どこいつ
-いつでもどこでででも-
「なぁ、ネスティ。お前とトリスはただの兄妹弟子の関係なんだよな?」
「ネスティさん、貴方とトリスさんは恋人同士ではないんですよね?」
旅の仲間が増えるたびに、幾度と無く浴びせられる質問。
いや、最近はその回数も増えている気さえする。
ネスティはうんざりした表情で、面倒臭そうに同じ答えを繰返す。
「単なる先輩後輩の関係ですよ。同じ師のもとで学んだのだから気を使わない関係ではありますが、それだけです」
それを聞いた相手は皆一様に、ホッと安堵の色を浮かべトリスの元へと走っていく。
彼女は人を惹きつける。
アメルとは少し異なるが、彼女もまた、光の存在なのだ。
自らの行く末を照らし出してくれるような、強い光。
アメルが包み込むような光だとすると、トリスは全てを照らす解放の光。
ネスティは、皆が抱えているものを考えると、トリスの存在を求めるのも分かる気がした。
それは、自分もまた、同じであったから。
ただ、それは恋愛感情なのか、家族を守るような気持ちなのか。
当のネスティにもまだはっきりしない、薄靄のような存在だった。
そんな中、トリスはといえば。
買出しに誘われようが、稽古に誘われようが、散歩に誘われようが。
全くといっていいほど、彼らの気持ちに気付く事無く日々を送る。
買い物にはルゥやミニスを付き合わせ、稽古にはモーリン、そして散歩には護衛獣だから、と、モナティを連れまわす。傍目でみればアプローチしようとしてる彼らが哀れに思えるほどだ。
悪気もないのだから、もっと性質が悪い。
燻る想いが激しくなった男性陣が、そのうち爆発するのではないかという不安さえ沸き起こる。
いつしか女性陣で「トリスを守る会」が極秘裏に結成されてしまったのも仕方の無いこと。
しかし、そんな周囲の内なる攻防戦など知らず、トリスはといえば、今日も渦中の青年の布団に包まり惰眠をむさぼっていた。
「トリス。こんなところで寝るんじゃない」
「……ふみゅ?」
猫の鳴き声のような、眠たげな声を出してトリスは大きな欠伸をする。
身体を、腕を、思い切り伸ばしている姿は、確かに猫そのものだが。
「全く…他人の部屋でよくもそう気持ちよく眠れるものだな」
「他人じゃないよ。ネスは兄弟子だもん」
「…それにしたって、男の部屋で熟睡する歳ではないだろう? キミも」
ネスティは諦めたようなため息をつくと、眉間に皺を寄せながら頭を抱える。
「キミがいくら僕を兄と思っていたとしても、回りはそうは見ないんだ。気をつけろ」
「あたしだってネスをお兄ちゃんとは思ってないけど」
ああ言えばこう言う。
ネスティは絶句する他なかった。
兄とは思ってないし、男性とも見ていない。
では自分は一体彼女の何だというのだ。
しかし、そんな風にネスティが頭を悩ませている隙に、トリスは寒い寒いと言いながら彼のベッドへまた潜り込んでしまう。
「なっ…こ、こら!」
「う〜、寒〜い、眠〜い」
「ならさっさと自分の部屋へ戻れ!」
「やだよ、だってこっちの方があったかいもん。あたしのベッド冷たいじゃない、今そんな布団に入ったら目が覚めちゃう」
覚ましておけ、と突っ込みたいネスティであったが、あまりにも気持ちよさそうなトリスの顔を見て何もいえなくなってしまう。仕方の無い奴だ、とかぶつぶつ言いながら、結局妹弟子にとことん甘い兄弟子の姿がそこにあった。
「ネスも一緒に寝ようよ」
「キミは…分かって言ってるのか?」
「何が? だってネスと一緒の方があったかいじゃない」
「…………子供か、キミは」
「なによぉ…じゃ、ネスはあたしを"大人の女"として見てるっていうの?」
「…そうだな。今のキミには男として何もする気が起きないよ」
「むぅ。ま、いいけど。じゃないと一緒に寝られないもんね」
女性としての誇りより動物的本能をとるトリスに、ネスティは完全に諦めたらしい。
確かに連日連戦で疲れていることもあったが、こういうコトに関しては彼女に何を言っても無駄なような気がする。
鈍い。
とてつもなくウルトラ鈍いのだ。この妹弟子は。
男女間の愛情など、自分達には関係ないと未だに思っているのだろうか。
確かに女友達などいなかった彼女が、そういうことに疎くなったのは仕方の無いこと。
まして今はこんな時だ。
色恋沙汰で面倒を起こすより、この純真なままでいてもらう方が後々面倒も少ないだろう。
(確かに、これでは何かする気はおきないな)
へそを出して眠るトリスの寝巻きを直してやりながら、ネスティは溜め息をつくと、ランプの火を消し、自分も目を閉じた。
しかし。
それはあくまでも旅の初期の話であって。
自分の正体や抱えていた秘密が知られてしまった頃には、ネスティの考えも態度も180度変わっていた。
「トリスさん、あの、ちょっと宜しいですか?」
「トリス、ちょっと一緒に来てくれねーか?」
「? なに?」
夕食後、シャムロックとリューグが我先に、と競い合うように話しかけてきた。
どうやら、二人ともテラスでの語りを狙っているらしく、互いの視線に火花が散っている。
トリスはそんな睨みあう二人の険悪さに誰かに助けを求めようと、後ろを振り返った。
「あ、ネス」
すぐ後ろに立つ兄弟子の姿に、トリスは破顔する。
心底ほっとするような、嬉しそうな表情のトリスに男性二人は複雑な思いだ。
それは嫉妬となり、ネスティへ向けられるのになんら時間はかからない。
しかし、関係無い奴はひっこんでろ、というような視線をもろともせず、ネスティはトリスに実に優しく微笑みかけると、信じられない言葉を彼女にかけた。
「トリス。今日は一緒に寝なくていいのか?」
そこにいた全員の音が止まる。
無心を装おうとする幾人かの人物が、お茶に手を伸ばしているようだが、そのカップがカチャカチャと震えるような音が各々の心の動揺を表していた。
「え? い、いいの?」
「ああ。しかし蹴られるのはごめんだからな。しっかりと押えて寝ることにするか」
「んもう! それはこないだ謝ったじゃない! ちゃんと気をつけるってば。ね?」
「わかったわかった。ほら、いくぞ」
「はぁ〜い!」
嬉しそうに自らネスティの手を取って居間を後にするトリス。
彼女の心はもうネスティと一緒に寝ることでいっぱいだ。二人の男性の事など既に記憶には無い。
他の仲間達も何事もなかったのように、それぞれ部屋に戻っていく。二人がやっと我に返った時には、居間にはミニス一人だけで、彼女も自分の部屋に帰るところだった。
「お、おい、ミニス! お前ら止めないのかよ、あ、あんな…」
肩に掴みかかったリューグがの手を面倒くさそうに払いのけ、ミニスは言う。
「あんなもなにも…最初からあの二人、ああだったけど。知らなかったの二人だけだと思うよ」
ミニスの言葉に硬直するリューグとシャムロック。
そんな男性二人に構わず、ミニスはさっさと居間を後にする。
残された二人は夜中にルゥがトイレに起きるまで、そのままだったという…。
余談ではあるが。
「う、嘘つき、嘘つき…! ネスのおたんこなす〜!」
「僕は嘘はついていないだろう」
「な、何もしないって言ったくせに! なによ、この、き、キ…痕!!」
トリスの首にくっきりと残された痕。
それは、ネスティが夜中につけたキスマークだ。
昨日の台詞が何の裏もなく言われたはずはない。ちゃんと考えているのだ。
「今のキミには何もする気がおきない、とは言ったが。それは過去の話だろう?」
「ううう〜、カタブツメガネのくせに、こんなことして…」
ぶつぶつと恨み言を言いながら、猫のように丸くなったまま布団に包まるトリスに、ネスティはそっと近づく。
隣に静かに腰を下ろすと、ベッドがきしり、と小さく軋む。
布団の中でびくり、と一瞬身体を硬くするトリスにネスティは言う。
「…じゃあ、もう一緒に寝るのは止めだな」
「え? や、やだっ!!」
慌てて布団から飛び出すと、そこには優しくて意地の悪い微笑があった。
「あっ…」
トリスが動くより早く、ネスティが彼女の腕を取り、その身体を胸の中に閉じ込める。
これからも宜しくな、と耳元で囁くネスティの声に、耳までも赤く染め、トリスはがっくりと項垂れた。
確信犯的なその行動に、トリスにはもう打つ術はない。
あとはただこの兄弟子の胸に甘えるだけ。
「……ネス、ずるい……」
「なんとでも」
それから二人はどうしたのかといえば。
特にいつもと変わらない煩い兄弟子と、そそっかしい妹弟子ではあったが、少し未来にその関係を「主従関係」へと変えた。
はたから見ればどっちが主人か怪しいものではあったが。
「誓約」という、確かに普通と形は異なる関係。
しかし、その根底にあるものは二人にとって同じもの。
深い深い絆で結ばれた、愛情。
2003.4.23
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