれでも。
彼女を愛しているのだ。誰にも渡したくない、渡せないほどに。
「…分かっている。もう決して一人にはしない。悲しませないと約束するよ」
ネスティの誓いを耳にし、アメルはゆるりとその表情を穏やかなものへと変えた。それは変貌ではなく、いつもの彼女に戻ったという方に近い。
安堵の色をその顔に浮かべ、アメルはその本来の性質である天使の顔へと戻す。屈託の無い笑顔で答える彼女に、裏の意は無い。彼が戻って来たことで、全て、アメルの中では過去の出来事として捉えられている。初めから天使に黒い感情など存在しないのだ。
「あたしに約束しないで、本人にも言ってあげて下さいね」
からかうようにそう言うと、アメルはそっと部屋を後にした。
「本人に、か」
残されたネスティは、未だ眠り続けるトリスの寝顔を見てそう呟く。
自分の横で眠る少女に、涙の跡を見たことはない。
だがそれは見なかったというだけで。本当は枯れるほど毎日、毎夜涙で枕を濡らしたのだろう。
現実とも夢とも思えない空間で、彼女は毎日彼の最期に手を伸ばし、届かなかった事に後悔する。
永遠に繰り返される悪夢を望ませてしまうほどの痛みを彼女に与えてしまった。
だからトリスは夜毎、ネスティの部屋で眠る。
夢でない朝を迎えられた現実を実感するために。
「どうしたら悪夢は終わる…?」
トリスの髪を梳きながら呟くネスティだが、突然、何か思いついたように一心不乱に文字を綴り出した。
部屋に走る筆記の音。
それは心地よいリズムのように、静寂な室内に響き渡る。
「……目が覚めたらキミはなんて言うんだろうな」
白い紙いっぱいに綴られる文字は『もう二度と独りにさせません』という、永久(とわ)の誓い。
「これも一応反省文だろう? トリス」
ネスティはそう言うと眠る彼女を抱き上げ、そっとベッドに降ろす。
その枕の下に折りたたまれた小さな紙を入れて。


眠り続ける彼女の寝顔がどうか安らかであり続けることを願いながら。





03.3.1 HAL□□□□






いいわけ。

44444hit、浩さんからのリクエストで 「ネスにも反省文を書かせる」というモノでした。
「もう二度と独りにさせません」という反省文のリク内容はクリアでしたが…
内容、こんなんで宜しかったでしょうか?(汗)。

書き始めの予定ではもうちょっとほのぼの路線だったんですが、ちょっとアメルさんが…あれ〜。
こんなんですが少しでも楽しんでいただけると幸いです。