眠気を誘う心地よい風と日差し。
膝の上に頭を乗せ、気持ち良さそうに眠る青年。
自分だけにしか見せない、安堵の証。
(……寝てるくせに…きれいな顔しちゃって……)
眠っている時でさえ崩れないその端整な顔に、女性としては多少なりとも面白くないトリスであったが、 何故か、誘われるようにその顔を覗き込み、唇を寄せた。
(そういえばこういう時って、目を開けてるものなのかな? それとも閉じてるべき?)
不意に浮かんだ疑問に、好奇心にかられて目を開ける。
が、しかし。
「寝惚けているのか、トリス。早く起きろ」
開けた視界に映ったのは見慣れた眼鏡の呆れ顔。
彼女の兄弟子ネスティ・バスク、その人であった。




夢で逢いましょう。 ■■■







「…っ、ふぎゃあああぁぁぁぁあ〜〜〜っ!!!」
一瞬、地鳴りかと思うような、家を揺らすほどの大音量…いや、大絶叫。
音の出所は声の主である人物の部屋からだったが、家の中にいた者は皆、絶叫元の彼女ではなく、 声の後に聞こえた猛打?の音を心配し、階段を駆け上る。
「ト、トリスさん……!」
開いていた扉の向こうに目をやり絶句する者の中からいち早く正気に戻ったのは、 天使アルミネの生まれ変わり、アメルであった。
「ア、アメル…ど、どうしよう、ネスが……!」
完全にパニック状態のトリスの傍には、彼女の兄弟子らしい人が倒れている。
どうやら先程の猛打の矛先は彼に向けられたようだ。
「ネス! しっかりして〜〜〜!!」
泣きながらリプシーを召喚するトリスを見ながら仲間達は思う。
果たして仲間一ATの高い彼女の繰り出す一打に、リプシーの回復が追いつくだろうか?
…いや、追いつくまい。
瀕死のネスティに焼け石に水とばかりの召喚術。
うっかりトリスを落ち着かせるのを優先させてしまったアメルが(彼女も大概動揺していたのだろう)ネスティを 回復させたのは、それから5分が過ぎようという頃だった。
意識を取り戻したネスティにこってり絞られ、やっと開放されたのは昼もとうに過ぎた時分。
朝食はおろか、昼ですら食事にありつけなかった彼女に同情し、サンドイッチを差し入れてくれた のは、アメルとケイナであった。
トリスは涙を浮かべて感謝しつつ、バスケットのパンに手を伸ばす。
一心不乱にパンを口に運ぶトリスの様子に、二人は苦笑する。
「全く…いくら寝惚けてたからってネスティを張り倒すなんてどうかしてるわよ…… いつもの事でしょう? どうしてまた今日に限って」
「う。それは……えと…」
パンを運ぶ手が止まる。
もごもごと喉に詰まらせたかのようなキレの悪い態度は『疑って下さい』と言っているに等しい。 鋭い者でなくとも突っ込んで当然だ。
「何か悪い夢でも見たんですか?」
ケイナに詰め寄られても口を割らないトリスであったが、アメルのこの一言に身体を硬直させ、そして そのふっくらした頬を夕日のように満遍なく染め上げた。
「ト〜リ〜ス〜? どんな夢を見たワケ〜?」
最早完全にからかいモードに入ったケイナに、トリスは頭を抱え、膝に突っ伏す。
「ちょっとお姉さんに教えてみない? ね?」
「〜〜ヤっ!」
髪の間から覗く耳も赤く染めあげ、およそ無意味と思われる抵抗を続けるトリス。
だが。
「昔から"悪い夢は人に話すと正夢にならない"って言われてるの、知ってますか?」
ね、トリスさん? とにっこり微笑む聖女の言葉を誰が嘘と思うだろうか。
悪夢ではない事など二人には分かっていたが、トリスがこれほどまで動揺し、隠そうとする夢だ。 彼女が決して叶って欲しいなどと考えない事もお見通しなのだ。
「むぅ……」
隠して正夢になるのを待つか、ここで話して恥ずかしい目に遭うか。
どちらも避けたいトリスは小さな唸り声をあげつつ、しばし悩んだ末に結論を出す。
彼女らに向け、そっと小指を伸ばし。
「……やくそく、してくれる? 皆には内緒だって」
そっと顔を上げた先には、穏やかに微笑む二人の優しい顔。
「大丈夫よ。ここにはお喋りな人なんて誰もいないんだから。ね、アメル?」
「ええ。勿論です! こう見えてもここにいるあたし達が一番口が堅いんですよ?」
「…ありがとう、みんな!」
手を取り合い、微笑みあう。
美しい友情。
しかし。
「…………」
この場にはもう一人…人と呼ぶのは相応しくないかもしれないが、もう一人の存在があった。 彼女らと同様に堅い口の持ち主である、その人の。






翌日。
晴天の中、青空授業とでもいうのだろうか、昨日女同士で秘密の会話をした同じ場所で、 ネスティから召喚術の基礎をみっちり叩き込まれる羽目になったトリスがそこに居た。
自分のした事を考えると逃げ出す訳にもいかず、素直に彼の講義を受けるしかないトリスは、 心地よい風に睡魔と闘いつつ、最後の問題を睨みつけている所だった。
「……で? 一体何故そんなに驚いたんだ、君は」
「な――な、なによ突然」
本当に突然だった。
ゆえに、何気ない質問だろうと適当に返す。いや、適当に返すしか余裕がなかったのだが。
「べ、別に。ネスの顔が近くにあったからびっくりしただけだけよ」
鼓動の変化を悟られてはいけない。
事も無げに返すトリスに、顎に手を当てた彼の、眼鏡の奥が不穏の色を帯びる。
「ほう? では君はそれだけの理由で、わざわざ起こしに行った僕を意識が無くなる程の力で 張り倒したんだな?」
背中に流れる嫌な汗。
長い付き合いであるが故に、トリスにはこの口ぶりが何を意味するのか恐ろしい程良く分かっていた。 全て知っていて、でもあえて自分に言わせようとしている、そんな手口。
しかし彼がどこまで知っているというのか。
少なくとも、あの秘密の会話をした時は傍にいなかったし、周囲には一本の樹しか無く、 見渡す限り広がる草原に、隠れる場所など無かったはずだ。
(あの二人がネスに話すなんて考えられないし、他の誰かにだって……)
そこまで考え、トリスはハタと気付く。
己の最大の失態に。
「れっ、レオルド…!!」
そう。
無口で忠実な彼女の護衛獣、ロレイラルの機械兵士。
トリスはすっかり彼の存在を失念していた。いや、存在を忘れていた訳ではない。 彼の『能力』を失念していた、と言った方がいいだろう。
確かに彼の口は堅かったが、相手がネスティとなれば話は別だ。
同じ機界の住人であったベイガーには、彼らのメモリチェックが出来るという能力がある。
そのトリスにとって非常にはた迷惑な力は、主の奇行の原因の一部始終を彼に正しく伝えていたようだ。
「ああ、彼ならトリスは僕が見てるから、とアメルの手伝いに行かせたが?」
しれっと答えるネスティ。
「あ、あたしの護衛獣なん、だケど!!」
「それは当然だろう? まぁしかし、彼もたまには息抜きしても構わないんじゃないか?」
それに喜んで引き受けたぞ、との言葉にそれ以上反論する術はない。
確かにレオルドはトリスの護衛獣だが、機械である彼だって出来る事なら巻き込まれたくない争いもある。
痴情のもつれ。この世界に来て身をもって知った言葉。
フォルテに教わった言葉だが、彼にとってそれは重要な意味合いを持つのだ。

「で、何を見たんだったかな」
近付いてくる微笑みに、まるで蛇に睨まれた蛙の如く動きを封じられる。
どんな状況だってこの顔には弱いのだ。
普段めったに見せないが故に、自分は彼にとって特別なのだと感じる事が出来る。
「……知ってるくせに……ネスの根性ワル…」
そう呻くように呟き、トリスは恥ずかしさに肩を震わせる。 その俯いた泣きそうな顔に、ネスティはくしゃりと彼女の頭を撫でると、突然、彼女の膝に頭を乗せて寝転がった。
「えっ?! な、何??」
眼鏡を外し、草の上に静かに置く。瞳は閉じたまま。
「ね、ネス……?」
低い、静かな声がトリスの耳に響く。
「……夢は人に話すと叶わないと言ったな」
「う、うん」
「じゃあ今のこの状況は『ありえない状態』にある訳だ」
「へ…?」
「今なら君の疑問に答えてやれるが?」
「!!」
「さて、どうする?」




風に舞い、消える答え。

それは誰も知らない、二人だけの秘密。
夢を現実に変える、恋人達の甘いキス。